はてなキーワード: ロックフェスとは
正確にはでした、かもしれない。
興味があると堂々と言うことが憚られるほどに無知なので、未だ興味がない若者だと名乗らせてほしい。
私は恋愛や漫画やロックフェスやディズニーランドにしか興味がない、二十歳になったばかりの大学生だった。選挙にも、行ったことがなかった。そもそもいつやっていたのかさえ知らなかった。
半年前、友人から勧められたのをキッカケに、主に政治関係のことを呟いているある知識人をツイッターでフォローした。意味なんてなかった。就活も着実に近づいているし、政治のことも少しは勉強しておくか、という軽い気持ちからか、あるいは二人でしか遊んだことのない、多くの人に好かれるのに、誰も彼女の世界に入れないような、不思議な雰囲気と芯を持った同性の友人に近づきたかったからなのかもしれない。
彼女はそのアカウントを私に教えてくれたとき、こう言っていた。「日本は大変なことになってるよ。嘘ばっかりなの。」わたしは彼女の、正しい日本語を使うところもとても好きだと思いながら、なんとなく聞き流した。その言葉を、その後、何度も頭の中で反芻することになる。結論から言えば、そのアカウントはガチガチの左翼だった。
二ヶ月ほどだろうか。毎日ツイッターを開くたび、彼のツイートが目に入った。面白い人がたくさんいるから、私はインスタグラムよりもツイッターの方が好きだった。だからきっと、彼のツイートもすべて目を通していたと思う。たいてい話に上がっていたのはモリカケ、公文書、お金、エトセトラ、だった。
どうして、こんなことが、と思った。
話題になっていた新潟県かどこかの議員選で、 彼が応援していた野党議員が落選した。悲しかった。怖かった。彼女がどのような政策をかかげ、なにをしようとしていたのか何も知らなかった。自民党の議員が当選したことが、ただただ怖く、悲しかった。その時、はじめて、なんとなく、彼からの言葉だけで知るようになったその選挙を検索にかけた。
落選した議員は、選挙活動で子供にプラカードを持たせていた。私はそのことを初めて知った。友人のすすめでフォローした、たった一人の左翼と、彼がリツイートするたくさんのツイートで、毎日その選挙の話題を目にしていたのに。
本当のことを知りたいと思った。だから両方の意見を聞いて、自分の目で見極めよう。それでちゃんと選挙に行こう。自分の一票が、どんなに軽くても。
そう思った。本当は中立から公平な意見を言ってくれるアカウントを探したのだが、私の目には、ツイッターには右翼と左翼と無関心しかいないように映った。
まったくわからない。
彼らが毎日、毎日毎日、毎日呟いているのは、お互いの政策の欠点よりも、むしろ殆どが政治家として、ひいては人間としての欠点の方だった。
私は政治に興味を持った。しかし受動的な学びの姿勢のせいで、増えていくのは不祥事や悪事の知識だけだった。
安倍総理が3選した。世の中には彼を王様のように褒め称える人と、賢そうな理屈か、見るからに教養のなさそうな暴言で永遠に届くことのないボールを投げ続けている人がいて、何もかもが、府に落ちなかった。
私は政治に興味がなかった。
私が政治に願うことは、家族が、大切な人が、平和に、安全に、幸せに、暮らせる世の中、それだけだ。戦争も、貧困もない世界。それだけだ。馬鹿げているだろうか。当たり前ではないのだろうか。政治家は、平和で豊かな国をつくりたいと、この国を良くしたいと、強く思った人がなる職業ではなかったんだ、そうか、違うんだ。そう思った。
やるせない。同世代の友人たちは現状に欠片の興味も示さないが、私は彼、彼女たちに、政治の話をしたことはない。これからもしない。いつもヘラヘラヘラヘラして、授業も遅刻してくる私が、ある日突然「安倍総理の三選についてどう思う?」なんて聞いたら、驚かれるか、笑われるか。本気でとられることはまずないだろう。しかし真面目な顔つきで、ここに書きなぐったようなことを何度も何度ももちかければ、流石に本気が伝わるかもしれない。そして彼らは私から離れていくだろう。絶対にそうだ。なぜなら私でも、当然のようにそうするからだ。学生運動をする大学生は気持ち悪い。様々なことを考えるようになった今でさえ、その感覚は消えなかった。政治や社会問題について言及する若者なんて、普通じゃなくて、気持ち悪いのだ。私達は、新しいアイスかプチ海外旅行の記録かootdしかSNSで発信してはいけないのだ。ローラだって、動物を守りたいと言い出して腫れ物扱いだ。
やるせない。
私には、友人を、恋人を、国を変えることができない。
みんな戦争が起きたら、ひとが死んだら、嫌なはずなのに。この国はいつか、誰もが気が付かないうちにまた戦争を始めているかもしれない。
小さな子どものころ、平和は当たり前のものだと思っていた。でも多分、それは間違いだった。
多分この国を悪くするのは、アベでも、与党でも、野党でもなく、この空気だ。無関心な若者、無関心でいなければ、「普通」でいられない若者の世界、粗探しが論点の政治、結局何もわかっていない自分、どうでもいいと、思いたくなる。
政治に全く興味のなかった、いつかの自分に戻りたい。今はただ、怖くて怖くて仕方がない。
このサイトを知り、ずっと一人でもんもんと考えていたことをここでなら言えると思って独り言のつもりでアップしましたが多くのコメントを頂き本当に驚いています。まずは独り言のつもりだったとはいえ、不勉強にも関わらず右翼、左翼、と使いやすい言葉をきちんと理解しないままに使ってしまったことをお詫びさせてください。ここでは現政権に強く賛成し、野党などを批判している人を右翼、その逆を左翼と思いこみそう呼んでしまいました。すみませんでした。どちらのことも批判するつもりはありませんし、私自身は本当にどちらでもありません。というより、繰り返すようですがどちらかに傾けるほどの知識がありません。重ねて、安倍総理のことも政治を理解していない今の私には批判する権利がないと思っています。恥ずかしいことだと重々わかっています。
たくさんの意見をいただき、漠然と もうどうしようもない、と考えていた気持ちが少し晴れました。とにかく私はまずちゃんと勉強しなければいけないし、その上で、どんなに小さな一票でも、選挙に行こうと思います。政治の話はできないですし、できるだけの知識も今のところありませんが、選挙にいく、いこう、くらいは言えるから、できることを、ひとつずつ、と、今は考えています。頂いたたくさんのアドバイスを、できる限り試してみます。ありがとうございました。
目前に迫ってきたCR69 Fes.
