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はてなキーワード: 首位打者とは

2024-11-09

anond:20241105104834

野球において、パ・リーグセ・リーグの両方の球団三冠王を達成した選手はいません。

三冠王とは、野球の1シーズン首位打者打点王本塁打王の3つのタイトルを独占した選手を指します。

増田グーグル、嘘をついてるのはどっちだ

2024-11-05

日本プロ野球の発展に貢献した引退選手10

日本野球界の黎明期から現代に至るまで、各年代活躍し、日本プロ野球の発展に貢献した引退選手10人をバランスよく選出しました。

1. 沢村栄治 (Eiji Sawamura) - 1930年代

理由: 日本プロ野球の草創期における伝説的な投手1934年日米野球では、メジャーリーグオールスター選手相手三振を奪う大活躍を見せました。彼の名を冠した「沢村賞」は、日本球界の最高の先発投手に贈られる名誉ある賞として知られています

2. 藤村富美男 (Fumio Fujimura) - 1940〜50年代

理由: 「初代ミスタータイガース」として親しまれ、強力なバッティングと圧倒的なリーダーシップ阪神タイガースを牽引。1949年には打率.362で首位打者を獲得し、後進のプレーヤーに大きな影響を与えました。

3. 金田正一 (Masaichi Kaneda) - 1950〜60年代

理由: プロ野球史上唯一の400勝投手として日本球界に大きな足跡を残した左腕投手。力強い投球と独特の投球スタイルファンを魅了し、投手存在価値を改めて示しました。

4. 長嶋茂雄 (Shigeo Nagashima) - 1958年デビュー、1960〜70年代

理由: 日本の「ミスタープロ野球」として巨人の中心選手として活躍長嶋カリスマ性とプレー球界全体に影響を与え、彼の存在日本野球界の人気を底上げしました。監督としても巨人軍を率い、数々のタイトルを獲得しました。

5. 王貞治 (Sadaharu Oh) - 1960〜70年代

理由: 通算868本塁打という世界記録を持つ、野球界の不動の存在。王の卓越したバッティング技術勝負強さは日本野球象徴であり、引退後も監督野球指導者として多くの後進を育てました。

6. 張本勲 (Isao Harimoto) - 1960〜80年代

理由: 日本プロ野球史上最多の3085安打を記録し、巧みな打撃技術歴代最高のバッターの一人とされます。その記録は多くの選手にとって「打撃の到達点」として目標となり続けています

7. 山本浩二 (Koji Yamamoto) - 1970〜80年代

理由: 広島カープの中心選手として、通算536本塁打を記録し「ミスター赤ヘル」として親しまれました。日本代表監督としても指導力を発揮し、国際舞台での日本野球の強化にも貢献しました。

8. 江川卓 (Suguru Egawa) - 1980年代

理由: 「怪物」と称される実力で、特に三振を奪う圧倒的なピッチングファンを魅了しました。巨人軍のエースとして活躍し、彼のピッチングは多くの日本投手の手本となりました。

9. 野茂英雄 (Hideo Nomo) - 1990年代

理由: 日本プロ野球からMLBへ直接進出し、新しい道を切り開いたパイオニアトルネード投法大リーグでも成功を収め、その後の日本選手メジャーリーグ挑戦を後押ししました。

10. イチロー (Ichiro Suzuki) - 2000年代

理由: 日米で計4367安打を記録し、MLBでの成功日本プロ野球での実績の両方を持つ数少ない選手。彼のストイックプレースタイルと実力は、野球界に新たなスタンダードをもたらしました。

時代を通じて、日本プロ野球の発展に貢献したこれらの選手は、それぞれの時代ファンに愛され、日本野球歴史に深く刻まれています。また、彼らの活躍次世代プレーヤーたちに多大な影響を与え、日本球界現在地位に導く力となりました。

日本野球界で最も重要選手10

1.金田正一(カネやん)

2.野村克也ノムさん

3.長嶋茂雄ミスター

4.王貞治世界の王

5.落合博満Mr.三冠王

6.野茂英雄トルネード投法

7.イチロー鈴木一郎)

8.松井秀喜ゴジラ

9.ダルビッシュ有(@faridyu)

10.大谷翔平二刀流

2024-09-30

打者に専念して守備もしてないのに、首位打者も取れず、200安打にも届かず、55本塁打にも届かず、盗塁リーグ2位、日本人が大騒ぎしたわりには、なんとも残念な結果に終わったな

2024-05-16

ビシエド立浪の打撃指導を受け入れなかったから 目の敵にされてる

普通に考えたら、中田は休養が必要なわけだから

ファーストGG賞ベストナイン首位打者経験もある

ビシエドと併用するのがベストだと思うんだけどな。



ビシエド立浪の打撃指導を受け入れなかったか

目の敵にされてるん節があるんだよな。



去年の今頃も外国人で一番成績いいのに

1か月で2回も二軍に落とされたから。。


記者に対しても『アルモンテの方が一番手』とか『衰えていることに気づいていない』、『あんなに突っ込んでたら打てないと思いません?』とか

チームに何のメリットがあるのか分からない発言ボンボン出してきた。

2023-09-16

野球三冠王の条件に「首位打者」が含まれるのっておかしくね?

