はてなキーワード: クラスメートとは
なんでのび太はジャイアンを殺さないんだ?(道具を使って誰にも知られないように・罪にならないように)とか聞かれるとうまく説明ができないのに似てるかな
治天の君、なんて用語を理解できる程度までにウィキペディアを読み進めれば元増田の疑問はとけるんじゃないかな。
簡単にひとことで説明できればいいんだけど、ちょっっっとムズいな。
って前提でつくってるところあるからなあ。
例えるならドラえもんとかドラゴンボールとか日本人なら誰でも知ってるようなものを再アニメ化(リメイク)してるっていう感覚に近い。
さらに例えるとそのリメイクでは主人公がのび太ではなくて、未来が見える眼を持った女の子が主人公なんだ。
で、その主人公は出来杉君とかそのへんと仲良くて、のび太とかジャイアントはクラスメートなんだけど距離があって、あまり直接的には描かれない。
でも、ときおりジャイアンにのび太がいじめられているシーンとか、のび太がドラえもんの道具でジャイアンに逆襲するシーンとかをお話の中でところどころに挟むんだ。
ちょっと離れた視点で事実の羅列のように出来事だけを描いていくというか。
で、そのアニメを見た人に、なんでのび太は(道具を使って誰にも知られないように・罪にならないように)ジャイアンを殺さないんだ?とか聞かれるとうまく説明ができないのに似てるかな。
しまちゃん家にはパパが二人いる。能天気でマイペースな茜パパと、理性的で優しい葵パパだ。
そんな二人に愛されすくすくと健やかに育ったしまちゃん。ところが、授業参観の後、パパが二人いてママがいないなんて変だとクラスメートに言われてしまう。
「変じゃない」と言い返したしまちゃん。だが、しまちゃんは自分の家族に何の不満もないものの、茜パパと葵パパがどうして結婚したのか、ふと疑問に思ったのだった。
授業参観の帰り道にパパ二人に疑問を投げかけたしまちゃんに、茜パパが葵パパとの馴初めを語ってくれた。そう、初めての出会いは、葵パパの「秘密基地」で……。
オメガバース作品。オメガバースとはなんぞ? というのは、ググれば私の説明よりもよっぽど解りやすい図解がいくつも出てくるので割愛。
私は普段、ツルツルテカテカな絵柄のビーボーイコミックスってあまり読まないんだけれども、表紙が助平じゃない作品は当たり率が高いという個人的観測により、試し読みを読んだ。そしたらパパ達の過去話の出落ち感が気に入ってしまい、購入してしまったという次第。実際のところ、わりと当たりだった。
オメガバース設定の作品は性質上悲惨になりがち……特にΩのほうが。そして悲惨な暮らしぶりのΩが理解のある彼くんに出逢って幸せになるというのがよくあるパターンのようだ。
だが、本作は型破りなストーリーだった。つまり、野性の本能に振り回された挙げ句の不幸展開ではなく、αもΩもそれぞれ本能を抑え着けてお互い相手を気遣って着々と幸せになっていったという、そんな結婚生活の序章話。
このご時世なんで、なるべくポリティカルコレクトネスに配慮したストーリー構成なのだろうか……。BLという時点で男性同性愛者の性的搾取だろけしからんと言われたら終わりだけれども。まあ、Ωが一方的にヤられて不幸になる話よりはストレスなく読めていいと思った。
茜と葵の若い頃に使っていたガラケーの型からして、彼らは00年代半ばくらいに高校生だった模様。ということは、現在は見た目は若いけど30代半ば。で、娘のしまちゃんが小学校低学年ぽいので、彼らはガチで計画的人生を歩んできたことがわかる。芸が細かい……。
