はてなキーワード: 実践とは
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表現の自由はどのような歴史的背景を持っていますか?どのような国や地域で発展しましたか?
表現の自由はどのような法的保護を受けていますか?国際的な条約や宣言、国内法や憲法などはありますか?
表現の自由はどのような倫理的原則に基づいていますか?人権や民主主義、多様性や寛容性などは関係しますか?
表現の自由はどのような社会的価値を持っていますか?創造性やイノベーション、批判的思考や公共討論などは促進されますか?
表現の自由はどのような制限や規制に直面していますか?検閲や暴力、名誉毀損やプライバシー侵害などはありますか?
表現の自由はどのような課題や問題に直面していますか?偽情報やヘイトスピーチ、テロリズムや過激主義などはありますか?
表現の自由はどのように実践されていますか?ジャーナリズムや芸術、教育や科学などは例として挙げられますか?
表現の自由はどのように発展していますか?インターネットやソーシャルメディア、人工知能やビッグデータなどは影響を与えていますか?
表現の自由はどのような歴史的背景を持っていますか?どのような国や地域で発展しましたか?
表現の自由はどのような法的保護を受けていますか?国際的な条約や宣言、国内法や憲法などはありますか?
表現の自由はどのような倫理的原則に基づいていますか?人権や民主主義、多様性や寛容性などは関係しますか?
表現の自由はどのような社会的価値を持っていますか?創造性やイノベーション、批判的思考や公共討論などは促進されますか?
表現の自由はどのような制限や規制に直面していますか?検閲や暴力、名誉毀損やプライバシー侵害などはありますか?
表現の自由はどのような課題や問題に直面していますか?偽情報やヘイトスピーチ、テロリズムや過激主義などはありますか?
表現の自由はどのように実践されていますか?ジャーナリズムや芸術、教育や科学などは例として挙げられますか?
表現の自由はどのように発展していますか?インターネットやソーシャルメディア、人工知能やビッグデータなどは影響を与えていますか?
国民の人権意識の低さが法律に反映された結果、児童への性加害を許してしまった。
急激に法律、社会全体の意識は変わらないから、徐々に改善していくしかない。
【死刑制度残ってるのも、究極的には人権尊重と矛盾していて、辻褄合わないからな。
個人的には、2人以上を殺人するような奴は死刑でいいと思うが、人権尊重に賛成する以上は、社会全体の方針で「死刑」という合法的な殺人を肯定しては駄目なんだろうな。】
イジメの放置とか、悪条件の労働環境の放置とか、全部、経営者とか含めた組織上位者が、全員、人権なんか興味ないから発生するし、改善できない。
人権、人の命よりもお金、利益を上げることにしか興味がない。ほとんどの中小企業(地方自治体、公共団体)の経営者、組織幹部はそういう考えだろうな。
【しかし、日本の縮小していくマーケットでは、常にジリ貧になるから普通の中小企業では労働者の労働環境を考えるほどの余裕はない。田舎の利益率低い、成長率低い中小企業は、構造的にブラック企業になることは、宿命。】
いずれにしても、自分達が組織に縛られること無く、自分達の個人の意思による行動で、人権を尊重する行動を実践する必要がある。
ブラック企業で働いているなら、証拠を集めて、告発しよう。それができないなら、せめてブラック企業からは転職しよう。
(そもそも、入社前に会社評判調べて、ブラック企業には入社するな)
公務員は不正があれば、証拠を集めて自殺せずに、匿名でもいいから、告発しよう。
日本は人権後進国なんだろうけど、今の時代であれば、個人の力でも世の中を変えることができる。ブラック企業、ブラック自治体、ブラックな組織を駆逐しよう。
消費者やマーケットが、「密猟ウナギが混ざってる店からは買いたくない」「偽装うなぎや脱法うなぎは買いたくない」「高くてもいいので確実な非密猟うなぎだけを食べたい」と強く主張・実践していることだね
うなぎを売ると、密猟じゃないですよね?と問い合わせ殺到するとか、安さよりも保全が大切だと国民の多数派が考えているとか。
そしたら、「密猟ウナギ不使用」がその企業の宣伝文句・マーケティングとして有効になる。企業は利益を出さなきゃいけないので「持続的ウナギ」「正規ウナギ」を必死で売りますよ
エシカルビジネスしか利益が出ない社会だとね、そんなに難しくないんですよ
日本は倫理的・物理的に問題があっても気にしない、社会の仕組みを知らない頭や教養が足りない、正義を感想だと思ってるクソみたいな顧客でマーケットが構成されて利益が出るからねビジネスでどんどん犠牲が生まれる
なんか女王様のように扱うことを求められる。
そこで子育てでの「協力」よ。
こっちが関わろうとしてるのに
「手伝う」「協力」には主体性がないとキレられる。
これってあれといっしょだよな。
指示を一切しないのに「俺の思うように先回りして動け」いうクソ上司。
「どっちが上司か」を機敏に感じ取る。
仮に主体性を持って育児すれば絶対にぶつかりが出てくるだろう。
主体性を持った2人が逐一「話し合って」育児するのは理想なんだろうが
これやったらめっちゃめんどくさい育児になるのは目に見えてます。
ちゃっちゃと夫を命令して動かせ。
クソ上司みたいなことはするんじゃない。
THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS Shout out Live!!!、お疲れ様でした。
座席運は良かったのに、周りのオタクが臭すぎて公演中2度とデレのライブに行くもんかと散々思った。
散々風呂入れ、服を洗えって言われてるのに実践できないオタク多すぎじゃないか?
