はてなキーワード: ファンタジーとは
http://anond.hatelabo.jp/20110422235719
ブコメで「エヴァに呪われている」とか「エヴァ脳の恐怖」とか「エヴァをアニメの物差しにしている」といったコメントを見て、なるほど的を得ているなと。
そして残念ながらid:kyo_ju、ネタじゃない。マジで書いた内容なんだ…orz
てか自分でもマジでエヴァ脳だと思う。じゃなきゃ増田で書かない。
俺がこんなコメントを普通のブログに投稿してる奴をみたら、とりあえず全力で叩く。
何でだ?
自分なりに考えてみたんだが、エヴァに前のめりで楽しんでた人達、というか後ろに引いて見ることが出来なかった人達は、
エヴァが終わった後の娯楽としてそれぞれ別個の道に進んで行ったかと思う。
まずアニメという枠に傾倒する道。
アニメは当時の世相を反映してか「自分探し」のような内容か、あるいは「萌え」に特化した内容ばかりだった。
自分探し的な部分は十分エヴァで堪能したし、萌えは視聴者が勝手に後付けするものであって主食として作者が提供するものじゃないものと考えているので無理だった。
SFは─漫画だろうと小説だろうと、作者の設定自慢ばかりで人の営みが希薄なのが多かった。「イカにSの面白さを最大化するか?」が最大の関心事になっている世界だった。
Fだけでいいから人間ドラマが欲しくてSFの道には進まなかった。
※その中で何故か『BLAME!』だけは面白いと思ってた。我ながらかなり謎。
「設定?誰がんなもん語るか。察しろ。」というスタンスがよかったのかも知れない。
あるいは設定の説明がない分、人間(と愉快なクリーチャー達)の営みに思考が集中できたせいかも知れない。
自分は娯楽なしで生きられるような人間ではない。おそらくは他の人もそうだと思う。
大人になって仕事や家事に忙殺されても、アウトドアや人付き合い以外の何かしらの娯楽を大なり小なり楽しんでるんじゃないか。
人によって、それが映画だったり、ドラマだったり、推理モノだったり、歴史モノだったりすると思う。
自分は「エヴァの次の娯楽」として、最終的に「古いモノ」を選んだ。
小説に手をだし、散々色々な誇大広告に騙された結果、最低10年以上「これは良い」と語られる小説は、少なくとも個人の趣味で好き嫌いはあっても外れはないことに気づいたからだ。
そしてこの単純な法則が、小説という枠だけでなく他の枠にも当てはまることを知った。
「古いモノ」を楽しむコツとして、「その当時の世相や時代背景を同時に知る」ということ。
今ではやや物足りない部分があったとしても、当時としては革新的な技術や手法、あるいは独自の視点が盛り込まれていたために長らく語り草になることが多い。
それと同時に他人の解釈をガン無視すること。例えるなら、どれだけ権威ある人が「このキャラはツンデレだから萌え」と言っても自分が「ツインテールだから萌えであってツンデレなのはどうでもいい」なら自分の直感に従って楽しむこと。
こんな風に古いモノ、かつ娯楽として時代の振り落としを生き抜いたモノを、自由気ままなオレオレ解釈で楽しみ、アニメを見なくなった結果、自分はアニメの物差しはエヴァとジブリと千年女優だけになったorz
敢えて弁明、というか開き直らせていただければ…
だって仕方ないじゃん!1年間で1割より少ない程度で面白いアニメは出てると思うよ?
けどその1割弱を探すためだけにアニメの世界に飛び込めば、まさに「渡る世間は萌えばかり」、あるいは「前門の厨二アニメ、後門の監督が厨二の自称芸術unkoアニメ」ばかりじゃん!
アニメの作り手にしても、ちょっと成功して有名になるとすぐ芸術気取りしたり宮崎駿の後継者気取りしてばっかじゃん!
そんな中途半端なことをするくらいなら、いっそワーグナーみたく「アニメはただの芸術じゃない。神聖な祭事だ!」ぐらい突き抜けつつ「よろしい!私に投資する権利をやろう!」的なノリで資金調達&製造とかやれるだけの実力と人間としてゲスな気概を持って挑めよ!>ヤマカン、細田
特に'00年代は酷かったよ!観客の声を聞かずに監督が見たいアニメか、大向うの観客の声しか聞いていないアニメばっかだったよ!
「そもそも今客席にいない人を、どうやって小屋に来てもらうか」を考えている人なんて皆無だったよ!
