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2020-06-16

あいもしかしてゲイじゃないの」というフレーズは、飲みの場でイジリ・ネタとしてありそうだけど、「あいもしかしてザイニチじゃないの」というのはありえない。イジリになんて絶対ならない。タブー感すごい。口から出せない。出した瞬間、こっちが破滅する、というより、自分自身抵抗感があって発声することができない。

それぞれの所属するコミュニティ雰囲気にもよると思うけど、自分はそんな感じ。大卒ホワイトカラー職場。ちなみに「ゲイじゃないの」もたぶん、一瞬、笑いになるけど、あとで怒られるというか、たしなめられるくらいはあると思う。「そういうこと言うもんじゃないよ」とか。

アスペ」「キモオタ」「DQN」は内輪ではいうけど、職場関係の交友では言わない。通じないと思うからネットジャーゴンだと思ってる。でもそういう言葉遣いをしないだけで、飲みのネタにはしてると思う。なんか別の言い方で。

関西なので、特定地域に対して、歴史的在日韓国朝鮮人が多いとか、かつての被差別地域だとかそういう認識はある。それについて話をすることは職場でもある。でも、たいがいが社会条件とか歴史的経緯についてのことで、個別具体のことは絶対に人前で話すようなことではないという認定。ゆえに、「同和」「ナマポ」「池沼」みたいなのは、「在日」同様、どんな場面でも、自分の口からしたことはない。なんかできない。これらはネットジャーゴン以前に、書き言葉だと思っている。とはいえ生活上、思うことはいろいろあるので、内輪では話のネタになることはないでもない。でも、よくないなーと思いながら話している。

自分の中の差別意識もいろいろだし、用語の線引きもいろいろだなと思った話。

2020-06-04

こばるさん(@sha_k_br)のブログを読んでの感想

私は、ただの通りすがりである

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今までは、ただ荒れている海を時たま平和なところから眺めていただけだった。

そして、たまたま見かけた漂流物に対して思ったことを気まぐれに書いて見ようと思った。

ここから書くことは、現段階書いている私には公開するかもわからない文章であり、該当のブログ記事に対して思ったことを気ままに書くだけなので何かを伝えるというつもりは一切ない。自分のなかのことを整理しようと思っただけのことで、こばるさんが何を思おうと私は興味はないし、これを読めというつもりもない。

発端はそのブログであっても、おそらくは私の思ったことまとめに終始すると思われるからである

以上のことを踏まえて読むかを決めてもらいたい。

これは自己保身という人もいるかもしれないが、私にそのつもりはない。

匿名で、なんの影響を被ることもない場所で、ただ書き散らかす文章から一切の重みはないということを読んだ人皆に伝えるという意図の、私の責任感の表れと取ってほしい。この文章はただの電子ごみだ。

さて、まず該当ブログurlを貼らせてもらう。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ

私は、このブログ題名名前があがっている方のCFにまつわる問題を時たま眺めていた。最近出来事などの一連も一通り見ていたつもりではある。

私には、一切法律的知識CF知識はないため、収支報告を求めるものに、「まあそりゃあ疑念が湧いたら事実確認をしたくなるよね」程度のことを思うことしかできない。これは、お使いに行かせた子供お金をちょろまかしていないか確認したい、というような感覚と似ているのでCF適用できるのかは私には判断はつかない。

私はここで、この方の問題について白黒をつけたことを書くつもりはない。あくまで、こばるさんのブログについて思ったことを書くというつもりだからだ。

このブログ記事は「CFした方がネットリンチをされている」という前提で書かれている。(題名からしてそう)

なので私がそのことについて書くということは、その前提に対して物申すということになってしまう。

そうなると、私の考えたいことと外れていくと思うのでとりあえずそこは保留にしておく。

以下、本文を引用しながら書いていく。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ。

あなたたちは愚かです。

優しさに賢さが追いついていない人、賢さに優しさが追いついていない人、その両方が見受けられます

優しさに賢さが追いついていない人は、大局を見る能力がありません。「優しい」という自己イメージに捉われて、その表面的な振る舞いからはみ出す勇気がないだけの愚か者です。

賢さに優しさが追いついていない人は、あなたが学んできた知識を、愛情を持って世界還元しないところを見ますと、やはり愚かだと思います

あなたのための寛容な世界づくりを、自ら放棄し続けているあなた方は、全く賢くありません。

声を上げる人の、精神高潔さを知りなさい。

そしてあなた自身の恥を知り、愛を知りなさい。


正直言うと、私はこの「優しさ」や「賢さ」という言葉が何を指しているのかがわからないため、ここは飛ばす。

ただ、「寛容な世界づくり」という言葉から弱者にやさしい世界をということなのだろうかということを何となく推察するに、この人々は強者に当たるのだろう。そのあとの、声を上げる、などは最近話題トーンポリシングもろといった感じである。これ以降のところで語気語調で判断するな、といった内容のことが書いてあることだし。

