はてなキーワード: 身辺整理とは
世の中にはポックリ信仰だのコロリ観音などというものもあり、「ぽっくり死ぬ」のが一つの理想とされている。
まあ確かに、死ぬと判っていて長く苦しむのは、特異な死生観を持っている人以外は嫌だろう。
また、認知症などで長く家族に負担をかけて、とてつもない醜態をさらし続けて「いつ死ぬんだろう」と半ば願われながら死ぬのも、物寂しい話である。
とはいえ、1人暮らしの人などがいきなり自宅で死ぬと、発見されるまでに時間がかかってしまい、遺体や自宅が無残な状況になりかねないリスクがある。
友達少ないから、全社会議とかで大勢にお別れしてもらえるのはまあちょっと興味あるけど、正直、社長とか上司とかが何言い始めるか分からない危険性があるし、
遺族が過労死や労災を疑ったりして、後味が悪い結果にもなりかねない。
かといって通勤中とかに死ぬと電車が止まってしまい、何千何万の通勤客の呪詛を受けながら死ぬ、という割とキツいシチュエーションになってしまう。
なので、ポックリ死ぬなら、旅先が良い。
旅先の人にはちょっと迷惑をかけてしまうが、恨みつらみは残らないし、何か楽しく人生を生きて死んだ感が漂うから、遺される人も若干気が楽だ。
とはいえ、ポックリ死ぬのは、何の準備もしてないので、本人は良くても周囲に面倒をかける。
心の準備もできない。お別れも言えない。喧嘩中だったりしたら後味も悪い。連絡すべき関係先を洗い出すのも一苦労だし、遺品の整理も面倒だし、部屋が汚かったり、恥ずかしい所有物とかが発見される危険性もある。
という事で、お別れを言う時間くらい欲しい。
しかし、お別れを言うには「大病を患っている」という前提が必須である。
事故で死ぬ場合は、即死を免れても意識不明のまま死ぬ可能性が高いので良くない。ふためと見られない顔になってる可能性もあるし、恨みつらみや相手方の保険屋との交渉とかがあって面倒極まりない。
やはり病死である。それも死ぬと判ってから1週間程度の猶予は欲しい。
部屋の整理は諦めるとしても、せめて3日はないと、遠方にいる家族が死に目に会えない危険性があるし、お別れがあわただしくなってしまう。
しかし半年以上入院というのも厳しい。最後の方はかなり苦しみそうだし、そんだけ入院すると費用も馬鹿にならない。家族に金銭的負担がかかっているのを気にしながら死ぬというのも、きつい。
という事で、1か月前くらいに余命が判って、家族や親戚・友人に連絡して、身辺整理を済ませて、1週間前くらいに入院して一通りお別れを済ませて、最終的になんか良いセリフを言って眠って3分くらいで、ピー、ご臨終です、というのが理想である。
コロナは割と近いが、あれは陽性反応が出たら1日かそこらで問答無用の入院である。身辺整理もできないし、入院する段階ではまだ死ぬと決まってないから、関係者に通知もしにくい。
それに、コロナで死ぬ場合、途中からなんかゴツい機器で呼吸を助けてもらう形になるので、お別れを言えない。感染するといけないから遺族も立ち会えないし、遺体の顔すら見えないという。
じゃあガンならどうかというと、ガンで死ぬのは相当キツい。最後はモルヒネ使って痛みを取り除くとしても、そこに到達するまでに、手術や放射線治療などがあり、相当苦しむ。
それに、専門家じゃないから良くわからないけど、末期がんで余命1ヵ月になるまで気づかないというのも、さすがにレアじゃないだろうか。半年前には気づいてしまう気がする。そうすると、死ぬまで長い。
1か月前に死ぬとわかって、あまり苦しまず、身辺整理をする余裕があり、お別れも言える。
そんなの、何か凄い感じの宇宙船事故で冷たい方程式的な何かが無ければ、ありえないのではなかろうか。(私は宇宙飛行士じゃないし、前述の理由で事故死はちょっと問題あるので、どのみち却下である)
団塊ジュニアの独身だけど、最近は老人になったらさっさと死ぬ事ばかり考えている。
年金は出ないし、医療の質も落ちるし、若い世代からは邪魔者扱いされるし、長生きしても何もいい事がないのがわかり切ってる。
だったら借金と遺産に整理を付けて、「具合が悪いから先が長くないかもなー。ははは」なんて日頃から甥っ子達には伝えておいて、ある日ふと、この世から消えたい。
そしてヤマトタケルの墓から白鳥が飛び去ったように、鶴の恩返しのおつうが飛び去ったように、この腐敗する有機物を綺麗に整理して、骨壷の中身だけになってしまいたい。
なんて書くと格好良い気がする。でも残念ながらそんなに高尚なことではない。今から書くのは私の短い人生の中での経験とそれに伴う思考なのでオナニーにすぎない増田を書くよ。長いよ。忠告したから「長い」は書かないでね。長くてもいいよってやつだけ20代女のオナニー見てくれ。出来れば助言をくれると嬉しい。
長いのは読むの面倒!でも助言はしてやる!みたいな奇怪な人がいるなら、ラスト1画面分くらいのところまで飛ばしてくれてもいい。その助けようとしてくれたのが有り難い。
あと、これを読んで(あいつか?)と思った私の友人はそっと見なかったことにしてくれると嬉しいな。
オナニー開始
私が死を感じたのは小学生低学年くらいの時。いつからか自分は長く生きられないと思った。それは(最初はたぶん違ったけれど)具体的には18で死ぬと思ってた。誰かの死に触れたとかのようなきっかけも特になく、ただ漫然とそう思って、確信していた。私は18に左側から来た車に追突されて死ぬ。
死ぬのは怖かった。幼稚園くらいの私は『お母さん』になって、こどもが3人いて、休みの日はみんなでゲームをするような家族に憧れたけれど、流石に18ではそんなこと出来ないから少し悲しかった。でも生き物はいつかは死ぬものだからと次第に諦めて、今を楽しむことを決めた。
それからは色々なことをやった。何も知らずに死ぬのは嫌だったから本を沢山読んだ。具体的には小学校の図書館にある絵本や漫画じゃない本で、「未来」に役に立つもの以外の思想系や哲学系の本はほぼ全部読んだ。あとは「やりたい」と思ったことが出来たら積極的にやるようになった。
中学生になるとますますその『死』に近づいたから今のうちに!という意識は加速した。ちなみに中学校の隣に図書館があったからものすごく沢山の本を読んだ。それに伴って自分で文字を書くようにもなった。とても拙いものではあったが、楽しかった。
恋愛をしたかった。小学校では気になる子はいたけれど、彼は人気者だったし、ただ話しているだけで楽しかったから告白はしなかった。それをすごく後悔した。だから中学校では恋をしようと思った。
