「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい
https://note.com/fromdusktildawn/n/n0781ea1ca467
なる記事を読んで少し思うところがあったので、メモしておこうと思う。
大学時代、もう10年以上前になるが、幼児教育で修士号を取得し、保育園で働くという異彩を放つ友人と二人で酒を飲んだことがある。
なんの話をしていたか忘れたが、その際、その友人が「なぜ人を殺してはいけないのか、子供たちに説明ができないじゃないか。」と言ったことを覚えている。
とかく人は「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対して、道徳だとか、哲学だとかに答えを求めがちだが、少し現実をみて、「人を殺しても良い世界」を想像してみたらどうだろうか。
罪なくそのようなことが許される世界であったなら、私は家の扉の外には出ないし、家族も作らないだろう。
自分に少しでも不都合であったり、不愉快である人間は、殺してしまえば全て問題が解決してしまう。
そんな世界に一歩でも足を踏み出すと、いつもふとしたことで殺されるリスクがあるからだ。
そう、「人を殺してはいけない」は社会、いや、主観的な判断では”SOCIETY”が最も意味としては近いと感じる、を成立させるのに”必要条件”なのだ。
ユヴァル・ノア・ハラリの著書によると、人類発展の大きな理由の一つがこの”SOCIETY”の形成だったと書いている。
とかく利口と言われるチンパンジーにおいても、そのグループ構成は多くて100頭程度。他の動物も同程度だろう。グループ間のコミュニケーションネットワークも限られている。
一方、人類は国家でいうと10億人規模のコミュティ形成。会社においても数万規模のコミュニティが形成でき、そのネットワークはチンパンジーのようなアフリカの一地域限定ではなく、世界中、いや、宇宙にまで広がっている。
言わずもがな、コミュニティはコミュニケーションによって成立し、相互の信頼も必要となってくる。「嘘をつかない」、「話や言語が通じる」、「互いの利益を考える」等、信頼を獲得するのに必要な条件は多くあるが、最低条件が「私を殺さない」ではないだろうか。
だから、もし「なぜ人を殺してはいけないのか。」と人に聞かれることがあれば、私は即座に、「社会が成立しなくなるからだよ。」と答えるだろう。
ついで聞かれる質問はおそらく「社会に必要ない人は殺してもいいのでは?」であったり、「死刑はいいの?」とかだろう。
結論から言うと、私は「社会に必要ない人と判断された人」=「死刑となった人」と考えている。
「社会に必要ない人は殺してもいいのでは?」と言う問いに対しては、「そうだろう。だが、殺していい人は厳密に決める必要がある。」と考える。
誰もが主観で「社会に必要ない人だから殺そう」と実行していては、客観的にみて誤った判断による殺人が発生し、やはりコミュニティ形成に問題が発生する。
ルールが必要だ。人間のコミュニティはその規模が大きくなるにつれ、約束事から掟、そして法律とルールを形成していった。
「社会に必要ない人は殺してもいいのでは?」という判断をするのが、日本で言うところの刑法なのだろう。
もっとグループが小さい、例えば国家形成前のTRIBEであったり、VILLAGE規模であれば、殺人については知見者(長老とか?)の判断により、その殺人の是非が決められただろう。だがそれは各々がお互いをよく知っているような小規模集団だから成立していたものであって、国家規模の、知らない人間が大多数のグループでは成立しない。
そう考えると自然と「人を殺してはいけない」ことがわかってくる。
一部、「特権階級は人を殺しても良い」という社会。例えば現状のタリバン政権等が挙げられるが、いずれも後進国であり、そのルールによって、社会の発展を妨げ、結果、国の発展が滞っている。
「人を殺してはいけない」はSOCIETY(家族、親戚、集団、会社、社会、政府、国等)の発展には基本的に必要不可欠な、最低限の決まりごとなのだ。
