はてなキーワード: 一部の人とは
書き捨てて寝たらとんでもないレスがついてて草も生えない
「行き過ぎた自由を制限する」「表現の自由が簒奪されようとも、それは人権を侵害したことにはならない」…………
一部の人のお気持ちによって基本的人権を奪う、ソレをファシズムと言うのだ。
「表現の自由」は基本的人権ではないだって?お前がその寝言吐けるのも表現の自由あってのこと。マスコミや野党が連日連夜政権を批判できるのも表現の自由あってのこと。なんならフェミがファシズム的主張を出来るのすら表現の自由あってのことだぞ。
つまり表現の自由は民主主義国家の最低成立要件の一つであり、紛れも無い基本的人権。ソレを奪うということは相手を人間扱いしないに等しい。
俺たちを人間扱いしない者を人間扱いする理由があるか?そこまで言ったら戦争すら通り越した何かと言って良い。
だから、我々から表現の自由を奪うと言うのなら、そしてそれを実現したなら、そいつには人権を無視した報復をする。自分は相手の人権を無視する、でも自分はされなくない。そんな都合のいい世界はない。表現の自由を奪うと言うことはそう言う死兵を生み出すと知れ。
頼む。
頼むから、
いやほんとにアマゾネスのレビューが荒らされてる話は知らなかったけど(情弱でごめん)
わたしがいる腐カプ界隈では
全くそんなことなくお茶タイムを楽しんでいる。私も一生やって欲しいと思ってるし
神様2人が最高の作品を作ってくださったこの2018年に名探偵にハマれてよかった。世界に感謝。
括るのやめようや。腐女子じゃなくても夢女子でも非公式男女カプの方でもそういうことするやつはするやん。BLが好きやからとかとは違う話やん。その人間の中身の問題やろ?
アマゾネスのレビューとか、そら大きなところやから目立ったんやろうし 腐女子と称されるオタクがやっていたということは 同じ側の人間としては 止めたいなと思うんやけど(今更言ってもいいやつかな?後でアマゾネスのレビュー見てくるわ)
けど、やっぱりそれって腐女子やからちゃうやんな。ただの害悪オタクが害悪行動してるだけやんな。
頼むからくくるのやめて。他界隈のことであっても、これだから~沼は。とかいう人嫌いです。ちゃうやん?その一部の人間だけ見て何も知らないのに語るのやめようや?
これは自浄作用云々の前段階の話ね。もちろんそういうのをほっておいて煽ったりする人が8割9割なら界隈が悪いのかもしれない。でもまぁそんな計算誰も出来ないから無意味な話かもだけど。
でも、少なくとも、アマゾネスレビューの腐女子は絶対多数派じゃないよ。頼む。くくった目で見ないでくれ。原作を公式を、普通に応援してる腐女子もいるから。むしろそれが多数派だから。自分が妄言喋って生きてるって知ってるから。貴方と同じファンの土俵に立たせてくれよ。
大学を卒業してから3年間、イギリスとアメリカで暮らした。自分は若い男性で、体格もよく、また生活していたのが都市部だったので、露骨な差別は受けたことはないのだが、それでも思い出すたびに何かしらモヤモヤする経験が、あった。
◾︎妙に話しかけられる
これはイギリスで主に経験したのだが、あんまり知らない人同士が声を交わさないような状況、例えばそれなりに人が乗って座れない人もいるような地下鉄内とかで、おっさんやおばさんから妙に話しかけられることがあった。どこから来たのか、とか、日本の町はどこそこに行ったことがある、とかそんなことを言われた。最初の頃は私も嬉しくてその手の人と話していたのだが、そのうち、一部の人間にはこちらを見下して話しかけている独特の雰囲気を感じるようになって嫌だった。
◾︎融通が効かない
何かしらの基準を盾にしてこちらのリクエストを無下に拒絶したり、無駄な手続きを要求する。アメリカの大学町での経験だが、文房具屋でカードを使う際にサインしたのだが、サインがカードの裏面記載のものと違うと言ってサインを何回も書かされたことがある。ちなみにサインは漢字で、店員は漢字は読めなさそうな奴だった。バスに乗る際にヘッドフォンをしていたら外せと言われたことがある。
