はてなキーワード: 社会契約とは
国家が核武装する権限があるなら、個人が核武装する権限もある、という意見の少なさに驚く(自分もその立場ではないが)。
国家の権限は個人が元々持っていた権限を譲った物に過ぎないと、国家は個人の「自然権」を超えた権力を持つことはできない、という「社会契約論」に基づけば、個人が国家からの独立を宣言すれば核武装は倫理的に認められる。核保有国が核武装しているのと同程度に。
現実には、核武装して逮捕される以前に個人核開発は無理だとしても。
むしろ、反核運動では、個人が理性的に振る舞わないかもしれないという理由で持つことを許されない危険で非人道的な核兵器は、国家も理性的に振る舞う保障も無いのだから持つことが許されない、という議論をしていた気がする。
例の事件に関する感想blogがいくつもあがっていて「殺すほどのことでも殺されるほどのことでもなかった」「理不尽すぎて納得できない」っていう声があって個人的には違和感はげしい。
いやいやいやいや。殺すし殺されるよ。「この程度の発言はたしかに君は傷つくかもしれんけれど殺すほどじゃないだろ?」って。それ決めるのは殺す決意をした側でしょ。どんな言葉が許せない弱点なのだか、エスパーじゃない人類には他人の内心はわからないんだよ。それでもなお「殺すほどの発言じゃなかった」と言い張りたいのならば、それは多数が少数の完成を多数決で封じ込めてるだけのことだよ。なにがいじめかといえばその構図がまさにいじめでしょう。
不倒城では「どんな人間も、「こういう発言があったから」という理由で殺傷されてはいけませんし、そんな必然性もありません。」っていうけれど、それって法の、もう少し言えば秩序の話だ。不倒城さんの記事は日ごろ楽しんで読んでるし、大好きだけど、この件で法の話をするのはいかにも筋が悪いし、不誠実だ。
まず第一に、死んだhagexさんが死んだ瞬間、秩序は助けてくれたのかといえば助けてくれてなかった。虚空から次元警察が現れてナイフを掴み止めてくれたかといえば否だ。ってことは「発言で殺傷されてはいけない」というのは、法側の出した空手形であって、結局言うだけ行って助けてくれなかったわけだ。「どんな発言をしても殺傷されませんよー」というのは事実じゃないし、それを盲信するとトイレで刺されて死ぬ。つまりそれを喧伝するのって不誠実だ。
第二に、先生側が(内面わからんけれど推察するに)苦しんでいたときに、秩序は別段先生を救済しなかったでしょ。このとき、先生が前
善だとか悪だとかは問題じゃないんだよ。とにかく、苦しんでいてある種の助けを望んでいたときに、社会と秩序は救済しなかった。そして先生は、社会と秩序から脱退することを選んだ。犯行後先生が自首したっていう事実から、殺傷行為がこの社会に於いて犯罪であってつまりは反秩序行為であることを先生は理解していた。そのうえで行為に及んだってのは、「この社会や秩序に見切りをつけた」ってことであって、つまりここでも秩序は力不足を露呈している。
秩序ってのは要するに僕らの都合だ。社会を形成する上で反社会的な行為が多発すると問題があるので抑圧してる形態が秩序だ。法はその規範だ。
別に俺は先生を擁護しているわけでもないし、犯罪を奨励しているわけではない。俺個人は殺人事件を起こさないように起こされないように生きているし、この社会の秩序に参加してて、秩序側の人間だ。でも、だからといって、自分の所属しているこの秩序を唯一のものだとか正義の体現だって言い張るつもりはない。参加者である俺達の都合にすぎないものを正義だの善だのっていうことばですり替えるのが不誠実だっていう主張がこの記事だ。
秩序が都合だ、という話は、法が社会契約だってのと一緒だ。法は、社会的な弱者を含めて万民に対して利益を提供していて、それを守る側が得だから参加してねというものだ。自由参加だと社会が崩壊しかねないので強制参加になっているけれど、その歪みが例えば少年法という形であらわれている。俺は日本国民として、自由意志で法の側に参加しているつもりなので(その決断なく惰性で秩序側にいるのはすごく怠惰で危険だと思っているので)、あたかもその参加が善であり正義であり、そこから外れるひとを悪だとするような論調は嫌いだ。そういう論は秩序とか法への参加意識を鈍らせると思うからだ。
