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はてなキーワード: 訃報とは

2017-04-01

もしも自分が死んだら

数少ない友だちに訃報を出してほしいが

親に友だちの連絡先を教えたくない

facebookTwitterといったSNSアカウントも教えたくない

教えても使い方がよくわからいか意味ない

全く上手くいかない世の中だ

Hell!

2017-03-12

肉親が悩んでいるというか困っているということはほぼ確信していて、それが何に起因するものなのかも大体わかるんだけど、どうしたものかと手をこまねいている。

たまに連絡をとって、顔を合わせて遊んだり、一緒にご飯を食べたりするとその際には明るい様子を見せている。

けれど、例えば突然訃報があったとしても、もちろんとても悲しむだろうが、驚きはしないんじゃないかと思う。

自殺報道でよく、なぜ周りの人間は気づいてあげられなかったんだって表現を目にするけど、案外周りは気づいていたんじゃないか

2017-03-10

中西俊夫が死んで

追悼盤みたいの出ないかなと思ったら案の定リマスターデラックスエディションが発売されてて

訃報出た直後に発売とか準備良すぎるだろとか、結局商売かよと思いながらも結構しかったり

しかテントに関しては急な事故死だしそもそも出すものもないしで追悼しかできないんだなこれが

2017-02-27

2ch+板で言論統制が行われたというデマ

104USERS ニュー速(嫌儲) | 【訃報ニュー速+板 言論統制へ 森友スレを立ててたキャップ剥奪 吊し上げられる 今後はネトウヨに都合の悪いスレは立ちません

http://b.hatena.ne.jp/entry/itest.2ch.net//test/read.cgi/poverty/1488041136/

これが事実確認もされないまま事実としてブクマされてるがデマである

証拠http://i.imgur.com/Z5yCQrM.png

今も+板は森友学園スレが一番立ってるし伸びている。

こんなの、実際に2ch言ってみれば一目瞭然なのにどんだけ馬鹿なんだお前ら。

フェイニュース読者とやってること全く変わらんぞ。

この増田も100ブクマしとけよ。

2017-02-26

ブコメでしたり顔でフルバ言ってる糞どもに告ぐ

http://anond.hatelabo.jp/20170226130630

彼は当然フルバ認知しており、電波男刊行当時も「本田透ってフルバと同じですよね?」「パクリですか?」「その顔で同じ名前なの?」と謂れ無き中傷を受けて心身ともに疲れ果てている旨をよくこぼしていた。

当然彼の方がフルバよりも先に本田透だったということは、彼を知るものの間では周知の事実であった。

2017年になってもこういう心も学もない糞ブコメが付くくらいなのだから、当事の難癖付けられ具合が如何程だったか推して知るべしというところである

彼が歴史の表舞台から姿を消すに至ったのにフルバ厨の跳梁跋扈関係していたことは想像に難くない。

というかマジでブコメからなお前ら。芸能人訃報に「で、誰ですか?」「○○かと思った」とか言ってるレベルの糞だからな。マイナススターアイコンは巻きグソ型)があったら100連打してるところだったわ、九死に一生を得たな。