こういう類のことって、人に話しても気のせいに思われたりだとか、あるいは自分側に完全に落ち度と言えるものが無いわけでも無いのだが、その場にいると相手の口調や目線から感じる蔑みの感情を感じるので、なんというか心を少しづつ削られる。
今回の件ってフェミとオタクの対立構造っぽく扱われてるけど違うよね。
フェミじゃなくてミサンドリーであるっていうのもあるけど、それでもなくて。
私の立場から言えば中立というか、どっちにも所属してない感じ。
今回の件で、オーディエンスって言葉を使っていた人がいたけど、それが一番近い気がする。
そして、今回の件ってフェミでもオタクでもなくこの立場の人が一番多いんじゃないだろうか。
私は今回の件でフェミニズムそのものを叩く気には一切なれない。同情すらする。
一部の人たちがその立場を名乗り、ひどく暴力的なことを繰り返している。ヒステリックに被害者になり、ただただ口喧嘩に勝ちプライドを保つためのことを繰り返している。
勝ちたいというより、おそらくそれしかやり方を知らないのだろう。
フェミズムへの反発心など一切ないが、そのやり方の醜さに辟易している。
オタク側にもひどい人はもちろんいる。
公共性の話になった時にはそれが際立つ。公共性のあるべき姿を話し合おうとしている人ですら規制する人とバッシングする。
だが、喧嘩両成敗というにはフェミ側として暴走している人がひどすぎる。
オタク側はオタクが責められているという被害者意識も獲得したく、それを否定する気はないがそれは一旦置いといてくれないかと思う。
話が進まない原因はここにもある。
https://www.cocacola.co.jp/stories/rockwell
えっろww ケモショタじゃんwww 股間のタルからはみ出した瓶チラ見せで筒先しゃぶろうとしてんの? コカとコーラで離脱症状出てない? 犬に股間見せて得意満面だしw
https://item.rakuten.co.jp/kaminoneko/sonia545-611-123/
どう見ても腕、長過ぎるよね? そんなにしがみつきたいの? メスの顔だしww ボーイの手も不必要にデカくてエロ過ぎ この状況で左肩にこの猫とかあり得るの?
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立て膝して股間見られ過ぎwww 都会人から見た田舎の未成熟なエロって健全な顔してる分、一部の人には堪らないよね
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きっもwww キャプテンアメリカなの? 超人? 一緒にインディアン爆撃でもするの? ライエンデッカーもさぞかし喜んだと思うよ?
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やめてくんない? 胸元ガン見し過ぎだし突き出した手袋が象徴的だし肌色の服が露出させた両脚隠喩し過ぎだし
https://www.pinterest.jp/pin/375628425141201025/
…は? 不愉快過ぎんだけど?
https://www.theactionpixel.com/comics/ryan-reynolds-deadpool-2-josh-brolin-birthday-cable/
結局さ、これに尽きんだよね 田舎の少年とマッチョイズムと軍国賛美 パロディにせよオマージュにせよ表面的には成長していく少年賛美を装いながら本質はケモノとオンナを従えて強くなるアメリカ様を描き続けて人気取りって言うw 牧歌的? 馬鹿言わないでよそんなの今だからそう見えるんでスカウトだって予備軍みたいなものだし反差別だって全てはアメリカの為で、ミュシャやライエンデッカーに比べたらコーラでも分かるようにペラッペラの大衆向けゲス絵描きじゃんw
彼らの
ただ、彼らの気持ちについて一定程度汲み取るべき部分はあるのかなとは思う。
要するに彼らのいいたいことは
「オタクが苛烈に差別されていた1990年代に女性オタクはオタクであることを隠して事実上男性オタク差別に加担していた」
と言いたいんでしょ?