トーンポリシングに関しては、議論の場は対等な人同士が様々なものを用いて議論をするという理想があるが、そこにも権力関係があるのだということを自覚しよう、といったものであると私は認識している。(何かで読んだ、何だっただろう…)

恥を知り愛を知る、は、まあちょっとよくわからない。思いやりだろうか。悔い改めるとかだろうか。

あなたは愚かです。しかあなたの愚かさは許されます

5年後、10年後に、あなた自分自身の行いを恥じたとき過去あなたの行いを誰も責めてはいけません。

もちろん、今あなたがそれを行なっているならば、咎められるでしょう。法に基づき裁かれることもあるでしょう。

あなた積極的または消極的加害行為が、今、あなたからの加害を受けている人の心の安寧よりも、優先して認められることはありません。

しかし、あなたの今の幼稚さは許されます

あなたはかわいそうです。然るべき手段で裁かれた後、あなたあなた自身からも許されることを願っています


これはまあ、おおむね一般的な考え方であるように思われる。罪は裁かれ償いをしたら一種チャラである。あとは良心問題

まずあなたは、あなたが何に依らなくても、あなた自身が当たり前に存在してよいのだということを、深く理解してください。

これはまず一番最初に、あなたの心の底の底に置いておくべきあなた自己肯定感です。

あなたが今それを得られていないなら、とても悲しく、残念なことです。

自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になるということを、ぜひ知ってほしいと思います

自分自身の心を明かす勇気を、あなたの愛する、信頼できる人に向けてください。

その信頼が報われたときあなたあなたのための自己肯定感を得られるはずです。

その経験を得たとき、その自己肯定感や誇りが、他者にとっても同じ、誰にも脅かされてはならないものだということを、想像できる人になってください。


ここはいささか唐突に思われた。なぜここで自己肯定感の話なのだろうと率直に思った。

自己肯定感がないからこそ、曰く「愚か」な行為をしているという考えであるのかと推察するが、「自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になる」という点では、賛同/肯定をされた時点でその賛同/肯定されたものが、結論として善であろうと悪であろうとその内容はかまわないように受け取られる。

それとも、「愚か」なことであってもその自己肯定感が生まれたらばそれ以降回心できるはずといったようなことなのだろうか、私には少々やはり呑み込めない。

ある層に受けることを言ってしまったらその承認におぼれてしまい、そこから抜け出せないこともあるのではないか、等々考えてしまう。

まあやっぱりよくわからない。

また、「中立」の立場をとり、自分を冷静だと思っている方へ。

あなたが行動をしない限り、あなたは無敵です。

あなたが何かを決めない限り、あなたは誰にもジャッジされることはありません。

あなたは、いつでも世情に合わせて、怒られないための「正解」を選ぶことができます

あなた卑怯です。安全場所で、物事を見定めているつもりになっている自分自身のことを恥じてください。

あなた対立する勇気を持っていないのなら、あなたは有力な参謀にはなり得ません。

そのことを理解し、自身のことを省みてください。


私としてはここが一番の山場であった。ここで、こばるさんは他者に対して「対立する勇気」求めている。

私はここが一番引っかかった。

意見を表明する勇気」ではなく、「対立する勇気」であり、「中立」、決めかねるという一つの判断否定していると思うからだ。

以下は、浅い知識によるものから最初に書いたことを思い返して、あまり真に受けないで読んでもらいたい。

私は、この言葉を読んだとき、エポケーという言葉を思い出した。

エポケーは、判断停止や判断中止とも言われる。これは、懐疑的もの見方として生まれもので、常識などを棚上げし、事実を見るというようなことである。「これまではそうだった、だからこれからも違いない」ここに対して待ったをかけるようなものと私は習った記憶がある。思考停止とも違うということも。

判断を停止するということは、結論を下すことを中止するということで、こうだった場合にどうなるかといった想定をしてその場合結論としてはどうなるか、と考えることをやめるわけではない。

判断停止をし、意見表明をしないということは確かに叩かれるものがないという点で「無敵」かもしれない。

しかし、むやみに敵を作るような行為は慎んだほうがよいのではないだろうか。対話可能と思えないのならば、口をつぐむということも選択肢に入って来るのではないだろうか。そこで人は絶対意見を言わねばならないというのは酷であると私は思う。