とはいえ、エロシーンはエロい。別にエロがエロいのは悪くないけど、個人的にあんまり受けが派手にトロ顔するのは好きじゃないんで、そこだけは微妙と思った。
あ、これはネタバレになるけど、彼らはちゃんとゴムは着けていたというのが後のページに書かれていて、そんな後出し設定をだされてもなと思いつつ、ページを遡ってみたら、ほ、本当にゴムして致している!? それを修正が入らないように描くだなんて、なんつう芸と配慮の細かさなんだ……。半端ねぇ。
オメガバース設定はその性質と物語のよくあるパターンから、ずっとBL読みからも批判され一部からは嫌悪されて来たのだけれども、批判される部分を全て排除した作品も出て来るとは……。これもまた業界の自主的表現規制のたまものかと思えば、良し悪しだなぁ。そもそも、女性向けの作品で今時は古風な嫁入り譚とかが書きづらくなってきたというのも、オメガバース等特殊設定が流行った原因の一つだと思うので、オメガバまでクリーンになると行き場のない物語の受け入れ処が更になくなってしまうのでは。
この世ならざる者をホイホイ拾い、しかもまぐわうことで相手を成仏させるという特殊スキルを持った若者・左近桜蔵(さこんさくら)を主人公とした短編~中編連作集。シリーズは『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』『その花の名を知らず』の全部で四作品が刊行されている。
大学生の桜蔵は、父方の祖父の墓参りに行く為にバスに乗った。そこで彼はまた自分が異界に迷い込んだことを察知し身構えたが、起きたのはなんと交通事故。
そこで物語は四年前、彼が高校に上がる春に遡る。祖父の遺品を祖父の縁者に形見分けをする際、遺品の一つが函だけを遺して中身がないことが判明。桜蔵は無くなった茶碗〈ざくろ〉探しの手伝いをすることになった。桜蔵は〈ざくろ〉の手がかりを求めて、祖父の生家・白鳥家の家系を辿るが……。
『さくら、うるわし』までは幻想小説の体だったが、『その花の名を知らず』はそこにミステリー要素が加わる。といっても、殺人など事件が起きて主人公がその解決にのり出すという話ではない。テーマは茶碗〈ざくろ〉の行方探しというよりは、茶碗探しにかこつけて桜蔵と血の繋がりのない父親・柾の系譜を遡り、彼らの因縁を解き明かすことにある。
そもそも、『左近の桜』シリーズのはじまりは、桜蔵が柾に懐いた疑問、「どうして柾は子どもを持つことにしたのか」なので、今回もまたその謎に、一族の系譜を紐解くことで迫ろうということのようだ。
私はずっとこのシリーズをなんかよくわからん幻想小説と思って読んでいたので、物語にミステリー要素があるということを完全に見逃していた。なんなら、あれだけ頻繁に登場しまくる柾をただの味のある脇役くらいに思っていたりとか……。なんだかなぁ、すごい訳わかんない話だけどなんなのこれ? と。
ところが、最新作『その花の名を知らず』を読んでみて、既刊とテイストが違いミステリー要素があるのは一体何故なのかと不思議に思い、それから、万葉集などの和歌や謡曲などの引用があるのが気になった。もしかすると、このシリーズは単なる思いつきとインスピレーションで書かれた幻想小説というより、何らかの大仕掛けが仕込まれた大作なのでは? と思い付いて、シリーズ一作目から全部読み返した。ああ疲れた!