本塁打王」や「打点王」と違って首位打者は「王」じゃない。

首位打者の代わりに「盗塁王」を条件にすべきだろ。

2023-03-24

ChatGPTに書かせたい2026 WBC

あなたは偉大な作家です。以下のプロット近未来野球小説を書いてください。

2022-08-31

anond:20220831104800

色者扱いされるけど、バリバリの現役メジャーリーガーやで

1984年に35本塁打マークするなど、日本でもレギュラーの一人としてチームを牽引した。

1986年には打率.363を記録したが、この年は阪神ランディ・バース日本プロ野球記録である打率.389を記録したため、首位打者を獲得できなかった。シーズン打率が.360以上を記録しながらも、首位打者になれなかったのは、現在までクロマティただ1人である

1988年ヤクルトスワローズとの開幕戦巨人選手では東京ドーム第1号となるホームランを打つ。しばらくは不振原辰徳に代わり4番を任されるなど好調を維持していたが、6月13日阪神タイガース戦で久保康生から指に死球を受けて骨折してしまたことで、残りのシーズンを棒に振った。チームの最終戦10月4日横浜大洋ホエールズ戦には、尊敬する王貞治監督ラストゲームを見届ける為にベンチ入りしていたが、試合には出場しなかった。

1989年、4割を打って引退すると宣言。開幕から長打を捨ててヒットを量産し[注 1]、シーズン規定打席403打席(当時は130試合制であったため規定打席数は試合数×3.1の403打席数であった)に到達した時点で打率4割を超えていた。最終的な打率は.378まで下がり[2]、4割打者誕生はならなかったが、首位打者を獲得した。96試合まで4割を維持したのは広瀬叔功の89試合を抜くプロ野球最長記録であり、.378は巨人球団歴代最高打率である首位打者に加え、.449で最高出塁率の二冠のタイトルを獲得。20勝を挙げたチームメート斎藤雅樹を抑えてMVPも受賞した。

2022-07-31

VTuberに飽きかけている

2018年頃の、今まで配信者としてバリバリ活動してきたわけではないんだろうなって人達が、手探りで成長していく過程を見るのが好きだったんだよ。

これは馬鹿にするつもりはないんだけど、VTuberって決して一線級の才能溢れるエンターテイナーがなろうとするもんじゃないじゃん?

だって自分能力だけで食っていけるような天才あん得体の知れないものになるメリットないもん。

高校野球とかプロ野球の二軍みたいなもんで、適度にレベルが低いから成長を実感しやすくて、「箸にも棒にもかからなかったあいつがよくぞここまで」っていう感動があったんだよな。

でも、今はVTuberになりたがる人間も増えて、最初からそれなりに活動できる人が集まってきちゃうんだよ。

それ自体VTuber地位が向上しているってことだし、いいことなんだろうけど、即戦力だけじゃなく素材型もいっぱいいてほしい。

俺の最推しはホロライブの大空スバルで、これがもうデビューして半年ぐらいはとんでもなかったのよ。

1時間雑談配信します!→30分しか経ってないけど話すことなくなったからもうやめるね〜!とか平気でやってた。

かつて頻繁にコラボしてたにじさんじの舞元啓介から出会ったばかりのお前のことは人間だと思っていなかった。四足歩行怪物だと思って接していた」って言われるレベル

でもその四足歩行怪物人間になっていく過程面白かったんだよな。

俺は新興の企業勢だったり個人勢は結構チェックしてる方だと思うし、その中で推せるなっていう人も何人か見つけてはいるんだけど、やっぱあの頃の「まだ何者でもない得体の知れない人間が何者かになっていくワクワク感」には至ってないんだよ。

また野球の例えになっちゃうけど、ドラフト1位で入ってきた吉田正尚とか森友哉首位打者になっても、そりゃいつかはそうなるだろってあんまり驚かないけど、下位指名角中勝也とか佐野恵太だったら面白いじゃん?

というわけで、誰かオススメVTuberがいたら教えてください。

デビューしてそう時間が経ってなくて、配信者としての完成度は低いけど一芸(できれば歌とかゲームの上手さみたいなすでに評価されているもの以外)があるからこれから伸びるかもよって感じの。