2017-02-21

正男さん逝去につき思うこと

マレーシアで北の国の正男さんが亡くなったと、何故か妻からLineが入った。

驚いた。正直驚いたが「大丈夫?」との妻からLINEも驚いた。

何が大丈夫なのか僕が聞きたいくらいだ。

もちろん「大丈夫」と返した。

ディズニーランドに降り立った彼の写真を見た時から、何か親近感というか親しみを感じていた。

ニュースに出るたびに、ちょっと気になっていた。

そんな彼とは反対に、彼と切っても切り離せない、彼の国は反対に危うさを感じさせていた。

これはほとんどの人がそうだろう。

核開発、ミサイル発射隣国への挑発行為、彼の国の経済事情悪化

漏れ聞こえてくる話は全て悪い情報

日本だけではなく、各国の情報戦のおかげもあるだろう。

正男さんがいなくなって、崩壊が加速するのだろうと。

正男さんがいたらもっと海外といい関係が作れた上で、開国できただろうなぁと。

ロイヤル外交がちゃんとできたかもしれない。

ハゲタカから守れるかもしれないのに。

そんな使い方より、危ない存在に思われていたのか。

日本からしたら近い国である

もちろん開国したら否が応でも何らかのつながりができてくるだろう。

その時に、正男さんを残した国の人だととらえるのか、正男さんを残さなかった国の人なのかと、イメージ全然違ってくる。

そんなに危ない存在だったのかと。

ウラジミール氏のサイトもいきなり無くなったし。

やっぱり情報戦をしてるんだろうから、僕なんかが知りえないところで何かあったのだろう。

決断すると早いのだろう。

悪い奴もいるだろう、しか何となく悪い人たちがすごいいるのだろう。

でもその人たちも実際に会うとそんなに悪いとは思えない人たちなのだろう。

悪いの積み重ねは巨悪を生むのだろう。

トランプさんの大統領就任後に、こんな訃報を聞くなんて。

周りのおじさんたちは、世界は変わっていくぞと警鐘を鳴らす。

「君たちの時代は大変な時代になる。我々の時はい時代だった。」と。

僕もそう思う。

大変な時代になるだろうと思う。

でも、おじさんたちに言われないでも僕もわかってる。

おじさんたちには、頑張れば世界は良くなると言ってほしい。

僕はそんな言葉にはおれないけども、でも周りの人たちは折れるかもしれない。

周りが折れたらめんどくさい。

から、おじさんたちはみんなを励ましてほしい。

これからはより良い世の中になるから頑張ろうと思う。

合掌

2017-02-10

人の死をいい話にする人たち

大好きなアイドルが亡くなりました。

18歳。詳細は明らかになってませんが病死だそうです。

およそ4年前にはまり、ずっと追い続けているグループの一人です。

「見た目は大人、中身は子供」のキャッチフレーズのとおり、モデルとしても活躍する端正な顔立ち、すらりと伸びた手足といったビジュアルとは裏腹に、番組ライブMCなどで見せる天真爛漫な姿が大好きでした。

から突然の訃報には驚き、悲嘆に暮れ、しばらく言葉になりませんでした。

Twitterには同じように悲しむ人たちで溢れており、その言葉を眺めて、自分気持ちを整理させようとしました。

しかし、それらの言葉に触発され、様々なことを思い返せば思い返すほど、悲しみは増し、言葉にならない想いが次々と胸に去来しました。

そんな中、リツイートで回ってきた2つの言葉がありました。

「若くして死んだ子は同世代に命の大切さや、死の身近さを気づかせる役目のため神様に選ばれた」

「すごいな。ジョン・レノン尾崎豊よりも若いうちに神様の前でパフォーマンスするために呼ばれたなんて」

とてもひどい言葉だと思いました。

誰の気持ちに寄り添ったらこんな言葉が出てくるのでしょうか。

大切な人を失って悲しむ友人や家族が隣にいたら、同じ言葉をかけるのでしょうか。

僕も最近プライベートで近しい人を亡くす経験しました。

でも「~~のために死んだ」とは決して思いませんでしたし、そんな言葉をかける人もいませんでした。

もっと長生きしてもらいたかったし、もっと色んなことをしてあげたかたから、もし何かのために死んだというなら、それが神様であろうと人殺しだと思うでしょう。

でも、そのツイートにはたくさんのリツイートいいねがついていました。

そんなことで大切な人を奪われてもいい人ばかりなのでしょうか。

「死」それ自体意味を与えて、「いい話」として消費されているような気がして、とても悲しくなりました。

そして、人の死が「いい話」を呟いた人の承認欲求の道具にされているような気もして。

2017-02-09

印象。考察なし

http://anond.hatelabo.jp/20170208235429

寝落ちしそうだし消えると悲しいか更新かさねる

率直に書く。総合的な感想考察は落ち着いたら書くつもりだけど、壁打ち悲しいから書かないかも。(というか他作品観劇したらもう書けなくなるだろうから、勢いつかないと現実的に厳しそう)

トゥルーエンドではないけどグッドエンドはもう前回観れたから、推理の旅を終えていいようにも思っている。あとやはり証人が足りない。私の観たルートより先の話が展開されないと推理が苦しいし淋しい。

初見と印象が違いすぎる。

何が変わった? 私が変わった?

