はてなキーワード: 三十路とは
夢の中で、私は小太りの中年白人男性になっていた。そして同じく中年の白人男性(妙に痩せていて背が高い)から旅行に誘われていた。
彼の職業は探偵で、いちおう私の旧友であるようだった。彼はバリ島に行きたがっていて、乗る飛行機も旅先でのスケジュールも勝手に一人で決めてしまっていた。
私は飛行機が大嫌いなので断ったが、彼はしつこいし諦めない。そのうち「ついて来ないなら家から追い出してやる」と、私の母親の声で脅しをかけてきた。
飛行機が墜落する場面を想像した私が、泣いて暴れながら「嫌だ」と喚いても、彼はまったく考えを改めない。
「どうしても連れていくというなら全身麻酔をかけてくれ」と泣きながら乞うても、ウンともスンともいわず、ただバカにしたように笑うだけだった。
飛行機に乗りたくない一心で、彼を振り払って逃げ出し、深夜のターミナル駅に逃げ込んだ。無機質な切り絵のような風景の駅を駆け抜けながら、やっぱり私は陸で死にたいと思った。
おわり。
そういやこの前新宿三丁目の辺りに用事があって行ったんだけどさ。
伊勢丹の前で信号待ちしてたら、ちいかわのぬいぐるみをたくさんぶら下げたちいかわトートを肩にかけたデブス三十路くらい女が視界に入ってビビったわ。
作品愛をアピールする時って、その作品のオタクとして恥ずかしくないような格好しようとか思わないんか?
若い男は必然的にあぶれるので、行動しないとほぼ無理。で行動しても上手くいかない層が3割いる。
若い女は絶対数が少ないため7割は行動せずとも勝手に相手が寄ってくる。寄ってこない残りの層も若いうちに行動すればうまくいく。絶対数が少ないから。
アラサーに突入すると行動しなかった男は経験値のなさから勝ち筋が消え、諦める。行動したが上手くいかなった層は恋愛工学に手を出し、遊び人となる。
女の場合、行動せずとも相手が寄ってきた層の半数は結婚し、残りは自分の価値を勘違いして地獄の三十路婚活へと突入する。
相手が寄ってこなかったが行動した層はうまくいってるのでそのまま結婚する。若い時に相手が寄ってこなかったにもかかわらず行動しなかった層は世界に呪詛を吐きながら朽ちていく。
元々社会生活あまり向いてないし彼女いた所で維持も幸せにも出来ないし本当に好きな相手が出来たら出来たで自分の能力の低さゆえに余計に辛くなるのは目に見えてるから彼女欲しいとも思わんし、頭が悪いしすぐ疲れるしロングスリーパーだから労働も向いてなくてそりゃお金たくさん貰える方が嬉しいけど身の丈にあってない仕事すると余計に精神的に疲れて生きてて苦しくなるからこの先のキャリアとか全く考えてないけど、現状に満足する術を覚えると割と幸せなんだよな。
洗濯カゴに洗濯物がたくさん入っていても、洗濯しなきゃなぁーと言わなきゃやってくれない。
シンクに洗い物が溜まっていても、洗い物しなきゃなぁーと言わなきゃやってくれない。
我が家は1週間に一回くらいの頻度でまとめて買い物をするのだけれど(つまり荷物がとても多いし重いのだけれど)、一緒に行ってほしいと言っても、うん…うん…と言って30分ほど経たないと一緒に行ってはくれない。ちなみに内訳はテレビや携帯を眺めるのに25分ほど、用意に5分ほど。
掃除も特段してくれない。実家暮らしの時は綺麗に掃除してたしホコリも溜まってなかったって言ってたけど、我が家に居候してからは一切しない。母親が綺麗に掃除してくれてたんじゃないかなと邪推。
風呂掃除やゴミ捨てだってしません。トイレ掃除?キッチンの排水溝の掃除?ナニソレ。
料理?買えばいいじゃん。(勿論平日はスーパーが空いている時間に帰ってこない)
…
…
…
いやね、私が全部すればいい話なのかもしれないんですけど、実は私のお腹の中には赤ちゃんがいまして。秋には生まれるんですけど。
そろそろ家事を一緒にしてくれないと、自主的に率先してしてくれないと困るんですよね。
引っ越しも近々する予定なのですが、なーーんにもしてない。引っ越し業者に見積もり取った?してないからするね。わかった。そして音沙汰なし。
いやいや、やらなきゃいけないこと全部私に言われないと出来ないのか!?わからないのか!?
