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はてなキーワード: 訃報とは

2016-11-07

今朝、訃報を聞いた。

結局、9月24日に会ったのが最後になってしまった。

あの鮮やかでふわふわの羽毛、温かくしなやかな体、やんちゃで賢い瞳。

もう二度と会えない、触れない。

寂しい。

2016-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20161104204955

お前は驚くほど日本語センスねえな

長年来ってなんだ

訃報は縁じゃねえよ

相手死んでんだろうが

長年来の友人をブロックして3ヶ月が過ぎた

友人が笑っている夢を先日見て、罪悪感と感傷自己分析が混ざった思考モヤモヤした

けれどブロック解除をする気にはならず

今更こちらから連絡する気にもならず、こちらから頭を下げる道理もなく

次に旧友と縁があるとしたら、どちらかの訃報だろう、などとぼんやり思った

2016-10-24

肝付兼太さんの訃報を読み上げた女子アナって、年代的に活躍してた時期知らないんだろーなー

誰よ?このおじいさん、とか内心考えてながら、人名なのでミスらないよう読み上げようて考えてそう。年代広めにみて30手前にとってみても声優交代劇があった2005年からは10年経過してるわけでその時期に20前後大学出てすぐアナウンスしている23とか24歳くらいの人なら2005年に13-14歳くらいでしょ、

2016-10-12

つの間にか死の恐怖が変わっていた

から人一倍死に対して臆病だった。

原因は8つ上の兄だ。

ある日思春期を迎えた彼は、一人ではいてもいられなくなったのか自らの部屋にわたしを呼び出した。

そしてまだ天真爛漫だったはずのわたしに、死とは何かを語り始めたのだ。

冷めない眠り、永遠孤独、知覚の喪失愛する人たちとの永遠の別れ。

彼はときに涙し、ときに恐怖に身をちぢこませながら自らの不安吐露し続けた。

あんなに頼りがいのある兄をこれほどまでに恐れさせるもの。それだけで死というものの恐怖を知るには十分だった。

若かりし頃、誰もが通るであろう死と向かい合う儀式を、わたしはじつに8年も早く経験することになってしまった。

それからと言うもの、何をしていても、どんなに楽しい思いをしていても、その直後には死の虚無感が襲ってきた。

夜、布団に入れば目覚めない不安に襲われ、永遠の恐ろしさに震えていた。

その頃の死とは、得体の知れないただただ恐ろしいだけの存在だった。

わたしの頭上には一本の糸があって、悪魔とも神ともわからものがその先を握っている。そして気まぐれにその糸を切ればわたしは死んでしまうのだ。

しかしわたしは自らが死んだことを自覚できない。それなのに突如永遠孤独に放り出されてしまう。

思春期を過ぎ社会に出るまでの間、時間があるだけそんないつ訪れるかわからないことに対する恐怖に怯える日々を過ごしていた。

ところが、仕事に追われる日々を過ごしている間は、少しだけ死の恐怖から逃れられることがわかった。

今までは寝床に入ることすら恐怖であったのに、仕事で疲れていれば考える間もなく眠りに落ちることができた。

からわたしは、死の恐怖から逃れるために仕事に没頭する道を選び続けた。

そうして気がつくと、わたしはある程度の時間的余裕を持て余す立場になっていた。

そしてその時間的余裕は、わたしに再び死の恐怖をもたらしたのだ。

しかし、それは今までのものとは少し違っていることがわかった。

あの頃恐れていたものよりも、リアルで身近なものになっていたのだ。

新聞には自分と同世代著名人訃報が並び、身近な人間の不幸も多く耳に届くようになった。

身体は少しずつ衰えを見せ始め、病気の治りも時間を要するようになってきた。

それまでは漠然としていた恐怖が、少しずつ姿を見せ始めてきたのだ。

この数十年で、いつ訪れるかわからない恐怖だった死は、今、いつ訪れてもおかしくない恐怖へと姿を変えていたのだ。

この先この恐怖はどのような姿に形を変えていくのだろうか。

よりその姿を鮮明にするであろう恐怖と、再び向き合い続ける日々が始まるかと思うと憂鬱でならない。

あなたの隣にいる死の恐怖は一体今、どんな姿をしていますか。

2016-10-09

夢で泣くのは案外しんどかったという話

結論から先に書く。以下の冗長な文は、連休にも関わらず予定がない暇な25歳女が、昼寝をして見た夢の中で涙して目を覚まし、それが思っていたよりしんどかったのでびっくりしたという話だ。

実に下らないうえに感傷的でオチもないので、よっぽど暇でなければ読み飛ばすことを勧める。

====

夢を見た。


ラブラドールレトリーバークッキー(♂・仮名)が、嬉しそうに私の寝ているベッドへのぼってきて、布団にぐいぐいと頭を押し付けてじゃれついてくる。

ラブラドール抜け毛の激しい犬種なので、そんなことをされたらすぐシーツが毛まみれになってしまう。

私はクッキー愛嬌に少し笑いながらもすぐに「こら、下りて」とクッキーをベッドの上から追い出した。下ろされた彼は名残惜しそうに、ベッドの端から伸ばした私の手に彼の顎を乗せてふんふん鼻を鳴らした後、すっと歩き去ってしまった。

そこであることを思い出した。クッキーは昔実家で飼っていたラブラドールである。当然もういない。

クッキーはずいぶん昔に死んでしまった。今は一戸建て実家の庭に眠っている。伝え聞くところによるとペットを庭に埋葬するのはいいことではないらしいが、もう大分昔の話である