「女性オタクは社会からの抑圧が激しかったので男性のようにオタクと名乗ることは出来ない人が多かった」
って文脈で語る人がちょくちょくいる。
でもこの"言い回し"は社会的な批判を受ける役回りを男性オタクに肩代わりしてもらって自分は影に隠れて利益を享受してたようにみえるんだよね。
「いじめを見て見ぬ振りをした人は共犯者です。」っていう言葉がある。
その前提を踏まえた上で例の"言い回し"をする人について考えると
「オタク差別の共犯者でありながら、現在の自分のポジションを男性オタクより更に弱者に置こうとする卑怯な人」
当時学生だった人が友達グループの中で「クラスの中の気持ちわるいと言われてる男性オタク」の話になってやむを得ず、特定の人の悪口・陰口に付き合わざるをえなかった人はいるはず。
もちろん俺個人としては、そもそもあの時代でも女性かつオタクと名乗っていた人はいたと思うし、そもそも実際に差別行為の主体となっていたのはオタクではないんだから身内で争うのも馬鹿馬鹿しい。
それに、一部の人が隠れていたからと言って全ての女性オタク全体に適用するのは範囲を広げすぎだと思う。
社会全体としては女性は隠れて男性はオタクと名乗っていた傾向にあったとしても、局所的には逆パターンもありえた。
つまり、女性オタクがオタクと周りから蔑まれていた状況で男性オタクが鳴りを潜めていたパターンは極普通に存在するだろう。
という主張はしないし、ちょっと理屈でいってもありえないかなとは思う。
ただ
「女性オタクは社会からの抑圧が激しかったので男性のようにオタクと名乗ることは出来ない人が多かった」
という"言い回し"をする人(女性というわけではなく)に関して若干もやもやした感情を抱くことは俺もあるかなとは思う。
子どもとセックスをしたいと言う欲望は、私にとって「人を殺して食いたい」と言っているのと同じくらいおぞましく感じられます。
主さんが言ってる事をよく考えましたが、
子どもとセックスをするということは、殺人やレイプと同じ、名前がついた犯罪なんです。
それを、何歳からなら同意できる、理解できるなどと言って社会的にセーフにしようとする風潮がおかしい。
子どもと自分が恋愛関係をもって幸せなセックスをすることが可能だと信じているくそが多数存在することがよくわかりますね。
全員ちんこを切り落として山に埋めてやりたい。
知らないことをやりたいと思う事はありません。
その対象となるのは、同世代の相手か、あったとしても誰が見てもかっこいいと思える若めの男性くらいでしょう。
幼かろうが、何歳だろうが、女性がきもいおっさんとセックスをしたいと思う事はありません。
それが全てでは無いとしても、
体を触られてもなにも言えない
怖くて嫌だと思っても、どうしたらいいのかわからず、笑うことだってあるかもしれない。
女の子は一生忘れられません
一時も頭を離れることは無いんです。
私がばかだっただけですが、言いくるめられて、
自分の意思ではっきり同意しても、やっぱり後悔して、気持ち悪くて
でもこうしている間もそんな目にあっている子どもがいる事がかわいそうで悲しくて涙が出てきます。
BBCの記者が子どもサイズのセックスロボットを見て涙を流したのは、「子どもとセックスがしたい」と言う欲求を日本では社会的に容認しているんだ
と言うことがわかったからでは無いでしょうか。
「人殺して食いたい」と言っているのと同じ
それを批判されたら、逆にめちゃくちゃ多くの人が擁護するためにバッシングする。
おかしいですよ。
それはおかしいんです。
非婚化ってのも、男性は収入が低いほど、女性は収入が高いほど著しいわけで…
収入が高い男性ほど、結婚して家事を妻に任せる(=家庭における消費を妻に委託する)傾向にあり、
(更にもっと収入の高い男性は、妻以外に愛人を持ち愛人に金を使う傾向にある)
収入が高い女性ほど、結婚せず自由に自分の為に金を使う傾向にある、
例え結婚したとしても家事は自分で行うか自分で外注し、家事を夫に任せる(=家庭における消費を夫に委託する)事はまずない
うちの同僚の親戚は霊感が強いらしく、沢山の人が非業の死を遂げたところに行くといろいろ見てしまうそうだ。新婚旅行で沖縄に行ったらゲートルを巻いた兵隊さんたちなどを見てしまい、あまり楽しめなかったという。
