はてなキーワード: 全入時代とは
https://anond.hatelabo.jp/20200921165747
しかしこの指摘はやっても無駄です。指摘されてる内容は全部低偏差値のフェミニストたちによるものです。
低偏差値層のフェミニストは、人の批判を受ける知能を持っていません。会話が通じる人間だと思っても意味がないのです。
フェミニズムは「バッドフェミニスト=教養や最低限の勉強すらしていない、ただフェミニズムにきょうみがあるだけの人であってもフェミニストを名乗ってよいのだ、むしろそういう人たちこそがフェミニストを支えるのだ」というスローガンで低偏差値の思考能力カスな女性をどんどんフェミニズムに勧誘し続けたという過去の経緯を持っています。
また「レイシストでないならフェミニストである。フェミニストでないならレイシストである」というような韓国や一部欧米セレブで流行ったむちゃくちゃな理論を用いて、フェミニストであることの敷居を徹底的に下げようとしたこともあります。togetterでなんどかそういうものを見かけた人もいるでしょう。いうなれば、大学全入時代ならぬフェミニスト全入時代というのがここ十年以上続いていたのです。そして、それは一定時期はフェミニズムの勢力を拡大させるのにとても役に立ちました。
しかし、その結果何が起きたかというと、フェミニズムの平均が偏差値Fランのアジテーションだけがうまい人たちに移行し今まで主流だった人は影響力をもつことができなくなり、何も思考しない、他人を殴れればなんでもよいという暴力主義者たち主導権を奪われ、集団としては制御不能な暴徒化したのです。
これはBLMについても同じ現象がおきています。キリスト教が殺戮者の歴史であるように、本来のあり方が崇高であってもその教義のもとに集う人たちが優れた人間ではないというのは我々は歴史から学んでいるはずです。フェミニズムもBLMも、総体として素晴らしかったとしても構成員がだめならその活動は腐るのです。BLMは目に見える形で暴徒化した制御不能な集団が一般市民を襲う事例まで発生したのにそういった暴徒による暴力すら批判することができないというおかしな状況になっています。
受け入れ口を広く持つことは別に悪いことではありません。ただ、そういう取り組みをしていいのは、受け入れた後はきちんと統率したり教育したりができなければいけないでしょう。
それができなかったありとあらゆる歴史的反乱は、一時的な勝利を収めても崩壊していったのです。
今日本で暴れているフェミニズトたちの群れは、秦帝国に反逆した農民反乱のような無秩序な集団となっており、時々勢いよく吹き上がりこそすれどこちらもあまりガラのよろしくないアンチフェミ集団によって各個撃破されるくらいに弱体化しています。 その結果反撃してこない企業への攻撃などにシフトしているのですが、これもいまいち勢いがなくなっています。 最近はTERF問題をめぐって内ゲバも発生しており、放っておいても内部崩壊しそうな勢いです。元々フェミニズムは当初から内部での対立が激しいんですけどね。一人一派とか言ってるのはフェミニズムの勉強したことない人たちだけでしょう。
今の日本においてフェミニストのブランド価値は底まで堕ちきっています。
考えてみてほしいのですがたとえばFラン大卒のニート男性が社会問題について偉そうに語っていたり、会社経営について上から目線でコメントしていたら誰一人共感などしてもらえないしバカにされて終わるだけでしょう? ところがフェミニズムの世界ではまさにこういう無学で浅慮な人たちのお気持ち表明が、お気持ちであるゆえに支持され拡散され、まるでこれがフェミニストたちの総意であるかのように影響力を持ってしまうわけです。こんな情けない話がありますか?私からしたらあれらの活動は「全然わからない。私たちはFラン大ニートのお気持ちに従って雰囲気で組織を運営している」ってプラカードを背負いながら街中を歩いているようなものです。そんなのはただの羞恥プレイじゃないでしょうか。