まぁ、VTuberを5年以上見てりゃどこかで冷めるタイミングはあって当然だし、他にも趣味はあるからいいんだけど、このままフェードアウトするのも寂しいので。

2021-07-21

改変内川コピペ (自作

まずは元ネタ

本拠地横浜スタジアムで迎えた中日

先発三浦が大量失点、打線も勢いを見せず惨敗だった

スタジアムに響くファンのため息、どこからか聞こえる「今年は100敗だな」の声

無言で帰り始める選手達の中、昨年の首位打者内川は独りベンチで泣いていた。

WBCで手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できるチームメイト・・・

それを今の横浜で得ることは殆ど不可能と言ってよかった

「どうすりゃいいんだ・・・」内川は悔し涙を流し続けた

どれくらい経ったろうか、内川ははっと目覚めた

どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たいベンチの感覚現実に引き戻した

やれやれ、帰ってトレーニングをしなくちゃな」内川は苦笑しながら呟いた

立ち上がって伸びをした時、内川はふと気付いた

「あれ・・・?お客さんがいる・・・?」

ベンチから飛び出した内川が目にしたのは、外野席まで埋めつくさんばかりの観客だった

千切れそうなほどに旗が振られ、地鳴りのようにベイスターズ応援歌が響いていた

どういうことか分からずに呆然とする内川の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた

セイイチ守備練習だ、早く行くぞ」声の方に振り返った内川は目を疑った

「す・・・鈴木さん?」 「なんだアゴ、居眠りでもしてたのか?」

「こ・・・駒田コーチ?」 「なんだ内川、かってに駒田さんを引退させやがって」

石井さん・・・」  内川は半分パニックになりながらスコアボードを見上げた

1番:石井琢 2番:波留 3番:鈴木尚 4番:ローズ 5番:駒田 6番:内川 7番:進藤 8番:谷繁 9番:斎藤隆

暫時唖然としていた内川だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった

「勝てる・・・勝てるんだ!」

中根からグラブを受け取り、グラウンドへ全力疾走する内川、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった・・・

翌日、ベンチで冷たくなっている内川が発見され、吉村村田病院内で静かに息を引き取った




改変

首相交代、コロナ禍で迎えた1年遅れの東京オリンピック2020は

殆どの会場での無観客試合が決定、頼みのワクチン効果もあまり出ず内閣支持率も下がり続けていた

政府自民党内に響く閣僚党員のため息、どこからか聞こえる「衆議院惨敗だな」の声

無言で帰り始める議員達の中、総理大臣 菅義偉は独りベンチで泣いていた

第二次安倍内閣で手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できるマスコミ報道・・・

それを今の自民党で得ることは殆ど不可能と言ってよかった

「どうすりゃいいんだ・・・」菅は悔し涙を流し続けた

どれくらい経ったろうか菅は はっと目覚めた

どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たいベンチの感覚現実に引き戻した

やれやれ、帰ってパンケーキを食べなくちゃな」菅は苦笑しながら呟いた

立ち上がって伸びをした時、菅はふと気付いた

「あれ・・・?お客さんがいる・・・?」ベンチから飛び出した菅が目にしたのは、玄関まで埋めつくさんばかりの観客だった。

千切れそうなほどに旗が振られ、地鳴りのように自民党の党歌が響いていた

どういうことか分からずに呆然とする菅の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた

菅さん記者会見頼みます」声の方に振り返った菅は目を疑った

「あ・・・安倍さん?」  「なんだガースー、居眠りでもしてたのか?」

「た・・・谷垣幹事長?」  「なんだ、かってに谷垣さんを引退させやがって」

「二階さん・・・」  菅は半分パニックになりながら閣僚名簿を見上げた

内閣総理大臣安倍 財務大臣麻生 厚生労働大臣田村 外務大臣…岸田 官房長官…菅

暫時唖然としていた菅だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった

「勝てる・・・勝てるんだ!」

加藤から原稿を受け取り、官邸へ全力疾走する菅、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった・・・

翌日、官邸椅子で冷たくなっている菅が発見され、吉村村田病院内で静かに息を引き取った。

2020-12-23

anond:20201223113032

1990年代暗黒時代阪神投手

先発: 仲田幸司 野田浩司 猪俣隆 中込伸 湯舟敏郎 薮恵一 川尻哲郎

中継ぎ:田村葛西、弓長、伊藤

暗黒時代阪神は、投手はセリーグの中でもかなりいいほうだった。

先発陣もそこそこよかったが、中継ぎ陣はとくに優秀だった。

弱いチームなのに中継ぎ陣だけすごくてもしょうがないのだけど。

とくに弓長の安定感は抜群で、もっと優勝争いの中で活躍させたかった選手

打撃が本当にひどく、当時巨人高橋松井普通に3割30本のところ、

3番4番を打つ新庄や檜山が2割台前半の3桁三振だった。

なによりチームの雰囲気ものすごい暗かった。

新庄ですら当時はあまりはしゃがないようにしていた。

はじけたのは野村監督以降。

2000年代横浜が暗黒暗黒と言われるけど、やはり阪神の暗黒ほどじゃない。

金城多村村田、内川と、打線首位打者本塁打王が並んでいて、

和田の右打ち単打しか期待できなかった90年代阪神比べれば

ファンもそこそこ楽しめていたはず。

2018-04-09

江本孟紀プロの目から見た『二刀流』の本当の成功とは、1シーズンを通して先発ローテーションを守って20勝、さら野手として全試合出場出場して、ホームラン王もしくは首位打者などのタイトルを取った時です。」

論破されるのを怖がるあまり認めるためのハードルをやたら上げるやつー

2017-05-04

ここで中日ファンから一言

いまだに9勝、

昨年覇者広島相手に5敗1分

大島首位打者打ってんだい

吉見防御率4点台大野防御率5点台

頼みの綱のゲレーロビシエド得点圏では1割だ

2016-12-01

メジャーリーグ史において最も重要な40人」について調べてみた

メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディアスポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。

The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News

ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。

1位 ベーブ・ルース(1895-1948)

MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。

2位 ジャッキー・ロビンソン(1919-1972)