私はクッキーの死に目には会えなかった。当時の私は大学生で、上京して一人暮らしをしていた。クッキーは7歳で、一般小型犬と比べて寿命が短い大型犬としても早い死だったと思う。腎臓を悪くして、尿毒症だったと母から聞いた。クッキー訃報電話で受けた私は、直後にバイトが迫っていたためにシフトを代わってもらうこともできず、そのまま5時間働いたあと、着の身着のままで電車を乗りついで家へ帰った。

実家二世帯で、クッキーは二階の子世帯で飼われていた。大型犬だったが、室内飼いで、子犬のころはよく色んなものしっちゃかめっちゃかにした。家に帰ったと思ったら、ティッシュと引き裂かれたペットトイレシーツにまみれて、口に自分ウンコを咥え、すまし顔をした彼に出迎えられたこともある。

「小さくて可愛かったから」、と父がほぼ寝言をほざいてペットショップから買ってきた、そんな彼も7年で大型犬標準的サイズ体重まで育った。こわばったクッキーの体は重く、布に乗せて四隅を持つようなかたちで、途中で急カーブを描いて折れ曲がる実家の狭い階段を、家族四苦八苦しながら庭へ運び出した。

掘った穴の底にクッキーを横たえて、好きだったおもちゃお菓子をいくつか並べた後、土をかけて穴を埋め戻し、そこらに転がっていた丁度いいサイズの石を置いて彼の墓とした。余談だが、墓のそばには柿の木があって、祖父は毎年その木から収穫した柿を干し柿にして食べている。たまに子世帯にもおすそ分けしてくれる。それを見て、毎度父が「クッキーを食べる時期か」と言う。親子そろってデリカシーがないのか、それとも単に田舎人間の神経はこんなものなのか、私は知らない。


そんなことはどうでもいいのだ。

大事なのはクッキーはもう死んでしまったということだ。死んでしまったのだから、彼の毛がシーツにべっとり付着して、掃除に手間を取られることももうない。夢の中の私は自分の見ているものが夢であると気づいていた。夢だと気づいていたが、クッキーが死んだことを忘れていた。私は彼をベッドから追い出してしまった。思い出した瞬間に、彼がしたかったことを存分にさせてあげればよかった、もっと遊んであげればよかったと強い後悔に襲われた。生前から彼はベッドに乗りたがった。布団に染みついた飼い主の匂いを思い切り堪能したかったのだろう。そのささやかな願いを今度も遂げさせてやれなかった。喪失感がひどく、自分でもわけがからいくらい悲しかった。ベッドから投げ出した、伸ばしっぱなしの手の先に、クッキーはもう触れてはこないのだ。慌てて舞い戻った実家で横たわる彼を見たときも、彼を埋めたときだってこれほど悲しくはなかった。夢の中の私は顔をゆがめて思い切り泣いた。泣いているうちに、現実の体の眼球に向かって涙がせりあがってくる感じがして、ついに目をあけると思い切り涙が落ちた。


目を覚ますとあれほど荒れ狂っていた感情はあっけないくらいあっさり引いていった。涙はそれ以上出なかった。私は胸に残った痛みの深さに驚いた。夢の中の涙を現実に持ってくるには、これだけの痛みが必要ものかとちょっと詩的なことを思ったりもした。その痛みもすぐに引いていったが、目を覚ました直後の痛みは、ちょうど心筋に掘削用の機器でも使ってゆっくり穴を掘っていったのだろうかと思うほどだった。それ以上は涙にならなかったのが不思議だったが、頭の中にある感情で眠った体を動かすには、実際それだけのパワーが必要なのだろう。痛みが消えた後は、ただ彼に対する後悔と、ひさびさに抱いた強い感情に対する疲労感が残った。昔はことあるごとに自分世界一かわいそうな悲劇のヒロインだと思い込んで嘆き悲しんでいたが、今は喜怒哀楽のどれであれ、強い感情を抱くだけで疲れてしまう。吉良吉影気持ちがよくわかる。あまり感情を揺さぶられると大人しんどいのだ。悲しい夢を見て、涙を流しながら目を覚ますというありがちなシチュエーションは、本人からすると割と体力を使ううえにしんどい。それが分かっただけ昼寝で潰れた無為休日ではなかったのかもしれない。


ことわっておくが、私は幽霊を信じていない。虹の橋存在も信じていない。たぶん、今日の出来事は、浅い眠りで半分覚醒していた脳が見た、妙に実感のある幻の類だったろうと思う。ただの夢だ。そんなことは百も承知で、消化しきれなかった思いをクソのような駄文と一緒にトイレに流したくてこんなものを書いている。


三連休初日、家と会社の往復以外はほぼ引きこもり状態の25歳女性。言うまでもなくブスで、友達ほとんどいない。吐き出すアテもなかったので、たいしてうまくもない感情的な文をまたネットに吐き出してしまった。どうか許してほしい。病んだブスがやりがちなことだ。打線が組めるし実際かなり打つ。鬱だけに。

べつに許さなくてもいいが。

2016-09-14

ガン治療カミングアウトした人に有りがちなこ

FBのあまり親しくもない「友達」がガンになって闘病中らしい。

そして、何となくFB投稿を読んでいると、

・癌が見つかった臓器の全摘出を医師に勧められた。

セカンドオピニオンで「全摘必要はない。温存療法で行きましょう」といわれた

・で、そちらの方針に乗り換えた

どちらが適切なのかは分からない(乳ガンだって昔は乳房どころか胸の筋肉まで取ってたのが、

今や温存療法が主流だし)し、縁のある人の訃報なぞ聞きたくないので回復してもらいたいと思う。

 