私は霊感がないので、沖縄だろうが広島の原爆ドームだろうが行っても何も感じないし、何も見えないけど、だからと言って霊感のある人の言うことを簡単に否定するのはどうかと思う。
同僚いわく、川中島はかなり有名なスポットで、ちょっと掘れば人骨が出てくるし、見える人にはいろいろ見えてしまうそうだ。川中島の合戦ってどんだけ昔の話だよとは思うけど、相当強い思いを残して死んだのであれば、一部の人にしか見えないとしても存在に気づいてくれた方が嬉しいのではないかと思う。個人的には彼らが生きていた頃を知っている人がいなくなったあたりで成仏した方が良いんじゃないかという気もするけど。
以前、新聞で東日本大震災の被災地ではかなり幽霊の目撃談があると書いてあった。自分が死んだ自覚がなく、タクシーに乗って目的地に着いたら消えていたり、家族や知人・友人のところに現れたりするという。真偽のほどはともかく、ある日突然自分のそばから去ってしまった人たちが縁のある人たちのところに姿を見せてくれたら嬉しいのではないかと思う。
科学的な根拠を問われると困るけど、私は幽霊が存在すると思いたい。見えてしまう人には迷惑なのかも知れないけど、戦争とか災害によって突然この世を去ってしまった人たちが、現世にちょっとでも帰ってくることができるなら、彼らに会いたい人々にとっては良いことではないのかな。
まるわかりノーベル賞2018 においてキズナアイがインタビュアーを務めたことがジェンダーロールの再生産にあたるのではないかと一部の人たちから批判を受けました。私もメディアにおけるジェンダーステレオタイプは気になる方なのですが上記の指摘には首をかしげます。本来この手の指摘例えば
といった形で議論されるべきなのではないでしょうか。N=1 で議論するものではないでしょう。
それにNHKの子供向け番組は私の見る限りにおいてはジェンダーロールによく配慮して作られていると感じています。まるわかりノーベル賞も2017年には鈴木福くんがインタビュアーを務められています。私には特に性役割が偏っているようには感じられません。(ちなみに2016年から始まっているようでなのですが2016年度のインタビュアーは調べられませんでした。)
また、キズナアイさんの受け答えに関しても一部の方から批判を受けていましたが私には彼女はよくやっているように見えました。そもそもノーベル物理学賞は毎回インタビュアーからひどい扱いを受けることが多いです。小林益川の時は特にひどかった覚えがあります。
でもキズナアイさんは違いました。最後まで楽しそうに聞いてくれていました。おそらく量子テレポーテーションのあたりからついてこれていないのですがそれでもなんとか理解しようとして聞いています。もし仮にキズナアイさんが
「えーそんな難しいこといわれても〜〜 アイわかんないよぉ〜〜☆」
みたいな反応をしていたら私もがっかりしたし怒ったかもしれません。でもキズナアイさんは逃げず、最後まで嫌な顔もせず付き合ってくれました。キズナアイさんどうもありがとう。
NHKの特設サイトを見ただけでキズナアイさんを語るのはキズナアイさんにもVtuberファンの人たちにも失礼かな、と思ったので少しみてみました。見たのは人気動画4本です。本来全部見るべきでしょうが時間がなかったのですみません。
特に笑ったのが「体力測定やってみる!」です。体力測定というよりはモーションキャプチャーの限界やモデルと中身の身体バランスが異なる時どう見えるか?みたいな実験になってしまっていますね。中の人は垂直跳びをしているようなのですがキズナアイは飛べずに妙な動きをしています。唐突に「…これ飛んでいますか?」「…わたし飛べないんですか?」「…なんで(垂直跳びを)いれたの…。」と虚空のスタッフと会話を始めてなんとも笑えるし、親近感が湧きます。中の人がなんとなく見えているのがVtuberの魅力の一つなんでしょうね。
