はてなキーワード: 番手とは
さぁ第3回非モテダービー、ゲート開いてスタートが切られました!
KKOもまずまずのスタートを切ってさぁ正面スタンド前を通っての先行争い
そして腐女子が2番手、外を通りまして自己肯定感無し男、内を通って女を宛がえ男と年齢=彼女いない歴も前から、そして現在前から6番手ゼッケン8番のKKOが行っています
1コーナーのカーブに入っていきましたが陰キャキモオタが大逃げをまたまた打ちます
ご覧のような距離がついて陰キャキモオタが現在先頭逃げています
13番の年齢=彼女いない歴、その後ろちょっとここも間があいています、10番の腐女子が行っています、南関東大井の腐女子
そしてその後ろには12番の自己肯定感無し男、そしてKKOがおります
現在1200の標識通過して58秒台、まずまず早いペースで陰キャキモオタが飛ばしている、その後ろに女を宛がえ男!
さぁしかしこの場内のどよめきは陰キャキモオタのとにかく逃げ!
何馬身開いているかとても実況では今の段階ではわからないぐらい大きく大きく差を付けて逃げていっています!
さぁ早くも陰キャキモオタだけが4コーナーのカーブに入ってきました
先頭陰キャキモオタ、そして年齢=彼女いない歴が伸びる!腐女子、その外を通ってKKOはとどかないか?KKOこれはもう無理!
11番の陰キャキモオタ!見事に決めたぞ逃亡者陰キャキモオタ!
グレードⅢを見事2戦続けて逃げ切りました!
昔の私は小学生のときに手紙を書くピークを迎えて、中学生~20代前半までは手紙との接点が少ない生活だった。
最近は文通も始めて、今現在人生でもっともたくさん、頻繁に手紙を書いている
アニメ漫画好きなオタクだったからそういうオタクグッズがたくさんあり、ポストカードや同人便箋を処分してしまった
あのとき処分をしていた私にはポストカードやら同人便箋やらの使い道が思い浮かばなかった
しかし、今の私なら、今までの人生で一番手紙を書いている今の私ならあのポストカードや同人便箋たちを使えたかもしれないのに
同人便箋OKな文通相手を探しだして文通とかやってたり、オリジナルキャラの同人便箋とかならファンレターに使ったりだとか
色々と使えてたかもしれないのに
本来与えられた役目を果たせずゴミ箱行きになったものたちの無念さを考えると悲しい本当に
あぁぁ……
今の私は知り合いに手紙出すしファンレターたくさん書くし文通もやってるし
今の私ならあの同人便箋たちに本来の役割を果たさせることができたかもしれないのに
実家から見つかった子供のときに買ったレターセットを今ほそぼそと使ってる(もちろん目上の人には使ってないよ。)
小学生のときの自分がわくわくしながら買ったときの思いを大人の私が昇華しているようで、役目を果たしている昔のレターセットを見ていると気持ちがいいんだよね。自己満足だけど
なんていうか、トイ・ストーリーで子供が昔買ったおもちゃを成長するともう必要としなくなるみたいな切ないシーンあるけど
(一時保存できるかと思って登録ボタン押したら投稿されてしまった。やり直しだけど許してください。匿名ダイアリーよくわからん)
一言でまとめると:
だけの文章です。
これを見た人の貴重な時間を無駄にしたくもないですし、暇な方、現実逃避したい方、他人の不幸が好きな方、タイトルに同族嫌悪を感じた方、高学歴ブスが性癖の方以外は読まないことをお勧めします。ちなみに、私は12時間後に締切が迫っている仕事(持ち帰り無給残業)からの現実逃避で書いています。
あと💩トラバはもう飽きた。
スペック:
30歳女
東大の理系博士卒(学科や専攻は伏せるけど、一応全部ストレート)
すんげー不細工
ブスについて(嘆き):
まずは、どのくらいブスかと言うところから説明しておく。この前提を言わない限り、以降のエピソードがイメージし難くなるだろうから。
小学校か中学校の頃の同級生を思い浮かべてほしい。1人くらい、孤立していて、男子からも女子からもなんとなく嫌われていて、見た目も挙動も不審なクラスメイトが居なかっただろうか。そいつが私だ。
目つきがおかしく、滑舌が悪く、コミュニケーションに難がある。鶏が先か卵が先かわからないが、顔の造形も醜かった。目がほぼ見えないくらい細く、前歯が飛び出し過ぎていたため唇は閉じられない。鼻は潰れ、鼻の穴だけが哀れなほど前を向いていた。あとからわかった事だが、先天的な眼瞼下垂と軽度の顎変形症に該当していた。