 

で、その方の投稿を見ていて気になるのが、コメント欄に寄せられる

・知人が●●でガンを治した(●●には健康食品温泉、様々な「健康保険が利かない療法」が入ります

という「お前絶対医学的根拠ゼロだろ、それ」的なありがたいご意見

 

 

※どういう作用機序かはともかく、プラシーボ自然治癒では説明が付かないくらいには

ガンを改善できるというのが「医学的根拠がある療法」と考えます

 

 

こういう人は、だいたいは善意なんだろうけど、善意アドバイスをいちいち受け入れていたら、

金と命と時間いくらあっても足りません。

右から左に流せれば良いですが、だいたい心が弱っている時には

そういう「一縷の望み」みたいなものに心を奪われやすものです。

自分がガンになる日が来たとして、こういうコメント絶対に見たくないので、

たぶん家族以外には知らせないだろうなと思う。

2016-09-12

加藤紘一て有名なの?加藤の乱といいたいだけなのかと

幹事長までいったけど存在感あったっけ?存在感だけなら、鈴木宗男とか野中広務のほうがあるし、

そっちのほうに訃報入ったら、加藤と比べてどっちが扱い大きくなるのか気になる。

キャラ的に民主党政権幹事長だった輿石のうほうがまだキャラ立ちしてた印象。

まり今日日本平和です。

2016-07-20

はてなブックマークを使ってる人にききたいんだけどさ、

たとえば訃報ニュースがあったときに、いくつか発信してるサイトがあるわけだけどさ、

どこにブックマークするか決めてたりするものなの?

ほとんど同じ内容のはずなのにブックマークがたくさんつくところと全然ついてないところとあるでしょ

スターをもらおうと思ったらやっぱりブックマークがたくさんついてるところのほうがいいだろうと思うんだけど、

尻馬に乗る形になってしまうと大してスターを集められないと思うのね

かといって、あまりブックマークがついていない段階だとどこのニュースサイト記事が伸びるかなんて予測できないわけで。

トピックちゃんがんばれ。

2016-06-23

Facebook訃報いいね!を付ける人達

なんなの?

さすがに不謹慎だろう、バカと関わっても良い事ないかブロックしたったわ

あれでも普通に結婚とかして社会生活を営んでる人達なのが解せない

2016-06-16

同僚の母親が亡くなった

年齢は70代

一人暮らしだけど近くに子供は住んでいて、当人もいたって元気

亡くなる直前にも旅行にでかけたりしていたよう

週末に息子一家が遊びに来ていてその時も普通に元気だったらしいが翌日入浴中に倒れそのまま亡くなった

一人暮らしだったため発見が遅れ死後数日経過していたとのこと

この気温でご遺体の傷みが早く検死を済ませたら即火葬となった

今回の訃報を聞いて今後両親のうちどちらかが先に死んだ場合携帯ワン切りでもいいので毎日連絡をしてもらうように提案しようと思った

駆けつけて間に合う距離に住んでいなくとも死んでるのに何日も気づかないということだけは避けたい

2016-05-31

オレの嫁がこんなにSNS脳のわけがない

最近、嫁の行動がすべてSNS主体で回っててつらい。

食事は基本、食べる前に写真を撮ってから食べる。しかも何枚も撮る。

麺類とかのびてしまう。その間オレはずっと待たされる。

スパゲティー屋さんとか茹でる時間に命かけてるだろうからあいうの腹立つんじゃないのかな。

料理以外もなんでも写真を撮る。祖父が死んだときに死に顔を何枚も撮ってたのはさすがにひいた。

Googleフォトの軽快なムービーの曲に乗って死に顔が突然出てくるんだよ。びびるわ。

作ってくれる料理は、ネットではやってて見栄えのするやつ(もちろんSNS画像をあげるため)か、クックパッド適当検索したやつ。なので同じようなメニューが続いたり、主菜副菜の味付けが同じだったりする。

そしてまたカシャカシャ撮影。どうせ撮影時間かかるだろうからと思ってすぐに食卓に行かないでいると怒られる。理不尽だ。

出かける場所ネットで話題のところ。着るものネットで話題のもの

話すこともネットで話題のことばかり。

知識が点でしかいから聞いててこざかしさがハンパない

有名人訃報とかさわぐけど、いや君ボウイとかプリンスとか聴いたことないよね?みたいな。

いつでもスマホを手放さない。食事中だろうがなにか気になることがあったらすぐスマホ

もちろん寝る間際までスマホでなんかしてる。それで毎日調子悪いとかいってる。

おれはフェイスブックも会員にだけなってずっと放置しててSNSとかあんまり知らないけど、そんなにいいねとかをもらいたいものなのかなあ。

完全にスマホ中毒ですわ。最近は嫁がスマホをいじってるだけでいらいらする

2016-05-16

ストームライダーへようこそ!」

数ヶ月前の事は、やたらと鮮明に思い出せる。

その日、私はカフェで友人とアイスフロートを飲んでいた。

友人がお手洗いに立ったのを見て、スマートフォンツイッターはてブを緩く見回っていた時に、見つけたのだ。正直眼を疑うような記事見出しだった。本文を見てからは思わず驚愕して叫んでしまったほど。(というよりも、「あ…ああ…」と狼狽した声が行き場を失いながらも出てきてしまったような形なので、端から見たら知人の訃報が入ったか身代金でも揺すられてるかのように見えたと思う)

