はてなキーワード: 教養とは
1 捕.ホロコースト否定論
2 一.江戸しぐさ
7 二.アジア解放
9 投.白人至上主義
控え
・日ユダヤ同祖論
ホロコーストはねつ造であるという言わずと知れた世界的に有名なトンデモ論。ちなみに国によっては否定するとこの論を唱えると逮捕されるので要注意。できれば他のトンデモ説もこれと同様に法律で取り締まってもらいたいものである。
江戸時代には傘かしげ(傘を指したまますれ違うときには傘を傾ける)、時泥棒(アポなし訪問、約束の5分前に到着しなければ死罪)などのマナーが普及していたが、明治政府の虐殺により失われてしまったというトンデモ論。これの恐ろしいところは小学校の道徳の教科書で取り上げられたり、ACのCMで放送されたことである。
南京大虐殺はねつ造であるというトンデモ論。犠牲者の数については意見が分かれているが、虐殺そのものがあったことは否定できない。しかし、自称愛国者達の間で固く信じられている。愛国者であるなら、正しい歴史を学んで国の恥を晒すようなまねは止めて頂きたい者である
原爆は戦争の早期終結のために不可欠だったというトンデモ論。原爆投下はソ連への威嚇のための人体実験であり、決して正当化できるものではないのだが、アメリカ人達の間では広く信じられ、学校の歴史教科書でも取り上げられている。日本人でも信じている輩がいる
アイヌ民族はいない、もしくは先住民ではないとするトンデモ論。アイヌの人々が日本による弾圧や差別によって苦しめられ続けた事実を無視し、現代でも差別の正当化に利用される非常に害悪な思想である。南京大虐殺否定、アジア解放と並びネトウヨの間で固く信じられている。
第二次世界大戦は悪の枢軸国と正義の連合国の戦いであるというトンデモ論。日本軍やナチスの残虐行為は決して擁護できるものではないが、原爆投下、ソ連抑留など連合国も信じられないような悪行を重ねており、単なる正義と悪の戦いではないことは明らかである。また、東京裁判、ニュルンベルク裁判は連合国の悪事に一切触れず、枢軸国だけを糾弾する、事後法で裁くなどの無茶苦茶なもので、その実態は裁判ではなく報復としかいえない。
太平洋戦争は東南アジアを欧米の植民地支配から解放するための正当な戦争であったというトンデモ論。無論、これは大義名分に過ぎない。白人の植民地支配が残忍であったのも事実だが、日本軍の残虐行為も許されて良いものではない。東南アジアの罪のない人々が数百万人犠牲になったこと、現地の人々が戦後自らの努力で独立を勝ち取ったという事実を無視しており、余りに無礼である。日本軍が独立に寄与したというのはあくまで結果論であり、現地の人々の思いを踏みにじってはいけない。そもそも、フィリピンに至っては近い将来に独立が約束されており、この大義名分は一切適応できない。
薩長はテロリストであるというトンデモ学説。歴史”評論家”原○伊○によって唱えられた。何事にも正と負の側面があるにも関わらず、「明治政府は100%悪!江戸幕府は100%正義!」と極端な善悪二元論で歴史を唱えるのは御法度である。
白人がアジア、アフリカ、新世界を植民地化できたのは白人が優れた民族であるからだというトンデモ論。長らく植民地支配や人種差別の正当化に利用された害悪な説で、今でも信じている輩が少なくない。歴史を全体的に見ればヨーロッパが覇権を握ったのは比較的新しく、その発展も中国、イスラムの繁栄があって初めて成り立つものであることは火を見るより明らかである。白人の覇権には地理的要因も多く絡んでおり、白人崇拝は偏狭な解釈であるというしかない。日本人でも右翼・左翼問わずこの論を受け入れている者が少なくなく、日本人は朝鮮人・中国人よりも白人の遺伝子を多く受け継いでいるという新たなトンデモ論を生んだ。
・日ユ同祖論
日本はユダヤ人の失われた支族であるというトンデモ論。明らかに嘘と分かるもので、フィクションとしては面白いのだが、まれに本気で信じている輩がいるので笑えない。
昭和天皇が自らの意志で積極的に日米開戦を推し進めたというトンデモ論。左翼の間で固く信じられている。確かに軍部の暴走を抑えられなかった天皇の罪は重い。しかし、僅かでも日本史の知識があるなら、天皇は日米開戦には反対であったとうことは分かるはずである。東條英機が首相に任命されたのもそのためである