だから一方で、俺達の運用しているこの秩序に心底絶望してしまった人が、そこから脱退を決意することは十分に有り得ると思う。強制参加だから脱退できないだろう? っていわれても、現実はご覧の通り。秩序のもたらすデメリットと逸脱のデメリットを比べても、それでもなお耐え難ければ、人はそこから離脱するしか無い。そんなの歴史見れば山ほど事例が転がってるでしょう。先生の件で言えば、今回の事件は、あれは先生なりの自力自己救済だった。秩序が救済してくれないなら自分でやるしか無い。
もちろんそれは、俺達の秩序側からすれば大変、筆舌に尽くしたがたいほど不都合だ。だから、否定するし弾圧もする。でもそこですり替えするのは不誠実だと思うんだよ。俺達の秩序はなるほど大人数で考えて洗練されてきたので、かなり良い出来だと思う。けれど、ミクロのレベルで完璧かっていったらそんな保証無い。冤罪事件で30年間投獄された人がいたとして、俺はその人に対して「俺達の秩序に参加したほうが君の人生はハッピーだよ」と胸を張って言うことはできない。
この世界は、無秩序なのが本来の姿で、気に入らないことを行ったやつや言ったやつは、すぐさま殺されて転がるのが自然な姿だよ。それだと困る多数派が自分たちの方を作ってグループ化したのが現在だけど、別段、それは神の定めた法じゃない(宗教ではそういうことにしてるみたいだけど)。そういう都合の問題を、普遍的な真実のように語る傲慢だけはやめてやれないものか。
嫌なら出てけ!って言われるだろうけどそんな義務ないし。
公共サービス一切受けず税払わず、って選択肢すら現状ないのが意味不明だわ。
社会の恩恵一切放棄して未開の地で自給自足しろ!って言われるだろうけど、誰の所有物でもなくルールもない土地なんてこの世に存在してないから事実上選択肢奪われてるという。
税払わず法律守らずで生きていけるの?とかツッコミされるだろうけどそういう問題ちゃう。
徴税って財産権の侵害だろ?社会システム的に合理的だからといって暴力的な収奪していい理由にならんだろ。
「アル中ツラい……苦しいだけなのに酒買うのをやめられない」って嘆き苦しんでる奴のとこ行って、「そういうお前が毎日酒を飲むのは非合理的だ。酒買えないように俺がお前の全財産持っといてやるわ。だからすぐ入院しとけや〜」なんてめちゃくちゃは通らんだろ。
お前がこうやって家でネットできてるのも税金で運営されてる国家のおかげだろ!とかツッコまれるだろうけど、そんなん俺が不本意ながら税金払って法律守ってシャバにいられてるの現状考えたら当然の対価だし。できることなら税金払いたくもねえし、法律守りたくもねえよ。
昨日の今日で、言い訳を会計検査院と考えてきたらしい太田。コイツとんでもないタヌキだね。殊勝な態度に騙されてはいけない。
29年8月作成の、「会計検査院検査報告原案への主な意見」という別の文書も入手していて、その中では金額が提示されていることを暴露。ちなみに最終的に国会に提出された報告書には金額の記載はなく、ゴミの総量だけしか記載されてないからね。これには太田も、やってないとは言えず、寺岡を通じて対応というの菅の会見への質問対応のことだと思う、と最後まで菅をかばう姿勢を見せた。その役人根性、いいね!菅の代わりに自分のクビを差し出そうっていうなら、どうぞクビで。
29年8月「会計検査院から報告書原案が財務省に示されており、それに関して理財局内で議論。金額について記載アリ」
29年9月7日「財務省と国交省が報告書原案について相談。金額を総量にすべきだとの提案。検査院には官邸マターだと言っても通用しないから、菅の秘書官・寺岡を通じて対応していく、と記載。」
29年11月22日「金額の記載が消え、ゴミの総量についてのみ試算結果を記載。」
会計検査院長、河戸もクビで。
川内さんは、頭が良く、結構キレキレなタイプだと思うけど、語り口は柔らかく、わかりやすく質疑しようという態度が好き。消費税増税の党方針に反して、公認資格を喪失して落選してたんだけど、復活してよかった。おめでとう。
それはともかく、会計検査院、終わってるわ。