お手洗いから帰ってくる友人に助けを求めるかのごとく話を振ろうとしたら、彼の方からも話を振ってきた。多分、彼も同じように記事を見たのだ。2人でほとんど声を合わせるように、私たちは同じことを口にした。

「あのストームライダークローズ?」


と、ここまで来て頭の中で3代目J soul brothers from EXILE TRIVEのストームライダーを頭に浮かべている人はちょっと一度冷静になって、東京ディズニーシーの方のストームライダーを思い出して欲しい。

そう!そうそう!それ!う、うん、そうね、「緑のチカチカチェックするやつ!!」って間違っちゃいないんだけどそれしかないアトラクションみたいな思い出し方はやめなさいね、その後、仮にもストーム消してるんだから

「空を斬り走るやつねー」って、え?あ、まあ間違ってはいないけども随分とポエミーな表現ね…

疾風迅雷 蒼の魂」ってだからそれは3代目の方のストームライダーだろうが。

そんなこんなで、今日TDSストームライダーラストフライトの日である。こんなにアトラクションクローズでここまで衝撃なのはミクロアドベンチャー!やビジョナリアムに個人的には並ぶ。ツイッターによればあの人気のトイマニ、タワテラをぶち抜いて今日ストームライダーが最大の待ち時間のようであるセンターオブジアースレイジングですら待ち時間緩いのにストームライダーが120越えってもうなんだか異常気象発見たかのような気分である。それこそ台風のような。個人的には、ストームライダー60分越えはシンドバッド15分待ちに並ぶ混雑のバロメーターだったのだけどなぁ。

今日はそれほどまでに、ストームライダー愛する人がいる事を確認する日になる。ここまでくると宗教に近いかもしれない。ストームライダーという儀式を執り行うために長蛇の列をなす信者たち。ポートディスカバリー聖地

私ももし舞浜に行けるならそのお姿を拝みにポートディスカバリーへと足を運んでいただろうし、もし入園できなくてもベイサイドステーションからゆるゆると海岸線を回り、最もポートディスカバリーに近い地点からストームライダーに向かって祈りを捧げるくらいのことをしていただろう。エルサレム

どうかしてると言われそうだが、今私はiPhoneコンパス機能を始めてフルに生かし割り出したディズニーシーの方角に向かって文を書いている。

それほどまでに好きだった。このストームライダーが。


ストームライダーの何処がそれほどまでに私を魅了したのか。というと本当に答えになっていないのだけども「どの点においても優秀であった」というのが正直な答えである

オープン当初としては驚きの、かなり精巧フライトシミュレーター系でスタツアとの出来の違いにまず驚いた。

動き細やか!窓の外も見れるし!

まさかストームディフューザー刺さると思わなかったし。アトラクションのそういった出来が本当に段違いだった。

キャラクターたちも良い。デイビスお茶目だけどイケメン雰囲気(ホラーなら最初におどけて殺されてるタイプ)をよく声優表現したと思う。ストームを目の当たりにした時のセリフは、その声色だけで息を飲んでいるのがありありとわかる。スコットとベースもいい味を出している。「司令室に来なさい!今すぐ!」の声は今も幻聴のように思い出せる。

バックグラウンドストーリーは、オープン当初はストームライダーがかなり大きなバックグラウンドストーリーを持っていた。だってポートディスカバリーの設定がストームライダー計画成功お祭りって設定なのだから。あのポートディスカバリー雰囲気も好きだったので、その真髄を味わえる、という点でもストームライダー価値があった。CWC Center for Weather Controlのロゴなどもリアリティがあった。そういった、ディズニーならでは作り込みを感じ取りやすいのもストームライダーの良いところだった。

アメフロのSSコロンビア処女航海設定がタートルトークやオーバーウェイブ、セイリング看板の入れ替えなどでしれっと消えてるあたり、ポートディスカバリーの設定もふわっと変わってしまうのだろうなぁ、と思うと少し切ない。

音楽言わずもがなTDS、いやTDRもっと言えばディズニー最高峰楽曲だろう。

出来ればCDにはストームライダー組曲だけでなく、搭乗前の部屋で流れるイントロリピートのやつも何処かで収録をして欲しい。

あの名曲が、演奏される場所を失うのは本当に惜しい。ミクロアドベンチャー!の素晴らしいテーマ曲が今はTDLエントランスの一部になっているように、ポートディスカバリーエリアミュージックとして生まれ変わってくれることに期待をしたい。

そして私が最もストームライダーを愛してやまない理由をあげたい。

「プレフライトクルーである

なんじゃそりゃ、って人に説明すると、ストームライダーではキャビンに搭乗する直前に、気象コントロールセンター研究員であるキャストさんが実演でミッション内容を説明してくれるのである

私はこれが本当に好きだった!!

