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2024-01-20

ケツから血を垂れ流したこともないくせに

子宮をぞうきん絞りされる中

ビチグソと鮮血を何度も何度もトイペで拭き上げ

蒸され擦られヒリつくケツにため息をついたこともないくせに

女の生理に何かを言うな

内臓の隙間にプラスチックの棒をねじ込んでから

座る会議室の冷たい椅子

合わない机、届かない棚、手が痛くなるキーボード 

エレベーターでの1%の神経

容姿言及されないよう怯え笑う飲み会

満員電車立ち位置

残業帰りの夜道

電気を点けてほっとして祈りのようにかける鍵

世界は170cmの人類のために作られている

少なくとも労働させていただくということは

「体調が悪いので休みます申し訳ございません」に何も訊くな

お前は「熱があるので休みます」に何℃か確かめないと気が済まないのか

賢しらにお前の薄っぺらな定規を当てて

誰かのしんどいを計ろうとするな

ましてや家に住めない災いの只中にある人の、

ナプキンがほしいです」に、一体、何を言うんだ

十代のある日突然パンツに鮮血がついて

もう自由に走り回る日々は終わったと知って

下腹部と地面が鎖で繋がれて

試験で、旅行で、プレゼンで、出張で、日付を確認しないくせに

服装で体のラインも気にもせず

たくさんのポケットを持てるくせに

キャリアカーブに崖がないくせに

ぐったりとした眠気 血が足りないまま薬を探す朝

「ああ今日か」を知らないくせに

惨いニュースにあと何度心を折らなければならない

痛みをくれてやりたいよお前の気が済むように

理解と納得を搾取しないでくれ決して与えはしないくせに

ケツから血を垂れ流したこともないくせに


無関心をくれ

それは配慮じゃないんだとあと何度

無関心をくれ

一抹でも怒りを覚えた、おまえ

大丈夫です。もういいです

知らないとわかりあえないじゃないかと大声で叫び

ズケズケとケツ事情に踏み込んでくる妖怪らよ

大丈夫です。諦めて下さい

ケツから血を垂れ流したことがなくても

そっと安心だけをくれる人もいた

無遠慮の盾となり守ってくれる人もいた

痴漢を捕まえてくれてありがとうと泣きながら何度頭を下げても名乗らなかったあの人

一人一人をずっと覚えている

からないことは訊けばいいだろ まともな男友達

もうとっくに、お前は違うってだけなんで

その、人と分かつ溝からこちらに来ないでください

大丈夫です。消えてください

からどうか見ないでくれ

近付かないでくれ

関心を持たないでくれ

陳列しないでくれ

女は脱げない

人間でいたい


女へ言いたいことは、一つだけ

ソフィのシンクロフィットはいいぞ

2024-01-14

妖怪アパートみてえな

わけえオタク女がよみそうな感じのラノベを母は好む

でも薬屋の独り言はだめだったらしい

あれに感情移入するほど夢見がちじゃなかったようださすがに

2024-01-11

anond:20240111151102

鯰絵に見る庶民地震像(兵庫県人と自然の博物館

https://www.hitohaku.jp/material/kids-toolbox/namazue.pdf

地震鯰をモチーフに世の中を風刺する色刷り瓦版(鯰絵)が大量に出まわり、江戸庶民地震を起こす鯰=地震鯰のイメージが定着しました。
こうして息を吹き込まれ地震鯰は、幕末の激動期をへて明治時代の中頃まで、庶民の間で生き続けることになります
鯰絵からまれた「世直し」や「万歳楽」という大地震に対するイメージ庶民の間に深く根付き、明治大正の世になっても大地震が起きると、人々は「世直り」とか、「万歳楽」と叫んで外へ逃げ出したということです。

