はてなキーワード: 下位概念とは
まず大前提として、小児性愛者がその性的欲望を「実際の」小児に対して実行するということは、現代においては大多数の国で刑法上の犯罪でもあり、社会通念上も許されない行為とされている、ということは踏まえた上で。
小児性愛者向けの非実在表現によるポルノグラフィの供給・流通については、そもそも「小児性愛」という性的欲望のかたちをどうとらえるか、という根本的な立場の違いによって、2つの異なる考え方が生まれてくる気がする。
要は、小児性愛という欲望自体が病理なのか、そうではないのか、ということだ。行為は犯罪でも欲望そのものは病理でないとするのなら、欲望自体に介入する根拠は乏しい。病理であるのなら「当事者のメンタルヘルスのためにも」(パターナリスティックな)介入が可能になる。
そして、そうした心理的傾向---特に、特定の対象に対する選好・執着・嗜癖・依存など---が病理かどうかを決めるのは、究極的には医療専門家集団ではなく社会的なコンセンサスだ。たとえばADHDは昔は「不注意」という傾向だったが、いまは労働現場における時間管理やタスク処理に対する要請水準が厳しくなったことで、立派な「障害」になった。アメリカの福音派や保守派教会は、昔は同性愛行為を宗教上の罪としていたが、90年代以後はゲイ男性の性的傾向を障害とみなして「治療」する修復療法(reparative therapy)を盛んに行っている(あまり効果はない)。我々が今後、それらと同じような手つきで小児性愛と当事者を扱うかどうかということだ(これは、シロクマ先生がお好きな医療化という論点とも深く関わってくる)。
小児性愛の実践が「犯罪」であり「悪」であるということについては、現代社会では一定のコンセンサスが確立したといっていいけど、「現実世界に被害者がいない形で解消される小児性愛という欲望のありかた」自体を病理とみなすべきかどうかについては、どこかに絶対の正解があるわけではない。今のDSMやICDやMSDマニュアルにどう書いてあろうと、それは私達の社会の観念の反映であり、相互作用的に規定されているのだから。これは我々自身が考え、議論し続けなければならない問題だ。「小児性愛を題材とした非実在表現によるポルノグラフィの流通」の是非も、その結論しだいで変わってくる。
20世紀以降の資本主義は、フォーディズムで「労働者」の生産と管理に手をつけた時点で、フェーズが一個あがっている。
需要と供給の発生源である「労働者」を、幸福になるよう(皮肉なし)に管理すればいいのだ。需要を生み出すために給料を払い、欲望を労働者に満たしてもらう。福祉だのなんだの非資本主義的な発想によってではなく、資本主義的な発想によってこそ実現してきたし、ベーシックインカムも最終的にはそうなるはず。福祉はバカをこそ救わねばならない(なぜならバカも需要と供給を生むからだ)って発想も資本主義でこそ担保されるべきだ。
でも人類ってまだバカだから、経済学が未発達すぎて、労働者を本当の意味で管理することがまだできていない。
シムシティで言ったら、住民の幸福度を上のほうで保つための攻略法が編み出されていない。小学生だったころの俺が場当たり的にボタンポチポチして建物建てたりしてるのと同じで、まじでどうするのが合理的かわかってない。
新自由主義っていうのは、そういう人類のバカさに付け込んで、労働者の管理をサボろう、あるいは管理されるの嫌だから自由勝手を得よう、という思想なのだと思ってる。
資本主義思想が行き過ぎるから福祉が切られるのではなくて、資本主義思想をサボった結果、目の前のコストだけカットすればいいやみたいな、小学生シムシティと同じ考えに陥る。
のだと思う。
そのへんのことがもっと進めばいい。
マジレスすると「歯磨き粉を歯磨きっていう人」は提喩というレトリックを使っています。
お母さんがゲーム(という集合)のことを何でもファミコン(という要素)で呼ぶあれです。
今回問題にされている表現では、歯磨き粉という下位概念が歯磨きという上位概念で喩えられているわけです。
あなたが歯ブラシと歯磨き粉を主役と暗喩したように、我々の言語空間はレトリックによってかなりの部分が成り立っております。
ひとまず「なんで粉を歯磨きって言うの」という問に対しては「『歯磨き粉を歯磨きっていう人』が『粉を歯磨き』と表現する提喩を妥当だと思っているから、あるいはこのレトリックで十分意図が通じると思っているから」ということになるかと思います。
カルチャーって、「言葉」とか「絵」とか「民俗」とか、人間が生み出すもの。
上記のような、地域や民俗などによっても異なるそれぞれの「言葉」「絵」「民俗」などをベースに、新しく生まれてきているものがサブカルチャー。
だからsub=下位概念という接頭語が付いていると学生時代に教わったよ。
具体的には、吟遊詩人~クラシック音楽ぐらいまではカルチャー、流行歌はサブカルチャー、とか
神話~古典文学ぐらいまでがカルチャー、それ以降はサブカルチャー、とか、
単純に、学問として腑分けできるぐらい固定化されているものなどがカルチャー、流動的なものがサブカルチャーみたいに考えると分かりやすい。