私のライフは零である。救いがまったくない。ほんとつらい。

今回はまったくもやもやしなかった。ただあるがまま受け止めてほんと苦しい。

今作はもうずっと『諸戸と簑浦』の話しかしていない。だからうつらい。世界に二人しか居ない。つらい。

嗚呼明日原作既読の友人にいろいろ質問しよう……

時系列順に。

ちなみに『私』と『箕浦』と《わたし》と《みのうら》と簑浦が出てきます

冒頭。諸戸屋敷にいる『私』。これめっちゃ幽霊に見えた。

手記の内容は、すべて完全に諸戸についての内容。つらすぎ。

『私』は諸戸を「哀れ」と評す。まじかよ。

奥さんがお茶を入れてくれてそれを飲んだはずなのに、誰かいませんか?的なことを言う。え、やっぱこの『私』お亡くなりになってない?

そして諸戸登場。語り部の『私』と会話する。おかしくない?

登場キャラクターが天の声に話しかけたりしなくない?

から最初は『私』も諸戸も亡くなってて、死後の世界に見えてならなかった。

てゆか、今日見た諸戸がこわくてこわくて、ずっとすごいこわくて。諸戸の亡霊みがやばかった。成仏してない霊感

初見は王子様のような諸戸だったのに、何が変わった? 私が変わった?

『私』と諸戸は二人で一緒に過去を振り返る。

諸戸との最初の決別、夜の告白の時、聞いてる時の『私』はものすごく悲しそうな切なく美しい顔をする。嫌悪の色ではない。

『私』は諸戸に「性愛には応えられないけれど一緒に遊んだりした友情には感謝しているし君もそれを喜んでいるように見えた」的なことを言うのだけど、これ少なくとも2回目撃している。隠喩だったかそのままだったか…どこだっけ思い出せない丈五郎と道雄だっけ…? すごいつらい。

あのね『私』と『箕浦』が互いに演じた《わたし》と《みのうら》、《わたし》は未来をすべて知っているようで(諸戸の死を含む)、《みのうら》は生きてるからすごく生命力のある反応をする。『私』が《みのうら》になって井戸出たときなんて、それまでとのギャップちょっとびっくりした。

ここで振り返ったのは過去から未来ではないけれど、どうにも諸戸から時間を感じない。(ミスリーみあるけど)

似てきたなと私が感じたのは、この冒頭の『私』と諸戸、諸戸親子、諸戸と吉ちゃん。親子はアフタートークでも言われていたけど…というかあの世界は「諸戸と簑浦に関すること以外すべてカット」されているので、全部が諸戸であり簑浦であってくるしくて無理。常にライフ削ってくる。

大人になってから。『箕浦』は「ここからは僕が」と言って登場する。おかしい。どうして語り部の語る内容にキャラクターが介入できる?

から私は、ああこれは『演劇なのだな、と気付く。原作では簑浦が口頭でこの物語を語ってくれるのだっけ?それとも小説? ここではその語り口が『演劇なのだと。

箕浦』は『私』が初代に渡そうとした指輪意気揚々と奪ってくる。《みのうら》演じている『箕浦』は本当に生命力に溢れてる。

嗚呼だめだ寝落ちたらもう思い出せない…『箕浦』だけは「諸戸と簑浦に関すること」が何もない存在だったようにも思えてくるけど、もう私の記憶証人として使えなくなってしまった。

『私』は決して初代を「美しい」と言わなかった。まわりくどく魅力を説明する。その形容自体違和感は無いが、乱歩が連載初期から意図的言語を使っていたのなら、初代を「美しい」と表現しないのは変だ。簑浦にとっての初代の価値が軽すぎる。