彼女に想いを寄せたのは中学1年生。入学式直後のクラスで、一番初めの自己紹介をするときに自分の好きなものを周りから引かれるくらい話している彼女が楽しそうで、キラキラしているように見えて、興味を持った。
はじめは小学校が違うし、彼女の好きなものは私の知らないものだったからなかなか話せなかった。私は踏み込めるタイプではなかったのだが、席が近くて小学校は違ったけれど話が合って一緒に帰っていたAちゃんは彼女と好きなものが一致していたようで、Aちゃんを媒介して彼女とも少しずつ話すようになった。
彼女は絵がとても上手くて暇があればすぐ絵を描いていたからそれをずっと眺めていた。私は練習したが絵が全く描けないので目を輝かせながら鉛筆を動かし続ける彼女がうらやましかった。彼女は、「何も知らない」私に彼女の好きなものをたくさん教えてくれた。そうして、両親が共働きな彼女の家に行って彼女の好きなものを見せてもらうことを沢山していた。彼女の好きなものを見せてもらって、それを元に文字を作ったりもした。
それは本当に楽しくて、また彼女も私が沢山知ろうとするのが嬉しかったのか段々と彼女の家に行く頻度も増えた。彼女の家と私の家、また学校までは地図上で鈍角二等辺三角形くらいの逆方面ではあったのだが、私は毎日のように通っていた。
偶然休みだった彼女の母親にも会ったときには挨拶して、彼女の父親とも少し気まずいながらも挨拶をして、彼女とはどんどん楽しく話すようになっていった。
ここから私の『恋』が始まるのだが、想いが無駄に多くて無駄に長いので読むのが面倒な人は●●●●●まで飛ばしてほしい。
そして、夏休みにはなんの因果か彼女とはキスをした。しかも舌を絡めるやつ。はじめてがべろちゅーな中学生だった。
前述の通り彼女の両親は共働きで家にはいつもいなかったのでその日から(正確には次の日から)彼女とのちょっぴりえっちな関係が始まった。彼女の耳を舐めた。首を舐めた。キスをして、抱きしめて、顔がくっつきそうな距離感でくすくす笑っていた。
その後学校が始まってからもそのえっちな関係は続いていた。彼女の家の方に行って、彼女の家か彼女の家の裏でキスをして、彼女の太ももを撫でた。
どちらかが告白して「お付き合い」したわけではなかったので私の方からある日好きを伝えた。心臓が飛び出そうなくらい緊張したが、彼女は泣きながら笑っていたのをよく覚えている。
その告白のあとから彼女とはこっそり教室で愛を囁いたりして、みんなにバレないようにいちゃつくのが楽しかった。
二学期終業式の日に初めて彼女の性器を舐めた。ものすごく善がっていて家に帰ってからお風呂で初めてオナニーをした。生憎私は絶頂しなかったけれど、人体の神秘と思いながら自分でやってみて問題ないとわかったことを彼女にもした。
彼女の中に初めて指を2本入れた日の翌日、一時間目の移動教室で彼女がこちらに歩いてきて、顔を赤く染めながら小さな声で「2本一気にいれるのはきつい」と耳打ちしてきた時は一瞬意味がわからなかったが、理解してあまりにも彼女が可愛くて、危うくクラスメイトの前でキスをしそうにもなった。
彼女と一緒にいて、とても楽しかった。自らに来る(と信じている)死も彼女といれば忘れられた。正しくは1回あまりにも幸せだったから『今』死のうかと思って彼女に告げたことはあった。泣いて止められたので二人で抱き合って泣いたのをよく覚えている。
話は少し変わるのだが、私には悪い癖があった。自分で自己催眠のようなものをかけていたのだ。それでありもしない『過去』を話したり、存在しない『昔の友達』の話を自分に刷り込んで、自分に自信を持たせて、死を感じたりしない元気な少女を演じていたのだが、小学6年生くらいの時から人格が出来始めた。別に多重人格というわけではなく、いわばイマジナリーフレンドのようなものなわけだが、数が多かった。男や女は勿論犬や猫、アンドロイドなど様々なものを生み出して、自らの支えにしていたし、その中でも特に優秀な人格を『兄』や『姉』のように扱った。また、『兄』や『姉』に自分が成りきることで『私』には出来ないことをやってのけたりしていた。それを彼女の前でも出してしまっていたのだ。私の口からそれは説明しなかったので、彼女は最初は混乱していたが次第に受け入れてくれていたように思う。
『兄』のときは彼女をどうしても手荒に抱いてしまっていた。『狼』のときは彼女の至るところに噛みつかないと気がすまなかった。『猫』のときは沢山撫でてほしかった。
迷惑をかけているのはわかっていた。けれど、私は自分ではない自分も受け入れてほしかったのだと思う。彼女はよくやってくれた。『私』を愛しているから、と彼女が言ってくれたときは私は自分のすべてを彼女のために使ってもいいと思えるくらい嬉しかったのをよく覚えている。
しかし、いつからか彼女は私と距離を置くようになった。理由は分からない。彼女は理由を教えてはくれなかった。だからきっと私になにか落ち度があったのだろうと思っている。そうして彼女との蜜月関係は終わってしまった。
学年が上がり彼女とクラスがわかれたことで話すことすら叶わなくなって『自然消滅』のようになった。そうすると忘れていた死が襲ってきた。やはり死ぬのは怖かった。でもその傍らで死んだら彼女は私を見てくれるのだろうと期待した。
3年になり、彼女は本当に私と話さなくなった。おそらく私が死んでも見てくれないのだろうと思うほどに彼女は私と目を合わせようともしなかった。
『兄』は彼女に一番執着していたので「やり直したい」と言った。沢山アドバイスもくれた。『猫』は『兄』に賛同した。それでも、私は行動にはうつせなかった。だって、今は『自然消滅』だが、『兄』の言うようにすると明確に終わってしまう。私は、終わらせたくなかった。1ミリも希望はないのはわかっていたが、それを見たくなくて現実から逃げた。
可愛い女の子といちゃついて、ABC全部した。楽しかったです。
でも女の子によって自然消滅させられた。悲しくてずっと引きずってる。
私は高校に進んだ。彼女とは違うところだったので彼女と私の繋がりはなくなった。私は彼女を想いながらも、死までの日々を送った。
その頃になるともう「死ぬ前にやっておこう」という感情が強すぎて、いろいろなことをやった。好きな漫画をすべて揃えた。文字を書くのが(現実逃避として)楽しかったから暇があればペンを動かしていた。毎日何かしらを作って、自らの生を感じていた。
そして、18歳になった。明日死ぬかもしれないと思いながら日々を過ごした。でも、『今日』は生きてるのでやりたいことを積極的にやる日々は続いていた。
