はてなキーワード: 訃報とは
原因は8つ上の兄だ。
ある日思春期を迎えた彼は、一人ではいてもいられなくなったのか自らの部屋にわたしを呼び出した。
そしてまだ天真爛漫だったはずのわたしに、死とは何かを語り始めたのだ。
冷めない眠り、永遠の孤独、知覚の喪失、愛する人たちとの永遠の別れ。
彼はときに涙し、ときに恐怖に身をちぢこませながら自らの不安を吐露し続けた。
あんなに頼りがいのある兄をこれほどまでに恐れさせるもの。それだけで死というものの恐怖を知るには十分だった。
若かりし頃、誰もが通るであろう死と向かい合う儀式を、わたしはじつに8年も早く経験することになってしまった。
それからと言うもの、何をしていても、どんなに楽しい思いをしていても、その直後には死の虚無感が襲ってきた。
夜、布団に入れば目覚めない不安に襲われ、永遠の恐ろしさに震えていた。
その頃の死とは、得体の知れないただただ恐ろしいだけの存在だった。
わたしの頭上には一本の糸があって、悪魔とも神ともわからぬものがその先を握っている。そして気まぐれにその糸を切ればわたしは死んでしまうのだ。
しかしわたしは自らが死んだことを自覚できない。それなのに突如永遠の孤独に放り出されてしまう。
思春期を過ぎ社会に出るまでの間、時間があるだけそんないつ訪れるかわからないことに対する恐怖に怯える日々を過ごしていた。
ところが、仕事に追われる日々を過ごしている間は、少しだけ死の恐怖から逃れられることがわかった。
今までは寝床に入ることすら恐怖であったのに、仕事で疲れていれば考える間もなく眠りに落ちることができた。
だからわたしは、死の恐怖から逃れるために仕事に没頭する道を選び続けた。
そうして気がつくと、わたしはある程度の時間的余裕を持て余す立場になっていた。
そしてその時間的余裕は、わたしに再び死の恐怖をもたらしたのだ。
しかし、それは今までのものとは少し違っていることがわかった。
あの頃恐れていたものよりも、リアルで身近なものになっていたのだ。
新聞には自分と同世代の著名人の訃報が並び、身近な人間の不幸も多く耳に届くようになった。
身体は少しずつ衰えを見せ始め、病気の治りも時間を要するようになってきた。
それまでは漠然としていた恐怖が、少しずつ姿を見せ始めてきたのだ。
この数十年で、いつ訪れるかわからない恐怖だった死は、今、いつ訪れてもおかしくない恐怖へと姿を変えていたのだ。
この先この恐怖はどのような姿に形を変えていくのだろうか。
よりその姿を鮮明にするであろう恐怖と、再び向き合い続ける日々が始まるかと思うと憂鬱でならない。
結論から先に書く。以下の冗長な文は、連休にも関わらず予定がない暇な25歳女が、昼寝をして見た夢の中で涙して目を覚まし、それが思っていたよりしんどかったのでびっくりしたという話だ。
実に下らないうえに感傷的でオチもないので、よっぽど暇でなければ読み飛ばすことを勧める。
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夢を見た。
ラブラドールレトリーバーのクッキー(♂・仮名)が、嬉しそうに私の寝ているベッドへのぼってきて、布団にぐいぐいと頭を押し付けてじゃれついてくる。
ラブラドールは抜け毛の激しい犬種なので、そんなことをされたらすぐシーツが毛まみれになってしまう。
私はクッキーの愛嬌に少し笑いながらもすぐに「こら、下りて」とクッキーをベッドの上から追い出した。下ろされた彼は名残惜しそうに、ベッドの端から伸ばした私の手に彼の顎を乗せてふんふん鼻を鳴らした後、すっと歩き去ってしまった。
そこであることを思い出した。クッキーは昔実家で飼っていたラブラドールである。当然もういない。
クッキーはずいぶん昔に死んでしまった。今は一戸建ての実家の庭に眠っている。伝え聞くところによるとペットを庭に埋葬するのはいいことではないらしいが、もう大分昔の話である。
私はクッキーの死に目には会えなかった。当時の私は大学生で、上京して一人暮らしをしていた。クッキーは7歳で、一般に小型犬と比べて寿命が短い大型犬としても早い死だったと思う。腎臓を悪くして、尿毒症だったと母から聞いた。クッキーの訃報を電話で受けた私は、直後にバイトが迫っていたためにシフトを代わってもらうこともできず、そのまま5時間働いたあと、着の身着のままで電車を乗りついで家へ帰った。
