はてなキーワード: 非オタとは
不安やストレスになる情報は検索しない方がいいって話をよく見るじゃん。
不安から検索するとその不安を強化するような情報ばっか集めちゃうし、それでどんどん思考が先鋭化したりエコーチェンバーになったりするし、その不安を一手で解消する陰謀論に走ったりするし、単純に精神衛生に悪いし、みたいな。
それはもっともだと思うけど、不安な物事を検索しないで我慢するのってクソ難しくないか?
胸の中で心配がどんどんグルグル回って膨らんで耐えきれないんだけど。
映画とか漫画とかゲームとかしてても、あるいはそれらの創作をしても、心配事の方でソワソワして集中できない。
カウンセリングは金もかかるし時間の自由もきかない。いのちの電話は繋がらないしそもそも深夜帯はやってない。あとこっちの話を全然理解できないことがある、たとえば不安の内容が好きなタレントが炎上して辛いとか、自分の同人サークル内の揉め事がとかの場合は非オタの人間に言ってもふわっとした反応しか返ってこない。
わからんな。
旧劇エヴァ(EoE)に感動しQからの流れがめっちゃ好きなので、皮肉ではなく本気で称賛として書いてる。
前回の増田(anond:20210308160516)にも書いたが、
何百億というお金が動くプロジェクトで、誰の顔色を伺うことなく、シン・エヴァをやり切った60歳という事実が最高にクールである。
・あなたは、60歳になった時に自分の一存でプロジェクトのすべてを仕切れるような影響力を持っていそうか?
・ あなたは、60歳になった時に己の感性のみを信じて突き進む事はできそうか?
しかも何百億というお金が動くプロジェクトの矢面に立つ総監督(脚本兼任)という立場で
「さすが庵野!」
「おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる!あこがれるゥ!」 としか言う他ない。
庵野監督のようなビックプロジェクトに関わる事はないにせよ、一応若者の区分の自分も頑張りたい尖りたいと純粋に思った。
ただ感動した事実は事実として、ストーリーについて忖度なしに言えばタイトルの通りゴミだったので以下に感想(お気持ち長文)を書き連ねていく。
(注意:シン・エヴァの造形や絵作りや音楽については専門のお兄様たちの批評・感想をあたってください。この増田では映画を構成する様々な要素のひとつ "ストーリー" についてしか触れません。)
ファンのためにファン向けた作品を作ることのいったい何が悪いか?と思うかもしれない。
なので先にシン・エヴァの結末を書く。
庵野監督のアバター "シンジくん" は 声優:緒方恵美 (14歳) から 俳優:神木隆之介(スーツ) に変身、
安野モヨコ氏 (庵野監督の妻) のアバター "マリ" と お手て繋いで駆け出し、
庵野監督の地元 "宇部新川" で 前前前生 して終劇。
ーーー・・・普通にバッカじゃねぇの?😒である。 シン・エヴァじゃなくて庵野監督のエッセイでやれ。
大マジである。
エヴァンゲリオンイマジナリー、ゴルゴダオブジェクト など急に設定を生やしたり、
無かったことにされていた 渚カヲル司令 をサルベージしたり (なお、予告にいたキカイダーエヴァみたいなヤツのことは忘れろ)
カヲルと加持と冬月とゲンドウ で "ジェバンニが一晩でやってくれました" をしたり、
ソードマスターヤマト 並みの怒涛の畳み掛けを 新劇 を終わらせるためにかましたのに、
マリ が何者なのかについて "だけ" 、最後まで触れなかった。
その影響で、マリが(当然シンジも) なぜ エヴァに乗れる・操れるのか、劇中で言及されること無く終わった。
もちろん、劇中の情報からなぜマリがエヴァに乗れる・操縦出来るかについて、推測・想像・妄想は出来る。
劇中でネブカドネザルの鍵を自らに付与したゲンドウがエヴァを操縦していたように、おそらく後天的に仕組まれたのだろう。
けれど、カットはもちろんセリフで匂わせすらなく、まったく劇中で語られていない以上、推測・想像・妄想でしかないので、
忖度なしに言えば "どうかしている" としか言いようがない。
なんでも説明してしまうのはつまらない? 想像・妄想の余地がある方が面白い? よろしい、では、
シン・エヴァ:|| (本作) になるまでシンジが名前すら知らなかった "マリ"、しかも、シンジにとっては、"パラシュートの人" でしかない "マリ"と、
庵野監督の地元 "宇部新川" で 前前前生 したのは 何故なのか?
