はてなキーワード: 人柱とは
狭い世界ですし今や匿名掲示板ですら誰が見ているか分からず怖いのでここに投稿させてください。
性犯罪へのバッシングが世間ではこれだけ高まっている昨今ですが、スピリチュアル系・オカルト系クラスタ内でほぼ毎年のように女性が性的被害に遭っている事実が公にはあまり知られていないことに不安を覚えたのがきっかけです。
ターゲットにされやすいのは、親と縁の薄い精神的に不安定な若い女性達です。
彼女たちは生きていくために藁をも掴む思いでスピリチュアルやオカルトにすがった結果、
ネット上のコミュニティで弁のたつやり手の大人たちに声をかけられ、オカルトサークル内で弟子と称しながらも性的に奉仕するための人柱とされています。
また、こうしたリーダーのバックには反社会的勢力がついていますのでなかなか辞めるとは言い出し辛い雰囲気があります。
逃げにくい理由のもう一つに、スピ・オカルトではしばしば男女が交わることの先に秘儀があるという思想に重きをおくため、性的なことに抵抗を感じること自体がおかしいといった風潮があります。
噂で聞く限りでは裏で麻薬を用いることも少なくないとか、そうでなくとも儀式的動作でトランス状態に入っていますから、はっきり自分の意志でもってNOを言い出しにくいのもあるのではないでしょうか。
こうした問題がある程度名前の知られた人物の側で起こっているため、初心者はよもや搾取されるとは思わず甘言に惑わされやすいのかもしれません。
昔はオカルトに関心のある人はごく少数でしたが、スピ文化が蔓延した結果単なるサブカルの一部となり敷居が下がって免疫のない人が毒牙にかかっている印象です。
他人に対して「~は甘え」とかって言う人さ、それは何に対しての甘えなの?
社会の歯車としての役割を自分や他人にまっとうさせて皆で人柱になろうっていう覚悟に対する甘えでしょ?
そうやって「社会人」みたいな想像上の硬直的なロールに縋って生きること自体が、自分の人生を自分で調整して自適に生きようという現代的で知的な考え方からの逃げであり甘え。
他人の考えを束縛し枠に嵌めて追い詰めんとする害悪全体主義思考だと気づいた方がいいよ。その甘え発言がほとんどの場合忠告にすらなってない、パターナリズムとしての役割も果たしてない事にも気づかないくらい凝り固まってるんだろうからどうしようもないけど。でもしょうがなくないわ。そういう発言が巡り巡って実際に人を自殺に追い込むんだから。でそういう人に限って自殺者のことをバカだなぁ融通のきかん奴とか言うんだよね。たかが風邪のことでって思うかもしれんけどそういう所から始まるんだよ。逆に言えば、そういう些細なところで自愛を促せるかどうかが、職場とかのコミュニティの健全さをはかる指標になるとも言えるけど。
「古い慣習を、“伝統”という言葉に摩り替えて庇護するのではなく、その時代に合わせて柔軟に変革する。それこそが生徒会、ひいては在校生に求められることだとワシは考えております」
「副会長……そういう崇高な理念も結構だけど……先に要件だけ述べたほうが皆にも分かりやすいよ」
基本は副会長が前面に出て、会長はでしゃらばずにバランスを取るというのが、今年の生徒会の特色だ。
生徒会における活動は副会長がほとんど掌握しており、なぜその立場に留まっているのか、疑問の声がよくあがる。
何らかの大きなトラブルが発生したとき、人柱になる人間をトップにしている、というのが俺たちの間での定説だ。
「では、単刀直入に申します。“大校則”の3項を修正することを提案します」
「あ……オレっちは反対したからね……一応……オレっち以外の生徒会メンバーは……みんな賛成していたけど」
“大校則”
これを現代風にアレンジしたい、っていうのが副会長の提案らしい。
各学級の代表たちがザワつき始める。
そもそも話の要領を得ることが出来た人間が、その場にはいなかったんだ。
大校則の一部分をちょっと変えたくらいで、何がどう変わるのか分からなかった。
全ての校則を律儀に守っている生徒なんて一握りだし、破ったところで大した支障はないのが現状だったから、ほとんどの人間にとっては「あっ、そう」って具合だったんだ。
それは大校則においても変わらない。
副会長にとっては、みんなの関心の薄さが、むしろ好都合だったに違いない。