「昨日の予算委員会で話題になった、9月7日の意見交換概要について(略)昨日の御答弁だと、太田理財局長は、お会いになったということは、覚えているよーと、いうことだったと理解していますが、その中において、8億円の値引きの根拠になった新たなゴミの量、新たなゴミの量について、金額で生々しく言われるより、ゴミの量で言われる方が、まだマシだねーと。いうような話をしたと、昨日の審議でお話があったわけですが、そのような事実があったのか、そして、その会合を受けて、ちょっと、金額じゃなくて、量にしてよ、と。その方が正確じゃん、と。理財局長から、あるいは財務省から会計検査院に対して要請をしたのかしなかったのかについてお答えください。」
「(昨日通告が来てなかったことをタラタラと言いつのり、急に聞かれたからああいう答えになったと言い訳したのち、)
そして今の川内委員のご質問ですが、9月7日に、ということであれば、基本的にそうだということであります。で、その頃何を話していたかというと、(蝦名とは初対面だったから顔合わせの意味で会った、これからの仕事の進め方について話しあった。)仕事なので、情報交換について、話をするのは当たり前の事だと思います。最終的に検査院にどう、という点については、検査に関わることなので、と検査院さんもお答えになると思いますので(昨日か今日か打ち合わせしたんだね^^クビでどうぞ)、私の方からどうこうは言えないのでありますが、いずれにせよ、検査院は独立した第三者機関であって、我々財務省として、こうしてくれ、と言えるようなものではなく、もちろん我々の主張をなるほどそうだと思っていただければ、そうなることはあるとは思いますが、基本的には検査院が独立の判断をして、どちらかといえば、我々の方が検査を受ける立場ということで、立場が下、下という表現もあれかもしれませんけれども、ということで、検査院はあくまで独立した第三者機関、誇りも持ってやっておられると思いますので、我々ももちろんそういうものだと思って検査を受けておりますので、そういう関係、前提の話であるということでございます。」
「その前提の話として、会合の結果として、検査院に対して金額じゃなくて、ゴミの量にしてよ、と要請をされたのかと。もちろんそれを取り入れるかは検査院が最終的に判断することなんでしょうけど、財務省としてそういう要請をしたのか、という事実確認をさせていただいております。」
「検査、先ほど申し上げましたのは、検査をうける過程において、いろんなことを言われ、それに対してお答えをしてるということを申し上げましたが、委員の今のご質問にお答えするのは、具体的に、検査について、どういうやりとりがあったのかお答えをせよ、ということではないかと思いますので、それは、検査院としても、我々は受ける立場でございますので、いよいよお答えをすることを差し控えたいと、いうことでございます。」
「検査院として、今回は国交と財務省ですが、検査の対象となる省庁からの事前の調整、あるいは要望・要請、というものを、検査報告を出す前にですね、会合をすることは当然にしてあるという理解でいいですか。」
「一般論として、検査報告は、検査対象の会計報告を非難しまして、その情報を国会等に報告するものでありますから、その内容につきましては、正確を期して、誤りのないようにすることが大変重要であります。このため、会計検査院では、不適切あるいは不正な経理等を発見した場合には、対象期間に対して、事実関係の確認あるいは、弁明の聴取等をいたしております。そして検査報告に掲記すべき内容につきましては、外部からの干渉を受けることなく、あくまでも会計検査院内部における慎重な審議のもと、最終的には検査官会議の決議を持って、最終的には技術的に掲記をしているところであります。」(事情聴取はするが、書く内容については、干渉を受けないというあったりまえのことしか言ってない)
「事前に検査対象と確認をすると、そういうことでいいわけですよね。」(これは質問の筋が良くない。事実関係の確認をすることと、報告書案を見せることは全く別。)
「事実関係の確認はされていると。では一点後確認したいのは、検査院としては、情報公開法にもあるように、検査内容とか検査の過程について、検査院として答えられないよーというのはそれはそれでよろしい、検査対象がこういうことを言いましたよーという事実関係を国会に答えることは構いませんよーという立場でよろしいかと、確認させてください。」