意外で驚いたぁ〜?(笑) だけがしたいのであれば、前前前生するのは、北上ミドリ や トウジの妹(鈴原サクラ) でも よかったはずだ。
なんなら、シンジはマリよりも彼女たちのことについての方が名前も人となりも知っているまである。
"シンジは急速にマリが好きになったのだ!人を好きになるのに、恋に落ちるのに、理由も時間も要らない!" で押し通すにしても、
"マリは最初からシンジに対して一定以上の執着を持っていた" についてはどう説明するのか?
それも "どこにいても必ず迎えに行くから。待ってなよワンコくん" と口にしたり、"命をかけて裏宇宙に行く" ほどの執着だ。
ヒロイン(マリ)が抱いている、まどマギのほむらレベルのマリ執着を 言及しないで オッケー👌とかあり得る??? あり得るとしたら何故?
そもそも"執着以前にマリが何者であるかも明らかではない"が、そんなことって通常のストーリーで許容されるもの???
しかも、外そうとしたらカヲルくんみたいに頭ボーンして死ぬ "DSSチョーカー" をラストシーンでひょいと外せる謎能力を持った超超超超超超超超重要人物だぞ???
マリは庵野監督の妻である安野モヨコ氏の投影キャラ。だからシンジ(庵野監督)の心の枷を外せた。
そしてメアリー・スーでもあるマリついてのすべてを劇中で言及不要とした。"
い、いや、エヴァ漫画版ではマリについての描写があったから(震え) にしたって、
漫画版の設定を引き継いでいるなら 同性愛者設定 はどこへいった?だし、
実年齢だって、『破』の時点で33歳、『Q』の時点で47歳くらいだということになる。
まどマギのほむらレベルの執着をみせているのに、この実年齢でマリがシンジを親族の家に預けたままにしていたのは何故?
忙しい云々ならマリより年若いミサトがシンジを預かっているので別に不可能ということもないだろう。
そして "DSSチョーカー" を外せる理由やそもそも何者なのかについて触れない理由は???
なんにせよ、とても褒められた出来のシナリオでは無い。
せやね、誰よりも劇中でセリフが長そうなゲンドウの自分語りとか。
「Beautiful World」はゲンドウの歌だったんだな、ユイに出会って世界が変わった云々は絶対庵野監督自身のことを重ねてるな、つかこれ旧劇で見たけど?と思ったけど。
旧劇でそれ見たよ?の展開だけなら褒められないが初見向けとして許容出来た。
しかし、突如悟りを開いた シンジ様 が登場人物達のカウンセリングを始めるのである。
709 名無しが氏んでも代わりはいるもの 2021/03/08(月) 21:33:24.38ID:???
シンジ「どんなに探してもユイはいねえよ現実を受け入れて責任を果たしていけ」
シンジ「お前は俺のことを幸せにしたいんじゃなくてそうやって自分が幸せになりたいだけだろ」
シンジ「昔はお前のこと好きだったけどいい加減自分の人生を生きたら?」
オーケー、悟りを開き覚醒したシンジ様がグループセラピーを始めるのはヨシとしよう。
・・・でもな?
シンジが覚醒した理由について劇中で言及されないのである!!!!
本当に、本当にありがとうございました。
精一杯、善意的な解釈をすれば シンジは "生命の書" にカヲル同様に名前を連ねているからループを繰り返している。
村とポカ波の一連の出来事でシンジは違う世界線の経験の活かせる状態に覚醒した・・・みたいな???