俺たち無所属の在校生に、大校則の修正案の情報が届いたのは、それから数日後のことだ。
「大校則の3項? ふーん……」
とはいっても、学級代表者と同じく、俺たちも大して関心はない。
最初は誰も気に留めなかった。
不真面目団たちも、これの意味するところが何なのか気づかなかった。
「確か3項に書かれている内容は……なんてことだ!」
真っ先に気づいたのは、ウサクであった。
ウサクはこういったことに勤勉な性格で、学校の校則も把握しているんだ。
「愚かな。生徒会の彼奴ら、そこまでするか!」
「ウサク、何をそんなにテンパってるんだ」
「分からんのか? これは貴様や、不真面目団にも大きく関係することなんだぞ!」
そう言ってウサクは生徒手帳を取り出し、その大校則が書かれている箇所を指差す。
そこには『学校でのカリキュラム、行事に直接影響する場合のみ校則は強制力を持つ』と書かれていた。
「これを修正すれば、不真面目団などの気に入らない者共を、容易に取り締まることが出来るってことだ!」
ウサクの言いたいことは、何となく分かる。
だが、俺の反応は鈍い。
取締りが厳しくなるってことなんだろうが、それは単に生徒会メンバーによる注意が、今よりもウザくなるってだけだ。
普段から守っている人間には関係ないし、よく注意を受ける人間は既に慣れてしまっているから大して意味がない。
カジマの反応も鈍い。
それもそのはず、不真面目団は別に校則を破っているわけじゃないからだ。
単に生徒会メンバーが眉をひそめるような振る舞いをしているだけで、結局は取り締まれない。
仮に取り締まられたところで、痛くも痒くもないだろう。
よくある、ウサクの過剰反応だ。
俺たちはそう思っていたが、どうも問題はもう少し複雑らしい。
「まだ分からんのか? 例えば生徒会の奴らが、『ピアス、タトゥーなど身体に影響を及ぼすオシャレは禁止、違反すれば厳しい罰則を課す』っていう校則を作ろうとしているとしたら?」
「いや、そんな校則は作れないだろ……あっ」
作れるかもしれない。
俺はその時、ウサクの本当に言いたいことが、やっと分かってきた。
そりゃ勉強はいいよね。楽しいよ。楽しかったよ。今だって楽しいもん。
大学だってそりゃ行きたいよな。俺自身金で進学諦めたからそりゃすっごいわかる。周りが普通に行ってる中自分だけが諦めるの嫌だよ。
行きたいって気持ち我慢して先生が無責任に「奨学金があるよ」とか言うの何度も何度も断るのも嫌になったよ。俺も最終的に職員室で担任怒鳴り付けたし。
でもなんかの漫画で言ってたように、金が一番大事ってわけじゃないけど何をするにも金が要るんだよ。
学問は素晴らしいけど、金に繋がらないならそりゃ道楽だよ。金に余裕がある人間がやるもんなんだよ。
貧乏人がやるべき学問は金になる学問なんだよ。なりたい職業があってそれには進学が必要ってなら行く価値もある。特定の資格や知識を得る事で収入や選択肢が増えるなら進学もアリだ。
でも貧乏人が道楽の学問に手を出して、結果行き詰ってる例もめちゃくちゃ多いんじゃないかと周りを見てると思う。
教師の無責任さも確かに問題はある。でも貧乏人なんだから、余裕が無いんだから自分で真剣に自分の人生の事考えろよ。それくらい出来る年齢だろ。ツケ払うのもお前なんだぞ。
大学行かなくてもマトモな職はあるよ。まぁでもそのマトモの基準も人によって違うよな。でもせめてその基準が自分の中でどこにあるかくらい考えようよ。
逆に大学行ったからってだけじゃなんも保証されないないよ。今時大卒なんて腐るほどいるし。とりあえず出たくらいじゃなんの意味も無いよ。
せっかく大学入ったのに就活で鬱になって働けない奴も居るし、結局ブラックですぐ退職してその後非正規なんてゴロゴロいる。
正直狂った世の中だなって思うけど、声をあげるのもいいと思うけど、それはそれとして生きていかなきゃいけないじゃん。
人柱が居て、それで社会がよりよくなっていくのはいいよ。問題視されて大学まで無償化されたらいいなとも思うよ。
そもそも「芯がある」というのは、「当人がこれに価値がある」ということを信じてゆだねてるだけだしね。
医学部クラスの受験突破して、いろいろ教えてきたことを習得するのは「他人が価値がある」ということを全面的に受け入れてくること。