サバイバル成功に向けてみんなで楽しく応援したい気持ちはあるけど、フェスについて個人的にめっちゃモヤモヤする事があるから自分の中で頭の整理をするために書いてみた。
基本的に服装についての事になるので、現時点で自分の服装に自信ある人と、自分だけ楽しめればOKって思ってる人には無駄な話なのでここで読むのやめた方が良いと思う。人によっては結構ショックな内容になるかもしれないし。
話は進みますが、ライブの服装についてずっとモヤモヤしていた。大まかに言うと、これは「ROCKのライブ」なのか「声優さんのライブ」どっちの解釈で参戦すれば良いんだろうという事なんだけど。
私の周りのオーディエンスは、後者のイメージで参加する人が多いように見える。その理由は後にも出てくるような心構えを見てそう感じるんだけど、公式はあくまでも前者の「ROCKのライブ(フェス)」をイメージしたいんだろうなって感じる。
公式の名目はあくまでも「ロックフェス」だし、ステージに立つ彼ら(=CRのヴォーカリストたち)は自分達を「ロックバンド」だって言ってるし、会場もスタンディングがメインのハコ、ドリンクチケ購入制である事やサインライト禁止な事、フェスに関する注意・禁止事項も含めてイメージは「ROCKのライブ(フェス)」だろうなって推測するには十分だと思う。
だからね、今回のライブについて「これは声優さんのライブだ」って割り切ってる人については、それはそれで間違ってないというか正しいけど、その考えが公式の意図に沿ってるか?って考えるとそうじゃないんじゃん?って思う。公式が「ROCKのライブ(フェス)」を想定している以上、これは声優さんのライブだけど、ROCKのライブ(フェス)として参加する人がいる、ROCKのライブ(フェス)で起こり得る危険な事も全くないとは言い切れない、って事だけ年頭に置いて、それが理由で楽しめなかったって事が無いように参加してくれたらいいと思う。
ここからは本格的に私の意見だけど、だったら公式に合わせて「ROCKのライブ(フェス)に参加するオーディエンス」として会場に行くのが筋なんじゃないかって思っていて。
「声優さんのライブ」ってどちらかというとアイドルのライブみたいなかんじで、オシャレしてもスカートはいてても大丈夫なくらい安全。でもロックのライブって全然違う。
髪の毛はぐしゃぐしゃになるし、服だってもみくちゃにされて引っ張られて最悪破れる事だって普通にあるし、もちろん人に危害を加えないように参加するのは大前提だけど、それと同じくらい危険な場所だって分かって参加するのも大前提。私はライブ慣れしてない友達には満員電車の中で暴れるようなものって例えて説明する。
なので、個人的には1Fスタンディングで参加する人達に関してはスカートは全面的にNG。(ちなみに公式では長いスカートのみ踏まれる可能性があるからNG)それでも、どうしても絶対スカートはいてくるって言う人は、もみくちゃにされて捲られて最悪破かれたりしても大丈夫、楽しかったって本気で言える心を一緒に持ってきてほしい。
ハコのライブ初めてだからわからない、バンギャじゃないからわからない、って言ってる人もちらほら見かけるけど、初めてなら知らないのは当たり前。だけどネットにはいくらでもライブの常識とか注意点とか載ってるから検索してください。服装とか持ちものとか、周辺のロッカーだって全部検索かけたら載ってる事だよ。ライブが決まってからすごく時間あったのにそれすら調べられないで参加する人がいるってびっくりするけど、もしかしたらROCKライブの服装に暗黙のルールがあるって事も、それを検索するっていう概念もないのかもしれない。「ロックライブ 服装」とかで検索してください。ぜひ。めちゃくちゃ詳しく載ってる。
フォーマルな場にはフォーマルな服装で行くように、ROCKライブにはROCKライブにふさわしい服装があって、その理由もあって、そういう場に行くならそういう服装で行くのがROCKって音楽に対する敬意だと思う。ユゥくんとかシエルくんが「ROCKは人生」って言った事もあったけど、ロックバンドを応援するオーディエンスだったら(あるいはその彼女なら)、作品の楽しみ方は人それぞれだから敬意を持てとまでは言えないけど、そういう常識がこの世界にはあるって事くらいは知っておいてもらえたらありがたいと思うし、ヴォーカリスト達の世界観もより深く楽しめるし、何より心構えがあった方が何かトラブルがあっても「こんなもんなんだな」って思えてライブもより全力で楽しめると思う。
目前に迫ってきたCR69 Fes.