(これも劇中で言及されない以上、推測・想像・妄想でしかない)
他は、なんちゃってジブリでナディアの島編のような冗長さがある村での描写とか、
エヴァ無し・ほぼ丸腰でハイカイ(首無しエヴァもどき)がいる世界でシンジ・レイ・アスカ無事(危機に陥る描写無し)だったとか、
Exactly(そのとおりでございます)
映画・アニメは総合芸術だ。ストーリーは総合芸術を構成する要素のひとつにしか過ぎない。
絵作りが素晴らしければただそれだけで名作になることもある。
造形・絵作り・音楽について長文を書き連ねたい情熱も専門性も持ち合わせていないので省略するが、
パリ以外でも大好きな絵作りのシーンがいくつかある。
(ヴンダーの戦艦アクションや映画館向きじゃないぐるんぐるするアングル好き)
この増田はあくまで"ストーリー"だけを切り取ったとき、出来は酷かったという個人的な感想(お気持ち)で、
シン・エヴァが駄作だと評しているわけではないので誤解なきよう。
狂気を魅せたという意味ではなくて圧倒的に低レベルなシナリオ完成度的な意味で
摩砂雪とか貞本がいなくなったばかりではなく、
『男の戦い』や『最後のシ者』など旧作で重要な話は 薩川昭夫 脚本、SF要素は磯だがそれらもいなくなった
▼供養の設定資料
もう20年以上前の某アニメで作った脚本回の設定。地下施設の詳細が決まってなかったのでセントラルドグマとか名称や細部を私が設定していった。他にも中盤は私が作ったセリフや展開が結構使用されているが結局全部ノーギャラ。
https://twitter.com/isomitsuo/status/823830687400636416?s=21
Aパート→絵コンテなし、さらに作られては壊されめちゃくちゃに
Cパート→時間とスタッフ足りなかったからブラッシュアップしきれなかった
Dパート→とりあえず締め切りに間に合うように作った
理解ある彼くんなワイはオタクへの反撃(Qの恨み)とモヨコとの私小説が書ければあとはどうでもいいだったんだなってすぐさま読み取ったけど
自分自身を映画に重ねるキョロ充の非オタな豚どもは感動したり勝手に意味を読み取ってたな
正解はパンフレットに書かれてたスタッフから『意味不明』『謎』『もっと客観性を持って作品作りを』ってメッセージ
NHKのドキュメンタリーでも、スタッフに意味不明って言われたし、絶対に破れない締切のせいでああなった様子が映し出されてた
あとドキュメンタリーで映像面ではグルグルアングルに並々ならぬこだわりがあるってやってたね
なにしてるかわからないって評判が多かったけど、ワイは初めからグルグルアングルは面白いって評してたぞ
(現実に帰れっていうテーマは)あったと思うよ、庵野くんEOEの頃からずっと的外れだけど
押井のビューティフルドリーマーで見たけど?だったけど
EOEの狂気が凄まじいのと作品としての完成度が高いから許された
(もちろん激怒したやつもいる)
そもそも虚構の世界に逃げているとされる人たちのオタ活の中心はとっくにエヴァなんかじゃないぞ
炎上商法狙ってるにしたってクソ寒すぎ
シンを観て隙あらば氷河期世代をしているのは商業ライター・個人ともに闇が深すぎるのでノーコメント
メンヘラ女(アスカ)の相手は理解ある彼氏くんなぬいぐるみペニス以外には出来ないは正しいが
"常識的な嘘"を書けば、アスカとケンスケを受け入れる人は多かったと思うんだよな
メンヘラはこうだについても嘘がつきたくなかったし
アスカ厨ムカつくについても嘘がつきたくなかったし
エヴァもうやりたくないんだよなぁと俺が思うエヴァからの解放にも嘘がつきたくなかった
何よりも嘘つかないでも商売としてやっているけるレベルで信者を集めていることに確信的だからな
276 公共放送名無しさん 2021/03/22(月) 20:37:24.34 ID:cd47Rl9
ぼく「じゃあもういいや」
ぼく「しょーがねーなぁ」
ぼく「お前なんなん?」
今
庵野くんに少しは反省して欲しかったので大ヒットしないで欲しかったな
庵野くんは何しても許されることに自覚的だからエヴァやりたくねーアピールしてエヴァ串刺しにして