00年代はまだブロードウェイ- ミュージカルの方が観客を呼ぶためのモノ作りをしてるよ…
例えば「Wicked」はファンタジーで低年齢児を釣り、女の友情で少女を釣り、あげくに社会派的要素で親を釣り上げる万能釣り竿だよ。
「Next to Normal」なんて狂気の中から家族愛を導き出すーそれも母親が主役でーっていう化け物ミュージカルだよ。
ミュージカルってさ、親しみが無い人には「子供が見るモノ」あるいは「軽いモノ」ってイメージがあるんだ。
酷いと「演劇と歌が同居する必要性がないんじゃねーの?」って言われる始末www
まぁ当然だよね。舞台としては戯曲という枠が、歌劇としてはオペラという枠が、ダンスはバレエという枠が、技巧も歴史も名作も持ってる。
けどミュージカルが子供やミュージカル自体にマニアックな人ばかり相手にしてたってお金にならない。
彼らが飯を食っていくためにミュージカルという枠のファンを増やすしか無かった。
かと言って技巧だけで挑めば間違いなく他の枠に負ける。
だから彼らはあらゆるものを取り入れ名作を作り上げた。
例えば古典の悲劇の恋愛をベースに、彼らの身近にあるダンスや風俗、そして身近にありすぎるマイノリティへの差別問題を注入したWSSとかね。
そういったことを繰り返し繰り返し続けた結果、今のブロードウェイミュージカルの地位が出来上がった。
アニメを作ってる側の人からも、「売れない、売れない」という声ばかり聞こえた。
けど自分からしたら、なんでアニメを作ってる人は「今、テレビの前にいない人」を捕まえようとしないんだろうと思ってた。
筋を古いモノから流用し、装飾や人々を今の時代に合わせ、最後の結末に自分たちのメッセージを盛り込む。
これだけでも十分面白いモノが出きるのに。
「守破離」の全部が大事なのに、今のアニメは「守」だけ「破」だけ「離」だけみたいに、個別の実装しかないものが多い気がする。
「魔法少女」っていう小さな視野で見ても、かなり綺麗に守破離してる。もちろん違う角度から見たときにも様々な守破離があるのがまどまぎの魅力。
けど、きっともう後16年くらいは守破離をしっかり出来たアニメは出ないんだろうなぁ…
まどまぎの脚本の人は「ロボットものを書きたい」って言ってるらしいから、おそらくロボットを書くのに夢中になって客席を見なくなるか、大向うの客席しか見なくなる。
そうすると悲劇が好き過ぎる人みたいだし、シェイクスピアを消化しないままシェイクスピアの再発明を得意気にしちゃったりするんだろうなぁ…
かといって他のアニメの作り手は、まどまぎのパラメーターだけみてメソッドを見ず、もっと酷いものを作るんだろうし…
「処女厨がウザい・怖い」的な発言をよく作り手側のコメントで見かけるけど、
なら小デュマみたく処女厨を逆手にとって、ビッチであることが生きるために必然である椿姫を処女厨の目の前に置いて、
「それでもお前らこいつを罵れる?」といけしゃあしゃあと言ってのけるような人は今までいなかったし…
「BLはファンタジー」
とはいえ、BLややおいっていう世界は、ゲイになんらかの意識を向けているものと思っていた。
だけど、そうではないのかもしれない。
JUNEでさえ、やおいでさえない。
その言いようは一部ノンケのそれとおなじで、なんの意識も配慮もない。
一般に、ホモって言う呼び方は広く使われているけど、少しくらい配慮があるところなら別の言い方をする。
ホモっていう語が侮蔑的な響きを持っていることは、ゲイでも腐でなくとも知っているはず。
一方そういう呼び換えをする腐も、年齢層は高いイメージがある。作家にも多い。
ボーイズラブっていう語が広まったのはわりと最近で、それ以前から腐っていた層かもしれない。
以前、801板でこういう言質があった。
「ボーイズラブっていう言い方はきれいすぎる。わたしが好きなのはもっと生々しい、ホモだ」
BLという呼び方がこそばゆいのか恥ずかしいのか知らないけれど、それ、若干ドヤ顔で言ってませんか。
今の気持ちを書く。
4月1日、昇格人事の発表があった。
そして、彼はいた。
現在直属の上司の課長と偶然に行き逢い、一緒に歩いていたところ、切り出されたのだ。
「増田くんには気持ちのいい話じゃないだろうけど・・・」
日々現場で価値を提供し続け、会社のイメージをアップして売上にもつなげてきた僕の給料が上がらないのに、
根拠のないうわさを流布して僕の印象を悪くしようとしたり、うそをついて自分のイメージアップをする人間が評価される?