私は大学でフェミニズムを勉強しましたが、フェミニストを名乗ることに抵抗を感じずにはおれません。フェミニズムを名乗るのであればなおさら質の悪いフェミニストたちを批判すべきなのにそれも許されないような空気でフェミニストを名乗ってもフェミニストであることに誇りを持てません。 スラムダンクで「お前と一緒にバスケやるの息苦しいよ」という言葉がありましたがまさにそのような心境です。
こういう状況は終わりにしたいです。
全員がそうすべきだとは思いませんが、Twiterで5000以上のいいねを得ているようなフェミニストたちの発言については、それぞれのフェミニストさんたちに偏差値の概念を求めたいです。それがどの程度フェミニズムの文脈において妥当性を持っているのかをきちんと判定してほしいです。もうそのくらいしないと、日本のフェミニズムはFランの下から目線によるひがみだとか、もっとひどいものになると鎮圧すべき暴徒程度にしか認識されないでしょう。
この前ツイッターで
「なんで運動や他の特技はアピールしても、それほど嫉妬されないのに、学歴だけ妙にみんな過敏に反応するんだろう」と
つぶやいていた御仁がいた
言いたいことはわからんでもない。
でも、学歴を他のスキルと同等に扱えないのはそれなりに明確な理由がある。
全入時代で、定員割れしてる大学も多いから、全員がガチで勉強して進学する訳でもない。
それでも中卒・高卒・専門卒・大卒(四年制・短期)・院卒と、基本的に誰もがどこまでの教育を受けたか区分けされる。
勿論、大卒の中でも、というより大卒の中でこそ、旧帝早慶・駅弁March(最近はSmartなんだっけ?)・日東駒専~なんやらかんやらと、細かいヒエラルキーというか、序列意識が存在する。
そりゃ、義務教育・高等教育期間と、正味12年(以上)かけた上でのレース結果である。
でもこれだとある意味、全員に"学歴"という属性が強制付与されてるようなものだ(非常に気持ち悪い表現だが)。
紙切れ一枚に夢託す
実際、紙切れ一枚で頭の良し悪しなんて、簡単に判別できるものではない。
そんなの、みんなわかりきっている。
わかりきってるし、学歴信仰・偏差値信奉者は一般的にはクソダサいので、学歴で頭の良さが決まるなんて、皆さん口に出して言わない。
でも、実際の所はどうだろう?有名企業の就職率は技術職の理系ならまだしも、文系でも明らかに全体のうん%しかいない一定以上の高偏差値層で固められている。
場合によっては、就職後の研修まで大学のランク別に分けられている。なんだよ、企業なのに、予備校と一緒かよ。という感想である。
学歴=頭の良さではないが、高学歴の方が勤勉性が高かったり、論理的な(座学的な)思考能力が高かったり、まあそれらを測るシグナルとしてはそれなりに信頼性は高いわけだ。
人間外見より中身のが大事だが、これだけ肥大化した社会ではそこまで丁寧に中身を見ることはできないので、大数の法則的に学歴を足きりの条件として使わざるを得ない。
これだけでも、お勉強できましたアピールは、運動できた、楽器弾けますという類のアピールとは、殊更性質が違うことはお解り頂けたであろう。
(優秀で高学歴な増田諸氏からはわかりきったことほざくんじゃねーよ、と切れ味鋭いツッコミが返って来そうであるが)
そして学歴がコンプレックスを非情に拗らせやすいのは、加えてややこしい要因があと二点程挙げられるからである。
増田のような過ごした田舎の公立校では、若くて楽しい青春時代に、机に齧りつくのはダサいと考え、学業に重点を置かなかった層も一定数(というかかなり)いる。
就職やその後、たかがテストの点数でこうも扱いが違うの?阿呆じゃね?ということを痛感したときには既に遅いのだ。