週5、平日勤務、残業もなければ休日出勤もなく、ホワイトな中小企業に勤めていた。
帰属意識も、向上心も無い俺は、惰性で通い続けて、物覚えの悪い頭で仕事を少しずつ覚えながら業務に従事していたが、ある朝、身体が動かなかった。起き上がらなくなってしまった。体を起こそうとする頭に対して、体と心が拒否してしまった。
俺は人と話すのが苦手で、口頭でのやり取りだとすぐに頭が真っ白になってパニックになってしまう。こういう状態だと相手が何を言ってるのか意図を組むことさえままならない。仕事から帰ると精神的に疲れきってしまいずっと寝ていた。
そういう自分の特性は自分ではわかっていて、慣れて行くし無いと自分に言い聞かせながら3年従事したが、とうとう身体が拒否反応を起こした。
職場が急に怖くなってしまい、退職届を郵送で出した。電話に出ることが出来なくなってしまった。良くしてもらった上司からメールが届いた。仕事を辞めずに休職して貰いたいけど、どうしても辞めたいなら引き止めることはできないので、その時は退職手続きに必要な書類を書いて返送してほしい。落ち着いたら電話が欲しい。そんな感じの内容だった。俺は電話をかけることがどうしても出来ず、申し訳ない気持ちで頭が裂けそうになりながら退職手続きの書類を書いた。
その後、ずっと寝ていた。退職の通知と離職票が届いた。それから3日ぐらい寝ていたら、段々と気力が戻ってきた。菓子パンやカップ麺をやめて。簡単な和食を作った。暖かい味噌汁に、焼いた鮭に、炊いた白米と納豆。ぬか漬けも、添えた。
引きっぱなしだった布団を畳んだ。布団を干して、カバーを洗濯した。
部屋の掃除もした。
段々と身体が軽くなってきたので、俺は家を引き払って、実家に帰った。
今は実家で無職をしながら家の手伝いをしている。貯金は少しあるので、そこから毎月5万、家に入れて、のんびりと生活をしている。
朝早く起きて、5kmランニングした後、親の朝食を作ったり、母の作る食事を食べたりしている。
昼間は積読してた本を消化したり、プログラミングの勉強を初めてみたり、部屋の掃除をしたり、雨樋の清掃や、ガタついたドアノブの修理、壊れたコンセントの交換、エアコンのフィン洗浄など、やりたい事をやってのびのびと過ごしている。
夜も、食事を作ったり、母が作る食事を食べたり、買い出しに付き合ったりしている。
親は言わないが、普通に働いて欲しいんだと思う。俺も三十路だし、転職に有利なキャリアなんて何一つないし、この先たぶんお先真っ暗なんだろうけど、のんびりこうして過ごして生きていけるだけで、とても幸せを感じられるせいか、不思議と不安はない。ただ、若さが全てを楽にしてくれているだけだろうか。
・前々から肺を患っていて、別の臓器が悪くなったからそっちの治療をするために入院していたのだけど、呼吸器管理があまりうまくない(と言ったら失礼なんだけど)病院だったらしく、臓器より先に肺の方がやられてしまった。もう良くはならない、悪くなっていくだけというところまで来てしまった。それで、母が自宅に連れ帰ることを決めた。
・病院で人工呼吸器をつけてもらうなどすれば、もう少し長く生きられたのかもしれない。しかしコロナウィルスのことがあるから、この1年もお見舞いとか頻繁にはできなかったし、最期のときに看取ることも叶わなかっただろう。自分の家と家族が好きな父だったから、多分これでよかったんだろうと言い聞かせてる。ただ、コロナウィルスの感染拡大がなければ、もう少しできることがあったのかなあと思うけれど、そういう『たられば』の話を考えても仕方がない。
・10代や20代の頃に、友人が病気になったとか、事件に巻き込まれて亡くなった時などは、悲しみが何もかも埋め尽くして他のことに手が付かず、上を向いていなければ涙があふれるくらいだったけれど、30代ともなるとそんなことはない。仕事は進められるし、ゲームもできる。それくらいの感情の制御ができるくらいには大人になった。
・発売をずっとずっと楽しみにしていたソフトがあった(サガフロンティアリマスター)。