江戸期でも明治大正でも、メカニズム説明として信じられていたというよりミームとして流行っていただけのような気がするけどなあ

コロナ退散アマビエアマビコ言ってる記録を後世の人が発見して令和日本人妖怪実在を信じ病魔退散を祈っていた

ガチ解釈してるかのような


鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。

この記者中国伝来のものだという信頼感はなぜなんだろう

中国ではナマズを鮎と書くがその辺はどうか

「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた

おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる

結論から言うと、明治元年1868年)ごろから急速に地震信仰は失われたと思われる

天保元年ごろ(1830年ごろ)

高野長英蘭学者

『泰西地震説』を執筆

オランダ辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した

安政元年(1854年

安政の大地震

鯰絵が大流行した

しかし「鯰絵が流行した=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……

というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化け妖怪実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる

お化け妖怪実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚21世紀に生きる人間感覚だろうか

『泰西地震説』が世に出ておおよそ20年後出来事

『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまりまれなかったのだろうか?

江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?

当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?

ここは特に追加調査必要

鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査図書館本屋資料を入手してからになる

明治元年1868年

小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物

天変地異』を執筆

小学校教科書にもなった本

雷、地震彗星、虹といった自然現象に科学解説を行った本

地震原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている

こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか

明治元年でいきなりこんな教科書を出すとは正直驚きを感じる

西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする

明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた

これによって明治に生きた若者地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう

明治に書かれたエッセイ新聞記事を探したい

「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……

また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?

追加調査必要

民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?

明治13年(1880年

横浜地震

M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ

この地震体験したジョン・ミルンというイギリス人地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した

明治24年(1891年

濃尾地震

安政の大地震以来の巨大地震という言及が当時の新聞にある

科学者が地震調査のため派遣された、のような記事新聞に載っている

大正12年1923年

関東大震災

このときいくらかは鯰絵が描かれたようだ

ただ「鯰絵が描かれた=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう

大正15年(1926年

井上江花、新聞記者

『江花叢書』第1巻

当時のエッセイ的な読み物

関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある

一部引用する

鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、

「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る

1926年時点で安政の大地震はおおよそ70年前くらいか

「おじいちゃん子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ

科学とか西欧合理主義流行った結果、地震信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ

ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい

あと、柳田國男著作をまだどれも読んでいない

先に読んだ方が民俗学視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない

日記

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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない

あるいは調べ方が悪いのか……

幕末日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?

あるいは最初からモノの喩えだと認識していたのか?

もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか

そういった研究痕跡を見つけることができない

見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない

儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい

日本儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸民衆のその説をどの程度認知していた?

あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か

日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない

調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史選択しておけばよかった

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施政者が失政すると地震が起きる」みたいな思想もある

また、火山雷雨地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある

ナマズじゃなくても結局別の信仰になってしま

ナマズが俗説ってそういうこと?

まり俗説でない主流の説は鹿島神だとか龍神に原因を求める?

この観点でも調査

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本屋に行ったが鯰絵関係の本が一冊もなく購入できなかった

しかし『陰陽五行日本民俗』という本を購入

陰陽五行について何も知らないに等しいので勉強しなければ

しか本来本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事関係ない本ばかり買って読んでしま

悲しいね

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トラバブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率不毛なので)、今回は必要を感じた

鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感

ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズ地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……

これに強い疑いを抱く

しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロ研究家が思いついていないわけがない……

なにか根拠があるはずと信じる

あと、この日記以外に書いている場所はない

清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない

追加調査資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い

追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある

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先行研究

記録表現にみる中世日本の地震認識

ナマズ地震が紐づけられる以前の地震認識

断層沿いに立地する神社とその周辺環境に関する研究

近世地震認識記述がある!これをベースに調べるのが最善か

江戸時代の宗教観と芸能の盛行

幕末明治海外の人から見た日本人の宗教観記載がある

神や仏に敬虔祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる

この庶民信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治来日したアメリカ女性教育者アリスベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘不可思議事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。

考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ

この引用箇所は別の文献から孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……

該当箇所は『逝きし世の面影』という本から引用……kindleあるじゃないか、買います

これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない

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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴン実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか

(「実在」という言葉定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)

同様に幕末江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化け実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある

ここらへんは本当に現代日本パラダイムに考えが支配された人間にとって想像しにくい領域

2024-01-09

平将門祟りを信じる=幽霊を信じる、なのかどうか

別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学説明の外にある現象……思念怨念呪い妖怪

死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか

祟りは信じていない。しか祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる

祟りは信じていない。しかし何か起きたとき祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる

幽霊非実在を完全には証明できない?