中部国際空港駅についてからセントレア、会場までの道、会場内全部臭かった。
id:gryphon氏が数日前、「紙屋研究所粛清事件」が勃発?9日、福岡の地が”赤く”染まるか…… - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-で報じたように、
共産党専従職員で著名はてなブロガーでもある、紙屋高雪氏が日本共産党から追放されようとしている。
ただ、id:gryphon氏は「なぜ紙屋高雪が処分されるのか」を書いてくれないので、自分なりに調べた結果をまとめてみたい。
免責事項:私は共産党の内輪の論理には全く詳しくなく付け焼き刃の知識で書いているので、おそらく的外れな内容が一部含まれる。
「党規約の抜け穴を探し出し、党規約では本来禁止されているはずの「党の決定に反する意見の発表」を行った」紙屋高雪
vs
「手続き的正義を無視し、多数派工作で党規約への違反を認定しようとする」 共産党
増田の解釈では、紙屋高雪は党規約に違反していない。紙屋高雪は自己防衛のための鉄壁なロジックを組み立てている。
しかし、紙屋高雪的な行為を許せば、党規約が実現しようとしている世界、「異論はすべて党内部で処理する、党外部へは党の見解以外を発信しない」という世界が実質的に崩壊するのも予想がつくところである。
このような場合に手続き的正義として正当なのは、党規約の改正である。
しかし共産党は横着し、党規約の恣意的な解釈を多数派工作によって正当化することで、紙屋高雪追放を実現しようとしている。
規約第五条(五)「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。」の部分と(八)「党の内部問題は、党内で解決する」部分に反する部分。
あとは「党破壊と撹乱者の松竹氏と同調者だ」とも言っているそうです
https://twitter.com/meganeokonomiya/status/1700044650994884614
共産党内部の人間によるツイート2件で何がどの根拠により問題視されているかが分かる。
該当ブログ記事を読もう。なるほど、紙屋高雪氏の知性がバツグンに発揮された、増田程度では到底敵いようのない巧みな記事である。
日本共産党の党内民主主義について - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
増田の読解では、これは「表の主張」で「裏の主張」をパッケージングしたダブルミーニングな記事である。
表の主張を要約する。
松竹氏除名問題で、「共産党は異論を認めない」「共産党には民主主義がない」という批判が巻き起こっているが、それは誤りである。実例を以って説明する。
「共産党は民主主義がないという批判は誤りだ」という記事を書くと共産党から追放される、という全くナンセンスな事象が起こったとするならば。
共産党外部の人間としては、「「共産党は民主主義がないという批判は誤りだ」という意見自体が誤り」ということ? やっぱり共産党には民主主義がないの?