発売直前に危篤の報が入ったので、色んなことが落ち着いてからとプレイしようと思ったけれど、結局始めてしまった。結果的にはこれが良かった。心に隙間が少しでもできると、父のことを考えてしまう。どこかのタイミングでどうにかできたのではないかと考えて、でも結局どうにもできなかった現実を思い出し、思考が堂々巡りになって他に何も考えられなくなる。これがすごく苦しい。真綿で首を絞められるとはこういうことではないだろうか。
だから、大好きなゲームの世界に浸っていると、がんじがらめの思考から解放されて、一時ではあるけれど、楽になれる。
(無心になってキャラの育成してるけど本当に楽しい。とてもとても出来のいいリマスター版になったことが嬉しい。
コラボウィスキーが当選して手元にあったので、リマスター版発売を祝して発売日に封を開けようと楽しみにしていたけれど、こちらはまだ開けられないでいる)
でも、父が亡くなってからの家のことが思っていたより忙しいし、多分自分が自覚している以上に精神的なダメージが大きいようで、気力と体力に少しでも余裕があるときじゃないとプレイできない。まだ半分も進んでいない。連休が明けて、仕事も本格的に再開したので、クリアまでまだ時間がかかりそう。でも、父のことを思い出として割り切れる時が来るよりもずっと早くクリアできるとは思う。
20年以上前から大好きなゲームのリマスター版の発売と、父の逝去がほとんど同時だったことを、私は春が来るたび思い出すことになるんだろう。
・危篤の報を受けて、実家に戻ってきて、それから所用があるときとか、母と交代で仮眠をとるとき以外はずっと父の傍にいて、大体の時間は父の手を握っていた。
握り返す力はほとんどなく、じんわりと湿っていて、だけど温かだった父の手から日に日に体温が失われていった。指先がだんだんと冷たくなって、さすっても元に戻らなくなってくる。自分の両手で挟んでみて、まだ温かいから大丈夫だとごまかした。
・父はほとんど声を出せなくなっていて、意思疎通もままならない状態だったけれど、不思議と笑っているときとか、楽しんでいるときなどは、傍にいる母や私にもそれが分かった。嫁に行かなくてごめんねと冗談っぽく言ったり、額に頬擦りしてみたり、好きな歌を歌ったりすると、父は笑っていた。それは唯一の救いだったように思う。
・最期は家族全員で父を看取ったのだが、生と死の境目はよく分からなかった。どこで線が引かれたのだろうか?
・息を引き取る前の父、もう動かなくなった父、死装束をまとって棺に入れられた父、斎場に着いて焼かれて、骨だけになった父、頭蓋骨を砕かれて(すごく可哀想だった)、骨壺に入れられるところまで全部見ていたのに、未だに父が亡くなったという実感がわかないでいる。入院していた期間が長かったし、私も離れて暮らしていたから、まだどこか遠くの病院に入院していて、戻ってきていないだけじゃないかと思ってる。
・ふとした心の隙間に父のことに思いを巡らせ、はっと、もう父には会えないという現実に思い至ると、思考と事実が一致しないからか、頭がバグりそうになる。
・私は死後の世界は何となく信じているけれど、そこまで信心深い訳ではなく、父は立派な戒名をいただいたが、仏様になるとはとても思えない、骨になった父はもはやただの物体である。現在の科学技術では魂の存在を証明できない。だから、遺影の手前にあるものに意志とかそういうものはないし、よって、父はもうそこにはいないし、どこにもいない。でも、蝋燭に火をつけて線香を灯し、おりんを鳴らしてから手を合わせ、目を閉じて祈っている間は、心の淀みとか思考の澱とかが取り払われて、澄んだ心持になる。父のためと思えばこそ、線香もなるべくつけておこうと思うし、どんな香りがいいか色んなメーカーのものを見て回るようにもなった。そこにはもういないと分かっているけれど、人には縋るものが必要なのだということがよくわかった。
・今わの際の父には冗談めかして言ったが、三十路過ぎて嫁に行っていないことは本当に申し訳なく思ってる。