感心したのが「あんな声やこんな声で話題の声ゲーに挑戦」です。これは音声入力で遊ぶゲームプレイ動画です。「動物の声」などのお題に合わせて遊んでいきます。動画中程で「セクシー」というお題が出てきました。普通ならここで「男性ファンへのサービスタイムかな」と思うところです。でもキズナアイさんは「なまたまご〜〜♪」「たまごかけごはん〜〜♪」とセクシー台無しなワードで迎え撃ちます。私はこれをみて「なるほど、女性ファンが多いわけだな」と感心しました。おそらくキズナアイさんは抜群のバランス感覚の持ち主なんですね。動画を見ている様々な人たちを配慮していて、笑いとセンスで誰にも嫌な思いをさせないようにしている。ギャグも基本的に一人ボケ一人突っ込みで誰も傷つけない。この辺りが信頼を集めているのかな、と思いました。
動画を見た後はずいぶんイメージが変わりました。キズナアイさんは「熱狂的なファンが多い」というよりは「愛されている」「信頼されている」という表現が似合うように感じました。私が連想したのはTwitterのシャープさんです。ちょっと抜けてて、なんだか中の人が見えていて親近感がわく。いつも全力で楽しんでいるように見えて実はいろんなひとに配慮している。抜群のバランス感覚で踏み越えてはいけない線を絶対に超えない。だから信頼できる。私の抱いた印象はこんなかんじです。
もうひとつ、キズナアイさんはいわゆる「男性に媚びたキャラクター」ではないですね。なんといいますか リナ・インバースを現代風にマイルドにした感じでしょうか。
何かネットで炎上した案件があると、必ず出てくる「切断処理」信者。特徴的な発言は以下のとおり。
このような主旨の発言をしたやつらは、ぜったいに、かならず、一人の例外もなく知能が低く卑怯者です。
間違いはありません。
しかしこの言葉を好んで使う人たちから推察するに、切断処理とは、
ある属性・思想・趣味・主張――ここからは簡単に「グループ」と呼びます――に属する一部の人を、「この人は私のグループではない」「この人の行動はグループ全体の意向とは異なる」と表明し、あるいは攻撃することだと思われます。
さて、この時点で知能の低くない皆さんはお気づきかと思います。
一体、誰が、どの立場で「同じグループか否か」「このグループの意向は何か」を決めるのでしょう。
男、女といった属性はいうまでもなく、フェミニズムやヴィーガニズムなどの思想だってスタンスや解釈は多種多様です。
たとえ宗教であっても、教典を定めているにも関わらず、解釈や時代によって多くの派生が生まれますし、その派生のなかでもどれだけ敬虔かには個人差があるでしょう。
例えば企業の社長のような、メンバーのはっきりした集団の長でもない限り、あるグループを代表して意向を述べたり、あるグループのメンバーかどうかを他人が決めることは不可能です。
こんなこと、おそらく知能の高い皆さんには当たり前のことと思いますが、
切断処理を他人に迫る人たちというのは、こんな当たり前のことさえわかっていないのです。
かわいそうですね。
「何もグループを代表して言えというんじゃない、お前自身が何に賛同するか/何に反対するかを言え、俺が求めている切断処理とはそれだ」と。
でも彼らは気づかないのです。
その「個人個人の主義主張」は、彼らの目の届かない範囲で日々無数に当たり前に行われていることに、
そしてそれを「切断処理信者」の目の前でやれ、と強要する大義などどこにもないことに。
いえ、その切断処理信者が、たとえばものすごい影響力のあるジャーナリストだとか、何万人にも発信できるメディアをもっているとか、そういうことであれば、「個人の主義主張」を伝えることに、人によっては意味を見いだせるかもしれません。
しかし、「切断処理しろよ」と喚いているのはただのブックマーカーとかただの増田とかせいぜいただのブロガーです。
そんなただの人に、「私個人はこう考えている」となんの代表でもない個人が伝えること。
それの、どこが、「切断」なのでしょう?
ある個人が、個人の主張を言うことを強要した。残った事実はそれだけだというのに。
けれど彼らはわからないのです、そんな程度のことが考えられないのです。
彼らは、ひとつの「グループ」に見えるものでも、実際には色々な立場と考え方があるということに耐えられないのです。
そういう処理能力の弱さを、知能が低いと言わずしてなんと言いましょう。
そんな知能の低い彼らは、どうして他人に切断処理を迫るのでしょう?
