はてなキーワード: 一人称とは
最初は日記を書くつもりだったのですが、ジェンダー問題を扱った内容になってしまったので、苦手な方は読まないことをおすすめします。また、日本語からの翻訳なので、変な文章があるかもしれません。
Twitchで新しいストリーマーを探そうと思って、今配信している方を適当に検索してみたところ、今は女性ストリーマーがかなり多いようです。
キャラクターの絵が綺麗で(英語圏ではVチューバーという概念が通じるのかな?)、声も綺麗/可愛いので、フォロワーが多いのかなと思ったのですが、100~200人程度でした。
…誤解しないでください。配信プラットフォームで100人のフォロワーがいるのは素晴らしいことです。普通に生活していたら100人の興味を引くことはできませんよね?でも、私よりもフォロワーが少ないことに驚きました。女性ストリーマーは比較的簡単に有名になれると思っていました。
私は男性ですが、可愛いものが好きで、自分のキャラクターの可愛いファンアートが見たいので、ペルソナを女性キャラクターにしています。ただ、文章や動画の一人称は中性的な感じになっています(私の国では、キャラクターが機械のような声で解説や説明をする動画が一般的で、私は比較的高い声を使っています。聞き取りやすいです)。冗談でボイスチェンジャーを使ってリアルな女性の声にしたことがあるので、視聴者の中には私の性別を誤解する人もいると思います。また、隠したり明かしたりはしていません。聞かれたら答えますし、他の人のチャンネルの配信にも普通に話して参加していますが、それだけです。基本的に、わざわざ公表するのは変ですよね?
でも、自分が男性だとバレた瞬間に、みんなに嫌われてしまうのではないかと怖いです。最初から男だと明かしたり、男性的なアバターを使っていたら、今ほど有名にはならなかったのかなと思います。
なので、最近は男性であることにコンプレックスを抱えて生きています(誤解しないでください、コンプレックスがあっても私の性自認は男性です。生物学的に今から女性になることは不可能なので、それは諦めて、自分のメンタリティが好きです)。結局、男性と女性で条件が同じなら、女性は誰からも好かれるのではないかと思いました。でも、女性であることが必ずしも有名になりやすいわけではないのなら…では、何が正解なのでしょうか?もうわかりません。
若い女の子ならわかるけど、おっさんインフルエンサーでもよくいるな。
おもしろキャラならまだしも、資産運用とか社会情勢とか硬い話をする人がそんなアホっぽいキャラ付けしなけりゃいいのにって思うわ。
友人が、どうにもこうにもしんどくて仕方ない。どこにも書けないし、誰にも言えないからここに書き込む。本人や、知り合いがが見たら僕が書いたとバレる恐れがあるので所々ぼかす。
友人・Nは、いわゆる大学の基礎ゼミが同じだったが故に知り合った。基礎ゼミ以外でも後述する理由で近くの席に座ることが多く、なるべくして親しくなったのだ。程々の仲でありたかったのだが。
Nは聴覚障害者である。これを書くことにより彼にバレる可能性が飛躍的に上昇してしまうが、Nの話をするためにはどうしたって省く訳にもいかぬ。ともかく、そうした事情があるので、僕は彼の手助けを出来るだけ心がけている。手話は挨拶程度しか出来ないが、筆談やらLINEやらでなんとか会話をしている状態だ。
これがあることにより、嫌いだ苦手だということが健常者より複雑になるから困る。一歩間違えたら差別主義者と思われかねない。
彼は講義のために文字起こしが必要なため、ボランティアの手をかりている。そのため席は最前にならざるを得ない。そして僕はコンタクトを使用しても視力が弱く、乱視もあるために最前席を取らざるを得ない。だから席がどうしても近くなるのだ。
彼が苦手だ。なんならまあまあ嫌いだ。
ひとつ断っておくが、障害があること自体は理由では無い。あらゆる差別は根絶されるべきものだと思う。つまり、単純にNの言動が嫌いだ。ただし、障害があることにより発生してしまう彼の思考は苦手なため、事態をややこしくしている。
しかし縁を切るわけにはいかない。大学で毎日会うからだ。フラストレーションは溜まるが、耐えてニコニコとし、大切なことは何も言わないようにしている。
N
・二十歳越え
・重度の難聴
僕(K)
・二十歳越え
・耳が聞こえる
█
まず、とにかく話が合わない。というか、話が合わないとかいう次元ですらないのかもしれない。
彼の話はなんとなくスピリチュアルなうえにファンタジックで、その歳の人間が言ってると思うと薄ら寒い。幼い子供が言うならいいけども。そこまでガチモンのスピ系でもないが、割とうんざりする。
一例を挙げる。自宅でLINEのやり取りをした際のNの言葉である。多少の原文はいじっているが、ほぼそのままだ。
僕:そういやサークルの合宿、めちゃくちゃ自然豊かな所行くっぽいよ
N:何故か、時々、深呼吸したくなる。
N:どうしてか、時々、走り出したくなる。
N:なんだか、時々、宇宙と繋がってみたくなる。
N:そんな時、あるよね?