>なんらかの作品を見て、起こってることしか感じられないのは可哀想だと思う。
ワイ的にはこっちのが理解し難い
キョロ充「成長 (ちらっ)」
キョロ充「救い(ちらっ)」
ワイ「キミらのいう "希望" 、"成長"、"救い"、"大人" 、"人生"、"人間" 、"対話" とは? シン・エヴァのどの辺りから感じたの?」
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ(キョロ充逃げる)
あんだけ尺取るなら真面目にやろうよって思った
庵野くんはメカアクションや組織で大事を成すカタルシスをケレン味たっぷりにやる作家で
エヴァが庵野くん物語ということも承知しているし庵野くんがエヴァやりたくないことも承知している
けれどそれでもなぁなぁにできないレベルのクソゴミシナリオだったと思うよ
EOEの時に庵野くんを支えた人がいなくなったからでは?と言われても致し方ないレベル
フェミニストたちは"オタク"を攻撃してるんじゃなくて、公共の場でポスターとして、もしくは広告として使われていることに怒ってるんだよ。オタクのことは誰も攻撃してないので萌え絵もそのまま好きでいたらいい。
オタクとして萌え絵を見ている間に感覚が狂ったのか知らないけど、公共の場にやたら胸が強調されている宇崎ちゃんポスターが使われているのも、股のシワが描いてある(現実にはありえない)スカートを履いてるポスターが使われているのも普通に気持ち悪いよ。
アツギのタイツに至っては顧客が女性なのに、なんで女性を客体化した広告使ってるんだって話だし。タイツ履いてる女性をエロいなーっつって鑑賞する広告じゃん、顧客を性的搾取する広告なんだから批判されるの当たり前だよね。
エロを強調した絵が嫌なんじゃないの。宇崎ちゃんもラブライブもアツギの一つ一つの絵も別に全然嫌いじゃない。
ただ、それを公共の場で広告として使ってるのが嫌だって言ってんの。宇崎ちゃんもラブライブもアツギもpixivに上がってりゃなーんの問題もないよ。ツイッターで個人があげててもなんも問題ない。
この絵を広告として使うのはどうかと思うってだけの簡単な話なのに、オタクが攻撃された!表現規制だ!って思うの自他境界線ゆるゆるすぎるから考え直したほうがいい。別にその絵を好きなオタクのことは誰も攻撃してないので。
公共の場、オタクも非オタも老若男女が見る前で、胸が強調されてたり股のシワがあったり、そういうエロの記号的表現がある絵をどうしても掲げたいって思うわけ?自分のことヤンキーかも〜とか言う前に広告として絶対に胸が強調されてる絵を使いたいって感覚がおかしいって気づいたら?
あとオタクとフェミニストは普通に両立する。何で両立しないと思ってるんだか。
それと、政治と結びつけて考察するのが敬遠されるっていうのも笑うわ。エヴァの考察なんて90年代の世情と結びつけて考察されたブログも記事も死ぬほどあったでしょ。いったい何見てきたの?
最近ようやくコミックス読み終わって無限列車も見て「鬼滅おもしれぇぇ!」ってなってる非オタクで二期のお知らせにもめっちゃテンション上がったんだけど鬼滅鬼滅言ってた周囲の奴らがもう何もその話してないのに一抹のさみしさを感じる。呪術かいせん(一発変換できない)を2人から勧められ、魔女の旅旅を1人から勧められたところだ。
私は関東住みだし正しい関西弁が何たるかは全く分かっていないが、取ってつけたような「やで」「~やから」的な言葉に薄らとした嫌悪感を覚えている。
賢すぎる子供が辞書にしか乗っていないような熟語を使ったり、オタクが非オタクとの会話で専門的な用語をペラペラと喋っている時のような、責めるほどでもないけど「ええ〜」と思ってしまうアレである。
関西弁なのかも分からないけど、リアルでは標準語なのにネットでは周囲に合わせて語尾を無理に変えている(本当に方言を使っている訳では無いから歪な言語になっている)のが気になって仕方がない。ていうか2chやはてブでよく見るあの口調が関西弁なのかすらよく分かっていない、が、なんだろうこのモヤモヤ感は!!!!!
