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2011-10-19

ハーレクイン秘書モノがすばらしい件について

概要

アニメとか漫画とかライトノベル女の子うつつを抜かしていた俺だが、ハーレクインというものすごい鉱脈発見してしまった。

特に秘書モノと分類可能な作品群は、委員長モノが好きな諸兄におすすめ

はじめに

俺は恋愛モノ好きなオタのおっさんなんだが、エロゲ文化の周辺たる萌えラブコメとか好きだったんですわ。でもアニメはちょっと時間かかりすぎて体力が持たないし、萌え漫画少女漫画電車で読みづらいじゃん?すぐ読み終わっちゃうし。

そこでライトノベルを重宝していたんだが、あれ現実よりのセッティングの話探すの結構大変よね。非現実なのはそれはそれで好きだが、そればっかりだと飽きるじゃん?舞台設定に振り幅が欲しいと思った。

そこでまず行ったのがミステリサスペンス系統西之園萌絵さんとか教授とらぶらぶでちょうかわいいでしょ。萌えが売りじゃないわけだからストーリー面白いしね。でそればっか読んでて今度人死にすぎって思ったわけよ。サスペンス超怖いし。探すとこちょっと間違ってたなと。

で、ふと考えて女の子向け小説かなって思った。でもブックオフ女の子のいるところで本を開いてみるとホモ率高いんですよ。痛い目見る。そこでおっさん考えたね。

「そうだおばちゃん向けだ!」

って。

で、ハーレクインが置いてある棚を試してみることにしたんですよ。

ハーレクインとは

わずと知れた翻訳恋愛小説ね。著者近影とか後ろの広告に載ってるけど大体白人のごつい顔のおばちゃんがにっこりしてますな。

ストーリーは全部同じ。自動生成かって言うぐらい同じ。出会って、波乱があって、愛して、ヤって、幸せになる。まあそれ言うと小説は失う話と失ったモノを取り戻す話しかないとかいう極論になっちゃうんでおいといて。

ハーレクインはいくつか分類がある。

まず、現代的でないモノはヒストリカルという名前がついている。英国貴族モノとか、中東ハーレムモノとかね。ファンタジー度高め。いや現代の舞台ハイスクール諦めて村の農業用品店で働いて病気の母を養ってたら仲良くなったカウボーイの渋いおっさんが実は多数の農場のオーナーだったとかいうのがファンタジーじゃないかっていうとファンタジーなんだけど剣と魔法的なそれっすよそれ。魔法出てきたためしがないけど。変に現実的なんだよな。

ええと、次にロマンスとかディザイア。典型的なやつですな。そもそも俺「ハーレクインロマンス」っていう出版社かと思ってた。これな、ほぼ100パーセントSEXシーン有ります。途中まで純愛純愛してても絶対ヤります。というか主人公の女は官能小説みたいな身体の構造してます。好きな男と目を合わせたら身体の芯が熱くなってこまっちゃうし口で嫌とか言っててもキスされたら熱烈に返しちゃうし。いわゆる「強姦されたい願望(※ただし大好きな男に限る)」ってやつですな。まあただこのSEXシーン、野郎が読んでも抜けませんが。

最後イマージュ。一番ソフトですSEXシーンはありません。朝チュンです。ええ、朝チュンです。やっぱりヤってます描写がないだけで。キス朝チュン→いちゃいちゃ→改行2行→子供抱いてる、みたいなそういう。全般的に描写押さえ目な代わり些細なことでヒロイン不整脈とか狭心症起こします。心臓大丈夫か死ぬぞおまえみたいな。あとこのシリーズで初めて「カナダ人にも間接キスでドキドキっていう概念がある」というのを知りました。どうでも良いですかそうですか。

本題の秘書モノなんですけど

で、ロマンスとかディザイアに頻繁に出てくるモチーフに「秘書」があるんです。これが俺のおっさん心にど真ん中ストライクでした。

ストーリーはみんな同じ。

  • 大体ストーリー開始前から秘書ボスに惚れてる。でも真面目な子なので一度も顔に出したことはない。もしくはアピールしてもボスに気づかれない。

例「おはよう増田君」「(やーん今日も良い男♥)おはようございます社長(キリッ」

例「おいどうなっとるんだコンパニオンこねーぞお前ちょっとこの服着て展示説明やってろ」「はい社長!(えっ私こんな凄いの着るの…?)」

例「準備できました社長」「よしいけ今のうち代役手配しておくからな!頼んだ!(こいつこんな綺麗だったっけ…?)」

  • 両思いになってはいるとは露知らず、ボスは無理矢理仕事をこなす。秘書の方も仕事になってないケース有るが大抵日常のドキドキには慣れきっているので冷静の仮面は楽々維持。
  • 我慢できなくなったボスが押し倒す。秘書、口だけ抵抗。
  • 感極まって秘書がずっと惚れてたのがばれる。
  • 次の日出社するとすっかり元の秘書に戻っていてボス驚く。

例「(どうしようどんな顔すればよいかからない)おはようございます社長(キリッ」「お、おはよう増田君(おかしいな昨日はあんなに、夢でも見てたのかワシ)」

  • かと思うと急にやめるとか言い出していなくなる。

例「プリンタに君の履歴書が大量にあったんだが」「やめるんですさようなら社長!」「えっちょっとまてええ」「さようなら今までの私!(片思いばれちゃったし好きって言ってくれなかったし身体だけとかもう耐えられない)」

ちなみに秘書は可能な限りの全力で泣きながら地の果てまで逃げます。頑張れボス超頑張れ。金とか人脈とか秘書親族とか両手いっぱいの薔薇とか全社員の前で告白とか使う。

まとめ

そんなわけでハーレクインオフィスモノは委員長モノ好きとか一部のツンデレ好きに超おすすめ

謝辞

色々な恋愛世界における全てのボス秘書に。

参考文献

2011-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20111016031351

元増田です

軽く酔って書いた文章に意外とブクマついてびびった。

実際に付き合ってみたら、思っているようないいものではないってのは分かってる。

それでも愛されたいし、今のつまらない日常よりはずっといいと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20111016092812

メンヘラと付き合ってた経験談。

いい時もあれば悪い時もある。その落差が激しい。

出会いネットを使え。相手に気に入られればどんな手を使ってでもお前を落としてくるはずだ。

たとえお前がどんな環境でもだ。

アドバイス感謝

とりあえず適当馴れ合い出来る場で擦り寄ってみる。

付き合ってる期間は幸せかもしれんがお前自身も病むと思ってくれ。

別れたあとの脱力感で今俺は若干死にたい

昔あった恋愛トラウマで、メンヘラ一歩手前まで病んでた時もあったか大丈夫だと思いたい。

トラウマがある程度払拭できてきて、恋愛をしてもいいかなって感じ。

メンヘラじゃなくてもいいんだろうけど。

http://anond.hatelabo.jp/20111016110859

普通の女と付き合って、徐々に壊すのが一番手っ取り早い。

相手を思いやらない言動の数々をジャブのように打っていけば確実にどこかで壊れる。

どうなんだろうなーそれ。

束縛したりするDV男の気持ちはわかるんだけど。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20111016031351

「不治の病の女の子純粋恋愛がしたい」みたいな感じだな。

そんな感じかも。

サナトリウム的な傷の舐め合いみたいな。

そんなに束縛されたいかなあ。生きるために仕事をして、それだけで精一杯なのに。女の子、一生のうちにそんなに必要かなあ。

単純に強く愛されたいんだと思う。

生きていく上で恋愛が必要だとは思っていない。

不治の病気や過度のツンデレとか電波もあわせて、そういう欠点自分けが受け入れて守ってあげられて、だから独占・支配できる的な思考・嗜好なのかと思っている。

そうなのかもなあ。

2人だけの世界が欲しいって感じかな?