箕浦』は何についても「美しい」と言わなかった。やはり簑浦は矛盾や歪さを抱えていないか? それを『私』と『箕浦』で同時成立させていないか。『私』と『箕浦』は別々の役割をもった役者

初代は証言する。正面を向いて淡々と切々と語る。あれは諸戸のことではなかったかしら。初代だけに存在する追加情報の時だけ『箕浦』を見て『箕浦』に話しかけてやいなかったか

『私』のかんばせが本当に何の欠点も無いようなほど美しく、そしてとても表情豊かで観客をガンガン見てくる。目が合うとかじゃなくて、観客の目を見てくる。後方でも目を見てくる。つまり語りかけ度がぱない。あいつはメッセージを発している。

対して『箕浦からはそんな様子を受けない。《わたし》を演じる時間が短いからかもしれないし、セリフが少ないせいかもしれないし、ずっと座っているから私の座席位置がかすらずそう見えなかっただけかもしれない。

いや、ほかの『役者』もそうだった。わざわざ観客の目を見てきたりしない。あれは『私』だけだ。

箕浦』はハッキリと「ぼくは幸せだよ」と胸を張って言う。

(正確な表現を思い出せない…2時間以上の空間を丸暗記してそれを体験した自分心理思考記憶して寝落ちリセット回避はこのセリフ量だと流石に無理ゲー過ぎ…でも記録に残すならちゃんとしたい…)

初代が亡くなった時に現場での出来事にしっかり対応していたのは『私』。泣き崩れてずっと耐えているのが『箕浦』。

深山木を訪ねてからは、未来を知っている《わたし》役の『私』は度々悔しそう・つらそう・悲しそうな表情をする。

『私』には彼を救えないから? ねぇ、これ『私』にもそういった感情がちゃんとある描写だよ。

初代と深山木さんを亡くしてから場面転換の際にオープニング曲しか聞こえない音楽が入る。唸りをあげて悶絶する『箕浦』。あ、ここ襲いかかる諸戸の唸りと重なる。

諸戸に関係ないところでも、疑心暗鬼セリフはすべて『私』が言っていたように思ったけど…いやこれは断言して大丈夫では。

しかし確実に《みのうら》の口から「諸戸を疑っている」主旨の言葉が出たときは『箕浦』が発言するし、

諸戸から「君は疑っているんじゃないのかい」といった疑心暗鬼を抱いている主旨の言葉が出たときに対面しているのは『私』と、徹底していた。

諸戸と『箕浦』が家で初めて会話している時、諸戸を見つめる『私』がくそやばい。愛憎ぶちこんだ流し目破壊力軽蔑目線でもあっただろうか?嗚呼ほんと駄目だ脳がリセットされて正確に思い出せない!

ああ、でもここで諸戸を見つめる『私』は、『私』を見つめる諸戸に似ている。それは性愛を込めた時じゃなくて島で秀ちゃんに夢中になってる『私』を見ている時のそれ。

子ども残酷」って諸戸が説明したとき、めちゃくちゃ学生時代の簑浦思い出した。

しかし諸戸の話題が《みのうら》への愛についてから事件推理パートに移ってからはクソつまんなそうに家ん中ブラブラして諸戸の推理聞き流してる風に壺にしなだれかかってる『私』だるえろかわい過ぎだった。「ねぇ~まだぁ~?」してる子猫ちゃんかよ。たぶん唯一私が萌えれて心を緩められたシーン。

ずっと『私』は推理パートつまんなそうにしていたのかなと思いきや、だるえろかわいいのあそこだけで、曲技団に刑事と行った時とか身を乗り出して聞いていた。

いや、あれは『箕浦』の代わりに演じていたのか?

あそこ本当に諸戸が『箕浦』のことを狙っていた。すごくこわい。じわじわ距離詰めてくる。こわい。あれなんであそこにそんな描写入れたんだろう。あの時の話題は何だっけ…おとっつぁんについて?

