はてなキーワード: 本尊とは
前提:nmmn界隈ゆえに本当は炎上案件で晒し上げてやりたいのにできないから増田に書いてる
消えて欲しい大手(今後Aと記載します)は、絵描きであり商業漫画家(それなりに有名だが活動はナマなのでもちろん公言はしていない。ただし絵柄ですぐわかる)です。
私はその界隈にいて、直接Twitterは繋がっていない。
12月末頃にAが界隈WEBオンリーにて新刊を出す知らせを鍵型SNSにて告知していた。
(二次元ではありえないだろうが、ナマは部数が少ないのもあって受注の人はよくいるし、そこは納得している)
サンプルも完成原稿のようなものを6枚程度UPされていたので、もう本当にあと少しなんだろうと信じていた。
現在2月だが、まだ発送連絡はこない。
自家通販サイトのシステム上、発送されないと本人に売り上げは入らないが、それでも支払いはしている。
その重みをまるで分かっていない。
ナマでCPでは大手で商業やってて誰も注意するやつなんていないんだろうが不信感しかない。
1/24にあったイベントにも直参していたようだったが、新刊(上記WEBオンリーの新刊と同じもの)間に合いませんでした、通販ご利用下さいのお知らせをしていた。
描くなとは言わないが、それするなら新刊落とすなよとどうしても思ってしまう。
通販利用しろってシステム利用料も送料もかかるようなことを軽々しく言うな!
通販を悪とは思ってない。作家には利益とってほしいとも思ってる。
それでも長々と待ってる人間に対しての最低限の礼儀は欲しいだろ。全員がお前の告知見てると思うな!個別に謝罪メッセージくらいしろ!
と元々あったAに対する色々にトドメを刺されたので増田を怒りで書いてる。
本当は大々的に晒してやりたいし、なんなら商業関連の公式に凸だってしてやりたい。
それでも界隈が困るの分かってるから黙ってるだけ。
元々あったAに対する色々を簡単に言うと
・直参のイベントの際、自分のスペースを放置(R18も含む)して近くの仲間とわいわい話してスペースにきてくれた方が戸惑っている現場を見たことがある
・本尊現場の終演後にその会場前でお仲間たちと●●かわいいなどとデカい声で話す
・CPに対する同調圧力(Aの解釈が全てのような風潮/Aが書いたパロをみんな書き出してお互い褒め合う)
・●×○以外の○受けを認めておらず、●×○がメインオタクで他の○受けの話をさせない雰囲気
などがある。
出羽守(でわのかみ)(ネットスラング)とは、なにかにつけて「海外"では"」「欧米"では"」と、日本以外を引き合いに出して「だから日本はダメ/遅れてる/後進国/未開/土人の国」のように言いたがる奴のことを言う。
私はこの出羽守といわれがちな奴がとてつもないアホに見えるのだ。
ある国独自の文化にケチつける簡単な方法はなにか?その文化がないところと比較して欠点をあげつらうことだ。中国の食文化にケチつけたかったら「大火力で炒めものすると台所が油まみれになるから、炒めものをしない"欧米では"中国人はアパートを借りにくいほど"疎まれてる"」、韓国にケチつけたかったら「犬を食うんだから犬を飼ってる人がいるとこには"欧米では"住まわせられないくらい"疎まれてる"」、日本にケチつけたかったら「魚や卵を生で食うのは"欧米では"ありえない。不衛生で"野蛮"な行為なので"疎まれてる"」など、めちゃくちゃ簡単にケチは付けられるのだ。そしてこれらは明確な差別なのだ(私自身は商活動は自由であってほしい論者なので、アジア人が部屋を借りにくいのはしゃーなしと思ってる)。
で、出羽守がアホに見えるのは、なぜか「海外」「欧米」の文化が一等優れていてその他は亜流か下流、くらいの心で平気で差別的言説を垂れ流すからだ。「欧米ではそれは認められません」「海外では通用しません」、その言説を紐解いたら、お前がご本尊にしてるニューヨーク系リベラル様にしばかれるタイプ、という。あまりにもしょーもない、御本尊様の言説を適当に垂れ流してるだけのアホなのだ。そしてこういう奴らに限って「自分の頭で考えろ」とかいう。「自分の頭で考えてニューヨーク系リベラル様と同じ考えにならなければ野蛮人」みたいな御本尊様の受け売りを、1秒たりとも何かを考えたことのない脳が発するのだ。覚えたての言葉を使いたがる中学生。明確にアホやん。