友人に対しては、酒を飲みながら、上記のようなことを滔々と語った記憶がある(無論、その頃ユヴァル・ノア・ハラリは本を書いていなかっただろうが)。その時の友人の反応をあまり覚えていないが、この答えに対する反論はなかったと記憶している。
あの友人は今、子供の人格形成に大きな影響をもたらすであろう、幼稚園教育に力を注いでいると思う。
どんな教育をしているのか、今度聞いてみよう。
足りない頭でつらつらと書いた本投稿に、いろいろとコメントを書いてくれた人たちにまずはお礼と感謝を。
まず、最初に。小生、正直哲学は全然履修していないし、もうちょっと言うとニーチェなんててんで興味がない。
最初にニーチェの記事を引用したのは「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマを聞いて本稿に書いた友人との問答を思い出したためである(友人はニーチェとか好きそうだけど)。
哲学は…なんというか主観的なんだよね。「まあ、そう言う解釈もあるよね」で終わってしまいそうな問答がいつも並べられている印象。
コメントとかで気になった内容については以下に私見を書いていく。
まず、”社会”より”SOCIETY”が感覚的に近く感じた理由は
一方で
”社会”はもっと大多数の人間で構成されるイメージがあるから。とっても主観的だから、以下は”社会”でまとめる。
君が住んでいる家、来ている服、食べている食べ物は全て”社会”の産物である。
「社会を必要としない人」なんてものが存在するのであれば、どこか孤島で、自給自足で孤独に生きる人になるだろうから、自然と殺人は発生しないかも。
哲学を語っていたわけではなく、社会の必然性を語っていたつもり。
そこに権力が集中している場所(権限が大きい?)はあるかもしれないけれど、それも社会の構成要素の一つ。
だから、「社会を維持するために社会の権力に逆らってはいけない」とか、強制されて行うものではなく自発的に「社会を維持するために人を殺してはいけない」と考えるべきではないかと思う。
また、社会を維持したり、大きくすることは、その社会を存続させることに必要不可欠なことで、いわゆる生物が子孫を残すことと同様なのではないだろうか。
「なぜ人が殺し合わないように進化・発展してきたか」と「なぜ人を殺してはいけないか」は別の話ではないような。
「人が殺しあわないように進化・発展してきた」(すくなくとも自然淘汰されない程度に)からこそ、現在の社会があり、その社会の維持のために「人を殺してはいけない」というルールが維持されていると考えている。
「なぜ社会を成立させなくてはいけないのか」は別に当為の話ではないと思う。
「社会を成立させ続ける」という社会目的があって、初めて社会は存続してる。それがなくては社会は成立し続けない。だから「社会を成立させ続ける」は我々人間が営みを続ける上で、必要条件なのかと。
そう考えると、「人を殺してはいけない」は社会存続のための必須ミームなのかもしれない。
「人を殺してはいけない」という基本概念は「社会の維持」にとっては必須であり、いうなれば、生きる上で必須の事項なんじゃないかな?
ここまで書いて、ふと、確かに死にたい人間や、破滅を望む人間には「人を殺してはいけない」なんて概念は通用しないと感じちゃった。
そういう人は社会性の欠如から考えると、普通の人より、もっと野蛮で野生的…?、粗野な人種なのかな。
こういうのって「社会がなぜ人殺しを禁止しているのか」と「個人がなぜ殺人をするべきでないのか(殺人してもよいのはどういう条件を満たしたときか)」みたいなのを混同して語ってる...
その手の「ルールがあるのはなぜですか? それは社会を維持するのに必要だから」 という答えはさ 妥当なようで、実は全くぜい弱な理論だ。 なぜサービス残業があるのですか?...
大抵の野生動物は無意味な同族殺しをしないので、人間だってわざわざルールで定めなくても社会が成り立たなくなるほど殺し合うわけないんだよなあ。 「万人の万人に対する闘争」は...