という印象を抱かざるを得ないだろう。
よって、党の印象低下を考慮すれば共産党は記事を問題視しにくいはずだ。
これは紙屋高雪氏が仕掛けた裏の主張を守るための第1の保険である。
党規約
党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。
よって紙屋はこの穴をつく。
裏の主張を守るための保険その2:
党の決定に全く反していない。
表の主張は「党内民主主義の実例紹介」なのだから、「間違った自意見の説明」をする大義名分もバッチリである。
もちろん休職が明ければすべてが水に流されるなんてことはなく、さらなる重い処分が準備されていることは紙屋も承知していた。
そこで、処分が不当であると明らかに示すため、紙屋は2つの記事を書いた。
政党助成金と日本共産党の党内民主主義について - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
県委員会総会で提起された学校給食の無償化の運動 - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
どちらも紙屋の得意技、ダブルミーニング記事であり、処分理由の2つにそれぞれ対応する。
私は「政党助成金を受け取って何かいい使い方をしたら?」という主張は誤っているという認識を共有し、志位委員長が述べた日本共産党の立場で引き続き実践を重ね、検証していきたいと思います。
さて、ここまでの私の記事および解説を聞いてどう思われました?
「神谷は政党助成金廃止に向けて頑張っておるのだなあ」と思っていただけたかと思います。
まさか、「神谷は政党助成金廃止の記事にかこつけて、4つのダッシュ(——)の部分で政党助成金必要論を展開し、必要論を実は広げようという真意を隠し、党規約第5条(五)にある『党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない』に反しておる!」など思った方は一人もいないと思います。
そんな方がいたら、いたわってあげたいですね。
さて、ここまで読まれた方、私が曲がりなりにも県委員会総会決定の実践に力を尽くそうとしていることをご理解いただけたかと思います。まさか「神谷は絶対秘密の県委員会総会決定や会議の内情を外部に暴露してしまった。党規約違反だ」などと思われた方って、います? いませんよね。そんなこと、党規約に一文字も書かれていませんから。当たり前です。もしそんなことを思う人がいたら……その人のメンタルが心配です。お大事に。
1つ目の記事では、
と、実例を「松竹氏除名問題」から変更したこと以外まったく同じ構成とした。
「この記事はどう見ても「党の決定に反する意見の発表」じゃないよね?これが問題ないなら、当然に松竹氏除名問題を扱った記事も問題ないよね?」
2つ目の記事では、
「党内部の議論を外部に公開することって何も問題ないよね? 「松竹氏除名問題」だけ特別に、党の内部問題を党外で解決しようとしたことにはなるのはおかしいよね?」
これが紙屋が両記事で主張しようとした、タイトルにある表テーマとは異なる、裏主張である。
実際、紙屋支持者の中では、秋山もえ氏が「政党助成金」を題材に、紙屋記事との形式上の違いが全く見当たらない党内民主主義解説記事を執筆していることが指摘されている。
党内のことは党内でーー 意見を出しあい 議論し 学びあい 行動するという ハイレベルな組織づくり | JCP*もえブログ
紙屋を処分するならば、秋山もえも処分しなければ筋が通らない。
紙屋氏の鉄壁の理論に対し、実践的に見れば共産党が何を懸念しているかは明白だ。
様々な異論を持つ党員1人1人が紙屋メソッドを行使し出せば、外部に対する行動の統一を求める民主集中制が事実上崩壊することになるだろう。
規約の穴を付かれたなら、規約を修正すれば良い。それだけの話である。当然、法の不遡及を適用し、紙屋氏は何ら処分の対象になるべきではない。
じゃあ明確化すればいい。
「外部に漏れることが著しく不適当と思われる議論については、多数決を取り党外秘とすることができる。党外秘を漏らしたものは除名処分の対象となる」的な条文を足せばいい。
それだけの話ではないか?