うちの子兎共はそれで苦労したクチ。ヤンデレなんてファンタジー有史以来負け惜しみだとかレトリックだとか思考停止だとか睨まれるけど「普通が一番」とは言ったもんでね。凡人は一生をかけて普通を目指す。

ファンタジーなのは分かってる。

それでも愛されたいし愛したい。

2011-10-14

けいおん!」のファンタジーは、Tom-H@ck豊崎愛生に打ち砕かれた

けいおん!という漫画アニメに対する批判というか、物申しのなかで、

バンドやってる女が、女だけでキャッキャウフフしてるわけねーだろw」

バンドやってる男とセックスしまくってるに決まってるだろw」

「そうでなくても女子高のJKなんてチャラ男に狙われまくりなのにww」

みたいなものがかなり多かったと思う。

ひょっとしたら半分ぐらいがこんな趣旨突っ込みだったのだと記憶してる。

それに対して、ファンというか信者

「これはファンタジーなんだから、そういう突っ込みは野暮だしわかってねー証拠だ」

ハリー・ポッターに、魔法のリアリティを突っ込むのと同じだろその突っ込み

なんていう風に答えていたわけだ。

そして、けいおん!という作品は「そういうファンタジーである」ということを前提にして

ファンを増やしていったし、作品の価値というのを上げていった。

そう考えると、今回のTom-H@ck豊崎愛生同棲疑惑騒動っていうのは、

けいおん!」という作品価値大前提となる「ファンタジー」を、よりによって主演声優主題歌担当者が嘲笑した騒動なのだと思う。

ファンが「見たくなかった」リアリティ、かきふらいが、京都アニメーションが徹底して排除した「リアリティ」。

その「リアリティの排除」こそが「けいおん!」の作品価値根本だったと思うのだが、

Tom-H@ck豊崎愛生がその「ファンタジー」の価値を真正面から嘲笑ったのだと。

恐らくこの騒動で、「けいおん!」の価値は、かなりの規模で失われると思う。

批判する立場でも嫌う立場でもなく、「それを作っている立場」「ファンタジー提供する立場」の人間

それも中心人物に近い立場人間がそのファンタジーを嘲笑って見せたというダメージは地味に大きいと思う。

2011-09-11

天外魔境ってすごいな

今振り返ってみると天外魔境ってすごいな。「西洋人偏見で満ちた無茶苦茶日本世界冒険するファンタジーRPGを作ろう」ていう発想がもうぶっとんでいる。おまけに当時大スターだった坂本龍一作曲を依頼して、「ニセ日本」的な音楽を作ってもらいましょう、とかやっちゃえるんだぜ。RPGといえば「西欧世界」が支配的だった当時、これがどれほど衝撃的な企画だったのか、想像するだけで震えが来る。しかドラゴンクエスト1発売(1986年)から、たった3年でこの地点までいっちゃった所もすごい。

すごいな黎明期ゲーム産業無茶苦茶面白い馬鹿な企画に、金が付き、優秀なスタッフが集まり、作品に結実する。まるでシリコンバレーみたいだ。こんな日本が昔あったんだな。80年代と言えば、エレクトロニクスなどのメーカーは今よりずっと元気で、人材ニーズも高かったから力のある人間はどんどんそっちに吸い込まれていったと思うのに、いったい日本のどこにそんな新産業へ振り分ける余剰があったのか。

2011-08-31

○○の映像化がうまくいかない理由

うまくいかないというよりは、必ずしも賞賛されない理由といったところか。

まず、映像化するのはすばらしいことだという誤解がある。

小説という文字だけで表現された物語映画のような大迫力の映像メディアにすると、なんだか「進化した」ような気がする。

これが実は違う。映像化は、どちらかといえば退化だ。

なぜ退化かと言えば、人間想像力を阻害する度合いが大きくなってしまから

視覚による情報というのは、たとえどんなにそれが洗練されていったとしても、想像力によって表現される無限表現と比べたらカスのようなものだ。

もちろん、文字から想起されるものというのも制限は多い。火と書けばそれだけで想像できる範囲は狭まってしまう。

しかし、実際に火の映像を見せられるのと火という文字から火を想像するのは大きな違いがある。

それは、火の映像映像を作った人間の「火」を映像化したものであり、しかも不完全(完全には想像したものを変換できていない)であり、

火の想像想像している本人にとって「完璧な」火の表現完璧に受け取ることが出来るからだ。

しかし、多くの人が映像洪水に飲み込まれた結果、想像する力が衰えていき、自分想像力よりも他人の想像したものの不完全な具現化のほうをすばらしいと思い込むようになった。

ハリーポッター映画が大成功したのは、ファンタジーという異質な世界観であることで想像力を働かせにくいことと、そもそも原作が売れていることの二点があると思う。

しかし、ハリーポッター児童文学であることを考えれば、想像力を働かせにくいというよりそもそも文章がその点に重点を置いていない可能性が考えられる。

ハリーポッターストーリー面白いと言われるので、ストーリーさえしっかりしていれば魔法表現などはある程度適当でもいいと作者は考えているのかもしれない。

そうすると、原作によってストーリーを熟知したファンが映画によって映像面を補強することが出来るようになったので「二度美味しく」楽しめるようになった。

から、これほどまでにヒットしたのかもと考えられる。

2011-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20110828020955

創作BL百合が好き/嫌いだからって、現実存在する同性愛が好き/嫌いという訳ではないよ。両者は原則的に独立

創作ロリペド現実小児性愛についても同様。

日本同人表現世界現実の描写というより、欲望のファンタジーの描写に特化したから。欲望を描くことには長けているが、「表現現実の描写でなければならない」という人には常に誤解される。

あなたのように「BL百合好きな人現実存在する同性愛政治的にどうこうしようとするはずだ」「ロリペド好きな人は小児への性的虐待の支持者だ」とはならないんだよね。それは政治運動には都合が悪いけど、やむをえない。それはそういうものから

2011-08-27

あぁなんでニコ動公式チャンネルコメントつきでアニメを見るのが嫌なのか分かった

物語世界に入ることを妨げようとするからだ。

逆に言えば、コメントを喜んでいる連中は物語世界に入ることを拒絶しながら見ている。

それは、ラノベ的な楽しみ方であり、一人よりも二人、二人よりも大勢のほうがずっと楽しい

俺が求めてるのは一人で楽しめるアニメなんだ。大勢で楽しむラノベアニメではない。

ここでニコ動に進出する企業が失敗ばかりしている原因が分かってくる。

まりニコ動というのは全ての動画ラノベ的に、メタフィクション的に楽しむ場所なのではないか

いやもちろんフィクションに限ったことだけど。

この楽しみ方に合致するのは、物語世界に入り込む必要がなく、また入り込んでくることを望んでもいない題材が必要だ。

いわゆる萌えとか、4コマ原作みたいなやつ。まぁラノベ原作なら何でもいいような気もするが、ラノベラノベとして機能するのは地の文なんだよね。

地の文を消しちゃったアニメ化は全くラノベ的ではなく、チープなファンタジーもどきになっちゃう。ハルヒラノベ的な性質を持ったまま成功したのは、キョンの語りが地の文だったからだ。