サバイバル成功に向けてみんなで楽しく応援したい気持ちはあるけど、フェスについて個人的にめっちゃモヤモヤする事があるから自分の中で頭の整理をするために書いてみた。
基本的に服装についての事になるので、現時点で自分の服装に自信ある人と、自分だけ楽しめればOKって思ってる人には無駄な話なのでここで読むのやめた方が良いと思う。人によっては結構ショックな内容になるかもしれないし。
話は進みますが、ライブの服装についてずっとモヤモヤしていた。大まかに言うと、これは「ROCKのライブ」なのか「声優さんのライブ」どっちの解釈で参戦すれば良いんだろうという事なんだけど。
私の周りのオーディエンスは、後者のイメージで参加する人が多いように見える。その理由は後にも出てくるような心構えを見てそう感じるんだけど、公式はあくまでも前者の「ROCKのライブ(フェス)」をイメージしたいんだろうなって感じる。
公式の名目はあくまでも「ロックフェス」だし、ステージに立つ彼ら(=CRのヴォーカリストたち)は自分達を「ロックバンド」だって言ってるし、会場もスタンディングがメインのハコ、ドリンクチケ購入制である事やサインライト禁止な事、フェスに関する注意・禁止事項も含めてイメージは「ROCKのライブ(フェス)」だろうなって推測するには十分だと思う。
だからね、今回のライブについて「これは声優さんのライブだ」って割り切ってる人については、それはそれで間違ってないというか正しいけど、その考えが公式の意図に沿ってるか?って考えるとそうじゃないんじゃん?って思う。公式が「ROCKのライブ(フェス)」を想定している以上、これは声優さんのライブだけど、ROCKのライブ(フェス)として参加する人がいる、ROCKのライブ(フェス)で起こり得る危険な事も全くないとは言い切れない、って事だけ年頭に置いて、それが理由で楽しめなかったって事が無いように参加してくれたらいいと思う。
ここからは本格的に私の意見だけど、だったら公式に合わせて「ROCKのライブ(フェス)に参加するオーディエンス」として会場に行くのが筋なんじゃないかって思っていて。
「声優さんのライブ」ってどちらかというとアイドルのライブみたいなかんじで、オシャレしてもスカートはいてても大丈夫なくらい安全。でもロックのライブって全然違う。
髪の毛はぐしゃぐしゃになるし、服だってもみくちゃにされて引っ張られて最悪破れる事だって普通にあるし、もちろん人に危害を加えないように参加するのは大前提だけど、それと同じくらい危険な場所だって分かって参加するのも大前提。私はライブ慣れしてない友達には満員電車の中で暴れるようなものって例えて説明する。
なので、個人的には1Fスタンディングで参加する人達に関してはスカートは全面的にNG。(ちなみに公式では長いスカートのみ踏まれる可能性があるからNG)それでも、どうしても絶対スカートはいてくるって言う人は、もみくちゃにされて捲られて最悪破かれたりしても大丈夫、楽しかったって本気で言える心を一緒に持ってきてほしい。
ハコのライブ初めてだからわからない、バンギャじゃないからわからない、って言ってる人もちらほら見かけるけど、初めてなら知らないのは当たり前。だけどネットにはいくらでもライブの常識とか注意点とか載ってるから検索してください。服装,とか持ちものとか、周辺のロッカーだって全部検索かけたら載ってる事だよ。ライブが決まってからすごく時間あったのにそれすら調べられないで参加する人がいるってびっくりするけど、もしかしたらROCKライブの服装に暗黙のルールがあるって事も、それを検索するっていう概念もないのかもしれない。「ロックライブ 服装」とかで検索してください。ぜひ。めちゃくちゃ詳しく載ってる。
フォーマルな場にはフォーマルな服装で行くように、ROCKライブにはROCKライブにふさわしい服装があって、その理由もあって、そういう場に行くならそういう服装で行くのがROCKって音楽に対する敬意だと思う。ユゥくんとかシエルくんが「ROCKは人生」って言った事もあったけど、ロックバンドを応援するオーディエンスだったら(あるいはその彼女なら)、作品の楽しみ方は人それぞれだから敬意を持てとまでは言えないけど、そういう常識がこの世界にはあるって事くらいは知っておいてもらえたらありがたいと思うし、ヴォーカリスト達の世界観もより深く楽しめるし、何より心構えがあった方が何かトラブルがあっても「こんなもんなんだな」って思えてライブもより全力で楽しめると思う。
「左門君はサモナー」の話。
確かに掲載位置はあまり高いとは言えなかったけども、それでもそこそこの人気は確保されてるもんだと思ってた。
コミックスは全巻そろえるくらいには好きな作品だったので、終了したのはやはり悲しい。