では龍であればどうか

「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか

タブーを侵さない=龍神(の実在)を信じる、なのかどうか

実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう

いや、これは本当に自信が無い

ルールから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし

シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう

これは例えば江戸時代明治時代史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかい記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話

「野暮と化け物は箱根から西」という江戸時代ことわざがある

箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎バカにする言い回し

これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか

それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか

また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回し存在する

この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……

南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい

そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ

こういう言い回しがある時点で当時既にお化け実在は信じられていなかったのでは?と感じる

でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ

お化け妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?

当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい

江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査

しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?

竜巻あたりも同じ話だ

明治時代錦絵竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある

貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室

その絵には

怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり

という文も添えられている

「これぞ謂る龍の昇ならん」というのはどう解釈したものか?

この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか

「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか

あるいは「あれこそ龍が昇天するとき現象だ」という文意なのか

「龍の伝承,とくに東海地方竜巻台風について」という論文によると、

明治維新以後も、龍の実在を信じていた人が少なくなかったことがうかがわれる。

大正初期ごろまでに、龍はほぼ消滅したと考えられる。

との記述がある

「怪雲現る」が明治23年なので矛盾はしない……

妖怪の話は西洋だと妖精の話と近いように感じる

コティングリー妖精事件」についても調べるべきか……

ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に

なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。

というフレーズがあるようだ

テンペスト』の最古の上演記録は1611年11月1日

だいぶ古い!

やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで

ユニコーン聖書に登場するのが話を厄介にしているんだよな~

キリスト教知識が無いとよくわからない箇所が多くある

グリフィンなんかはこれより少し後の時代実在否定する人が出てきたようだ(しか実在から反論を受けている)

『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

グリフィン実在否定した作家トーマスブラウン反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。

グリフィン想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物存在するからであるアコスタスペインイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランス探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である

そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ

なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジー誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ

こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果

日記

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大鯰信仰について調べたが、今「龍の伝承,とくに東海地方竜巻台風について」という論文について再考すべきかもしれない

明治時代の人が何にリアリティを感じていたか」という視点で串刺しにして考えをまとめることが出来るかもしれない

2024-01-08

anond:20240108004648

コメント欄にいる悪人は、女に相手にしてもらえてこなかったゴキエナの妖怪だろうけどね。

女性けが不便を強いられるのが女性差別だと認められない人が現場で封をしてるのなら、強制的政府が介入するしかないと思う。

2024-01-06

子供絶対ハイスペにしたい理由

高学歴の集まる職場 → 陰湿人間が多いがまともな人間もけっこういる、スキルがあれば転職もできる

中学歴の集まる職場 → 陰湿人間が多いがまともな人間もまあい

低学歴の集まる職場 → 陰湿で粗暴で論理破綻しきってる狂犬病にかかった猿みたいな妖怪か、闇金ウシジマくんに出てきそうなドクズがたくさんいる

             スキルが無いので転職先も違うチンパンジーの群れに移動する事しかできない

2023-12-31

「忍耐サトリくん」におけるホモサピのポジショントーク

https://togetter.com/li/1912610

漫画本編はまとめに載ってる(作者が宣伝用に全ページうpしてる)ので知らん人はまず読んでどうぞ



(以下、サトリくんは本物の読心妖怪で心の声は真実だと仮定)