ストームライダーへようこそ!」は、とても印象に残るよね。

今でこそタートルトークにタワーオブテラーキャスト説明をしてくれるアトラクションは増えたものの、昔は無かったのだ。

もう、カヌージャングル体育会系なノリしか無かったわけです。

もっとかのぼればシンデレラ城ミステリーツアーがあったけれども、シーではストームライダーくらいしか無かった。2つのシアターでも説明はあるけど本当に説明くらいなので、ストームライダーが1番エンタメ性があったのだ。

初めて見たときベースとの掛け合いなどももしやここにいるのか?と思ってしまったほど。

最近では「今の…100万倍くらいですかね?」

すべり芸としての地位を築いてしまったけども、話口調や映像を使ったパフォーマンスは、本当に素晴らしかった。

東京ディズニーシーオープン当初は全体的にキャラに頼らない、生身の人間が見せるパフォーマンスを重視していた節がある。アンコール!やミスティックリズムはその最もたるものだけれども、アトラクションで初期のシーが標榜していたライブパフォーマンスエッセンスを取り入れていたのは今思えばこのストームライダーだけだった。

そこまで難しいことは考えずとも、初めて乗ったとき、あの説明を受けたとき、「これが、これからTDRアトラクションなんだ…」と衝撃を受けた。

そう、思い起こせばオープン当初のシーの人気アトラクションの中で、「原作がないアトラクション」はストームライダーだけなのである

今のファストパス対応アトラクションの中でもレイジングスピリッツストームライダータワーオブテラーだけだ。(タワテラトワイライトゾーンとはもはや無関係なので)

鑑みればあのあたりのオリエンタルランドディズニー脱却をコンセプトにしていたのか、イクスピアリオリジナルキャラを作ったり(何処に行ったんだネポス…)前述の通りアンコール!などのキャラ無しのショーが多かったり、シーではグリ施設は無かったり、かなりストイック、というかランドとの方向性の違いを明確に出そう、という気概があった。自分たちで新しいものを作るんだぞ!という。そんな中で作られたこのストームライダー、力が入らないわけが無いし、面白く無いわけが無いのである

そう、シンドバッド友愛ストーリーに書き換えられたり、グリ施設が4つもできたり、キャラ無しのショーは全部廃止された、オープン当初のコンセプトもへったくれも無い今のシーの中で、唯一、ストームライダーはあの頃の雰囲気を持っていた。ある意味では、ストームライダーオープン当初のシーの遺跡なのである

そして個人的なことを言えば、プレフライトクルーになりたかった。

たくさんの人の前で、ご案内をする姿が眩しかった。子供ながらに憧れて、いつしかあの案内はすべて諳んじれるようになっていた。

その影響もあってか、演劇部に入ったこともある。今の仕事でも司会業を少し受け持っている。

あのプレフライトクルーへの憧れ、ストームライダーへの憧れが、こっそりと私の人生に種をまいていてくれたのだと思っている。

ストームライダーは、思い出であり、人生の起点であり、唯一無二のアトラクションだった。







明日からは、ポートディスカバリーストームライダーはいない。

気象コントロールセンター本拠地移転を発表した。

それに伴い、14年に渡るストームライダーによるストーム消滅ツアー廃止となる。

センターによると、今後の学術研究へ注力するための選択だそうだ。

跡地は海底探査の拠点として次なる活動が決まっている。

本日の閉鎖を持って、センターに勤務の全職員は新事務所へ移ることになる。

デイビス、スコット、ベースコントロール

そしてたくさんのプレフライトクルー明日も、新しい場所ながらも変わらずにストーム異常気象と戦う日々が続くのだろう。


もう二度と、凄まじい破壊力を持つストームの中になんか入れない。

もう二度と、100万倍くらいの小粋なジョーククスリと笑うこともできない。

もう二度と、緑のチカチカの部分だけ決めゼリフのように声を被せる高校生集団も見れない。

おやつピーナッツのチェックも、雨に驚くゲストの姿も、エンジンがやたらと故障する機体にも、会えない。

そして、外へ出たときにより美しく感じる空と海のきらめきと潮の香りにも。

ストームライダーはなくなっても、乗った記憶、そしてそこに確かにあったという記憶は誰もの心に、残る。

これは、別れではなく、新たなスタートなのだ

からこそこの寂しさは抑えて、大きな舵を切るオリエンタルランド応援したい。

ここまで記憶に残るものを作ってくれたのだから、きっとそれを超えてくれるだろうと期待をしつつ。

ありがとう気象コントロールセンター

ありがとうキャプテンデイビス

ありがとうストームライダー

絶対に、絶対に、忘れないからね。

本当に、ありがとう





ポートディスカバリーは、今日も、晴れている。

2016-04-30

訃報ニュースを見るたびに思うのは誰だよお前っていう人ばっかりだが

さすがに桂歌丸訃報だけは驚いたし未だに信じられない

2016-04-27

機種変して使わなくなったガラケーネットニュースが来る

マエケン訃報についての記事

どういうしくみなんだこれ

もう電話メールもできなくなってるのに

不思議

2016-04-22

The Dave Fromm Show がゲラゲラ笑いながらプリンス訃報を伝えていて楽しそう。

これはさすがに不謹慎だと思う。

2016-04-01

エイプリルフールネタってさ

もう要らなくね?