紙屋高雪氏の既定路線とされる「処分」は「機関罷免」処分からの「除籍」である。つまりまず党職を解かれ、さらには党からも追い出される。
一方、
と、党規約にあるように、党から追い出したいのであれば、「除名」処分を使えばいいだけである。なぜ2段階に分けるのか。
それは
除名は、党の最高の処分であり、もっとも慎重におこなわなくてはならない。党員の除名を決定し、または承認する場合には、関係資料を公平に調査し、本人の訴えをききとらなくてはならない。
と党規約にあるため、「除名」処分を行おうとすると面倒なことになるからである。
一方、除籍の要件は以下の通り
党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員、あるいはいちじるしく反社会的な行為によって、党への信頼をそこなった党員は、慎重に調査、審査のうえ、除籍することができる。除籍にあたっては、本人と協議する。党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合は、おこなわなくてもよい。除籍は、一級上の指導機関の承認をうける。
党から追い出すという実質的に同じ措置であり、しかも「除名」の場合と違い「除籍」は不服申立の権利も認められていない。
党規約を骨抜きにしないためには、本来「除籍」は「除名」以上に慎重に運用しなければならないもののはずだ。
実際、「除籍」は「理由のない党費未納」だとか「音信不通」だとかに適用する条項のはずだという共産党員の証言を多数確認できる。たしかに、そのような些事に複雑な手続きを設けたくないので抜け穴を用意する、というのは理にかなっている。
一方で、現実の運用では、「党員の資格を明白に失った党員」「党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合」、この2項目は非常に雑に乱用されている。
https://i.imgur.com/m1UhX8D.jpg
これは実際の「除籍通知」の書面であるが、
党員の資格を明白に失った:「除籍対象者が、民主集中制は見直すべきとのSNS発信を継続したこと」
党組織の努力にもかかわらず協議が不可能:「除籍対象者が、5つの質問・録音を協議を行う条件に提示したこと」
幼少の時分から太り気味で運動神経が悪く、頭も知的障害とまではいかなくても平均以下、顔立ちも極端に不細工では無いがお世辞にも褒められたもんでもない。
家族も自分を愛してはくれたが自尊心を高める様なコミュニケーションは取っておらず、寧ろ優れた所は無く何かと不利な目に合う事が多くともそれに負けず生きていけるタフな心を養わなくてはいけない、そういった教育や意識付けを行う人達だった。
そんな出自なので自分は無意識の内に他人に対して劣等感を抱いていると思われる。それ故に自分のアイデンティティーは身体や知性に依らない、純潔な価値観や思想に有ると考えている。
その結果、他人の振る舞いや思想に対して非常に潔癖な性格が身に付いてしまった。それだけが理由ではないが、それが大部分の理由で友達も恋人も居ない。
やたらと卑下する文章を書いてしまったが、自分が嫌いかと言えば全くそんな事は無い。寧ろ愛している。
先述した様に他者に劣等感を抱き、且つ毛嫌いしがちな人生を歩んでいる為、愛したり信頼したりする対象を見つけられておらず、結局自分自身が一番理想とする生き方や思想を実践出来ている存在だと思っている。
井の中の蛙であろうが、それもまた致し方の無い運命だと思いたい。
こんな浅はかな文章を長々と書いて何をしたいのかと言うと、最近の自分は他者を動物の類だと思っているんじゃないかと思ったからその考えを記録に残したい為だ。
さっきから他者への嫌悪感をつらつらと書き連ねている訳だが、人の居る場所が嫌いと言う事も無い。但し、自分に関わる人間が居るのは嫌だ。
つまり、イベント事など知らない他人が集まる場は寧ろ好ましい。連れ合いも居ない癖にお祭りが有るとフラフラと出掛けたりする。自分は誰の眼中にも入っておらず、盛り上がっている人達を観るのは楽しい。
だが、その輪の中に自分が入れられると考えるとゾッとする。グループに入れば他者の価値観に合わせなければいけない、有限である人生の一部を自分自身のアイデンティティを崩した状態で過ごさなければならない。
それが嫌で嫌で堪らないのだ。
恐らく今までの人生において、他者との関係で得られた利益が少な過ぎたのだと思う。だから自分の価値観の中で他者とのコミュニケーションで得られる幸福感が著しく低いランクに位置付けられたのだ。
その結果どうなったか、利益をもたらさない他者の存在は自分の中で自分と同価値とならなくなっている。動物園で動物を観るのは楽しい、だが家の中に動物園の動物が居たらどうだろう?ハッキリ言って邪魔なだけだ。
その上、他の動物よりも権利の主張に喧しいとくる、成すべき義務に関しては素知らぬ振りをする癖に。躾けたり愛玩でも出来れば良いが、愛護団体が五月蠅い。
こんな面倒臭い存在、もう情報だけで良い。まぁ我ながら非常に勿体無い考えではあるが。
そんな中でもどうしても関わらなくてはならないのが同僚や上司。これらに関しては言い方が相当過激になってしまうが、正直言って最早家畜の類に見えているんだと思う。
生活の糧を得るのに必要な仕事をしてくれるだけの動物。相手は畜生だから価値観が合う事など無い。それでもそれ等の存在無しには生きていけない。
だから彼らの習性を理解し、上手く誘導するべく努める。ウンザリするが畜産家の皆様はもっと大変な思いをされている事だろう。自分も我慢しなくてはならない。
そしてココにこそ、自分が業務中は愛想笑いで応対出来るのに飲み会は死んでも行きたくないのかが分かる。なんで家畜と飲まにゃならんのだ。
君達と過ごしているのは生活の為で有って、対等な存在だと思っているからじゃない。
良い商品となって貰う為に日中家畜を愛情込めて世話をし、さぁ家に帰って本来の自分に戻ろうと思った時に家畜から、『有難う!良かった飲みに行こう!』って誘われたどう思う?