細かいことは全部省くけど、『左近の桜』ワールドには「蛇性」というかつては水神を祀っていた一族……その者達自身が蛇あるいは水神なのかも……と、その伴侶となる「女」の血筋があって、前者が柾の家系、後者が桜蔵の血筋のようだ。桜蔵の育った左近家は、何故か「女」の血を継いだ男の子を、養子にするなど何らかの形で代々引き取ってきたらしい。
「蛇」も桜蔵の血筋(おそらく、『左近の桜』に出てきた「とても長生きな蜃=龍の子ども」というのがこれだ)も長寿だというが、家系図をみれば、柾の先祖にも桜の先祖にも誰も度を超えて長生きした人物はいない。「長寿」というのは、血統が絶えることなく長く続いているという意味なのだろう。
そもそも、タイトルおよび主人公の名が「左近桜」に由来している。左近桜は京都御所にあるとても長い歴史を持った桜だが、すごく長生きな一本の木なのではなく、枯死するごとに新しい桜を植え替えて守り続けて今に至るものだ。『左近の桜』シリーズにおける「長寿」も、そういう意味での長寿なのだと思う。
まあそういうわけで。桜蔵は「蛇」の伴侶になる「女」で、彼の戸籍上の父親の柾は「蛇」だ。柾は過去に彼の最愛の「女」を亡くした模様。そこで柾は桜蔵を自分のあたらしい「女」にするべく桜蔵を育て、彼が大人の「女」になるのを待っているのか、それとも単に「女」を育てるのが自分の役目と思って育てただけなのかは、『その花の名を知らず』でもまだ不明。
まあ、柾×桜蔵というカップリングが成立するのかどうかってとこだけど、年齢差が20歳以上もあるから、どうなるんだか。
『その花の―』はストーリーの大部分が桜蔵の子ども時代の話で、柾と桜蔵が親子らしくキャッキャしているシーンが微笑ましくてよかった。それを読まされると、あーこの二人がカップリングになることは無いかもしれんなぁーという気もしてくるけども。
「猫飼停」と呼ばれる豪奢な屋敷に棲む兄弟達のもとへ、とある必然によって引き寄せられた男達のなんやかんや。
『左近の桜』シリーズみたいに深い謎があるわけではない、肩の力を抜いて読めるちょっとえっちなBL短編連作小説だったー。
猫シッターのアルバイトのつもりがセックスのポジション的な意味で猫にされてしまう大学生の話から始まったので、猫飼停に住まわされて客を取らされる話かなあと思ったら別にそんな話ではなかった。
BL要素以上に、猫飼停の和洋折衷の豪華絢爛な内装や調度を想像するのが、とても楽しかった。
今回はこれまで。最近某BLレビューサイトのくじが当たらないし、長野まゆみ先生の新刊待ちでBLに使えるお金が乏しいので、BL日照りだ……。
人前で発言するのが元々すごく苦手なのだけど、この"苦手"というのは"嫌だ"とか"できれば避けたい"とかそういうのではなく、感情としては"恐怖"なんですよね。
特に怖かったのが出欠。
国語の教科書のひと段落を読む、とかなら、出だしミスっても調整する長さがあるからいい。
「〇〇さん」「はい」のこの返事。たったの2音。自分の喉からどんな音が出るか予想もできない。
裏返ったらどうしよう。いがらっぽくなるかもしれない。充分な声量が出なくて「…あれ?〇〇さん、休み?」とか言われて「あ、はい!」って答え直した声が、声の通るクラスメートの「えー〇〇さん来てたよー?」に被ってちょっと視線が集まったりなんかしてひたすらに恥ずかしくなったらどうしよう。逆にバカみたいな音量の「はい」が出ちゃったら「あいつ何急に?え、てかそんなでかい声出るの?ウケる(笑)」とか思われるかもしれない。そしたら明日から学校休もう。
伊藤さんとかから始まって、少しずつ自分の名前が近付いてくる恐ろしさったらもう。名字がサ行だからよかった。マ行だったら自分の番が来るまでに汗かきまくって息苦しくて、きっと発声にも悪影響が出たに違いない。
これ、自分の中では当たり前の恐怖だったのだけど、他の人も同じように怖がっていたのだろうか?