立派な同人オタクにもなっていたので同人誌も沢山買った。高校生でも18は18だから買えたのは嬉しかった。でも、沢山物は買うが、そろそろ死ぬと思ったので処分先は一覧にしていた。
同人誌はISBNついてなくてブックオフに売れないので池袋の○○というお店に売ってください。電話番号→○○○○○○○
のように1円でもお金にして還元できるようにしていた。部屋は定期的に片付けをしていた。気持ちとしては片づけというより身辺整理だったが。
大学受験はどうせ死ぬのに必要かわからなくて、やる気が出なかった。しかし、18のいつ死ぬかわからないから『大学生』になるのもいいかと思って、とりあえず受けた。勉強の意志が無かったので落ちまくってfランにすら入れなかった。
そしてとりあえず大学生になった。人生も終わりだから沢山遊んだ。遊んで遊んで、遊びまくった。具体的には奨学金もほぼ全て使い込んだ。4年分の学費を払わなくていいから今死んで返済が親に行っても家計に負担はかけないと思ったからだった。
その頃になるともう死は怖くなかった。この時点で人生の半分はもうすぐ来る死を考えて生きてきたのだ。流石に向き合えるようになっている。
そして、19歳になった。
正直驚いた。まさか迎えるとは思っていなかった19回目の誕生日はなんだか不思議な気持ちだった。それでも、10年も前からの予言?が少しズレるのは仕方のないことだと思ったので、後悔しないように生きようと思った。
そして、成人した。
こうなってくると混乱するのだ。人生の半分以上の芯が歪んでいるのだから当然だろう。流石にオーバーランが過ぎるのではないか。
また、今まで『余剰分』と思っていたものが想像以上に多かったことにも気がついた。そうして、私は一気にやる気を失った。だって今まではゴールテープがあったからそこまで頑張って走っていたのだ。マラソン大会でゴールと思ったらまだグラウンド1周あった!はまだ頑張れる。しかし2周は流石にやる気をなくす。まだあるの?となってしまったのだ。
そして気がついたら学ぶ意欲もなくしていた。だから大学をやめた。とりあえず働くことにした。
しかし、今まで『後悔しないために』お金は余すことなく使い続けてきたのだ。だから貯金がない。でも、今までの生き方は変えられないからあったらある分だけ使ってしまう。
そして学生時代より多くの収入を得たが、扶養ではなくなったことから出費も増え、でもその生き方が変えられなくて、この間遂にプ○ミスに手を出した。良くないとはわかっているけれど、お金が無いと生きていけないのだ。現実は世知辛い。そもそも仕事探しにも本気になれなくて派遣を渡り歩くだけだから悪いのだけれど。
あと欲に逆らわない生活をやめられないので1年で20キロほど太っている。明日死ぬかもしれないから食べたいものを食べる!を続けている。若いときは代謝があるが、段々と衰えることで脂肪に変わるのはわかっているが、やめられない。
オナニー終わり。
ここからが相談。クソ長い私の人生のおさらいオナニーを見てくれてありがとう。
生きるモチベーションが無い。
死んだあとのことはずっと考えている。本を売る場所リストは未だに存在しているし、保険証の裏面の臓器提供欄はすべて提供するに○がついている。若い体だから使えるなら使ってほしい。生きたいと願う人間の役に立てるなら本望だ。血も臓器も皮膚もすべて提供してもいいと思っている。それで誰かが救われるなら生きていた意味があったと喜べる。
もう前みたいに好きな文章で自分の中の好き!を表現する気力も体力もない。未だに人生のオーバーランの気持ちが拭いされないから、未来に希望も持てない。年金は払っているけれど、18で死ぬと信じていた人間に75までの想像はできない。なんなら30の想像もできない。こどもを産むどころか彼氏彼女すら作ろうと思えない。未だに『彼女』は私の心に居る。あの楽しかった、キラキラした思い出を抱きしめて死にたい。死ぬはずだったのに、死に損なった。
そうやって毎日毎日死に損ないが生きている。どうしたらこの『死に損なった』のはなくなるのだろう。「今の若者は未来に希望が持てない」なんて言うのを聞くが、私の希望の無さはベクトルが違う。誰とも分かり合えない。
いっそのこと隕石が降ってきて殺してほしい。通り魔に刺されて死にたい。ホームで人混みに押されてバランスを崩してしまいたい。青信号で渡っていたら老人の暴走車に轢かれたい。車に轢かれる死を思っていたから自殺は怖くて出来ない。でも死にたい。そんな思いを抱えながら生きることに意味はあるのか。
一気に打ち込んだので誤字脱字してそうだし、読みにくい表現もあると思う。ここまで読んでくれてありがとう。書いておいて、しかも読め!とか言っておいてなんだけど、こんなものを読ませてしまって申し訳なく思う。ごめんね。
死に損ないはあと1ヶ月でまた1つ年を取る。
なんて書くと格好良い気がする。でも残念ながらそんなに高尚なことではない。今から書くのは私の短い人生の中での経験とそれに伴う思考なのでオナニーにすぎない増田を書くよ。長いよ。忠告したから「長い」は書かないでね。長くてもいいよってやつだけ20代女のオナニー見てくれ。出来れば助言をくれると嬉しい。
長いのは読むの面倒!でも助言はしてやる!みたいな奇怪な人がいるなら、ラスト1画面分くらいのところまで飛ばしてくれてもいい。その助けようとしてくれたのが有り難い。
あと、これを読んで(あいつか?)と思った私の友人はそっと見なかったことにしてくれると嬉しいな。
オナニー開始
私が死を感じたのは小学生低学年くらいの時。いつからか自分は長く生きられないと思った。それは(最初はたぶん違ったけれど)具体的には18で死ぬと思ってた。誰かの死に触れたとかのようなきっかけも特になく、ただ漫然とそう思って、確信していた。私は18に左側から来た車に追突されて死ぬ。
死ぬのは怖かった。幼稚園くらいの私は『お母さん』になって、こどもが3人いて、休みの日はみんなでゲームをするような家族に憧れたけれど、流石に18ではそんなこと出来ないから少し悲しかった。でも生き物はいつかは死ぬものだからと次第に諦めて、今を楽しむことを決めた。
それからは色々なことをやった。何も知らずに死ぬのは嫌だったから本を沢山読んだ。具体的には小学校の図書館にある絵本や漫画じゃない本で、「未来」に役に立つもの以外の思想系や哲学系の本はほぼ全部読んだ。あとは「やりたい」と思ったことが出来たら積極的にやるようになった。
中学生になるとますますその『死』に近づいたから今のうちに!という意識は加速した。ちなみに中学校の隣に図書館があったからものすごく沢山の本を読んだ。それに伴って自分で文字を書くようにもなった。とても拙いものではあったが、楽しかった。