キョンの語りがなければハルヒは全く違った評価を受けていたかも。

ここでAVも説明できそうな気がしてきた。

通常のAVというのは、フィクションと同じくそ世界セックスしてる映像世界)に入り込んでみてる人がオナニーするように出来てる。

これをそのままコメントつきのニコ動にもってきても全く意味が無いのは、ラノベと同じだ。

まりコメントは「物語世界から一歩引いてあれこれおしゃべりする」ものなんだからAV普通にAVやったらコメントどころではなくみんなシコシコするのに忙しくなってしまう。

そこで重要なのはメタAVとでも言うべき、通常のAVから離れたものになる。

一番簡単なのは出演者がブサイクであるということだろう。ブサイクなら、その映像世界は全部「AVっぽいものを並べただけ」になり、ブサイクAV女優が「感情移入させない装置」として働く。

から、これはニコ動であるといえる。ブサイクAV女優ではシコシコしようがないし、ネタとして楽しむ(=ラノベ的に楽しむ)のが本来の活用方法ということに。

でも結局のところ、ラノベ的に見る、ネタとしてみるというのはその人の姿勢なんだからコンテンツは関係ない。

ただ、通常通り物語世界に没入することを求める従来型のフィクションニコ動で「ラノベ的に」見ようとすると、ラノベ的に見ようとはしていない人々がいるのでコメントが荒れたりするということだけだ。

無論、俺も「ネタとして楽しむ」人々に対して「もっと普通に見れないのか」と荒れる元になるようなコメントをしてしまったことはある。

これは住み分けの問題なんだから俺の行動はかなりおかしかった。

2011-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20110826162811

なら沖縄に行けとか、

意味不明だけど

代替エネルギーの具体的な提示をしろとか。

は当たり前の意見じゃね?

別に「無理なことを要求してる意地悪な意見ですらないし。


あなた原発廃止派ならさ、

そんな糞の役にも立たないポエジーな文章書いてる暇にさ、

具体的な代替エネルギー(ってもまあ火力だよね、ファンタジーな話する必要も無い)の試算でも作って

オラオラこれぐらいだよ!」って原発容認派含めた世間に提示するとかさ

そっちのほうがよっぽど原発廃止が進むんじゃねーか?

2011-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20110812021259

まどマギ』は、ファンタジーな設定に現実の重さを乗っけた作品だけど、『ピンドラ』は逆。

妹の死という現実に直面する兄弟に対して、次々とファンタジーが襲来する。

謎の帽子、謎のプリンセス、謎のペンギン、謎のストーカー女…

奇妙な連中とドタバタを繰り広げるうちに、いつのまにか「シリアス」は掻き消され、「コミカル」に支配されている。

語弊を恐れず言えば、『まどマギ』は視聴者に緊張を強いる作品。

常にQBの言動に惑わされ、衝撃の展開の連続で、魔法少女たちは苦しみ続け、主人公はずっと何もできない。

からこそ最後に最大のカタルシス生まれる。

対して『ピンドラ』は「見ているだけで気持ちいい」というタイプ

決して作画が良いわけではないが、色彩やデフォルメが駆使され、快楽的な絵が作られている。

そして、おそらく無数の謎は最後まで解決されない。

というわけで『ピンドラ面白いよ。

2011-07-28

セックスって難しくない?

早い時期からオナニー(クリのみ)してて、性欲はきっと普通より強め。でも、最近セックスしたいけどしたくない。

ノーマル(?)なセックスの流れって、大体いい雰囲気→キス→抱き合う→前戯→挿入→射精だと思うんだけど、年々セックスって難しいなと感じる。

18歳の初体験ときはそんなこと感じなかった。経験者の相手がリードしてくれて、前戯も感じたし、挿入も相手が数回に分けて慣らしてくれたから痛みもなく処女を失った。

その後別れるまで数回セックスしたけど、どれも気持ちよくて、自分はイキはしなかったけど概ね満足だった。

次の相手も経験者。そんなにうまくはなかったけどリードはしてくれて、私は流れにまかせるまま。といっても反応はするし前戯もするしマグロではない。好きな相手と抱き合うだけで、というか好きな相手が自分とのセックスで気持ち良さそうにしているのが嬉しかった。でも挿入する時は痛かった。一応10ヶ月付き合ったんだけど遠距離なのもあってセックスしたのは数回。

それからしばらくフリーで、次の相手は未経験だった。1回目は、むこうの性欲にまかせる感じ。結局入らなくて失敗。それから何度も挑戦したんだけど、向うも慣れない、私も慣れない、膣もキツくて入らない、と自然と挿入を目指さなくなった。お互い前戯でイカせて終わり、みたいな。でもそれさえもよくわからないままスタートしてよくわからないまま終わる。

ちょっと触れば濡れ濡れで、どんなに大きくてもするっと入って、いつでも挿れられれば感じて、なエロ漫画みたいな身体ならよかったのに。って、ファンタジーに毒されすぎか。

セックスしたい、って気持ちがあっても、濡れるかどうかは体調次第、相手が勃つかどうかも体調次第、そのとき精神状態も大事だし、ホルモンバランスも。自分の身体をコントロールしつつ、相手を気遣いつつ、相手の性癖考慮しつつ、その時の雰囲気を読んで、コミュニケーションして…ああ難しすぎるよ!

自分の性欲が高いとき女性は周期的にくる人多いよね)にセックス出来るとも限らないし。行為中に醒めても相手の心情を考えて必死に付き合うけど、どうして自分は必死こいて陰茎をしゃぶってるんだろうって思ってしまったら顔の演技は出来ても膣は演技出来ないし。セックスってさ、若い男と女がいて、お互いに欲情してたら、こう自然に、自然に、出来るもんだと思ってたんだけど、どうやら違うみたい。もしや自分が気付くのが遅かったのか。

膣で感じない、って訳でもない。感じる時もある。そして感じた時はかなり気持ちいい。だからセックスはしたい。

オナニーする時はエロ漫画でなく、相手とのセックス想像してするようにしている。実際気持ちよかったことを思い出しながらとか、挿入されてるとこを想像しながらとか、相手の少しSな性癖に合わせた妄想をするとか。(実際、そうしていたらM寄りになった)

別に最高に気持ちよくなんてならなくていいから、普通にセックスしたい。オナニーすればイクんだし、それだけを求めているわけではない。

あー、セックスってこんなに悩んで創意工夫してしなきゃいけないもんなの?

処女でもないのに分かんない。本当に分かんない。

皆さんはどうやってセックスしてますか?