立場を明らかに意見を表明できないのは、冷笑主義でもない限りそれ相応の判断停止の理由があるのではないか

または、明らかにするほどのことではないという一種の”判断”でもあるだろう。

ここをおして判断を迫るのならそれ相応の論拠を明確に提示していく必要があるだろう。

また、全貌を知らないままに下した判断には危険性があるのではないかと言いたい。

ヨクシラという言葉があるが、ヨクシラで首を突っ込み盲目的に突っ走るというのは恐ろしいことである。むやみやたらに判断を求めたらいいというものではないと考える。

ただ、これはヨクシラで判断を下し動いている人々に対して判断を下し行動することをやめろといいたいのではなく、その判断に基づいて物事を見ることに固執しかねない、という危険性を留意しておくべきではないかという意味であり、柔軟性があるのなら、意見を表明するという言語化を通して自身の考えをまとめることができ、それを叩き台にしていろいろの人との対話をすることで自身の知見を深めることができるため、それ自体をすべて悪いとは思わない。

これはヨクシラでない人であっても同様のことがいえると思っている。固執することは恐ろしいことである

そして、これらの話はどちらか、いずれか、なんらかの想定されるコミュニティに与するという話ではないと思う。

私は、「対立する勇気」という言い方にどうしても、二項対立ですべてを説明しようとする姿勢が見えてならない。

人々はそうそ一枚岩ではないだろう。学校クラスの分裂ですら、賛成反対と大きく分けてみた中をのぞけば、容易にその中の分裂が見える。

「有力な参謀」という言い方も、ある組織構造を持った何かを想定しているように思える。

ここ以降は、声を上げるリスクについての説明などで、黒人男性黒人若者に対し言っていた言葉彷彿とさせるものだった。

以降に関しては特に思うところはない。しいて言うなら、「数は力」という言葉と、黒人差別意識させること自体だろうか。(全体な気がしてきた)

「数は力」に関しては正当性があると思ってのこの書き方なのかもしれないが、それはマイノリティマジョリティの流動にしかならないのではと思ってしまう。

数は結果であることが望ましいのではと、素朴に思う。まあ、綺麗事なのはわかる。正当に数を得られるように頑張ってほしいものだ。

政治について学んでおらず、社会学に関しても知見が浅いので、これは当たらないかもしれない。(田中角栄しかでてこない程度の知識である。)

黒人差別意識させる書き方をしてることが引っかかるのは、これは黒人差別と同じものではないからだ。

ここからは本格的に蛇足であるが、考えたので残しておく。

ネットリンチは悪いものだ。

差別だって犯罪だってそう名のつくものは悪いものだ。だってリンチ差別犯罪からネットリンチ批判することに是非は問われないだろう。

ただ、ネットリンチというレッテルを誰か他者に貼ることはどうだろうか。

私は、この悪者としてのレッテル他者に貼ることが端的に言って怖い。

これを叩かれるのが怖いということだとは勘違いはして欲しくない。

ここでは、叩かれることは問題ではない、他者レッテルを貼ることが問題なのだ

それをするのは、覚悟必要だ。

その時周りなどは関係ない。私とその人との問題しかない。間違っていた場合のことを考え、極力それをしないように努めなければならないと私は考える。気分としては推定無罪、のような感じだ。自分責任を取れないと思うから責任を持って私はどちらに加担することもしない。

私は当事者でもその近くでもないからだ。

誰かが言ってるから、そんなことで自分の行動を決めてはならない。

大勢迎合することも好ましくない。責任に欠ける。

こばるさんのこのブログ記事は、前提がもう、ネットリンチというレッテルを誰かに貼っている。

想定されているだろう個別具体的な人々はいるのだろうが明確にはされていないから、私にはわからない。ネットリンチは無くさねばならない。

しかに当該の方にネットリンチと(法的、公的に)されることをしている人はいるのかもしれない。

それならば、その人は然るべき罰を受けるべきだ。

私もそのネットリンチをしている人々に対してのみに当てられたものだったら特に何も言おうとは思わなかった。

しかしこの記事では、ネットリンチとこばるさんが思うものについて、ネットリンチだと断定しない人間(中立)への批判がされていた。

私はそこにとても引っかかりこんな長文乱文を迷いながら書いている。

繰り返しになるが、ネットリンチだと判断するのは、ネットリンチ批判するその個人がしなければならないと私は思う。少なくとも、公的な場で決まりきっていないなら、そうなる。

それはしかし、「どう見ても正しさの欠片もないもの」と「正しいけど程度として問題があるように思えること」など、いろいろなものがあるのではないだろうか。私刑は正しいことではない。