実家は二世帯で、クッキーは二階の子世帯で飼われていた。大型犬だったが、室内飼いで、子犬のころはよく色んなものをしっちゃかめっちゃかにした。家に帰ったと思ったら、ティッシュと引き裂かれたペット用トイレシーツにまみれて、口に自分のウンコを咥え、すまし顔をした彼に出迎えられたこともある。
「小さくて可愛かったから」、と父がほぼ寝言をほざいてペットショップから買ってきた、そんな彼も7年で大型犬の標準的なサイズと体重まで育った。こわばったクッキーの体は重く、布に乗せて四隅を持つようなかたちで、途中で急カーブを描いて折れ曲がる実家の狭い階段を、家族と四苦八苦しながら庭へ運び出した。
掘った穴の底にクッキーを横たえて、好きだったおもちゃやお菓子をいくつか並べた後、土をかけて穴を埋め戻し、そこらに転がっていた丁度いいサイズの石を置いて彼の墓とした。余談だが、墓のそばには柿の木があって、祖父は毎年その木から収穫した柿を干し柿にして食べている。たまに子世帯にもおすそ分けしてくれる。それを見て、毎度父が「クッキーを食べる時期か」と言う。親子そろってデリカシーがないのか、それとも単に田舎の人間の神経はこんなものなのか、私は知らない。
そんなことはどうでもいいのだ。
大事なのはクッキーはもう死んでしまったということだ。死んでしまったのだから、彼の毛がシーツにべっとり付着して、掃除に手間を取られることももうない。夢の中の私は自分の見ているものが夢であると気づいていた。夢だと気づいていたが、クッキーが死んだことを忘れていた。私は彼をベッドから追い出してしまった。思い出した瞬間に、彼がしたかったことを存分にさせてあげればよかった、もっと遊んであげればよかったと強い後悔に襲われた。生前から彼はベッドに乗りたがった。布団に染みついた飼い主の匂いを思い切り堪能したかったのだろう。そのささやかな願いを今度も遂げさせてやれなかった。喪失感がひどく、自分でもわけがわからないくらい悲しかった。ベッドから投げ出した、伸ばしっぱなしの手の先に、クッキーはもう触れてはこないのだ。慌てて舞い戻った実家で横たわる彼を見たときも、彼を埋めたときだってこれほど悲しくはなかった。夢の中の私は顔をゆがめて思い切り泣いた。泣いているうちに、現実の体の眼球に向かって涙がせりあがってくる感じがして、ついに目をあけると思い切り涙が落ちた。
目を覚ますとあれほど荒れ狂っていた感情はあっけないくらいあっさり引いていった。涙はそれ以上出なかった。私は胸に残った痛みの深さに驚いた。夢の中の涙を現実に持ってくるには、これだけの痛みが必要なものかとちょっと詩的なことを思ったりもした。その痛みもすぐに引いていったが、目を覚ました直後の痛みは、ちょうど心筋に掘削用の機器でも使ってゆっくり穴を掘っていったのだろうかと思うほどだった。それ以上は涙にならなかったのが不思議だったが、頭の中にある感情で眠った体を動かすには、実際それだけのパワーが必要なのだろう。痛みが消えた後は、ただ彼に対する後悔と、ひさびさに抱いた強い感情に対する疲労感が残った。昔はことあるごとに自分が世界一かわいそうな悲劇のヒロインだと思い込んで嘆き悲しんでいたが、今は喜怒哀楽のどれであれ、強い感情を抱くだけで疲れてしまう。吉良吉影の気持ちがよくわかる。あまり感情を揺さぶられると大人はしんどいのだ。悲しい夢を見て、涙を流しながら目を覚ますというありがちなシチュエーションは、本人からすると割と体力を使ううえにしんどい。それが分かっただけ昼寝で潰れた無為な休日ではなかったのかもしれない。
ことわっておくが、私は幽霊を信じていない。虹の橋の存在も信じていない。たぶん、今日の出来事は、浅い眠りで半分覚醒していた脳が見た、妙に実感のある幻の類だったろうと思う。ただの夢だ。そんなことは百も承知で、消化しきれなかった思いをクソのような駄文と一緒にトイレに流したくてこんなものを書いている。