もう少しだけ、勉強にステ振り分けてれば、後の人生もっと楽だったのに。妥協して滑り止めに入るべきではなかった。
働きながら、資格を取ったり、通信などを含めて学び直すことも可能ではある。
が、正直それは、学業に集中することが許された時期に比べると、かなり余裕を持つことが難しいと言わざるを得ない。
特に通常の大学進学なら、合格後も4年間まるまる勉強に専念することになる。
結婚や育児、職場で責任あるポジションを任されると言った事情があれば、尚の事これは難しい。
なんだかんだで家庭環境や出身地など他のデリケート要素が絡んでくるからである。
文科大臣が新受験制度における教育格差について指摘されたときに、「身の丈発言」で物議を醸したことは記憶に新しいだろう。
だが、失言だったには違いないが、家庭環境及びその収入、或いは予備校や進学校の多い都市圏で暮らすか否か
都市圏に多い私学の中高一貫校は、難しい試験を課して入学者を選別する。
その試験を突破するにもやはりある程度家計に余裕がなければ、合格は厳しいだろう。
そしてレベルの高い生徒が集まる環境で、難関大学合格を目標に塾や学校で、合理的で進度の早いカリキュラムが組まれる。
無論、地方だろうが、世帯収入が低かろうが、ストイックに学習に励むことは可能だし、賢い子どもは幾らでもいる。
だが、都市圏でかつ富裕層の方がそれだけ選択肢に恵まれている。この点は否定のできない事実である。
そして、何よりデリケートな問題なのが、やはり不向きな人はそれなりにいる、という点だろう。
「ケーキが切れない非行少年たち」という児童精神科医が書いた本が話題になったが、
境界知能と呼ばれる、IQ70〜84の知的障がいに該当しない人の割合は実は人口の約14%に当たると言われている。
IQと学力の相関性は、増田は実際のところ門外漢なので、少し言いづらい部分もあるが、スポーツがどうしても苦手なタイプがいるように
勉強がどうしても苦手だという人もそれなりにはいるような気がする(公立小中で過ごした時期を振り返って)。
増田はスポーツがどうしても苦手だが、かろうじて学業だけは人並の成績ぐらいはおさめられた。
スポーツが苦手なのは、子供の頃からのコンプレックスだが、歳を重ねれば、学生の時に比べ、そう比較には出されない。
勉強だって基本的にそうだ。だが、別に努力しなかったわけでもなく(あるいは努力する機会がなかったために)、勉強が不得手であった人に
そうしたコンプの瘡蓋を刺激するようなことをすれば、話がややこしくなるのは当然である。
加えて、社会的な記号として、長い期間付いて回る問題でもあるから、二重にややこしく、なるべく人と比較しない方が無難な話題である。
日本社会は表向き実力主義、成果主義を掲げつつ、未だ学歴主義体質が根強いと言われている(渡辺,2006)。そのような社会の中で、大学進学者の割合が初めて5割を超え(文部科学省,2009)、数十年前と比較して高学歴化が進んでいる。全入時代までは至らないが、志望大学に拘らなければ受験生の9割超が大学に進学できる時代となった。今後は大卒の肩書きのみでなく、大学の知名度や質を重視する傾向が強まり、受験競争はさらに激化するとも考えられる。ここで問題となるのが、受験という競争に伴う敗者と勝者の存在である。彼らが過剰な挫折感や劣等感、あるいは優越感に囚われた場合、学歴コンプレックスとして諸々の心理的、社会的な問題を引き起こす。しかし現状は、定義自体が曖昧であるため、研究者独自の概念や言葉で当問題が扱われている。そこで、今回は心理学分野での学歴コンプレックスに関する研究に注目し、考察と今後の展望を述べることとする。