これまでの人生:
地方都市に住む、世帯平均収入を3割ほど下回る両親の下に生まれた。父はモラハラDV、母はメンヘラ、私はブス人外。
小〜中時代は、とにかく男子に虐められていた。聞こえよがしの悪口、唾を吐きかけられる、石とかドングリとか投げられる。今思うとドングリ投げるとか可愛いね。女子からは芸人枠に指定されていた。芸人を目指そうなんて全く思わなかったが、需要に合わせておもしろキャラを演じていた。そこそこウケていたと思う。
テストは全教科常に満点だったが、学校生活の態度を加味したらしい成績はよろしくなく、期末の成績はいつも中の下くらいだった。なぜか担任の教師にはいつも嫌われていたようだった。それで自分は勉強も苦手なんだと思っていたが、中3の模試の成績がよかったのをきっかけに、地元の進学校を目指すことになり、受かった。喜ぶ両親を前に、私にも多少は優れた点があるんだと、15年生きて初めて嬉しくなった。
高校は県内3番手の公立進学校だった。自転車で通える範囲で一番偏差値が高かったというだけの理由で選んだ。
ここでも、私はブスだった。クラスの7割を占める男子からずっと嫌われ無視されていた。気持ち悪い、と聞こえよがしに言われた経験も数知れない。女子はいくらか大人だったので、芸人枠からは降りられた。それでも仲良くはなれず、基本的にぼっちだった。テスト前だけノート貸出希望者が大量発生した。レンタル料でも取れば良かった。
そのまま3年間ずっとガリ勉していたら、東大に受かった。天才でも秀才でもない、ただのガリ勉女だ。そのくせ「東大生」になればキラキラ(笑)したキャンパスライフ(笑)が待っていると思い上がり、両親を説得して上京させてもらった。貧乏な実家から東京に娘を送り出すのはとんでもなく大変だったらしい。ギリギリまで、地元で進学して公務員になってくれないかと泣かれた。キラキラ(笑)妄想のために、今思うと親不孝なことをした。
18歳で、人生初の東京へ出て、人生初の一人暮らしをして、この先のキラキラ(笑)した大学生活に胸を躍らせていた。実際には、そんな非現実的な夢は入学10日で吹っ飛んだが。当然のことだか、現実直視できない情弱のブス女には、地獄の3年11.5ヶ月が待ち受けていただけだ。
なんか思い出すのも疲れてきたわ。こんな人生に誰も興味ないと思うが、万一反応があったら続き書くかも。この先もさらなる地獄しかないけど。
古くは、はてなダイアリーにスターを投げ合う習慣もそうだった。
今だと、noteとか、ココナラの商品のお気に入りとか、公式にもやめろと通知を出した(←どっちだっけ?→)、Entyのフォローとか
ゆーて、自分もフォロワー増やしたいツイッターアカウントでいいね押しまくってたわ。
バラエティでお笑い芸人が食らってるビリビリでいいから、いいね押すたびに流れるように埋め込み手術しないと、
ついついやってしまうし、少しでも足しになれば、と新規参入者が後を絶たない。
といっても、嘘でもいいねとかフォローとかあったら嬉しいので、結局は現状がユートピアなのかもしれない
いいねで名誉棄損に当たるかとかクソどうでもいい判例が固まるまでは、いいねとわるいねとなんとなくねボタンを実装しておくといいかもしれない
より具体的には「とりあえず押しとけばこっちを見に来てくれてなんか共感したりしてくれるかもしれないから、一番手っ取り早くこいつを押すね」ボタンの実装
こう言う長文を書くときは結論とかどう言う話なのかを先に書いておくといいとどこかで学んだので先に記載しておきますが、
これは「何かに認められたいのに自分が自分を認められないせいでどうにもできなくなった絵描きの独り言」です。
途轍もない自己承認欲求と自己肯定感のなさがバグを起こしてオールウェイズ三丁目の躁鬱病持ちとなりました。
最初にこれまで生きてきた話をダラダラ書くのでここは読まなくてもいいです。
自分は人の少ない田舎で育ったので、一度いじめられたら進学エスカレーターから外れない限り
ずっといじめられっ子の枠に収まっているような、そんな社会の中の、どこにでもいる隠キャいじめられっ子でした。
母方に絵を描く人がいて、母もその兄弟も絵を描くのが好きでよく描いていました。血筋なんでしょうか、偶然私も絵を描くのが好きでした。
中途半端に手先が器用で平均くらいはできたものだから、中途半端に絵は描けました。