前述のとおり、ひとつの「グループ」に見えるものでもそのなかには無数の考えと立場があります。当たり前ですね。
しかしそんな当たり前のことを、切断処理信者は理解できません。
それは知能が低いのが理由だとお伝えしましたが、もうひとつ理由があります。
彼らは、本当はその「グループ」に興味がないのです。
炎上する問題が出た背景も、その「グループ」にどんな考えの人たちがいるかも、全然興味がないのです。
彼らは、ただ炎上した案件に飛び付き、気持ちよく叩ける相手を叩きたいだけなのです。
しかし、その「グループ」をまるごと叩いてしまうと、他の人から自分が叩かれるのは目に見えています。
「いっしょくたに叩かれたくないのなら、問題を起こしたやつらを内部批判して別の名前をつけろ」と。
つまり、気持ちよく叩いても誰にも非難されない、そういうサンドバッグを作って自分に差し出せ、と言いたいのです。
だから同じ「グループ」に見える人たちに、「叩いていいグループ」の切断を迫るのです。
なお、実際にはそんなことは不可能です。
前述のように、なにかを代表して発言することは、現実の組織でない限りはほとんどすべての人にとって不可能だからです。
また、炎上案件というのは傍目には分かりやすく誰かが悪者でも、その「グループ」に近しい人にとっては非常に複雑で簡単には解決できない問題が絡んでいたりします。
あるグループについて深く知れば知るほど、簡単に誰かを「切断」すれば済む問題など存在しないことに気づきます。
大抵の問題は、まったく興味のない人間が勝手に断罪できるようなものではないのです。
これも、知能が高くできうる限り公正であろうとする善男善女のみなさんには当たり前のことなのですが、切断処理信者にはわからないのです。
悲しい生き物ですね。
しかし、切断処理信者はバカで卑怯なくせに声だけは大きいので、
時に哀れな人たちが騙されて、言われるがまま「切断処理をした」と言おうとします。
たとえば以下の増田です。
コミケで禁止されている「徹夜組」、つまり前日から会場に列を作り並ぶ行為は禁止されています。
深夜に大量の人がたむろすることで近隣住民の不安を煽り、また現金精算が基本の即売会に並んでいるとあって犯罪の温床にもなりやすいからです。
しかし毎年徹夜で並ぶ人たちはあとを絶たず、これには毎年ネット上でも批判の声が上がります。
まだ13日なのにコミケ徹夜組が大量発生か!? 徹夜組へのメッセージが(画像で)集まる - Togetter https://togetter.com/li/860094
では、これでオタク、コミケ参加者の「切断処理」は終了しているのでしょうか。
答えは「お前んなかではそうなんだろう、お前んなかではな」です。
いくら画像大喜利で徹夜組を批判してみたところで徹夜組はいなくなっていませんし、近隣住民の不安は消えません。
徹夜組対策のために実際に汗をかいているコミケ運営についたは畏敬の念に堪えませんが、
コミケ徹夜待機が「オタク」というグループが起こしている問題だということに一切変わりはありません。
仮に「切断処理をした!」と主張したところで、せいぜいがインターネット議論ごっこの武器程度にしかなりません。
そもそもがくだらないのです。
誤解しないでいただきたいのは、ルールについての草の根啓蒙を否定するわけではないということです。
明確で正統なルールがある場合においては、みんなで少しずつ意識を高めていけるのはいいことです。
しかしそれを「切断処理」と呼ぶの馬鹿げています。オタクが関係ないことになるわけでは、ありません。
このように、切断処理信者は頭が悪く卑怯でインターネット上の議論にしか興味のない、大変残念な人たちです。
では、同じ「はてなユーザー」というグループにそのような残念な人たちを抱えてる善男善女の読者の皆さんは、いったいどうしたらいいのでしょう?
答えは簡単です。
どうもしなくて、いいのです。
あなたは、あなたの主義主張を、あなたのしたい場所であなたのしたい相手にしていけばいい。
あなたが賛同したいと思った意見に賛同し、反対したいと思った意見に反対し、発言したくなければ発言しなければいい。
「切断処理信者のような残念な人たちを放っておいては、はてなユーザー全体がレベルが低いと思われ」ますか?