近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年ドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。

3位 ケネソー・マウンテンランディス(1866-1944)

1920年ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。

4位 バン・ジョンソン(1865–1931)

1900年アメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。

5位 ブランチリッキー(1881-1965)

カージナルスドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。

6位 マービン・ミラー(1917-2012)

1966年エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。

7位 アルバートスポルディング(1850-1915)

スポーツ用品Spalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボール標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。

8位 ウィリアム・ハルバート(1832-1882)

シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグ創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。

9位 ルーブ・フォスター(1878-1930)

黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年ニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。

10位 ヘンリーチャドウィック(1824-1908)

野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。

11位 バド・セリグ(1934-)

元はブルワーズオーナー。MLB選手会オーナーの対立が激化していく中で、1998年実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。

12位 ウォルターオマリー(1903-1979)

ドジャースオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。

13位 ビル・ジェームス(1949-)

1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。

14位 フランク・ジョーブ(1925-2014)

1974年ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。

15位 ハンク・アーロン(1934-)

ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である

16位 ルー・ゲーリッグ(1903-1941)

ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。

17位 ドク・アダムス(1814–1899)

野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的ルールの策定に貢献した。遊撃手ポジション創始者とも言われる。

(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)

18位 バック・オニール(1911–2006)

ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。

19位 ロベルト・クレメンテ(1934-1972)

MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。

20位 ジェームス・アンドリュース(1942-)

肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。

21位 ジョー・ジャクソン(1888-1951)

シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。

22位 ピート・ローズ(1941-)

最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。

23位 ウィリー・メイズ(1931-)

走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。

24位 コニーマック(1862-1956)

1901年アスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である

25位 ハッピーチャンドラー(1898-1991)

上院議員ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナーランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラー進歩的であり、1947年ドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。

26位 オリバー・ウェンデル・ホームズジュニア(1841–1935)

連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。

27位 バーニー・ドレイファス(1865-1932)

1900年パイレーツオーナーとなった。その後のナ・リーグア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。

28位 アレクサンダー・クリーランド(?-?)

スコットランド出身のビジネスマン1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。

29位 テッド・ウィリアムズ(1918-2002)

レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。

30位 デビッド・ネフト(1937-)

大学で統計を学び、1969年スポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーバスケットボール百科事典も編纂している。

31位 トニー・ラルーサ(1944-)

ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックスアスレチックスカージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。

32位 レフティオドール(1897-1969)

MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。

33位 ロイ・ホフヘインズ(1912–1982)

アストロズオーナー1965年世界初ドーム球場アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。

34位 ロバート・ボウマン(1955-)

MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。

35位 マーク・マグワイア(1963-)

1998年サミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年ストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。

36位 カート・フラッド(1938-1997)

1969年カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。

37位 野茂英雄(1968-)

日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。

38位 メリッサラットク(1951-)

1977年ワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイキューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。

39位 ビル・ドーク(1891–1954)

1920年カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。

40位 セオ・エプスタイン(1973-)

2002年レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブス球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。

2016-06-20

1打数1安打バッター見て、「この人の打率10割!首位打者!!!」ってなるか?って話よ。

2016-06-18

MLB】盟友グリフィーJr.氏 イチロー日米通算記録に「“世界記録”は名案」(Full-Count)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160617-00010007-fullcount-base


日米の記録と世界記録

多くが忘れてるが張本も日米通算で記録を抜かれた際、NPB記録はあくまで私ですからイチローを認めていない。

あとご存じの通り彼はMLBNPBよりクソだと思ってるから来年にはMLB単独でもイチロー安打数抜かれそうだけど、それも認めなそう。

実際問題それぞれリーグが違うのだからNPB記録は張本、MLB記録はピートローズというしかないというのが正しいかもしれない。

から世界記録イチローというのが最も正しいだろう。

それにMLBシーズン中に違うリーグ移籍すると年間成績が別々に取り扱われるくらいに記録の集計にデリケートから

国もリーグも違うものは尚更同じ記録扱いにされることを簡単に納得しにくいだろう。


日米のレベルの差と記録の難易度は必ずしも関係しない

賛否両論あれどイチローが日米両リーグに跨がって活躍したことはどちらか単独で記録を作ったのは良かったことだと思う。

イチローのようにそれぞれの国で5年から10年以上にかけて長年プレーしながら通算で記録を達成することはNPBだけもしくはMLBだけで記録を達成するより難しいことだと思われる。

日米のリーグ差の問題はあるが率や安打数においてはリーグとの相性も加味されるし、試合数の差も考えると同等程度か、レギュラーをとれる一流選手であればMLBの方が安打数は多く積み重ねやすいのではないかと思う。

イチローも言っていたがNPBだけで4256安打打つことが一番難しいかもしれない。

NPB記録保持者の張本勲が唯一の3000本以上で通算3085安打王貞治世界記録の868本塁打を打ったが2786安打

755本塁打ハンク・アーロンは通算3771安打。714本塁打ベーブ・ルースは2873安打

そのデータを見るとNPBの方が当時はより球場も狭く投手レベルも低いのでMLbより本塁打数を重ねやすいというのは分かるものの、その点からいうと安打数においてアーロンルースより王の方が少ないというのは少し違和感があるし、20世紀前半以前のMLB記録を抜いて考えるにしてもMLBでは3000安打達成者は最近でもジーターらを始め何人か生まれている。