それに加えて「価値がある」というものは初めは価値があるかどうかわからない。
そこで、自分が価値があるかないかどうかわからないものを、価値があると断定する。そこから始まる。
大御所の研究も一番最初は「周りはどうか思ってるかわからないけど、これは価値があるんだ」から始めてる。
だから、実験の失敗だからの着想とか、ほとんど思い込みで理解がない状態でも突き進んでいったという話が非常に多い。
でも、周りが価値があるにゆだねることに慣れた人間は、「周りがどう思ってるが知らんがこれは価値がある」ということに慣れてない。怖い。
まあ、日本自身「やる前から価値があるということを書類何十枚にしてまとめろ」という話にどんどんなってきているから先行きは危ないけどね。声だけはイノベーション(笑)だの起業(笑)だの起業家教育(笑)だの治水の人柱求めるが。
で、何か変だと思っても何もしないできない。それが最善。それ故、何もしないが失敗もしないやつだけがのさばるんだね。
あわよくばだいぶうまくいきそうなやつの手柄を横取りするチャンスを狙うと。
うん。日本社会ではそれが正解だというのはわかるよ。だからくそったれだと。こんな国出ていきたいなぁと。
まだ出ていくチャンスはあるんだからさっさと出ていくのが正解なんだけどね。だけど、開発のエコサイクルが回ってる、50年前の日本とか、あるいは今の中国やアメリカに生まれたかったなぁと。
お前らのイノベーションマインドって大量に馬鹿を人柱に川に突き落としたらそのうちハクバノオウジサマになって出てくるの夢見てるだけだろうが。
Dockerがバズるくらいだから今どきハードウェア仮想化なんて流行らないのだろうが、Windows10 Proの安いPCを1つ購入してHyper-Vを有効化したのでCentOSとUbuntuのどちらを入れようかと考えてた時に、昔インストールに苦労したDebian 3.1 Sargeのことを思い出して本家のサイトに行ったら今年の6月にDebian 9が正式リリースされたと聞いてすごく懐かしくなり、こいつを選択することにした。
随分バージョンが上がったものだなあ。しかも今はamd64がインストーラーのリストの最初に上がってるし。昔は64は人柱用だったのに。
10年ほど前、玄人志向の玄箱というNASのOSをDebianに入れ替えて単なるファイルサーバから多用途サーバにするのが流行ったことがあった。今でも後継品のBuffalo製NASをDebian化する好事家は細々ながら活動しているが、UbuntuのベースであるDebianに最初に触れたのがその頃で、当時のバージョンは3.1、通称Sargeだった。タイミングのいいことに、Sarge対応の分厚いDebian入門書が存在していたのでレファレンスには事欠かなかった。まあそれでも、スペックの貧弱な玄箱にインストールして少しでもパフォーマンスをよくするにはカーネルを書き換えて再コンパイルしたりといった悪戦苦闘があったわけだがもう忘れた。
Hyper-Vの仮想マシンへのDebianのインストールはトラブルらしきトラブルもなく、インストールしてすぐに使えるようになっていてまあこれが普通だよなと。OSは使いこなしてなんぼで、インストールで苦労するのは不毛だと当時も思ったし。
あと、エンジニアが多いと聞いているはてな界隈でも個別のディストリのトピックはあまり話題にならないんだなというのがちょっと面白かった。
ググっても出てこなかったんだけど、有名な建築家の人とかの実例集ばっかりで
実際住んでみてどうって意見がなくって、おかしいなってなったので書いてみる。
コートハウス何かって、ちょっと戸建ての敷地が広いから、道路からの視線が煩わしいから敷地沿いに壁を立てて、そこに向けて中庭とかリビングの大きい掃き出し窓とかを作ろうねってお家なんだと思う。
おしゃれとか、プライバシーとか、素敵っぽいお家になるとかそう言うの。
3方向とか4方向とかを壁に囲まれてるので音がすごく響く。
お金持ちできれいな奥さんも、怒鳴り声はうちの親と一緒なんだとかそれくらい内情が筒抜けになる。
(敷地狭いと建てられないので)周りもまあまあの金持ちになるので「おめーうるせーよ」とか言わない。
子供の名前も、どんな理由で家庭内が揉めてるかも窓を開ける季節だと余すところなく聞こえてる。