2011-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20110725040335

こういう話の時に、心の繋がりがよく言われるけど、それってウソなんじゃね?って気がする。

日本によくあるファンタジー

クリ擦ってイケない女はいないし、精々、妊娠リスクをヘッジする為に心の繋がり(いか責任を取らせる事ができるか)を求めているだけ。

から既婚者の女ほどeasyなんじゃないかと。

本来、信用できない異性と性交して困るのは男。女は妊娠リスクがあるかどうかは自分で解ってるんだから

2011-07-05

最近有吉マツコデラックスが異様に好き。

あの達観している感じと物言いが聞いてるとなんだかスカッとした。

「糞な世間に対する俺の代弁者」みたいな感覚もあるかもしれない

一方でAKBも好きだ。一見するとやってることは茶番

でも、割と過酷にポジション争いしてたり芸人ばりに体張ったりしてるのが一周回ってシュールに感じてきて、なんだかいい。

もともと美人より可愛いが好き。

キメキメ女は苦手。女の子はルックスよりも性格とかを含めた全体的なキャラで判断。

な感じだったので、クラスにいそうな女の子を集めましたっていう販売戦略に見事にはまった形。

まぁCDとかは買ったことなくて、

レギュラー番組結構チェックしてる程度にしかファンじゃないんだけどね。

ちなみに伊集院AKBに対する見解には妙に納得した。

ラジオ自体は聞いてなくて、話題になったときに字で読んだだけなのでニュアンスが変わってたら知らないけど


ここから本題

有吉とマツコが好きな俺はご多分に漏れず、怒り新党っていう番組を毎週見てる。

先週かな?その番組の中で有吉

「親に養ってもらってるやつは偉そうなこと言うな。

 俺は高校時代にバイトで稼いで卒業時に大金持ってた。

 免許取るのもなにするのも親に出してもらったことない」という主旨の発言をしていた

この主張に異論を唱える気はないし正しいと思う。

しかし、崇拝する人間が批判する相手がまさに自分だったことに絶望すら覚えた。

俺は親のすねかじりまくってる学生だ。

お前が免許取れば助かるから早く取れ、と親に言われたのを良いことに免許費用も出してもらった。

世間がどんなに馬鹿でも批判する土俵に上がる権利すらなかった

ここからは痛いとこ付かれて涙目

ムキになってると思ってくれて構わない

絶望を感じながらも

「高校行って大学行って就職してって言う平凡な人生でも、

 芸能人みないなギャンブル人生送ってる人にはわかんない苦悩もあんだよ!」

自分を慰めてみた。そしたらなんだか気付いた。

有吉もマツコもAKBみたいなところに噛みつくのが仕事じゃん。

AKBがいることによってある意味得してんじゃん。(たかがそれだけで偉そうに…的な感覚

そう考えると、ナイナイ岡村やら伊集院やらも同じに見えてきた。

世間のAKB人気を手放しで騒いでるニュースキャスターも、それに噛みついてる毒舌芸人も同じだ。

こんな記事書いてる俺も、AKBを目の敵にしてる2ちゃんねらも。

AKBを話題にすること自体茶番だ。

くだらないよまったく、虚しいね


(追記)

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iphoneで寝る前に打った文章だったので改行を直しました

マツコ有吉は極端に現実主義エンターテイメント

AKBは極端にファンタジーエンターテイメント

という感じで楽しんでたけどなんだかもうくだらない

2011-07-02

香山リカ原発問題で騒いでるのは適応障害ニート引きこもり

その一方で、ネット世界を中心に、原発事故にのめり込んでいる人たちがいます

 彼らの多くは、知的レベルが高く、情報収集に熱心で、いまの世の中の趨勢を注意深く見ている人たちです

 特に、これまで一般社会にうまく適応できなかった、引きこもりニートといった人たちがその中心層の多くを占め

ているように見えます

 彼らは、企業社会アルバイト先で、会社人間としての振る舞いや低俗オヤジギャグに会話を合わせることに耐え

られません。薄汚いごますりや打算、好きでもない商品を売ることに対して、強い欺瞞を感じている人たちです

「食っていくためには、嘘もつかなければいけないときもある」

 大人が発するそんな言い訳めいた言葉に、かえって嫌悪感を強めています

 彼らには生活能力がなく、結局は親がかりです

 しかしながら、自分がやりたくもないことを、社会をまるでわかっていないような頭の悪い人たちと一緒にやりた

くない。劣等感と優越感がない交ぜになったような、一面では純粋理想主義者たちなのです

原発事故を喜ばしいと思う人は誰もいません。ただ、これまで大学の中で「冷や飯を食わされていた」小出さんが脚光を浴び、時代のヒーローになっていく姿は、彼らにとって理想イメージ希望の星、自分の願いを投影する存在になっているのでしょう。

惹きつけたのは、登場するキャラクターの魅力やファンタジーとしての世界観だけではありません。このアニメには、精神分析神学など多様な学問領域があり、様々な専門用語が散りばめられています

 彼らは、精神分析の分野で未知なるものが登場すると、先を争って精神分析の本を読み漁りました。宗教的な用語の背景を知ろうと、こぞって宗教学の本と格闘したのです

 そんな彼らが、いま原発問題に向かっています

彼らが原発問題に熱狂して、彼らが何かを変えられるとしても、ネットの中の一つの小さなトレンドに過ぎません。現実に動いている体制には、大きな影響を与えることはできないのです現実社会との接点こそ、ネット全盛の時代にあっても、ないがしろにできない大切なことではないでしょうか。

http://diamond.jp/articles/-/12955


http://anond.hatelabo.jp/20110702233116

http://anond.hatelabo.jp/20110703103111

差別左翼レイシストというのは、ニータパンおじさん専門用語です。笑


http://anond.hatelabo.jp/20110706124246


http://anond.hatelabo.jp/20110707085245

http://anond.hatelabo.jp/20110707083514

いつもどおり連続トラバは二つまでの法則。ニータパンおじさんの法則どおり。


http://anond.hatelabo.jp/20110707110411

ニータパンおじさんお得意の弱肉強食


http://anond.hatelabo.jp/20110707213712

ニーダーパンおじさんの復帰時間てわかりやすい。なんたってニートから

http://anond.hatelabo.jp/20110708065830

おじさん早起き?ではなくて生活時間帯がずれてしまっただけ。

2011-06-30

キャラ名前

キャラクター名前考えてるんだけど、カタカナより漢字の方が有利だよね。

漢字の方が情報量が多い。

名前って、単なる識別記号としての機能以外に、そのキャライメージ作りにも役立ってる。

名前を見れば、そいつが主人公ヒロインクラスなのか、味方なのか敵なのか、またはその性格能力まで大体分かることが少なくない。

から、なるべく名前イメージを付加してキャラ立てを強化したいと思ってる。

漢字なら読み以外に漢字そのものイメージを持つので、そのイメージを活用できる。

ゲームラノベだと名前の字が視覚情報として常に使われるので、このイメージは割りと有効だと考えられる。

カタカナでもラストネーム(?)は自由にイメージを付加できるが、普通ゲームラノベ中に常時表示されたりせず、弱い。

ただ漢字名前にも弱点があって、世界観ファンタジーだと使えないんだよなぁ

全く使えないワケじゃないけど、基本的に苦しい。

2011-06-27

BLと在日

注:加筆修正しました

最近商業BL作品ばっかり読んでるから、たまにはネット同人作品も読もうかなと思い立って、某ジャンルのサーチから二次創作サイト巡りをしていたときのこと。リンクを辿っていった先に、管理人韓国人であることを明記しているBL小説サイトがあった。日本語ネイティブじゃないとこれはムリだろと思わせる豊かな語彙の小説や日記・掲示板の内容から判断するに留学生やニューカマーなどではなくて、日本で生まれ育った在日韓国人の方であるようだった。

なんかね、これちょっとびっくりしたんですよ。在日の人もBL書くんだなぁって。

いや、こんなにもアニメ漫画の氾濫する日本社会で生きている以上、日本人だろうが外国人だろうがオタク趣味に染まる人は染まるのが当然だろうし、中にはヤオイ二次創作に興味を持って腐女子腐男子になる在日コリアンがいるってのも理性では理解しているんだけど。実際目にしてみると、なんかこう、感慨深いものがありましてね。

