はてなキーワード: 修論とは
旧帝理系大学院増田、大学同期の運動部イケメンがホモビ出てて焦った。
ほとんど話したことなかったけど、学部時代は同じクラス分けで、イケイケな感じで目立つ奴だったから、ひと目でわかった。
そのビデオは所謂素人ノンケモノで,尺は約20分、本番(?)こそ無いけど、同期の控えめな松茸がオッサンに食われてる感じの奴だった。
他のにも出てないかメーカーサイト漁ったら、もう1本出てた。内容はさっきのと似たようなソフトな感じだった。
ただ、どっちも今年発売のだから、また新しいの出てくるかもしれない。
そう、修論を一切書いていないのだ。
正確に言うと書けないのだ。書くネタもない。
決して怠惰からくるものではなくて、精神的な何かだと思っている。病院にも行った。
だがしかし、診察の結果鬱ではないと言われた。
問題は鬱ではないのに学校に行くことはおろか作業フォルダを開くことさえできないことだ。
怠惰と言われればそうなのかもしれない、自分が客観的に相談を受けたとしてもそれは怠惰だよと片付けるだろう。
おそらく誰に相談しても「頑張れ」「怠けるな」「鬱じゃないんでしょ」と言われて終わりだろう。
相談するだけ無駄、というか相談するほどに失望され評価を落とすだけだろう。
自分ではもがき苦しんだつもりだ。
砂の城を作っては波が来れば崩れ去るような作業を永遠と繰り返していた気分だ。
「どうせまた波が来て壊れていくんでしょう。」
内定は決まっているのだが、大学院中退でも受け入れてもらえるか、それが心配だ。
今はただ早く働きたいという思いしかない。
社会人として社会で自立しているという身分に憧れしか感じない。
働けるなら最大限にコミットするつもりだ。
やり場のない焦燥感や矛先の見えない努力に道標を与えてくれるのならそれは全力で受け止めたいと考えている。
今週あるいは来週あたりに人事の方に相談しようと考えている。
返事次第では晴れて高学歴ニートの出来上がりだ。
親や親戚に会わせる顔がない。
ほんと、馬鹿だった。馬鹿が調子に乗って良い研究室に入ったことが間違いだった。
どんな場所でも馬鹿が馬鹿でいていい期間ってあるはずだと思っていたんだけど、そもそもそれがおかしくて、
同期たちは自分よりも遥かにできる人間たちで、研究室に所属した瞬間から自分には居場所も同レベルの人間も、低レベルな自分を支えてくれる人間もいないと感じた。
なにより、研究室にいる人間たちがすべての面、たとえば研究以外の社会性、人間性、ユーモア、もう、本当にすべての面で優秀だったのがつらかった。
いっそ馬鹿にしてくれたほうがまだよかったんだ。そっちのほうがまだ気が楽だった。責めるところがあるから。本当に完ぺきで、責めるなんてことできなかった。
へらへら笑って楽しく会話をして、できが悪い自分にも分け隔てなく接する傍らで、毎週のように何らかの業績が生成されていく空間だった。
そこにいて、何も生み出せずにいる自分は存在意義がないように感じた。
自分について指導してくれる方も本当に優秀で、だからこそこの人の時間を奪うことがつらくてたまらなかった。
自分が研究室の誰かに時間を使わせるだけで1stTierレベルの業績が数時間数分数秒と発表が遅くなっていくのが手に取るように分かった。
自分を騙し騙し今まで居座っていたけど、いざ修論を書く段階になってそれが一気に襲ってきて本当にもうなんか無理だなこれと思って増田に書き始めている。
実際、ろくな業績もないくせにこの研究室の卒業生ですって名乗るのもおこがましい。変な話、逆の意味で学歴詐称をすることを本気で考え始めている。
あの研究室卒業でこれもできないのかと思われるのも嫌だし、これであの研究室を卒業できるのかと思われるのも嫌だし、
もっと言うと「卒業させてもらったんだな」と思われるのがわかりきっている。こいつはダメなやつなんだなって思われるんだろう。
結局は自分が何もできなかったのが間違いだったし、全部自分が悪かったんだよ。それに気づくのが本当に遅かったんだ。
研究室に入り自席のそばに来る度に、私が座る椅子じゃないなと思うようになった。もっと優秀で意欲溢れ自分から学び質問できる、そういう学生が座るべき椅子だった。
少なくともそれは自分ではないことだけは確信している。だから、私はさっさと修士辞めるべきだったんだと思う。辞めてどうするかなんて知らないけど、辞めたほうがよかったんだと思う。
辞めたほうが、よかったんだろうと、本当にそればっかり頭に浮かんでくる。もっと早くいなければよかった。もっと早く消えていればよかった。そうしておけばよかったんだよ。
機械学習の研究をしている院生なんだけど,精度で先行研究に勝てなくて困ってる.