相変わらずブコメには最初の5行しか読んでないコメントが並んでるけど、増田の主張は普通にここだよね
二次元オタク趣味って本当は反グレ風俗スカウトになって女性を搾取して生活したかったのに逮捕されるリスクやヤクザに殴られるリスクが嫌で仕方なくカタギやってる人が内なる願望を叶えるための代替行動だったの?
口より先に手が出る手合を蛇蝎のごとく嫌い、ヤクザや半グレの話題となれば「一生刑務所から出さないで欲しいと言ってはばからないオタクが、ことエロ方面に限ればヤクザの真似事したがるの、気持ち悪くない?ということ。
たださあ。
そういう自己矛盾抱えてるの、オタクだけじゃないよね。むしろ非オタクの方が白々しいと言うか、無頓着だよね。
もっと言えばさ、そう言う歪みを受け止める無害な器としてフィクションというのは、ある訳ですよ。
人間、感情や性的嗜好と、自分として考える人格が完全に一貫できれば苦労はないけど、そんな簡単にはできてなくてさ、ふつうに欲望と希望には矛盾があるもんじゃん。
キモいのはそういう自分の矛盾を平然と無視して好きな事をほざいてるtwitterやブクマカ連中の心性であって、フィクション自体では無いと思うんだよね。
まあそれを商売にしてる側が都合良すぎるのどうなの?みたいなのはあるけど、矛盾を意識しながらもコンテンツを摂取せざるを得ない我々オタクは決して特別異常でもないし、卑下される存在とは思わないんだ。
生きる権利があるから生きてるってよりも、生きるのにも死ぬのにも権利がないから生きてるが正解ですね。
あなたの主張って今流行りのアレですか?「生殺与奪の権を他人に握らせるな」ってヤツですか?私は例のアニメは序盤の序盤までしか観てないのであまり言うことはないのですが、この言葉ってある日突然襲ってきた鬼に家族を殺され、ただ一人残された妹も鬼になってしまい途方にくれる主人公に、鬼殺しのプロが言い放ったセリフですよね確か。主人公も最初は暴走する妹を必死食い止め、それでも妹は大人しくならなかったから主人公もついに絶望して鬼殺しのプロに妹を殺してやってくれと泣く泣く懇願したときの返答ですよね。ひどい話ですよね、まあここで妹を退治してしまったらストーリーが成り立たないのは言わずもがなですが、鬼に家族を奪われ妹を必死に宥めていた主人公を弱者と切り捨て挙げ句の果てに妹を殺したかったら自分で殺せという傲慢さ、なんだかこのアニメが非オタク層に流行った理由が何となくわかった気がします。長くなってしまいましたが例のアニメ批判はあまり関係ないのでここまでにします。
日本人って本当に自己責任論大好きですよね。だって他人が失敗したときもそいつに自己責任だって言えば自分が非難されるのを簡単に免れますもんね。従来の連帯責任が非難されるようになってから自己責任へシフトしていったように思えます。でも本来自己責任って自分自身を律するための言葉だったろうに、いつしか「何も努力せず自身の不遇を他人や社会のせいにする怠け者」へのバッシングの代名詞となりましたよね。でもその「怠け者」って本当にただ面倒くさいから怠けてるだけなんでしょうか?努力しても無駄、成果を出しても認めてもらえない、そうした学習性無気力に陥ってる可能性とかは考えられないのでしょうか?