知らん。海外在住だから少なくとも親は金あるんちゃう。そういうバカが「三塁で生まれてない奴は野蛮人」レベルのカスになるんだろうね。
知らん。フランス在住出羽守ならパートナー文化礼賛バカもいそうだな。脳味噌がドロドロに溶けてる。
いかがだったでしょうか?違う文化圏を考えもなく批判したがる出羽守は、欧米では大変に疎まれてるようです。先進国なら違和感を持って当然でも、自分の頭で考えられない出羽守様には通じないのでしょうね💦私達も覚えたての言葉や価値観を連呼するだけの中学生レベルのアホにならないために、様々な文化に触れて生きていきましょう✨
なにか信じるものに従えば必ずおちんぎんもらえるって一点張りの無知を知性とか信仰とかいうとあとで悲しくなるかなと思うよ
宗教だって思ったりするのだとしたらその制約を誓ってたご本尊が蛆虫の塊だったって見えたとき絶望すると思うんだわ
まず経済を勉強して実地で体感してから金融派生商品を触ったほうがいいと思うよ
きっと何かに例える発想があるなら学んだその後できっといい表現が生まれる気がする
まずね経済が波があってその差で儲けるってのは波乗りとおんなじその局面でだけできる偏差がるんだわ
商売やってたり会計やってたりすると何日締めで何日払いとかあるよね
あれなんでだと思う?
販売があってお金が儲かるのがお仕事なんだけどあれ大概は借金してモノを仕入れてそれをいいタイミングで売って儲けるの
仕入れの代金とか従業員のお給料とか電光熱費に事務所家賃に税金などいろいろ
いつ払いますとかこれだけは年末までため込んで使っちゃいけないお金とかあるからどうしてもタイミングが合わなくなるものがでてくる
取引先がみんな25日締めで払いだとその日に全部の現金を用意してないといけないよね
なのでこっちにお金がはいってくるタイミングとお支払いするタイミングが分かれるわけ
これで差ができるんだなーと思ってもらえたらいいんだけどそうでないならもうちょっと
そのリスクを減らすために現金が発生するタイミングを増やしたりするんだよね
歳末とか毎週のセールとか取引を現金でするから値引きとか長いスパンでの取引とか
そうするとどこで現金がほしいか何の取引に利益がでるかで「そこでできた利益の分け前をくれ 仕入れの金を援助してやるから」って会社の機能を切り売りできるものがあるんだね
それが株なんだけど何をどうする予定があるとかわかればすぐそこに乗り込んできて利益をふんだくるやつがいるからインサイダーとか厳しい取り決めがあるんだけど
そういうこまかいのは調べればいっぱいでてくると思うので調べてみて
その今の時点の会社を買い支えるっていう公開株の取引きのほかに夏になったらビールが売れるとか冬になったらダウンがうれるとかのタイミングで
夏からダウンを作ってるところにダウンが売れるわけがないので製造料金は売上のない完全マイナスなんだけどこれを先に売ったりもできるんだよね
小麦がとか小豆がとかでヤバイって先物取引の話とか漫画にもなっててみんなよく知ってるよね
農家のみなさんはすでによくされてるけど作物が出来上がって売れたら初めてお金になる
台風とか水害とかこう害とかでダメになったら投資が全部ゼロの儲けになってしまうとかそんなのみんな知ってるよね
約束とか嘘とかそういう言葉にすればそういう取引だったり概念的だとか宗教的だとかいまはその知識に当てはめられると感じてるかもしれないけど
それは経済って仕組み一本で純粋に成り立っているので人間性とかそういうのは入らずにそんな仕組みはあるんだよ
なぜ未来がとか願いがとかって思うだろうけどそれは期日って決めたお互いの経済循環的機会つまりタイミングをずらすことで約束を破らず果たせるようにしてる姿なの
そのずれが大きく離れるときにリスクを回避するためにとる手段が現金とか流動貨幣的に募集したり投入したりするタイミングになるわけ