学歴コンプレックスとは、不満足の原因を自己あるいは他者の学歴に関連づけることで感じる、劣等感や自尊心のこと(鷲田,1995)であり、学歴に対して劣等感を抱く場合と学歴への誇大な自尊心を抱く場合の2層に分けられる。両層に共通する主な特徴は、以下の3点に集約される。第1に、自己の実力不足や失敗を過度に学歴に帰属すること、第2に、自己だけでなく他者をも学歴で評価すること、そして最後に、学歴ばかりに囚われ学業という本来の目的を見失いかねないことである。これらの根底には、学歴が高いほど将来は報われると考える「学歴社会意識」(安藤,2007)や有名大学の進学のみに価値を見出す「学校歴主義」(野田,1996)といった学歴志向の存在が窺える。層別に見ると、劣等感層では上述の志向に加え、入試時に第1志望に落ちて仕方なく所属大学に入った「不本意入学」(伊藤、1995)がコンプレックスの主要因となっている。そして、不本意感から多浪や仮面浪人、退学を繰り返す再受験症候群や、国公立大の進学者を優遇する国公立大学至上主義下での私大進学者なども本層に含まれる。一方、誇大な自尊心層では、学歴社会の勝者であるがゆえに、学歴に比例して自己を過大評価する傾向がある。その裏には人柄や実力よりも学歴イメージが先行する、レッテルとしての学歴の影響が見られる。その他、学歴に見合った社会的待遇でないと受け入れられない学歴保証の希求や、就職時に多い高学歴者の挫折体験等の問題も挙げられている。これらの学歴コンプレックスに伴い、失敗感、挫折感からくる無気力や自尊心低下、不本意感に由来する不適応や抑うつ状態といった心理的問題に加え、充実感や生き甲斐の欠如、自我同一性拡散の深化など、生き方そのものに関わる問題の存在も示唆されている。また、学歴志向や進学観が親子間で継承される(吉川,2005)ように、親子間でのコンプレックスの継承や家庭内の学歴格差によるコンプレックスなど、個人のみでなく世代間に学歴問題が発展する可能性もある。
先行研究は、学歴コンプレックスを多側面から検討し、日本独自の学歴観や学歴の持つ意味、学歴が認知や思考に及ぼす影響について言及した点で、学歴問題の諸相と今後の研究可能性を提示した意義を有する。今後の展望としては、同じ状況下で不適応に陥る人とそうでない人との相違や学歴にまつわる不適応への対処法など、臨床実践に向けた研究を進めていく必要がある。
安藤聡一朗 (2007).学歴社会意識とスチューデント・アパシーとの関係についての考察 学習院大学人文科学論集,16,137-165.
池上知子 (2004).「学歴社会」に対する意識と大学の自己同一視との関係 愛知教育大学研究報告(教育科学),53,79-86.
伊藤美奈子 (1995).不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討 青年心理学研究,7,30-41.
吉川徹 (2005).7-106間移動を考える.日本教育社会学会大会発表要旨集録,(57),44-45.
文部科学省 (2009).平成21年度学校基本調査.2010/02/02情報取得
野田陽子 (1996).学歴観の構良智 (学生とその親の学歴観の分析をとおして― 淑徳大学研究紀要,30(II),87-113.
鷲田小弥太 (2005).コンプレックスに勝つ人、負ける人PHP研究所渡辺山.
6月20日に公開されたアジア地域大学ランキングで東京大学が7位に下がり、100位以内で日本の大学がランク入りしていたのは14校ほどであったという。
シンガポールや中国の大学が躍進しているのは理解したが、疑問に思うのは日本の大学自体が機能しているのかという点である。
最近あるテレビ番組で日本国内の大学数を紹介していたが、約781校も存在しているという。
これはアメリカの約2000もの大学数の次に多いとされている。(2011年 日経新聞の記事より)
何故世界の中で、大学数が2番目に多い筈なのにたった14校しか入らないのだろうか?