最悪修論には「こういう手法だと大して精度出ませんでした,理由として考えられるのは〜〜」と書いて誤魔化すつもり.
同じように悩んでる知り合いも何人か知ってる.
でも,これだって立派な成果じゃないのか?とふと思った.
うまくいくかどうかわからなかったことが,うまくいかないとわかったんじゃないか.
この結果が共有されていれば,少なくとも同じような手法を考えた人が時間を無駄にせず済むだろう.
その割には投稿論文でうまくいかなかったという報告を見たことがない.
不安で眠れないので初めて書いてみる。
あと2カ月ちょっとで修論発表だっていうM2のこの時期になんでこんな事思ってしまうんだろう。
先生にこっ酷く怒られたからだろうな、まあ怒られたってのはあくまでも自分の感想で周りが見たら正論を言われてただけだろうが。
正直周りの優秀な人たちに比べたら学校に来る時間も少なかったし、殆ど研究もしてなかったと思う。
卒論からテーマを変えようと決心して、気がついたらよくわからないテーマを与えられててやる気も起きずにチョロチョロっと研究もどきの開発をやってただけだ。
先生が怖いから話をしに行くことも放棄して時間だけが無駄に過ぎていた。
まあ全部自分の責任で自分が悪いって頭では理解しようとしてるんだけど、どうしても現実逃避したくなるから救えない屑だと思う。
今思うと転機はいくらでもあったのになぁ。
残り時間毎日ちゃんと頑張ればなんとか修了できるかもしれないけど正直できる気がしない…
運良く(?)内定を頂いてしまったことと、親に学校ちゃんと行ってる研究頑張ってるって嘘つき続けて学費を払って貰った罪悪感が数少ない今の原動力だと思う。
親に修了できないなんて報告したら絶対怒られるよなぁ…
卒研、修論まであと3ヶ月ほどというこの時期になって4人も研究室を変える人が出てきた。
私は今学部4年だがその4年なかから10人中4人である。びっくりである。
なんでも大体の人は「自分はプログラミングができないしこのテーマで研究も続けるのが辛くなったのでやめる」ということらしい。
本当に心の病とかだったら仕方ない。だが不思議なのは皆ちゃんと志望してこの研究室に来ているという点なのだ。
別に他の研究室が駄目でここに流れてきたとかってわけじゃない。
情報系でなんでプログラミングしないの?同じ学科の他の研究室行くことでプログラミングから逃げられるの?
私の研究室はたしかに教授は厳しいがその分しっかりと指導をしてくれているので論文も筋の通ったものを書けるようになる。発表の方も同様である。
院生の先輩方も大変有能な方たちだ。
この先卒研程度も逃げ出して共同研究にちょっと協力して卒業するようなやつらが日本のIT業界で働いていくと思うと大変憂鬱で仕方ない。
そりゃこんな奴らで埋め尽くされた日本より外資系とかシリコンバレーに熱意ある人や才覚溢れる人は流れるわなって感じ。
せめて最後の学生生活の集大成ぐらい踏ん張って仕上げてみろよとつい思ってしまう。
自分はどうなのかと言うと今日も教授に論文の書き直しを食らったばかりである。辛い。
いくら最初から完璧な論文など書けるはずないとわかっていても数日かけて一生懸命推敲した文章が水泡に帰すのはやっぱり辛いものである。
なぜか古いエントリが流れてきた.