根性や自分ルールでその派生商品に利益がでるわけではないんだよ
単純に考えると自分が「儲かる!」って見えて感じてしまうそのタイミングが「どの周期をそう見てしまっているのか」という事に気が付いてルールにしたのなら
自分の感覚の動きが情勢を理解して把握しなくても小さなデータから傾向を割り出すことができる指針になっているかもしれないってことだね
そういう勘はその人自身の人生そのものが反映しているわけでだからどうだと言ってもマイルールを分けることや説明することに特に意味はないかな
たとえば私は交差点で目があった人とはかならず目をそらされてしまうそういうジンクスがあり傾向がありその性別はどちらが多いとかデータがあったとしても
取引には現金で即日という最強の取引から期待値に不動産を貸し出すとかまでいろいろあってそれぞれにちがうリスクがあるので
相互に埋め合わせるために盾と矛みたいな経済循環をもっていてそのタイミングに必要な貨幣量っていうのがその取引自体では等価なので
時間でその量がたまるのを待つ以外にはもっている人から借りるということで時間を減らすことがリスクの回避になっているから
その相手の必要なタイミングでお金をつっこめばありがとうって感謝とともの元本が返ってくる
逆に準備がし終わって払い出すタイミングだと払う側に準備予算と同じ高さで会社の一部を買い取ってその会社の「次に借りたいお金の分量」が下になるときに売ってしまうと
次のタイミング用に買い付ける人たちがその下側の値段でなら引き取りますよってくるんだね
FXとかはそのさらに大きな国単位での時期とか商品とか予算とかに全部の分の取引相手国の現金が必要なんだよね
これが商取引なんていう各個人それぞれの都合で必要な貨幣量の総合計を国とか銀行がストックするのってすごくリスクなんだよね
国単位の明日の状況とか予想とか出来る訳がないから現状を常に見て変動してるのでたしかに一日で倍になるかもしれない
同じ確率で半分になるかもしれないその安全性の確保は偉い人が「いい感じ」って言うとしてその理解をその下がどう行い市場がどう動きみんなが何を買うかで変わる
もう勘で動くというのが4重奏くらいなわけ
こんな「くじにはあたりが必ず入っている」という確率が四分の一つまり「あたりなんてはいってない」が四分の一ほどにもある状態にみんなのお金を入れられないよね
博打の胴元をしてどうせ当たらないだろうと思って掛け金をのんじゃう人みたいなやばさがあるわけ
なので一般市民のみんなの現金をオラにわけてくれって方式で募るのが外国為替証拠金取引なの
みんなが保険会社みたいな感じだね
反対に度を越えたらみんなが保険金をお支払いするっていう契約の保険会社を自営業でやってる感じ
銀行や国が手をだしたくない賭けなのにみんなが必ずもうかるって訳はあるはずないよね
だけどその動きはできるだけ多くの情報を知ることでより確率の高い方向へ向かわせることができるよ
細かい連鎖が数珠のようにつながってるような鎖のペンダントみたいな形になっているというか紐を端から揺らすと先端がどこに動くかなんて予想がつかないよね
でも繋がっているものがそれぞれ全然ちがうものをつなぎ合わせてチェーンにしたものでもそれぞれがどう動くかなんとなくわかっていたら先端がどっち向くか予想はできるよね
その繋がっている情報をどうやって手に入れるかがとても重要な動向の予想の鍵になるわけで信仰とか宗教とか感情とか人間性はあんまり関係ないよ
でも逆に考えて人がそれぞれどういう感じでうごくからこんな施設があってこんな業態があってこんな商品がいつ売れているから今はどうなるかって予想は一人の人間でもできる範囲にあるよね
春だから何がうれるなーとか秋になったらとか男性だから女性だから子供だから作業員だから官僚だからといったようなそれぞれのニーズがそれぞれのタイミングで存在してまたそうじゃないタイミングとそうじゃないのに準備をしないといけないタイミングがあるよね