「自分の自信は自分で守れ」と仰ってますが私の自信が今までの半生の中でじわじわと他人に奪われていったことについては想像できませんか?私の自信を奪った者たちへの非難はされないんですか?自信を守り抜けなかった私が全て悪いんですか?いじめっ子じゃなくいじめられっ子の方が全部悪いんですか?
あなたのような意見を聞くとどうもこの世の全ての人間は自分の意思で生まれてきたと聞こえるんですよね。でも実際は違いますよね?両親が勝手に性交したから子供は生まれさせられるんですよね?生まれる前の子供達は空の上から親になる人間を決めている、なんていうスピリチュアル与太話がありますが、それがもし真実なら虐待親の元に生まれた子供達は皆んな虐待されることを望んで生まれてきたことになりますね。
生存者バイアスにも程がありますね。成功者から見れば負け犬は皆んな努力してなくて失敗を社会のせいにしてるように見えるらしい。貧乏家庭に生まれ進学出来なかった子供も、虐待で心身ともに傷ついたり亡くなった子供も、先天性の障害を抱えた子供も、全部責任は子供にあると成功者は言います。そうですよね、他人に責任を押し付けるのは楽ですもんね。クラスでいじめが起きても、隣の家で家庭内暴力が起こってても知らない素振りをしていれば罪に問われないですもんね。
何も知らないくせに自己責任論で相手を諭した気になって、励ます振りをするのって最高に気持ち良さそうですもんね。そうやってずっと説法オ〇ニーしといてください。
社会って別に職場とかだけじゃないんです。学校も家庭だって小さいけど立派な一つの社会なんです。そして社会を殺すのは馬鹿な政治家でもテロリストでもなく大衆の中の無能たちなんです。あなたの職場にも一向に仕事が出来ない奴とか、学生時代体育の授業でチームの足を引っ張った運動音痴がいましたよね?こういう奴ら皆いなくなればいいって思ったこと絶対一回はありますよね?極論私が今存在せずこんな増田を書かなければ、あなたのその文章を打った貴重な時間を奪うこともなかったんです。生きるに値しない命は確かに存在するんです。いなければいい人間は存在するんです。ゴミはゴミ箱へ、ゴミ人間は処分場へ。現に死刑制度は今日の日本に存在し、生きてはいけない人間は次々定められています。法で裁けない罪という言葉があるように、悪と言っても色んな種類があるのです。そして自分が害悪だと自覚して死を選ぶこと、何がいけないのでしょうか?確かに今現在自死を選ぶと、発見者のトラウマ、電車を止めた賠償金、病院側の手間など結局社会に迷惑をかける羽目になってしまうのです。あなたも無能の飛び降り自殺に巻き込まれたくないですよね?急いでるのに電車が止まったらイライラしますよね?
別に誰かに認められたいから死にたい訳ではありません。タイムスリップして自分が生まれること自体無かったことにしたいです。むしろそれが一番理想です。私が元増田で「消えたい」という言葉を使ったのはそういう意味です。私の命には何の使い道もありません。成長性もありません。むしろ死んで血と肉と骨の塊になった方がよっぽど使えます。実際私の臓器提供意思表示カードには全ての項目に丸をつけてます。
よくよく考えて見ると凄いよな
例えば東京ガールズコレクションで献血ブースが出来て若い女性が一杯献血したら掛け値無しに賞賛されると思うんだよ
まぁ中には腐す奴も居るかも知れないが圧倒的少数だろうし支持もされない、腐す奴はただのしょうもないカスってのは一般的に共有される見解だろう
でもオタクならそれがひっくり返る
「オタクスゲー」系と腐されたり食傷と言われたり、「コミケに行かないと献血しないの?」と言われたり
「女性スゲー」系と腐されたり食傷と言われたり、「TGCに行かないと献血しないの?」と言われたりなんて無いのにね?