放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって - 糞ネット弁慶
今までこの研究室では,これが研究だという指針があったものの,いかに井の中の蛙だったことを思い知った.
どれだけ頑張っても指導できる先生がいないので,論文を書いてもリジェクトされるのである.
放置系ブラック研究室の特徴は,先生が口先だけで何もやらないのである.
酷いところでは,院生や学生に自身の学務に関する仕事を代わりにやらせるケースもある.
先生が何ら自発的にアクションを起こさないため,院生が必死にアクションを起こさないと卒業できない.
これには院生にも原因があり,卒研生は誰ひとりとして院生の研究を把握していない.
院生も研究の仕方がわからないので,卒研生にプレッシャーをかけることができないのである.
挙げるだけできりがなく,私が受けたハラスメントになってしまうので一旦止める.
甘い蜜で誘い出すが如く,
言っている先生はかなり怪しい.
水素水には2倍の水素が含まれているのと同じで,言い方は間違っていないが真実ではない.
まず院生が育たない.
学部生の延長線上で教育を受けた院生が,果たして院生になれるのだろうか?
学部生に対する世間の期待はそこまで高くないが,院生はそうも行かない.
ましてや,先生が先頭立って「これが研究である」と言ったら悲劇である.
学生は簡単に騙されてしまうので,先生が言ったことは掛け値なしに信じてしまう.
先生は「院生になると学部よりも成長する」とか言って院進を誘い,その結果がこれである.
騙された私が悪いと言えばそれまでで,正直なところ生活が苦しくてもJAISTかNAISTに行きたかった.
なまじ成績が優秀だったので慢心したか,同じ研究室に院進してしまった.
先輩よりも良い研究にしたい気持ちで研究したが,副査の先生に壮大にディスられた.
既に博士課程進学は決まっている時期で,研究室の間違いに気がついても遅かった.
結果的に私は博士課程に卒業し,とあるツテで某大学の助教になれた.
しかし,卒業には6年かかったし,助教が決まったのは4年の時で学費を払いながら仕事をした.
外部の先生に論文の添削や指導をお願いして,共同研究という体で何人か先生の名前が論文に載っている.
他の一般的なレベルの院生のコンテクストを持ち合わせないので,だいたい話が通じない.
学会発表つれーとか,実験が忙しくてやべーとか,言われてもわからない.
年に1回温泉入るだけの学会は楽ちんで楽しいし,アンケート取るだけの実験は忙しいとも思えない.
そのギャップに不安がる気持ちは放置系ブラックあるあるの話だ.
もちろん,修士研究のお作法もわからないので,修論発表会でボコボコにされる.
意味不明な発表で凄く高度に見せかけるテクニックを使った院生は無事卒業できた.
卒研の内容をそのまま修論で出した院生もいたが,受け答えが物凄くしっかりしていて卒業できた.
果たして,このような研究をやって社会に放り出されるのは良いのだろうか?
学生にとっても良くないし,大学にとっても良くないし,社会にとっても良くない.
もちろん,研究もわかってないので,ハチャメチャな論文を書かざるを得ない.
博論審査に必要な論文数を達成できなくなるので,自動的に卒業が決まらないのである.
私は学会発表で知り合った外部の先生に頼ったが,そうしないと論文を書くための初歩的なテクすら身につかない.
Google検索は最良の教師にはならず,論文を書くためのノウハウは誰も公開していない.
よそに移るのが望ましいが,転学は学会発表をたくさんやって先生と知り合いになるしかない.
冒頭で提示したエントリは,そもそも放置されてるので自由にやることを提案している.
優秀な学生は自由にやらせるほど技術的なスキルの向上は見られるが,研究者として致命的である.
私も修論を自由にやったが,副査の先生にボコボコにされるまで何が悪いのか気づかなかった.
技術の必要な分野であれば,修論なんて提出するだけなので就職にはほぼ影響ない.
博士進学を考慮しているならば,自由にやることはおすすめできない.
よく2ちゃんねるで寿司屋の蛇口が手を洗う場所と言って憚らない人がいる.