主人公の平良一成(ひら かずなり)は吃音があるせいで思うように喋れず、人間関係で躓きがち。そのため、子供の頃からボッチで、スクールカーストの最底辺を、自らの存在感を消して目立たぬように生きてきた。
ところが高三の春、新学期初日のホームルームにて、自己紹介の最中に吃音が出てしまい、悪目立ちしてしまう。だがその時、クラスメートの清居奏(きよい そう)が遅れて教室に入って来たことにより、クラスの面々の注目が清居に移り、平良は難を逃れた。同時に、平良は清居の美しさに目が釘付けになる。
新学期初日に悪目立ちしたせいで、スクカー上位からパシリにされるようになった平良。だが、厄介事に見舞われる度に清居の気紛れに救われる。清居の気高さと圧倒的強さに平良はますます心酔し、のめり込んでいく。
小説原作の映像作品は、大体原作には敵わないと私は思うんだけれども、やっぱりこれもそんな感じ。かといって特別つまらない訳じゃないし、駄作とも思わないけど。
平良役の萩原利久、清居役の八木勇征、どちらも演技が上手いと思った。リアル平良と清居だなぁー。
ダンススタジオまでストーキングしてバレるシーン後の、神社で話す場面が好き。レッスンで汗をかいた清居のために、好物のジンジャーエールの他にポカリまで買って来て、若干ドヤり気味の平良。平良なのにキョドってない!? 原作の平良はねっとりとした陰気キャラだったけど、ドラマ版の平良は純朴系な感じだ。軽くだれおま感あるけど、まぁこれはこれで……萩原利久、かわいいからいいかなぁー。
清居の暴君ぶりが実にリアル。スクカーキングの不良ムーブが板につきすぎていて怖いくらいだ。臨場感溢れる胸倉掴みには、震え上がってしまう。
なんだかんだ、ドラマの平良は余りきもくない路線で行くのかなーと思いきや、エンディングテーマが流れ始めたところで、急に予想外のきもさを発揮しだすとか! え、きもいって、そういう意味での!? ままま、清居の写真でオナり始めるとかやめて! 深夜枠だけど一応テレビだぞwwwwwww
ところで、オープニングテーマとエンディングテーマ、キャラソンとしてとても良く出来ていて嬉しい。エンディングは歌詞がだいぶどぎつい事書いてあるんだけれども、清居って本当にそういうキャラ。だが、超絶俺様気質に見えて平良に振り回されまくりなのが、清居の可愛いところ。
平良の心の師匠。アヒル隊長が笑顔でドブ川の流れを悠々と流れて行く様を見た平良は、以来、いつも心を平らかにし、アヒル隊長のようであれ、と念じて生きている。
決してただの吝嗇ではない。清居から貰ったものを大事にしているだけの行動。清居から貰ったお金を入れるに相応しい素敵な容器として、フラスコ型のオサレな容れ物を、平良は物置きからわざわざ探しだしてきた。
原作では、清居がくれた500円玉を平良は遣わず後生大事に取っておいている(つまり、清居の飲食代は平良が自腹で払っている)。500円玉貯金がドラマ版では小銭貯金に変更されたのはおそらく、500円玉はフラスコに入らなかったとかいう理由なんじゃないかなと思う。
きっかけはエロサイトで見つけた女優。最初のインタビューで「人妻です。亭主とはもう単なる家族で、セックスは燃えない」といった話をするのだが、本当にそういう立場の人が本心で語っているように見える。ところが、これは嘘。「AV女優のみなさんに聞く」といった内容のネット番組に同じ人が違う名前で出演し、まったく違うことを話していた。そのときはバラエティなので、AV女優の道に進んだ経緯などを本心から話していた。
私には「人妻です」と語るこの女が、内心をさらけ出しているように見えた。バラエティ番組でも同じことを感じた。2つの番組で言っている内容が異なるということは、どちらかで嘘をついたことになるが、私にはどちらが嘘なのか見分けがつかない(両方嘘の可能性もある)。こういう人こそ演技が本当にうまい人なのではないか。ロバート・デ・ニーロや笠智衆が「人妻です。亭主とはもう…」というセリフでここまで自然な演技ができるだろうか。