どこもかしこもやってるせいで目新しさもないしさ

ニュースあってもそれがホントなのかどうかから疑わなきゃならんし

ザハの訃報とか最初エイプリルフールネタかと思ったわ

24時間フルでネタ更新してるとことかさ、そんなもんついて行けねぇよ

ハッキリ言ってもう邪魔

2016-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20160318214755

そういう「誰?」系のコメントつけるバカは、訃報でも事件でも同じく「誰?」と全然本筋と関係ないコメントつけるバカなので

イベントや何周忌とかの報道に「あ!私の誕生日~」くらいのコメントしかできないバカくらいに思っておいた方がいいよ

2016-03-12

あー俺が変なこといったばっかりに

Earth,Wind&Fireメンバー訃報でた時に、

EW&FEL&Pって紛らわしいよな、

EL&Pメンバーは死んでないよな?ってこと書いたら

http://anond.hatelabo.jp/20160205193813

自殺しちまったよおい。

http://amass.jp/70168/

エマーソン、レイクパーマーキース・エマーソンが死去 - amass

なんで死んだんだよ紛らわしいなあ・・・

2016-03-03

30users付近地雷原すぎて辛い。または【はてブロやっぱクソ】

T/Oでもいいんだが、例示もするし喩えもする。腹立ってるから

20〜40usersって言えば「まあ一読する価値はある」ってレベルのものだった。はてブロ以前は。

はてブロとともに互助会が生まれて変わった。10前後互助会+とりあえず赤字になってればブクマする勢の天井が大体30users台後半。

ここの辺りの記事の質のばらつきがとんでもなくひどすぎてほんと使いにくい。

例示

3/3 11:00付近の新着リストから拾ってみる。

はてダ新着

23users 骨法堀辺正史逝去。「梶原系ハッタリ」が許された時代は遠くなりにけり…… - 見えない道場本舗 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160303/p1

22users 出版状況クロニクル94(2016年2月1日2月29日) - 出版読書メモランダム - http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20160301/1456758003

前者は骨法堀辺氏の訃報に触れて、骨法歴史的意義をYouTubeマンガインタビュー引用を用いて軽く紹介したもの

後者はおもに太洋社廃業への具体的数字と、波及と、業界内での立ち位置、そしてそこから見えてくる出版不況の本当のウィークポイントについての見解

これはめっちゃ読む価値あるね!

はてブロ新着

34users 趣味男性モテるはずないのは事実だけど結婚はできるよ - MIKINOTE - http://www.mikinote.com/entry/tashumi-motenai

趣味自慢(お金持ってるんだぜ)、結婚自慢(お金持ってるんだぜ)、おもしろいオレ写真、果てはサンプル数1で雑なポジティブアドバイス風。非モテ論議華やかなりしころに有名中立ブロガーが突如公開したものだったら、逆に大炎上しただろうなあ、という感じ。

22users 北野天満宮の梅苑に行ってきました! - niko life... - http://niko.hateblo.jp/entry/2016/03/02/202417

そうですか。別に悪くはないんだけど、よくそれを全世界に公開しよう、できる、と思ったね。メレ子とかと比べるのは酷だけど、どうしたってそれはWWWから同じ天秤に乗る。銀塩あなた個性らしいけど、まず左手の筋力をつけて、水平を取るところから始めようか。

27users つべこべ言わず記事でも多く書きやがれ、PVなんて見るな! - ポジ熊の人生記 - http://www.pojihiguma.com/entry/pvpv-uruseebaka

1つのことしか言ってない。せいぜい1段落で済む話をなんで1700文字も書いてるの?そっちのがSEOにイイとでも教わった?ていうか何の何で上から目線なの?誰?

28users 女子二郎食べてきました - トウフ系 - http://kaishaku01.hatenablog.com/entry/2016/02/29/191249

タイトル写真2枚で成立してて切れ味ある。ついでに1800kcalって情報も入ってて知見。わりといい感じ。

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な?

たとえば靴屋で3万円の値札がついた箱があって、片方は開けてみればMaid in USAの本革のブーツ、片方はクソみたいなクロックスコピー

パット見では箱の区別は付かない(hatebloドメインでわかることもあるが、独自ドメイン仕様の方がクソ率高い)。

これは靴屋の値付けの失敗じゃん。

クソみたいなクロックスコピーしか作れないのは教育技術資源と恥じらいと「既に存る商業メディア記事、たとえばDPZと同じ基準で戦うんだ」という当然の覚悟が不足してる個人がいるだけであって、それが50円で道端ダンボールセールだったら別に文句は言わないし、ベランダ履き用に買うかもしれない。

どうにかしろはてな

これは「users」っていう貨幣の信用危機なんだよ。

はてなブックマーク - 人気エントリー - はてなニュース - http://b.hatena.ne.jp/hotentry/%E3%81%AF%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9

これとか見る限り、まだ情報の質に対する志向はあるわけじゃん。はてなニュース頑張ってるよ。キュレーションメディアの肥壺にもプレスリリース垂れ流しの怠慢にも落ちずにここ2年ほどのオウンドクソメディアウェーブを善く乗り切ったよ。

このままの棚作りで良しとは思ってないだろ?

どうにかしろはてな

2016-02-19

日本徴兵制を敷くことをオススメする3つの理由


1、 近隣諸国に対して抑止力になる


自衛隊技術や知識のない若者を集めただけでは、まったく役に立たない。

なので、徴兵しても意味がない、そういう意見があるがそれは間違いだと思う。


徴兵制を敷くことで、日本は一夜にして最低でも数十万クラス兵力を確保できるはずだ。

これにより、政府は「現在日本には100万の兵力がある」と、近隣諸国宣言できるのだ。

実際のところ、徴兵で集めた若者の個々の能力なんかどうでもよい。数字だけでよい、それだけで大きな抑止力になると思う。

(受け入れるための基地がないとか、財源はどうとか、現実的ツッコミどころは満載だが、話を進める)