もし万一そんなやつがいたら、そいつもおろかな切断処理信者というだけです。
ただ、ルールや法に抵触していたら、善男善女の義務として粛々と通報しましょう。
今ホッテントリにある>https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57987?page=3<見たんだけど
正直さ、大多数の人は
「去年のNHKノーベル賞特設コーナーの生徒役は男の子で、ガイドは女性でした。」
「今年のNHKノーベル賞特設コーナーの生徒役は女の子で、ガイドは男性でした。」
って聞いても、別になんとも思わんでしょ。
でも一部の人は「今年のNHKノーベル賞特設コーナーの生徒役はキズナアイちゃんで、ガイドは男性でした。」と聞いて
“教える男性/教わる女子”という、メディアにおける男女の役割分担、特に教養的な番組の典型的なパターンに陥っている!!!
“知的な男性/男性に比べて知的に劣る女子”という発想を、無意識のうちに刷り込まれてしまう!?」
ってなるのヤバくね?古すぎね?
未だにこんな事気にしてるの君たちだけじゃね?
ぶっちゃけ今時は教師役が男でも女でも気にならんし、生徒役が誰だろうが気にしてないじゃん。誰がやってもいいじゃん。
この価値観の変化は、打倒ジェンダーロールを掲げて戦った人達の成果の一端だと思うよ。素晴らしいね。
でも言い出した側が時代に追いついてねーの。笑える。
いや、全員が全員そういうわけじゃないけど。
例のコウノドリもそうだけど、一部の人が露骨に特定世代の男性を悪者扱いしていたり、さらに接種に消極的な男性をひどく叩いている光景を見てしまうと、こいつら信用できんって思ってしまう。
別の世代あるいは異性が無料で打ってもらえたものを、1万円かけて自腹で打て、そうじゃなければお前は迷惑な加害者だ、っていう主張はあんまりにもあんまりだと思う。それはないよ。不公正で不正義だよ。
医学的には、風疹ワクチンの効果は高いのだろうと思う。先天性風疹症候群が悲惨なのもよくわかった。そんな悲しい病気がなくなるといいね、とは思う。別に私は反ワクチンというわけではなく、ワクチンは医学的に効果の高い感染症対策なのだろうとは納得している。
納得できないのはそこじゃなく、なんでその費用を特定世代の男性は自腹で持たなきゃならないのか、そしてなんでその費用を惜しんだりワクチンを打っていなかったりすることが攻撃される理由になるのか、という点。
1万円とか、普通に高いよ。あなたが1万円出せばアフリカの子供が飢餓から救われますと言われて、ポンと1万円出せるか? 私には無理だ。アフリカの子供のために出せないカネを、日本の子供のためならポンと出せるなんてわけがない。もちろん、1万円なんてはした金と思えるくらいの安定した収入を得られるなら喜んでアフリカや日本の子供を救うために喜捨するけど、残念ながらいまの私にとって1万円ははした金ではない。それを惜しむことが攻撃される理由になるのは本当に理不尽だ。
というかそもそも、そんなに対策の必要性と有用性と緊急性があるなら全額公費で持つのが筋だと思うのだが、なぜそこが放置され打っていない男性が批判されるのか皆目理解できない。接種費出してあげるから行って、と呼びかければ行く人はそれなりにいると思うのだが、広報とかにかけるカネの一部を支給用の実費にまわすという考えはないのだろうか。
(妊婦の配偶者とかは無料になる地域も多いみたいだけど、魔法使いには縁のない話だし。検査費用が来年度から無料になるらしいけど、接種が有料ならそもそも検査なんて行かねーよ……)
そして、それ以上に、あちこちで「加害者」という言葉が飛び交っているのが本当に無理。
風疹にかかって、それを妊婦さんにうつしてしまうと「加害者」と呼ばれることになるらしい。
私は病気がちな子供だった。風邪インフルエンザ水疱瘡あたりのメジャーなやつはどれもやったし、EBウイルス感染症で病院に担ぎ込まれたことも髄膜炎で死にかけたこともある。大人になってからは感染性胃腸炎に苦しめられたし、多分麻疹もどこかでやってる。同じ腹から生まれたきょうだいは風邪すら滅多に引かないのに。
私がかかりたくて感染症にかかっていた/かかっているわけじゃない。病気の方が私を放っておかないのだ。私は病気に対しては被害者でしかない。
なのに、なんで被害者であるはずの感染症罹患者が「加害者」呼ばわりされないといけないんだ?