「検査対象と検査院との間の検査期間におけるやりとりに関するお尋ねであると理解しております。これは検査対象と検査院との討議、あるいは検査院内での討議に関わる審議検討、または討議に関するものであり、検査官会議の議決を受けていないいわば未成熟な情報でございます。このような検査対象機関と、検査院とのやりとりが公表された場合には、今後の検査に置きます、会計検査院と対象機関との、または、検査院内部での率直な意見交換を阻害する可能性があると考えております。また情報公開法の第5条第5号にも記載されております。さらにこのようなことによります、事実の確認が困難になり、厳正かつ正確な事実の把握に支障を及ぼす恐れがあると考えております。これは情報公開法第5条第6号にも記載されております。このような事情により、会計検査院としては、受検庁との詳細なやりとりの公開については差し控えさせておるところでございます。」
「(そうじゃなくて、財務省が要望したことを明らかにするのは検査院は関知しないよねと再度確認)」
「実質的に、受検庁の方から公表されますと、場合によってはこれは、あの内容次第だろうと思いますけども、内容によっては今後の検査にも支障を及ぼすと考えているところであります」=法的根拠はない
「内容を聞いてるんではなくて、事実関係を聞いているので、改めて財務省に答えていただきたい。いや先に検査院に聞きましょう。ゴミの金額じゃなくて量にして欲しいという要望があったかということに答えることは問題がある、そのあと、財務省に要望したのかという事実関係をお答えいただきたい」
第3局局長
「(さっきの答弁を繰り返す)」答える気ないなこれ。
「私どもは検査を受ける立場でございます。(略)検査の最終的な結果として、検査院さんの方での検査の結果になっているということでございます。それについて我々がこういう要望をしたということを、明らかにしますと、やはり、検査の結果、あるいは検査の内容について、いろんな議論を招く、あるいは今後の検査に支障をきたすというのは我々としては理解できますので、御答弁は差し控えさせていただきます。」(検査院の検査が歪められていたら検証不能ってことだね。クビでどうぞ。)
「(略)今回の検査は、国政調査権に基づいて、参議院が要請したもので、その中で、いろいろと不適切だという指摘がなされたものです。こレは、社会契約上の問題であって、今の理財局長、検査院第3局長、事務総局次長さんの御答弁を聞いておりますと、いろいろ理屈はおっしゃるけれども、子供達が聞いておったら、単に逃げてるとしか思えない、隠してるとしか思えないんですよ。この件に関しては、すべてを赤裸々に、お互いに語り合うことによって民主主義を前進させるケーススタディとして扱っていかなければ、国会もその役割を果たせないと思うんです。委員長、委員長として、私事実関係を聞いてるだけですから、財務省さんは検査院さんに対して、金額じゃなくてゴミの量でやってよ、と要望したんですかと、事実関係を確認しているのですから、財務省に答弁をするように促していただいて、それでも答弁を拒否するのか聞いてみたいんですけど。委員長お願いします。」
小里委員長
「今の川内議員の御指摘を踏まえて、可能な範囲で御答弁ください。」
「(基本的には委員のおっしゃる通りと言いながらダラダラダラダラ改ざん文書や交渉記録出しました、頑張ってますアピール。クビでどうぞ。)子供達の世代にも会計検査の仕組みが維持できるということが必要だと思っています。その意味でその、森友学園との関係において、不十分であった、これだけ不十分あことをやってきた我々理財局がいうのはおこがましいとは思いますが、これは会計検査のことであって、会計検査は会計検査として、今後子供達に引き継げるもの、として検査院はおっしゃっておられて、我々もそれを理解して、これを申し上げておりまして、委員にお答えできていない、委員長のご指示に従えていないという委員がお思いなのも理解しますけれども、今後、我々が、検査院に厳しくご指導いただけますように、会計検査がきちんと引き継がれますようにと、今の委員の話は、最終的な結果をご覧いただくということでご理解いただきたく存じます。」
会計検査がちゃんとやってないんじゃないのかという疑惑を向けられた時にいうセリフじゃねーよな。大体最終的な結果はお前らの要望通りになっとるし。クビでどうぞ。その後、海江田筆頭理事からの苦情等があり、理事会でこの件について答弁するかどうかについて議論することに。まぁ事実関係を答えただけだ、要望なんてするわけないっていえないっていうのは要望しとると判断しますわ、私は。クビでどうぞ。