深山木からの荷物を受け取るのはこの後だったかしら。

秀ちゃんの手記。まじつらい。ぜんぶ諸戸と簑浦の話でつらい。

ぜんぶ諸戸と簑浦の話であるから、『手記の秀ちゃん』に母親が居ないから、この舞台での諸戸にも母親が居なかった。(正確に言うと丈五郎母親の話をするが、諸戸は母親の話を一切しない)

原作未読であるので自分確認できないのだが、諸戸が母親について告白する場面はそんなにカット必要位置にあるのだろうか?

諸戸が母親から性的虐待を受け、それによって女性嫌悪感を持ち女性は愛せなくなったこと。親から愛情が与えられず性行為でだけ情を向けられたから、諸戸が簑浦へ向ける愛情性愛以外の多様さをみせられないこと。これらは諸戸の歪な愛を単なる超自我とイドのせめぎあいにさせず、諸戸が『かたわ』と比喩できる大きな理由となっていると思う。

それがカットされたというのはものすごく重大なのではないか

ここにある諸戸は性的虐待を受けていない世界線の諸戸?

手記の後に諸戸がどちらと会話をしていたか覚えていない…記憶の砂が零れ落ちていくの恐ろしい…

おそらく『箕浦』と話している? 系図帳から暗号見つけるのはここか?

島へ行く途中の列車?船?の中、諸戸が「疑っている?」と問いただすのは『私』で、その話題が終わるとすぐに『箕浦』に入れ替わる。

だめだここですべきは事実の羅列ではなく印象という目撃証言を残すことだ。

島に着いた夜。寝ていた『私』と『箕浦』。『私』だけが起き上がり、秀ちゃんと出会う。

そこに現れる諸戸。

私はここにめっちゃ違和感感じて、それまでの流れでやっぱり諸戸も登場人物なのかな…って思ってた気持ちが吹っ飛んだ。なんでここに諸戸が居るの?って思った。『私』と同じ次元存在から

で、原作既読の友人に確認してもらったら、原作ではここに諸戸は居ないししばらく諸戸と合流しないって……

それから呑気に毬遊びをする『私』と『箕浦』を見て、ここでも彼らは『役者』として並列であるめっちゃ感じた。対話をすることはあっても、物理的に直接交流するシーンはここが…あ、いや初代の指輪を奪ったね。そことここだけのはず。二人存在しないとできない行為から

まだ全然考察とか感想にまで至れていないけど、直感だけの変な話しだけど、

諸戸と『私』が同列であることと、『私』と『箕浦』が並列であることは、次元が違っているのですよ。だから諸戸と『箕浦』は同列ではない。

あ、それが《わたし》と『私』か。

わたし》と諸戸は同列。『私』と『箕浦』は並列に役者

五郎に帰れと言われてから、諸戸を助ける決心をして、諸戸からメッセージを受け取っているところも、井戸の中も、『箕浦』はずーっと冒険譚の主人公だった。キラキラクワク輝いていた。秀ちゃんへの恋とか初代の復讐とか諸戸への心配とかじゃなくて、冒険に夢中だった。

諸戸からメッセージを読むのは『私』で、あいつまた俺に変な気を起こしそうでいやだわ~的な愚痴をこぼし、『箕浦』もそれに乗っかる。「同性愛理解できない」ってまた言う。「頭では理解してるけど全然わかんねー」って言うのはどこだっけ。いやほんとに『箕浦』には友情以外まったく無い。微塵もない。清々しいほどに無い。脈ナシにも程がある。

前述した「諸戸も登場人物なのかな…って」考えに変化しかけたのは、同じく前述の事情聴取のシーンで《みのうら》を演じる『箕浦』をそれこそ蛇のような視線で諸戸が見つめていたから。スポットライトの当たらないところで。その時『私』はスポットライトの中で刑事事情聴取を聞き入っている。(時系列ぐちゃってごめん。でも記憶が蘇ったものをとにかく書いて残す)

ひえええあんな完全無欠の究極ノンケみたいな『箕浦』に言い寄っても絶対無理だよ諸戸なんで気付かないんだよ異常だろ…ってぐらい怖かった。対してワンチャンありそうに見えるのは『私』。否定してるんだけどなんか匂ってならない。なんか否定だけを信じられない。

あれか? 「『好き』の反対は『嫌い』じゃなくて『無関心』」ってやつか?