いや…確かにお前が喜んでくれる様には努めたけどそれは業務だからで有って、なんでお前と対等に飲まにゃならんのだ。と思うんじゃなかろうか。
まぁ余り倫理的な考えではないかもしれんが、もう身に付いてしまったものだから仕方ない。
誤解しないで欲しいが自分は決して他者を劣った存在と思っている訳ではない。身体能力や知能指数はきっと相手のが上なんだと思う。
でも自分の価値観は思想に有る、その意味で信頼がおけると感じた相手は殆ど居ないから対等な存在と思えないだけである。
なので逆に他者からしても自分の事を家畜だと思って欲しい。単に生活の糧を得るのに利用する必要のある存在だと考えてくれる相手が自分にとって信頼のおける相手なのだ。
だからこそ、少なくとも最初はお互いの事を家畜だと思い合える相手こそ理想。そこから互いの価値観にシンパシーを抱き、徐々に打ち解けられて初めて信頼がおける。
じゃあ雑に仕事を押し付けてくるだけの同僚や上司が理想なのかと言えば全然違う。先述したが、自分も他人も家畜なのだ。
虐待紛いの振る舞いをする奴が良い畜産家か?愛情を込めて飼育する人こそ良き畜産家だろう。少なくとも家畜にとっては。
そしてヒトなる家畜にとって重要な世話とは礼儀や距離感、相互理解と気遣いなどのグルーミングの事を指すんじゃなかろうか。
何時の日か良き飼育員に出会えた時、初めて他者を人間だと思えるのだろう。まぁこんな偏った思想をしている奴にそんな日は訪れないだろうが。
一度文章を見直すと何だか魯迅の阿Qみたいだ。精神的勝利法とは空しい。それとは違うと信じたいけど…。
まぁそれでも自分は自分が好きだ。だから今こう感じた事も何時か読み返して自分自身を愛でたい。その為に備忘録としてココに残す。
いや言いたいことはわかるんだけどさ
「真のゴール」を動かせる本物のアジャイルなんてどんだけの現場で実践できる? としか思わんわ
まぁ偽のアジャイルもあれはあれでメリットあるし、ウォーターフォールの最大の邪悪って「1ヶ月丸々後工程でまったく使いもしない詳細設計という名のUML図作ってエンドユーザー満足させるために『納品』する」とか、そういう全体スケジュールが狂いに狂いまくることだと思うからゴールが動くうんぬんはあくまで効能の一部だと思うよ
そんなわけでストリートファイター6を発売日に買ってプレイしてるわけだがこれがまぁなかなか勝てん
勝率は40%程度で半分を切っている
ストリートファイターシリーズというか2D格闘ゲーム自体は初めてだが、3D格闘ゲームはけっこうやってきた
何万円もするアケコン(ゲームセンターとかにある筐体の操作台を模したコントローラー)を2台も3台も買ったり
アケコンじゃなくてゲームパッド(所謂普通の手に持つタイプのコントローラー)のほうが合ってるのかとこれまた2個も3個も買ったり
相手の行動がよく見えるようにと性能のいいディスプレイをわざわざ買って、プレステ版ソフト持ってるのにPC版の方が快適だからと同じゲーム買って・・・
なんて感じのこと当たり前にする程度には別の格ゲーを遊んでいた
その程度には格闘ゲームにおける操作や読み合いというものに慣れているつもりだったが、ストリートファイター6では全然勝てん
ストリートファイター6には段位のようなものがあって上からマスター、ダイヤモンド、プラチナ、ゴールド、シルバー、ブロンズ、アイアン、ルーキーとなっている
対戦で勝利し、一定のポイントを貯めると次の段位に上がれるわけだが、今はプラチナの真ん中くらいで停滞している
対策やら強い行動やらを調べて実践してもポイントはあまり伸びず・・・
と思ってネットなんかを見ているとそんな攻略情報ページのコメントに当たり前のように「格ゲー初心者ですがこの攻略のおかげでマスターいけました!」とか書いてある
嘘だろ
初心者が、ダイヤモンドにすら上がらない俺が見ている対策を実践して、最高段位に到達しているというのか
別ゲーとはいえ、格闘ゲームを何年も遊んで、周辺機器にもこだわっていたこの俺がプラチナで停滞しているというのに、お前はマスターになったというのか
・・・どうせ強キャラ使って勝てそうにない相手からは逃げてポイント稼いだんだろ