これは凄い事だよ
こんなに態度とか受け取られ方が違うんだから
この前ナイキのCMに対する反応で、日本に差別が無いとする反応が却って差別のある現状を浮き彫りにした、なんて言われたがあったけど、
献血の話題に対する反応で、浮き彫りに成っちゃってるよね、かつてより随分マシになったとは言え、まだオタクは平気で迫害される立場なんだって事が
だって現にオタクと非オタクで献血したことに対する反応がまるで違うじゃん?これでまだ「オタク差別は無い」と言うなら、それこそナイキCMに「差別は無い」って言うようなもんだよね、それ自体がもう差別じゃん
10代からオタク文化に頭の先まで浸かって大学でフェミニズムを勉強した女です。
ネット上で頻繁にいわゆる「萌え絵」が適切か否かを巡って炎上しているけれど、そこでの対立はおおよそ男性のオタクvs女性で非オタクのツイフェミという構図になっていて、オタクでフェミニストで女の私みたいな存在はいないことになってるなぁ…と思う。
https://note.com/dokuninjin7/n/n7ce1f56328e5
青識さんのnoteを読んでもそう感じる。
最後の「フェミニストの皆さん、オタクを踏んでいる足をどけてください」の辺りも、これじゃ私が私を踏んでいるのでは…と思い若干頭を悩ませた。
ネット上の論争をあーだこーだ言うのはしょうもないことかもしれないが、とりあえず思った事を言っておこう。
「萌え絵」炎上を男vs女、オタクvsフェミニストのような二元化しないで欲しい。
「萌え絵」が炎上した時のネット論争は大抵「これだから女/男は〜」のような語り口になる。しかし、企業や団体が炎上している場合少なからず炎上した側・させた側双方に男性も女性も絡んでいると思う。
例えば記憶にあたらしいATSUGIのラブタイツ炎上なんかだと、炎上した側の企画者は女性という情報が出ていた。
https://originalnews.nico/216814
勿論この方のみならず、企業が出す企画なら複数の社員が関わっているわけで、男性も女性も絡んでいるのにも関わらず炎上してしまった。
この時点で男性の企画vs女性消費者のような構図は崩れたわけである。
そしてオタクvsフェミニストという部分もだが、自分はオタクだがこの企画は無しだと感じた。ここでもうオタクとフェミニストの二元対立は(自分の中で)無くなってしまった。
投稿されたイラストはとても可愛かった。可愛かったんだが、どうしてタイツを履く側に向けたPRで、「タイツを履いてる女の子可愛いよね!!」みたいなイラストを提示してしまったんだろうか、と疑問だったからだ。
履く側からしてみればタイツはファッションの一部だし防寒具だし、別に人に見られるために履いているというわけではない。
ただこれをイラストで表現するのはとても難しい。イラストにするとどうしても第三者目線から「タイツを履いた人を見ている視界」を描くことになる。そうした時、フェチズムを表現することに特化した「萌え絵」のお作法で描かれたイラストはどうしても「タイツを履いた人が性癖に見える人の視界」になってしまう。
だからあの企画で投稿されたイラストの多くは、タイツのPRではなく「タイツを履いた人」のPRに見えた。タイツを履く"主体"側ではなくそれを"客体化"した側の企画だと感じたのである。
あれがタイツ同人誌のPRだったらそれでも良かったんだが、履く側の気持ちに寄り添うべきだった企業のPRの点を考えると、あれは違ったよなぁと今でも思う。
こういう調子で、オタクでフェミニストの自分は内々的にどちらの視点でも物事を見ている。というか、私以外の人だって色んな属性を持って物事を見ているわけで、一度あるサイドからの意見を出したからってそれが自分の全てではない。
しかし、こうした炎上を誰かが分析する時、殆どが賛成派と反対派を男女、イデオロギーで完全に分けてしまっている。結果としてその中間にいる人間はかなり透明化されてしまっている。
別に自分は「女だから」批判したわけじゃないんだけどなぁ…私もオタクなんだけど…と、炎上した側・させた側双方の意見を読んでいてそう思う。
だから、二元化するのは楽なんだけどそうじゃない、というのをもう少しネット論客の方々には考慮に入れて論を展開してくれないかな、と期待している。頼みます。