大正時代が短いのは天皇が知的障害者であったからとするトンデモ論。大正天皇は病弱だったが、多くの漢詩を残す、朝鮮語の学習に努めるなど教養のある人物であり、決して知的障害者ではない。天皇をどうしても貶めたい左翼にねつ造された。
余談
最後にトンデモ本を見分ける方法を紹介したい。しかしながら、このやり方は完全ではないため、結局の所大切なのは、ものごとを多面的・批判的に判断し、すぐ「AはBである」と決めつけない慎重さである。またトンデモ論を信じ、発信してしまえばあなたも共犯者になってしまう。情報の受け入れだけでなく、発信の際にも慎重になろう。
・著者の経歴を確かめる
博士号はおろか、大学の歴史科学科すら卒業していない著者もいる。また、学術論文を雑誌に発表していない著者にも要注意である。更にプロの歴史学者にも専門外の分野に手を出すものがいるため気をつけるべきである
例外もあるが、”~のウソ”、”~の真実”、”~の陰謀”、”反日”などの扇情的な見出しには要注意。
・参考文献がない、もしくは一般書ばかり
・出版社を見る
講談社、岩波、中公は”比較的”信用できる”かもしれない”。百○尚○先生御用達の幻冬舎などの出版社には要注意。ただし、原○伊○の明治維新非難は講談社で出版されたものである。
飲食業とか、(一般的に)リテラシーや教養を必要しない業種ではガンガン使われてるよ
MS365の一番やすいやつ月600円で契約してExcelとかWikiとかホワイトボード共有すればいいじゃん、
みたいに言ったら「なんだそれ?」みたいな顔された
この文章は、慶應の湘南自治会が十一月に行われるSFC生総会の議題の一つとしてあげた「ジェンダー平等についての声明文」に関して、それまでの流れを簡単にまとめ、批判することを目的としたものである。多くの人に読んでもらうために煽るようなタイトルにしてしまったことを先に謝っておく。
まず、湘南自治会の始まりに遡って話を始める。SFC(湘南藤沢キャンパス)に自治会ができたのはつい最近のことである。(自治会準備会のほうは長く準備されていたように思うが)
いわゆる本キャンの方にはずっと昔からあったのだが、SFCの自治会は今年の夏あたりに、賛成221票、反対14票で承認され成立した。総合政策と環境情報の学部生だけで4000人近くいるので、SFC生の関心度がどれくらいだったか、という部分に関しては数字で察して欲しい。もちろん、こんな文章を書いているくらいなので増田は投票したのだが、まさかここまでの数字になるとは思っていなかった。世界の未来を語っておきながら自分たちのキャンパスのじちに関してここまで無頓着というのは恥ずかしすぎる。
SFCに対する愚痴はこの辺りにして、今回の「ジェンダー平等についての声明文」を見ていきたいと思う。
https://docs.google.com/document/d/14S5q-AGOPt_Utp4DWpChxTfTrpBA_73rZ08agTzsYK4/edit
これに対して、あるSFC生がnoteで危険性を指摘してくれている。
https://note.com/ya2020sfc/n/nf14ebe8b9113
データの偏りであったり利活用であったりの話はnoteに書いてある指摘の通りかな、と思う。安宅研の方らしいので、その分野に関しては増田よりもよっぽど精通していると思うし。
なので、そこら辺は簡単に触れるだけにしておく。
『本年9月末から10月初頭にかけて弊会が実施した「キャンパスの生理用品設置にかかるアンケート」では、SFC以外の学部生を含めて161名、SFCだけでも155件の回答がありました。本調査は、弊会が取り組む生理用品の設置に向けた実態・需要を調査することを主眼に置いていましたが、回答の分析の結果、SFCにおいて、「ジェンダー平等実現」を念頭においた行動が必要だと結論づけられました。』
「キャンパスの生理用品設置にかかるアンケート」は、主にツイッター上で行われたものである。そもそも、この161人という回答者グループには大きな偏りがあると考えられる。なぜなら、このアンケートのリンクが貼られた湘南自治会のツイートは、現時点(10/18 13時)で81のいいねと57RT程度のインプレッションにとどまっており、SFC生に広く届いているとは言えないからである。それ以前に、このようなアンケートに時間を割いて回答する層というだけでもバイアスが大きい。というかもう確認できないのだが、アンケートの設計自体が適切だったのか、という問いもある。