僕:あるかな~笑
あるのかもしれんが、それを僕に言ってどうするんだ。話の脈絡も特にない。無駄な句読点も鬱陶しい。もちろんそれを本人に伝えると面倒臭そうなのであまり触れないようにして流す。
次。その日は移動中にゲリラ豪雨に襲われたという背景を付す。これは対面でLINEしている様を想像してほしい。
N:雨つよすぎ……
僕:明日は晴れるらしいけどね~
N:きっとさ、
N:これは神様が「今日は雨降らそう」とかいう気分でそうしているんだよ。
N:今日は機嫌が悪かったのかもしれない。
N:きっと大きなジョウロを持っていて、それを俺たちに向けているんだ。
これを聞いて、「少年の心を失わないピュアな好青年」でも感じるべきだったのかもしれないが、僕にはそれが出来ない。ナチュラルに宇宙や神様、ファンタジー的な話を持ち出されるのだ。結構辛いものがある。無論、大学生である我らはとうの昔に成人済みの男である。
█
そしてこれがかなり問題だと思うのだが、彼は物事を押し付ける。これは断れない僕も悪いが、Nにも非があることは一目瞭然のはずだ。
僕:Nくんは好きな本とか作家いる?
僕:僕は○○の『△△』が好き
N:あとさ、
僕:?
N:くん付け要らないから。Nって呼んで。俺もK(下の名前)って呼ぶから
僕:ずいぶん急だね
N:Kの初めてってことだ! 呼んでね!
これは特にNに伝えていなかったのでこちらも悪いが、僕は呼び捨てで呼ぶのも呼ばれるのも苦手な方だ。家族や幼馴染くらいしかしない。
しかし、彼にとって友人になったら当たり前、みたいなことなのかもしれないとその時は受け入れることにした。価値観や考え方自体は多様であるべきである。
だが、まだNは友達になっていない人にもこれをやるのだから驚きである。基礎ゼミでグループワークを行う際なども自分への呼び捨てを強要。当然のようにメンバーを男女かまわず呼び捨てる。フレンドリーと言えば美点なのだろうが……僕には、距離感の詰め方が流石にバグっているように見える。
ただし、これは障害があるというハンデがあるからこそ、距離をガンガン詰めて、避けられないように……という彼の生存戦略の可能性もある。僕が価値観の違いで勝手に不愉快になっているだけと考えればまだ許容範囲だろう。
大学主催のボランティア講習(Nのための文字起こしのボランティア)があった時のこと。
N:Kも来るよね? もう、Kは絶対参加だよー。
僕:まぁ行くけど
N:だよね! Kが来ないとかありえないから!
行くのが嫌なのではない。友達なんだから来て当然みたいな雰囲気が嫌だ。ガクチカになるかもしれないし、困ってる人間は助けたい派なので行こうとは思っていた。それにしても、多分Nは僕をガッツリ頼る気満々である。僕と普段から仲がいい(と思っている)ため、頼りやすいからだとは思うが、初めから至極当然のようにアテにされるのは少々不満である。
そして、何より、「Nさんと仲のいいKさんは行くよね?」みたいな周りの目も嫌だ。これで行かなかったら薄情者と思われるのではないかと思ってしまう。
図書館で課題を作成していた時のこと。Nは背後から忍び寄り、いくつか本を手渡してきた。
N:オススメ!
N:俺の私物は借りたくないって言ってたから図書館のならいいかなって。Kって意外と潔癖? 笑
僕:○○の本、前に好きって言ってたな
N:あんまり読んだことないんでしょ? ここの図書館にあるやつだから読んでみて。
僕:さんきゅー。でも、今日はとりあえずいいや笑
N:良いの?