恋愛をしたかった。小学校では気になる子はいたけれど、彼は人気者だったし、ただ話しているだけで楽しかったから告白はしなかった。それをすごく後悔した。だから中学校では恋をしようと思った。
彼女に想いを寄せたのは中学1年生。入学式直後のクラスで、一番初めの自己紹介をするときに自分の好きなものを周りから引かれるくらい話している彼女が楽しそうで、キラキラしているように見えて、興味を持った。
はじめは小学校が違うし、彼女の好きなものは私の知らないものだったからなかなか話せなかった。私は踏み込めるタイプではなかったのだが、席が近くて小学校は違ったけれど話が合って一緒に帰っていたAちゃんは彼女と好きなものが一致していたようで、Aちゃんを媒介して彼女とも少しずつ話すようになった。
彼女は絵がとても上手くて暇があればすぐ絵を描いていたからそれをずっと眺めていた。私は練習したが絵が全く描けないので目を輝かせながら鉛筆を動かし続ける彼女がうらやましかった。彼女は、「何も知らない」私に彼女の好きなものをたくさん教えてくれた。そうして、両親が共働きな彼女の家に行って彼女の好きなものを見せてもらうことを沢山していた。彼女の好きなものを見せてもらって、それを元に文字を作ったりもした。
それは本当に楽しくて、また彼女も私が沢山知ろうとするのが嬉しかったのか段々と彼女の家に行く頻度も増えた。彼女の家と私の家、また学校までは地図上で鈍角二等辺三角形くらいの逆方面ではあったのだが、私は毎日のように通っていた。
偶然休みだった彼女の母親にも会ったときには挨拶して、彼女の父親とも少し気まずいながらも挨拶をして、彼女とはどんどん楽しく話すようになっていった。
ここから私の『恋』が始まるのだが、想いが無駄に多くて無駄に長いので読むのが面倒な人は●●●●●まで飛ばしてほしい。
そして、夏休みにはなんの因果か彼女とはキスをした。しかも舌を絡めるやつ。はじめてがべろちゅーな中学生だった。
前述の通り彼女の両親は共働きで家にはいつもいなかったのでその日から(正確には次の日から)彼女とのちょっぴりえっちな関係が始まった。彼女の耳を舐めた。首を舐めた。キスをして、抱きしめて、顔がくっつきそうな距離感でくすくす笑っていた。
その後学校が始まってからもそのえっちな関係は続いていた。彼女の家の方に行って、彼女の家か彼女の家の裏でキスをして、彼女の太ももを撫でた。
どちらかが告白して「お付き合い」したわけではなかったので私の方からある日好きを伝えた。心臓が飛び出そうなくらい緊張したが、彼女は泣きながら笑っていたのをよく覚えている。
その告白のあとから彼女とはこっそり教室で愛を囁いたりして、みんなにバレないようにいちゃつくのが楽しかった。
二学期終業式の日に初めて彼女の性器を舐めた。ものすごく善がっていて家に帰ってからお風呂で初めてオナニーをした。生憎私は絶頂しなかったけれど、人体の神秘と思いながら自分でやってみて問題ないとわかったことを彼女にもした。
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彼女と一緒にいて、とても楽しかった。自らに来る(と信じている)死も彼女といれば忘れられた。正しくは1回あまりにも幸せだったから『今』死のうかと思って彼女に告げたことはあった。泣いて止められたので二人で抱き合って泣いたのをよく覚えている。
話は少し変わるのだが、私には悪い癖があった。自分で自己催眠のようなものをかけていたのだ。それでありもしない『過去』を話したり、存在しない『昔の友達』の話を自分に刷り込んで、自分に自信を持たせて、死を感じたりしない元気な少女を演じていたのだが、小学6年生くらいの時から人格が出来始めた。別に多重人格というわけではなく、いわばイマジナリーフレンドのようなものなわけだが、数が多かった。男や女は勿論犬や猫、アンドロイドなど様々なものを生み出して、自らの支えにしていたし、その中でも特に優秀な人格を『兄』や『姉』のように扱った。また、『兄』や『姉』に自分が成りきることで『私』には出来ないことをやってのけたりしていた。それを彼女の前でも出してしまっていたのだ。私の口からそれは説明しなかったので、彼女は最初は混乱していたが次第に受け入れてくれていたように思う。
『兄』のときは彼女をどうしても手荒に抱いてしまっていた。『狼』のときは彼女の至るところに噛みつかないと気がすまなかった。『猫』のときは沢山撫でてほしかった。
迷惑をかけているのはわかっていた。けれど、私は自分ではない自分も受け入れてほしかったのだと思う。彼女はよくやってくれた。『私』を愛しているから、と彼女が言ってくれたときは私は自分のすべてを彼女のために使ってもいいと思えるくらい嬉しかったのをよく覚えている。
しかし、いつからか彼女は私と距離を置くようになった。理由は分からない。彼女は理由を教えてはくれなかった。だからきっと私になにか落ち度があったのだろうと思っている。そうして彼女との蜜月関係は終わってしまった。
学年が上がり彼女とクラスがわかれたことで話すことすら叶わなくなって『自然消滅』のようになった。そうすると忘れていた死が襲ってきた。やはり死ぬのは怖かった。でもその傍らで死んだら彼女は私を見てくれるのだろうと期待した。
3年になり、彼女は本当に私と話さなくなった。おそらく私が死んでも見てくれないのだろうと思うほどに彼女は私と目を合わせようともしなかった。
『兄』は彼女に一番執着していたので「やり直したい」と言った。沢山アドバイスもくれた。『猫』は『兄』に賛同した。それでも、私は行動にはうつせなかった。だって、今は『自然消滅』だが、『兄』の言うようにすると明確に終わってしまう。私は、終わらせたくなかった。1ミリも希望はないのはわかっていたが、それを見たくなくて現実から逃げた。
可愛い女の子といちゃついて、ABC全部した。楽しかったです。
でも女の子によって自然消滅させられた。悲しくてずっと引きずってる。
私は高校に進んだ。彼女とは違うところだったので彼女と私の繋がりはなくなった。私は彼女を想いながらも、死までの日々を送った。
その頃になるともう「死ぬ前にやっておこう」という感情が強すぎて、いろいろなことをやった。好きな漫画をすべて揃えた。文字を書くのが(現実逃避として)楽しかったから暇があればペンを動かしていた。毎日何かしらを作って、自らの生を感じていた。