そういった問題を孕んだアンケートのみを根拠としたこの声明文が、あたかもSFC生の総意であるかのように執行部に提出されることは危険、としか言いようがないのである。
【現状批判 Criticism】
わたしたちは、現在のSFCにおいて、次に掲げるジェンダーに関する問題があると評価する。
これらの不平等に対し、多くのSFC生は関心が無いか、あるいは気づいていない。またこのことから、学生以外のSFC関係者においても同様の状況であると推定できる。
世界共通の課題という重要性にも関わらず、ジェンダーを主題とする授業及び研究会が無い。
性にまつわる理解、受容、共存共栄、人権意識について知る機会が不足している。
上記のようなSFCの諸問題について、専門に検証し改善を施す公式の仕組みが存在せず、それゆえにSFCにおける潜在的なジェンダーの問題発見ができていない。
以上の諸問題が連鎖し、SFCの現状を作り出していると考察する。
【要望 Demands】
わたしたちは、この目標を実現するべく、慶應義塾大学総合政策学部・環境情報学部に対し、次に掲げる事柄を要望する。
ジェンダーに関する学問的知見を生み出し、社会に還元することを目的に、SFCにおいてジェンダーを研究する場を創設すること。
前項に掲げる研究の場を主導することを目的に、相応しい研究者を配置又は雇用すること。
ジェンダーに関する教養を提供することを目的に、ジェンダーを主題とする授業を開講すること。
ジェンダーを含む人権に関する基礎教養を提供することを目的に、心身ウェルネス、総合政策学・環境情報学その他の適切な必修科目において、同内容の授業を組み込むこと。
SFCにおけるジェンダー平等の実現状況を検証し改善することを目的に、同内容を所管する委員会を指定または設置し、毎年SFCのジェンダー平等の現状を資料化したうえで改善を施すこと。
上記の要望を実現するため、湘南自治会ジェンダー平等特別委員会と共同で取り組むことを歓迎する。同内容は、学生と教職員との対話のもとに順次実現されることを企図するものである。
なお、看護医療学部、政策メディア研究科、健康マネジメント研究科においても、各学部・研究科の事情を勘案しながら同様の目的に適う措置を講ずることを希望する。
①SFCのジェンダー問題に関する無理解・無関心の要因を無知であると断定している点
②執行部に対する要望が、ジェンダー問題を解決するための施策として適切とは言えない点
①について
根拠となるデータの公平性が不確かであるにもかかわらず、ジェンダー不平等が存在し、解決に向けた取り組みが行われていないことを断定しているだけでなく、その要因を、SFC生がジェンダー問題に関して無理解・無関心であると言う推論で片付けてしまっている。少なくとも、SFC全体のデータとして適切である量のサンプルを集め、十分な分析を行なってから提言を進めていくべきだと考える。必要であれば、専門知識を持った教授なり学外の専門家なりに教えを乞うことも検討すべきである。
②について
ジェンダー問題に関して学ぶ場所がSFCにないから作れ、と言う簡潔かつ横暴な要望である。SFCに問題が存在していて、それを解決するためにはその問題について学ぶ必要があるから、新しい先生を呼んで授業や研究会を作ってくれないと困る!と言う話が成り立つのならば、今後大変なことになるだろう。行動計画にあったような自主勉強会をまずは発足すること。そこから少しずつ、ジェンダー平等への取り組みを学生主体で行っていく。こういう地道な活動を続けていくことでしか、今までずっと持っていた考え方を変えることはできないし、キャンパス全体の意識を変えてくことはできないと思う。
「ジェンダー」というテーマは、どこまでもデリケートに扱うべきものであるし、謙虚に勉強を続けていかなければいけないものでもある。
声明文を読む限り、自治会のメンバーも性にまつわる理解、受容、共存共栄、人権意識についての勉強が不足しているように思える。
ジェンダーに関する活動が話題になりやすいのはわかるが、プロセスを軽視しているし、目的と手段が入れ替わっている感じが否めない。