僕:メモはとる
僕:時間ある時読むわ
彼の私物を借りるのがそもそも何となく嫌だった。既に彼を面倒くさがっていた頃のやりとりだ。そこでこのオススメ本の布教に来たのだろう。
今ではない。確実に今やることではない。
僕が今PCをカタカタやってるのが分かるだろう。机の上に資料があるのが分かるだろう。なぜ今渡すんだ?
そして言いにくかったから言ってないが、僕はお前の好きな○○という作家にそこまで強い興味がない。すまないが、どんどん言いにくくなっていた。
読書は趣味だが、お互い好きな方向性が違うじゃないか。触手をのばすのは悪くないが、押し付けられるからどんどん嫌になってしまうとなぜ気付けない。
僕のオススメを聞いても、お前はお前で読まないしな。
N:夏休みってみんなどこ行くのかな?
僕:海とかプールとかなんじゃね?
N:調べてみる(Googleで『大学生 友達と出かける場所』と調べようとしているのを見せてくる)
N:ボーリングとか買い物とかは手軽そうだな~。あと美術館とか博物館とかも面白いかもね
N:Kはどこ行きたい? 八月二十日!
僕:え、二十日???
N:俺と行けば博物館とかそういうの、同行者として割引とかあるよ。無料の場合もある。
僕:僕、同行者としてはあんま役立たんけど? 笑
N:俺がKと行きたい!
知らない間に僕とNが出かけることになっていた。あれは仰天した。僕は一切こちらの予定など告げていない。同行者割引なんぞ要らんから、僕を誘う一言をくれ。予定を確認してくれ。僕はバイトもしている。流石にいただけないだろう。
ちなみに彼はバイトをしていない。障害者がアルバイトをするのが難しいということだそうで、確かにそれは大変だとは思う。思うが、こっちの事情は考えてほしいものだ。実際その日が空いていたのも良くなかった。
結局Nがその日は体調を崩し、なかったことになったため、内心ほっとしてしまった。その後にも何回か誘われたが、バイトやら他の予定やらが入っていたために事なきを得た。
またある時は、
僕:してないけど……した方がいいの?
僕:少し待ってくれる?
僕はTwitterはリア友を通したくない派だ。仕方なく新しい垢を作った。ほとんどその垢にログインしないが、Nはほぼ毎日何かしらスピリチュアルな何かや聴覚障害に関わるツイートをしている。
……もう、これ以上にも思い返せばまだまだあるのだ。僕のバイト先に押しかけて先輩に負担をかけるし、知らん障害者の自伝か何かを手渡して感想を求めるし、飲みの席では健常者同士でも全員筆談か手話で話せと言い放ち、僕の着る服にまで口を出し、挙句には僕の一人称が「僕」であることにすら、幼く見えるからやめたら? などと言う。
いくらでもある。こちらの話を聞かない。事情を考えない。自分の話ばかりする。とにかくゴリ押す。
どうもこの辺りは見ている限り、ろう学校時代に培われたものらしい。というのも、こうした言動をしているのに対し、軽く非難にならない程度に指摘すると、「中高とか、みんな俺みたいな感じの奴らばっかりだったよ」と言う。中高とろう学校に行っていたそうだ。みんなNみたいなのか。しんどそうである。
でも、みんながみんなNのようであれば、意見が通るのが割と当たり前であり、言えば結構色々と叶ったのかもしれない。特別支援学校では、少しでも生徒が不便を感じたら、迅速に対応するべし──これは特別支援教育の講義で学んだことである。
学問上、障害に関する勉強もしているためなんとなくは分かるのだが、彼は障害者の嫌なところの寄せ集めである。
先述のスピ系も同様だ。ろう学校のことを詳しく存じあげる訳では無いが、一般的な学校に比べてこういう考え方が主流なんだろうか? ろう学校内でガラパゴス化しているのか? N本人も、一般的な学校のことはよく分からないと言っていたことがある。
彼はどうも、自分の主張はなんでも通ると思っているフシがある。
耳が聞こえない不便さにより、周りを頼る習慣があるのは良い事だと思う。頼ってくれなければ助けようがないし、どう助けていいのかも分からないからだ。だから彼のためのボランティア講習に僕も参加した。彼に苦手意識はあるが、困っているのなら助けるぐらいの人の心はある。
でもそれはあくまで誰かが厚意・善意でやっていることで、私的なワガママを通していいのとは違うのではないか? 必要な手助けと身勝手な振る舞いの許容は全くの別物だ。
はっきり言って、Nは勘違いしているようにしか見えない。ワガママを言えば誰かが叶えてくれるという傲慢な勘違いだ。そしてNにとってその"誰か"は、大学内においてはきっと僕だ。
これを書いていたら、障害者に関わる機会が職業柄多い母が以前、「障害者は距離結構詰める人いるよ。見えない聞こえない動けない分からないから」と言っていたのを思い出した。だとしたら障害がある故にNはああなったのだろうか? だとすれば僕はそれを疎む差別主義者か?