田舎の、学年に20人も人がいないクラスの中では一番手先が器用でした。
しかし私はいじめられっ子でした。保育園の頃からの筋金入りのプロです。すごいでしょう。
20人も居ない教室では私以外の全員が敵か傍観者であり、もちろん私のことを認めてくれる人なんて居なかったし
私が絵を描けばランドセルを漁られ、狭い校内のどこかに貼り出され馬鹿にされたものでした。
周りのクラスメイトが怖いから、昼休みも一人で教室で絵を描いていました。
当時の私は、自分が描く絵が好きでした。
誰も私を認めてくれるようなことはありませんでした。
今でも自分のこと、「カスなので」とか「ボンクラだから」と口癖のように卑下してしまうんですが、
もう少し違う人生を歩んでいたらこんなことになってしまうことも無かったのでしょうか。
私自身の自己肯定感の無さはおそらく幼少期から10年以上に及ぶいじめの影響も少しあるのかなと思います。
とにかく私は何かに認めて欲しかったんだと思います。それは今もです。
私を認めて欲しい、今ある私が幸せなのだと、過去の自分とは違うのだと認めて、認めさせて欲しい。
絵が上手くなりたくて、
認めて欲しくて二次創作をした。
同人誌も出した。
そうして一次創作をはじめました。
いろんなものにしがみつきながら、何年も絵を描いていて、ようやく気づきました。
ああ、絵、言うほどうまくないじゃん。と。
それでも絵を描くのはやめられませんでした。
絵を描くのが好きだったから。
そんな感情だけで絵を描いていたいのに、どうしても承認欲求が出てきてしまって、
何かに勝たなきゃいけない、あの時いじめてきた人間たちより優れていると、そうであると思いたかった。
そう言う気持ちがどこかにいつもあるから、滲み出してしまって、人を寄り付かせなくさせるのかもしれないですね。
もちろん有難いことに褒めてもらえることも度々ありました。ただ、
認められることのなかった人生を歩んできて、私を褒める言葉をまっすぐに受け取ることができないんですよね。
自分が褒められてると感じることができない。この絵は私が描いたんじゃない。描いた記憶がない。
もうぐちゃぐちゃです。自分を認めてあげたいのに。
折角褒めてくれた人に心からありがとうって伝えたいのに伝えられないのが何よりも申し訳ない。
もうちょっと楽になりたいだけなんです。
楽に生きたい。楽しく絵を描いていたい。
評価なんて気にせずに、楽しく。
実際いい絵を描くために必要なのは「楽しんで描くこと」が一番大きいんじゃないかと、
勉強することも大事ですが、一番はやっぱ楽しくなくちゃいけないんじゃないかなと、
少なくとも私自身に必要なのはそこだと思ってるんです。けど、それが一番私から遠いところにあって
どうしようもないんです。
描くたびに辛い。周りの人のデッサンが多少狂った絵も、味だとか個性だとか、そう言うものがカバーして
いいものに見えるのに、自分の絵だけはなんの面白みもない平凡な、しかもちょっと下手な絵でしかない。
こんなに苦しい思いをするなら絵を描くのをやめちゃえば一番楽なのに、
でもペンを握った瞬間「描かなければ」と言う義務感に変わってしまう。
あ〜〜〜〜あ! いじめられなかった世界があれば、そこからもう一度やり直してみたい。
楽になりたい。
どこかで見かけた話ですが、
「こんな…少しばかり絵が描けたばっかりに…!」
これ、首がもげるほど頷きました。
こんな苦しさといつまでも一緒にいないといけないなら、いっそ
絵なんて描けない方が良かった。
とりあえず書き殴って満足しました。
選択肢が多いというのは、天井が高いことであり、フェアなマッチングが起きやすいことであり、自分らしくいられることであり、やり直しがきくことだ。
例えば飯で言えば地方のNo.1の名店みたいなレベルの店が近所に3~4店舗あって、さらにその上の地方にはないランクの店もある。それがあらゆるジャンルである。イタリアンもフレンチも鮨も焼き鳥も割烹も焼き肉もタイもベトナムもスイーツもあらゆるジャンルでそうなる。食べたい時に食べたいレベルの食べたいものが食べれる。(ただし残念ながら固定費が大きく地のものも貧弱なので、概ね安い飯は地方よりまずい)
仕事だと地方のトップ企業が10段階のレベル7で、二番手企業がレベル5だとする。地方だとどんなに優秀でレベル10の能力があってもレベル7の会社でしか働けないし、なんかのミスや事情でレベル7の企業が無理だとレベル5の企業で働くしかない。でも東京には10の会社が無数にあり、それがダメでも9の会社が無数にある。自分にあった業界の、自分にあった会社で働ける可能性が高まる。