結婚願望がないわけじゃないし、思うところがあるから、今からでも嫁に行こうと思う(いけるか分からんけど)。
でも、父を生きている間に花嫁の父にしてやれなかったこと、それ以外にも、もう生きている父に親孝行ができないと思うと、すごくしんどい気持ちになる。
・父や母がその親(つまり私から見て祖父母)を見送ったのが50~60代の頃で、私も同じくらいに見送ることになるのだろうか、まだ先のことだと思っていたのだが、30代前半で看取ることになるとは思っていなかった。
・父は7人姉弟の末っ子だった。長子の伯母が存命で、この伯母と父はとても仲が良かった。一番下の弟を先に亡くした伯母のことを考えるとなぜだか申し訳ない気分でいっぱいになる。
・私自身も4人兄妹の末っ子で、それも父が40代の頃に生まれた子で、私が父の半分も生きていないうちに、父が逝ってしまったことが、切なくてたまらない。
・父は庭いじりが好きだったが、最後の数年間は体力が落ちていて、ろくに世話ができていなかった。なので、今の我が家の庭は少し荒れている。
だけど、それでも、父の庭は美しい。ドウダンの細かな若緑の葉と、鈴に似た真白の花が折り重なってまぶしい。何本かを一列に並べて植えているから、光の通り道のように見える。奥に植えた3本の松はいつでも常盤色をしていて渋く、その手前には幹の太く大きな春もみじが1本植わっている。赤紅の細長い葉を幾重にもまとわせていて、炎のようだ。今はツツジが見頃で、赤と白の花が鮮やかに目に飛び込んでくるのが楽しい。
緑が陽に濡れた今年の庭を見ることなく、父は逝ってしまった。そのことがとても悲しい。
この時期じゃなくっても、うちの庭はとても綺麗なのに、お父さんが見ることはもうない。
・大体1ヶ月程度実家に滞在していて、昨日一人暮らしの自室に戻ってきた。
隅に片していた寝具のセットに毛布が挟んであって、クローゼットには厚手の衣類が掛けられたままだった。
だってさ、自らの市場価値が歳をとり若さを失うにつれ下がっていくのに焦って婚活してる女に捕まるなんて、地獄以外の何物でもない。
三十路過ぎて焦って婚活してる女、そもそも若かった学生時代に何してたんだ?と誰もが疑問に思うだろ?奴らは学生時代サークルのイケメンの先輩とか、ハイスぺリーマンに犯されておまんこ気持ちいい状態になってなってたんだよな。奴らと結婚するってのはイケメンやハイスぺによって使い古された穴をありがたく頂戴するってことなわけだ。いや、さすがにそれは俺のプライドが許さない。というか逆に許せる奴いるの?
というか、プライド云々以前に俺の物は短小だから多数のチンポに犯されてゆるゆるになった穴に入れても大して快感を得られないんじゃないか?というアクチュアルな問題もあるわけで。
そうは言ってもかれこれに2年間彼女がいないんで、セックス不足による苦痛が毎日著しく、婚活女が現れたらあっさり篭絡されてしまう可能性がある。それを防ぐために何ができるか?と考えると去勢しかない。キンタマがなければ性欲もなくなるわけで、婚活女が現れたところでおそらく動じることはなくなるだろう。性同一性障害を装えば安全に医者にキンタマとってもらえるかな?MtFの症状を研究するために論文をサーベイしないとなあ。前サーベイしたところによると、MtFはFtMと違って個人間で症状にばらつきがあり同一個人の症状も通時的に安定していないという話だからそこまで頑張らなくてもMtFのフリができる気がする。
「結婚は人生の墓場」が口癖だった大学時代の先輩(コミュ障チー牛。年収一千万)がコミュニティの中でヤリマンとして知られてた小太りの女との結婚報告をFacebookでしててその衝撃のあまりくだらない文章を書いてしまった。
思春期移行〜三十路未満の男は自他ともに闘争本能へ振り回されるみたいな男特有の精神的弊害はあるかもね
そこで自制しつつも他の男に負けないことが自信にも繋がるし、負けてしまった場合は社会から評価されない傾向があることは確か
例えば現代社会では暴行罪なんてものがあるけど自制できなければ社会から評価されないよね?