おまえの家犬しつけできてないなとかね。
今の季節、中庭に面したサッシの窓開けるだろう。夕方以降走り回る息子に手を焼いてるだろう、みたいなの近隣に大いに響いてるんだけど。
きっと住んでるひとは(常識人なだけに)こんなに響いてるって知ったらいたたまれないだろうなあって思う。
何千万もかけて立てた素敵な家が、長屋以下の遮音性とかきっと辛いから、いつまでも知らないままのほうが幸せなのかなって思う。
窓閉めたら吠え犬も聞こえないので単純に、閉めたらなくなる問題だろうと思ってる。
本日は美濃加茂市民ミュージアム、美濃和紙の里会館、郡上八幡城、
せっかくだから、もう少し足を延ばそうとする繰り返しで、
小沢艦隊に釣られたハルゼー艦隊のごとく北に突進してしまいました。
わたくしの御髪が縦にカール・ビンソンですの。
そして光秀の書状が展示されていました。
天下人四人の書が拝めるなんてありがたいですわ。
掛け軸にするときに折り目で切断して向きを揃えていると解説がありました。
また、尊敬する相手に触れる前で改行する作法もあったそうですわ。
近隣の城についても紹介があり、ガラスの中でさらに額縁に入っていた
絵が歴史群像の見開きとほぼ同じサイズで驚きました。縮小コピーじゃなかったのですね。
棒人間的な人物は米粒の表面に描けるくらいの小ささで作業の細かさに圧倒されました。
せめて入館料をとらないゾーンに展示されたほうが……。
こうぞ5500gから長い工程を経て得られる和紙は220gとのことです。
青森、千葉、神奈川、香川、長崎のみ和紙がありませんでしたわ。
歴史上にはパピルス以外に樹皮や椰子の葉をたたいて合わせた「紙」も
あったことを知りました。
あと、入り口付近に「ギネスに挑戦!60mの手すき紙プロジェクト」の企画が紹介されていましたが、
よく紙をみると右下に小さく「※ギネスへは挑戦していません」と書いてありましたわ。
えっ?ええっ??
長良川沿いをさかのぼっていくと郡上八幡城のある郡上市に入ります。
(屋根から落ちた雪がいきおいよく人にぶつかることを防ぐ突起のついた瓦)が
使われていて、豪雪地帯に入ったことを感じましたの。
古い景観をとどめる町の中はうだつ上がりすぎて、うだつあがり症状態でしたわ。
「およしさん(17)」が萌えキャラ化されていて、およしなさいと本気で思いました。
およしさんはデザインは東北ずん子さんに似ているというか、おキヌちゃんの系譜でしょうか。
関ヶ原絡みの局地戦で戦術的には負けながらも郡上八幡城を取り戻した遠藤慶隆は
成功した
小田氏治みたいですわ。
こちらは戦国大名、東(「あずま」でも「ひがし」でもなく「とう」)氏の
篠脇城は畝状竪堀群のある山城で、千葉から来たという東氏がその技術を得た
経緯がとても興味深いですの。
そういえば途中の国道156号線にデイリーヤマザキが連続で現れる場所がありましたわ。
古今伝授といえば
有名ですけれど、まさにその古今伝授の源流にあるのが
九代目東常縁なのだそうです。
それに関連して和歌文学館では古代から現代までの代表的歌人が九人選定されていましたわ。
選者の意見があけすけに書かれていて興味深かったですの。
その上にある篠脇山荘は歌詠みの会をする研修会館のようですが、
何もしていない時は立ち入りが可能で、縁側の椅子に腰掛けて池と篠脇城のある山を眺めていたら
はてなで絶筆して久しいが、あまりにアホ、または意図的なミスリードが多いので書く。
ひさしぶりすぎて記法を忘れているので読みにくさはご勘弁願いたい。
https://togetter.com/li/1097174
これのブコメに
「同行するだけなら問題ない」
といったコメントが多くついている。
総理大臣夫人付という役職が作られたのは第二次安倍政権になってからであって、
その公務の内容については、辻元清美による質問主意書への公式回答がある。
曰く
「安倍内閣総理大臣の夫人が内閣総理大臣の公務の遂行を補助することを支援する」
SPはどうだというが、SP関連は国会事務局警務部所属の特別職公務員であるため
3人まで公費で雇うことができる。
政策担当秘書は資格が必要であるが、公設第一秘書、ならびに公設第二秘書をおく場合は特に資格は必要ない。
政治家が大臣となると、大臣秘書官1人を省内に置くことができる。