少子化の影響で大学受験は全入時代となり、進学率の上昇と同時に「大学生」という肩書きが将来有望とされているエリートとそうでない者の2極化が徐々に始まってきたことが1つの要因と私は思う。
最近では、国立大学の授業料高騰化が問題となったが、私立大学に関する危機感を示す話はあまり上がっていないと感じている。
このような状況から、文部科学省は大学としての本来の機能を果たしているか全大学を対象に調査し、去年では私立大学等改革総合支援事業という計画を発表した。
シラバスの改善や授業評価結果の活用、グローバル化、他大学との連携、地域社会貢献などを目的としている。
大学の設備費などを国から補助してもらい、本当に大学として存在する意味があるのか疑問に思う。
そして、日本の大学は就職予備校化に伴い、ビジネスマナーを大学の授業として取り入れている所も存在する。
それが本当に授業なのかどうか疑ってしまうが、単位取得の一つとして成立してしまうのである。
もっと書き留めたい内容がまだあるがここで省略させてもらう。
今回一番に言いたいことは「大卒欲しさの為だけに進学するのか、明確な目的の為に行くのか、そして安易に入学できてしまったこの現状に心配である」という事だけだ。
ゲームや漫画の「せいで」無気力で努力しない若者が増えている。といわれて納得できるだろうか。
確かに、底辺高校なんかでは昔は不良が大量発生してたのに、今では無気力なオタクが大量発生するらしい。
でも、なぜ不良にならなくなったのか。ゲームや漫画、ツイッターなんかで全能感が得られるからか?
じゃあ、なぜ昔は不良になったのか。先のことも分からず、現状に疑問をもってエネルギーの爆発の場を探していたのだろうか。
今はエネルギーを吸い取られるような現実や先が見えすぎることからの無力感が強いから漫画やゲームに逃げてるんじゃないかな。
そう考えると。漫画やゲームの「せいで」、というより。弱者になった「せいで」漫画やゲームに逃げているという感じじゃないかな。
今の非モテなんかって、やる気がないんじゃなかろうか。昔ならお笑いキャラになったりストーカーというかモーレツっていうのか?僕は死にましぇーンとかアッシーとかなってたんだろ?貢君ってやつか。
でも、今じゃそういう風じゃないじゃん。もう完全に無気力。AVや二次元なんかで全能感が得られるからか?
なぜ昔はストーカーや貢君になってたのか、エネルギーの爆発の場をリアル女性にぶつけていたからじゃないかな。
そう考えると、AVや二次元のせいで。というより、弱者男性になった「せいで」AVや二次元に逃げてるっぽいね。
よく、草食系叩きみたいなの見るけどさ。
あれって、日本の教育レベルが下がったのを叩いてるのみたいだよなあ。
学歴の意味が薄れているというか、高学歴は資産家の子供が固めるから低収入の親の子供がますます頑張らないみたいな。実質学歴は金持ちの階層固定に働いちゃってる的な。
これに似てるんだけど。モテってのが意味が薄れているというか。イケメンがかわいい娘を固めるから、実質一夫多妻制だよなあ。ブサメンの彼女になるよりは既婚者やイケメンのセフレや愛人になる的な。実質ブサメンはイケメンの残りかすで生かされてるっていうか。イケメンに媚びてそのおこぼれもらってる感だよなあ。
大学が、生徒の質が下がっただの倒産だのって言うように。女からしても、男の質が下がっただの未婚率だのって、そりゃそういう流れになるよなあ。
だって、少子化で精選率下がってるのに大学は全入時代。恋愛も、少子化で前世代より男の精選率が下がって、昔はブスでもそこそこの男と結婚できたけど父親世代より情けない男を選べってそりゃ厳しいよね、絶対生活レベル下がるもんなあ。だったら親の家で暮らしてたほうがマシだもんね。特にブスはそうだろ。
でも、今は学歴無し、即ドキュン職やブラック企業、体壊してニートコースでしょ。
恋愛もそうなんじゃないの。昔はモーレツアタックでなんとかなったけど。
でも、今は恋愛経験無し、即非モテ。頑張っても痛い扱いコース。
努力しようにもできねーんだよなあ。
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
どうすんだよ俺活躍出来ねーじゃねーか。