宮本さんは、まず理財局にくだんの文書があったかの確認、航空局にはあるかの確認から。理財局にはないとの返答。当然だね、答えない、の次に、内容が事実ではないという防波堤があるものね。航空局は、担当者は私的メモを作ったような気がするから探してみる、との回答。多分こっちは出てきたら全然違うことが書いてあったりするんじゃねーのかな。この改ざん政権では。クビでどうぞ。
「太田さんは誠実な方だと思ってこれまで質問してきましたけど、認識を改めないといけないかなと思っております(後ろで宮本岳志が大きく頷くのウケるw)先ほどの川内委員の質疑で事実関係の確認をすることはあると言っていましたけど、この文書で話されているのは事実関係の確認じゃないですよね。額じゃなくてトンだ、トンにしようとか、試算額を複数関係書いて、いろんな試算の仕方があるように見せようだとか、これは事実関係について書いてあるんじゃなくて、これは問題の追及を逃れるために、書きぶりを変えて欲しいという圧力をかけるための相談だったんじゃないんですか」
太田(苦しそう)
「あのー、お、昨日も御答弁したような、気もしますが、あのー、私はその紙について、見たこともなければ、聞いたこともない、小池議員と宮本岳志議員が質問される中においてお聞きしただけであります。えー。その中において、お互いが会計検査院の検査を受ける身でありますので、その場で、先ほども申し上げましたように、お互い正直に言って、お互い知らない仲でございましたので、その顔合わせてよく知るという中で、会計検査院のこともあったかもしれません。しかし今おっしゃったように、会計検査院の書きぶりに、内容について、我々が云々できないのは、それはご案内の通りでございます(だから菅を通じてやってもらったんじゃないのー。その建前なのにあんたらの要望通りの結果になってるから驚愕したんだこちとら)。基本的に、第三者機関として、我々は、事実関係について質問、事実関係について、きちんとご説明する、その結果として、最終的に、慎重な判断を欠いているというご指摘でございますので、我々の説明が十分にご理解いただけなかった、逆に言うと認めていただけなかったということでございます。」
「内容を見ますとね、顔合わせのようなことは何にも書いてないですよね。書いてるのは、会計検査院の報告書への対応と、国会への対応だけですよ。先ほど、内容について左右する立場じゃないとおっしゃったけども、書いてある内容が、左右するための話し合いになってるから、私たちは問題にしてるわけですよ(とおるー!かっこいいぞー!)。(略)」
この後太田は、見たこともない文書の内容が一言一句正しいという前提で質問されても困ると予防線を張る。クビでどうぞ。またデメリット発言についても言い訳を言い募る。あのさー知らない、虚偽だっていうなら余計な予防線張るなよ。クビでどうぞ。
29年2月9日の朝日の報道を受けて、マスコミの対応状況を籠池さんに問い合わせた2月13日の記録を、宮本岳志議員が、今年の3月に、提出を要求したものはタイトルが、応接記録、となっているのだけど、宮本徹議員が、豊中小学校事案に関わる応接記録という名前で、もっと詳しい内容が書かれた文書を入手したと質問している。昨日のと合わせて考えると、理財局の内部、または元局員あたりが共産党にリークしてるっぽいんで、誤った対応をするとどんどん続報が来そうな展開。
「応接概要
独自に入手したものは、本日森友学園の取材対応について確認した、となってる。報告、確認だいぶニュアンス違うのかなと思います。そのあと、取材している12社についての記述、これは同じです。このあとが全然違うんです。
お手元にあるものは、
本日、〇〇弁護士同席で、対応。どういう運営方針で子供を育てるのかについて聞かれたので、きちんとした子供を育てる、これが重要と回答した。
これで終わってます。私が入手したものは、このあと当方と相手方でやりとりがずーっと続いてます。
続きはトラバで
人間ってさ、1人で生きていける訳じゃないから徒党を組んで社会や家庭という単位で助け合って暮らすんだと、高校生の頃に倫理か何かの授業で習った覚えがある。社会契約論?人間は考える葦である?満足な豚より不満足な人間がいい?みたいな。詳しくないからよく分からんけど、それはそれで筋の通った理屈だとは思う。