MLBでは4~6番が主で、イチローのように打席が多く回りやすい1~3番の打順試合に出ることが少なかった松井秀喜でもMLB打率.305を記録した2005年には200本に迫る192安打を記録している。

松井日本ではシーズン167安打が最高だったが、MLBで怪我するまでの1~3年目は全試合出場していることもあり、安打数は日本時代キャリアハイより多い170本以上を毎年記録している。

したがって、それなりに打率を残して試合に出続けられる選手ならばMLBの方が安打数は積み重ねやすいのではないかという可能性が考えられる。


日米のリーグレベルの差の疑問点

日米の単純な野球レベル差というのも議論余地が多少残る。本塁打は明らかに日本の方が打ちやすいことが通算上位の安打数における本塁打率の差からも分かる。

ただそれもトップ中のトップになると四球責めになりやすNPBよりは同じ四球責めを喰らうにしてもやはり試合数が多いMLBの方が有利となるが。ソーサマグワイアボンズ日本でやったら毎年のように60本打てたかというと四球責めで減っていただろう。

実際ボンズは476打数で73本塁打の翌年から勝負を避けられて400前後打数で40本台に減っている。

日本だと試合数が少ないしさら勝負を避けられて250打数で40本とかになっていたかもしれない。


通用しやす選手と当たり外れ激しい選手

また、MLBトップなら誰でも日本MLB時代と同等以上に成功するかというとそれも難しい所がある。

オールラウンドに打てる巧打力があればどのリーグでもそれなりの率を残せるが、得意なコースや球種に偏りがあると日本ではあまり打てないということがありうる。

現役メジャーリーガーでもパワーヒッター系よりミート力の高い中距離打者の方が日本では成功率が高い印象がある。

彼らは信じられないほどの成績を残したりもしないが失敗例は少ない。フリオ・フランコシェーン・マック、元西武フェルナンデスなど。

1980~90年代は日米の年俸が近かったせいもあって意外と今よりもMLBの本当のレギュラークラスが多数来日している。

彼らは十分に日本でもレギュラーとして通用した選手が多いものの、センセーショナル活躍をしたかというと、そういう例は少ない。

特にフランコMLB首位打者獲得を経験しており、全盛時に来日したMLBでもトップクラス選手だが日本での2シーズンは.305 10本、.290 18本とさほど目立つ成績ではなかった。

本拠地千葉マリンロッテ所属したせいで本塁打が少なくなった影響はあるかもしれないが、ほぼMLB時代と同じくらいの成績になっている。

シェーン・マック来日前までのMLB通算打率が.2994というバリバリの一流レギュラー選手だったが、日本では2年間で通算.284と打率を落としている。本塁打数と長打率は増やしており安定して活躍したが、NPBMLBそれぞれの通算長打率OPSを見てもあまり差がない。

それらの成績を見るとNPBMLBよりレベルが遥かに劣るとは考えにくい。

また、マックは彼以外の日本成功する外国人選手共通点でもあるが、野球に取り組む姿勢に非常に優れていたらしい。

野球に取り組む姿勢の良さは、日本からMLBに行く日本人選手成功と失敗を分ける要因にもなっていることがいえるように思う。

その姿勢問題でよくネタにされるグリーンウェルバランスのいいタイプの中距離打者だったはずだから、真面目に取り組めばNPBでも通用したと思う。


投手やパワーヒッター系は当たり外れが激しい

日米でも、それぞれ何故か片方で通用しながら片方では通用した選手というのがいる。

日本から帰国後にMLB最多勝を獲ったガリクソン帰国後にMLB本塁打王を獲ったフィルダーなど日本で何かを掴んで覚醒して両国活躍した選手もいたが、その逆は比較的少ない。

井口城島福留西岡などは故障や衰え、メンタル問題などでMLBを去った後も日本活躍したといえるのだが、しか日本での全盛時に比べると物足りない。

岡島五十嵐などはMLBで一皮剥けて何かを掴んで帰ってきて日本でも活躍したが、大家マック鈴木などは結局日本では殆ど活躍できなかった。

日本に出戻りではないが韓国パク・チャンホも衰えていたとはい日本では通用しなかった。その後韓国でも通用しなかったようである

あとは中島松坂などを見ても、今はもはやアメリカ帰りが日本簡単活躍できる時代でもないし、MLBで1.5流程度にやれたら日本韓国では1流以上というわけでもないようである


レベルよりも適性と相性

今までで最も日本に衝撃を与えた外国人選手は多分ホーナーなのだろう。

マイナー経験なしでメジャーデビューしたエリートで、そのまま主軸で活躍していたメジャーリーガー来日し、その肩書き通りに凄まじい成績を残した。

恐らく最もNPBレベル相対的に高かった1990~2000年前後よりさらに日米のレベル差が激しかったと目される当時(1987年)で.327 31本。

故障離脱があり93試合での成績だからかなり凄いのだが、当初は4割60本くらい打たれてしまうのではというほどの期待と恐怖があっただろうに結局はその程度の人間らしい成績に収まったともいえる。