で、現在日本において、現実的有事とはなんだろうか? おそらく、近隣諸国との武力紛争なんかではないと思う。

地震洪水豪雨といった自然災害、それが日本現実的有事ではないだろうか。


なので、徴兵で集めた若者には、軍事的な訓練を施すことも大切であるが、それよりも防災に関わる教育や訓練をメインに施せばよい。

兵役を終えた若者の多くは、社会に帰ることになる。防災の知識、技術を持った若者たちがいれば、有事(災害時)に大きな助けになるはずだ。

災害から地域家族を守る為の知識や技術が身につくことは素晴らしいことではないだろうか。

まさに一石二鳥である



2、 戦争のアホくささが身に染みてわかる


本稿を書いている本増田は、自衛隊の在隊経験である

在隊中、戦争状況を想定した訓練を何回も経験したが、実際はテレビ映画で見るような戦争状況とはまるで違う。

テレビ映画では、自分や仲間がどのような状況にあり、敵がどこまで迫っているのか、神的な視点があるが、

実際の戦争状況下では自分が一体何をやっているのか、まるで分からない。


直属の上官にここで穴を掘れと言われ掘る、歩けと言われれば一晩中歩き続ける、

よくわからないまま朝になり、とぼとぼ歩いていると、突然あなたはたった今戦死したと訓練の指導員に宣言される。

なぜ戦死したのか聞くと、肉眼では確認できないほど先にいる対抗部隊の敵戦車に撃たれたとのこと。

実戦ならこれで終わり、よくわからないまま死ぬである


よくテレビなどで自衛隊活躍を持ち上げられ、カッコよさを全面に押し出している感じを受けるが、実際には規律ある厳格な組織だ。

そこには個々の意見感情なんか関係なく、命令しかない世界なのだ


本題に戻ろう。本稿は徴兵制オススメしている。

訓練であるが、徴兵されれば戦争状況を模した訓練を行う。若者たちにこれをぜひ一度でもいいから経験してほしいのだ。

実際に銃を持ち、雨に打たれて、重い装備を背負って歩き続け、先の見えない状況で疲労困憊になる。

私自身、訓練中に精神的な不安から軽い呼吸困難になったり、幻覚が見えたりする経験をした。


たとえ訓練であっても、戦争状況のつらさ、理不尽さを体験できることで、考え方に大きな違いが生まれるかと思う。

から教えられた、本を読んで得た知識、それらとはまるで別物の考え方だ。


私は、自分経験を元に自分で考え、戦争なんか、軍隊なんかアホくさいという考え方の結論に達した。

自身経験し、考え、その結論に達した。人から教えられた、本を読んで得た知識から導き出した結論なんかじゃない。


もちろん、その逆の結論もある。ひとりの兵士として日本のために戦いたい、近隣諸国から日本を守る指揮官になりたい、

こういった考えを持ち職業軍人の道に進む、その結論に至るのも選択の一つだ。国のために貢献したい、その考え方もわかる。

現在世界情勢を考えると、そのような考えに至る若者も多いだろう。


きっと今日日本において義務教育だけでは、国のために何かしたいという考えには至らないと思う。

徴兵制度というきっかけによって、若者たちの考え方に選択肢が増えることは素晴らしいことではないだろうか? 



3.戦友ができる

3つ理由と題した本稿であるが、ここまで読んでもらって申し訳ない、1番目と2番目の理由なんかどうでもいい、上記はただのノーガキである。3番目が最大の理由だ。


数年前、90歳近い祖父が亡くなった。その通夜とき、見慣れない老人がやってきた。

話を聞くと、九州から通夜を行っている関東まではるばるやってきたという。

祖父と同じ90歳近いおじいちゃんが新幹線に乗ってたったひとりで。祖父訃報を聞いて、家族が止めるのも振り切ってやってきたそうな。


で、このおじいさん、大戦中は祖父と戦友で、九州部隊で苦楽を共にしたという。終戦後腐れ縁でいろいろとつるんでいたらしい。

祖父は、初孫だったら私の事もいろいろとこのおじいさんに自慢していたみたいで、見ず知らずのおじいさんが私のことをよく知っているという奇妙な体験をした。


先述のとおり、本稿を書いている本増田は、自衛隊の在隊経験者だ。ごく僅かな時間しかさなかったが、このおじいさんの気持ちというか、意気込みというか、

祖父とこのおじいさんの関係とか、そんなことが私にはなんとなくわかった。私にも腐れ縁のような友というか、戦友がいるからだ。


軍隊とか自衛隊のような特殊組織のなかで苦楽を共にすると、なんというか説明が難しいが、不思議友達ができる。

それは友達といっても学校職場友達とはまるで違う。一生付き合うことになる戦友というか、親友ができる。

徴兵制オススメする最大の理由はこれだ。



以上、長文ですまない。

2016-02-18

もし日本の政治家が韓国女子学生の30%が援助交際をしているなんて妄想発言したら国内からも総バッシングで即辞職、その後も他の職についた時も延々言われて自殺に追い込んで、訃報ニュースにも冥土土産とばかりに言い続けられるレベルなのに、対して問題にならなかったなアレ。