異性も友人もあらゆるレベルのあらゆる嗜好を持った人がいる。ニッチなアイドルだろうがスポーツだろうがそれを好きな人がたくさんいて自分に近しい人とつながれる。一つのコミュニティで万一やらかしても他のコミュニティでやっていける。恋愛や結婚の相手だって無限の選択肢がある。
一方でその選択肢の多さこそが東京で生まれやすい不幸の源泉でもある。いつまでも上と自分を比べて苦しんだり、人との関係性を築くことよりも相手を選ぶことに囚われたり、一つ一つの機会を大切にしなくなったりしがち。
増田は29歳の独身女性。営業マンであった。出世街道まっしぐらと言うには今ひとつパッとせず、営業成績もいつだって二番手止まり。
焦燥感ばかり募り、空回りを繰り返す。そんな時期に直面していた。
デートをドタキャンされたある週末、昼間から1人缶チューハイを開け、増田ははてな匿名ダイアリーを巡回した。下ネタ、政治、男女論、いつも通りのくだらないエントリが並んでいる。この間の釣りエントリはまだホッテントリに登っていない。ああつまらないな。そんなことを考える増田の目にある文字列が飛び込んだ。
「おっさんの皮」
真っ白なバナーに地味なフォントでポツンとそう書かれた広告は、いつもみる洋服のセールやソシャゲの広告とは違っていた。
気になった増田は広告をクリックした。古臭いhtml形式のホームページには、スーツ姿の3人のおじさんの写真が並んでいた。下には2万円、と価格らしきものが書かれている。
4、50代だろうか?3人とも違った顔立ちをしているが、どれも似たような印象のおじさんだ。冴えない、少し脂っぽい、髪の薄くなりかけた、どこにでもいそうな普通のおじさん。
一番左のおじさんは、高校の頃の数学教師に少し似ていた。似たり寄ったりのおじさんの中から、わずかな親しみを感じられる1人を見つけた増田は、青い字で表示された2万円、をクリックした。
「おっさんの皮。48歳、73kg、173cm。老眼あり。眼鏡付属。」さっきと同じおじさんの写真の隣には、短くそう記されていた。後は、「戻る」「カートに入れる」があるのみだった。
不思議なサイトに好奇心をかられた増田は、ほかのおじさんのページも覗いた。身長体重は異なるものの、説明文は似たりよったりだ。
初めのおじさんのページに戻って、写真をまじまじと眺める。平凡でつまらないおじさんだ。良く見ると色々な人に似て見える。取引先の川上さんにも、政治家の武川にも。親戚にこんな人がいたような気にもなる。増田は、カートのアイコンにカーソルを重ねて考える。
2万円、それはちょうど今日の増田が彼氏の誕生日を祝うために予約していたコース料理の値段と同じだった。記念日にドタキャンなんて、もう別れどきということだろうか。心の底で澱が渦巻く。
酔っていたせいか、それともドタキャンされた腹いせか、増田は「おっさんの皮」をカートに入れ、レジに進んだ。Amaz○n IDでの決済が可能らしい。どういうことなのだろう……強く回り出した酔いに身を委ねながら、増田は考えようとした。が、暫くして暗い部屋に増田の寝息がスースーと聞こえた。
ーーー
「おっさんの皮」が届いたのは、増田がすっかり忘れ去った頃、一月もしてからのことだった。増田が、興味半分疑い半分で、その変に軽い段ボールを開けると、そこにはおっさんの皮があった。
ああ、そういうことか。
ひと目見て理解した増田は、試しに皮をまとってみた。浴室の鏡の前に立つ。そこにはあのおっさんがいた。増田より10センチも高く、20キロ近く重いおっさんが。白目は黄色がかり、眉はひょろりひょろりと伸びている。近くで見ると想像以上に肌の凹凸が激しい。ああ、おっさんだ。と増田は思う。
翌日増田は、自分のスーツの上から皮を着て会社へ向かった。皮を着ても、皆増田が増田と分かるようで、「増田さんおはようございます」と声をかけられる。いつも通り……、ではなかった。いつもなら「増田ちゃんおはよー」と声を掛けてくる鬱陶しい同僚も、今日はどうしたことか「どうも」だけであった。いつも煩わしいほど和かにお節介に挨拶をしてくれる老齢のヤクルトレディも、今日はやけにさっぱりとした対応だ。