三連休の初日、家と会社の往復以外はほぼ引きこもり状態の25歳女性。言うまでもなくブスで、友達もほとんどいない。吐き出すアテもなかったので、たいしてうまくもない感情的な文をまたネットに吐き出してしまった。どうか許してほしい。病んだブスがやりがちなことだ。打線が組めるし実際かなり打つ。鬱だけに。
べつに許さなくてもいいが。
FBのあまり親しくもない「友達」がガンになって闘病中らしい。
・セカンドオピニオンで「全摘の必要はない。温存療法で行きましょう」といわれた
・で、そちらの方針に乗り換えた
どちらが適切なのかは分からない(乳ガンだって昔は乳房どころか胸の筋肉まで取ってたのが、
今や温存療法が主流だし)し、縁のある人の訃報なぞ聞きたくないので回復してもらいたいと思う。
で、その方の投稿を見ていて気になるのが、コメント欄に寄せられる
・知人が●●でガンを治した(●●には健康食品や温泉、様々な「健康保険が利かない療法」が入ります)
という「お前絶対、医学的根拠ゼロだろ、それ」的なありがたいご意見。
※どういう作用機序かはともかく、プラシーボや自然治癒では説明が付かないくらいには
ガンを改善できるというのが「医学的根拠がある療法」と考えます。
こういう人は、だいたいは善意なんだろうけど、善意のアドバイスをいちいち受け入れていたら、
右から左に流せれば良いですが、だいたい心が弱っている時には
そういう「一縷の望み」みたいなものに心を奪われやすいものです。
自分がガンになる日が来たとして、こういうコメントは絶対に見たくないので、
たぶん家族以外には知らせないだろうなと思う。
食事は基本、食べる前に写真を撮ってから食べる。しかも何枚も撮る。
スパゲティー屋さんとか茹でる時間に命かけてるだろうからああいうの腹立つんじゃないのかな。
料理以外もなんでも写真を撮る。祖父が死んだときに死に顔を何枚も撮ってたのはさすがにひいた。
Googleフォトの軽快なムービーの曲に乗って死に顔が突然出てくるんだよ。びびるわ。
作ってくれる料理は、ネットではやってて見栄えのするやつ(もちろんSNSに画像をあげるため)か、クックパッドで適当に検索したやつ。なので同じようなメニューが続いたり、主菜と副菜の味付けが同じだったりする。
そしてまたカシャカシャ撮影。どうせ撮影で時間かかるだろうからと思ってすぐに食卓に行かないでいると怒られる。理不尽だ。
出かける場所もネットで話題のところ。着るものもネットで話題のもの。
話すこともネットで話題のことばかり。
有名人の訃報とかさわぐけど、いや君ボウイとかプリンスとか聴いたことないよね?みたいな。
いつでもスマホを手放さない。食事中だろうがなにか気になることがあったらすぐスマホ。
もちろん寝る間際までスマホでなんかしてる。それで毎日調子悪いとかいってる。
おれはフェイスブックも会員にだけなってずっと放置しててSNSとかあんまり知らないけど、そんなにいいねとかをもらいたいものなのかなあ。
数ヶ月前の事は、やたらと鮮明に思い出せる。
友人がお手洗いに立ったのを見て、スマートフォンでツイッターとはてブを緩く見回っていた時に、見つけたのだ。正直眼を疑うような記事見出しだった。本文を見てからは思わず驚愕して叫んでしまったほど。(というよりも、「あ…ああ…」と狼狽した声が行き場を失いながらも出てきてしまったような形なので、端から見たら知人の訃報が入ったか身代金でも揺すられてるかのように見えたと思う)
お手洗いから帰ってくる友人に助けを求めるかのごとく話を振ろうとしたら、彼の方からも話を振ってきた。多分、彼も同じように記事を見たのだ。2人でほとんど声を合わせるように、私たちは同じことを口にした。
と、ここまで来て頭の中で3代目J soul brothers from EXILE TRIVEのストームライダーを頭に浮かべている人はちょっと一度冷静になって、東京ディズニーシーの方のストームライダーを思い出して欲しい。
そう!そうそう!それ!う、うん、そうね、「緑のチカチカチェックするやつ!!」って間違っちゃいないんだけどそれしかないアトラクションみたいな思い出し方はやめなさいね、その後、仮にもストーム消してるんだから。