(初見感想で書いた「《みのうら》も実は諸戸を愛していたのではないか?という容疑が浮かんでならない」のは、完全に『私』のせい。これは初見からそう。私はこれを初見で「諸戸カンチガイ乙‼」みたいに感じていたから、こいつは諸戸の疑心暗鬼が見せる簑浦だなと思っていた。)

諸戸は『私』を探しさまようラブファントムなのかと思っていたけど、全然《みのうら》演じてる『箕浦』も狙ってくる。

『私』と『箕浦』はだいたい一緒に舞台上に居るんだけど、諸戸が《みのうら》よりも『私』を優先して見つめたのは、

  • 箕浦』演じる《みのうら》が諸戸の手を握り返さなかった時
  • 箕浦』が寝ているところを抜け出して『私』が秀ちゃんと出会った時
  • 井戸の中で『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた時

諸戸は簑浦を探しさまようラブファントムという印象に落ち着く。

水責めから『私』はもがき出す。水喰らって噎せるし《みのうら》と諸戸に水ぶっかける。

序章でも鬼との出会いを思い出してる時に喉を掻くから原作にも白髪化がいつか描写されてないそうだし諸戸生理的拒否られてない可能ワンチャン…!?って一瞬思った。違った。

箕浦』ずっと脅えていて本当にかわいそう。諸戸に抱き締められてもノンケ過ぎて嫌悪感すら無い様でだだ死の恐怖に脅えている。…って、そうだ。『箕浦』は諸戸の性愛嫌悪感すら返していないわ。性愛なんてもの存在しないようにしか見えない。

ホモフォビア過ぎて逆に男性とキャッキャする現象」が何か科学的に存在しているのですか?(そんな感想を見かけた。)気になるので詳しい方に教えていただきたい。

そーいや江戸川乱歩同性愛を「研究」していたんだよねえ…

それまで『箕浦』を抱きしめて必死告白していた諸戸(この時の諸戸何故か記憶してない。零れ落ちた感覚もない)が、『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた瞬間、逆鱗に触れられたように(地雷ぶち抜かれたみたいに)目を見開いて、そのまま『箕浦から手を離し、表情も目線も変えず亡霊というか亡者みたいにゆらぁりと『私』の方に移動していき、「ああ、嫉妬している」と答える。

これほんとめっちゃこわい。ラブファントムこわい。ホラーフィクションでよくある悪霊に追いかけられていたのが御札を持った瞬間にこちらが相手から見えなくなってあっさり追いかけられなくなる・あるいは逆に結界崩壊してそれまで見向きもしなかった悪魔が突然こちらに向かってくる、あれ。完全にあれでこわい。ほんとこわい。

諸戸を否定して死んでたまるかと逃げ出す『私』。諸戸は唸り雄叫びを上げてから『私』を追いかけたっけ?

確かここ最前列目の前に諸戸が来たのに私は目をそらしてしまった。それまでずっと三人の内をを覗きこんでいたけど、目の合うところに居る諸戸の瞳を覗きこむことはできなかった。

そして遂に『私』を捕まえた諸戸。手を掴み上げ触る。

なんというかね、性的意図をもって犯そうとする時って、例えば、頬を触る(唇を奪おうとする脅迫)、腿を撫で上げる(局部に侵入しようとする脅迫)、みたいな仕草がイメージやすいんだけど。諸戸は手なんだよね。いや、手を撫でられるのも十分性的な接触になりえるし、手を撫でてくる痴漢とかクソ質悪いと思うんだけど(あれって痴漢に該当するの?冤罪増えそうだから流石に法的には該当しなさそうだよね?まじきもい腹立つ)、もっと分かりやすセクシャル表現にしても良かっただろうに、なぜしなかったのか。手なのか。