けれども、ここ最近の展開を見ていると、「バトル漫画路線にシフトしようとしてたんじゃないか?」と思うことが多々あった。
第一話・第二話の時点から既にいつでもシリアス・バトル漫画展開に持っていけるように見えたけども、マステマ編やベルゼビュート編のような(ギャグを挟みつつも)シリアス中心のバトル漫画化してるのを見てると、やはりそうなるんじゃないかと思っていた。
誤解を招かないように言っておくと、マステマ編やベルゼビュート編がつまらなかったわけではない。むしろ一山いくらの打ち切り作品よりはずっと面白かったと言っていい。
最初はギャグが中心だったのにシリアス長編が多くなったり、バトル路線に変わっていった結果、長続きした作品も、奮わず打ち切られた作品も、たくさん見た。
代表的な作品で言えば、(最近の作品ばかりだけど)「家庭教師ヒットマンREBORN!」「銀魂」「めだかボックス」とか。バトル漫画にはなってないが「SKET DANCE」もだ。
正直な話、リボーンはバトル漫画路線にならなければ打ち切られてただろうし、めだかも雲仙登場以降のバトル展開がなければ長続きしなかっただろうし、スケットも「スイッチオフ」やロックフェス編のようなシリアスが無かったらもっと早い段階で打ち切られてたと思う。(銀魂はそうでもなかったと思うが)
もちろん、上に挙げた例の作品でも、シリアス展開・バトル展開になってからのほうが好きという人はたくさんいるだろうし(めだかに関しては自分もそう)、どんな形であれ好きな作品が続いてくれたら嬉しいと思うのは当然のことだと思う。
ただ言えるのは、自分はギャグマンガとしての左門君が好きなので、バトルに路線変更してダラダラ長続きするくらいならいっそここでスパッと終わって、沼駿先生には次回作に取り組んでもらう方が自分としてはよっぽど嬉しい。
これってヒカシュー側に非はないんだけれど、水曜日のカンパネラも「法的には」何の問題もない
当然ながら言うまでもなく、曲のタイトルにバンド名を使用することをバンド側に事前に言う必要も全く無い
相手側に損失を与えたり歌詞とかで誹謗中傷したりしてる場合を除けば基本的に問題ない
ただ、同じロックフェスにも出演してたらしく、知り合い(?)の仲でマナーや礼儀作法の問題として怒っているというのなら全く理解できない話ではない
個人的には、この件によって、あたかもバンド名を曲のタイトルに使用することが法的に何らかの問題があるかのような間違った認識を持つ人が現れなければいいとは思う
②外見の良さ
「浮気しない」とか「DVしない」とか「価値観の近さ」などの基礎条件はクリアした上で、男性が結婚相手を選ぶにあたっては上記三点のうちどれか一つが求められる。
派遣なので①は×
自分で書いてる通り②も×
まず、相手の年収がどうでもいいというのは、相手の社会的地位もまたどうでもいいとみなすのと同義ですのでやめましょう。
男性の皆さんは歯を食いしばって仕事して、そのうえ貴重な余暇の時間を消費して婚活市場に出てきています。
我慢してこなしている仕事で稼いだ収入額と得た肩書を、釣り書に記入して、それを武器に婚活してるわけです。
「結婚したら仕事は続けたいか辞めたいか」「子供は欲しいか欲しくないか」「どこに住みたいか住みたくないか」
要望を出していけば、自然と相手も限定されてきますし、マッチングミスも発生しにくくなります。
また、要望を出していくのは別に贅沢とかじゃありません。差別じゃなくて区別です。
「私はこれこれこういう人です」じゃなくて、「どういう相手が欲しいです」とわかりやすく伝えましょう。
ロックフェスやスポーツ観戦に行くのはけっこうなお金と時間がかかりますね?
仮にそれを自分で払う気がないのであれば、収入がそれなりにあって休みもしっかり取れる相手が貴女には望ましい、という事になります。
相手も限られた時間を消費して貴女を見るわけです。まず相手の立場に立って、訳してから喋りましょう。
頑張って下さいね。
幕張メッセで2万人くらい集めて盛大に開催されたELECTROX、ちょーーーー楽しかった!腰が折れるかと思うほど堪能した!
Armin Van Buren感動的だったし、A&B神がかっていた。Diploもすごかった。
素晴らしいイベントだった!
臭かった。葉っぱ臭かった。滞在時間4時間くらいで、数回マリファナのキツイ臭いを嗅いだ。酷い。
マナーの話もtwitterで出てたけど、そんなこと大した問題じゃない。
いや、それはそれで問題なんだが。
参考までに、同じ会場で開催される夏のロックフェスにも10年以上通っているんだが、そっちでは1回も嗅いだことはない。
まあ、そっちでもあるんだろうし、俺が運良かっただけなんだろうけれど、この頻度は捨て置けない。
カルチャー的に草じゃないだけなのかもしれない可能性は否めないんだが。
とっとと、こういうのとは決別しないと、偉そうなこと言えないんじゃないか?