お米を売ったお金が入っていたらいいけど入っていない状態で田植えをするとなると「お米を買った人以外」からお金を集める方法が必要でそんなタイミングで売りに出るものがあってそこで買えるものは「お米が売れる時期」に価値が増すしそうじゃない時期にはお手頃で買えたりすることになる
その売りのタイミングや買いのタイミングを季節か雰囲気とかだれの態度とかどんな動物の状態かとかそんな雰囲気で感じ取って判断してアタリを引く人もいるわけで
そんなルールがあるならそれに従うといいねというだけの話であって「ビーバーが小屋をつくったら小麦の輸出高があがる」とか言い出す人のみているビーバーとあなたの観察しているビーバーが同一かどうかまた場所とか気候ほか温度やなにかについて同一でもないなにもかもが物理的に一致していない人が繰り返してもそれを感じ取ったりできる可能性は高そうではないよね
そう自分の財布にあるお金とその商品の末端の行き先の間にあるものを全部うめていけば科学的に値動きはわかるはずだよ
その一部だけでも形骸化して人間に把握できるようにしてるのが経済
あなたの持ってるお金で小麦の先物を買うとしたら知っておくべきは
・小麦の流通状況 組合などの状況とそれに接続している数件の業者と運営にかかわる状況
・運輸運搬・取引先の状況 事業自体に関わる法制度や自然環境的状況 取引先の状況
・小麦を使った製造業 市場における商品の状況とメーカーの状況
・製品の取り扱い業者状況 製品の広告や製品の販売実態に対する状況
・製品を取り巻く当期の状況 製品自体の販売タイミングにおける消費動向などの状況
これを全部把握するとしたら何億や何兆といった数の情報を行動について判断できる精度で得る必要があるのが最低限必要なんだけど
そんなの個人でできるわけがないのでそんなリスクを背負うことを業務としてはできないので個人のあまってるお金で投資っていうものをしてくださいねってのが一般の金融派生商品の約款には書いてあるというか取引条件がそれなんだね
でも人によってはそれらが織りなす大きなパターンをなにかの絵に見えたり動物にみたてたり風景のように感じて判断できる人はいないとはいわないしいるとおもう
みんなそれらが理解できないしあることがわかっていても風景にすら見えない人が全然関係ないものをあがめてその雰囲気を上記の最低限必要な情報の集合体と見立ててすがるのは
たしかに宗教的かなとはおもうけどその情報の集合体であるご本尊は貴重な市場データが高い純度でつまった大理石の像なのかなってことを知ってほしい
手垢にまみれたあまいつくりの木彫りのご本尊がそのたった1商品を取り巻く広大な情報と今後の世界における位置づけや動向について示すコンパスになりえるのか
崇めている巨大な「セミナー」とか「勉強会」とか「コーチング・コンサルティング」のその姿を成している情報の点の集まりは宝石なのか蛆虫なのかどうか
それすらわからないもう「宗教かも」というスケールでみているのだとしたら人工衛星から地表に設けたダーツ盤に矢を放つようなものじゃないかな
もしも投資をしていたりするつもりだったりそれがいいものだって思ったりしていたりするなら
いまいちど宗教とかそういう事から離れてまずお金ってどこから生まれてくるのか探してみたらいいんじゃないかな
そういう探求をしようと思った時「納得!」させてくれる人がいたらまずその人はさけるべきだとおもう
無知な人が理解ができる情報の限界は無知な人が理解できるレベルなはずがないんだよ
「納得」してしまう現実を見れる場所を教えてくれる人がもしそこに連れて行ってくれるというなら行ってみてもいいかもしれない
もちろんその人自身の知識を尊敬し理解し納得する最低限の法律と情勢の基礎知識である経済は簿記がとれる程度には知っておく必要があると思うんだけどね
本は赤字なので稼いでいる訳ではない
元々二次元の腐女子だったけどある日三次元の推しが出来て見てるうちにこの人と付き合ってるんじゃ?と思い始めた
ネットでちょちょっと探したら同士と話せる場所があったことと、想像以上に同カプ者が多くて更にのめり込んだ