もうひとつ、ネット配信で見た少女麻雀映画。誰も出演者の演技力など気にしないような作品だが、その中に、登場人物のクラスメートとして、本物の女子高生らしき人物が2人登場する。他の人物が演劇学校で教えるような発声でしっかりした演技をしているのに対して、2人は普通の発声で演技をしていた。たどたどしく見えるが、これは本物の教室で交わしているような会話が、演技メソッドから外れているだけなのだ。同じ作品に、大会会場のさえない警備員のおっさんがほんの一瞬映るのだが、これもロケ会場の警備に駆り出された本物の警備員のおっさんを映したのであろう。ある意味肉体労働なので時給は悪くないが、土砂を運ぶ力はなく、建設機械を使う資格もないという理由で警備のバイトに応募する人がよくいる。まさにそういうおっさんなので、リアルであることこの上ないのだが、映画の文法に照らしてみれば不自然な存在だ。
ビートたけしが言っていた。「よくリアルな喧嘩のシーンが良かったなどと言われるけど、リアルな喧嘩は一発殴って終わり、殴った方も指の骨が折れる」。つまり私達がリアルと思うものはスクリーンの中のリアルであり、現実社会のリアルとは別のところにある。
AV女優の演技力を数値化するなら、さまざまな出自の女性の役で作品を撮影し、どの作品の中で語っていることが本当なのかを100人に予想させれば、正解率が目安になるのではないだろうか。
exciteB アラフォーっぽい自意識過剰(さらに結論が宮崎駿的なアレ)。2ちゃんのせいか。「同世代よりひと周り古いOS」が入ると本当に苦労するのでバージョンアップしたほうがいい。
見た瞬間なぜか殺意が沸いたが、同時に上手い表現だなと思った。
なんか文末の発狂のせいでブクマカ共に叩かれてるけど、そこ抜きにしてみれば立派なエロゲーマー、古典深夜アニメ好きといった感じで、素晴らしいことだと思う。
自分もほぼ同い年の25歳で、居た場所でいえば元増田ことシン26歳(価値観が新しいとは言っていない)寄りの人間なのだけれど、上のような夢中になったモノがあまり無い、虚無の人間で最近悲しくなることが多い。
何故虚無の人間になったか振り返ると、多分虚無のネットに時間を使いすぎたからなんだよなぁ。
2ch、ふたばに触り始めたのは中一くらいで、きっかけは忘れた。
今思うと、そこで話題になるコンテンツは本質的にはどうでもよくて、そこに参加していること自体がどうしようもなく楽しかったのだと思う。
なのでオタクっぽいネタやスラング、時事ネタを断片的にかじってそれらしく振舞えるようにはなっても、自分で「好き」を名乗れるほど何かに傾倒したりはしなかった。
掲示板自体に対してもそうだった。ある時はネトウヨっぽい書き込みを茶化したり、またある時はサヨクっぽい書き込みにケチを入れたり、飽きれば政治スレ自体NG(非表示)にしたり。
「バラエティ叩き叩き」みたいな、ネットの声デカ勢力に対する逆張りスタンスも好きだったので、テレビもアニメもニコニコもそれなりに楽しく見ていて、運動会ではEXILEのダンスも楽しく踊り、Kについて熱く語るクラスメートにも自分から話を聞いたりしていた。
でも、それだけだった。「自分、色んなことに理解があって楽しめるねん」というポーズが、掲示板を楽しむ上で一番効率的だったからそうしていただけで、自分の意志で夢中になって我も忘れて打ち込んだことが何もない。
そして、居た場所柄からか、数少ないちゃんと触れたコンテンツが年の割に妙に古く、どの世代にも微妙に共感を得られないという点ではシン26歳増田と同じだ。(攻殻は素晴らしいし、イリヤの空で泣いたし、就職した今でも岬ちゃんには来てほしい)