そうかー、在日のBL好きってのもやっぱりいるもんなんだなー、っていうか他にもいるけど明かしてないんだろうなー、としみじみしてたんですが、途中でふと思い出した。あれ、ちょっと待てよ?よく考えてみれば、数少ないながら今までにも在日韓国人が登場するBLがあったりするし、在日朝鮮人のBL作家というのもいたりするんじゃないの?そういえば私、そういうの読んだことあったような……、と。

というわけで、今回はBLと在日と私というテーマで今まで読んだ作品を振り返ってみようと思う。長いよー。私が以下で言及している作品には18禁のものもありますのでお気をつけください。




倉科るり=金蓮花   在日のBL小説家

倉科るりというペンネームで、商業誌からBLを出版している小説家がいる。正確にはいた、と言うべきかもしれない。著作の中には絶版になっているものも多く、また1996年の『王様夏休み』を最後に10年以上発刊はしていないようだから公式サイトにも「倉科るりの商業活動は諸々の事情から不可能だと思います時間がないのです。」と書いてあるので、今後も商業誌でBL作品を発表する可能性は限りなく低いと思う。

けれど、在日とBLというテーマを語るなら、彼女を外すことはできない。

実はこの作家さんは、コバルト文庫金蓮花という名義で少女小説も書いている。むしろ金蓮花(きんれんか)というペンネームの方が世間的には通りがいいだろう。私も残念ながら倉科るり名義の本は読んだことがないけれど、金蓮花名義の本は小中学生の頃にわりと読んでいる。『銀葉亭茶話』、『水の都物語』、『月の系譜』は何度も読み返すくらい好きだった。私が金蓮花=倉科るりというのを知ったのは大学生になってからだったけれど、BL読者やコバルト読者には結構有名な情報だったようで、ネット検索するとペンネームを使い分けるようになった経緯や、その他もろもろの噂が出てくる。それらの噂がどこまで本当かわからないのでここでは紹介しない。

さて、金蓮花は1962年生まれの在日朝鮮人3世である東京に生まれ育ち、大学も都内の小平市にある朝鮮大学師範教育学部美術科を卒業した。作家デビューは1994年、『銀葉亭茶話-金剛山綺譚-』で集英社の第23回コバルトノベル大賞を受賞したのがきっかけだった。この『銀葉亭茶話』シリーズは、朝鮮半島舞台仙人精霊、竜や虎、人間たちが織り成す恋愛を描いた朝鮮ファンタジー小説で、仙境にある一軒の茶屋銀葉亭にさまざまな客が訪れ、店主の李月流(り・うぉるりゅ)に身の上話を打ち明ける、という趣向になっている。

金剛山綺譚』の金剛山は、もちろん朝鮮半島に実在する景勝地金剛山をさす。韓国人外国人北朝鮮国内金剛山観光地区に観光をしに行くニュースを見たことのある人は多いはずだ。『銀葉亭茶話』シリーズ物語に登場する実在の固有名詞は地名だけではない。例えば『蕾姫綺譚』では重要なキャラクターとして李氏朝鮮建国の王李成桂が登場するし、『舞姫打鈴』のヒーロー新羅英雄金庚信である

ところで、学校で歴史を習う前に本シリーズを読んだ影響で、私は現在でも「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」と読んでしまう。私にとって、このシリーズこそが生まれて初めて触れた‘朝鮮文化’なのだった。馬鹿子供だったので現役読者だった小学生の頃は朝鮮半島というのがどこにあるのか知らなかったし(私は当時本気で外国=アメリカであり、世界には日本アメリカの二国しかないのだと思っていた)、儒教文化だとか在日朝鮮人だとかさっぱり理解できない上に興味もなかったので読み飛ばしていたけれど、雪華(そら)や明蘭(みょんらん)という美しい漢字と不思議な響きの名前、美味しそうなチヂミ、ふわりとチョゴリを広げて鞦韆をこぐ明朗な少女、霊山の天辺に位置する天池(ちょんじ)の聖水……どこか好奇心を刺激する異国のイメージの数々を私は大いに楽しんだのだった。特に金剛山の壮大な瀑布や峰々が鮮やかに染まる絢爛豪華な秋の描写などは、幼心にうっとりするような綺麗な文章だなぁとドキドキしながら読んでいた。金蓮花という作家のおかげで、私は隣国と幸福な出会い方をしたのではないかと思っている。そういう意味で、『銀葉亭茶話』は私にとって印象深いお話なのだった。

金蓮花自身にとっても、作家として第一歩を踏み出したシリーズであると同時に、祖国を舞台にしたロマンスであることを考えれば、『銀葉亭茶話』はやはり特別思い入れの深い作品なんじゃないだろうか。

彼女の著作のあとがきでは、自らのルーツを意識した話題が多い。北朝鮮に観光に行って金剛山の絶景に感動した話、伯母が北朝鮮に帰国した話、親戚が日本北朝鮮と中国に住んでいるという話、子どもたちの通う朝鮮学校お祭りのためPTAとして準備に奔走する話など。

そんな彼女がBL小説を書くときは、金蓮花ではなく倉科るりというペンネームを用いた。倉科るり名義の本では特に朝鮮半島と関連のある物語を書いたりはしていないようだ。少女小説コバルト作家としての自分とをきっちり分けたかったのかもしれないし、儒教を尊ぶ在日コミュニティ価値観からするとさすがにBLを在日朝鮮人と明かしている金蓮花名義で出すのは難しかったのかもしれない。少女小説家としてデビューする際も家族からかなり強硬に反対されたと聞く。少女小説を書いているのがバレて家族会議土下座までしたそうな。ましてやBLをや。

まぁ、BLを書くときと少女小説ラノベや一般漫画を書くときでペンネームを変えるのはbasso秋月こお榎田尤利もやっていることで、金蓮花に限った話ではないけれど、少女小説では在日ネタをふんだんに出していた人がBLではそれを一切出さないというのも興味深い話ではある。

ちなみに金蓮花名義の本に一切男性同士の恋愛や性愛が出てこないか、というとそういうわけでもない。

ここでちょっと萌え語りをさせてもらうと、『銀葉亭茶話』シリーズで私が一番好きなキャラクターは長白君(ちゃんべつくん)だった。彼は、朝鮮半島の付け根、北朝鮮と中国の国境にまたがる山(朝鮮語では白頭山中国語では長白山)の守護仙人精霊だったかもしれない)で、シリーズ通してのキーパーソンである李氏(注:男性)に想いを寄せている男性である。李氏に冷たく拒絶されたり、周囲の神仙たちに揶揄されたりしつつも、変わらず李氏に暖かい真心を捧げ続けている好漢なのだ。李氏には他に想い人がいるのでまず間違いなく長白君の恋が成就することはないのだろうが、私は彼の男らしい包容力にときめいたのでぜひ幸せになってもらいたいと思っている。別に相手は李氏じゃなくてもいいから。というか長白君には楓英とか緋鯉の精みたいな豪胆で誠実な男性とか似合うと思うんだよね。




高城響、鷹匠早紀    在日の攻め

studio may-beを結成して仕事をしている高城響と鷹匠早紀は、BLゲーム乙女ゲームシナリオライターとして活動している他に、連名でBL小説を書いて出版したり、漫画原作をしたりしている。音楽業界を舞台にしたBL小説『たぶん、きみが好き』『いつか、翼を広げて』『きっと、空も飛べる』という3冊がマイクロマガジン社から発行されたのは2004年のことだった。この3作は天才指揮者と男性アイドルカップルを描いたお話なのだが、実は高城響と鷹匠早紀がやっているサイトに長年連載していた大長編小説『KT』を手直しして発表したものだという。