と言いたくなるのは置いといて、まぁなんというか、やはり才能というものはあるんだろう
というか、発売日からやってる人はもう大体プラチナ程度は脱してダイヤモンドになっているのが当たり前のように目につくのを考えると、発売から3ヶ月もたってプラチナというのは相当に才能がない方っぽい
ストリートファイター6は他の人のプレイなんか見ててもどんな読み合いが行われているのか、何を狙っての行動なのかがわかりやすいゲームだ
なんなら自分が今までやっていたゲームよりもよっぽどわかりやすいし、雑に言えば勝ちやすいと思う
でもだからってやめたいわけじゃないし、暇があればプレイしてしまう程度にはハマっている
でも勝てない
自分以上の才能をまざまざと見せつけられる
そいつらに対してなのか弱い自分になのかわからないとにかく怒りが湧いてくる
やめられない
勝てない
くやしいなあほんと
まず大前提として、小児性愛者がその性的欲望を「実際の」小児に対して実行するということは、現代においては大多数の国で刑法上の犯罪でもあり、社会通念上も許されない行為とされている、ということは踏まえた上で。
小児性愛者向けの非実在表現によるポルノグラフィの供給・流通については、そもそも「小児性愛」という性的欲望のかたちをどうとらえるか、という根本的な立場の違いによって、2つの異なる考え方が生まれてくる気がする。
要は、小児性愛という欲望自体が病理なのか、そうではないのか、ということだ。行為は犯罪でも欲望そのものは病理でないとするのなら、欲望自体に介入する根拠は乏しい。病理であるのなら「当事者のメンタルヘルスのためにも」(パターナリスティックな)介入が可能になる。
そして、そうした心理的傾向---特に、特定の対象に対する選好・執着・嗜癖・依存など---が病理かどうかを決めるのは、究極的には医療専門家集団ではなく社会的なコンセンサスだ。たとえばADHDは昔は「不注意」という傾向だったが、いまは労働現場における時間管理やタスク処理に対する要請水準が厳しくなったことで、立派な「障害」になった。アメリカの福音派や保守派教会は、昔は同性愛行為を宗教上の罪としていたが、90年代以後はゲイ男性の性的傾向を障害とみなして「治療」する修復療法(reparative therapy)を盛んに行っている(あまり効果はない)。我々が今後、それらと同じような手つきで小児性愛と当事者を扱うかどうかということだ(これは、シロクマ先生がお好きな医療化という論点とも深く関わってくる)。
小児性愛の実践が「犯罪」であり「悪」であるということについては、現代社会では一定のコンセンサスが確立したといっていいけど、「現実世界に被害者がいない形で解消される小児性愛という欲望のありかた」自体を病理とみなすべきかどうかについては、どこかに絶対の正解があるわけではない。今のDSMやICDやMSDマニュアルにどう書いてあろうと、それは私達の社会の観念の反映であり、相互作用的に規定されているのだから。これは我々自身が考え、議論し続けなければならない問題だ。「小児性愛を題材とした非実在表現によるポルノグラフィの流通」の是非も、その結論しだいで変わってくる。
OJTから担当しそのまま上司になったけど、花開かないまま組織の都合で俺の手を離れることになった。4,5年はかかるかなとゆっくり見守っていたけど、思えばもう少し彼にあった指導方針もあったような気がして、それが出来ていればもう少し早く育ってたのかなと思うと後悔がある。
自分が放任で育てられたこともあり、体系だった育成に価値が見出だせず、見て盗めとは言わないが、見せて説明して実行させてフィードバック、終わったら次!という実践主義に行き過ぎがあったと思う。この方法ならせめて実行とフィードバックをもっと繰り返すべきだった。結果として色んなことに経験はあるけど何をさせても不安な仕上がりになってしまった。
過去にもこのスタイルでOJTや後輩指導をしたことがあり、それらが少なくとも失敗はしなかった自負があったのも悪い方向に作用した。これでうまく行くと俺も思ってたし周りも思い込んでいた。多分本人もそう思ってたんじゃないだろうか。人を見るということは難しい。