中二病を引きずってるみたいで恥ずかしいけど、自分は割と他人に対して淡白で、1人で放って置かれたら1人遊びで結構暇を潰せるタイプだし、そりゃ人恋しい時もあるから、そういう時は誰彼か飲みに誘うような人間関係もあるから、酒でも飲みに出かける。ただ、基本的には他人が何しようが他人の勝手だと思ってるし、その代わり、自分のことは大筋で放って置いて欲しいタイプだ。
だからかもしれないが、自分の垣根を超えて干渉してきたり意志を向けてくる人間が理解できなくて、すごくストレスに感じる。満員電車なんか、他人だらけの空間で、マナー良くしようとはするけど、態度の悪い人がいたりすると、それを見ただけでストレスだ。
最初の話に戻って、人間は社会的な生き物だって話なんだけど、じゃあなんでおれはこんなに他人に対してストレスを感じるのかな、と思う。他人と暮らさざるえないなら、こう、脳の作り的に、他人と接した時にストレスを感じるよりは、快を感じる方が理にかなって要るような気がするんだよな。
人によるけど、他人と話したり行動したりすることにあまり快楽を感じないから、なおさらなんでなんだろう、とそう思う。実際、人間は他人とソリが合わなくて争ってる事の方が大半だし。それよりか、意見の違う他人といても超楽しい、って感じる脳の仕組みだった方が生きやすいのにね。
NEVADAちゃん2世事件を受けて、はてブ界隈では「なぜ人を殺してはいけないのか」議論が少しだけ盛り上がりを見せている。
http://www.open.sh/entry/20140728/1406552151 とか http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2014/07/29/092214 とかがホッテントリ入りしてるし。
だけども、そんなのは大昔から議論されてきたわけで、ホッブズの「万人の万人に対する闘争」とか「リヴァイアサン」とか「社会契約法」なんてのは中学や高校の社会の教科書の最初に載ってる。
中絶はよくない。まだ生まれてなくとも立派な命であり、まともな人間ならそんなことできない。
昔はこう思ってた。
だって世の中は苦しいことだらけだし、生きていくということはキツイものだ。
子供が幸せになってくれる保障なんてない。この苦しい世の中に生まれる前に、意識もない中、考えることもなく、合法的に殺されるのは幸せ。
自分が彼女を、そして子供を幸せにしていくなんてのは綺麗事だ。
自分に自信がないだけ、命をかけてでも幸せにしてやるっていう気概がないから逃げてるだけなんじゃないかと思われるかもしれない。
そうではない。自分が死ぬほど頑張れば子供が幸せになってくれるなら、何十人でも子供を持ってやる。
しかし、人間一人の幸せは周りのたった一人のによって左右されるものでもない。もっと複雑でそんな単純な道理ではない。
最近は子供を産む人は自分が幸せになりたいだけなんじゃないか、と思ってる。
彼女が居れば心安らぎ、幸せ。子供を持てば、かわいいから幸せ。
もう少し歩みを進めると、なんで人を殺しちゃいけないのかという根底も疑わしい。
殺人が禁止されているのはこれまで社会契約論として、単純に言えば自分がやられたくないことはやらないっていうことだと思ってた。
けどここのところ見知らぬ人に急に刺されたら、それはそれで幸せなんじゃないかと考えてる。
自殺したら親が悲しむ。ぼんやりとだけど、自分は親に感謝している。親より先に自ら死ぬつもりはない。悲しませたくないから。
なんで苦しくても生きて行かなくてはいけないのか、その自分の中の答えはそれだけ。
けど他人に急に殺されたら、あるいは事故で死んでしまったら、それはそれで親に納得してもらえるんじゃないか。
もちろんこれでも親は悲しむけど、自殺よりはダメージが少ないはず。だから急に死んじゃうのはいいこと。
こんな考え方で、この先どんな人生が待ってるんだろう。
殺されるのは幸せなことと思い込んで、他人様に迷惑をかけたりしないだろうか。
これだけじゃないけど、結局のところ僕は人生が怖いしこの先どうなるのか不安だ。
だから今日もタバコも吸い、毎日カップラーメンを食べ、ガレのある山に行き、バイクに乗り、少しでも事故死の可能性も向上させることを怠らない。
親が死んだら死のう。