バースマートンペタジーニカブレララミレスロバートタフィ・ローズなどMLBでは大した成績を残していないながら日本レジェンド級の成績を残した選手が多いので日米のレベル差は激しいと考える人も多いが、

逆にMLBで彼らを遥かに上回る成績を残して日本にやってきながら日本では彼らに全く及ばない成績に終わっているメジャーリーガーも上述の打者達のように多く存在するため、レベル差というより相性の問題もかなり大きい気がする。

日本でいえばMLBでも通用した田口壮新庄は、アメリカでさっぱりだった中村紀洋中島裕之以上の打者といえるのか…など。

歴代最強助っ人バースは速球が苦手で変化球が得意だったらしく、そのおかげでMLBより速球投手の少ない日本適応して史上最高の助っ人と呼ばれるような成績を残すことになった。

一方、当時そんなバースに速球で真っ向勝負を挑んだ津田江川勇気と度胸が賞賛されていたみたいだが、そういう事情を考えるとむしろ速球が持ち味の投手が速球が苦手な打者に速球で挑んだのだからただのセオリー通りなのでは…という気もする。

打者に速球は怖いという先入観から変化球勝負で逃げたつもりが逆にバースにとっては都合が良かったというのが活躍の要因かもしれない。

もっとも、日本ではバースが苦にするほどの速球を投げる投手も限られているので速球勝負でも打たれていたのだろうが。


俺流の慧眼

落合はその当時ですらMLBで4番を打っていたホーナーよりMLBで実績のないバースの方がNPBにおいては成績を残せる打者だと評していたらしいが、そのあたりの本質を突ける度胸と観察眼は凄いものがある。

MLB移籍前に日本で圧倒的な成績を残していたイチローだったが、当時は日本専門家の話でもMLBでは打率3割を打つことすら難しいとの声が多かった。

そのMLB移籍前のイチローとの対談において、落合メジャーに行ったらどの打順を打ちたいかという話題を振ったことがあった。

その際、イチローが「メジャー自分より凄い奴がいたら7~9番を打つ」と謙遜することを言ったのに対して、

落合は「(イチローより凄い奴はメジャーにも)いない」と突っ込んでいたのだった。


アジア人選手可能

日本人韓国人選手も今よりももっと多くの選手を輸出すれば、日本韓国では大したことなくてもMLB成功する打者が現れるのではないか

既に投手はそういう例が多数あるし、打者においても韓国チェ・ヒソプMLBレギュラー半でいながら2年連続15本塁打と健闘する成績を残した上でKBO(韓国)のチームに入団したが、韓国では期待に近い成績を残したのは1~2年だけで他はパッとしない成績しか残せないまま引退してしまった。MLBと比べたNPBよりもさらレベルが低いと目されるKBOですらMLBの実績の割にKBOでパッとしない例が散見することからも、少なくとも日米韓数字の見かけ上のレベル差はここ数十年でかなり縮まっていると思われる。

もちろん、主に内野守備球場など、総合的なプレーのスケール文化レベルにおいては向こう三十年以上埋まることがないと思えるほどの差があるが。


韓国レベル簡単には決めつけられない

韓国人選手NPBで通用しなくてもMLBで通用しそうなタイプ打者が多いように感じる。

イ・スンヨプキム・テギュンNPBよりMLBでの方が安定して成績を残せそうなタイプに感じていた。起用してもらえたらというのと、テギュンの場合環境への適応課題だが。

実際に今年は韓国人野手が何人もMLB移籍して打率の面で物足りなさはあるが長打の面では驚くくらいのレベルで健闘している。パク・ビョンホは打率は2割前後ながら既に11本塁打イ・デホは起用が少ないながら10本塁打打率も3割近い。怪我から復帰したカン・ジョンホも打率2割後半で9本塁打

あとはNPBでも活躍したとはいえ、信頼感抜群のクローザーだったとまでは言い難かったオ・スンファンMLB奪三振率が12以上で防御率も1点台で十分通用しているのを見ても、もはや日米のレベルの差は相性と調子が一番大きな要素になる程度なのではとすら感じる。

日本でも落合清原など外角を得意にして速球を得意にしていた打者MLBでやっても面白かったのではないかと思う。両者の日米野球での成績は散々だが、実は松井秀喜日米野球ではあまり打っていないながら通用したので、さほど直接的には関係しないように思う。

また、両者は飛び抜けた才能と技術の塊だから対応力があったのではないかとも思われる。特に体格的にもMLBの強打者に引けを取らない清原は何かの拍子によっては、むしろNPBで才能だけで適当に続けてしまった後の現状より成績的にも素行的にも好転していた可能性すら考えられる。実際清原が若かった頃はMLBからも注目されていたらしい。

しか関西出身野手アメリカ挑戦惨敗率の高さを考えると、清原メンタル的に微妙だったかもしれない。


イチローの唯一無二の偉大さ

つまるところ、全てのリーグ活躍した選手こそ最も優れている選手といえるのであって、MLBナンバーワンになった選手NPBでも必ずナンバーワンかというと怪しいのである

しかしたらマグワイアソーサボンズらはNPBでは松井中村紀、カブレラローズらより打てなかったかもしれないし、松井中村小笠原松中らはKBOではイ・スンヨプイ・デホよりも打てなかったかもしれない。