口をついて出てしまった。
課長としては、「僕と彼と両方を昇格対象として推薦したのだが、
僕のほうを強く推したにも関わらず彼が採択された。申し訳なく思う。」
と言ってくださった。
仕事はきっちりと、いやきっちりと以上にやるさ。今までだってそうしてきた。
会社は善人を評価するところではない。価値を評価するところだ。
また、会社に寄与する価値を本当に産み出す人間が、常に評価されるわけではない。
ウチのようにちょっと大きめの会社では、上層まで伝わるもの、つまり紙ペラに「こいつは価値を産み出しました」と大きく書かれていなければ評価されないのだ。
僕が、客が喜ぶ顔を見たいし昇格もしたいと願うのなら、いい仕事をすると同時に、給料を決める人間たちにいい顔をしなければならない。
当たり前の話だ。
自分の中の「まじめに黙々と頑張る人間、目には見えないが真の価値を産み出している人間が評価されるべき」というファンタジーが
知らぬ間に、ファンタジーではなくウチの会社でも実際に実現されているものと勘違いしてしまい「妄想」となって僕の行動を毒していたのだ。
「あるべき」を、「あるもの」としたような行動をとっていた。バカだ。
次の昇格人事は一年後。
エロゲ・ギャルゲ(泣きゲーとか細かい話はどうでもいい)・乙女ゲー・BLゲーは総じてファンタジーだろ。
SF作品にするには越えられん壁がある。
スペオペが限度。
無理無理。
サイエンスと関係のない要素が、一要素じゃなく目的になってる部分がある以上、それはフィクションじゃなくファンタジーの色が濃くなるから。
「出せてた時代があった」どころかああいう異世界ファンタジーは今も女性向けラノベレーベルの主要ラインナップだぞ。(あそこまでヘビーじゃないにしても)恋愛絡んでるのも、絡んでないのもある。
むしろ日常生活系のシェアが小さくなった結果、恋愛ものが目立つように見えるんじゃないだろうか。
「設定上彼氏は居るが出てこないor出てもほぼ空気」で思い出したのが、古いし女性向けというわけでもないけど新井素子の「宇宙魚顛末記」。作者が恋愛要素のあるものを書こうとして主人公に彼氏を作ったはいいが、恋愛描写が照れ臭くて書けず、とうとう彼氏は主人公の台詞と電話の向こう側にしか登場しなかったとか。
自分は中学2年の時、初めてテスト勉強が深夜になっても終わらなくて、ふと休憩にテレビをつけたのが二次元趣味に走るきっかけだった。
それから6年間、金銭的に低燃費なライト隠れオタを細々と続けてきて、漫画とかアニメとかゲームとかラノベとか、自分の一部だと信じていて、
このまま、ただ出てきた物を貪っているだけで、それなりに楽しく文化的な生活が送れるものかと思っていた。
現実が気を病むレベルで満たされていない分、ファンタジーでも恋愛でも、サスペンスでもミステリーでもSFでも物語が好きだった。
登場する人物というかキャラクターが好きだった。
それこそ、最初のころは一日中空想に想いを馳せ、向こう側に行くことを夢にしてしまうくらいに。
話の出来は悪くなかったはずだし、感動したはずだった。
ハッピーエンドだ、悪くない。そもそも物語に点数はあまりつけない方だし、大抵は楽しめる。
話が終わった時に自分が置いていかれるような、自分が置いていくような、寂寥感みたいなものはいつでもあった、それが今度は無くならない。
それとは別に、気持ちがついてこなくなって、話が終わってからメシを食えば、トイレに行けば、歯を磨けば、風呂に入れば、それだけで空想から現実に一発で戻ってしまう。
二次元に対する情熱は最初ほど大きくはなくても、6年間で根付いていたはずだった。
それでもそのまま、空想と現実が離れていってしまった。大切にしていた数少ない漫画もラノベも画集もいまは薄汚れたダンボールの中。
6年もずっと続いていたものが、こうも急に無くなるとは思わなかった。
今日から新しいアニメが始まるというのに、もう録画する気にはならない。
そのうち誰かが夢見る機械を作ってくれることを祈りながら。
とりあえず、新聞屋が端折ったのか、本人の知恵がそこまで回らなかったのかしらんが、
現状で丸腰戦略を取った場合、真っ先に日本を占領するのはアメリカ合衆国だと言う事を失念している。
既に国内に米軍は展開済みなんだから、そそくさと占領して、「丸腰戦略は間違いでした」という政権を樹立させるだけ。
中国の歴史書なんて、それこそ過去の為政者は徹底的に咎る伝統がある。
というか、作家と学者を同列に考えてるお前さんのほうがおかしいだろ。
あえて突っ込むが、
その資金を安全に海外まで運んで、きちんと運用されているのか監視し、場合によっては提案をしなければならないのだが、
それらを行うためのバックボーンはどうするのかね?