大臣でも規模が違うが同じようなもので、その政治家の懐刀感がある。
こいつらが、いわゆる大臣秘書官であり、一般に政務秘書官と呼ぶ。
彼らは特別職公務員であり、人事院規則に定められた政治活動の制約を受けない。
一方官僚側としても、大臣とのコミュニケーションを図るために、人柱がささげられる。
○○国務大臣秘書官事務取扱という役職を拝命することになると悲惨なもので、
基本門外漢の大臣に省内事情を説明しては怒鳴られたりしながら大臣交代まで務めることが多い。
もちろんメリットもないわけではなく、覚えがよければその後の出世がしやすいというものだ。
副大臣、政務官にも当然つくわけだが、大臣付はキャリアで、課長補佐を何年かやったものが担当する。
「ぜったいに」同行しない。
なぜなら彼らは一般職公務員なので、人事院規則に定められた政治活動の制約の範囲内の仕事を振られては対処に困るわけで、
大臣側も「いいから来い」などとは言わないし、引継ぎで必ずその点には政官両面で釘が指されるからだ。
同行しないとはいっても彼らの週末は基本的に地元に帰る政治家の留守を預かる役になるため休みはない。
おそらくそのような引継ぎをしてくれる先輩政治家も先輩秘書官もいなかったものと推察する。
キャリアで課長補佐以上の大臣秘書官と比べるとそうとう格が落ちるといわざるを得ない。
これはおそらく想像だが、安倍総理は、夫人の活動のほとんどを把握していなかったのではないかと思われる。
「かかわっていれば議員も総理大臣も辞める」という発言をするとは思えない。
どうしようもなく、うかつだが、「知っていながらどうとでもごまかせると考えていた」とはちょっと考えにくい。
これも完全に推測だが、おそらく、夫人が「わたしもなにか仕事がしたい」というので、
自分の秘書官である、今井に頼んで、経産省のノンキャリを何人かつけてもらって、
夫人のやりたいことを好きにやらせてやってくれ、程度のことを頼んだのではないかと思われる。
おそらく安倍総理本人も、そうたいそうなことはやらないだろうと甘く見積もっていたのだと思うが、
法的根拠もなく、あいまいなまま、やっていることは完全に大臣クラスの陳情処理なので、
いちいち掘られるともう事後的に取り繕うたびに頭のおかしい答弁を閣議決定するはめになっているというところだろう。
ここ数日のJXUG (Japan Xamarin User Group) の話を見ていてなんだかなーと思っていたが、ついに主宰がコメントとポリシーを出した。
これでこの話「だけ」は終息に向かって行けばいいと思う。
今回の件は、担ぎ上げられた方の性別や過去の言動も相まって盛り上がってしまったが、男性だったら同じことが起こっていたか、という問いかけには「起こりうる」と答えたい。
一つの例を出す。
「『テスト書いてない』なんてそれ○○の前で言えるの?」「テスト書いたから大丈夫です!」
これは、別コミュニティの男性の話を基に持て囃された言葉で、IT業界でコードを書いている人なら似たような内容を見聞きした方も多いだろう。
当の本人は、テストだけにフォーカスされてしまっている事を良いと思っておらず、一つの手段である事を伝えるために苦労しているようだ。
男女問わず、コミュニティの中で誰かを担ぎ上げて人柱にする事は起こる。
コミュニティ内の交流会や発表の場で、ちょっとした有名な方の記念日を祝う事もあるだろう。外部の人がそれを見ても問題のない表現は幾らでもできる。
しかし、コミュニティ内の発言を Twitter等で確認すると「内輪向けすぎて、ないわ」と感じる。イベントログでも同様である。
件のピラミッドが描かれたスライドは、新規参加者を疎外するには十分なもので、現場に居た参加者が「これはマズい」と思わなかったのであるなら、非常に危険な状態ではないか。
考えてみてほしい。何の知識もなく興味だけがある未来の開発者が、その画像を見た時の事を。コミュニティに参加するためには、まず自分は一般ピープルの扱いを受け、ピラミッドの上部と「人脈」として繋がらなくてはならない。それはXamarinを利用するためのコストでは無い筈だ。