本尊の気持ちは聞いたことがないのでわからないがこのぐらいの、隠されたネットで萌語りして某社のイベントに出て人の書いた創作を読んでる感じならいいじゃん
本尊やその周りに認知されないように注意してるし、それをもし本尊が興味から深追いして乗り越えたならそっちが悪い
わかりやすく例えると専用サイトで注意書きパスワード付きとかそんなの
エゴサ程度で引っ掛かるようにはしてないけどね
我々が目にできない生活部分で何してようが我々は目を瞑るし、そこを勝手に妄想していても目を瞑ってほしいわけ
そもそも知覚してほしくないが
そういうことをしているファンがいることは当然知ってるだろうしむしろ腐売りしてるような人もいる
この芸人のように苦言を呈されれば作品を上げるのはやめるかなあ
嫌がることはしたくないから
それでも裏で本当は付き合ってるよね…とは思い続けるかもしれない
あとなんか一般がAはBの彼女!(男)カレカノ!(男)とか堂々とキャッキャしてるのをよく見かけてウッとなるんだが
こういうのが野放しなら隠れてる分こっちのがマシな気が…
気がするだけってのはわかってる
株価が落ちない。さすがアベノミクスは、ご本尊が息絶え絶えでも健在だ。というわけではなく、皆が買っているから株価が上がる。シンプル。
なぜ、株に投資をするのか? 常識で考えたらおかしい。コロナのおかげで生産は落ち込んでいる。経済指標は最悪だ。ふつう、業績が落ち込んだ会社は株価が下がる。価値がなくなってしまっては元も子もないから、売り込まれる。安くなっても倒産してゼロになるよりはマシだとばかりに、株価は下がる。コロナ需要で潤った少数の企業を除けば、多くの企業が業績を悪化させている。だったら株価は下がりそうなもんだ。けれど、株価はついにコロナ以前を回復した。
実際、コロナ騒動が持ち上がったとき、多くのひとがそう考えて株を売った。どうせ下がるから、いまのうちに売ってしまえとばかりに売り急いだ。結果、株価は大暴落した。とはいえ、企業の価値がなくなるわけではない。騒動の中でも人間は生きていくのだし、そのためには一定の企業活動は続くし、経済も動く。だからそこそこのところで値頃感、割安感が出て、暴落は止まる。今回の特徴は、暴落が止まるとともに一気に株価が上昇を始めたことだ。二番底らしい落ち込みもなく、ほぼ右肩上がりに株価は回復した。いったいどういうことかと、皆首をひねりながら、買い続けた。
なぜ不思議に思いながらでも買い続けるのかというと、それは株価が上がるからだ。株価が上がるから人々は買い、人々が買うから、株価が上がる。とはいえ、これでは理由にならない。理由は、買わなければ損をするからだ。株が上がるとき、株をもたないことはリスクになる。
いや、資金がなければ、リスクもへったくれもない。株どころか、何も買えない。ところが運用しなければならない資金は、どういうわけか手元にある。自分の手元にあるだけではなく、他の投資家の手元にはもっとたくさんあることがわかっている。機関投資家や公的な基金にも潤沢に資金がある。なぜなら、各国政府がコロナでの景気落ち込みを防ぐために、市場に大量の資金を投入している。これは秘密でも何でもない。もちろんコロナ関係予算の多くは株式市場買い支えのものではない。けれど、困窮した現場にピンポイントに必要十分の資金が行き渡るはずもなく、その多くは避けることのできないロスとなって、市中に流れ込む。たとえば一律の現金支給は、それを必要とする困窮者には絶対的に必要で、効率的にそこに行き渡らせるためにはやむを得ない政策であるけれど、一定水準以上の所得が確保できた大多数の人々にとっては単に余剰の現金を増やすだけになる。そういった現金は、まわりまわって投資市場に流れ込まざるを得ない。なぜならこの不安の時代であり自粛の時代であるコロナ下においては、余分な現金は消費に回されるよりも備蓄に回されるからだ。それが投資資金として集められ、市場をちょっとしたインフレ状態にしている。ちょっとしたどころか、相当なインフレ状態にしている。