おっさんの皮の効用は、取引先で顕著であった。いつも若造扱いされているような、舐められているような、どこか雑な対応が今日は違った。
増田の口からでる言葉、一つ一つが地に足がついたような、しっかりとした印象を与えてるのがわかる。それに今日はやけに取引先の社員と目が合う。
二週間が経った頃。おっさんの皮の影響は、如実に成績に現れていた。いつも良くて2番、4、5番を浮き沈みしていた増田の営業成績は、ついに1番になっていた。
おっさんの皮を着てからというもの、いいことづくしである。月に1度は遭遇していた痴漢も、皮を着て乗るようにしてから全く合わない。電車で妙に密着されて苛立つこともない。夜道を歩くのも平気だから、残業も気にせず出来る。
普段皮を着て過ごしている分、彼氏や友人と会う時は目一杯のおしゃれを楽しむ。似合わないからと敬遠していたリボンやレースをあしらったフェミニンなファッションにも挑戦した。最近の増田はいつも明るい。そのせいか、会社でもデートでもよく褒められる。
今日の増田は一段と楽しそうだ。金曜の夜だからか?いや、それだけではない。今日は、彼氏が家に来る日だからだ。それというのも、来年の4月と2人で決めた、結婚式の招待状を書くためだった。……招待状なんていうのも一つの口実で、再び愛に火がついたのだから家でのんびりいちゃつきたい、というのが真の目的なのだが。
増田は思ったより遅くなってしまった帰宅に、焦りながら部屋を片付けた。会社帰りの崩れたメイクじゃ嫌だ。この間買ったばかりの可愛い部屋着もだそう……と、背中に手をやって気づいた。
脱げないのである。おかしい。そんなはずはない。どんなに試しても脱げないのだ。皮はまるで初めから増田のものであったかのように張り付いている。今までどうやって皮を脱いでいたか、思い出そうとするが、うまくいかない。焦る増田の脂汗はおっさんの皮をつたう。臭いまでおっさんそっくりだ。このまま一生見ず知らずのおっさんの皮を貼り付けたまま生きていかないといけないのだろうか。
ああ、彼氏が来てしまった。すぐに合鍵でドアを開ける音した。でも大丈夫だ。おっさんの皮を着ていたって、わたしはわたしと認識されるんだから……。大丈夫、大丈夫。
ほら、いつも通りの表情だ。あはは、なんだ心配することなかったじゃない。皮の脱ぎ方は後でショップに連絡すればなんとかなるはず。今はせっかくの彼氏との時間に集中しなきゃ……。
彼氏が役所で貰ってきたばかりの婚姻届を取り出す。増田は笑顔を作ろうとするが、口角はぎこちなくひくつく。机の上には金色のインクで細かな縁取りのされた可愛らしい招待状が並び、まるで幸せの象徴のようである。しかし増田の頭の中は貼りついたおっさんの皮のことでいっぱいで何も頭に入らない。彼氏がなにかと尋ねるが、今日の増田の返事は要領を得ない。
最近仕事も忙しかったようだし。もう休もうか、と彼氏が言う。増田は皮に気を取られながら、口先の同意をする。
そうして、気もそぞろの増田を、彼氏がそっとベットに押し倒した。そういえば久しぶりな気がする。ここ最近お互い仕事が忙しくて会えなかったからな……。鏡を見なきゃ自分じゃわからないんだし、電気を消してしまえば……と、増田が彼に身を委ねよ……
「なんだお前おっさんじゃねーか!!」
突然彼の声が響いた。
暗い部屋にはおっさんが1人、残されるばかりであった。
という感じ。
第一集団にあえて順位を付けるとすると,大幅に良くなって驚きを提供してくれた石田さんがトップで,高瀬さん加賀さんが続き,その後に川村さん譜久村さんという感じ。
という感じでかなり激戦。3人1組の2番目のブロック(金澤さん,上國料さん,島倉さん)がとにかく強くて,そこに他ブロックの強者が食い込んでいった感じ。
こちらも第一集団にあえて順位を付けるとすると,技術的に大幅に改善されて飛躍的に聴きやすくなったことで,もともと強いエモさがより強烈に伝わるようになった佐々木さんがトップ,次いで同じく改善された(というか自分の好みに近づいた)上國料さん,僅差で高木さん伊勢さんが並び,また僅かな差で島倉さん金澤さんという感じだった。
A,Bとも開催地宮城県出身のメンバーがトップだったのだが,これは自分としてはたまたまで(もちろん彼女らが凱旋公演ということでより一層研鑽した可能性を否定する気は全くない),2人とも前回個人的に欠点と感じた箇所がほぼ解消されて,歌の良さの伝わり方が大幅に良くなったことによるところが大きい。。