湘南自治会は、一定の権利を持つ大学の公式な団体であり、適切な知識を持つ第三者を介入させながら、慎重かつ適切に議論を重ねていくべきであると思う。
増田もまだまだ知識が不足しているとは思うが、ジェンダーを勉強しているひとりとして、自治会のジェンダーモラルについて散々批判にもならないようなお気持ち表明をしてしまった。
総会での質疑や請願等で、今後意見は直接伝えていくつもりである。長くなったが、放っておけばいい話題に喜んで首を突っ込み、壮大に騒いで物事を大きくしたがるのはSFC生の悪い癖なので許して欲しい。
全く呆れたものだな。
身体的特徴を社会が組み上げたくだらん物差しで測って嘲笑うか。
高身長の男はイケメンで低身長の女は可愛く、肌の色は白いほどよく体重は軽いほど優れていると。
巫山戯ろ。
そういったものを下らんと蹴り飛ばせる世界を求めていったのがオタクだろう。
それが今ではオタクの側こそが古臭い慣習を愛で文化だ教養だと囀るか。
痴れ者よな。
痴れ者であることこそが世間に反旗を翻した誇りだと語るお前らこそが自分たちの狭い世界で他者を測る側に回ってなおそう嘯くか。
今のお前らの下らなさは実につまらんよ。
より多くの共感を得、より身内からのいいねを集めることに特化するうちに、目的を違えた劣等種どもよ。
オタクなどというくだらん外付けの名はお前らにこそ相応しい。
インターネット上には学問の価値だの高等教育の意義だのを説く自称知識人がやたら多い。曰く「学問は教養を深めるのに重要」だとか「医者や弁護士等の専門職を育成するために大学教育は重要」だとか。
もちろん、きちんと学を修めた人がこういうことを言っているのなら説得力があるのだが、現実的にそんなことはあり得ない。専攻にもよるが、東大等のまともな大学であっても、学部専門課程の内容を満足に理解している学生は上位の2〜3割程度しかいない。当然、レベルの低い大学ではこの割合はもっと少ない。残りの7〜8割超はただ単位を取るためだけに大学に行っている。
正直、大学の授業レベルのことも満足に理解していない人が「学問は教養を深める」なんて言っているのは、かなり恥ずかしい。喩えるなら、中学レベルの英語もできない人が「グローバル社会における外国語習得の重要性」とか語っているようなものだ。
まあ百歩譲って、「俺はろくに勉強してこなかったが、今になって勉強の重要性を痛感している。だからお前はちゃんと勉強しろ」という論調なら理解できる。しかし現実はそうではなく、あたかも自分が「論客」になったかのような錯覚に陥っている者がほとんどである。実際には彼らのほとんどは義務教育に毛の生えた程度の知識しか持っていないにも拘らず。
「自分の出席番号が28番だったとき、完全数じゃん!と気付いて最高に嬉しかった」という数学マニアの話を聞いたとき、数学的素養がないため数学的教養から目を背け続けてきた自分にはまず“完全数”が何なのか。というところからわからなかったため、調べた。
(Wikipediaより)
とのことだった。
確かに、なんとなく収まりがいい。自分も1,2,3,4と足していったら5を二倍にした数の10になったりするところに、えもいわれぬ間の良さというか、迂遠ながらも世の道理の一端を感じたことがある。
5を足せば三倍の15。6を足せば次に来る数字である7の倍数であり、6と最小公約数3を共有する21。7を足せば四倍の28。8を足すと36で……ええと……たぶん、こんな風にいろいろ理由をつけて数字の繋がりを読み解ける人が、いわゆる数学脳の持ち主なのかもしれない。俺には8と36の繋がりをイマイチ読み解けないが、まあなんかあるのだろう。
では、フェーズは次の段階である“なぜ完全なのか?”に移項する。英語でperfect numberと言うぐらいなのだから、たまたま変な訳し方をしてしまったわけではなさそうだ。きっと数学という狭くて長い世界で、完全数以外の不完全数では成し得ない何かの役割を果たせるのだろう。もういっちょWikipediaで調べてみた。
嘘やろ。
あの数学マニアは特に何かに使えるわけでもない完全数の、何が完全かもよくわかっていないのに「ピタゴラス先生が完全と崇める数字だあああああ!!」って喜んでたのか。