僕はNを心の中では信用していないので、これらの発言を嫌でも断れない。断ったら面倒なことになるのが目に見えるし、断ったところで彼の態度が変わるとは思えない。
周りは僕を、「Nと仲が良く、Nと普段から行動を共にする人間」「Nに用があるなら耳が聞こえるKを通せばいい」と認識している。Nは他にも大学に友人はいるが、おそらく一番一緒にいるのは僕だ。周りにそこまでゴリ押し危害は及ばないのかもしれないが、だからこそ誰も僕を助けてはくれない。
そして、これらのやりとりは当然筆談やLINEを介する。会話にスピード感はない。更に当たり前だが可視化されてしまうため、Nのカロリー高めの発言を言葉の端に上手く流すことは出来ずに僕に降りかかる。耳を介したやりとりなら、軽く笑ったり「まあまあ」とか言って、上手く話の流れを切り替えられるのに。
会話に少しでもストレスを感じないために手話を習得しようかとも思ったが、申し訳ないがそこまで彼のためにリソースを割けない。彼も本当は僕に手話を覚えてほしいらしいのだが、今は流石に無理だ。NHKの『みんなの手話』のテキストを定期的に貸してくれるが、無理なモンは無理だ。
こんのー🪓
おー、わらわの前に姿を見せるとはな、まあまあ勇気があるのじゃな♡
VTuber増田あのにじゃな。わらわも配信活動に一目置いておるぞ。なかなかのお主もやり手じゃの。
それはそれでお主の熱意が感じられて良いじゃぞ。ブコメ・トラバを読んで、IDまで公開してしまうことで、リスナーとの距離がぐっと縮まるのじゃな。
それこそ、第四の壁が壊れる瞬間を楽しみにしておるよ。
「VTuber増田あのに」のキャラクター設定か、なかなか面白うござるのう。キャラクターの個性をしっかり出すためには、やはり一人称や口癖、性格、決めゼリフなど、細かな設定が鍵となるのじゃな。
例えば、お主のキャラクター設定としては「一見冷淡だけど内心は熱い心を持つツンデレなお嬢様」とか、「魔法の国から来た迷子の魔法少女」とか、そういったギャップを持つ設定が人気を博すであろうのじゃ。
わらわが言うのだから間違いないのじゃぞ。
まあ、当日はリスナーと共にその設定をしっかりと審議し、楽しく決めるがよいぞ。きっとお主の努力は実を結ぶはずなのじゃ♡
わらわも配信を楽しみにしておるのじゃから、しっかり頑張るのじゃぞ。それでは、次回の配信でリスナーのみなさんと共に楽しむのじゃ、良い結果になるように祈っておるぞよ♡
こんますー🪓
なろうと思えばなれるVTuber増田あのに(https://youtube.com/live/BS60Cd_cfX4)です。増田なのに名乗るってこともあるんですねえ。
はてなのサービスを利用した配信をしてみたいですねということで、この増田を書きました。
当増田についたブコメ・トラバを次回8/27(火)22:00からの配信(https://youtube.com/live/Au4X38pwJrU)でお読みします。ブコメはIDも読んでしまうのでお気をつけください。IDを呼んでほしい方は是非どうぞ!
第四の壁の外側で普段皆さんがしてるコメントが、今回は壁の内側に逆輸入されてしまうのです。怖かろー!