https://b.hatena.ne.jp/entry/4722072961604756130/comment/IthacaChasma

内心の自由についての考えが深まる怪作。先生内面高潔だったら、きっとサトリ君は救われていないと思う。そして先生が口に出して言っていること(外面)は全て正しい。

賢しげにこんなこと言ってる&星つけてるブクマカが実際は全く内心の自由について考えておらずただ自分思い込みを強化しているだけとバラしたので確かに怪作

なぜならこの漫画は「内心の自由尊重についての物語」ではなく「内心の自由が崩れている世界物語」だから

作者にその意図があったかどうかはともかく作品はそうなっている


先生が口に出して言っていることが正しい?

普通に保身のために嘘ついてるが?

「アンタのそのイカれた本性 必ず表に出させてやるッ!!」

「それは… 本当にいけませんね…… 私の権利侵害しています

はてな民人権とか詳しいから3秒考えれば分かると思うんだけど、「読心術で知った他人の内心を周りにバラす」が内心の自由侵害といえるかどうかはかなり微妙

しろバラすことを禁止してしまうとサトリくんが自分の知っていることについて自由発言する「表現の自由」の侵害になりかねない

(ちょっと似た事例が一橋アウティング事件

「恋心を打ち明けられた人間はそれを一生黙っている義務を負うのか?」はブクマカの間でも意見が分かれたのを覚えているだろう

もちろん自分の恋心を自分意思で打ち明けた一橋の事例と無許可で心を読めるサトリくんの事例は根本的に違うが)

外形と内心を同じように感知できるサトリくんにとっては「ねえねえ、僕の担任先生メガネ若い男の人なんだよ」と「ねえねえ、僕の担任先生は僕の首を蹴りとばしたいと思ってるんだよ」の間に違いはない

まあさすがにこの内容だと名誉毀損濃厚だが、例えば「先生ハムスターを飼いたいと思っている」程度の穏やかな事柄暴露するのがどういう法律抵触するというのか

秘密を守るとの約束(つまり口頭での契約)があったわけでもないので民事でも厳しい

なぜこれほど先生に不利な事態になってしまうかというと、サトリくんが心を読んだ時点で内心の自由という原則崩壊しているか

内心の自由は「人の心は結局のところ不可知」が事実上の前提

読心術はその前提を壊すから憲法自由全般の作り直しが必要になる

仮にサトリくんがクラスメイト全員に読心能力を与えることができたならと考えると崩壊の様子がわかりやすくなる

重要なのは読心能力者の間では互いに心を読み合ってテレパシーができること

こうなってしまえば他人の内心の暴露誹謗中傷企業秘密漏洩も何もかもが合憲的に合法的に行える

なにしろ心の中は不可侵なのだから

読心能力を得た生徒たちは先生の心を読んでさまざまな感想を抱くだろう

そしてテレパシーで話し合うだろう

先生から絶対に聞こえない集団陰口状態

表面上は平然と振る舞うことはほとんど不可能だろうし、仮にできたとしてそのような状況で先生尊厳が守られているとはとてもじゃないが思えない

口に出して話をしてしまうほうがまだマシではなかろうかとすら感じる

「人の心の中は何者から自由であるべき大事領域です」

しかしもはや自由ではない

ただし実際にはサトリくんは1人しかいない

から先生良心の自由原則が壊れたことを他の人々から隠蔽しようと、消滅してしまった自由がまだ存在するかのように見せかけてサトリくんを脅しているしそれは上手くいきそうに見える

しか内心の自由は読心術を持たないホモサピのポジショントークにすぎないのでサトリくんにそれを押し付けるのは多数派暴力

視覚を持たないヒトデが地上を支配して「視覚から得た情報は一生心の中にしまっておくべき。表に出したら権利侵害」と言い出したら理不尽だと思うだろう

なぜサトリくんは内心を聴く感覚から得た情報を一生秘匿して生きなければならないのか?