それがはっきりとわかるときに、もしも手持ち資金があったらどうだろう。仮に10万円の資金があるとする。10万円の価値はいつでも10万円だろうか。インフレ時にはそうではない。つい数日前に10万円で買えたものが気がつけば15万円出さなければ買えなくなってしまう。放っておけば実質価値が失われるのだ。だから、市場にカネがだぶついているとわかっているときに株価が上がるのなら、手持ち資金を現金で置いていてはいけない。それははっきりと損失を生む。だから投資家は、市場への通貨供給量を察知して、買いに走る。実体経済なんかはクソ喰らえ、損を出してはいけないから、みんなが買うならビッグウェーブに乗らないわけにいかない。だから株価は上がる。半信半疑、薄氷を踏むような気持ちで、あるいは首をひねりながら、とにかく買い続ける。その行動原理においては、投資家は決してバカではない。
ただ、問題は、これがそれだけでは終わらないことだ。
コロナはやがて終息する。それはもう、はっきりしている。人間は、いつまでも厳戒態勢を続けられない。医学的に解決するかどうかにかかわらず、遠くないうちにコロナ問題は過去のものになる。確かにwithコロナの時代になって日常が大きく変化するのかもしれないが、それでも日常は日常だ。人々はそれなりの日常をとりもどす。自粛ムードは批判され、やがて過去のものになる。消費は回復する。
本当のインフレが一気にやってくるのはそのときだ。いま、インフレ状態は投資市場の内部だけでおさまっている。それは、人々の心が消費に向かわないからだ。けれど、自粛ムードが去り、緊張状態がほどけたらどうか。人々はいまよりももっと消費に向かうだろう。そして、その消費を支えるだけのカネはある。貯蓄や投資に回したコロナ時代の資金が、バブルで膨れるだけ膨れている。そこからちょっとぐらいの贅沢にカネを回してもバチは当たらないだろうと、人々はモノを買いはじめる。健全な経済が戻ってきたと喜ぶべきだろうか。いや、政策的に膨張してしまった投資市場の勢いは、そこでとどまらせてくれないだろう。投資市場からカネが流れ込むせいで、実体経済の部分まで、通貨供給量が過剰になる。ブレーキは効かない。そしてインフレが起こる。
身も蓋もない話をしよう。インフレだろうがデフレだろうが、基本的に多くのひとは困らない。なぜなら、通貨とモノの交換比率が変化するだけで、日常の消耗品の売買はふつうに行われるからだ。けれど、インフレやデフレで大きな影響を受ける人々も存在する。それは両極端の人々だ。一方の極にいるのは資産家で、資産が目減りしたり、評価額が上がってもちきれなくなったりするだろう。だが、そういうのは放っておけばいい。本当に困るのはもう一方の極にいる人々だ。ロクに収入が増えないのに、物価がどんどん上昇する。当然、食えなくなる。命に関わる。
投資家たちは、実体経済がインフレになり、その反動が株式市場を直撃すれば、必ず大きな打撃を受けるだろう。だが、そんなことははっきり言ってどうでもいいことだ。株で失敗して首をくくるなら、それは自業自得というものだ。本人だって、それを知った上でバクチに参加している。同情はしない
コロナが終わり、インフレがやってきて、そういった社会問題が深刻化するのは、かなりの確率で避けられない。ただ、問題は、それがいつ来るかを誰も知らないことだ。いつ起こるのかを言わなければ、多くの予言はあたる。「あなたは死ぬだろう」という予言は、100%当たるのだ。だから、こんな話には意味はない。意味はないから、ここに垂れ流しておく。
引越しの準備をしていたら、昔のことを思い出したので、日記の代わりに書き残す。
一つあったことといえば、斎主がレイジ(位牌)に書く日付を間違えてしまい、今書き直していることくらいだ。
忙しそうな他の式場の様子を眺めていると、控え室にいた喪主が降りてきて「祭壇を見てもいいですか?」と言った。
神式の祭壇は、仏式とは雰囲気が違う。壇の上には鯛、生卵、生米、野菜や乾物などのお供えが並び、白い陶器で出来たさまざまな神具。周りには花はなく榊が飾られている。
一頻り祭壇を眺めていた喪主が「あの中央の鏡はなんですか?」と聞く。