指導教員が昔からそこで手を洗う人で,学生にもそこで手を洗うと教える.
みんなで寿司屋へ行くと「熱い! 熱い!」とか言いながら大真面目に手を洗っているのである.
大学の研究室は寿司屋の蛇口で手を洗う事態になりやすいところで,よその様子を見るまで気が付かないのである.
冒頭のエントリでは,何を目的として何をするか,自分が恥知らずだったことを気付いた学生の視点で展開している.
しかし,自分でやるということは,1年間で論文20本読んだ偉い! という気持ちになりやすく,「論文は週5本読むのが普通」とか言われてしまうとアイデンティティが非常に揺らぐ.
経験者として言えるのは,寿司屋の蛇口で手を洗ってないか,それとなく確認すること.
自分は優秀だからって一人で研究ごっこやってたらうつ病になる.
(人間って面白くて,週に1回しか人間と面会しない状態が続くとうつ病になるらしい)
(お前が悪いと非難されたこともあるが,大学に週1しか来なくて年収1500万超えてて毎日遊んだ報告をFBに上げるお前には言われたくない)
まだまだ可能性はあるとは思うけどね。俺なんか、女のトラブルで望む分野の研究ができない瀬戸際で、成果も出せなかったんだから。それでも、その分野の勉強だけは一生懸命した。
ただ、いろいろ考えすぎて疲れてると思うね。マインドフルネス瞑想、瞑想あたりの本を読んでみるのを薦める。
ただし、あのへんの分野はスピリチュアルとか、霊感商法も手をだそうとしてるから、読み比べていいの選ぶこと。
徹頭徹尾ただの脳の休息だからあれ。霊魂だの、霊的世界が入り込む余地は一ミリもない。
あと、セミナーには一切行く必要ない。むしろ、変な連中が増えすぎたから読書と実践だけで十分だ。
あえて一冊上げるとしたら、久賀谷 亮「世界のエリートがやってる最高の休息法」
なお、俺は修士ボロボロで、ベンチャーいって、この切り口どうだ?ということで、在職中サブで自分で色々作って、
あちこちの大学の先生にあたって、結局修士の先生のつてのつての大学院博士に進学+起業してる。初年度は国プロとって、人雇ってた。
うまくいけば、いい論文も色々かけるだろうけどねぇ。どっちかと言ったら起業でうまく行くのが本道だけどね。
まずは、少し休め。そして、なんとか修論をかき上げて、近い分野に何とか就職してみ。
近い分野に何とか潜り込めれば、その分野に足りないものを見つけれるかもしれないし、そこから再び研究者の道も開けるかもしれない。
何を成果とするか。
僕は京大に受かったという成果があるけれど、今では研究においてなんの成果も進捗も生み出せず大学院で留年して中退を考えるほど荒んで修論を出せる見込みはなく研究室に行けていない廃人だ。
世間的には京大から京大大学院進学と輝かしい学歴だろうけど、研究者になることを夢見ていた自分にとったら学会にも行けずそれどころか研究室内の進捗報告にも出席できない廃人は何の成果も出していないクソごみ野郎同然だ。
きっとこの先の成功の道はもうないのだろう。
きっとこのまま大学院を中退して適当に塾講師か土方プログラマにでもなって人生消化試合で生きていくのだろう。
そうして研究者になりたかった夢も忘れるほど日々に忙殺されながら生きていくんだろう。
いつか振り返って思う、自分の理想ってなんだったんだっけ、自分の考えてきた疑問が解決され時代の潮流を作るなんて夢があったなって。
そう振り返る頃には40になり新しいことを知る情熱も無くなり、安酒を浴びながら懐かしい日々として思い出すんだろう。
家族を養うためだけに生き、理想だけで飯が食えるかとか言いながら加齢臭を放つ老害になっているんだろう。
京大の院まで行ったのに愚痴ばっか言って可哀想な老害だとか陰口を叩かれながら嫁の尻に敷かれるんだろう。
自分の理想を実現することを成功というなら、たぶん僕の成功は今後一生訪れない。
まさか修論テーマを今の時期になって教授にちゃぶ台返しされるとは思わなかった.この3か月間の計画は全て無駄になった.