最近キューバトップクラス打者が何人かNPBに来たがさほど凄まじい活躍をしたといえるほどでもない。

グリエルは62試合で.305 11本、デスパイネも1年目は45試合で.311 12本だから凄さを見せたといえるが、2年目は103試合で.258 18本。十分通用はしているものの目を見張るような成績ではなく、単純にこのレベルの成績の選手MLBに行くと簡単に主軸を打てそうという想像はつかない。セペダに関しては逆に何故あそこまで打てなかったのか意味が分からないが…。

じゃあキューバ打者が大したことないのかというと、彼らとキューバ時代は同等程度の成績だったセスペデスやアブレイユらが亡命して、MLBの主軸として活躍できている。

グリエルデスパイネの成績から考えるとキューバ日本投手の相性があまり良くないのではないかと考えられる。つまりMLBで3割30本近い成績を残しているセスペデスやアブレイユでも、NPBではより成績を落とす可能性が低くないと思われるし、したがって、MLBの超一流なら高確率で、NPBで同程度から同等以上の活躍ができるとは決めつけられないのではないかと考えられる。

ピート・ローズだって試合数が少ないNPBで仮にやっていたらその期間はMLBと同等以上の安打数を稼げなかったことは間違いないし、それどころか、仮に1~2年間NPBにいたとして、通用しなかったりレギュラー争いで他の選手に敗れたりして100本も打てないまま日本を去っていたかもしれない。

推測や期待はロマンがあって面白いが、実際にやって証明した例に比べてしまうと、やってない以上はやってみなければ分からない要素がかなり大きい。

からこそ、NPBMLB両方のリーグで実際に何年もプレーした上で、両方で歴代最高峰の実績と印象的なプレーの記憶を残したイチロー現代野球では歴史上唯一といっていいくらケチの付け所のない世界歴代最高の選手だといえる。

また、それこそがNPB単独通算でもMLB単独通算でもない日米通算最多安打というイチローが残した実績の唯一無二の偉大さを表しているのである

2016-05-21

memo

プロ野球の各賞

一般社団法人日本野球機構(NPB, Nippon Professional Baseball Organization)が定める個人タイトルは次の通り.

セパそれぞれ選出される.

2015-08-16

甲子園の個人成績を見てみたい

大会でいまのところ誰が首位打者で誰が本塁打王かとかまとまってないのかしら。

2014-09-05

野球三冠王っておかしくね?

首位打者本塁打王打点王を同時に獲得すると三冠王なんだけど、首位打者だけ「王」じゃないじゃん。

首位打者のことは打率王と呼ぶべきじゃないだろうか。

あと「打点」はチームの強さが影響する数値なので三冠王に相応しくないのでは。

打点王は単に最高打点とだけ呼んで三冠王の構成要素から除外する。

その代わりに盗塁王を持ってくる。

と考えると真・三冠王は「打率王」「本塁打王」「盗塁王」となる。

良く打ち、良く飛ばし、良く走る。

この三つを満たすような選手は確かに最高の打者であるはずだ。

プロ野球野手たちにはこの真・三冠王を目指してほしい。

2014-08-13

地獄級のイザナミ降臨

時代遅れの多色16倍火力では通用せず、 頼みの綱のドロップ強化火も封印され惨敗だった

ダンジョンに響くパズドラー達のため 息、どこからか聞こえる「超地獄ノーコ ン無理ゲー」の声

無言で帰り始めるモンスターの中、昨年の首位打者ホルスは独りボックスで泣いていた

ディオス降臨で手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できるパーティーメンバー・・・

それを今の環境で得ることは殆ど不可能と言ってよかった

「どうすりゃいいホル・・・ホルスは 悔し涙を流し続けた

どれくらい経ったろうか、ホルスははっと目覚めた

どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たいボックス感覚現実に引き戻した

やれやれ、帰ってトレーニングをするホル」ホルスは苦笑しながら呟いた

立ち上がって羽ばたいた時、ホルスはふと気付いた

「あれ・・・?お客さんがいるホル・・・?」

ボックスから飛び出したホルスが目にしたのは、スレを1から1000まで埋め尽くさんばかりのホルキチ達だった

キリキチを完全に制圧し、地鳴りのようにホルキチの最強議論が響いていた

どういうことか分からずに呆然とするホルス背中に、 聞き覚えのある声が聞こえてきた

「究極光ホルス、真無限回廊で肩慣らしだ、早く行くぞ」

声の方に振り返ったホルスは目を疑った

「ア・・・アークハーデスさん?」

「なあに不死鳥、居眠りでもしてた の?」

「エ・・・エキドナ姉さん?」

「なんだ光ホルス、しっかりしろよ」

「ssnosn・・・

ホルスは半分パニックになりながらチーム編成を確認した

LF究極光ホルス

Sエキドナ ヘライース 究極スサノオ アークハーデス

暫時唖然としていたホルスだったが、全てを理解した時、もはや鳥の心には雲ひとつ無かった

「勝てる・・・勝てるホル!」

海山からバトンを受け取り、ダンジョンへ全力飛翔するホルス、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだっ た・・・