少なくとも私は、ネットリンチというレッテルは、どこまでいったら貼って良いものなのかの知識はない。

こばるさんはそのような発言をして批判をするのなら、せめて、明確にネットリンチがなされていると自分が思う根拠を示す必要があったのではないかと思う。

このブログは、黒人差別問題彷彿とさせる。

しかし、黒人差別と同等なほどに、誰がみても、正当性を持って、ネットリンチと言えるものなのだろうか。こばるさんがネットリンチだと思っているものは。

ネットリンチというレッテルを使わずに、自分が目に余ると思う行為をしてる人たちについての問題提起をするということだって、一考の余地はなかっただろうか。ネットリンチとされなくても、人道的に嗜められるべき行為などはある。

私は少なくとも、一連を見てて何に義があるかというのは、簡単に言えるものではないと思っている。

いろいろなひとがいろいろなところでいろいろのスタンスで話してるのを見かけるからだ。

そこまで注視してない私ですら様々な意見を目にするのだからもっと様々な人がいるだろう。

私が見てる中にも、見てない中にも、ネットリンチに当たる行為があるのかもしれない。

ただ、私は誰かから困っていると言われたら、然るべき対応を、としか言えない。

手に余ることをするのは、無責任だ。

デマの流布をしないことが、一番私としては誠実な態度だと考える。

こばるさんの想定には私のような問題を外部から眺めている人間などが入ってないのかもしれない。ただ、この書き方はあまりにも広範な人を巻き込んでの批判ではないかと思う。

声を上げることそのもの正義、ではないと私は思う。

後半の論調的にはネットリンチ気づきつつ口をつぐんでいるサイレントマジョリティーを想定されているようにも感じられたし、基本的にこのブログ記事は、正義は我にあり、と信じて書かれているように思われる。

なので、正当な判断をしたらきっとこばるさんの側につくとこばるさんは信じているのだろう。

個人的には、正義は我にありと信じてやまない、揺らがない態度というのは、少々怖いものだと思う。

たとえ考えが変わらなく思えても、問い続けることは大事ではないだろうか。

乱文なので、また編集をすると思います。ここまで読んだ人がいたら、お疲れ様です。文意通らないとこあるかもだけど許してちょんまげです。

頓珍漢なこと書いている気もするけど、暫定的に。

2020-05-31

anond:20200531090206

飛沫感染接触感染で広がる

政府OKと出してるのはその2つのリスクを勘案して出してるのであって

個別具体的にはリアルタイムで条件が様々変化するわけだからそこは自分で考えるべきって話

実際何ヶ月か前、公園OKって言われたもんだから公園に行って遊具ベタベタ触ってた人多かったでしょ

それが危ないって言われたら今度は公園のものに行くのが怖くなって止める人が増えた

基本は自分で考えるって事になってればこんな事になってない

2020-05-24

SNS交通道路に例えるならその運転免許は何なの?

ある芸能人自身noteSNS法規制を求める内容を記載してた。

そこに挙げられていた例えに「交通事故を起こした運転手免停になる」というものがあった。

まり彼はSNS交通道路見立て著名人誹謗中傷リプライを送るアンチ交通事故加害者見立てていることになる。

ここで高卒ニート24歳の俺に1つの疑問が生じた。

――SNSにおける運転免許って何だろう?

暫く考えてみたが自分には適当存在が思い当たらなかった。

ネットでは古くからネチケットと呼ばれる公共マナー提唱されているが、これは人によって定義が異なる抽象的な概念だし、個別具体的な行為規定してるわけでもなく、ネチケットを広く包摂する法律存在しない。

限りなく妥当に近いのはSNS利用規約だろうかと思ったが、例えばTwitter利用規約にはこの様な一文がある。

――利用者は、本サービスの利用により、不快有害不正確あるいは不適切コンテンツ、または場合によっては、不当表示されている投稿またはその他欺瞞的な投稿に接する可能性があることを、理解しているものします。

字義通りに素直に解釈すれば、TwitterユーザーTwitterを利用することでいわゆる″アンチ″ の投稿によって不快な思いを受ける可能性さえも理解して利用すべき、となる。

仮にこれをSNS(この場合Twitter)の運転免許とした場合、「アンチ行為をしたユーザーからSNS発言権を奪うべきである」と唱えるユーザーから言動免許所持者として適切な言動と言えるのだろうか?