別にネットの影響だけでもないとは思う。親がドラマを見る習慣がなかったり音楽を聴く習慣がなかったりとか、そもそもの自分の性質による点も大きいだろうとは思う。
でも青春の趣味の時間の大半を人に言えない虚無ネットというブラックホールに捨ててしまった結果、同世代どころか誰に対しても雑談の種がないのは結構悲しい。
30代男性です。
そんなレッテル貼りをしたところで何も変わらないんだけど、最近なんか息苦しくて、この生きづらさに理由がほしい。
・テニス部顧問から「強化リーグ出てみないか?」と誘われるも断る。
・夏休みに一定回数プールに行かなければならず友人を誘うが「もうクリアしてるから行かない」と断られ電話先で絶句する。
・中3夏の高校受験模試で商業高校はS判定、進学校はB判定だった。塾講師に「進学校も十分狙える」と言われるも商業高校に進学。
・メールで告白されたが返信しなかった。2週間ぐらいして、その子のクラスメートに責め立てられ渋々お断りのメールを送る。
・反抗期が無かった。
【大学時代】
・ひとつ上の先輩となあなあに付き合い出し、面倒くさくなり連絡を取らなくなる。友人宅にいたところを突撃され別れを切り出された。
・同学年の子となあなあに付き合い出し、面倒くさくなり連絡を取らなくなる。自宅で寝坊したタイミングで突撃され別れを切り出された。
・インターン先の大手SIerから採用試験の案内電話がくるも運悪く取れず。1次面接免除&志望度高かったはずなのに折り返さずに選考不参加。
・大学時代の後輩となあなあに付き合い出す。PHSを契約するも自分からは全く電話しない。
【社会人以降】
・↑の後輩と遠距離恋愛となるが、自分からはほとんど電話しない。そして別れを切り出される。
・合コンで連絡先を交換した子から遊びに行こうと連絡が来るも、返信せずに終わる。
・現妻(お互い社外人)となあなあに付き合い出す。
・プロポーズを実行しようと奮い立つも、部屋でボソっと「結婚しよう」と言うだけ。ノーサプライズ。その後具体的なアクションを起こさず、痺れを切らした妻に促され両親に挨拶に行く。
・業務上の電話で秘密にするようなことでもないのに、周りに話声が聞こえていないか気になる。毎回ではないが、気になりだすと止まらない。
・転職の面接と内定辞退を繰り返す。将来に危機感を抱いての行動だが、いざ内定をもらうと新しい環境にビビって撤退している。
・そして転職したいことや内定もらったことを妻に相談できない。
【その他】
・とにかく電話が嫌い。何をするにもまずWeb手続き、問い合わせができないかを確認する。
・友人と歩いているときに、別グループの友人と会うとめちゃくちゃ居心地が悪い。
こうして振り返ると、どう転んでも幸せにはなれなさそうな人生だなぁ。
ただ、本で紹介されてるような酷い家庭環境では無かったし、成人期迎える頃には寛解することが多いらしのに、むしろ最近になって気になりだしたから、ただのクズなのかもしれない。
周回遅れの話で申し訳ないんだけど、「鬼滅の刃 流行った理由」でググっても、性別に言及した記事が見つからなかった。
女性である作者がかなり意識的にやってることだと思うんだけど、徹底的に男女が同列に扱われてる。主人公は兄妹だし、柱も同期剣士も鬼もサポメンも男と女が共存し、更には通信役のカラスまで ご丁寧にもオス・メス設定がある。
恋愛ものはさておき、ここまで男女が対等に扱われてるマンガって他にある? この設定のおかげで、兄妹・姉弟、男女のクラスメートが同じ話題を共有することができたおかげで 流行ったんじゃない? ドラゴンボールやセーラームーンを異性間で話題にすることってかなりレアだったと思う。少年マンガ・少女マンガの垣根を取り払ったのが画期的だったのでは?