「空を斬り走るやつねー」って、え?あ、まあ間違ってはいないけども随分とポエミーな表現ね…
「疾風迅雷 蒼の魂」ってだからそれは3代目の方のストームライダーだろうが。
そんなこんなで、今日はTDSストームライダーのラストフライトの日である。こんなにアトラクションクローズでここまで衝撃なのはミクロアドベンチャー!やビジョナリアムに個人的には並ぶ。ツイッターによればあの人気のトイマニ、タワテラをぶち抜いて今日はストームライダーが最大の待ち時間のようである。センターオブジアースやレイジングですら待ち時間緩いのにストームライダーが120越えってもうなんだか異常気象を発見したかのような気分である。それこそ台風のような。個人的には、ストームライダー60分越えはシンドバッド15分待ちに並ぶ混雑のバロメーターだったのだけどなぁ。
今日はそれほどまでに、ストームライダーを愛する人がいる事を確認する日になる。ここまでくると宗教に近いかもしれない。ストームライダーという儀式を執り行うために長蛇の列をなす信者たち。ポートディスカバリーは聖地。
私ももし舞浜に行けるならそのお姿を拝みにポートディスカバリーへと足を運んでいただろうし、もし入園できなくてもベイサイドステーションからゆるゆると海岸線を回り、最もポートディスカバリーに近い地点からストームライダーに向かって祈りを捧げるくらいのことをしていただろう。エルサレム。
どうかしてると言われそうだが、今私はiPhoneのコンパス機能を始めてフルに生かし割り出したディズニーシーの方角に向かって文を書いている。
ストームライダーの何処がそれほどまでに私を魅了したのか。というと本当に答えになっていないのだけども「どの点においても優秀であった」というのが正直な答えである。
オープン当初としては驚きの、かなり精巧なフライトシミュレーター系でスタツアとの出来の違いにまず驚いた。
動き細やか!窓の外も見れるし!
まさかストームディフューザー刺さると思わなかったし。アトラクションのそういった出来が本当に段違いだった。
キャラクターたちも良い。デイビスのお茶目だけどイケメンな雰囲気(ホラーなら最初におどけて殺されてるタイプ)をよく声優は表現したと思う。ストームを目の当たりにした時のセリフは、その声色だけで息を飲んでいるのがありありとわかる。スコットとベースもいい味を出している。「司令室に来なさい!今すぐ!」の声は今も幻聴のように思い出せる。
バックグラウンドストーリーは、オープン当初はストームライダーがかなり大きなバックグラウンドストーリーを持っていた。だって、ポートディスカバリーの設定がストームライダー計画成功のお祭りって設定なのだから。あのポートディスカバリーの雰囲気も好きだったので、その真髄を味わえる、という点でもストームライダーは価値があった。CWC Center for Weather Controlのロゴなどもリアリティがあった。そういった、ディズニーならでは作り込みを感じ取りやすいのもストームライダーの良いところだった。
アメフロのSSコロンビア処女航海設定がタートルトークやオーバーザウェイブ、セイリングの看板の入れ替えなどでしれっと消えてるあたり、ポートディスカバリーの設定もふわっと変わってしまうのだろうなぁ、と思うと少し切ない。
音楽は言わずもがな、TDS、いやTDR、もっと言えばディズニー最高峰の楽曲だろう。
出来ればCDにはストームライダー組曲だけでなく、搭乗前の部屋で流れるイントロリピートのやつも何処かで収録をして欲しい。
あの名曲が、演奏される場所を失うのは本当に惜しい。ミクロアドベンチャー!の素晴らしいテーマ曲が今はTDLエントランスの一部になっているように、ポートディスカバリーのエリアミュージックとして生まれ変わってくれることに期待をしたい。
そして私が最もストームライダーを愛してやまない理由をあげたい。
なんじゃそりゃ、って人に説明すると、ストームライダーではキャビンに搭乗する直前に、気象コントロールセンター研究員であるキャストさんが実演でミッション内容を説明してくれるのである。
私はこれが本当に好きだった!!