そして、18歳になった。明日死ぬかもしれないと思いながら日々を過ごした。でも、『今日』は生きてるのでやりたいことを積極的にやる日々は続いていた。
立派な同人オタクにもなっていたので同人誌も沢山買った。高校生でも18は18だから買えたのは嬉しかった。でも、沢山物は買うが、そろそろ死ぬと思ったので処分先は一覧にしていた。
同人誌はISBNついてなくてブックオフに売れないので池袋の○○というお店に売ってください。電話番号→○○○○○○○
のように1円でもお金にして還元できるようにしていた。部屋は定期的に片付けをしていた。気持ちとしては片づけというより身辺整理だったが。
大学受験はどうせ死ぬのに必要かわからなくて、やる気が出なかった。しかし、18のいつ死ぬかわからないから『大学生』になるのもいいかと思って、とりあえず受けた。勉強の意志が無かったので落ちまくってfランにすら入れなかった。
そしてとりあえず大学生になった。人生も終わりだから沢山遊んだ。遊んで遊んで、遊びまくった。具体的には奨学金もほぼ全て使い込んだ。4年分の学費を払わなくていいから今死んで返済が親に行っても家計に負担はかけないと思ったからだった。
その頃になるともう死は怖くなかった。この時点で人生の半分はもうすぐ来る死を考えて生きてきたのだ。流石に向き合えるようになっている。
そして、19歳になった。
正直驚いた。まさか迎えるとは思っていなかった19回目の誕生日はなんだか不思議な気持ちだった。それでも、10年も前からの予言?が少しズレるのは仕方のないことだと思ったので、後悔しないように生きようと思った。
そして、成人した。
こうなってくると混乱するのだ。人生の半分以上の芯が歪んでいるのだから当然だろう。流石にオーバーランが過ぎるのではないか。
また、今まで『余剰分』と思っていたものが想像以上に多かったことにも気がついた。そうして、私は一気にやる気を失った。だって今まではゴールテープがあったからそこまで頑張って走っていたのだ。マラソン大会でゴールと思ったらまだグラウンド1周あった!はまだ頑張れる。しかし2周は流石にやる気をなくす。まだあるの?となってしまったのだ。
そして気がついたら学ぶ意欲もなくしていた。だから大学をやめた。とりあえず働くことにした。
しかし、今まで『後悔しないために』お金は余すことなく使い続けてきたのだ。だから貯金がない。でも、今までの生き方は変えられないからあったらある分だけ使ってしまう。
そして学生時代より多くの収入を得たが、扶養ではなくなったことから出費も増え、でもその生き方が変えられなくて、この間遂にプ○ミスに手を出した。良くないとはわかっているけれど、お金が無いと生きていけないのだ。現実は世知辛い。そもそも仕事探しにも本気になれなくて派遣を渡り歩くだけだから悪いのだけれど。
あと欲に逆らわない生活をやめられないので1年で20キロほど太っている。明日死ぬかもしれないから食べたいものを食べる!を続けている。若いときは代謝があるが、段々と衰えることで脂肪に変わるのはわかっているが、やめられない。
オナニー終わり。
ここからが相談。クソ長い私の人生のおさらいオナニーを見てくれてありがとう。
生きるモチベーションが無い。
死んだあとのことはずっと考えている。本を売る場所リストは未だに存在しているし、保険証の裏面の臓器提供欄はすべて提供するに○がついている。若い体だから使えるなら使ってほしい。生きたいと願う人間の役に立てるなら本望だ。血も臓器も皮膚もすべて提供してもいいと思っている。それで誰かが救われるなら生きていた意味があったと喜べる。
もう前みたいに好きな文章で自分の中の好き!を表現する気力も体力もない。未だに人生のオーバーランの気持ちが拭いされないから、未来に希望も持てない。年金は払っているけれど、18で死ぬと信じていた人間に75までの想像はできない。なんなら30の想像もできない。こどもを産むどころか彼氏彼女すら作ろうと思えない。未だに『彼女』は私の心に居る。あの楽しかった、キラキラした思い出を抱きしめて死にたい。死ぬはずだったのに、死に損なった。
そうやって毎日毎日死に損ないが生きている。どうしたらこの『死に損なった』のはなくなるのだろう。「今の若者は未来に希望が持てない」なんて言うのを聞くが、私の希望の無さはベクトルが違う。誰とも分かり合えない。
いっそのこと隕石が降ってきて殺してほしい。通り魔に刺されて死にたい。ホームで人混みに押されてバランスを崩してしまいたい。青信号で渡っていたら老人の暴走車に轢かれたい。車に轢かれる死を思っていたから自殺は怖くて出来ない。でも死にたい。そんな思いを抱えながら生きることに意味はあるのか。
一気に打ち込んだので誤字脱字してそうだし、読みにくい表現もあると思う。ここまで読んでくれてありがとう。書いておいて、しかも読め!とか言っておいてなんだけど、こんなものを読ませてしまって申し訳なく思う。ごめんね。
死に損ないはあと1ヶ月でまた1つ年を取る。
(病院で診断を受けたには受けたけど出された薬が効いてるか全然わからなくて怖くて行くのやめちゃった)
あまりの無能さに絶望し、改めてやっぱ死ぬべきやんけと思い立つ。だいたい高校の頃からこんな感じでずーっと死にたかったのを社会で再確認した。
手始めに仕事を辞めようと思っている。ちょっと前の面談で辞める話を切り出し、無事辞める方向に動けている。こんなバカでも大人は大人だ。後は野となれ山となれは大人のすることではない。
ところで社はホワイトだ。炎上プロジェクト(?)は散見されるが制度は整っているし、自分は恩恵を受けていると感じる。こんなところで自分に優しくしてくれた上司やら人々にこれ以上迷惑をかけることはできない。バカな自分のせいで優しい人たちがため息をつくのは本当に辛いことだ。
自分のバカさがよくわかったから、転職してどうにかやっていけるわけもないと思う。まともじゃない自覚はあるけどまともになりたいと思わない。まともになりたくないのにまともになるためにしたくもない努力するのもなんか嫌だ。こういうこと言ってまともな人から説教くらうのもまあまあ嫌だな。
やらなきゃいけない身辺整理。とにかく物を捨てたり部屋を片付けなくちゃいけない。これが曲者だ。部屋を引き払って住所を実家に戻したりすべきなのか?そこはまだよくわからない。洗濯機、冷蔵庫、好奇心で買った低温調理機、脱毛器、このへん業者に頼むか?売っ払えるか?決めかねている。早い方がいいんだろうな?あと口座の金とかどうしたらいいんだろうなあ。どう調べたら出てくるもんだろう?