あんだけ理詰めの思考を実践して他人にもそれを強いるやつらが、こういうところでは単なるエモーションでモノを語るの、おかしくないか。
数学ってなんなんだ…
"彼はちょっとした出来損ないで、間違いを繰り返す人生を送っています。地球平面説者・陰謀論者である彼は「悟りを開いた者」として皆の上に立つことが出来るのです。
現実世界では、彼はとても大きな池のとても小さな魚ですが、彼の自尊心はそれを許しません。しかしこの奇妙な陰謀と隠された知識の世界では、この愚かな運動の他の信者によれば、彼は「賢い」のです。すると突然彼は小さな池のとても大きな魚となり、その池を守るためには何でもするようになります。
地球平面説者と討論や議論をするのは無駄です。彼らは以下のような人達だからです。
1. 非難を他人に向ける。仕事に遅刻したら、「寝坊した」ではなく「交通の便が悪かった」や「工事で足止めを食らった」と言うでしょう。
2. 一切の理系の教養を欠く。表面的な教育を受けた誰もが地球球体説を証明出来ます - 難しいことではありません
4. 学究肌の自尊心を持っている - 自分の知性の作り話に満足しているが、実際にその自尊心を得るために何もしていない。彼らは学校に行ったこともなければ、真剣に何かを勉強しようとしたこともありません。ですから、このようなニッチなグループは彼らにとって完璧なのです - 偉い学者のように振舞い、他の迷えるバカから尊敬されて「賢い」と思われたいという欲求を満たすことが出来るのです。
5. 人生の様々な分野で失敗してきた。彼らは一般的に私達の中で底辺の存在であり、功績や実績の無い人々です。「悟りを開いた者」の1人であることで威張ることが出来るのです。"
https://qr.ae/pGJQqv 地球平面説者たちを宇宙に送って、彼らに地球の形を見せることはできないのですか?Quora より引用。
これは地球平面説についてだけど、反ワクチンの多くにも当てはまる。彼らは「気付いた私」「目覚めた俺」「周りは馬鹿だ」「自分は偉い」そう思いたい。でも自信がないから、異なる意見を持つ人間を見ると不安になって怖いから攻撃する。後は単純におつむが弱くて感情論でしか物事を判断できず、医師免許を持った詐欺師に騙されてるタイプ。どちらにせよ気の毒な人たち。
とりあえずググってみたら1890年代くらいの文章がたくさん引っかかった。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/776556?contentNo=219
然レドモ此ノ陰謀の最モ熱心ナル助成者ノ一人ハ「ノウゴロド」ノ大僧正「セッチン」ナルカ、「セッチン」ハ俗帝ニ反シテ其ノ管内ニ在ル所ノ衆多ノ法皇即チ道士ヲ煽動セリ
今回見つけた中では最も古かった。これはトーマス・ヘンリー・ダイアーの『History of Modern Europe』の翻訳で、原文では以下のようになっている。
But one of its most zealous supporters was Setschin, Archbishop of Novgorod; who incited the multitude of popes or priests in his jurisdiction against the "profane" Emperor.
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/799370?contentNo=128
「グドウィン・サント」ヨリ成リ世界中最モ不毛ノ土地ナリシ「フランダース」ノ「ペース・デ・ウエース」モ勤労ノ効ニ依リ豊饒ナル性質ニ変シ今ニテハ欧州中最モ生産多キ土地の一ト為レリ
こちらはJ・S・ミル『Principles of Political Economy』の翻訳で、原文は以下のとおり。
One of the barrenest soils in the world, composed of the material of the Goodwin Sands, the Pays de Waes in Flanders, has been so fertilized by industry, as to have become one of the most productive in Europe.