そのサイト大長編(まだ完結していないらしい)には、脇役として若手の指揮者同士のカップルが登場する。彼らを主人公にした話もサイトには掲載されており、出会い恋人になるまでを描く『'O sole mio』、体の関係を持つまでに至る続編『hard day's night』、いちゃいちゃらぶらぶしてる『jealous guy』などがある。珍しいことにこのカップルの攻めは在日コリアンである

『'O sole mio』と『jealous guy』では、攻めが在日であることはストーリーの主軸にはほとんど絡んでこない。民族が違うということよりも同じ夢を抱く音楽家同士であることの方が、この物語の中では圧倒的に比重が大きいのだ。

しかし、『hard day's night』の中ではそれらしいエピソードが挿入されている。演奏会の予定が突如キャンセルされてしまった攻め。晴れがましい仕事を一つ失った原因を、受けに問われた攻めはしぶしぶこう語るのだった。「オレ、在日やん」。BLで、差別に直面する在日の姿が描かれているのは大変珍しい。そもそも在日としてのアイデンティティを持ったキャラクターが登場するBL自体ほとんど見かけないんだけどね。

ところで、この物語の攻めは、大阪出身関西弁を喋る陽気な男性だ。大らかで人懐っこい。阪神タイガースファン。長身ガタイが良くて、美男子ではないけれど、受けから見れば十分に魅力的な容貌をしている。そして新進気鋭の指揮者である。実際、読んでいて、彼は魅力的な人物として描かれているように思った。なんとなく関東生まれ関東育ちな自分からすると良い意味で典型的関西人という印象を受けた。

神経質で繊細、あまり感情表現が得意ではない日本人の受けは、自分と正反対の気質の攻めに惹かれていく。自分にないものを持っている相手を反発心を抱きながらも愛してしまパターンというのはわりと恋愛物の王道だが、受けが攻めの才能に嫉妬をして苦悩したり、振り切ってもついてくる攻めに苛立ったり、励まされたりと感情をぶつけ合ううちに自分の恋心を認めざるを得ない展開になるというのは微笑ましくて良かった。




檜原まり子   日韓ハーフの受け

BL小説家檜原まり子の作品の一つに『マリンブルーは密やかに』という小説がある。2008年、講談社X文庫ホワイトハートから発行された。舞台アジアオセアニアクルーズ中の豪華客船。そこに乗り込んだ保険会社から委託を受けた調査員の受けと、元自衛官の攻めのラブストーリーだ。

正直なところ、この物語の一番興味深いところは、ストーリーなどよりも受けの両親だと思う。

受けの母親日本人医師だった。そして父親は在日韓国人の寿司職人。両親が渡米して、一家がカリフォルニアにいたとき受けは生まれた。医師免許が認められなかった母親は畑違いの仕事をして受けを育ててくれたらしい。後に離婚したようだが、受けの両親の話こそ読んでみたいと思った。寿司職人と女医さん夫婦米国滞在記なんていろいろ波乱万丈なドラマがあって面白そうじゃん。

というわけで、本作の受けは間違いなく在日韓国人の血をひいているのだが、特に在日とか韓国に関するエピソードは出てこない。受けが韓国語を喋ったりキムチを食べるシーンがあるわけでもない。彼が民族的なコミュニティ朝鮮半島に思いを巡らすシーンがあるわけでもない。冒頭、地の文でさらりと受けの生い立ちが説明されているだけで、その後はとくに彼が韓国系であることには触れないまま物語は終わるのだ。

なら別に受けが在日の血を引くキャラクターである意味ってないのでは?と思わないでもないけれど、まぁ深い意味がなきゃ在日がBLに出てはいけないってこともないし、これはこれでいいのかもしれない。なんと言ってもこの作品の舞台はいろいろな国籍のクルーが働く豪華客船なのだから。南太平洋を悠々と航海する船上のキャラクターにちょっとしたマージナルな要素を付与したいと作者が思うのもわかる気がする。船長の喜屋武も、受けと同様にマージナルな人物である米軍勤務の軍人を父に持つ沖縄出身の男性で、金髪碧眼という日本人離れした容姿だが自らを日本人だと主張する。とても珍しい韓国系の受けや、沖縄と米軍というデリケートバックグラウンドを持つキャラクターが登場するという点において、このお話はなかなか印象深かった。




タカヒサ亨 渡来人カップル

『うつしみの花』は、幻冬舎リンクスロマンスから2008年に出版された全2巻のBL漫画である。作者はタカヒサ亨。舞台飛鳥時代日本で、有名どころでは葛城皇子中大兄皇子)、皇極天皇、間人皇女などが登場する歴史ロマンBLである。ちなみに中大兄皇子と受けがキスする場面もあったりする。

主人公(受け)は、百済から渡来人で金工職人である実父を持つ美少年。攻めは、受けの父親の弟弟子で、乃楽山(ならやま)の麓に住む百済系渡来人であり以前は都随一と呼ばれた腕を持つ金工職人だった。受けが攻めの弟子となるので職人師弟ものBLであると同時に、渡来人渡来人の子孫が出会って恋に落ちる物語なのである

職人の村で修行をする受けは、師匠であり恋人である攻め以外の渡来系の職人たちとも交流を持つようになり、技術を磨いていく。いつか攻めの故郷である百済に帰還することを夢見るようになるし、自分たちの存在は発展させ続けていく技術に拠って立つのだという強い自負心を持つに至る。彼らのアイデンティティは明確に百済系渡来人であることにあり、ヤマトにはないんだなーと読んでいて思った。

日本舞台なのにあえて渡来人カップルを描くなんて随分通好み(?)だなと思う。こういうのは珍しくて面白い試みだ。同時に、ちょっと私の中の日本人としての感覚が一抹の寂しさというか疎外感を感じなくもなかったような……。この記事のテーマである在日と古代日本渡来人はちょっと違う存在なのでこの作品には簡単に触れるだけにとどめるけれど、思いがけずヤオイを読んでいて自らのナショナリズムが浮上したという点で本作は印象深い作品だった。私が気にしすぎなだけだけなんだろうけれどさ。

もちろん、健気で頑張り屋な受けとクールで格好良い攻めは萌えたし楽しめた。

ところで、作者のタカヒサ亨は、角髪(みずら)に萌えてこのお話を描いたらしい。わかるわー私もみずら萌えです。特に青年の下げみずら姿は可愛くて良い。不評でなかなか描かせてもらえなかったとのことだが、残念だ。もっと見たかったよー。






コメント返し

ハテブやツイッター増田2ちゃんねるコメント下さった方ありがとう。せっかくだし嬉しかったので、いくつかのコメントにお返事します。


興味深い記事/勉強になった。/ほう。/おもしろい。

恐縮です。ありがとう

なんでこんな興味深い記事が増田なんかで書かれるんだ……いやまぁ理由は明確に推測できるんだけど。

自分のブログではこういう記事を出したことがないのでうまく書けるかわからなかったし、書いたとしてもこの記事だけ場違い感がぷんぷんして浮き上がってしまうだろうと考え増田しました。悲しいことですが、BLも在日も荒れやすい話題ですから

金蓮花くらいしか思いつかなかった。/金蓮花さんは有名だよね。/ 金蓮花は私がコバルトを熟読してた時代の後の人で懐かしい。/金蓮花の作品なら子供の頃読んだことあるな。/金蓮花さんなつかしい