同じ手でも手を舐めるとか頬擦りするとか自分身体に触れさせるとか、方法はいろいろあるのに。

あ、そうだ。秀ちゃんは吉ちゃんの手を取って自分の胸に触れさせていた。超嫌がってたけどあれは同じ手の使用でも犯されている感がわかりやすい。

あえて手であることがわかりやすいのなら、それは何か。

井戸の中での死についてのくだりも、秀ちゃんの手記で隠喩されたまんまでほんとつらい。もう死んでしまいたいという諸戸の叫び

そうだここ『箕浦』も死んでしまいたいと絶望して挫折して復唱していたのに、『私』が水を挿したんだよね…亡霊を呼び起こしてしまった。

諸戸が嫉妬していることを認めたのが、《みのうら》と秀ちゃんが結ばれてしまうかもしれないことについてなのか。(そう明言してた気もするけど)

それとも「本当はかたわものではなく、簡単な手術で醜い自分を切り離すことができること」なのか。

醜い自分を殺したいけど、殺したらきっと自分も死んでしまうと思ってる諸戸…まじ…

助六さんに「生きたくなかったの?」って聞かれた時に、「世間に顔向けできない」と言った諸戸まじ魂抜けてた。心ここに在らず。ライフが0。助六さんに心の内を回答する必要いか大正解しかしイドの超自我破壊自我乗っ取りを止められなかったことは、この時の諸戸の回答もあながち嘘じゃないなと。

あれ?と言うか水嵩が増さなくなったって表現、昨日あったっけ?

私は水嵩が増さなくなったことを知ってるから、初見ではセリフがあったはず。

『私』と襲いかかる諸戸の図を見ている『箕浦』の表情は、「死者を冒涜せぬよう省略」と『箕浦』が言った場面しか見えなかった。

と言うかこのセリフ初見では聞き逃してたかテラびっくりしたんだけど!

【今】はいつだよ!?って疑問が再浮上した。

初見のとき、序章で『私』が「なお、現在では差別用語となる言葉が登場するが、当時のなんちゃらを変えないためそのまま使用します」云々言ってて、「えっ!?『現在』っていつ!?『当時』っていつ!? 『私』が執筆したとき? 乱歩執筆した時? 私が観劇している今? ねえあなたは『いつの人』なの!?」って、超混乱した。

やっぱ諸戸亡霊なのかあああ??????って。

まだ決めていない。

少なくとも、丈五郎を目にした諸戸や、井戸を出た時の諸戸は、『登場人物の諸戸』だったから。

それにしても《みのうら》になった『私』の生命力

佐藤さんの『私』は表情がくるくる変わるしよく動くし観客の目をガン見してきて語りかけ度がぱないけど、アクティブなのにどうにも《わたし》の時は幽霊っぽかったの間違いじゃなかったんだな。ってめちゃ思うぐらい「生きてるかどうか」がなんか明確に違うんだけど。演技力?すごない?やばない?

わたし》になった『箕浦』と、《みのうら》になった『私』も言葉を交わす。「語り忘れたことあるかな?」

ラストは『箕浦』が読んで、『私』が諸戸の訃報を初めて知ったような顔をしている。井戸で《わたし》役になってからの『箕浦』は、諸戸が鬼籍であることを既に知っていた。

箕浦』はあまり『私』も諸戸も見ない。助六さんと井戸脱出しようとした時から、『箕浦』は正面向いてどっしり座って痛ましそうな顔をしている。あれ…顔背けてるのかな…

座ってラストを読んだあと、やって来て『私』に手を伸ばす諸戸の手を宥めるように下ろさせる。

ああそうだ、『箕浦』に向き直った諸戸の表情は見えなかった。

そしてこの物語の語り部は諸戸を憐れにも思っていると序章で明言している。

諸戸の訃報を握り潰すところ。あれね《みのうら》の憎悪というよりも、醜い半身へのやりきれない憎しみに見えた。悔し泣きみたいに表情を潰すところは正直感情が読めなかったよ。ある意味復讐燃えていた『箕浦』の様子にも近かった。