そりゃ「組織的で暴力的で金も持っているヤクザが武装しているのは何故?」というのと同じで、
武装しているほうが都合がいいからに決まっている。
元の意見(一つ前の増田ね)は「武装解除はファンタジーじゃない」であって、
森永本人はファンタジーとは思ってなさそうなだが、おそらくすぐ実現するとは思ってないだろうし、その点は多くのネット右翼も自分たちの主張がすぐ実現するとは思ってないだろう
本人がファンタジーと思ってるかどうかが重要だと思ってるんなら森永本人がそう思ってる根拠書いてるだろうし、粋かどうかの基準が森永相手とネット右翼相手でダブルスタンダードなんじゃなかろうか
「国際政治学者によるきちんとした政策提言じゃないから突っ込むな」という理屈だとほとんどのネット右翼のことも突っ込むなってことになるのでは?
ほとんどはマスコミに出れることもないから森永より圧倒的に小さい影響力しかなく、学者ですらないやつばかりなんだし。
それに実現可能性がない点ではネット右翼の言ってることだって大差がない。ネット右翼に突っ込むのもファンタジーに突っ込むようなもんだ。
本当は学識があるかどうかとかファンタジーかどうかとか関係なく、自説と近いかどうかで噛み付いていいかどうかを判断してるようにしか見えない。もっと自分の気持ちをごまかさずに正直な文章にしないと。
だから実現できないって分かってるからファンタジーって書いてるんじゃん。
「世界から戦争がなくなったらステキだね、想像してごらん?」っていうのがイマジンでしょ?
で、「こういう国があったらステキだね、想像してごらん?」っていうのが森永や山口瞳のイマジンだって書いてあるだけだろうに、なぜか中国の陰とかみちゃうんだ(笑)
でも、日本が丸腰だったところでどこも攻めてこないだろうことは、ファンタジーではなく現実でしょ。
イラクや北朝鮮ならいざ知らず、日本ほどの大国を攻め滅ぼすなんて現代では不可能だよ。
もちろん100年200年経って、世界情勢が激変して、
国際社会が第二次世界大戦以前、あるいはもっと前に逆戻りすれば可能性はあるけどさ。
それこそファンタジーじゃない?
尖閣問題のように、端っこのほうで脅しが効かないというのはあるけど、それは今も変わらんのだし。
元日の東スポに掲載された森永卓郎と勝間和代の対談の内容が話題になっている。
森永「私は日本丸腰戦略というのを提唱しています。軍事力をすべて破棄して、非暴力主義を貫くんです。仮に日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればそれはそれでいいんじゃないかと」。
これに対して、いつものようにネット右翼と呼ばれるような人たちが噛み付いて、「中国に国を奪われるだけだ!」だのなんだのと騒いでると。
何がそんなに彼らを刺激したのか知らないけど、落ち着いて考えて欲しい。
これって別にきちんとした政策提言でも何でもなく、東スポの対談だろ。
国際政治学者でもなんでもない庶民派経済学者が夢想するファンタジー。面白いじゃないか。
ネット右翼の方々は例えばジョン・レノンのイマジンにも噛み付いたりするんだろうか?
さすがにそれはないだろうけど、仮にイマジンという曲が現代の日本人アーティストが作ったものなら、噛み付いているかも知れないね。
正月の東スポを飾った「日本丸腰戦略」。これは、森永卓郎による2011年の日本のイマジンみたいなものだと思う。
なるほど、そういう平和な考えも素敵だねって正月くらいは受け止めてみたらと思う。
で、森永卓郎を擁護しておいてこんなこと言うのはなんだけど、こんな提案よりも洗練されたイマジンがある。
それは山口瞳の提案だ。手元に資料がないんで、うろ覚えの要約だけど、だいたいこんな感じだ。
軍事費なんてなくていい。日本が持っている武力を全て放棄するればいい。その代わりにその軍事費を丸ごと世界のために使う。
世界の貧困の解決や平和のためにGDPの1%を毎年使う。これを言うと、必ず反発を受ける。
「そんな甘い考えでは通用しない」、「すぐに外国が攻めて来て日本は滅んでしまう」、「日本人は攻められて殺されてしまう」などなど……
それがどうしたと思う。他所が武力を整えるのに使っているお金を、こっちはそのまま世界のために使っているんだ。
そんな国を滅ぼそうとする国があるだろうか?
「あるに決まっている、世の中はそういうものだ」
と教えてくれる人がいる。だったらぼくは殺されても構わない。そういう国が滅ぼされるような世の中なら生きていたくない。
これを読んでも「自衛隊を止めたら失業者が……」とか「お前だけ勝手に死ね」とかいうのはファンタジーに突っ込みを入れるようなもんだということを分かって欲しい。