2023-12-30

物が落ちたあとに消える現象

やめてほしい

妖怪仕業だと思う

2023-12-24

人間の死骸から頭蓋骨を抜き取って集めるようなアクションゲーム、ないか

頭蓋骨を100個集めたら1upする仕組み。

ストーリー自体は死骸と関係なくて、ドンキーコングと同じシステム

山や谷を越えていって、ラストにいる敵の武将妖怪と戦う。

どうしてサンタの嘘にみんな協力するんだろう

数年後には真実を知ってショックを受けることになるのに

子供を傷つけることは許されない現代矛盾してない?

神様妖怪心霊写真のようにもうお役御免なのでは

幽遊白書の実写が許せなかった

Netflix配信されている幽遊白書を見たが、許せない点が複数あった。

私は幽遊白書漫画だけ見ており、アニメは見ていない。

実写のネタバレを含むので注意。

1点目はたった5話(約250分)で終わっているところ。そりゃあんな出来になりますわ。

次に桑原和馬が無骨不細工じゃない。ここが大部分を占める。

私が漫画を読んでいて感じた桑原は、器用ではなく色男でもなく間抜けで、決して強くはないが、

それでも妖怪に立ち向かい友達思いで泥臭く熱い男である簡単に言うと単純で真っ直ぐだ。

実写ではなんかカッコいい見た目で見せ場が微妙モブかよと思ってしまった。※演じている人が悪いとは全く思わない。配役と脚本考えろよと思った。

いやいや、桑原1人で幽遊白書の実写が許せないとかと思う人がいるのも分かる。

私の中の幽遊白書浦飯幽助桑原和真、蔵馬、飛影の4人で完成している。誰一人欠けてもあの名作は生まれなかった。

浦飯幽助は伝え方は下手くそだか、うちの思いは熱い真っ直ぐ人。The 主人公なので良くも悪くも個性あんまりない。

蔵馬は女性っぽい見た目でイケメンクールで頭も良い。志尊淳という、その人がいたか!と納得させてくれる配役で、妖狐も私的には似合っていた。

飛影は子供っぽい一面もあり、中二臭いカッコ良さで自己中心。本郷奏多も合っていた。欲を言えばもう少し中二臭さが欲しかったが前述した5話で終わるのを考えると仕方ないかなとは思った。

そして桑原である。前述の3人に足りていないおバカでカッコ良くない点を補うキャラだ。

カッコ良くはないが、その真っ直ぐさがカッコいいキャラ。浦飯も頭は良くないがおバカではないと思っている。

実写では不器用なところだけフォーカスされて、おバカでもなく、なんかカッコいい、そして見せ場も微妙

なんで5話にした!!!なんで桑原中途半端にした!!!蔵馬、飛影だけじゃないんだぞ!桑原いてこそ主人公含めて際立つんだよ!!!

そりゃ5話にすれば、色々削って桑原中途半端になりますわ。

5話で戸愚呂編を無理矢理終わらせようとしたのは何でだよ。

幽遊白書で一番面白い部分の戸愚呂編が序盤を入れて5話で終わると思った人は何なんだ?金が無かったのか?

Netflix実写化した今際の国のアリスめっちゃ面白くて、2部作で合計16話(約880分)もあった。

漫画今際の国のアリスは18巻。幽遊白書は19巻。戸愚呂編完結までは13巻。

なんで13巻が5話で終わると思ったんだよ!5話で面白さ伝えられると思ったんだよ!実写の最後らへんの氷泪石のくだりも雑なんだよ。ちゃん伏線だせよ、出さないならなんだよあれ。