育児で「男の子はどこかでエネルギーを使わなきゃいけない」みたいな話が男女平等が叫ばれる昨今でも普通に定番育児として語られがちだけれど、これは男がそういう身体的特徴を持ってるからこそなんだと思うよ
「そんなの他人を殴らなきゃいい話でしょ」と感じてしまうかも知れないけど、その自制はやっぱり精神的に負荷がかかるものなんだ
男の中には腕っぷしの素養がからっきしであまり悩まない人も居るだろうけど、熱く煮えたぎるようなものを心の奥底で沸かせた経験は多くの男にあるはずだよ
あんまり恋愛に興味なくて恋人関係が億劫に感じているので、かれこれもう5年彼女がいない。今年で三十路なのにいまだに結婚願望なし。ちょうど彼女と別れたあたりで知り合ったセフレは今まで交際してきた恋人たちよりも長く関係が続いてる。
俺と同い年でもあるそのセフレが今までの恋人よりよっぽど理解があってなんか普通にいい女な気がしてきた。
セックス中に「好き」とは言いあうけど恋愛感情は一切なくて、相手も俺も「友達としてはいいけど恋人同士としてはリスキー」だと思ってる。話を聞く限り相手に不特定多数のセフレがいそう(本人は明言はしてない)なので、恋人にするにしては信用できないけど、友達としては信用できるという線引きがキッチリと引けていて踏み込んでこない。
もともと恋愛感情もないし、相手に恋人が出来たらサッと身を引くけど、なんか友人としては普通に居心地がよくて、こういう恋人だったら長く続いたのかなぁとか思ってしまう。でも恋愛感情抜きだからこういう関係が構築できたってのもあるのかな。双方独占欲ないし。お互い恋人同士だったら色々こじれる事もあったのかもしれないなと、セフレからの連絡を読んでてふと思った日曜の17時。
でも人は超好きなので男女関係なく飲みに行ったりして、それで人生充分良かったのだけど
ずっと仲の良い友達に好意を抱くようになってしまった〜何このクソ感情?!
基本はグループで遊ぶことが多いけど、
たまに二人で宅飲みしててそのまま泊まったりするとき(寝床別、パーソナルスペースは基本保たれてる)
一緒に漫画読んだりyoutubeのおすすめ動画見たりするのがめちゃめちゃ心地良くて、、、
もっと頻繁に理由が無くても一緒に過ごしたい!とか思ってしまう。この感情滅したいよ〜
向こうは長年彼女は居ないけど、面食いそうなので自分は絶対無理だろうな〜と思う。
皆はどうやってこういう感情消火してるの?!まじで!
というわけで、とりあえず書いてお焚き上げだ!!!と思って書いてみた
高卒で三十路手前だが今まで派遣社員として裏方で電話対応のない事務員として働いていた。
タッチタイピングとExcel(VBA含む)は比較的得意だったので、いい加減手に職つけたいと思っていた所、幸運な事にIT企業に拾ってもらった。
入社してから1ヶ月研修があり、javaを使い簡単なアプリケーションを作るという内容なのだが、最終日に役員に向けて発表があるらしい。これが憂鬱すぎて研修内容が頭に入らなくなってしまった。
というのも、俺は新卒で公務員をしていた。昔から人前で話すのが苦手だったが、数をこなせばこなす程慣れるどころか自意識が強まり喋れなくなってしまい、精神を壊してしまった。最終的には精神科のお世話になって仕事を辞めた。数年のスパンを置いて2度ほどwais-3を受けたが、不安事があると俺は動作性知能言語性知能共にIQが20程下がるるしい。
周りの人間も「人前で話すの嫌だなぁ」とは言っていたけど、俺は嫌すぎて目がチカチカするし光がすごい白く感じるしずっと動悸がするし雑談する余裕も無くなるし色んな音が耳元で聞こえてくるし食欲もなるし朝動けなくなる。
プログラミング自体はまあまあ楽しかったし一生コーダーで良いのだが、俺みたいなタイプの人間ってどういう生存戦略を立てて生きているんだろう。