私は金蓮花の初期の作品が好きでここ7~8年の著作は読んでないのですが、作品だけじゃなくて作家自身も本当に興味深いなと思ってその動向は注目していますラノベ界でも稀な在日外国人であることを明かしている作家さんですよね。まして日本と関係が良好でない国を祖国に持つ人ですから日本社会で生きる彼女自身、悲しみや自負心を含め複雑な感情はあったんじゃないかなと想像しています。日朝首脳会談が開かれ拉致問題が発覚した2002年、この年に発売された『伽椰琴打鈴』を最後に、彼女の著作の中で一番‘朝鮮’を押し出している銀葉亭茶話シリーズが発行されていないというのは、偶然かもしれないけれどなんとなく象徴的に見えたり……。

違う文化がベースから、私から見たらよく分からないのかもねと当時は思ってた。アメリカ人日本とか中国に感じてるオリエントな感じってこういうのを言うのかなーと中学生の私には興味深かった。/舞台設定もそうだけど、登場人物たちの価値観や倫理観が自分の知っているものと異なる面もあって、それはそれで興味深かった。

確かに文化が違う、価値観や倫理観が異なっている、と強く感じる点はいくつかありましたね。面白いなと好ましく思う相違もあれば、モヤモヤする思いを抱える相違もありました。私の場合女性の描かれ方や女性の置かれた立場というのが結構気になりました。『蝶々姫綺譚』で、女性が子を成さずに死ぬのは罪である、罰として死後の世界で償わなければならないという設定には、儒教ベースにしたファンタジーだとこうなっちゃうのか、とびっくりしたなぁ。日本日本よりフェミニズムの強い欧米発のファンタジーじゃそういう設定ってないでしょう。まぁ、当時の価値観を反映させた設定であることが良いという考えもあるとは思いますが、現代女性としてはファンタジーとはいえその世界の女性は生き辛そうだなという感じたのも事実でした。

「オレ、在日やん」。か。読んでみたい。/記事中の作品をどれも読んでみたい。

ネットで読める作品もるし書店図書館に置いてある作品もあります。個人的に、興味や関心の度合いが在日>BLという人よりは、BL>在日の人の方が楽しめるとは思いますが。

日本では掛け算、欧米では×ではなく/(スラッシュ)なので割り算。

全然関係ないけど、最近アメリカスラッシュ翻訳されて日本書店の店頭に並び始めましたよね。日本語海外スラッシュが読める日が来ようとは思わなかった。嬉しい。

「「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」」あるあるwww

お仲間発見。やっぱり他にも同じ経験のある方がいるんですね。

この語り口、既視感が。/この特徴的な文体Twitterのどこかでみたような?

皆さんがどなたをイメージしているのか興味あるなー。私は弱小ブログを書いてますが、Twitterはやっていないんですよ。

韓国人って恋愛もの入れ込むよね。日本人もだけど、なんかより情熱的っていうか

韓国人日本人よりも情熱的、確かにそういうイメージありますよね。こんな記事書いといて言うのもなんですが、家族友人知人に韓国人や在日の人っていないんで実際そうなのかはよく知らないけれど。

しかし、作者や登場人物が在日だろうとハーフだろうと、作品に影響なければ関係ないのでは?/BLを前にしたら作者が在日とかどうでもいいんだけど、気になる人もいるんだ

確かに作品が面白ければ作家は関係ないというのは仰る通り。私も普段は書き手には興味がないんですが、今回は冒頭で書いた某サイトにはなんだか妙に感慨深くなってしまいまして。

在日コリアンに限らずこういう風に創作の中に登場するマイノリティを振り返ってみるというのは興味深いよね。/こういう考察もあるのだねー。/いわゆる『キャラ属性』のフレーバー要素として、在日コリアン・その他を入れるか等。ただ、ふらっと使おうにも"実はよく知らない"事が多いのも、また事実。/彼も特にエスニシティ面で特筆されるような描写はないが、魅力的。

創作の中のマイノリティ、本当に興味深いですよね。読み専なので創作の苦しみは知らないのですが、創作物にマイノリティを登場させる際書き手さんはやっぱり慎重になるんだろうなぁ。セクシュアル・マイノリティが登場するBLは殊にそういう姿勢を求められているジャンルですし。常に政治的に正しいお行儀のよいBLである必要はないと思うけれど、読者が引くような差別的な描写が垂れ流しにされてるBLは読みたくないと思います。私はまだガチでがっつり民族問題を盛り込んだBLというのは読んだことがありません。今後もそんな作品は出ないんじゃないかなと思うし、たとえ出版されたとしても読みたいとは思わないかも、と考えています。娯楽作品には悲惨な差別とか貧困とかの要素は求めていない性質で、どちらかというとイチャイチャ、ドキドキ、ワクワク、エロエロアマアマラブラブって感じのノリの方が好きなんですよ。なのでフレーバー的な登場のさせ方や特筆されるような描写がなくても私はOKなんですが、作家がまったくその問題の背景に無知ではキャラクターの魅力的な属性にはできないわけですしね。作家は10調べたことのうち1を書く(100調べたことのうち1を書く、だったかもしれない)と聞いたことがあります。BLを愛する者の一人として、そういうBL作家さんが今まで以上にたくさん出てくれるといいなぁと願っています

http://anond.hatelabo.jp/20110626021744

突っ込みだけ入れていくよ。

1,ヌードデッサンや人物デッサンなどの勉強

創作的な絵にはあまり変化はなかった気がする。

これは、人物画と漫画を別物として認識しちゃってる。

おそらく、デッサンモチーフとして漫画に生かせないものを使っちゃっているんじゃないかと思う。

どういった漫画が書きたいかにもよるんだけど、書きたいモチーフに近いものを模写したほうが漫画に生かせる。

中世ファンタジー書きたかったら、映画のコマをキャプチャーして模写とかな。

2、人体の仕組みを理解する

動きに説得力のある絵を描きたいのであれば、

正直、人間に無い動きをさせるのでないかぎり、映像見たほうがいいかもしれない。

あと、デッサン人形よりは12'フィギアがいいかもしれない。

服とか結構な種類あるし。

カメラ持ってれば、レンズ効果の研究も出来るし。

3、写真や好きなマンガ家の絵の模写

ゼロから描いても楽しいけれど、見返してうれしくなるのは資料を見ながら書いた絵。

これは不味い方向性。

自分ゼロから書いたほうを楽しく、頼もしく思っていかないと、ゼロから書かなくなければいけない時につらくなってくる。

そもそも、資料を見ながら作った絵は、発表してはいけないですか?

完全模写なら発表しないほうがいい。

そこから判断されるのって、複写が上手いか下手かであって、絵を描くのが上手い下手って判断をしてもらえないから。

その人の絵柄で、他のポーズを取らせるとかしたものなら、その人の絵の理解度+それを絵に出来るスキルを見てもらえるし、批判は少なくなる。

その人の絵柄を覚えるまで模写するのはいいことだけど、それを他人に見せちゃ駄目だ。

あくまで他人に見せていいのは、お前さんの絵だけなんよ。

2011-06-15

なぜ厨二病は発症するのか?

人格形成が未熟だからか?

漫画ファンタジーにのめり込み過ぎるからか?

人間関係が上手く築けないからか?

家庭環境に問題があったのか?

から資質があるからか?