へー…この鏡が、喪主が祭壇と棺の狭い隙間に入った。
その瞬間。
ゴオッと音がし、「危ない!」と先輩の声がしたと同時に、物が壊れ割れる音が響き渡った。
顔を上げると喪主が倒れてきた祭壇と棺の間で潰れかかっていた。
慌てて駆け寄り祭壇を全員で押し戻す。神具と卵が割れ、供物や米や榊の葉があたり一面に散乱していた。
蒼白して辺りを見回すと喪主が「これ…」となにかを差し出してきた。鏡だ。
「思わず受け止めてました…一番大事なんですよね?」と言った。
開式20分前だった。
原因は、式場裏の搬入口を花屋が開けたことによる風圧だった。最悪だが、ままあることらしい。
私はもう頭がパンクして事務所に送るメールのことを考えていた。
先輩が言った。「ご親族と斎主に開式が遅れることを伝えてきますから、2人は式場を見れる状態にお願いします」
この人は女杉下右京みたいな人で、いつも冷静で優雅で、信頼できる人だった。この時も蒼白している私と担当者を尻目に、顔つきは変わらなかった。
たくさんの細かな神具があるにも関わらず、割れたのは数枚の皿だけだった。
そして辺り一面は卵で汚れきっていたが、目の前にあった棺だけは何故かピカピカのままだった。
そして、本来ならもう置かれていたはずの位牌は、書き直しによりまだ斎主の元にある。
鏡も、喪主のおかげで無事だった。
そもそも、あの狭い隙間に喪主が入らなければ、祭壇は倒れ、棺は下敷きになり、ご遺体がどうなっていたかもわからない。喪主を危険な目に合わせてしまったが、その可能性を考えたらゾッとした。
必要なのは卵と米と皿だけで、最悪だが、事態を見れば奇跡的だと思った。
そうこうしているうちに先輩が帰ってきた。
「親族にも斎主にも事情をお話ししましたが、のほほんとしてました。これ位牌です。"書き損じてよかったな〜"なんて言ってました」
続けて「あとこれ、卵とお米です。料理屋さんにお話ししたら、神式って聞いて一応持ってきたんだそうです」
驚いた。と同時に外のガラス戸が空いた。胸にネームプレートがついている。他の葬儀屋だ。
「大きな音を立てて、申し訳ありません」と言い出ると、「いえあの、祭壇倒れちゃったんですか?うちも今日神式なんです。余ってる神具貸します、言ってください」と言った。
今度は先輩も驚いていた。今は多くが仏式という中で、併設式場6つ中2つの式場で神式をやっており、更にこんな申し出をしてくれる可能性がどのくらいか。
そういった偶然や、優しさが重なって、20分前あの惨状だったにも関わらず、その式は18:00定刻に始まった。
最後に改めて全員で喪主に謝罪するとと「びっくりしたけど、父にも皆にも何事もありませんでしたから。直前に鏡の話を聞いていてよかった」と笑っていた。
帰り道、先輩が言った。
「びっくりしたわ。定刻に始められるなんて思わなかった。こんな大事な日にこんなこと。ご遺族からも斎主様からも大変なクレームになると思った。本尊も位牌も棺も無事、御供物も揃って、神具まで貸していただけて…こんなことあるのね」
続けてこう言った。
チンコ(性器)が俺(増田)の行動を決めていると確信を持っているのだから答えられると思うんだが
前回の回答( anond:20200707092754 )
あらゆるものの前にセックスが来ることを経験的に知っているからだよ。
ーー
「お気持ち」がどこにあるのか
↓
前回の回答( anond:20200707092754 )
脳味噌にあるかもしれないし、内臓にあるかもしれないし、チンコにあるかもしれない。
ーー
では確信があるは取り消すでいいんだな?
↓
前回の回(anond:20200707215812)
いや確信はあるよ。
ただ、誰もがそうであるように、その確信を持つ主体が肉体と可分かどうかなんて分からないというだけ。
別にチンコに限らず、四肢を失ったあとの俺が現在の俺と地続きだとは言えないのと一緒。身体を失ったときに精神は同一でいられるか、みたいな。
ワイも同じことを聞くぞ
チンコに奉仕することが人の生きる意味と設定したのはチンコ(性器)か?
それとも“わからない”?