いっそ腹を括って、そっちも解禁の方向でJT巻き込んでロビーするならそれもいいけど、風営法や青少年健全育成で擦った揉んだしてるときに平行して議論するのはクレバーな選択とは思えん。
兎にも角にも、こういうのはいかんよ。
どんだけ盛り上がってても、いつ公的に水をさされるかわからんよ。
>幕張メッセは今どう思ってんのかなー、みたいなのは気になるな。
むしろキモオタが居なくなって快適なぐらいだったりする可能性すらある
>金だけで勘定するのもアレだけど、ほとんどプロモの必要もなく、三日間延べで60万人動くイベントってそうそうある物じゃ無いとは思う。
馬鹿。というとみもふたもないが、社会の仕組みが全然分かっていないし、盆暮れ時期に延べ60万人はたいしたインパクトはないことも知らない。
なのにドヤ顔。
>税金で運営するから経済効果は考えないでも良いのかもしれないけど。
「経済効果」を、集客上の効果としかみていない馬鹿。集客上効果で言えば、内向きのコミケはむしろ外部への経済効果は低いぐらい。
>ともあれ、ビッグサイトより便利な場所もそうは思い至らないが、
>コミケの理念からして、頒布する内容に口出しするならあっさりビッグサイトの使用は取りやめるでしょ。
>で、都が倫理的に不適切だと思うならそうすればいいんじゃないかな、と思うだけだよ。事実上は都の持ち物なんだし好きにすればいい、なるようにしかならん。
‐ 2020年12月、トーキョー ‐
より便利により早くより安価に物が動き人が動くことが可能になったものの、
今はすっかり人々の生活に定着したタブレット端末によりAamazonのサイトで
いわば職人道具と化していた)
パートナーとは恵比寿か代官山に食事に行こうかとも提案したが、
お気に入りのイタリアンレストラン「アリエッティア」がなくなったこともあり
家でテレビでも見ながら食事をして過ごそうということになっていた。
24日のクリスマスイブは贔屓にしているコメディアンのバラエティ番組が放送されるので
外に食事をするより家でのんびりするほうが私は気に入っている。
40歳になっても動画サイトで二次元のヒロインとクリスマスを過ごす、
という内容のタグを漁る習慣は抜けないでいる。
クリスマスのシーズンに聴く音楽は大抵iTuneストアで購入する。
ビートルズの【ラスト・クリスマス】、ジョンレノンの【イマジン】
ドリームズカムトゥルーの【WINTER SONG】、山下達郎の【クリスマス・イブ】は
毎年欠かさず聴くようにしている。
今年はそのプレイリストに流行りのアイドルソングか今季で一番お気に入りの
アニメソングを入れようかと思っている。
大学時代からの熱心な趣味(と言って差し支えないだろう)であるアニメ鑑賞は
この歳になっていても続いている。むしろその病的な情熱はより強くなったと言っていい。
1週間地上波の番組を全て録画することができるHDDレコーダ**(ソニー製)には
パートナーが呆れるのも無理はない。
週末はたいてい道場に行くか図書館に行くことを日課にしている。
気が向けば隣町のラーメン屋までドライブに行ったり、都心まで足を伸ばして
外出するのが億劫な場合はネットワークゲーム(すでに7年もやっている)
に興じて一日を過ごすこともある。
本は主に日本文学やミステリー、SF、技術書、ビジネス書、自己啓発書などを中心に
読んでいる。東野圭吾が未だに現役なのには驚きを禁じ得ない。
自分で創作した小説まがいのものをWEBにアップすることもたまにあるが本格的な長編を
完成させたことは一度もない。いつかしっかりとした長編SF小説を買いてみたいがそれは
まだずっと先のことのようだ。その夢が叶うのはあるいは老後かもしれない。
ライブなどもたまにいく。
ロックフェスの数もだいぶ少なくなってきたが
それでもライジングサンフェス、ロックインジャパンフェス、サマーソニック、
フジロック・フェスティバルなどの主要なフェスには根強い音楽ファンが毎年何万人も
参加している。初音ミクなどのVOCALOIDのDJもだいぶ定着してきたようで
アニメ色がより強くなったのは2000年代では考えられないことだ。
相変わらず邦楽ロックが中心にミュージックステーションとかに出演するようなアーティストを
好んで聴いている。ジャズやクラシックにも挑戦したいと思っているが
若いころに比べるとだいぶ腹も出てきたのでなるべく運動はしようと考えている。
年に1度はするようにしている。
なんでも手を出してすぐに飽きる癖はなかなか抜けないようだ。
月に一度は料理をする。
(ちなみにオニオンフライを下品にならない程度に散らすのが美味しさのコツだ)
酒は相変わらずビールを中心に飲んでいるが
バーボン、日本酒、焼酎、ウィスキー、ワインなども好んで飲むようになった。
たまに燻製を作ったりすることもある。
行きつけのバーも随分増えてきた。
新宿のゴールデン街や池袋のショットバー、中野の立ち飲み屋などに
行くのが週末のささやかな楽しみだ。
焼き鳥屋や蕎麦屋で晩酌するのが好きだが家庭的なイタリアンレストランだったり
本格的なソーセージを食べさせてくれるドイツ料理、泡盛が飲める沖縄料理、
銀座では映画を見たり、老舗のスイーツを買いにいったりするのが好きだ。
みんなそれなりに年をとり良くも悪くも変化していった。
インターネットの高速通信網は日本中に貼り巡り(それは私に生物の毛細血管を連想させる)、
かつて”スマホ”と呼ばれるものを肉体に移植するのが普通になったが、