仕事を辞めて満足してズルズル生き延びるのだけは絶対にしてはいけない。先延ばし癖があるし、0か100かって感じで仕事さえ辞めればなんとかなる!とか思い込まないよう自戒を込めてここらに書いてみておく。
わかってたけどやること多いな。挫けないように頑張ろう
私には18歳の頃、同い歳の女の子と付き合っていた。
Twitterで知り合った彼女は、あまり頻繁にツイートをする方ではなかったし、繋がった時に数回話した程度でさして親しいわけでもない"モブ"の様な立ち位置になっていて、私はあまり当初彼女を気にしていなかった。
ある日の深夜2時頃。翌日も朝からバイトを控えていた私は、それでも週末という事もあって賑わうタイムラインが楽しくて、フォロワーさん達と盛り上がっている時、久し振りに彼女が浮上しているのを見掛けて話し掛けてみた。後に思えば、これが全ての始まりだった。
その日以来、頻繁に顔を出す様になった彼女とは毎日の様に話していて、数週間後に告白を受けた時も私は快く受け入れた。レズビアンという訳でもなく、バイセクシャルであった私と彼女は、そうなる事が当たり前であるかのように自然と恋人としてそばに居るようになった。
彼女は、とても心が脆い人だった。
電話をしていても、笑っていたと思えば突然泣き出すし、夜中に泣きながら電話をかけてくる事もあった。私もその頃からアルバイトを辞めて正社員として働き始めていた為、時間が減って居たけれどもそれでも何とか捻出して、直接会えない分傍にいようと努めていた。
彼女の家庭環境はかなり複雑で、血の繋がった両親は離婚。血縁者である父は、出張と銘打って母が不在のタイミングを見計らい、兄と姉を連れて出て行ってしまったらしい。残されたのは血の繋がらない母親と、彼女、そして郵送されて来た離婚届だったそうだ。どうやら父は、他に女を作っていたと後から知ったという。
血の繋がらない娘と残された母は、3人の子持ちの父の再婚相手になる事を親族から反対され、駆け落ちのような形で地元から遠く離れた土地で父と再婚していた。だから、父が末の娘を一人置いて逃げたと電話で報告した際にあんな奴を選んだお前の自業自得だと、助けて貰えず、彼女は血の繋がらない母と2人で生きて行くことを余儀なくされてしまった。しかし、母はそれ以降身体を悪くしてしまって、入退院を繰り返し、家には彼女がひとり残されてしまう事が当たり前になっていたらしい。
彼女のお母さんが手術を繰り返し、その度に心を弱くしてしまっていた彼女は、成功率の低い手術をしなくてはならないと言う説明を受けた時に心を砕いてしまった。もしもそれで失敗してしまい、母を失ったらと思うと目の前が真っ暗になって、ならば死んでしまおうと思い至った。家にはいつもひとりぼっちだから、誰かの目を気にすることも無く身辺整理を進めて、いざ飛ぼうとした時にふとSNSの事が気になった彼女。自分が死してもアカウントが残っていては、全く浮上しなくなった自分に声を掛ける人も出てくるんじゃないか。余計な心配をかけてしまうのではないかと全てのSNSアカウントを消そうとしていた。最後に残ったTwitterでアカウントを削除しようとアプリを開いた際、目に飛び込んできたのは私のツイートだった。どうしようも無くくだらない私の発言に、彼女はほんの少し笑みを零したらしい。同時に、まだほんの少しでも笑える自分に驚いた。まだ笑う事が出来るなら、まだ大丈夫なのかもしれないと思えて、自殺を思い留まった。
彼女は私の発言の数々がたいそうお気に召したらしい。それから、私とよく話しに来るようになった。頻繁に笑えるようになって、笑う頻度が高くなるにつれて私に恋愛感情を抱くようになって。
母の手術も成功して、あの時飛ばなくて良かったと私へ電話越しに泣きながら伝えて来た。
病院へ行った際、通話可能スペースまで出て来て頂いて、お母さんともお話しをした。私の分まで傍に居てくれてありがとうと泣きながら感謝をされた。
でも、そんな平穏は長くは続かなかった。
手術は成功していたものの、何やら様子のおかしい母。どうにも、別の病気が発覚したらしくまた手術を受けなくてはならなくなった。彼女はまた、母が居なくなってしまったらの恐怖に怯える事になった。SNSでかつての姉を見かけた、新しい母とそれはそれは楽しそうに、年の離れた半分だけ血の繋がった新しい弟と共に家族5人で暮らしていた。SNS上で送ったメッセージは無視されて返って来なかった。彼女はみるみる弱っていって、私も使えるだけの全ての時間を彼女に費やした。
手術の予定日は8月9日。これまでの経験上、彼女は何か不安な事があるとその前日に最も心が弱くなるから、8日は有給を取りたかったけれど大切な会議が入っていた為にそれも叶わず、せめて絶対に19時には定時で帰って来るから、それまでは1人にしてしまうけれど耐えて欲しいと伝えて仕事に出た。
でも、タイミングが悪くてどうしても断れない理由での残業が発生してしまい、仕事を終えたのは23時だった。疲れた体をよそに休憩室へ向かい、ロッカーに入れたスマホを手に取ればそこには夥しい程の通知。殆どが彼女だった。
そこには、19時を過ぎても戻らない私への不安と、振り回した事への懺悔、感謝が痛いほどに綴られていた。
「今までありがとう、大好きだよ」との言葉を最後に、連絡はなかった。21時46分。
私は会社である事も気にせずに彼女へ電話をかけた。出ない。メッセージも沢山送った。既読すら、付かなかった。翌日私は、会社を当欠した。
「遺書にね、あなたの事が沢山書いてあった。恋人同士だったんやね。」
そんな、私の空に融けた恋人の話。
彼女のn回目の命日に、まだ君の事を忘れて居ないよって意思表示も込めてここにひっそりと置いておきます。
ただの自己満足です。とっても心が弱いけど、前向きな心も捨てないで頑張ろうって踏ん張れる、とっても素敵な女の子でした。
ありがとう、私も大好きだったよ。
毎日惰性で仕事に行って、誰にでも出来る仕事をして、メシを食って、ただ生きている。
いい歳だけど結婚するでもなく、子供を作るでもなく、ただ生きている。
これといって特技がある訳でももなく、生産性のある仕事をしているでもなく、
結婚、子作りに適した年齢に、適切な配偶者を見つけ、子孫を残せなかった時点で自分は、種の繁栄に貢献できない生きている価値の無い劣等遺伝子だと思う。
親はそれでも自分のことを大事に思ってくれているのは分かるので、
親が死ぬまでは生きたいが、その後は自分で自分の命の終わりを決めたいと思っている。
あ〜死にたい。
ブラック企業に勤めているだとか
恋人とうまくいってないとか
そういう事柄で病んでいるのではなく
あとは身辺整理をしたりしている。
仕事は辞めた。
理由は単純、働きたくない
週5で8時間最低働かないと生きていけないの
たぶんここの時点で色々思い浮かんだ人がいると思うのでそれに対して自分の思うことを書いておこうと思う。
まず普通の人はだって生活していけないから、とかいうけども私は感覚がズレているのか、「働いてまで生きたくない」としか思えない。
なんでみんなまずそこまでして生きようと思うの?そこが理解できない。
親が悲しむだとか命を大切にとかよく聞く言葉はこの問いの答えにならないと思うし、また綺麗事なんか言ってんなぁ、どうでもいいなぁとしか思えない。
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・親が悲しむ
そりゃ欲しいと思って子供つくって産んだんだろうし育ててきたんだろうけど、(なんなら望まれない子だっているわけで)生まれて人生約80年勤労納税罰ゲームをさせるってやばくない?