何回も読み直した好きな漫画だけに凄くあの出来は悲しいよ。しかも配役も悪くない。

見る前は戸愚呂弟(綾野剛)は微妙かと思ったけど、大きくなるのを上手く表現できる配役だったし、なにより綾野剛が合っていた。ごめん。

5話で終わらせられると思った奴、まじで許せない。5話なら配役良くてもあんな出来になるだろ、凄く悲しい。

ちなみに今際の国のアリス漫画は見ていない。実写(Netfilx)だけ見た。それでも面白かった。幽遊白書も実写だけならおもろいのかな。

みんなも見てくれ、そして私の悲しさを感じてくれ。違うと感じたなら、違うと反論してくれ。

2023-12-22

妖怪サンタさんはいないぞおじさん

習性

さな子連れを見つけては「サンタなんかいねーんだよ」と大声で吐き捨てる

子供の声からサンタさん」という単語を聞きつけた場合もわざわざ駆けつけて同様のことをする

記事

弱者男性

2023-12-19

幽遊白書実写版見てるからリアルタイム感想を書いていく

1話

浦飯◯ 桑原

制服が良いね、ダサカッコイ

 

けいこ、ちょっときつい、普通に15歳くらいの役者でよかったんじゃないのか

母 まあまあ

ぼたん かなりきつい、吐きそう、アニメ版はぼたんが一番好き

ここらへんの演技の臭さもうちょいどうにかならんの?間の使い方終わってんじゃん、いつもの実写化

アニメって間の使い方ちゃんとしてるよね

 

いきなり妖怪の話やら大穴やら出てきて話がとっちらかってる、ど素人かよ

原作日常から徐々に異常になっていくのがいいと思ってたのでこれはきつい

 

映像及第点だけど、ちゃんと魅せる時間を取ってないのと、どうしても安っぽい

幽助のキャラが見えてこない

 

ぼたん、お前せめて飛べよ

母、お前泣けよ

漫画の母好きだったなぁ

同級生髪型どうした、韓国っぽくねえか?

桑原のシーン変えるなバカ

てか家が広いしきれいな違和感

 

だめだもう無理

幽白アニメでも見るか

2023-12-18

武史はいろんな人の前にふらりと現れては、いろんなものを食い散らかして、お家(=Mr.Children)のところに帰っていく妖怪

これに食べられると、やたらと壮大なスケールの曲ばかり作るようになります

2023-12-17

半乾きのぶどうと黒いあい

安心の住処にたまに出るあいつ、招いてもいないのにいつの間にかどこからか、長い触角を揺らし、ガソリンを塗りたくったような人工的なテカテカの体をもつあの生き物のことを、現代日本で知らない人はまずいないだろう。

一人暮らしの敵、家族で住んでても敵の、Gの呼び名で呼ばれるあれだ。

名前を冠した噴射タイプ殺虫剤、「巣まで皆殺し!」とかいう物騒なキャッチフレーズの置型殺虫剤は広く知れ渡り、恐怖と憎しみを一心に受ける虫だ。

メスのカブトムシカナブンほとんど同じ見た目をしているくせに、あの平べったいからだと長い触覚、何より自宅に現れるという点でこれだけ嫌われるというのもなかなか可哀想な話だ。

私はそいつを生足で踏み潰したことがある。

しか中学生夕方頃。いつものようにリビングにいて、ちょっとそこまでと廊下に出たときだった。普段スリッパを履いているが、ほんの10mの移動だからと一瞬の素足の瞬間だった。

ぐねり

こう表現するのがおそらく一番近い。左足の土踏まずのあたりで何かを踏みつけた。土踏まずの部分は名の通りペッタリと地面を踏む形でなく半円状の空間ができるが、そこに”何か”はベストフィットした。

なんか踏んだな、とは感じたものの、そこまで硬いものではなく重力に従って私の足は踏み降ろされ、その勢いのまま

ずりゅん

”何か”がズレた。

このとき私の頭にあったのは「すこし萎びたぶどう」だった。

巨峰くらいの大きさの粒から若干水分が抜けて薄くなり、それをまるごと踏みつけてしまった。ズレた感覚は皮から実が押し出されたのだろうと直感的に感じた。それまでの人生で一番近い感覚ぶどうだった。