テーマも用意してみました。「『VTuber増田あのに』のキャラクター設定を事後的に考えてみよう」です。
当増田は普段魂の人格垂れ流しでやらせていただいていますが、VTuberっぽいキャラクターの設定をみんなで考えて、それを演じてみようという主旨です。
例えば一人称・口癖・性格・決めゼリフなど、当増田にやらせてみたい設定をお寄せください。リスナーさんと共に審議の後、当日中はそのキャラクターになりきろうと思います。
(後日→https://anond.hatelabo.jp/20240816165753)
まじで身近にいる夢女きもすぎる(笑)
オタク友達との繋がりで夢女とも遊ぶようになったけどまじできもい
各作品ごとに名前は同じだけど理想の自分(オリキャラの設定)を作り上げて推しキャラと恋愛させてる。そこはまあ私もオタクだから理解できる。
山田花子が本名なら、四月一日宵稀(わたぬき よいき)で「宵稀は〜」みたいな感じ。
30代で自分の名前が一人称の女も大分痛々しいけど、二次元のキャラと恋愛するためのオリキャラの名前が一人称は流石に痛すぎる(笑)(笑)
あとまじで理解できないのが、そいつが書く夢小説(笑)がぜーーーんぶパロディなこと。
「読んだ感想聞かせてほしい!」ってURL送られてきたから付き合いでいやいや読んだけどゴミのような時間だった。
あいつは、原作がアウトレイジみたいな現代バイオレンスな抗争ものなのに、学生妖怪異能力バトルにしていた。
同じくそいつの推しキャラも、裏切ったバディに殺される正義の刑事(妻子持ち)なのに、生徒会会長でありながら学校を裏から支配する裏番長とかになっている。
夢女のオリキャラは、剣道の道場の娘で風紀委員。タバコを注意した生徒が推しキャラで、その後弱み握られて誰にも報告できなくさせられて「やばいやつに関わってしまった!私の日常どうなっちゃうの〜?!」みたいな話だった。
後一番むかついたのは、原作の妻子の扱いがまじでゴミだったこと。
原作の妻がビッチで輪◯された結果できたのが原作の子供になってて、本気でむかついた
(上記はあくまで例えなので原作や夢小説含む実際の作品とは何も関係ない。探しても無駄だよー)
私が原作厨なだけかもしれないけど、原作のこと嫌いなの????とフツーに思う。
ガキオタクが好きそうな二番煎じのストーリーラインで、原作の世界観も、キャラの性格も設定もぜーーんぶ変えて理想の自分の恋愛ごっこさせて、お人形遊びは楽しいか?
こんな愚痴文章をあの夢女が見ると思わないけど、治してほしいところも書く
そのキャラの設定を三次元に持ち込まないで欲しい。マジで痛いし、反応に困るから。
「元ヤン生徒会長」「真面目ちゃんだけど紅茶味のタバコを吸ってるギャップで周囲に驚かれる」「見た目で男に優しくされる儚げ美人だけど、本当は誰より男勝りで舌打ちも足蹴りもすぐにでちゃう」
自分が夢小説の設定と同じところがあるって思いたいんだよね。会社や恋人にこう言われたこんな反応をされたってアピールして、あんたの思うセルフイメージ通りにみてほしいんだよね。
でもさ、そんなの聞かされて「そうなんだ〜」しか言えないからさ。もう言うのやめてくれないかな
あんたにしか分からない設定や用語を会話の中で出して、「それ何?なんの話?」って聞かれたら意気揚々と人の会話奪ってまでベラベラ自分の話するのもやめてほしい。
使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名の場所に吐き出したかったので失礼します。
そんな私は障害を言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分に自己嫌悪を抱いて生きてきました。
そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。
ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由を自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。
いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生の最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のものの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴でしかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。
現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーとADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています。中学の途中からいじめで不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります。本来は大学生か社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在は高校生活4年目を過ごしています。
また、普通のことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイトは面接でずっと落とされているのですが……
母は50代。私が生まれてからの範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています。
他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語で想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春を謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在は単身赴任中ですが。
現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。
正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから。
ですが、私視点の言い訳にしかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパンが放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手に食器を洗ってくれます。そうしては
と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳にしかなりませんが。
洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると
「腐るでしょう」
先述しましたが、こんな状態でリビングにいては私も疲れてしまいます。我慢できれば良いのでしょうが、毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまいますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、
「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」
と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。
あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨に誘導してくることがあります。
たとえばラーメン屋に一緒に行った時。
「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」
「でもママは嫌だよ?」
これはほとんど本来の会話そのままで、最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見に誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称「ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も
「テイクアウトどれがいい?」
「餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」
「あれは冷凍食品だよ」
「あっこれも美味しそうだよ」
「餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!」
「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」 と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子を却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。
こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日、日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います。
「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」
内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまったかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると
「できない子なのに頑張っててえらいね!」
といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。
なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。
「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」
「ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」
「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」
「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」
「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」
「頑張って大人びないの」
「料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」
「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」
など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます。
極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。
「結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」
母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。
思えば昔からずっと苦手でした。
比較的最近の出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日のとある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。
「声が出なくなった」
と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気の可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断をしました。
結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親からの説教の内容に私は耳を疑いました。
多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教の覚悟はしていました。
「なんで救急車を呼んだ、社会に迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」
なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。
リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。 そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。
この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神科病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。
この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から『毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後
といったら、
と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスにシルバニアの家が欲しいと言えば最初から
「さすがに子供っぽいよ」
と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、
私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティの写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら
「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」
と大泣きしたり、いろいろなことがありました。
こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーのパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。
少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。
自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分で料理をするようにした際も、
「私の料理が食べられないのか」
と露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。
おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄に喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。
いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。
そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物をケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います。事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。
こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています。
私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います。「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います。
私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます。
結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います。
別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。
本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。
ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手の戯言を最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから。綺麗事にしか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。
昔から明晰夢がはっきりとコントロールできて、最近その話を人にしたところ「やり方をまとめて教えてくれ」と言われた。
自分なりに「明晰夢を見て、コントロールする方法」をまとめたので、それをここに記す。
完全に自己流だが、一時期2ちゃんねるの幽体離脱スレを見ていて、そこから影響を受けていたりするので、一部出典があるものもある。
明晰夢を見たいと思っている人は参考になるかも…?
①夢の中で夢だと気づく。
これが一番ハードルが高い。訓練に近いと思う。
生活をしている上でなにか違和感があったとき、変だなと思ったとき(たとえば外がクソ暑いのに長袖の人がいた、とか)
絶対に夢じゃないと分かっているときも、折に触れてこれは夢じゃないか?と頭の中で一度疑問に思うクセをつける。
その時に「自分の手を見る」「自分の体の部位を触る」など決まった行動を伴うとよりよいと思う。
本当に夢の時は感覚が伴わなかったり、見えるもののディティールがどこかふわふわしてたりするから気付きやすい。
自分は10代のときからこれが癖になっていて、夢だと手相がなくて手のひらがつるつるなのでよく手を見る。
あ、夢だ!って分かったとき、緊張したら覚醒しやすいので、夢だな〜ってぼんやりしとくのがポイント。
眠るときに、うとうとして考え事なのか夢なのかはっきりしない、あ、今夢見てたかも、みたいなタイミングがないだろうか?
その状態を長くキープして、最初から「夢を見ていることを自覚している状態」のまま眠ってしまう方法。
ベッドの上で一番リラックスできる体制で、まず一人称でぼんやりと景色を想像する。
バスとか電車とか、普段乗り慣れていてなんとなくずっと景色が思い出せて、その景色が動くような記憶があれば一番良い。
ぼーっとその景色を見ながら考え事をする。覚醒しないレベルの、そこまで難しくないことがいい。明日のメシ何くおうかなとか。
景色を見ながら、そういやあの工事中の建物ってどうなったのかなとか。
景色の中に、自分が意識的に想像していないものが映り込んできたら成功で、それを「夢が来たなー」と思いながらぼーっと見れたら最高。
②夢をコントロールする
夢で夢に気付いても、コントロールできないというのも聞く。
これは自分にもコントロールが難しいものと簡単なものがあって、
たとえば「翼が生えて飛ぶ」とか、体感として経験がないことはかなり難しい。結局夢は記憶と想像でしかないからかな。
「会いたい人を登場させる」とか「見たいもの(※見たことあるもの、想像できるものに限る!)を見る」とかが結構簡単で、
それが出てくるきっかけを作ってあげるとコントロールしやすい。
たとえば、夢の中で扉がある景色を作る。
扉は、「今、振り返ったら自分の部屋のドアの前にいる」と思いながら振り返ったりすると簡単に作れる。
自分の部屋が一番記憶に定着しているので唐突に出しやすいと思う。なんなら夢の最初が自分の部屋なことが多い。
ドアの前で「このドアを開けたらあそこにいる」と想像しながら扉を開けると思ったところに行けるし、
「このドアからあの人が出てくる」と思うと、想像した人を召喚できることが多い。
物であれば大きなダンボールや箱を出して、「これを開くとあれがある」と思いながら開けると出しやすい。