脳の情報をデジタル情報に置き換えて肉体を必要としなくなる時代が到来するのはまだ先のようだ。
人類がテクノロジィに踊らされているという状況はいつの時代も変わることはない。
願わくばテクノロジィが戦争の為でなく人類の平和のために使われることを
ひどく薄いインスタントコーヒーとともに。
どうも。こないだまで就職王って名乗ってましたが、今は無職王です。
で、前回書いたコレhttp://anond.hatelabo.jp/20110429004257に
なんかすごい真面目なトラックバックが来てたので、なんか書かなきゃなーと思いました。
二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか
http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110529/1306640590
で、これ読んで思ったんだけれども。
ぼくが思うに、現代日本の若者における問題ってのは最早「価値観」の問題ではないと思うのね。
いうなら、それは生存の問題だし、もっと明確に言えばいかにクサレ年寄りから椅子をムシリ獲るかってことなんだと思うんだ。
「既存の価値観に乗ることは出来ない」とテラケイさんは仰る。でも、ぼくはそれは違うと思う。
むしろ、現時点に於いても生存戦略としては「既存の価値観にドップリ漬かる」は限りなくベストに近い。
「世代」のことを考える前に、「自分」のことを考えて、グダグダ言わずに東大を出るべきなんだ。
もちろん、東京大学というのはかなり極端な例だけれども。
ミクロで考えるなら、まだ現代日本は個人の力で「なんとかなる」社会だとぼくは思う。
ぼくの「就職王」コラムは個人化戦略の極地のようなものだけど、実際あの程度でなんとかなってしまう。
でも、もちろんマクロで考えるとこれは明確に間違っている。
だって、椅子の数が限られているなら誰かは必ず負けるんだから。社会には一定水準の競争が必要である、という
命題を真であるとした上でも、社会を構成する一定層はそれなりの職を得て暮らしていけなきゃまずい。
それに、ぼくのような口先だけで逃げ切るやつが評価される企業の土壌というのも、あんまりよくない気がする。
やっぱり、社会は少しずつでも変えていかなきゃならない。ぼくらの世代が楽しく生きるために。
「社会を変える」って言いにくい世代だよね、ぼくらは。上の世代が派手にコケたから。
どうせ社会なんて変わらない、馬鹿どもの轍を踏んでたまるか。そういうところがある。
デモやる?って言われても「それ頭の悪い年寄りが大分前に失敗した」としか思えない。
カウンター・アクションは必要だけれど、それはやはり時代に即したものでなければいけない、と思う。
少なくとも「就職クソッタレ」って言って変わるものがあるなんて考えられない。そうじゃないか?
ウザイ自分語りで申し訳ないけれど。ぼくが就職したのは「箔をつけるため」だった。
今、起業をするために色々じたばたしてるんだけれど、やっぱりカネを出して貰うにはそれなりのものが必要になる。
少なくとも、「真っ当に勤めていれば生涯年収4億近かったですよ」くらいのことは言えないと、
与えられたカネの代わりに差し出すものとしては、とても足りない。実はこれでも全然足りないんだけれど、
それでも何某かのバックボーンにはなる。使えるモノは、使わなきゃ損だ。就職して数年踏ん張るだけで得られる
ステータスって、実は結構お買い得な気がする。ある意味、大学の名前以上に。
この日本社会は実にクソだと思うけれど、使えるものを使わずに戦うのはいかにも勿体無い。
「価値観を変える」なんてのは、ヒッピーになるのと同じだ。ヨガをやってもマリファナやってもロックフェスをやっても、
実はどーにもならない。それは、かつてアホな連中がもうやった。ぼくらがそれをやる必要はない。
ぼくは巷で見る就職活動批判にすごく違和感を感じていて、つまるところそれはどこまで言っても
「負け犬の遠吠え」としか認識されないんじゃないか、ってこと。
かつての頭の悪い年寄りには「世界同時革命」みたいな強烈なイデオロギーがあったから、「就活のバカヤロー」よりは
スケール感もまとまりもあったけれど、ぼくらの世代にはそれもない。あるべき社会のモデルすらない状態で、
「価値観を変えろ」って言われても、それは「解脱しろ」とか言われるのと一緒だ。シャクティーパッドとかポアとか
そういう語感にしかならない。そんなことにはほとんど何の意味もない。
つまりところ、それがミクロの問題であれマクロの問題であれ、既存社会からの断絶というのは不可能なんじゃないかと思う。
テラケイさんは価値基準を語るときに「外部」と「内部」という言葉を使っているけれど、ぼくには価値観に於いて明確な
「外部」ってのがあるとは思えない。テクストに外部はない、みたいな学問を専攻してたせいもあるんだけど
それを差し引いても、既存の価値観を排除して生きていけるなんてとても思えない。そんな強くないからね。
ロストジェネレーション世代にニーチェじみたものを押し付けても、それは「レッツ自殺!」って結果しかもたらなさないのではなかろーか。
我々が目指すべきものは、この社会から乖離したものではなく地続きにものでなければいけない、と思う。
じゃあ、どうすべきかってことなんだけど。
とりあえず、まずは団結すべきだと思うんだ。勝ってる奴も負けてる奴も。