2016-02-16

初めて増田で書いてみる。

ここ何日かずっと考えている。

婆ちゃんと、私と、最近自殺した叔母のこと。

踏みにじられた気持ち殺意のこと。

うちは貧しかった。母親はいない。

父親ほとんど家にはおらず、婆ちゃんが私の面倒を見た。

婆ちゃんはたびたび、躾として私の一番大切なものを選んで、捨てたり壊したりした。

ある時 婆ちゃんは、私が小学校に行っている間に、私の猫を捨てた。

前の晩、私は猫と遊んでいて風呂になかなか入らなかった。婆ちゃんは猫にばかりかまけて、やるべきことをしない私に怒っていた。

言うことを聞かないならば明日 猫を捨てると、婆ちゃんが言った。

猫は、学校にも家にも居場所がなかった私にとって唯一の、かけがえのない心の拠り所だった。

どれだけ大事に思っているか婆ちゃんにだって分かるはずだ。

ましてや命ある生き物を、婆ちゃんだって捨てられるわけない。

無神経な脅しにとても腹が立った。

その日、私は意地になって言うことを聞かなかった。


猫は捨てられた。正確には、殺された。

婆ちゃんは、私が言うことを聞かなかったかなのだから、お前が悪いのだと言った。

私には、理解できなかった。

大切なものを捨てられると、言うことを聞くようになるなんて絶対に、あり得なかった。

猫の後を追って死にたかった。

心はとっくに死んでいた。

ただただ感じていたのは、婆ちゃんへの激しい怨み、憎しみ、殺意


思春期になると私は、頭の中で婆ちゃんを殴るようになった。殺すことも、考えた。

大きくなった私には、実行できないことでもなかった。

暴力的想像は、やめたくても、どうしても頭から離れなかった。

そんなことを考えてしま自分がとても怖かった。

婆ちゃんの言う通り、私はいつか犯罪者になって、牢屋に入るのかもしれない。

いつか犯罪を犯して、死んだら地獄に堕ちるのだと思った。


早く田舎を出たかった。

高校卒業後、半年ちょっとバイトして、貯めたお金を持って19歳の冬に上京した。

攻撃的な想像は、二十代前半まで続いた。

相手が誰でも、なにか不快に感じると殴る、蹴るの想像をしてしまう。

「お前は犯罪者になるぞ」と言った婆ちゃんの言葉は、呪いのトゲように、私に刺さっていた。

東京はいろんな人がいた。

知らない土地、知らない人たち。

怒る人はいたけど、婆ちゃんほど恐ろしい人や、婆ちゃんほど理不尽な人は一人もいなかった。

冷たい人もいれば暖かい人もいた。

もがいたり苦しんだりしながら、気づいたことが たくさんあった。

だんだん私は、暴力的想像をしなくなった。


年月が経ち、私は結婚して子供が産まれた。

すっかりまともな人間になったと思った。

から、娘が生後5ヶ月の時に、娘と田舎へ行くことにした。

まともな人間らしく、婆ちゃんに娘を見せに行ったのだった。

婆ちゃんはひ孫にあたる娘を、可愛いと言った。

そのあと、「お前、子供を殺すなよ。こんなに可愛いのに。」と私に言った。

実家滞在した一週間の間に、何度も何度も繰り返し、子供を殺すなと言われた。

田舎から家に帰った後、酷いフラッシュバックが起こった。

私はもう二度と婆ちゃんに会わないと決めた。



ここからは、叔母の話。

私が上京したあと、入れ替わるように叔母が関西から引き上げて、実家で婆ちゃんと暮らすようになった。

何年か前まで実家には、叔母が飼っていた犬がいた。犬は、実家の庭の桜の木の下の、犬小屋で天寿を全うした。

婆ちゃんから、吠えてうるさいから捨てろと言われながら、叔母が守り抜いた犬だった。

婆ちゃんは家族に致命的なことを平気で言う人だったが、叔母もなかなか気性の激しい人で、負けじといつも婆ちゃんとぶつかっていた。

叔母が亡くなる少し前、婆ちゃんと叔母はいつにも増して激しい口喧嘩をしたという。

飼っていた犬が死んだ桜の木の下で、叔母は最期に何を思ったのだろう。

叔母は、婆ちゃんを殺すかわりに、自分を殺してしまったのだろうか。

それとも、踏みにじられるのに疲れてしまって、大事にしていた飼い犬に会いたくなったのだろうか。

最期の時の叔母は、怒っていたのか。泣いていたのか。無表情だったのか。

叔母の死は、他人事に思えない。

もしも、婆ちゃんと暮らしていたのが私だったら。

私も叔母のように自ら死を選ぶか、殺意のまま婆ちゃんを殺してしまたかもしれない。

大げさでも、何でもなく、そう思う。




先日、有名人子供への罰としてゲーム機を壊したことが、Twitter話題になっていた。

その方はその後、同じもの子供に買い与えられたという。

壊してゲームを一切禁止、二度と与えないということではなかった。

取り返しのつかないことにはならずに、良かった、と私は思った。

きっとその人にだって、少しは後悔があったか子供気持ちを考えたか、したのだろう。

からまた買い与えたのだろうと、思いたい。


自分が親になって実感している。

親は結構 間違える。

私は、それに自覚的でいたい。

自分の行いをいつも振り返ることができるように。

間違いを正当化しないように。

親が過ちに無自覚で、自分正当化し続けたなら、たとえほんの軽いものでも子供への心理的虐待になりうると私は思う。


もしも婆ちゃんが、自分のやったこと、言ったことを後悔して、一言でも詫びてくれる人だったなら、私は殺意を感じるほどの強い怨みを抱かなかったのではないだろうか。

私は婆ちゃんを殺さずにすんだ。

正直、まだ怨んでいるが、いまはただ、婆ちゃんの訃報を待っている。

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