最初の「One of the barrenest soils」については「世界中最モ不毛ノ土地」と訳しているあたりに苦心がうかがえる気がする。
https://books.google.co.jp/books?id=y3ljPfzhz6EC&pg=PP11
加ふるに本書の主人公マコウレーは、著者が最も同情を表せる一人にして、其著作は著者が日夕誦読精通する所、其時代は著者が最も熟通せる所なりといへば、本書の著者が本書に置ける得意想ふべきなり。
竹越與三郎『マコウレー』は1893年刊行らしいので批評も近い時期に出たのではないか。「日本評論」は、後の日本評論社の雑誌ではなく、1890年から植村正久が発行したという同名の雑誌のことと思われる。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/871718?contentNo=235
されどすべての文字上にあらはれたる人心の形象を文学なりとして、新聞紙を最も重要なる文学の一つとせむは、文学の義をあまりに広く取り過ぎたるものにて、これがために青年文学会の進歩の多少障碍さらるべきは惜むべき事なり。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993477?contentNo=128
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809188?contentNo=11
「リーランド・スタンフォルド」大学ノ如キハ、千八百八十五年ニ「リーランド・スタンフォルド」氏及其夫人ヨリノ莫大ナル寄付金ニ依ッテ創設セラレタル大学デアルガ、今日デハ、米国ノ諸大学ノ中デ最モ盛大ナルモノノ一デアル
このように並べてみても、通説のとおり英語の「one of the most 〜〜」構文を直訳したものから「最も〜〜の一つ」構文が広まっていったように思える。つまり「誰が言い始めたの?」という質問に対しては「明治初期の翻訳家のうちの誰か」が答えになる。明治といえば、いわゆる言文一致運動があったように、まだ「近代日本語」自体が固まりきらず模索されていた時期であるし、またここに挙げた森鴎外・田口卯吉・竹越與三郎・外山正一などは、いずれも英語の使える教養人であるので、意識的に「直訳」的な表現を取り入れていったのだろうとも思われる。ちなみに、そもそも「〜〜の一つ」といった言い方自体が、英語の「one of 〜〜」から多用されるようになったという話もあるらしい。そうした文体は「欧文脈」「欧文直訳体」だとか言われて研究対象になっているので、気になるなら本格的に調べてみてはどうだろうか。
これが教養ってやつなんだなあ
ゲームオタクはゲームばかりやっていて文化的教養に乏しいので、恥ずかしいことにゲームクリエイターを異常に過大評価する。
すぎやまこういちっていうかドラクエの曲が、昭和生まれの脳みそに刻み込まれてるのは認めるが、
ベートーヴェンにも匹敵する偉大な作曲家だというのは間違っている。
ゲーム音楽の作曲家がゲーム音楽によって音楽を進化させたことはないからな。
ゲーム音楽以外の楽曲にゲーム的な音色が使われたりすることはあるが、それはアレンジのネタとして使われているだけで、
逆にバッハやベートーヴェンに触れずに音楽史を書くことは不可能なので、作曲家としての格が違うことは明らか。
なんつーか左寄りの人達って文化人は左翼贔屓が当たり前って感じで、そうでない文化人は裏切り者扱いする人結構いるよね
あれはなんでなんだろうか
例えばネトウヨが国歌斉唱の時に君が代歌わないスポーツ選手を非難するのは、その行為の是非はさておくとして国歌を軽んじていると感じたからっていう理由は分かる
どんなに優れた作品を生み出す文化人でもネトウヨ思想にかぶれるなんて事は普通にあり得るだろ
むしろネット文化に免疫なかったりして、あっさり染まっちゃうケースだってあり得る
それにすぎやまさんくらいの世代だと、日曜や祭日に日の丸を玄関先に掲げてた家も珍しくなかった訳でしょ
今の世間の感覚からしたらそういう人達の思想って極右に近いと思うぜ(逆に筋金入りの極左も居るけどな)
流石に歳だから街宣車とか乗らないし、そもそも既に死んでたり認知症になってたりする人が多いからあんまり問題になってないけどね
「文化に精通し深い教養を身に着けた人は、例外なく左翼思想に目覚めるはずだ」みたいな考え方は正直、甘いというか慢心じゃね? って気がするんだよね
ぶら下げ元間違ってるぞ
ゲームは読書と同じ、ゲームの方がマルチメディアでインタラクティブな物語体験が得られるというだけの話
読書をすれば本代や時間を損なう、そういう言い方を君はするか?
別に映画とか漫画アニメとかでもいい、それらは損なうばかりのものなのか?
まあ物語とかの文化的要素が希薄な反復作業的シーンも多いことは認める、だがその分読書にはない、ゲーム世界内での他者との交流まで可能だ
ゲームによってあらゆる分野の教養が磨くことができるし、人脈を広げ人生の伴侶を得ることすらできる
ゲームを通して感動した経験があるからクリエイティブに敬意を払い、代価を支払う、その支払い方も柔軟に決められる
人生を豊かにするそういう消費体験を無意味な浪費だと断じるのであれば、そういう人間はさぞ実利実益重視の生き方しかしてこなかったんだろうと憐れむことしか俺にはできない