世の中はクソで、なんとかしなきゃ楽しい人生は送れそうもない、って意識を共有することだと思う。
ぼくはかつて、ものすごく貧乏で大学の学費にもメシ代にも汲々としてた時期があったんだけど、
その時、やっぱり同じような奴らと相互扶助的に生きていて、それは例えば部屋を分け合ったりとか
僅かなカネを分け合ったりとか、電気釜を共有したりとかそういう話だったんだけど、そういうところからだと思う。
例えば、イタリアの話。イタリアは、失業率がアホほど高いけど、自殺率は低い。これは何故かっていうと、一説には
一族主義が強く根付いているからだ、と言われている。縁のある誰かが食えてなければ、誰かが食わす。そーいうところがあるらしい。
じゃあ、我々悲惨な現状にいる連中も、そーしとけばいいんでないかな、と思ってる。
とりあえず、屋根とトモダチがいれば死ぬことはない。ぼくはそー思う。
こうすることで何が得られるかといえば、リスクを取るのが非常に容易になる。
「1人が1のリスクをとる」ことと「10人がそれぞれ1のリスクを取り、リターンを分配する」ことは大分違う。
もちろん、10人全員が敗れ去るパターンもありえるけれど、かなりのヘッジが出来ることになる。
そして、何よりだけど精神的にとても楽だ。ぼくは「起業」の道を選んだけれど、他にもロースクールに行ったりとか
そういう道を選ぶことにもやはりリスクはつきまとう。金銭的なリスクもそうだけれど、孤独化してしまうことが何よりヤバイ。
官僚から政治家目指すぜ、みたいな道にしてもやはり同じだ。そういうとき、価値観を共有出来るつながりがあることは
何より強いとぼくは思う。いや、今んとこカネを得て起業に漕ぎ出したところだから、この先なんかわかんないけどね。
仲間にも全部見捨てられて、一人ひっそり首を括るって可能性も全然あるわけだし。
それで、社会批判の話に戻るんだけれど。ぼくが「就職王」でやりたかったことは
「就職活動批判」のちょっとスマートな形を提示するってことなんだ。
確かに、マクロ的に考えると我々は既存の価値観に乗っかることは出来ないかもしれない。
しかし新しいマクロな価値観とライフスタイルを創造することも、おそらく出来ないだろうってこと。
その行き詰まりの中でクリティカルなクリティークを社会にカマすとしたら、
既存の価値観に乗っかって踊り狂いながら、同時にそれ自体を批判として成立させるしかないんじゃないかと思う。。
ダンスパーティーを台無しにしたいなら、まず誰より上手く踊らなきゃいけない。そうでなければ、誰も話を聞いてくれない。
やはり、我々はこのクソみたいな社会で戦っていくしかないし、クソみたいな社会を否定したところで
クソじゃない社会の青写真を描けるわけじゃない。それは、大分昔に失敗した。
だから、このクソだめみたいな社会の集団的蛆虫として既存の価値観と地続きの世界をサバイブしていく以外に多分道はない。
そして、九人がダメでも、一人が生き残れればそいつが他を引き上げればいい。もちろん、現実的にこんなことが上手く行くか?
ってところはあるけれど、独力で社会と隔絶された「価値観」を作り出すよりは、十人で価値観を「共有」するほうがまだ成功率は高い。
「悟りを得た」人はそんなに多くないけど、「宗教にハマって死んだ」人は腐るほどいる。
その程度の価値観共有なら多分できるんでないか、そういう風にして戦っていくしかないんじゃないか、と思ってる。
人間、上手いこと価値観を刷り込まれれば飛行機でビルに突っ込めるんだから、それくらいできるんじゃね?と。
まー、なんというか。
これはぼくの戦略っぽく見せかけた誇大妄想だから、なんのあてにもならないけれど。
とりあえず、若い人間はもーちょい戦略的に生きるべきだと思うし、また同時に団結すべきだと思う。
個人の内面のナイーヴな話に閉じてしまうのは、なんかどーなんだろーな、とぼくは思うんだよね。
これから具体的にどーするか、どのようにして生き残ってリスクを取っていくかを論じるべきじゃないだろうか。
まだまだやれることあると思うんだよね、実際。
ところで、死ぬほどどーでもいいけど、「ロストジェネレーション」って若い頃第一次世界大戦に遭遇して、何か価値観がクラッシュしちゃったよーな世代の作家達を指す言葉で、「二代目」っていうとちょっとおかしいことになるよね。ロスジェネの「二代目」世代ったら、ビートの時代でケルアックとかギンズバーグとかを指すと思う。
不況なんかにぶつかった「貧乏くじ世代」を指す意味で「ロストジェネレーション」って語を使うと、今の世代は何代目になるのか、すごくめんどくさい議論が要るね。個人的に、「ロストジェネレーション」を現代の「失われた世代」に当てはめるのは色々ムリがある気が。字面はいいけど、原義から考えるとスゲービミョーな感じ。ロスジェネ論争とか言われると、今更ヘミングウェイとか論じてんの?って思っちゃうのはぼくだけじゃないと思う。
にちゃんねるや、そのまとめサイトではGO!FESの客入りが酷いと話題になっている。
- 幕張メッセの邦楽フェス「GO!FES」の客入りが凄いことになってるとネットで話題に
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1443350.html
これらのサイトをみると、ガラガラの客席の写真やレポなどが見られる。
しかし、私は二日通しで会場に行っていたが、これらの写真は正直なところ、"悪意の塊"で、
事態を面白がるために撮られた写真であると断言できる。