今でこそタートルトークにタワーオブテラーとキャストが説明をしてくれるアトラクションは増えたものの、昔は無かったのだ。
もう、カヌーかジャングルで体育会系なノリしか無かったわけです。
もっとさかのぼればシンデレラ城ミステリーツアーがあったけれども、シーではストームライダーくらいしか無かった。2つのシアターでも説明はあるけど本当に説明くらいなので、ストームライダーが1番エンタメ性があったのだ。
初めて見たときはベースとの掛け合いなどももしやここにいるのか?と思ってしまったほど。
最近では「今の…100万倍くらいですかね?」
はすべり芸としての地位を築いてしまったけども、話口調や映像を使ったパフォーマンスは、本当に素晴らしかった。
東京ディズニーシーはオープン当初は全体的にキャラに頼らない、生身の人間が見せるパフォーマンスを重視していた節がある。アンコール!やミスティックリズムはその最もたるものだけれども、アトラクションで初期のシーが標榜していたライブパフォーマンスのエッセンスを取り入れていたのは今思えばこのストームライダーだけだった。
そこまで難しいことは考えずとも、初めて乗ったとき、あの説明を受けたとき、「これが、これからのTDRのアトラクションなんだ…」と衝撃を受けた。
そう、思い起こせばオープン当初のシーの人気アトラクションの中で、「原作がないアトラクション」はストームライダーだけなのである。
今のファストパス対応アトラクションの中でもレイジングスピリッツとストームライダー、タワーオブテラーだけだ。(タワテラはトワイライトゾーンとはもはや無関係なので)
鑑みればあのあたりのオリエンタルランドはディズニー脱却をコンセプトにしていたのか、イクスピアリにオリジナルキャラを作ったり(何処に行ったんだネポス…)前述の通りアンコール!などのキャラ無しのショーが多かったり、シーではグリ施設は無かったり、かなりストイック、というかランドとの方向性の違いを明確に出そう、という気概があった。自分たちで新しいものを作るんだぞ!という。そんな中で作られたこのストームライダー、力が入らないわけが無いし、面白く無いわけが無いのである。
そう、シンドバッドが友愛のストーリーに書き換えられたり、グリ施設が4つもできたり、キャラ無しのショーは全部廃止された、オープン当初のコンセプトもへったくれも無い今のシーの中で、唯一、ストームライダーはあの頃の雰囲気を持っていた。ある意味では、ストームライダーはオープン当初のシーの遺跡なのである。
そして個人的なことを言えば、プレフライトクルーになりたかった。
たくさんの人の前で、ご案内をする姿が眩しかった。子供ながらに憧れて、いつしかあの案内はすべて諳んじれるようになっていた。
その影響もあってか、演劇部に入ったこともある。今の仕事でも司会業を少し受け持っている。
あのプレフライトクルーへの憧れ、ストームライダーへの憧れが、こっそりと私の人生に種をまいていてくれたのだと思っている。
ストームライダーは、思い出であり、人生の起点であり、唯一無二のアトラクションだった。
明日からは、ポートディスカバリーにストームライダーはいない。
それに伴い、14年に渡るストームライダーによるストーム消滅ツアーは廃止となる。
同センターによると、今後の学術研究へ注力するための選択だそうだ。
本日の閉鎖を持って、センターに勤務の全職員は新事務所へ移ることになる。
そしてたくさんのプレフライトクルーは明日も、新しい場所ながらも変わらずにストームや異常気象と戦う日々が続くのだろう。
もう二度と、凄まじい破壊力を持つストームの中になんか入れない。
もう二度と、100万倍くらいの小粋なジョークにクスリと笑うこともできない。
もう二度と、緑のチカチカの部分だけ決めゼリフのように声を被せる高校生の集団も見れない。
おやつのピーナッツのチェックも、雨に驚くゲストの姿も、エンジンがやたらと故障する機体にも、会えない。
そして、外へ出たときにより美しく感じる空と海のきらめきと潮の香りにも。
ストームライダーはなくなっても、乗った記憶、そしてそこに確かにあったという記憶は誰もの心に、残る。
だからこそこの寂しさは抑えて、大きな舵を切るオリエンタルランドを応援したい。
ここまで記憶に残るものを作ってくれたのだから、きっとそれを超えてくれるだろうと期待をしつつ。
本当に、ありがとう。
ポートディスカバリーは、今日も、晴れている。
T/Oでもいいんだが、例示もするし喩えもする。腹立ってるから。
20〜40usersって言えば「まあ一読する価値はある」ってレベルのものだった。はてブロ以前は。