意気消沈した中で修士研究計画を練り直すためにPCに向かっていると,隣に1年上の先輩が座った,どうやら実験が上手くいっていないらしい.
機器の調子が悪いそうだが,具体的な原因が分からないというのだ,
まあよくあることだ.機器メーカーに問い合わせることを視野に入れて対策練るしかないですね,と答えたら
「昔の人が苦しくても下に穢多非人がいると思えば楽に思えたように,君という最悪な状況が下にいると思うとまだ気が楽だよ」
と笑顔で私に言った.
私は相手の口調で瞬間的にどう反応するか決めて笑いなど返す節がある.その先輩の口調はまさに冗談であった.だから反射的に笑った.
しかし,その内容はよくよく考えるととんでもない侮辱のように思えた.少なくとも,失意の中の私を励ますような冗談とは到底思えない.
反射的に返した笑いが色を失い,乾いた笑いになる.そして怒りと殺意が沸々と湧いてきた.
哀しいかな,私は昔からこういう侮辱に直接歯向かうことなく,なんとかして消化して耐える節がある.
今回も耐えた.乾いた笑いで,結構エグイ冗談ですね,そんなそんな,あははは,と
先輩にとっては少々キツメの冗談でも受け流した人間としか思っていないのだろう.
いや,もう何を言ったかも忘れているのかもしれない.
まあ,こんなこともあるさね.
私はまた侮辱を甘受した.
社会人3年目が終わったので、どうやってここまで来たのか書いてみることにする
一応ほぼ自分の金? で高等教育?の高専・大学~大学院までは卒業したので
金がなくて大学とかどうしよって思っている人とか
金がなくて子供を学校にやれねーなと思っている親とかが見てくれればと思う
中学で高校を選ぶときにまず、私立にはとてもじゃないけどやれないと言われた
よくもまあこのご時世に5人も作ったって話ではあるんだけど
公立の高校は県内だと最高70くらいの偏差値の場所しかなかったから
対して偏差値も変わらなくてお得な工業高等専門学校とやらに行くことにした
親からしたら早く働いて欲しかったみたいだからそこを進められたってのはあったんだろうけど
この『高等専門学校』略して『高専』は工業高校と短大を組み合わせた?みたいな感じの学校
だいたい全国の都道府県には1つづつ(ないとこやいっぱいあるとこもある)あって
基本的に工学系の学科の電気・電子・機械・情報・建築・物質・化学なんて種類がある
どのくらいしやすいかて言えば面接一回で受けた次の日に内定が決まるとか
でこれが就職の話で次に進学の話
難易度的には普通にセンター試験?(私は受けたことがないのでわからない)で入るよりも簡単らしい
大学4年間と高専の4・5年+大学3・4年だと高専+大学の方が安くなる
あと高専には専攻科っていうのがあって
ぶっちゃけ難易度やお金の面で言えば専攻科+大学院の方が簡単で安い
しょぼい国立大学でも専攻科よりはましだと思うので
この先40年近くそういうことと付き合うことになるということを考えてから進学して欲しい
とにかくつまらんかった
で高専の先生が良く言うのが君たちは技術者になるんだっていうこと
高専を出て、キャリアを積むこともできずにこのままつまらない技術者になるのは嫌だった
かといって研究者になろうとか起業しようとかそういう考えがあったわけじゃないけどとりあえず進学することにした
それどころか高専4・5年のお金も自分でなんとかしろって言われました
この辺が妥当だと思う
ということで奨学金を借りてアルバイトして授業料免除の申請をします
これが割と辛い
勉強面では
授業料免除しようとおもったらまあクラス5番以内には入っておきたい
で奨学金の一種(利子無し)を貰おうとすると10番以内には入っておきたい
さて、肉体労働も頑張って、成績でも頑張って
自分に残るのは?