もちろんTwitter利用規約に関して言えば

―― 当社は、Twitterユーザー契約違反しているコンテンツ著作権もしくは商標侵害その他の知的財産不正利用、なりすまし不法行為または嫌がらせ等)を削除する権利留保します。

という一文も記載されており、具体的には各々のユーザーが「このツイート/アカウントユーザー契約違反している」と考え運営に報告し、その都度Twitterの各種ポリシーに照らして個別具体的に判断されて、仮に違反が認められた場合にはアカウントの凍結等々の判断が為される、というプロセスになる。

ちなみにTwitterユーザーなら既知の事実だと思うが運営判断杓子定規的ではなく現状ケースバイケースでかなり判断に幅のある恣意的ものになっていると思う。

なので仮に運営判断運営免許とすると運営に尋ねるまではユーザー免許の所持/不所持が判然としないシュレディンガー運転免許になってしまうのではないだろうか。

そして当然のことではあるが、仮に利用上でユーザーによる触法行為が行われた場合には、それこそユーザーの報告やTwitter運営如何に依らず捜査機関による捜査逮捕起訴等が行われることもあり得るわけで、このケースを例に準えるとSNS運転免許違反ではなく日本国運転免許違反妥当するのだろう。

正直な気持ちを書くと俺はSNS法規制を与えるべきではないと思う。

名誉毀損著作権侵害児童ポルノ投稿等の触法行為に関してはこれまで通り国内法で対処可能であるし、個別具体的な暴言等の″マナー違反″に関しても運営に報告してその判断を仰ぐプロセスが用意されているわけで、仮に運営裁定に納得がいかなければSNSの利用を停止する自由もあるわけである

SNSの利用が強制されたものでない以上始める自由も辞める自由行使できるわけである

自分にとって気に入らないSNSを取り巻く環境法規制を求めるのは自由だが俺は上記理由から全く賛同できない。

なおメディアを賑わせている自死された女子プロレスラーの方に関して書けば、彼女は出演されていた番組プログラム犠牲者なのではないかと思う。

リアリティショーだか何だか知らないが生放送でない以上当然事後に編集が加えられているわけで、そのことを思えば脚本台本が全く用意されていないとも考え難く、言うなれば彼女製作陣の指示に従って喜怒哀楽の演技をしていたら視聴者から嫌われ悪辣言葉を投げかけられて精神病み死を選んでしまったリアリティショーの犠牲者なのではないか、と思う。

赤の他人どの面下げて冥福を祈るんだ?という従前からの疑問があるので「ご冥福祈ります」と書くのは気が退けるが、一方で強い社会規範に締め付けられているのが俺という人間なので、ここは素直に「ご冥福祈ります」と書き込ませて頂く。

当たり前だが本当に死者の冥福を祈る気持ちはある。

俺は死者を差別しないポリシーなので麻原彰晃の死にも同様に冥福を祈ったわけで、木村花さんのご冥福祈ります

2020-04-19

ブクマカ糸井重里を叩きサンドウィッチマン伊達を叩かなかった理由

これ完全にダブスタだと思うぞ

つーか糸井重里ツイートは「他人を責めるな、自分仕事しろ」みたいな感じで個別具体的なものを示さな抽象的なメッセージだったのに対し、伊達ちゃんブログは「ほならね?批判ばっかりするならお前が総理大臣やってみろって話でしょ?私はそう言いたい。うん。」っていうめちゃくちゃ個別具体的な言論封殺メッセージだったんだよな

それなのに糸井重里ツイートにはめちゃめちゃ叩きブコメが付き伊達ちゃんブログにはほとんどブコメがつくこともなくスルーされている現状

これ不思議ですね

常日頃から見たくないものを見ようとしない愚か者仕草を叩いてきたブクマカはこれブーメラン刺さってませんかね?

2020-03-09

連日コロナコロナでいいかげん疲れてきた

職場特別対応に終われ、最近は眠りが浅いのか寝た気がせず、頭痛もとれない。

これ、政府は「終息宣言」みたいなのをいつかするのかな。

一斉休校だなんだとと要請してきたのだから、それらに対する「解除」の意思表示は必ず必要だろう。

斉一律とはしないまでも、「本日より状況に応じて再開できそうな学校は再開してよい」程度の宣言は望まれるところだ。

個別具体的な対応よりも、そういうのを徹底してもらいたいものだ。

2020-03-05

anond:20200305002405

まあわかってると思うけど、

君のは一般論で、現実個別具体的な理由とはカテゴリが違うわけよ。

「オレの抽象的な疑問を解決するためにお前らの個人的な話をしろ

ってのは、算数計算問題の答えがわからなくて八百屋店頭りんごミカンの数をリサーチするようなもんよ。

答えない。無駄から。君には聞く資格がまだない

2020-03-04

anond:20200304122535

なんで犯罪が起きるの?みたいな愚問に見えるが

個別具体的な経緯に興味あるんだったら

ここじゃなんとも

2020-02-29

anond:20200228212452

転売一般の是非を言うから話がおかしくなる。

一般論としてそもそも転売は悪じゃない。

ふつうの商行為にすぎない。

ただし個別具体的な特殊ケースにおいても常に悪じゃない、わけではない。

限定百個の商品ぜんぶ買い占めて高値転売するのは悪だ。だってみんなが迷惑するもんね。

悪ってようは自分利益のために他人迷惑かけることじゃん。

今回の場合は、単純にマスク高値取り引き禁止の特措法作ればいいのさ。

それに従わない奴は悪。すっきりする。

国の怠慢だよね。

しかしそれにしても、マスクいるんならハンカチとか晒し手拭いとかで簡単に作れるだろ。なんでバカ高いの買ったり寒空に並んだりするの?って疑問を呈してもなぜか誰もまともに答えられない