❌社会が成立しなくなる ⭕そういう関係性の結果が社会
anond:20211107232054 裁判所も法律に照らして罰則や罰金を決定しているだけで善悪の決定なんてしてない 裁判官は神様じゃないからそんなことは不可能
アリとかハチなんかは社会性昆虫で、巨大なコミュニティーを築く。それに成功するのは勿論、仲間をいたずらに殺さず、助け合い子を養育するからだ。だが、社会性昆虫には「なぜ仲...
だから社会構成要素の「人を殺してはならない」も後天的に口承という形で学習する。 いや、それがウソなんでしょ。 たまにエラーで人を殺しちゃう個体もいるが、基本的には人間も...
その場で反撃されるのが怖いし 死刑や長期懲役刑になるのが怖いからしない人が多数派なんだろ 本能じゃない事はアウシュビッツや日本軍が証明している
戦場ですら敵を目の前にして銃を撃てる人間は少数派なんだよ。 訓練や事務作業化で本能に反する行動を取ることももちろんできるけどね。
撃てと命令されてないのに撃ったら銃殺だよ
撃てと命令されてもなかなか撃てない、という話なんだが、遭遇戦とか直前に「撃て」と言われてなくても撃っていい場面はいくらでもあるよなあ。
それは本能で出来ないんでなくて能力の問題だろ 訓練でも頭真っ白なって立ち尽くしてる人いたよ
なんとか否定しようとして謎の理屈を捻り出したって感じ
反例になってないだろそれ。
これよく言われるけど、本当にそうなんだろうか。 今の日本人って、銃のことよく知らないから、撃てって言われたらバンバン撃ちそう。
うっそだあ 銃を気軽に所有できる国は乱射事件が起きまくってる
あんまり答えになってなくない?
『戦争における「人殺し」の心理学』参照。
それ嘘です 部外に公開されている情報はミスリードだと思ったほうが良い
まぁそれは知ったうえで、それって今の日本人にもあてはまんの?ってのが俺の問いなわけで。
言うて「今からこの死刑囚を処刑しろ」って命令されたらおまえも嫌がるやろ。
ボタン押すだけなら別になんとも思わんやで
サイコパスだ!
ノーリスクならみんな喜んでボタンを押すのが残虐非道日本人の全員だし 8月15日にアメリカと本土決戦だと言ったら主戦派を拳銃自決させて無条件降伏する奴が日本人の全員 自分がリス...
まぁ死刑は確実に相手を死に至らしめることがわかってるから躊躇するだろうけど、 銃だと、まぁ撃ってもあたらんだろうし、あたっても死ぬまでいかないだろ、って思ってバーンって...
銃にそんなイメージもってるやついるか? むしろ実際の威力や命中率よりも過大評価してる日本人の方が多そう。
それは一考の余地があるな。 『戦争における「人殺し」の心理学』作者のグロスマンは、アメリカは暴力的コンテンツや銃文化が普及しすぎたせいで暴力事件が増加したと主張してる。 ...
意味不明だな 軍人が制服を着て原爆や焼夷弾を落として殺してる数のほうが多いだろうに 法律の枠内だから原爆で10万人殺したら英雄だと誤魔化しているだけだろ タバコやアルコールは...
殺人もまた社会構成要素の一つのようにも思える。人類戦争ばかりしているし。
人を殺してはいけないわけじゃなくね? 人を殺したら社会的な罰則があるだけで ダメだとは決まってない気がする。
みんな殺されるのが嫌だから禁止してるだけ なんでも決闘で解決するようなモノノフな社会なら殺人は禁止されない
なぜ人を殺してはいけないのかなんて馬鹿な疑問中学生のうちに卒業しとけよ
特定の単語だけ流暢な英語で発音するキャラかよ、気持ち悪いな
「なぜ人を殺してはいけないのか」なんて、「社会を安定化させるためのルール」でしかないしそんなの明らかなのに何か哲学的で深淵な問いであるかのように議論を始める(増田みた...