最近仕事がおもしろい。それでしみじみ思うのは、ああもっと十代の頃に、まじめに大学受験勉強を、あるいは血肉となるような勉強を、したかったなあ、ということである。
自分はたぶん、学がない。たとえば地名だとか。●●の定理だとか▲▼の公式だとか。単純な暗記と、それに紐づいた概念が自分の中で体系づいていない。いちいちインターネットで調べる(インターネットマジでありがとう)。世の中が、自分は覚えていないけれど他人は知っている情報だらけで怖くなる。たぶん高校生、いや中学生のほうが自分よりよほど賢いと思う。たくさん話すと自分がバカだということがバレてしまうので、それが怖くて、話すのは注意深くなった。
自分の学力に強いコンプレックスがある。その理由は、自分が転落型落ちこぼれだったせいだ。自分は高校三年次が、軽い登校拒否状態であった。朝、家を出た後、垣根に隠れて親の出社を確認した後に家に戻り、親の声真似をして学校に電話をかけた(「今日は子供の具合が悪くて」等)。その後はなにをするでもなく寝るか、あるいは部屋の隅でうずくまっていた。そういうことを週に二回程度おこなった。
登校拒否の理由は「授業についていけないから」である。通っていたのは進学校で、一度ついていけなくなるとまるで追いつかない。思えば入学時は、予習も復習も「楽しいから」やっていたが、一度「つらい」と感じるとあとは転げ落ちるようだった。入学時は学年で前から30位くらいの順位だったが、卒業時は学年で後ろから10番目くらいの成績だった。一年次から進学塾(東進衛星予備校)に通わされていたが全部寝ていた。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心とはよく言ったもので、当然のことながらプライドはずたぼろだった。進学校通っていた子供は多かれ少なかれ皆そうだと思うが、小学生の頃から「あなたは〇〇高校に通って、その後は地元で有名な◇◇大学へ行くのよ」と言って育てられる。そうして家族から様々なリソースの供給を受ける。実際途中まではうまくいっていたのだ。全部自分が滅茶苦茶にしたのだ。幸運にもなんとか大学(地元で有名な◇◇大学ではないが)には行けたが、これに受からなかったら特急列車に飛び込んで死のうと本気で思っていた。
詰め込み型の大学受験については批判もあるが、自分はやはり一定の価値のあるものだと思う。とりあえず突っ込んで覚えてしまわないと話の土台に立てないし、十代の柔らかい頭脳だからこそ吸収できることも多いのだから。それに大人になってから「もっと大学受験勉強がしたかった」と思う人生は悲しい。自分は出身大学や学歴、職歴に不満はない。ただただ自分の知識のなさ、愚かさ、根気のなさが悔しく、悲しい。
自分は子供が欲しいのに、一向に子作りに協力をしてくれないので、理由を聞いた際の事だった。
「交際中は別れたくなかったから嫌々ながらセックスをした、結婚したらもうセックスはしたくない」
そのカミングアウトはショックだった。
それから三年程の結婚生活は寝室は別々で、一度もセックスは無かった。アセクシャルだから、という事だった。
世の中では、私達のような夫婦を「偽装結婚」や「友情結婚」と言うらしい、私は偽装をするつもりも友情のままでいるつもりも無く、彼の子供が欲しくて、家族になりたくて結婚をしたのだけれど、彼はそうでは無かったのだ。
何度も離婚を考えたし、発狂しそうな孤独の中、一人で泣いた夜も何度もあった、それでも別れなかったのは彼を好きだったからだ。
今思えばなんとも愚か過ぎるけれど、恋とは愚かなものだから仕方ない、愛されなくても、母親の様に女中のように生活を支える生き方でも、体で繋がる事が出来なくても心で繋がっていればと思っていた。
相手は人妻だった。何が起こっているのか、私には飲み込め無かった。
心がつながっていれば?心も繋がっていないじゃないか。
あれ?私は何のためにここにいるんだっけ?
“妻”ってなんだっけ?
なんで、こいつ私と結婚したの?