あってるけど合ってない。

あとはそのまま、足を退けて目に入った明らかに果物とは違う毛の生えた脚に自分でもよくわからない叫び声を上げて垂直に飛び上がった。

叫び声を聞きつけた家族が跳ねる私と事故現場を見て混乱していたが、説明している余裕なんてない。

感覚を振り払いたくてビョンビョンと飛び跳ねながら風呂場に直行し、足裏を風呂掃除用の硬いブラシで力を込めて擦った。おいてあった掃除用洗剤やらアルコールやらをぶっかけ風呂椅子腰掛けて片足の裏を半泣きで覗き込み、一心不乱にこすり洗いをする姿を自分俯瞰して、そういう妖怪のようだと一瞬思った。砕けたパーツがくっついていなかったのが不幸中の幸いとでも言うべきか。

気の済むまで洗って風呂を出ると事故現場はもう無かった。聞けば兄が後処理をしてくれたという。「バラバラだったわ〜」とのコメントは余計だが、見なくて済んだのはありがたい。身体部分と羽部分が分離していたといい、つまり、あのときの「ずりゅん」は上から斜めに力が加わったことでソレが分解された感覚だったのだ。ぶどうと思った厚みと感覚の納得感とともにあの類の甲虫を踏むのはぶどうを踏むときに似ているという本当に要らない記憶が残った。

余談だがその後しばらくはひたすらインターネットで同じ体験検索し、よくあることだと自分を納得させた。調べた中で多かったのは靴の中に潜んでて気づかず踏んでしまうケース。出勤前に勢いよく踏み抜いて「パンッ!」と音とともに弾けさせてしまった人もいた。スリッパの中にいたとの投稿もいくつか見られた。しかし、ネットいくら探しても私と同じ生足で踏み抜いた人はいなかった。あれはゴキブリの警戒心と人間の迂闊さが合わさった一瞬の奇跡出来事だったのだ。そんなレア体験をしたいと頼んだ覚えはないのだが。

無理なお願いとはわかっているが、基本的に警戒心が強く薄べったくて危険から反応速度が0.11秒とも言われる奴らのくせに、人間が必ず使う箇所に隠れるのはお互いのためにやめていただきたい。こちらも無駄に命を奪ってしまった罪悪感が残り、「力が強すぎてちょっとのことで人間を殺してしま巨人」の気持ちはきっとこんな感じなのだろう。

以上、ゴキブリを素足で踏んだとき感覚は半乾きのぶどうを踏んだときと同じである。この文章を読んだ方もその感覚想像してみてもらえると、あの時の私も浮かばれる気がする。