将来、国I受かって霞ヶ関で国のために安い給料で働いてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が全入時代だよクソ。
合格可能性は低いけど判定通りに合格するのはほぼ無理だからwって言ってて東京大学受験するやつなんかいねーよ。
組体操中止してもいいし18歳選挙権にするのもどうでもいいから東京大学の定員増やせよ。
バカしかいない地方国立大学に払う金あるなら東京大学定員増やせよ。
ふざけんな日本。
東京大学定員増やせないなら私立大学の授業料もっと安くさせろよ。
東京大学定員も増やせないし私立大学の授業料も安くできないけど優秀な人材育成なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
国が優秀な人材育成させないでどうすんだよ。
授業料安かったら東京大学落ちても私立大学行くってやつがゴマンといるんだから取り敢えず東京大学定員増やすか私立大学の授業料を国立大学並にに下げさせろよ。
アルファベットを教えるような底辺大学見繕って補助金全部カットにすりゃ財源作れるだろ。
落ちた俺が悪いんだけどさ。
今の上司世代ってちょうどバブル期の全社全入時代だったわけで、
今みたいに一つの求人に何百という倍率じゃなかった苦労知らずの世代が
今では大きな顔して威張り散らしてるわけだ。
そんな人間ほどコスト至上主義、つまり合理主義者ばかりだから困る。
とはいえ困るのは若い労働者で3K(きつい、きたない、危険)労働を味わわせるのが
こいつらはやたら職歴が長いだけで若者に指導したがる迷惑なだけの存在で、
実はこいつらこそが日本の今の不景気を作りだし雇用でも若者が苦戦しているのだから、
どうせなら、バブル世代こそ首切りの憂き目に遭ってもらいたいものだ。
何故なら今の若者はバブル世代の5人分は働けるスキルやスペックを兼ね備えているためである。
自己責任! | 人口問題。 | |
---|---|---|
受験戦争も自己責任! | 今は全入時代だよね | 受験戦争も人口問題。 |
就職氷河期も自己責任! | 人大杉っす | 就職氷河期も人口問題。 |
無能な上司がいるのも自己責任! | バブルのときは誰でも入れましたね | 無能な上司がいるのも人口問題。 |
仕事が先細りなのも自己責任! | 少子化すぐる | 仕事が先細りなのも人口問題。 |
後輩が入ってこないのも自己責任! | 正社員の定期採用がしばらくありませんでした | 後輩が入ってこないのも人口問題。 |
給料が上がらないのも自己責任! | 売り上げ減ってます | 給料が上がらないのも人口問題。 |
結婚できないのも自己責任! | 同世代の男女比はいっしょなのに不思議 | 結婚できないのも人口問題。 |
非正規雇用なのも自己責任! | 正社員っておいしいの | 非正規雇用なのも人口問題。 |
コミュニケーションできないのも自己責任! | 競争ばっかでみんなライバル | コミュニケーションできないのも人口問題。 |
大学全入時代という単語が最初に聞かれてから久しいが、今度は学習塾全入時代が到来するという言葉を耳にした。
実際に到来するかどうかはおいておいて、個人的にはあまり好ましいとは思えない。
勉強ができる人とできない人の割合はピラミッド型でちょうどいい。高学歴は少数いればいい。
みんながみんな東大に入れるくらいの頭脳を持っているとしたら誰が今のフリーターや派遣が支えている産業に就くというのか。
勉強ができる人間(高学歴)と言うのは往々にしてプライドが高い。そんな人間が就職で失敗して低賃金でしかも馬車馬のように働かされる飲食店で働くことになろうものなら精神崩壊して自殺するのが落ちだ。
現代の自殺の原因のひとつとしてが就職に失敗した高学歴が社会的負い目を感じて首をつるケースは確実に存在する。
高い授業料を払ってくれた親へ申し訳ないし、いままでがんばってきた自分を否定されるのだから。
もし適当に高認とって就職に失敗しても自殺するケースはさほどないだろう。
高学歴ワーキングプアという単語が最近聞かれるようになったが、このことから分かるように高学歴はあぶれている。もうこれ以上必要ない。