親にははよ働いて欲しいといわれて
マジで辛い
高専からのルートなので高校からのルートよりは楽だと思いますがいやあ辛かった
金がないのに大学に行かせたい親とかがいたら
まあ覚悟して頑張って下さい
さて、ここまでは高専の話です
自分で金を稼いで高専に行っていた二年間の間の勉強で十分大学には入れました
某T大学とK大学は高専生には『教養』が足りないとうことなので
2年次編入になります
この二つの大学は高専時代の席次が3番以内だと入学料・授業料全額免除の特待生になれる可能性があります
自分も割と迷って結局いきませんでしたが、お金に困っている場合はかなりアリな選択だと思います
ちなみに編入試験は国立大学でも試験日程さえ被らなければいくらでも併願可能です
国立大学にバンバン編入していたので国立大に入りたいだけなら高専はコスパがいいと言えると思います
普通の高校からだと大学受験時に予備校や塾に行くのが普通だと聞いているので
そういう場所に全く行かない高専生は大学に行かしたい親から見れば凄くお得な教育機関だと言えます
工学部とは言えなんとか歴史ある国立総合大学様に編入できたわけですが
女はいねえし、高専生を少しお上品にしたみたいなやつらでいっぱいでした
サークルってやつにも3年生ながらに参加させて貰って楽しかった
まず研究室です
理系の学部の人はだいたい4年次、早ければ3年次に研究室に入ることになります
とにかくコアタイムとか辛いし
週報とか辛いし
実験はつらいし
論文はつらいし
学会とかつらいし
からだがいくつあっても足りません
正直就職したら楽になったって人の方が多いです
なんで自分で金工面して理系でやっていくというのはマジのマジで辛いと思います
(文系とか工学系以外はやったことないので比べようがないですけど)
次に世界の違いです
高専はまあ偏差値自体はそれほど低くもないのでいうほどアレな人はいません
私は高専の中でも割と貧乏でしたが、高専の連中とは割と話とかは合いました
そりゃあ私と同じく奨学金を借りて、授業料免除を受けて大学に通ってるやつもいます
なぜなら彼らはそれが帰ってくることを知っているからです
私の地元の中学の同級生には彼らのように勉学にお金や努力を賭ける人はあまりいません
そんなことするくらいならヴェルファイアでも買っていると思います
なんで、頭のいい大学生がそういう風な考え方でやっていけるのか考えれば
やっぱり親とか友達とか周りの皆がそのように考えて
そして、私はそれを凄く羨ましいと感じました
私もそんな環境ならもっと上にいけたんじゃないかとか情けないことを考えてしまいます
彼らは普通のことをやっているだけなのに環境や考えの違いを思い知らされます
その結果、家賃を携帯代を学費を食費を『自分の時間』を払っていることにやるせさなや怒りを感じて
まあ中々辛いです
色々思い知らされて
それでまあ工学自体は嫌いでしたが結局大学院までいくことになりました
大学院までいくころにはもう親はあんまり何も言わなくなりました
親からすれば大学院なんてもう聞いたこともないような世界だとかなんとか
技術者の『マネージャー』とか『研究者』になることが現実的になってきます
ついに勉強してきたことと実際の世界がしっかりとリンクしていることを感じることができます
やっとこさ高専のころのクソ詰まんなかった電磁気やイオンの動きやなんやかんやがついに意味を帯びてきます
まあつまんないことに変わりはなかったんですけども
英語論文2本出しとけば修士の分の奨学金は全額免除くらいは行けるでしょう
で就活です
工学部には学校推薦制度があってかなりの確率で内々定を貰うことができます
ただ、私は工学あんま好きじゃなかったので自由でいろんな企業を受けてたら
夜行バスと学割在来線を使っても交通費が10マンくらいかかってしまいました
ただなんだかんだ言って高いモノかっても安いモノかっても就活には影響しないのかなという感じです
私は某巨大スーパーのスーツに某ブラックで有名なチェーンのシャツ、ニット帽で有名なチェーンのネクタイとかで
就活してましたがなんだかんだ大手5社くらいから早々に内定者はもらえました
就活の百倍辛かった
こんな感じですね
だいたいアクアが二台くらいですかね?