今、私は恋や愛という気持ちを持てなくなっている。
もっと言うと性欲もない。
ある一定まで感情が昂ると、まるでブレーカーが落ちるように気持ちが萎えてしまう。
まあ、もう三十路を過ぎた婆が恋だ愛だとのぼせてしまうのもきっと気持ちが悪いものだからこのままでも良いのかもしれないけれど。
もしかしたら私も「アセクシャル」になったのかもしれない。だとしたら彼と今の私なら「アセクシャル」同士でお似合いなのかもしれない。
恋の歌が、恋愛映画が、月9が共感できずに私の横を通りすぎていく。
処女のまま三十代を迎えてしまい、しかも脱出できる気配もない。それはそれで構わないが、いわゆる「性的な快感」というものを知らないまま人生を終えるのもなんだか勿体ない気がして、この年齢にして初めてオナニーというものに挑戦してみることにした。
しかし、まったく使用されず蜘蛛の巣が張ったような下半身はいじれどもいじれどもなかなか「気持ちいい」に至らない。そこで乳首をいじることにしてみたが、こちらも特にそういった感覚は得られなかった。だが、下半身よりは乳首をいじるほうが、なんとなく落ち着く。落ち着いてしまったら興奮なんて程遠い気がするが、一週間ほど乳首をこねくりまわして寝る日々を続けた。
このままじゃいかんとpornhubで乳首イキとタイトルに入った動画を眺める。皆乳首をいじるだけで声は出るしからだはビクビク跳ねている。すごい。全然こうならない。仕事から帰宅すると毎日いじっているせいで多少敏感になってきた気もするが、この程度ではいつまで経ってもこの境地に至る気がしない。やはり三十路までそういった刺激なく生きていたから、性的な気持ちの良さに目覚めようがないのか。
で、なにもかもをショートカットするために、いわゆるチクニーに特化した催眠音声をダウンロードした。某サークルが数年前に無料配布していたやつ。
部屋を暗くしてベッドに寝転んで、可愛い女の子の声を聞く。最初の方なんかは、睡眠導入ヨガに少し似ている。呼吸をして、からだの力を抜く。ぼんやりしてくる。ひたすら音声に耳を傾けると、そのうちいよいよ乳首をいじるパートに入った。「いけ!いけ!何度でもいけ!」と言われるが、そう言われたくらいで……
って最初は思っていたんだけど、最後はちょっとベッドから腰が浮く程度にはからだを反らしてビクビクしていた。コレは…?
期待しながらそのまま2周目に行ったら途中で寝てしまったんだけど、最後の最後でなぜか覚醒して、夢うつつのまま音声通りに乳首をいじって今度はもっと背中を反らしてしまった。からだが勝手に動く。すごい。
これが一昨日。昨日も仕事から定時ダッシュして家事を片付けさっそく音声を再生した。一昨日とは比べ物にならないくらい、最初からからだがビクビク跳ねるし、股はヌルヌルになるし、最後は乳首を引っ張りながら思いっきりからだを反らしてしまった。
この錆びついた肉体でもいくことができるんだ!という光明が見えてきた。催眠音声すごい。まあ催眠かかってないときはどこ触ってもなんともないんだけど。あと、からだは勝手にビクビクするんだけど「気持ちいい」という感じはしていない。
脚光浴びたり、ハイブランドだ高級ホテルだの豪遊はできるほどの給料はないけど、
年に数回旅行に行けて、たまにちょっといいディナーなんか行って、程々に貯蓄もしながら楽しくやっている
こうやって定時で上がってぼーっとネットしたり、ゲームしたりもできるし
一応専門職だから会社が潰れても食いっぱぐれない安心感もあるし
けどまあ昔の知り合いなんかは、いつの間にか起業してメディアの取材受けたり、投資で一山当てて派手に暮らしたり、出世争いに勝ち上がって強そうな名前の役職持ちだったりするわけ
でそいつらにお前はいつまで燻ってんだみたいなことを言われるわけよ
だから毎回俺もそろそろ一念発起して本気でやるかあなんて思うんだけど、今のぬるま湯が居心地良すぎて結局現状維持を選んじゃう
きっとこのまま普通に結婚して子どもなんか持って、ふっつーの冴えないおっさんになっていくんだろうな
あ、もうなってるか
昔はあんなに尖ってぎらついて、無茶してたのが夢の中のよう
でも今の時代に、昭和のおっさん顔負けのこののんびりしたリーマン生活はかなり貴重じゃね?