翌日、ボックスで冷たくなっているイシス発見され、病院内で静かに息を引き取った

2014-06-05

好きな短編漫画打線組んだ

http://anond.hatelabo.jp/20140604175240

思ったより反応がよかったので、うれしくなって2日連続仕事? いいじゃないですかそんなことは。

1遊 競技ダンス部へようこそ(横田卓馬)

2二 ゲンセンカン主人(つげ義春)

3中 半神(萩尾望都)

4三 童夢(大友克洋)

5捕 バットマンキリンジョーク(アラン・ムーアブライアンボランド)

6右 式の前日(穂積)

7一 アンダルシアの夏(黒田硫黄)

8左 肩幅の未来(やまむらはじめ)

9投 ノース2号の巻(手塚治虫浦沢直樹)

中継 マイ・フェア・アンドロイド(岡崎二郎)

抑え 夕凪の街(こうの史代)

「それではグラウンドレベル増田さん、お願いします」

1遊 競技ダンス部へようこそ(横田卓馬)

「気弱な少年競技ダンスの魅力に取りつかれる話。単行本未収録。友情努力・勝利という週刊少年ジャンプの三大原にのっとった、さわやかな余韻が印象的な期待の新星、かと思いきや、ヤングマガジンにおける連載作はエログロ。なにそのふり幅。連載化待っています。あと集英社は一刻も早く『戦下に咲く』と合わせて単行本化してください」

2二 ゲンセンカン主人(つげ義春)

白昼夢のような短編。正直、いまだに内容が理解できていない。まったく意味がわかりません。それでもつげ義春全集を読んだ後に、どれが一番面白かったか聞くと、皆が口をそろえて『ゲンセンカン主人』と言う。凶悪なクリンナップへとつなぐ技巧派の曲者。いまだご存命とのことですが、水木御大同様この人も妖怪なのでしょうか」

3中 半神(萩尾望都)

「腰のあたりでつながったまま生まれてきた双子姉妹の話。20頁弱と短いながら、大正義萩尾望都代表作として名高い名作。切れ味が鋭すぎて若干トラウマになります

4三 童夢(大友克洋)

「ある団地における超能力者たちの戦いの話。不動の四番。本塁打王打点王の二冠。その圧倒的な迫力と威圧感は、全盛期のカブレラを思わせます。難点は、あまり体躯のぶ厚さからルールに引っかかる恐れがあること」

5捕 バットマンキリンジョーク(アラン・ムーアブライアンボランド)

バットマンジョーカー因縁の話。チーム内唯一の助っ人外人にして捕手メジャーリーグからきた黒船シーズン途中まで4割を打って首位打者。『助っ人外人捕手って、どうなの?』という方もいらっしゃるかと思いますが、だってアラン・ムーアだし、どう考えても一番かしこから仕方ない。いいときのマウアーが日本球界に来た、と思ってください」

6右 式の前日(穂積)

結婚式を前日に控えた男女の会話劇。期待の巧打者です。クリンナップが重量級のため、肩肘を張らずに読める短編を6番に置きました。合コンオススメ漫画を聞かれたら、最近面白かった漫画として、これか『俺物語』と答えるのがスマートな大人ではないかと思います映画で言うと『リトル・ミス・サンシャイン』。電車の中で読んで泣いた、との知人の声多数」

7一 アンダルシアの夏(黒田硫黄)

自動車競技選手人間模様の話。連作短編茄子』に収録されています宮崎駿が認める天才打者。今回はクリンナップが凶悪すぎるのでこの打順だけど、去年までのカープなら中軸です。余談ですが、最初ピッチャーを『連作短編』つながりで組んでいたため、当初は先発として起用していました。チームの都合で野手転向

8左 肩幅の未来(やまむらはじめ)

若いカップルの何気ない日常を特徴的なコマ割で描いた話。今回のひいき枠。大好きなんだから仕方ない。漫画評論家の泉信行氏も『やまむらはじめ非公式ファンサイト』を運営していました。たんたんとしつつも、じんと胸にしみる佳作。短編集『未来のゆくえ』で読めます。粒ぞろいの短編集なので、是非」

9投 ノース2号の巻(手塚治虫浦沢直樹)

戦闘ロボットピアニストのふれあい長編PLUTO』の中の一エピソード。『5回までなら完全試合完投させたら滅多打ち』こと浦沢直樹最高傑作ではないかと思います。。独立した短編としても読めるだろう、と無理やりねじ込みました。たとえルール違反だとしても、面白いんだから選ばざるをえない」

中継 マイ・フェア・アンドロイド(岡崎二郎)

人間そっくりなアンドロイドと、彼女教育する科学者の話。SF短編につづいて連続登板。だって好きなんだから仕方ない。連作短編アフター0』に収録」

抑え 夕凪の街(こうの史代)

「説明不要金字塔。もし増田文部科学大臣に選ばれたら、強権を使って教科書に載せます連作短編夕凪の街、桜の国』に収録」

こちらからは以上です。

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