意図的に感染症にかかった上でばらまいてやろうという悪意を持って行動した人間みたいなレアケースでもなければ、感染症にかかった人間は断じて被害者であり、加害者ではない。
痴漢冤罪にたとえよう。もちろん架空の被害をでっち上げて示談金むしり取ってやるぜみたいな悪辣な人間がいないとは言い切れないが、間違った人間を痴漢として告発してしまった人のほとんどは、本当に痴漢の被害に遭っていて、めぐり合わせとか運とかそういったものが悪かったせいで無実のリーマンの手を掴んでしまった人だろう。その人たちは私にとっては純然たる被害者であり、冤罪の加害者と呼ばれるのは不正義だと思う。その人たちはただの被害者なのに。痴漢に遭うことがなければ、間違った人を告発することもなかったのに。
私にとって感染症もそれと同じだ。多くの罹患者は被害者であり、悪いのは感染症だ。彼らは断じて加害者ではない。
たとえインフルエンザにかかっているのに出勤し職場にインフルエンザを撒き散らした人であっても、麻疹にかかっているのに飛行機に乗り日本各地に麻疹をばら撒いた人であっても、そして風疹に感染して妊婦に近寄ったことで胎児を先天性風疹症候群にしてしまった人であっても、その人たちは被害者であり、絶対に加害者ではない。
彼らを加害者呼ばわりする人間は、かつての私のような感染症に弱い人間を、ただ懸命に生きて日常生活を送ろうとしているからという理由で加害者と呼び断罪している。私にはそれは容認できない。そのような主張は、私のようなかつての虚弱児にとって敵でしかない。
遺憾ながら、風疹の予防接種を訴える人たちの中には、無視できない割合で私にとっての敵がいる。「加害者にならないために」と「啓蒙」する連中が大勢いる。そしてそういう言説がなんの違和感もなく受容されている。はっきり言ってそんな界隈、関わり合いになりたくもない。
私が風疹ワクチンを積極的に打とうとはしない理由の9割くらいは、面倒なのとカネがかかるからだ(それが解消されたら、まあ打ちに行ってもいい)。でも残りの1割は、ワクチン接種を呼びかける人たちが信用ならないからだ。私の敵に唯々諾々と従いたくなんてないからだ。私の敵が大勢混じっている運動の呼びかけに、なんで私が協力しなければならないのか。感染症被害者を加害者と呼ぶ倒錯した連中の言うことなんて、意地でも聞いてやるものか。こんな気持ちが1割くらい存在する。
別に、そういう連中を自浄しろとかそういう発言をやめろと言うつもりはない。表現の自由というものがあり、いかに気にくわない言論であろうとも止めさせる権利は私にはない。ただ私は私でワクチンを接種するか否かを決める権利と自由があり、私は何と言われようとそれを行使するというだけ。だからどうぞ私のことは気にせずワクチンを打ってください。私はあなたの選択を止めたり誹謗したりなんてしないから。
「予防せずに不特定多数の人間と性交して性病に感染した。パートナーにも感染させた。感染させる意図はなかったので責任はない」みたいな。被害者と加害者は排反ではなく両立する。カルトやマルチ商法がいい例。
特に感染対策をせず街中を歩くことは不特定多数とのセックスに相当する行為なんだ……
もう無理。感染症に対して意識高い人たちのナチュラル抑圧者っぷりが本当に無理。無料になっても義務化されて罰金が徴収されるようにならない限り風疹ワクチンは打ちません。抑圧者に加担なんてしたくないので。どうもありがとうございました。こう思えるようになったのも皆さんのおかげです。啓蒙活動の成果を誇っていいですよ。