自分はMSのプロダクトは気に入っている。また、Visual Studioを普段から利用している。Windows開発者かと問われれば、Windows開発者でもある、と答えるだろう。そして、XamarinもVisual Studio for Macも良い方向へ進化していく事に期待している。
だが、少なくとも、現状のコミュニティには参加しようとも思わないし、必要な技術情報や交流は国外の物を利用し、参加するだろう。
あくまで、このコミュニティに限った話であるため、他のコミュニティで邂逅しても特に何も思わない。
一つ、コミュニティポリシーの経緯について。今回の件に影響を受けすぎているように感じるため、中性的な表現に修正した方が良いものになるのではないかと提案したい。
JXUG 名古屋ハンズオンでの事実について - Xamarin 日本語情報
それでは、より良い開発を。
元々の記事自体、根本にあるのは稚拙な「自己責任論」ですよね。言葉の使い方など些末なこと。「『愚行』で『公に迷惑をかけた人間』は『見殺しに』」という「自己責任論」、そういう、イジメをする小学生レベルの理屈が問題なのです。
十人の人がいて、一番愚かな人を殺したら集団はよくなりますか?
違います。次は九人目が「一番の足手まとい」として吊される。次は8人目。それを途中で止める理由はありません。だって最初に「同じ理屈で」十人目を吊ったのだから。そうしてどんどん、最後の一人になるまで「自己責任論」による処刑は続く。分かりますか?こういう社会をディストピアというのです。
今回、テレビ降板となりお気の毒でした。まさに愚行で吊られた。トカゲのしっぽ、人柱、生け贄…呼び方はなんでもいいですが、営利企業の判断は妥当かもしれません。でも私たちの暮らす「社会」は「営利企業」ではない。儲けることが社会唯一の目的ではないのです。利益のために誰かをたやすく生け贄にする社会で、誰が幸せになれるのですか。これでは本末転倒です。
営利企業が「株主を殺したらお金返さなくて儲かる!」と言ったら狂気の沙汰です。手段が目的を侵害している。では、国民の幸福を目指す公共政策の分野で「国民を殺したら赤字減ってみんな幸せ」と言ったら? これは、考え方が根本的におかしい。それだけです。こんなことを誰も面と向かって言わないとしたら相当の末期症状で、すでにみんなに「あきれられている」のでしょう。
どんな立派な賢人でも、面と向かって反論してくる人間が消えたら「『裸の王様』になっていないか」を疑うべきですね。裸の王様をかつぎ上げ炎上させ薪に火をくべて見物料を取って儲けるのは誰なんでしょう。少なくともあなたの思う「ネット民」ではない。残念ですが、あなたはまずあなたの賛同者とやらを疑ってみるべきでしょう。
…というコメントを書いてみたのだが。
公開されんのか、これ。
「ありがとう 長谷川豊公式ブログ」http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48598715.html
(追記)
とりあえず1日たったけど、やっぱり公開されないようだ。で、ちょっと聞きたいんだけど「医信」て「維新」のモジリなの?
「長谷川豊の背後にいる若手医者グループ『医信』」参考:http://lite-ra.com/2016/10/post-2606.html
(再追記)
eSATAはとにかく低価格かつ高速という点で当時の動画編集業界を中心に、特に周辺機器の価格が高いMACユーザーをコアに広がっていたように思う。
Firewire800で15k。Thunderboltがケーブルだけで3k、ケースなんか1ドライブでも20kを軽く超えている。
大してeSATAのケースなんかは5kで行ける。RAIDケースともなれば言わずもがな。
そんな中、初期はPCI(Express)なんかで、その次はThunderbolt-eSATA変換コネクタなんかでFirewire800と置き換わっていった(と思う)。
そしてSSDの登場。
実測値という物で今まで内部転送速度とかで適当に誤魔化されていた適当な低コスト開発のツケがどんどん剥がれていく。
安物チップのスループットなんか本当に100MB/sで頭打ち。
いや、一流メーカーのeSATAケースはキッチリ速いんですよ400MB/s超えるし。いい規格だと思うんですけどね。
真ん中辺りのUSB3はホント良いですよね。