2020-01-12

anond:20200112012901

そうは思わないね

戦争はよくあるとかその時代に生きてないから俺には関係ないって主張しかしてない人だよ

個別具体的な事柄に対して検討を加えようとか思ってないだろ

2020-01-09

anond:20200109173511

請求権を互いに放棄する条項は1951年のサンフランシスコ講和条約(サ条約)にもある。後に原爆被害者が「条約により米国賠償請求できなくなった」として日本政府補償を求めて提訴すると、政府は「自国民の損害について、相手国の責任を追及する『外交保護権』を放棄したもの個人が直接賠償を求める権利に影響はなく、国に補償義務はない」と主張した。

90年代には、韓国人戦争被害者日本提訴し始めたが、政府は従来と矛盾する解釈は取れず、「個人請求権消滅していない」との国会答弁を続け、訴訟でも「請求権協定解決済み」とは抗弁しなかった。

ところが、2000年代重要な争点で国や企業に不利な判決が出始めると、国は「条約裁判での請求はできなくなった」との主張に転じた。最高裁も07年4月、中国人強制連行訴訟判決で、サ条約について「事後的な民事裁判にゆだねれば、混乱が生じる。裁判上では個人請求権行使できないようにするのが条約の枠組み」と判断した。この判例日中共同宣言日韓請求権協定にも適用され、以降、日本法廷での外国人戦争被害者権利回復不可能になった。

一方で、この判決では「(条約は)個人実体権利消滅させるものでなく、個別具体的な請求権について、債務者側の自発的対応を妨げない」とも示し、関係者訴訟以外の交渉問題解決する道を残した。政府は「解決済み」と切り捨てず、話し合いで救済を目指すべきだ。

https://www.asahi.com/articles/ASLCN6365LCNOIPE035.html

2019-08-13

韓国徴用工に関する整理

日本裁判所が認めた事実認定や、日本国会が出した解釈や、日本会社が支払った中国徴用工への和解金について無知な人が多すぎるので、まとめました。

徴用問題の始まり

労働力の不足を補うため、昭和19年朝鮮総督が、朝鮮在住の朝鮮人に労働を命じました。正当な理由がなくこれを拒絶すると懲役刑を科される、国家による強制的労働です。その後の日本国内裁判で「徴用に応じなければ家族逮捕される」と脅迫されたことや、「寮は有刺鉄線で囲まれ12 畳の部屋に12 人が収容された」「食事は粗末で量も少なく休日も月1、2 回しか与えられなかった」「こん棒で腰部を20 回殴打された」などの事実も認められており、その当時の基準に照らしても安全配慮義務に反する不法労働日本裁判所認定されています

日韓請求権協定で定められたことと定められていないこと

日本連合国サンフランシスコ平和条約を結び国際社会に復帰しましたが、韓国は「日本戦争をしていない」という理由サンフランシスコ平和条約に入りませんでした。

その後、日韓請求権協定が結ばれ、「両締約国及びその国民財産権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決された」と定められ、特に、「被徴用韓国人の未収金補償金及びその他請求権の弁済請求」は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決された」とされました。

ただし、これは、日本政府は「外交保護権を相互放棄したものであって個人請求権のもの国内法的な意味消滅させたものではない」という公式解釈をしています。つまり韓国内の日本国民資産韓国から取り戻したかったら、ご自由にどうぞ、でも、日本政府は手伝わないよ、という意味です。

このわかりづらい解釈には理由がありますもっと自然な、「朝鮮人の日本人への請求権韓国政府が放棄し、朝鮮にあった日本人の資産請求権日本政府が放棄した」という解釈にしてしまうと、韓国内の日本資産放棄に対して、日本政府が賠償責任を負うことになってしまうからです。

慰安婦に関してはまた別の話があるのですが、本題でないので触れません。)

個人請求権についての確定

平和条約のあとでも宙に浮いていた個人請求権ですが、連合軍捕虜への損害賠償を求める米国最高裁判決で、「サンフランシスコ平和条約第14条によって、戦争遂行中に日本国およびその国民が取った行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権放棄されている」という判決2003年に確定し、話が動き出しました。