はてブロとともに互助会が生まれて変わった。10人前後の互助会+とりあえず赤字になってればブクマする勢の天井が大体30users台後半。
ここの辺りの記事の質のばらつきがとんでもなくひどすぎてほんと使いにくい。
23users 骨法・堀辺正史氏逝去。「梶原系ハッタリ」が許された時代は遠くなりにけり…… - 見えない道場本舗 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160303/p1
22users 出版状況クロニクル94(2016年2月1日~2月29日) - 出版・読書メモランダム - http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20160301/1456758003
前者は骨法堀辺氏の訃報に触れて、骨法の歴史的意義をYouTube、マンガ、インタビュー引用を用いて軽く紹介したもの。
後者はおもに太洋社廃業への具体的数字と、波及と、業界内での立ち位置、そしてそこから見えてくる出版不況の本当のウィークポイントについての見解。
34users 多趣味な男性がモテるはずないのは事実だけど結婚はできるよ - MIKINOTE - http://www.mikinote.com/entry/tashumi-motenai
趣味自慢(お金持ってるんだぜ)、結婚自慢(お金持ってるんだぜ)、おもしろいオレ写真、果てはサンプル数1で雑なポジティブアドバイス風。非モテ論議華やかなりしころに有名中立ブロガーが突如公開したものだったら、逆に大炎上しただろうなあ、という感じ。
22users 北野天満宮の梅苑に行ってきました! - niko life... - http://niko.hateblo.jp/entry/2016/03/02/202417
そうですか。別に悪くはないんだけど、よくそれを全世界に公開しよう、できる、と思ったね。メレ子とかと比べるのは酷だけど、どうしたってそれはWWWだから同じ天秤に乗る。銀塩があなたの個性らしいけど、まず左手の筋力をつけて、水平を取るところから始めようか。
27users つべこべ言わず1記事でも多く書きやがれ、PVなんて見るな! - ポジ熊の人生記 - http://www.pojihiguma.com/entry/pvpv-uruseebaka
1つのことしか言ってない。せいぜい1段落で済む話をなんで1700文字も書いてるの?そっちのが“SEO”にイイとでも教わった?ていうか何の何で上から目線なの?誰?
28users 女子の二郎食べてきました - トウフ系 - http://kaishaku01.hatenablog.com/entry/2016/02/29/191249
タイトルと写真2枚で成立してて切れ味ある。ついでに1800kcalって情報も入ってて知見。わりといい感じ。
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な?
たとえば靴屋で3万円の値札がついた箱があって、片方は開けてみればMaid in USAの本革のブーツ、片方はクソみたいなクロックスコピー。
パット見では箱の区別は付かない(hatebloドメインでわかることもあるが、独自ドメイン仕様の方がクソ率高い)。
これは靴屋の値付けの失敗じゃん。
クソみたいなクロックスコピーしか作れないのは教育と技術と資源と恥じらいと「既に存る商業メディアや記事、たとえばDPZと同じ基準で戦うんだ」という当然の覚悟が不足してる個人がいるだけであって、それが50円で道端ダンボールセールだったら別に文句は言わないし、ベランダ履き用に買うかもしれない。
はてなブックマーク - 人気エントリー - はてなニュース - http://b.hatena.ne.jp/hotentry/%E3%81%AF%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9
これとか見る限り、まだ情報の質に対する志向はあるわけじゃん。はてなニュース頑張ってるよ。キュレーションメディアの肥壺にもプレスリリース垂れ流しの怠慢にも落ちずにここ2年ほどのオウンドクソメディアウェーブを善く乗り切ったよ。
このままの棚作りで良しとは思ってないだろ?
自衛隊に技術や知識のない若者を集めただけでは、まったく役に立たない。
なので、徴兵しても意味がない、そういう意見があるがそれは間違いだと思う。
徴兵制を敷くことで、日本は一夜にして最低でも数十万クラスの兵力を確保できるはずだ。