前回の記事はまとめサイトに掲載されたりTwitterで拡散されたりしていた。
今回はその続き。
http://anond.hatelabo.jp/20111219120206
まとめサイトに掲載されたときにも元教員からコメントのあったとおり。
2年間でどのような像に仕上げようかという目標がない。
資格系の学校の場合、あるのは検定に合格させるという目標だけ。
だから、授業の半分以上は検定対策。
これで授業が面白いはずがない。
実務を縮小した課題をしているだけ。
作業はするけど、提出さえすれば単位は取得できる。
詳細は「芦田の毎日http://www.ashida.info/blog/cat34/」を参照。
言っていることは過激だし現場の苦労は知らないと思うけど、おおむね同意。
午後のプログラム言語は選択式だけど、半数以上の学校はCASLII(アセンブラ)で受験する。
なぜか。学生が長文を読めなくなっているから、ステップ数が少ない言語を選ぶ。
当然、就職には役立たない。
基本情報を取得しているからといって、プログラムができるとは限らない。
あとは、遊び程度にC言語をやるぐらい。
一部の人気学科(看護等)以外は、全入時代。一条校ではないから、補助金もでない。
一人あたり、年間で100万円。入試は面接だけ。学力試験はしない。
オープンキャンパスに○回以上参加でその面接すら無くしている学校も。
当然、学生当時の担任も在職している。元担任には頭があがらない。
古くからのやり方が変わるはずもない。
もちろん、ここに書かれていることが該当しない学校もたくさんある。
あちこちで行われている大学入試において、試験中にネットに接続し、掲示板等に問題を貼り付け、他人に解いてもらうというタイプのカンニングが表沙汰になっている。
これは、公開されている掲示板に問題を貼り付けたから、やっている事がバレたわけで、こっそりと、たとえば予備校裏サイトとかで、合格率アップの為にやるという組織的な手法や、家庭教師に問題をメールで丸投げして、答えを教えて貰うといった手法ならば、おそらくばれない。そういうことをやっている人がいるのを見て、あえて、公開掲示板に問題を貼り付けて、カンニングが可能な事を示したのかもしれない。
携帯電話の電波を妨害する装置を試験所に設置するというのは、一つの方法となりえるが、科挙の時代から、ペーパーテストの一発勝負においては、カンニングの発生は不可避であった。
ましてや、その知識が将来においてはほとんど役に立たない知識となれば、まともに解く努力をするよりも、カンニングの為に知恵と人脈とお金を注ぎ込んだ方が効果的となってしまう。
ペーパーテストによる一発勝負は、多すぎる志望者を公平に絞り込む為の手法であって、少子化によって全入時代とすら言われている状況においては、不適切となる。
受験生が欲しているのは一流大学卒業の肩書きであって、学問や知識ではないという状況においては、学問や知識を求める学生を確実に入手する方法は、高校等からの推薦となるが、現状の学校教員は日教組が多くて、まともな授業が行われていないと聞いている。ゆとり以降、まともな教育をやってもゆとりな教え方をしてもギャラは同じという事や、少子化とDQN親の増加によって偏差値は変わっていないが全体のレベルが下がっているという問題が出てきている。
偏差値は、平均値からの隔たりであって、平均値自体が下がっている状態では、偏差値が変わっていなくても、レベルは下がっているのである。
解けない問題はスポイラーを見て解きかたを教わるという、テレビゲームによる学習が、必要な知識はどこかに転がっていて、それをうまく見つける事が問題を解く事だという価値観を広げてしまっているというのもある。
もっとも、学問や知識の最前線に挑むような知性があっても、それを生かす場所が日本には存在しないという根本的な問題がある。
人材が欲しければ、まずは隗より始めるべきであるし、育てるべきとなる。外から招くだけでは、既にいる人よりも優れた人を取るばかりとなって、鳳雛の類を見落とし易くなり、将来、人材を見る目が無かったと批判される事や、既に取り立てられた人が後から来た人に職を奪われない為に、知識の独占や後輩いびりといった事を行うようになり、組織は腐ってしまう。