2007年には、日本最高裁が、「サンフランシスコ平和条約当事者以外の国や地域との間で戦後処理をするにあたっても、(...)条約の枠組みに従う」という判断を示し、サンフランシスコ平和条約に含まれない韓国中国フィリピン等の国民から訴訟も、原告敗訴が決定づけられることになりました。

ただし、最高裁判決には「個別具体的な請求権について債務者側において任意自発的対応をすることは妨げられない」と述べ、「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人(被告企業)は中国労働者らを強制労働従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」という「付言」が付きました。

それを受け、西松建設中国当事者らの間で、2億5000万円を支払い、補償や未判明者の調査記念碑の建立、慰霊のための費用などに充てるという和解が成立しました。

2012年の韓国大法院判決

三菱重工業に対する訴訟で、韓国大法院は、朝鮮徴用戦争にかかわるものではなくて、植民地支配にかかわるものからサンフランシスコ平和条約とか日韓請求権協定とかとは関係なく、韓国人の請求権は残る、と判示しました。サンフランシスコ平和条約から日本最高裁判決に至る流れをひっくり返すものになります

この判決が確定した以上、先日の損害賠償を命じる判決必然でした。

個人的な感想

法律の話で言えば、日本および日本企業請求権が生じる、というのは疑わしいとは思いますが、一部の日本メディアがいうように韓国司法おかしい、とまでは思いません。韓国徴用日本過酷労働をさせたという事例に対して、日本最高裁が独占的な管轄権を持つ、というのは自明ではないし、個人請求権サンフランシスコ平和条約の枠組みに従う、というのもそもそも07年まで不確定だったわけで、議論余地はあるところだと思います。ただ、韓国の主張は、植民地支配に関して請求権が残っていて、元植民地側の裁判請求ができるという話なので、これを認めると植民地支配していた欧米諸国がすごく困ります慰安婦みたいに国際的な広がりを持つことなく、国際法的には日本が勝つのだろうな、と予想しています。あと、請求権協定に定められている仲裁手続き韓国側が拒絶している、というのはかなり韓国に不利な事実だと思います

条約解釈を超えた道義の話で言うと、徴用工に関して日本の様々な裁判所が繰り返し不法行為を認めているのが印象的です(例:01年東京地裁、01年京都地裁、03年東京高裁、96年富山地裁、98年山口地裁、01年大阪地裁、02年大阪高裁、07年名古屋高裁、05年東京高裁、02年福岡地裁、04年福岡高裁、02年広島地裁、04年広島高裁、09年最高裁)。最高裁については先ほど述べましたが、それ以外にも多数の裁判官が自発的な救済を推奨しています基金などを作って、アジア中の徴用工に対して日本自発的補償すべきものなのかもしれません。ですが、和解癒し財団のたどった運命を見ると、現在日本韓国道義と信義誠実に基づいた基金が作れるとは思いません。韓国はかなりアレだけど、日本側の情報発信も、日本裁判所事実認定に比べると、だいぶ偏っているように思います。次の世代が今の世代より賢いことに期待するしかないのかなと個人的には思います

最後に、判決をいくつか引用します。

歴史的事実真摯に受け止め、犠牲になった中国労働者についての問題解決するよう努力していくべき」(宮崎地裁07 年3 月26 日)

被害の救済に向け自発的関係者による適切な救済が期待される」(前橋地裁07 年8 月29 日)

任意被害救済が図られることが望ましく、これに向けた関係者真摯努力が強く期待される」(仙台高裁09 年1120 日)

「ひとりの人間としては、救済しなければならない事件だと思う。心情的には勝たせたいと思っているが、最高裁判決がある場合には従わざるを得ない。本件のような戦争被害は、裁判以外の方法解決できたらと思う」(長野地裁06年3月10日

被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、被告企業中国労働者らを強制労働従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」(最高裁07 年4 月27日)

参考文献

http://www.ackj.org/wp/wp-content/uploads/2017/12/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E9%9F%93%E5%9B%BD%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%A0%94%E7%A9%B615_%E7%89%B9%E9%9B%8641.pdf

2019-08-03

anond:20190803205143

? そのとおりよ。だからこう書いた。

一方、特定3品目について、韓国不適切貿易管理が疑われる事案を挙げている。

で、

ちなみに政府の発表は(中略)北に流れていると明言してるわけではないよね。

うん。

https://www.meti.go.jp/speeches/kaiken/2019/20190716001.html

Q: 12日の事務会合で、経産省としては、不適切な事案というのは北朝鮮など第三国への不正輸出ではないことを説明しました。韓国側は、北朝鮮問題ではなく二国間であるという点を含めて、輸出管理は適正であり日本措置を不当と主張する可能性がありますが、御所見を伺わせてください。