2011-06-12

それでも宇野常寛を評価する。

まだ宇野氏が「善良な市民」というHNを名乗り、ウェブサイト萌えオタ批判に熱心だった頃、私は彼の言説と2ちゃんねらーの煽りとの区別がつかなかった。批評家っぽい言葉を使う2ちゃんねらーだな、と思っていた。その後、東浩紀批判を展開し、「東浩紀劣化コピーがうんたらかんたら」と言っているときは単なる喧嘩屋だと思っていた。

今でも彼の言葉選びや論説には意地の悪さを感じるときがある。性格が悪いなあ、と思わず呆れる。

しかし、それでも彼とブログで息巻いているだけのほかの凡百の批評家気取りは違う。彼は「ゼロ年代決断主義の時代だった」と主張し、その正当性は確かに認められ、コンテンツ批評の刷新に成功した。その際、展開したエロゲー批判、萌えオタ批判はいささか強引ではあったが、デスノート仮面ライダーなどを俎上に上げ、「数字」という誰の目からも明らかな根拠でもって想像力の主流が変容したことを浸透させた。

また、批評の対象にジャニーズドラマNHK連続小説を持ってきたことも見逃せない。これらの作品は大勢に受容されながらも、批評家たちのあいだでは「ないもの」とされてきた。コンテンツとしてまともに認識されてなかったのだ。宇野氏の活動が批評の対象を拡げたことは、確かな功績だ。

ほかの批評家気取りが有名な批評家言葉を真似てしか語らないのと違い、彼は自分言葉でほかの人間が語っていないことを文章にした。彼の作った言葉には「レイプファンタジー」「サークル貴族」などいまいちなコピーはあるが、「ゼロ年代」「サークルクラッシャー」は、これらの言葉が出てきたことでずいぶんと語りやすくなっただろう。そして、それら自分言葉自分の考えを雑誌にしたり、商業媒体に売り込んだりする努力を怠らなかった。

その点において、宇野氏が新進気鋭のやり手批評家なのは間違いないのである

2011-06-11

まどか☆マギカリアリズム

やれSFだとかそれファンタジーだとかい魔法少女モノだとかまたゼロ年代だとかいう文脈で語られるまどか☆マギカ

だけど私は思う、まどか☆マギカは徹底的なリアリズムだ、第三話以前と最終回を除いて。

もっとも、その除かれた物も、現実の只中にある視聴者が希求してやまないものだった。

一部の人間は日常の延長としての水着回を、あるいは美化された青春に永く留まっていたかった。

現実を突きつけられた視聴者少女たちの救済を願って止まなかったし、事実それは達成された(視聴者意図とはずれようとも)

少女たちは友人の死、避けられない宿命、隠されてきた歴史、対価と代償、資源枯渇の様々な現実を見せつけられ、翻弄された。

そしてそれは「よりよい終末」という政治的な解決(そしてそれは因果律を書き換えるほどの困難)によって救われる。


さて、なぜこれがリアリズムなのか。

数年前、蟹工船がブームになったのは、まだ記憶に新しいだろうか。

内容や当時の潮流などはさておいて、平成の世にまたブームが巻き起こるのは当然理由がある。

もちろんそれは今でも色褪せぬ現実がそこに描かれていたからにほかならない。まさに共感による再燃である

蟹工船平成の時に於いて予言書の役割を勝ち得たのだ。

まり文学的、思想的な背景は無視され、そこに描かれた現実のみが人を動かしたのである

むろん、そこから解釈は薄いと言わざるを得ない。表層的な一致が、ブームにつながったのだから

しかしながら、それは今となっては関係がない。理解の程度はブームとは無縁なのはバナナダイエットが示したとおりである


さて、リバイバルヒットというのは、ときに悲しい事実さえも教えてくれる。現実は変わっていないということだ。

悪く言えば、成長していないということでもある。

いつか働かなくても生きていける社会が来ると、望んでは嘆き、を繰り返す。

そしてまた時が経って再評価されるのである

いつか、まどか☆マギカが忘れられたときに再評価されるだろうか?

それはわからない。

しかし何千年経とうと歴史は繰り返すという確信が私にはある。

変わらないだろう現実に、涙をながすしかできないのだ。

報われない彼女らと、報われない私を重ねて。

2011-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20110610140702

ドッグデイズのおもしろい点

戦争スポーツとして設定した(戦争オリンピックのようなもので、それにより外交が行える、平和世界である

スポーツのような戦争はいえ怪我は付き物だが、そこを「加護」という概念で無効化した。(いやいや死んでるだろ普通、など考えなくてよい)

・攻撃手段を剣と魔法にしたため、雑魚との差別化がハッキリと図れる、自動小銃の乱射やグレネードの爆発がかすりもしない「あり得ない主人公補正」が必要ない

・最低限、移動手段に機械を持ち込まないことで、ファンタジー感を保つことに成功している(FFは失敗した)

・剣と魔法世界であるから伝説武器を与えられた勇者が大活躍する

・全体的にほんわか設定であるため、心を弛緩して楽しめる

エンターテイメントとしての戦争興行が成立する世界であるため、犬姫さまの設定に違和感がない

犬姫様もふもふしたい

ほっちゃん

まあ、漏れが今満足してるのはこれくらいだな。

2011-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20110526121704

大学時代ラノベに興味なかったのは、ラノベファンタジーものという認識があったからかな。

読むようになってから舞台は現代のものが多い。

読むようになった経緯はニコニコからアニメに興味が復活して、

アニメ原作としてのラノベに興味が出てきたと。

読んだのは100冊くらい。最近は気が向いたときだけ読んでる。

2011-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20110524105017

奇跡がないことを証明するのは悪魔の証明でな。

科学は事象を人間が都合よく説明してるだけ。

実際、新事実発見されれば、簡単に覆るファンタジーだ。

http://anond.hatelabo.jp/20110522163502

身近にそれを書いている人間がいるというただそれだけで

分かっていたはずの自分キモさが10倍くらいリアル想像できてしまって耐え切れなかった。

それは、自分キモさが想像できたわけじゃないから。

作り手が想像できてしまからってだけだから


風俗ネタとしてビッチを消費するのは良くても、自分の妻や娘、同級生となると耐えられない奴も多い。

リアルが顔を出すと萎える、自然な反応。

こういうのはファンタジーからいいのであってな。

微塵でもリアルが介在すると、難易度が跳ね上がる。

よく声優彼女にできたら・・・とか言うだろ?

いから。

アニメヒロイン自分彼女だとしたら、絶対に醒めるから

作り手の顔も一緒。

コロコロなんかでよく見る子供向けの下品ギャグでさえ、作り手が知り合いだと楽しめないって奴もいる。

いわんやエロ漫画をや。

2011-05-20

一年前に論破されたクソをありがたがる人々

少なくともゼロ年代人間が「貴族的な人間」「特権階級とか特殊な力を持った人間」を中心としたファンタジーを求めなければいけなかったのかって考えもしなかったなら、オタクとしてダメダメ

http://anond.hatelabo.jp/20110518205435

わざわざ太字で書いてるけど、これは一年前に論破されてるよ.

そもそも2ちゃんねるというのがある種の欲望のはけ口であって、という点からするとそれはそれで完結したいい話かもしれないけど、そのような前提が忘れ去られているのか隠蔽されているのか知らないけど、そのような欲望の排泄物をベタにありがたがるってのは、やっぱりその「批評」の敗北じゃないの。

http://togetter.com/li/22249

ゼロ年代オタクは関係なくて、まおゆうをありがたがったペトロなんとかとかがクソをありがたがるゲスだったってだけ

2011-05-09

http://anond.hatelabo.jp/20110509200920

女が女の裸なんか見て何が楽しいんだ

両方男なら2度おいしい

現実のSEXには現実の良さと欠点があり、ファンタジーにもファンタジーの良さと欠点があり

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