自分には存在しないけど"我が子"を本当に大切に想うならうみ出さないことが一番の愛だと思ってしまう。楽しいこともあるだろうけどやっぱり悲しいこと辛いことのほうがどう考えたって多い世の中じゃないか。
「生まれてこなかったら楽しいことも何もなくなるんだよ」と言われてもうん。無くていいですとしか思いませんねぇ。トータルしてめんどくさいことの方が多いんだから無の方が良い。そういう人もいるんですよ。
で、そのワードでGoogle検索をすると、同じことを思う人は沢山いるわけで、Yahoo!知恵袋とかを見るとそれに対して様々な解答が書かれている。
だいたいまあ親のエゴであることはみんな認めていて、でもその分大事にしてきただとか、上記の謎の命を大事にしろ論だとか、色々書かれているけど「結局産んでしまったんだから許してくれ」と逃避しているようにしか見えない。こっちは産まれたいとか一言も言ってない。本当に迷惑。
生きたい人は生きればいいし、死にたい人は死ねばいいだろう。人にお互い押しつけず自己選択させて欲しい。生まれる権利があるなら死ぬ権利だってあるだろうよ。積極的安楽死を越えて超積極的安楽死も早く可能になって欲しい。
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・命を大切に
いやまあわかりますよ?命は尊い、五体満足で生まれてくるのだって奇跡ですよ。でも生まれてからは自分のもの。自分の体も自分のもの。自分のペンを捨てるのは自由なのに自分の体や生命のこととなると急に親から貰っ命なのに親不孝者だとか「親」というワードが出てくる。整形とかもそう。親が悲しむとか体に傷つけて酷い子だとか。
育てて、そのために仕事とか色々頑張って。
うん。わかったわかった。でもそれ自分が産むという選択肢を採ったからであって勝手に生み出されたこっちが文句言われないといけないの?したくなければ産まなきゃいいだけの話ですよ。
子供を産んだ人間が自分は悪くないと理由をつけたいが故にそうやってズレた、死ぬのがダメな理由を主張するんだろうと思っている。
もう一度言う。産んで育てたのが親でも
本人の人生は本人のもの、どうやって生きて死ぬかも本人が決めていいこと。
悲しむかもしれない。けど見返りを求めて育児はするものでないだろうし無償の愛を捧げられない人間はやっぱり子供をつくるべきではないよ。
感謝は勝手にされるものであって、してもらうものではないだろうし。
親のために親より遅く死ななきゃいけないなら
存在せず無の状態の方が気楽でいいと思うんだよなぁ。親だってまともな親もいればクズだっていて子は選べないんだから。いつだって綺麗事言うのは恵まれた人だ。
はい次。
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・ブログやら投資やら会社に行かなくてもゆるく稼げる方法があるんだから働くのが嫌で死ぬなんてバカだ!とか書いてるブログ系の人。
これが一番論外。
会社で働くより少ない労力で多く稼げる。
うん、わかった、魅力的だよ。
けど結局勤労をしているわけです。
この人たちはそれらに費やす労力を労力とみなさず楽しく無意識に頑張れた人か、労力だけど会社で働くよりマシだ、けど死にたいとはおもって思っていない人だ。
こっちは1mmも勤労に関わることをしたくないんだよ。さようなら。
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私は常に寝ていたい。体質もあってあまり長く起きていられない。ロングスリーパーどころの話ではない。長く寝たとて、起きていられないのだ。体力もない。病気もよくかかる。生まれつきだ。
健康保険証は友達。保険料払うより回収した額の方が多い。万歳!
その時点で普通の人より
その運動を軽くするための体力がないんですよ。
治せるなら治してるって。何年この身体で生きてると思ってるの?
ニワトリと卵的な話になるが、
体が弱いからなのかそもそもただ単にそうなのかは知らないが、精神も弱い。過食をしたり拒食になったり色んなものに依存したり精神系の薬飲んだりそこらへんは一通り経験した。それでも学校は不登校にならず通い、ストレートでそこそこ名の知れた大学まで卒業し、就職までした。世間の理想のレールにはのってきた。
なんなら気合いはなんだかんだあった方なんじゃなかろうか。
自慢の子どもとして生きてきた。死ぬほど上記の自傷行為?系やらなんやらしながらでもこなしてきた。今度は結婚と孫かな?知るか。私は体が弱いし上記のように反出生主義だし無理です。
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・では何が幸せなのか?
ずっと寝て意識がない状態がとにかく幸せで仕方がない。買い物をするよりも誰かと遊ぶよりもなによりも。うとうとしている時も心地よいけど
無で記憶がなかったと起きた後に気づくのが一番嬉しく、それと同時に目覚めてしまったという事実で鬱になる。起きたくない。なので次の瞬間からまた寝る。寝れる体質なので。のび太と眠りにつくまで選手権でいい勝負ができそうである。
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何回も無という言葉が出てきたが
何もないというのは、意識と感覚、自我が何もないの意味である。
たまにトンチンカンな人がじゃあ
ホームレスにでもなったらいい!とか
とか言うけど普通に衛生上嫌だわ。
もうそういうわけのわからん対処法にならんような案を出すのはやめてほしい。
ずっと眠っていられるなら別に生きていてもいい。ただ植物人間ってコストかかるし迷惑もかかるので、それならサクッと死んだほうがコスパ良くない?