そのくらいの金額でした
やっとこさ同期のみんなと同じスタート地点に立った感じです
高専の同期は結婚したり、でかい車かったり、下手をすれば家を建ててます
大学・大学院の4年間と奨学金を返し切る3年間で高専の同期とどれだけの差が開いてしまったのか
大学院の同期に三年間でどれだけおいて行かれてしまったのかわかりません
でも高専から現場の技術者になってもそもそもなにか違うという考えがずっとよぎっていたのではと感じます
原チャが廊下を走り回っている中学、ちょっと頭のいい高専、頭のいい大学とたどってきたおかげで
いろんなことを考えることができたと思います
学歴がなくても生きていけますけど学歴がないと見えない世界もあります
だからもし、貧乏だけど大学にいくとか、今勉強してることがなにか違うと感じてるとか
そういう人に見てもらえればと思って書きました
学生の頃、所属していたサークルでメンバーとうまくいかず、大事な時期に辞めてしまったことがある。
統率力も人望もない自分なのに、立場的に他に適任がいないという理由で、同期の中で自分が代表になることになった。
予想通り全くうまくいかず、意見が対立するどころか、自分が主張することなど無視されてばかりで、「話聞いてよ」と訴えることもよくあった。
頼れる人が誰もいなかった。一番の味方であるはずの同期の友達から見放されていたから、もうどうにもならなかった。
しばらくそんな状態が続いて、ついに、活動があると分かっているのに、どうしても家から出られなくなった。電話が掛かってくるのが怖くて、何日も携帯の電源を切ったまま家に引きこもっていた。
結局、状況をどうにもできず、会費だけ振り込んで辞めますとだけメールで伝えた。本来は謝りに行って頭を下げるべきだ。今でも後悔している。でも当時の自分にはそれができなかった。自分が代表なのに何をやってるんだ、という自責の念だけでも死にそうになるくらい辛かった。
サークルを辞めたあと、研究室に配属されて、卒論や修論に取り組むことになった。そのときには、上の経験からどのような思考パターンや行動が精神的に良くない結果になるかが経験的に分かっていたので、嫌なことがあってもとりあえず研究室には行く、悩んでも仕方ないことを考えないようにする、辛くてもネガティブなことを漏らさない、こういうことを意識するだけで乗り切れることがほとんどだった。
でも過去の体験を引きずっている。いつか、前のような引きこもりのような状態に戻ってしまうかもしれない。そして今も壁に直面している。
何か困難なことが立ちはだかる度に、「今回はダメかもしれない」と、内心、ガクガクに怯えている。そういうときこそ、最悪な状況に自分を追い込まないことが大事だということは分かっている。だからポジティブに振舞う。それでなんとかやっていけている。
ところが、最近、後輩に「メンタル強そうですよね。ストレスの多いところでもやっていけますよ」と言われた。自分がそう見えていたことにびっくりした。行動だけでもネガティブにならないように気をつけてはいたけど、表情とかで周囲には精神的には弱いことが気づかれていると思っていたからだ。
もし周りの人間がみな同じように感じていたとすると、本当は精神的に弱いのに、「あの人は大丈夫」と思われていることになる。その状況が一番まずいのではないか。自分がもし折れたときに、助けてくれる人がいないかもしれない。そのことが心配でならない。自分はやっていけるのだろうか。
ノーベル賞とかの偉い先生に向かってそういうこと聞くアホ記者がいるだろ?
で、それに向かって「これはロマンなんです」とか「基礎研究は大事なんです」とか答えるアホ研究者がいるわけよ。
もうね、胸を張って
とか
「どこでもドアを作るためです」
って言えばいいのよ。嘘でも。
世界とか宇宙とかがどうやって構成されているのかを明らかにすれば
だから世界とか宇宙の中で「ここが分かっていないんですよ」っていうところを明らかにするのが研究なんだよ。
で、ちょうどそろそろ学生たちの手元には卒論なり修論なりD論なりがあるわけだけど
その研究は世界とか宇宙の中でどこが分かってなくて、それをどこまで明らかにしたのかね?
「言われたことをやっただけ」
「分かってたことを確認しただけ」
「売れそうだからやってみただけ」
だと研究にならないのよ。
そこだけは答えられるようにしといてくれ。マジで。