は事実関係の明確化を第一として,説明義務を怠った責任を認め、被害者への無思慮を反省する内容になっている。
内省的な描写は省かれており、おそらく受ける印象は異なると思う。ざっと翻訳したから日本語の謝罪文と比べてみてね。
2021年7月、学生時代に同級生をいじめていたと雑誌のインタビューで過去に発言したことが報道され、東京オリンピックの開会式のクリエイティブチームを辞任しました。オリンピックが終わった今、事実関係を明らかにしたいと思います。
きっかけとなったのは、今から27年前(1994年と1995年)に『ROCKIN'ON JAPAN (1994年1月号)』と『QUICK JAPAN (1995年8月号)』という2つの雑誌に掲載されたインタビュー記事で、私が小中学生の頃に経験した学校でのいじめについて語るという内容でした。
大々的に報道された『ROCKIN'ON JAPAN』の見出しには、私がクラスメートに糞尿を食べさせたり、自慰行為をさせたりしたと書かれていました。私は同級生にそのような行為を強要したこともなければ、そのような提案をしたこともありません。
インタビューの中で、私は自分の成長過程や学校に通った経験について話しました。
その中で、小学校からの帰り道、クラスメイトの一人が道端に落ちていた犬の糞を「食べられる」と冗談で言い、拾って口に入れ、すぐに吐き出した話をしました。その行為を行った彼本人を含め、そこにいた子供たちは皆笑っていました。
もうひとつの話は、同級生に自慰行為を強要したことですが、これもやっていません。加害者は年上の上級生で、私たちに威圧感を与えていました。私はそのインタビューの中で、学生時代に自分のモラルの限界を超えた非道な暴力を目の当たりにし、その人たちから距離を置くようになったことを話しました。
インタビューではそのようなことを話しましたが、掲載された雑誌には「同級生に暴力を振るった」という誤解を招くような見出しがついていました。事前に『ROCKIN' ON』の原稿をチェックすることができなかったので、記事を目にしたのは発売後でした。事実と異なる内容にショックを受けましたが、当時の私には訂正すべきだと考えるに至るほどの分別がありませんでした。今にして思えば、『ROCKIN' ON』で直接、誤解を解いておけばよかったと後悔しています。
『QUICK JAPAN (1995年8月号)』のインタビュー記事で、いじめをテーマにすることに同意したのは、私が誤った情報を正したいと思っていたからです。いじめをテーマにした出版社の企画や意図は、現在の私の理解では、被害者や同じ立場の人の気持ちへの配慮を欠いた非倫理的なものだと思います。しかし、当時の私はそのようなことは考えずに取材に応じ、自分が子供の頃に目撃したことを話しました。
この2つの雑誌が出版された後、あたかも私が陰惨な暴力行為の加害者であるかのように編集されたブログ記事が掲載されました。『QUICK JAPAN』のインタビューでは、暴力行為は私が行ったものではないと明確に述べられているにもかかわらず、この誤った情報は様々なフォーラムやSNSで拡散され、現在ではほとんどの報道のニュースソースとして使用されています。
私は、この2つのインタビューにおける私の話し方が下品で不適切であったことを完全に認めています。このような恐ろしい出来事を持ち出したこと、そして、いじめ被害者の個人的なトラウマを世間に晒すことでいじめ被害者に与えることになる屈辱、痛み、苦しみへの無思慮について、関係者の皆様に心からお詫び申し上げます。
20年近くにわたってインターネット上に流布していた私についての誤った情報について、説明や訂正のための適切な行動を取らなかったのは、私自身の責任であると考えています。その結果、同級生やそのご家族、同じ経験をされた方々に二次的な被害を与えてしまったと考えており、本当に申し訳なく思っています。
恥ずべき私の過去の態度が表れてしまった、過去の私の行動、および記事の中での言動を、深く反省しています。この20年間、私はより広い視野で物事を考え、社会との関わり方や貢献の仕方を意識するようにしてきました。今後は、個人として、音楽家として、これまで以上に反省していきたいと思います。