昔の俺よ、期待に応えられなくてごめんな
でも俺は今かなり幸せだよ
「面食いです」っていう人の方がよっぽど信じられる。今でも友人として数少ない仲がいい女友達がこのタイプだ。浮気性のクズだが、プラトニックな飲み友達である。
俺の髪質は悪い意味で特殊で、太くて縮れていて量が多い。小学生のころから強い癖毛で、中学時代のあだ名は「ちんげ」「スチールウール」「陰毛」「アフロ」「チリ」「かたやきそば」散々だった。他人に容姿を侮辱されるのは屈辱だったが、何よりも自分が、この扱いにくい髪質をとても嫌っていた。好きでこんな髪質で生まれたわけじゃないのに、なんでこんな仕打ちを受けなければならないのか。ネットのヘアカタログにある「くせ毛におすすめのヘアスタイル」みたいな写真は1mmも参考にならなかった。見るたびに「こんなのほぼ直毛じゃねえか」と悪態をついていた。
学年TOP3のキモいランキングに入ると、もう学校生活で人権はない。汚物のような扱い、何をしてもいい扱いになる。同級生からは「あいつは髪が終わってる」と嘲笑されて、容姿偏重主義の社会の車輪の下敷きになってメンタルは大分荒んだ。今でも心が屈折しているのはこの当時の原体験の影響かもしれない。
中学卒業を機に縮毛矯正をかけた。感動した。みんなこんな世界で生きているのか。風で髪が靡く感覚に感動した。ドライアーで髪がすぐに乾いた。とても快適だった。地元から離れた高校に入学してからは縮毛矯正を欠かさなかった。そうしたら面白い事が起きた。俺が「イケメン」として扱われるようになったのだ。中学時代に汚物のように扱われてた俺が、キモメン三銃士の俺が。イケメン扱いされたのだ。たかが髪型1つでだ。俺に媚を売ってくる女が、何をしなくても寄ってくる女が、いるのだ。中学時代の汚物扱いされてた俺がだ。
俺はそこで人間不信を深める事になった。そして思春期の持て余した性欲を寄ってきた女達にぶつけるようになった。
周りを傷つけないように振舞っていた中学時代の俺は髪質だけで男女から汚物扱いを受けていたが、女を物のように扱うクズな仮初の直毛の俺を女はより求めるようになった。高校時代はセックスに明け暮れながら、くせ毛の陰におびえた。1か月半に一度はリタッチをしていた。周りにくせ毛だとバレるのが酷く怖かったからだ。第一に髪の事、第二にセックスの事。そんなことしか頭になかった。
クラスメイトで、癖毛で小太りの男子生徒がいた。おとなしくて引っ込み思案だが、別のクラスメイトがドミノ倒しに倒した自転車を一緒に起こすのを手伝ってる姿も見た。器量は良くないが性格はとても良い奴だった。共通趣味が無くて会話したことはあまりなかったが、俺は彼が人として好きだった。そんな彼に俺の事を好きだという女が言う。「あいつキモくない?」「きしょい」俺はそれを聞いて肯定も否定もしなかった。ただ茫然自失としていた。そんな彼女の同じ口から「私は見た目で人を判断しない」「中身重視」こんな言葉が出てくる。彼女みたいな人間が気持ち悪かった、怖かった、たくさんいた。俺は人が目の前で自転車を倒しても素通りするし、縮毛矯正がなければ小太りの彼より酷い癖毛だし、君の事もおまんことしか考えてない。少なくとも彼は君からどんな仕打ちを受けても君を人として扱うだろうし、俺より彼の方が中身はよっぽど優れている。俺は君にそんな事を言われたら孫の代まで恨む。俺が彼に勝ってる要素なんか何一つないんだよ。君は一体俺の何が好きなんだろう。
見た目でしか好かれる方法を知らなかった俺が好かれるのは、こういう女ばかりだった。清楚系で可愛い献身的な子もいたが、数年後経った今は風俗で働いてるらしい。
三十路手前の今でも俺は縮毛矯正のリタッチを続けている。かれこれ15年選手になる。未だに人にキモがられるのが怖いし、人に好かれるのも怖い。
前の職場の先輩に「その頭、縮毛?」と言われたことがあった。冷や汗をかきながら「そうです。くせ強いんで」と答えた。「へぇ」とだけ帰ってきた。その後も普通に接してくれたが、縮毛矯正をかけてなかったら普通に接してくれなかった気がする。
人間は中身が全てというがあれは嘘だ。人間が「中身」を見てもらう為には、見てもらう為の土俵に立たなくちゃいけなくて、その土俵には不細工は上がれないのだ。だからどんなに性格が良い不細工でも「キモい」「生理的に無理」で一蹴される。
俺は今でも車輪の下敷きになったままなんだろう。