体が弱かった事も理由なせいで、小学生の頃からいじめられっ子だったが、その際に恨んだ相手が後日に自業自得の範囲を越えてひどい目に遭う例が、少なくなかったように思う。何かと心配性な親に、どうにか運命が開ければとさまざまな占い師などに連れられたが、大半の人からは「この子には、不動明王が付いている。見かけはひ弱いが、したたかに生きていける」と、説明される事が多かった記憶がある。その後、何やかんやがあって今まで生きてきた。
ただ、職運にはどうも恵まれなかったようで、勤め先が倒産したり規模縮小でリストラされたり、歳を重ねてくると体の不調が原因となり辞めざるを得なくなった例もある。そして最近、年下のボクサー崩れの管理者から、聴くに耐えない暴言と暴力を仕事場で受けた事が原因で退職した。相手とは親子ほどもある年齢差な事に憤りを隠せなかったと言えばウソになるが、それよりも「久しぶりに殺意を覚える屈辱」で血が沸き立つ己の姿に気づき、幼い頃に憎い相手へ覚えた怒りの感情を思い出すと、退職後しばらくはその暗い感情を心の深い所でずっとくすぶらせ続けていた。
その「怒りの熱」が冷めやらぬままネットを見ていたところ、一部では有名な縁切り寺が、近場にある事に気づいた。本尊に不動明王があったかどうかは忘れたが、ともかく「彼の独善的で粗暴な振る舞いや行いの結果が、彼自身に返ってくれば」という一念を胸に、そこを訪れたのは事実だ。それが、この1月の話。
そして、現在。報道に触れなくても知らぬ人は居ないほど、日本どころか世界の街の至る所で新型コロナウィルスが蔓延し、感染拡大を避ける為とはいえ少なからぬ催事やスポーツは取り止めになり、商業モールでは軒並み閑古鳥が鳴いている。元いた職場の有り様を知るつもりは無いが、少なくとも繁盛はしていないだろう。彼をちょっとだけ懲らしめるつもりの決意や恨みの感情を持って願掛けした事が、はからずも疫病という無差別に襲いかかる災厄を国外から呼び込む後押しをしたのかと思うと、今となっては後悔の念しかない。
俺は創〇3世だ。
「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と小さい頃から親に言われ続けていた。
両親の言うことに何の疑問も持たず、小・中学生の時は友達や恋人を会合に連れて行き、お経の唱え方を指導したりした。
それからは、自宅にピンク色のスーツを着たパンチパーマの男が父を訪ねてきたり、巻き舌の男から電話がかかるようになり、居留守をしてるだろうと怒鳴られたりもした。
父親は「バブルで破滅した人あるある」に漏れず、ヤバい先物取引業者にハマっており、あちこちから借金もしていた。
辛い記憶のせいか前後がイマイチ覚えていないが、その人に俺が呼び出されたから、父親が逃げた後のことだったんだろう。
支払った記憶もないし、どう切り抜けたかは全く覚えてないけど。
言葉通り、俺にとって天と地がひっくり返るようなショックだった。
だって生まれた頃から、両親はもちろん祖母や親族も全員「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と言っていたからだ。
今思えばそれは、何の経験も持たない子供の俺にとって「親」というキーワードが「ご本尊様」に置き換わっていただけだったと思うけど。
それからの俺は、他人に自分に足りないものを見つけては落ち込む日々を過ごしている。
“学会さえやってりゃいい”という世界で生きてきた俺にとって、普通に生きていくための哲学がなさ過ぎたのだった。
30代までは世間知らずさや若さの勢いや体力で、何とかごまかして生きてこれた。
そうやってごまかしながら生きることで、俺は学会を失った事件にずっと向き合わなかった。
10代の頃に崩れた世界を作り直さず、ただただ不信感と怒りに溢れた感情の中で、友人や恋人からの愛情もすべて裏切ってしまった。
40代になりごまかしが利かなくなってくると、こうした歪みが浮き彫りになってきた。
常に役に立たないといけないという強迫観念に悩まされ、何者にもなれない自分が怖い。
結果、今は一人ぼっちで手元には何も残っていない。
そろそろ終わりが近づいているように感じている。
カルト元信者のオフ会やらグループの記事を見かけ、同じような悩みを抱える人達に聞いてほしいと思っていたが、ネットで探しても見つからなかったのでここに書き捨てる。
暗い話をして悪かったな。南~無~