どうせ死ぬとき自殺だろうと他殺だろうと事故病気だろうと誰かに迷惑をかけて、悲しませるのは変わらない。時期の違いだけだ。
若くて綺麗な間に死にたい。
若かったらまだ若いのに、綺麗なのにって夏目雅子とかダイアナ妃のように惜しまれることはあっても、歳とったら悲しくはあっても結局まあ長く生きたもんだなぁ、と淡々と思われるくらいだろう。
年齢で死の価値すら変わるように感じる。
死んだ価値がある方が死んだ甲斐があるなとふと思ったまでである。それこそ死ぬのだって労力をかけるのだから。
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それはそうと、
身辺整理、地味にめんどくさい。
部屋の片付け、多い服を捨て、今の時代なんか
インスタも最後に消す予定だ。
なぜ残しているかというと、もしも何かあった際、DMで最悪連絡が取れるからである。
ちなみに余談だがこの増田を書くためにわざわざはてなアカウントを作成した。まあこれは残したまま死んだとて問題はないだろう。
クレカ、水道光熱費も解約しよう、と思ったのだが、調べてみると死後、片付けや清掃をする際に電気がつかなかったりすると不便だと書いてあったので、なるほど、、、と感動し、仕方なく残しておくことにした。
できる限り自分でなくしておくほうが良いものは無くし、消していく。それらの行為を重ねるたび、確実に世間から自分が消えていっている実感が湧き、嬉しく思うのである。
とりあえずこれらのことをなんとなく最後に記録しておきたくなった。文才はないけど書く分には幾分か楽しかった。
それでは健やかなる夜を、おやすみなさい。
いま、自殺したいと思っている人にだけ読んでほしい。
安心してほしい、何も難しいことは書かない。
命の大切さとか、「やまない雨はない」だとか、うんざりするような説得をするつもりもない。
その代わり、聞いてみればつまらない結論かもしれないが、それは許してほしい。
学のない私にはわからないが、きっと心理学か何かの分野では、ありふれた考え方なのかもしれない。
だったらなおさら申し訳ない。私もいい歳だから、生きているうちに書いておきたいと、思い立っただけだ。
自殺したいなどと思っていない人は、こんな陰気な文章を読む必要はない。これからも、どうかよいたびを。
私もあなたと同じく、ある理由で生きる意欲を失った。そこは細かく書く必要はないだろう。理由は人それぞれだ。
とにかく、私は身辺整理を済ませ、遺書に貯金のありかを書き、可能な限り苦しみの少ない、かつ確実な自殺方法を比較検討し、実行の日を決めた。
道具も買い揃えて準備万端、さて・・・と道具を手に取った瞬間、ひとつ疑問が浮かんだ。
仮に自殺が成功したとしよう。しかし、私は死んだのだから、成功したと認識することはできない。
他人から見れば、私は何%かの確率で自殺を成功させるだろうが、それは私とは関係ない世界の出来事だ。
絶対に成功しない自殺など、怪我をするだけでなんの価値もない。私は自殺をやめた。
もし、あなたがこの考え方に心の中で反論できなければ、自殺をしてはいけない。
この先を読む必要もない。つまらない話を聞いてくれてありがとう。さっさとタブを閉じてバナナ食って、散歩にでも出かけてほしい。
あるいは、あなたはこう思うかもしれない。
「それでも死後の世界に行ける可能性に賭けたいんだ。お前のように薄っぺらい言葉遊びを自慢する子供じゃないんだ」と。
ところが、これが自分でもうまく説明できる自信がないのだが、私は死後の世界を信じている。
別に信心深いわけではなく、まあ大切な人がこの世を去ったなら、時の河から上がり、好きに過ごして、また好きな時に生まれてきてほしい・・・程度のユルいものだ。
でも強く信じている。でなきゃ4年の間、毎月ひとりで墓参りして、小一時間墓の前で座り込んだりなどしない。
誤解を恐れずに言えば、私は「脳では」死ねば解放されると完全に信じていると同時に、動物としての本能が、「それは嘘だ」と完全に否定しているのだ。
さて大切なのは、あなたは今、死ねば解放されると思っているだろうが、いざ自殺するとき、私と同じように本能が襲い掛かってくるかもしれない、ということだ。
私と同様、まだ引き返せる段階であればいいが、例えば飛び降りた瞬間に気づいたら目も当てられない。
だから今のうち、できるだけ「動物として」考えてみてほしい。あなたは本当に、自分の死を認識できると思っているだろうか?死後の世界というものを、心の底の底から100%存在すると信じ切っているだろうか?
どうか誤解しないでほしい、「動物には生存本能がある。あなたも本心では死にたくないと思っているのでは?」とか、そんなことはどうでもいいのだ。(死にたいに決まっている。私もそうだ)
あなたを中心とした、あなたの世界で、あなたは、死ぬことが「できる」のか、という、とても単純なことだけ考えてほしい。
もし、それでも天国への扉に望みを賭けるというのなら、この文章はここで終わりだ。
すまないが、何か厳しいコメントをいただいても、うまく返せるほどの知識もない。
でも、私はあなたの細胞が自殺の直前に、そのペテンに気づくことを信じている。
そりゃそうだろう、いい歳して長々と言葉遊びをドヤ顔で語ったんだから、当たらないと恥ずかしいではないか。
(余談)最近はやりの「自死」という表現を使っていない理由も、おわかりいただけたかと思う。自分で「死」ねればこんなに苦しんでないよ。
緊急事態宣言が出てようが、底辺に近いから会社がお休みになったりとか対策だなんて全くしてくれない(テレワークは不可能な職種)
でもこちとら生きていくためにお金稼がなきゃならんから感染するかもって不安抱えたりいろんな申し訳なさも抱えながら毎日通勤して残業もして働いてるのにさ
俺なんかよりずっと良い環境で教育受けたりしてたはずのお偉いさんがさ、毎日毎日総理やら議員やら夫人やらのクソなニュースが流れてきてさ
なんだろうな、なんなんだろうな
あくせく働いて納めてる俺の税金ってなんなんだろ
どんなにクソニュースが公に出てもなんも変わらない政府、社会もなんなんだろ
こんなこと言ってたらデモとかそういう活動をして変えるよう努力しろって言われるのかもしれないけど、生きていくために働いてたらできない、そんな暇がない、自由がない、時間がない、体力が残ってない
(性)愛は人間の根幹であり、みな愛し愛され生きるのだ、愛は素晴らしい…って言ってたけどアセクシャルの人なんかも実際いたわけじゃん
人間はみな生きたいと心の底では思っている、生命はすばらしい…っていうのももうやめにしていいんじゃない?
人に迷惑をかけない行為だったらだいたい主体性を尊重して邪魔はしない感じになってきてるじゃん じゃあ自殺も迷惑なやり方じゃないんなら容認していいはずだ
現状は迷惑をかけずに死ぬ方法がほとんど無い でも法的にOKってことにしちゃえば、身辺整理代を払って誰にも迷惑かけずに死ぬってことがそれなりにできるようになるはず 雇用創出にもなる
普段多様性とか自由を説いてる人が自殺者に対しては「もっと視野を広く…」とか「誰かがそばにいれば…」とか「社会の犠牲者」とか言ってるのはちょっとブキミな感じがする
自分の意思(自由意思は存在しない、とかの話はここではおいといて)でいろいろ考えた結果生きたくないと思ったから自殺します、っていう選択を尊重する社会にならないものか