これにより、政府は「現在の日本には100万の兵力がある」と、近隣諸国に宣言できるのだ。
実際のところ、徴兵で集めた若者の個々の能力なんかどうでもよい。数字だけでよい、それだけで大きな抑止力になると思う。
(受け入れるための基地がないとか、財源はどうとか、現実的なツッコミどころは満載だが、話を進める)
で、現在の日本において、現実的な有事とはなんだろうか? おそらく、近隣諸国との武力紛争なんかではないと思う。
地震や洪水、豪雨といった自然災害、それが日本の現実的な有事ではないだろうか。
なので、徴兵で集めた若者には、軍事的な訓練を施すことも大切であるが、それよりも防災に関わる教育や訓練をメインに施せばよい。
兵役を終えた若者の多くは、社会に帰ることになる。防災の知識、技術を持った若者たちがいれば、有事(災害時)に大きな助けになるはずだ。
災害から地域や家族を守る為の知識や技術が身につくことは素晴らしいことではないだろうか。
2、 戦争のアホくささが身に染みてわかる
在隊中、戦争状況を想定した訓練を何回も経験したが、実際はテレビや映画で見るような戦争状況とはまるで違う。
テレビや映画では、自分や仲間がどのような状況にあり、敵がどこまで迫っているのか、神的な視点があるが、
実際の戦争状況下では自分が一体何をやっているのか、まるで分からない。
直属の上官にここで穴を掘れと言われ掘る、歩けと言われれば一晩中歩き続ける、
よくわからないまま朝になり、とぼとぼ歩いていると、突然あなたはたった今戦死したと訓練の指導員に宣言される。
なぜ戦死したのか聞くと、肉眼では確認できないほど先にいる対抗部隊の敵戦車に撃たれたとのこと。
よくテレビなどで自衛隊の活躍を持ち上げられ、カッコよさを全面に押し出している感じを受けるが、実際には規律ある厳格な組織だ。
そこには個々の意見、感情なんか関係なく、命令しかない世界なのだ。
訓練であるが、徴兵されれば戦争状況を模した訓練を行う。若者たちにこれをぜひ一度でもいいから経験してほしいのだ。
実際に銃を持ち、雨に打たれて、重い装備を背負って歩き続け、先の見えない状況で疲労困憊になる。
私自身、訓練中に精神的な不安から軽い呼吸困難になったり、幻覚が見えたりする経験をした。
たとえ訓練であっても、戦争状況のつらさ、理不尽さを体験できることで、考え方に大きな違いが生まれるかと思う。
人から教えられた、本を読んで得た知識、それらとはまるで別物の考え方だ。
私は、自分の経験を元に自分で考え、戦争なんか、軍隊なんかアホくさいという考え方の結論に達した。
自身で経験し、考え、その結論に達した。人から教えられた、本を読んで得た知識から導き出した結論なんかじゃない。
もちろん、その逆の結論もある。ひとりの兵士として日本のために戦いたい、近隣諸国から日本を守る指揮官になりたい、
こういった考えを持ち職業軍人の道に進む、その結論に至るのも選択の一つだ。国のために貢献したい、その考え方もわかる。
現在の世界情勢を考えると、そのような考えに至る若者も多いだろう。
きっと今日の日本において義務教育だけでは、国のために何かしたいという考えには至らないと思う。
徴兵制度というきっかけによって、若者たちの考え方に選択肢が増えることは素晴らしいことではないだろうか?
3.戦友ができる
3つ理由と題した本稿であるが、ここまで読んでもらって申し訳ない、1番目と2番目の理由なんかどうでもいい、上記はただのノーガキである。3番目が最大の理由だ。
数年前、90歳近い祖父が亡くなった。その通夜のとき、見慣れない老人がやってきた。
話を聞くと、九州からの通夜を行っている関東まではるばるやってきたという。
祖父と同じ90歳近いおじいちゃんが新幹線に乗ってたったひとりで。祖父の訃報を聞いて、家族が止めるのも振り切ってやってきたそうな。
で、このおじいさん、大戦中は祖父と戦友で、九州の部隊で苦楽を共にしたという。終戦後も腐れ縁でいろいろとつるんでいたらしい。
祖父は、初孫だったら私の事もいろいろとこのおじいさんに自慢していたみたいで、見ず知らずのおじいさんが私のことをよく知っているという奇妙な体験をした。
先述のとおり、本稿を書いている本増田は、自衛隊の在隊経験者だ。ごく僅かな時間しか話さなかったが、このおじいさんの気持ちというか、意気込みというか、
祖父とこのおじいさんの関係とか、そんなことが私にはなんとなくわかった。私にも腐れ縁のような友というか、戦友がいるからだ。
軍隊とか自衛隊のような特殊な組織のなかで苦楽を共にすると、なんというか説明が難しいが、不思議な友達ができる。
それは友達といっても学校や職場の友達とはまるで違う。一生付き合うことになる戦友というか、親友ができる。