もちろん写真はウソをつかないし、これが捏造だと言う気はない。
ただ、1ステージしかない会場で、演奏中に飲食ブースがガラガラになるのは当然だし、
導線の都合上、中央の道を歩くことなど私自身、ほとんど無かった。
そう言った「酷そうに見える写真」だけを集めて、失敗だ!失敗だ!と言うのは
あまりにも短絡的すぎるのではないだろうか。
ここでは、このフェスを最大級に過大評価し、成功だったと言い切ってみたい。
それらの写真では、まったくもって人がいないように見えるが、
実際はと言うと、そこに写ってるよりは"もう少し"客入りはあった(ように見えた)。
初日はPerfumeやら、ファンモン、スキマなどの集客力のあるアーティストのおかげで
キャパの7割程度は居たのではなかろうかと思う。
正直結構埋まっていて逆にビックリした。
ただし、写真の取られた二日目はこの半分強が良いところだろう。
なのでキャパの4割程度という所か。
これがどの程度かと言うことは、皆様の想像力におまかせする。
写真の印象そのままだよ!と言われても、想像力なので否定は出来ない。
当たり前ながら4割の客入りではどう考えても「大成功!」とはならない。
「4割の客入り」と言う言葉だけであれば、それが意味するものは「失敗」だ。
だが、ビジネスと言うのはそんな直接的に結び付けられるものではない。
では、「4割の客入り」で成功となるためには、客入り以外の何かと言うことが問題になる。
==それは、グッズ売り上げか!?==
答えはNO。
他のフェスの時には恐ろしい程の行列をしてグッズが買われていき、
人気のあるデザインなどは午前中のうちに売り切れる事が頻繁にあるが、
今回のフェスでは「1つのグッズも、1つのサイズも売り切れていなかった」。
これではグッズの売り上げも期待できない。
これもおそらくはNO。
もう一度言う。「豆しば」と言う、なんとも珍妙なコンテンツブースのみだ。
要するに、ここではまったく金が動いていないのだ。
それが唯一の企業ブースであって、他に企業ブースが見受けられない事から、
大口の企業スポンサーはほとんど無いと言っても問題ないと思う。
なお、出演者の事務所からそう言った金銭的なやり取りがある可能性はあるが、
それはどうしても実証できないので、ここでは不問とする。
さて、そろそろ本題に移る。
GO!FESはいったい何のために実施されたイベントなのかという点。
今回のGO!FESはマーケティングのために行われたものであり、
沢山の調査結果が取れたので、成功なのである!
大赤字ではない、それは調査結果に払った金額なのだ!!
では、なぜそんな金のかかる実験をしたのか!?
ロックインジャパンを代表とする邦楽ロックフェスに行く人々など、
フェスに行く人間たちは様々いるが、彼らは総じて、GO!FESに出演しているような
そう言った人々をここでは「フェス選民」と呼ぶが、彼らが今回のフェスに集まるとは、
例えどんなに電通がバカだとしても思っていないはずだ。
フェスバブルの昨今、フェスはもう飽和状態であり、新たなフェスを立ち上げたところで、
よほどの魅力が無い限り、フェス選民は集まらないだろう。
(それはJAPAN JAMとROCKS TOKYOがそのうち証明してくれるはずだ)
今まで通りのフェスをやっていたのでは、人は集まらない。
人が集まり、大きなビジネスチャンスが生まれる。
実際、日本最大のフェスと言われているフジロックが3日間で13万人前後を動員するが、
例えばGLAYなどは、1日で20万人以上を動員した実績があったりする。
フェス選民の人口など、音楽業界全体から見ればちっぽけであり、
それらを一気に切り捨てると言う決断は難しくはないと言う事が分かる。
そもそもフェス選民は、JAY-Zやらスマパン、場合によってはMUSEのような世界的アーティストを呼んでも
自分好みでなければ貶すようなワガママな人たちであるから電通としては良い客ではない。
特に電通は、所謂スイーツ(笑)やDQNと呼ばれる様な、広告によって扇動されやすい層を
メインターゲットにしているのだから、今回のフェスも同様だと考えられる。
つまり、GO!FESとは、今までのフェス選民以外をターゲットとしたと言う所で、
"まったく新しい"フェスなのである。
そして、今回のGO!FESは、そのための足がかり。
初回マーケティングだったと言える。
そこで取得された客数や客層などの沢山のデータ。
その結果を踏まえ、秋までに適切なメンツや適切な宣伝などの戦略を練ってくることだろう。
秋がダメでもその次、それがダメでもその次と、かならずいつか「成功」するフェスとなるはずだ。
考えてみれば、初回から成功しているフェスなど、ほとんどありはしない。
フジロックも初回は台風で中止になるような酷い事態であったが、
日本にフェス文化は根付かないと言われていたのをひっくり返したし、
北海道でフェスなんて誰が行くんだよと言われていたライジングサンも
10年かけて、あの広大な場所で満員御礼を掲げるまでとなった。
そしてGO!FESも同様、数年後にはそれまではフェスなんてものに行った事のなかった
数万人の"イマドキの若者たち"が大終結するイベントとなり、主催者は"商業的"成功を収めることになるだろう。
そしてその時の大成功とともにこう叫ぶのです。
「完全勝利!!!」
<あとがき>
これは完全に推論で書かれた記事です。
もしこれが間違っていても、「失敗プギャー!メシウマ!!」と叫ぶだけ。