A: まず、それぞれの事案の詳細については、個別の社の取引に関する内容でありますし、また、日本側の輸出管理執行に支障が生じる懸念がありますので、個別具体的にお答えすることは控えたいというふうに思いますが、今回の対象となった3品目に関する輸出管理運用見直しに関連する不適切事案は、韓国から第三国への具体的な輸出案件念頭に置いたものではありませんし、今までもそういう説明は全く行ってきていないわけであります。一度も我々はそんなことを申し上げたことはないわけでありますプレスの皆さんに対しても申し上げたことはありません。

2019-07-29

anond:20190729105248

個別具体的に考えておまえを差別主義者と認定したんだぞ。言い訳はそれだけか?

anond:20190729105123

おいおい、差別主義者なんてレッテル貼りするなよ、俺がどういう人間なのか個別具体的に考えろよ、全くこれだから楽しようとするやつは。

悔い改めろ。

anond:20190729104327

そうやって大雑把に線を引いて「ここから先はぜんぶOK」とするような思考停止いちばん駄目。個別具体的に考えろ。楽になろうとするな。悔い改めよ。

2019-06-24

anond:20190620145908

多くの反差別運動人権運動は、個別具体的な問題関心からはじまる。

それは身近な差別だったり理不尽だったり、あるいはテレビで目にした遠い国の不正義だったり、そういうのに対して「これっておかしくね?」って声を上げるのがはじまりだ。

はじまりはそれでいい。でも、いずれ個別具体的な問題関心だけだと行き詰まるときが来る。それは不正義を体系立てて説明することが必要から

そのとき一般的原理原則必要になる。でも、ここでつまづく人は想像以上に多い。

たとえば、「変更困難な属性に基づく差別はよくない」というより一般的原則ではなく、「女性不利益をもたらすのは女性差別だ」のような抽象度が低く適用範囲も狭い原則採用してしまい、それに囚われてより広い「反差別」という視野を見失う人がかなりの数でいる。

その原則が常に間違っているわけではない。天動説地動説のようなものだ。通常の日常生活を送り農作物を収穫し祭りを挙行する上で「固定された地面の上を天が動いてるんだ」と思っていても何の支障もない。同様に、女性差別にみちみちた社会で、女性の多くが差別を受ける社会で、「女性不利益をもたらすのは女性差別だ」と確信して行動しても、特に不都合はないだろう。概ねそれは反差別一般原則と符合する結果が得られるのだから

でも、本当に天体運動について探究しよう、より精密な暦を作ろう、と思ったら、天動説ではなく地動説に基づかないと不具合が出る。それと同じように、より厳密な正義を求めだしたら、たとえばトランス女性女性専用スペースに入ってよいか、とか、助産師国家資格女性に限られているのは差別か、といった論点に向き合う必要が出てくる。そうなったら、かつて天動説が精密な天体運行をうまく説明できなくなって破綻したように、「女性不利益をもたらすのは女性差別だ」みたいな雑な理解破綻せざるを得ない。

私は一度地動説を知ってしまったので、天動説に戻ることはできない。

でも、一度天動説に目覚めてしまった人にとって、地動説への道は近いように見えて遠いものなのかもしれない。

2019-06-19

anond:20190619233035

なるほど、問題個別具体しか論じられないということだね。

では「あなたは」、男性と仲良くなれないの?

なれないとしたらどうしてなの?

どうして理由を語りたがらないの?

2019-06-17

anond:20190617173405

ググればいくらでも出る案件から個別具体じゃない話をしたら案件ごとに状況が違うから話が喰違ってディスカッションにならないだろ、基礎情報の共有はディスカッションの基本やぞ、会社でも学校でもどこでも一緒だろ、普通の知性もって会議とか意見交換したことあるならわかるだろ。

からないなら覚えとけカス

2019-06-03

anond:20190603012817

支障を来すのはわかる。

ただ、他人からの「惨め」というレッテルを受けて、自己評価が何故「惨め」になるのがわからなかった。

価値のない評価に振り回される必要はなく、他人の内心はこちらで操作のしようがない。

差別区別も、個別具体アクションならばその正当性を問うのも当然だが、他人の内心のために、こちらが「折れて」行動を変えるのを、俺は良しとしない。

とまあ、そういう意味でどうでも良かったのです。

2019-03-12

anond:20190312123844

いや一般論個別具体的に否定されてもw

中世王宮ものやら騎士道ものに比べたら

実話(飛行機が川に着陸した奴とか)は現代が多いから安いって話よ

すべての実話が絶対コストいからとは誰も言ってないわ

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