以上、長文ですまない。
ここ何日かずっと考えている。
婆ちゃんはたびたび、躾として私の一番大切なものを選んで、捨てたり壊したりした。
ある時 婆ちゃんは、私が小学校に行っている間に、私の猫を捨てた。
前の晩、私は猫と遊んでいて風呂になかなか入らなかった。婆ちゃんは猫にばかりかまけて、やるべきことをしない私に怒っていた。
言うことを聞かないならば明日 猫を捨てると、婆ちゃんが言った。
猫は、学校にも家にも居場所がなかった私にとって唯一の、かけがえのない心の拠り所だった。
ましてや命ある生き物を、婆ちゃんだって捨てられるわけない。
無神経な脅しにとても腹が立った。
その日、私は意地になって言うことを聞かなかった。
猫は捨てられた。正確には、殺された。
婆ちゃんは、私が言うことを聞かなかったからなのだから、お前が悪いのだと言った。
私には、理解できなかった。
大切なものを捨てられると、言うことを聞くようになるなんて絶対に、あり得なかった。
猫の後を追って死にたかった。
心はとっくに死んでいた。
ただただ感じていたのは、婆ちゃんへの激しい怨み、憎しみ、殺意。
思春期になると私は、頭の中で婆ちゃんを殴るようになった。殺すことも、考えた。
大きくなった私には、実行できないことでもなかった。
暴力的な想像は、やめたくても、どうしても頭から離れなかった。
婆ちゃんの言う通り、私はいつか犯罪者になって、牢屋に入るのかもしれない。
高校卒業後、半年ちょっとバイトして、貯めたお金を持って19歳の冬に上京した。
相手が誰でも、なにか不快に感じると殴る、蹴るの想像をしてしまう。
「お前は犯罪者になるぞ」と言った婆ちゃんの言葉は、呪いのトゲように、私に刺さっていた。
知らない土地、知らない人たち。
怒る人はいたけど、婆ちゃんほど恐ろしい人や、婆ちゃんほど理不尽な人は一人もいなかった。
冷たい人もいれば暖かい人もいた。
もがいたり苦しんだりしながら、気づいたことが たくさんあった。
すっかりまともな人間になったと思った。
まともな人間らしく、婆ちゃんに娘を見せに行ったのだった。
婆ちゃんはひ孫にあたる娘を、可愛いと言った。
そのあと、「お前、子供を殺すなよ。こんなに可愛いのに。」と私に言った。
実家に滞在した一週間の間に、何度も何度も繰り返し、子供を殺すなと言われた。
私はもう二度と婆ちゃんに会わないと決めた。
ここからは、叔母の話。
私が上京したあと、入れ替わるように叔母が関西から引き上げて、実家で婆ちゃんと暮らすようになった。
何年か前まで実家には、叔母が飼っていた犬がいた。犬は、実家の庭の桜の木の下の、犬小屋で天寿を全うした。
婆ちゃんから、吠えてうるさいから捨てろと言われながら、叔母が守り抜いた犬だった。
婆ちゃんは家族に致命的なことを平気で言う人だったが、叔母もなかなか気性の激しい人で、負けじといつも婆ちゃんとぶつかっていた。
叔母が亡くなる少し前、婆ちゃんと叔母はいつにも増して激しい口喧嘩をしたという。
飼っていた犬が死んだ桜の木の下で、叔母は最期に何を思ったのだろう。
叔母は、婆ちゃんを殺すかわりに、自分を殺してしまったのだろうか。
それとも、踏みにじられるのに疲れてしまって、大事にしていた飼い犬に会いたくなったのだろうか。
最期の時の叔母は、怒っていたのか。泣いていたのか。無表情だったのか。
叔母の死は、他人事に思えない。
もしも、婆ちゃんと暮らしていたのが私だったら。
私も叔母のように自ら死を選ぶか、殺意のまま婆ちゃんを殺してしまったかもしれない。
大げさでも、何でもなく、そう思う。
先日、有名人が子供への罰としてゲーム機を壊したことが、Twitterで話題になっていた。
壊してゲームを一切禁止、二度と与えないということではなかった。
取り返しのつかないことにはならずに、良かった、と私は思った。
きっとその人にだって、少しは後悔があったか、子供の気持ちを考えたか、したのだろう。
だからまた買い与えたのだろうと、思いたい。
自分が親になって実感している。
親は結構 間違える。
私は、それに自覚的でいたい。
自分の行いをいつも振り返ることができるように。
間違いを正当化しないように。
親が過ちに無自覚で、自分を正当化し続けたなら、たとえほんの軽いものでも子供への心理的な虐待になりうると私は思う。
もしも婆ちゃんが、自分のやったこと、言ったことを後悔して、一言でも詫びてくれる人だったなら、私は殺意を感じるほどの強い怨みを抱かなかったのではないだろうか。
私は婆ちゃんを殺さずにすんだ。
正直、まだ怨んでいるが、いまはただ、婆ちゃんの訃報を待っている。