2023-12-08

ただの人間妖怪トイペセンチ残しとの違い

うちのオフィスフロア妖怪トイペセンチ残しが出没するようになってから数年が経った。

はじめのうちは偶然かと思っていたがすぐに確信に変わった。妖怪トイペセンチ残しは意地でもロール交換しない。

自分も数センチ残してしまうかもしれないと思っている人はきっとこういう手順を想定しているだろう。

1. トイレットペーパー必要な分引き出す

2. ホルダーを押さえて紙を切る

3. ホルダーには数センチしか残っていないペーパーが残される

これは全く問題ない。偶然こうなってしまうのは誰にでもあることなので気にするほうがおかしい。

妖怪トイペセンチ残しはの手順はこうだ。

1. トイレットペーパー必要な分引き出す

2. トイレットペーパーの終端にあたる

3. 紙を数センチだけ戻す

4. ホルダーを押さえて紙を切る

5. ホルダーには数センチしか残っていないペーパーが残される

この終端にあたってからセンチ戻すというのがポイントだ。

通常ペーパーの最後のひと巻きは芯に密着しているのだが、妖怪トイペセンチ残しが残したペーパーはなんというか、ふんわり巻かれているのだ。

なんなら終端部分が芯から剥がれて、ただホルダーに紙のきれっぱしがはさんであることすらある。

もちろんペーパーの種類によっては最後は通常でもふんわり巻きの場合があるだろうが、

うちのオフィス使用しているメーカー最後のひとまきはしっかり芯にくっついているので

妖怪のしわざか人間のしわざかはひとめでわかるのだ。

2023-11-30

スーパーへ買い物に行ってどれにしようかなと迷ってるとき店員商品の整理してるふりしてこっちの様子観察してるのきもいんだけど。

場所変えて別の商品見てたらさも「次はこっちのエリアを整理します」みたいな顔してこっちに距離つめてくるんだよな。

また別の場所へ行っても……。

なんなのあの低級妖怪

映画鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

・良良良ー良・良良良だった

なんかもういろんな意味で良ッ

観るという判断をして良かった

・途中まで「水↓木↑さん、バチクソに令和の受けど真ん中だし自らエロ同人の導入みてえなシチュに入ってく…」という思考が半分占めててふーん、昭和倫理観+田舎御家騒動、やね…+チラつく墓場鬼太郎の「じゃ!」 で見てたけど途中なんかこのシーンだけ絵のレベルが段違いじゃない?なテラス戦闘シーンから「この映画、意外と社会派チックな事いいおる…そういうの、好き…」ってなって引き込まれていった

・導入の記者の人が見た廃村になった描写と当時の生活があった頃の様子の対比でイイネ!ってなった

・おっねずみ男とかコウモリ猫の系譜や!と思ったら本人だった 記憶よりふた回りほど小さくなっとる…? 基本コメディリリーフだけど「俺は手を引くぜ」の闇に消えるシーンとか人ならざる者感して好き

水木キャラを演じる古川さんの声、良すぎる

・水木さんのバチクソ受けっぽさは狙って作られたというわけでなく偶発的なものという感じがvery very goodすぎる

鬼太郎父、水木さんにデレるの早ない?と思ったけど恐らく行間があるやつ

この行間pixivにある

一族関係を把握しきれてない

まり近親姦世代紡いできてた一族ってこと?それハプスブルグ家みたいにならない?だからショタは病弱だったんか!今合点した

・思った以上に最後まで存在感出し続ける斧

夫婦再会シーンで引きで映る地面に転がってる瀕死状態の水木さんすき

・たまにある鬼太郎ピンチ回に出てきそうな妖怪ゴロゴロでてくる 鬼太郎父つよい

・後半の主張の感じは説教かほりがするなあと思わなかったと言ったら嘘になるが元の鬼太郎児童向けアニメやしズートピアラストみたいな「言葉にして作品の言いたいことを固める」あった方が観るがわの心構えの方向性が示されてええかと思ってみてた

観客大人しかいなかったけど

平日の朝イチ回だから

己みたいな層しかいないと思ってたら意外とおじさん客・男性客いて驚いた

・思い返すと「世代交代」とか「全体主義個人いのちだいじに」とか「ご先祖様の血脈→あっこれ鬼太郎くんのやつや!タイトルや!」とか複数テーマが滅茶苦茶匠なバランスで的確に描写されとった…もう電車タバコガンガン喫煙してたり吸殻ポイ捨てしたり細かい描写の積み重ねが「時代倫理観」「今から見ると引くけど当時はみんなやってたか普通だった」を確実に伝えてテーマと絡めて「伝えて」きおる…スタッフさん天才か?

全体主義に見せかけた「おまえら特攻してこい」→「隊長は?」で首の「死んだら、アカ~ン!」本人の見えないとこで舌ペロを思い出した

エンディングロールから最後最後まで良すぎじゃん…水木神原作の「鬼太郎を育てることになる」単話だけ予習してたから(いろんな意味で)これ最後どうやってあの流れに着地するんや…と思って見てたらアッ白髪……そういうの好き……アッ…エンディング漫画なのだあいすき…アッ…虚しく宙をかく鬼太郎父の腕…でも魂に刻まれてる…そういうの好き好き侍…アッ…最高…で終わってた

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