今回は推理するために三人をずっとガン見するつもりでいたけど最前列譲っていただけたのでピクセルに余裕できて他の演者さんもかなりしっかり拝見できた。

2017-02-08

観劇2回目の備忘録 舞台「孤島の鬼」2017版

http://anond.hatelabo.jp/20170207171941

8日ソワレ情報量が多いので走り書きのみ。感想なし。考察なし。

A列上手での観劇。(初見はH列下手での観劇

なお、私は2回目の観劇を謎解きとして挑んだことを大変後悔している。

よほど命知らずの探偵さんでない限り、以下の内容に目を通すことはおすすめしない。


  • これは『演劇である
  • 幕が開いた時点で諸戸は既に亡くなっている
  • それを《わたし》は知っている
  • 亡くなった諸戸が《?》のもとを訪ねてくる
  • 《?》と諸戸は二人についての話をする
  • 『私』と『箕浦』は別の役者である
  • 『私』は諸戸から簑浦への性愛疑心暗鬼白髪になってからの生きている《みのうら》(それまでの《わたし》)を演じる
  • 箕浦』は「孤島の鬼」のミステリー冒険譚、ノンケでまったく諸戸の性愛理解できない・感知すらできない、白髪になるまでの《みのうら》(それ以降の《わたし》)を演じる
  • オープニングは諸戸の家に押し掛ける前に入る。悶絶する『箕浦』。
  • 『私』の一人称は【わたし
  • 『簑浦』の一人称は【ぼく】
  • 原作確認:秀ちゃんとの逢瀬を夜中に諸戸に見咎められているのか
  • この『演劇』は諸戸と《?》についての話であるので、二人の隠喩および冒険譚要素以外はすべてカット
  • 探偵コンビ結成(意訳)の時の握手、はじめ『箕浦』は手を握らない。ぎょっとして『私』を凝視する諸戸。(情報量が多く忘れてしまったが、『私』が某かの反応を返してから)ようやく諸戸の手を握る『箕浦』。
  • 水責め時点から苦しみ出す『私』。冒頭で『私』が鬼を思い出した時と同じように喉を掻く。
  • 井戸の中「嫉妬している?」と『私』が声をかけた瞬間から、諸戸の目には『箕浦』が見えていない。ひたすらに『私』を求める。「ああ、嫉妬している」と答える
  • 箕浦』も『私』に襲いかかる諸戸のことを化物のようと言っている(セリフ正確に覚えておらずすみません。確実に恐ろしいと否定をしている)。そして『箕浦』は「死者を冒涜することになるから詳しくは言えない」と襲われるシーンを省略
  • 原作確認:そう、『私』も『箕浦』も「省略」する。これは原作にもあるセリフなのか?
  • 井戸出たときの諸戸の泣き笑いはなんとも表現し難い。変動するものでもありそう。なんというか、この時点で既に諸戸のライフ零になっているので、追い討ち受けたようなさま。限界越えた時みたいな表情。
  • 箕浦から受け取った手紙とは別にから諸戸の訃報を受けとる。ずっと語り部は『箕浦』。『私』は手紙を握り潰し憎そうな表情に見えた。なんか明らかに嫌悪してそうだったんだけど。諸戸が『私』へ伸ばした手を『箕浦』が宥めるように下ろさせる。成仏させるように『箕浦』が諸戸を連れ立ってゆく。


  • 白い毬を置いたのはスタッフさん?
  • 毬は風の動きを表しているけど、家の中に誰も居ない表現であると同時に(アフタートークの内容関係なく思ったのだけど)諸戸の亡霊が現れた表現なのか?
  • 君は美しいと言う人
    • 諸戸→『私』
    • 『私』→(記憶なくてごめんたぶん言ったよね)諸戸、秀ちゃん
    • 箕浦』言わない
    • 深山木→『箕浦』、諸戸
    • 手記の中の秀ちゃん吉ちゃん→(記憶なくてごめんたぶん)秀ちゃん (原作確認:手記の外では二人は声を発さないのは原作どおりか?)
    • 五郎失恋した相手
  • 『私』と『箕浦』は別人。また、《わたしである時は未来を知っており、《みのうら》であるとき未来を知らない。
  • 箕浦』も仕事内容は『私』と同じ。
  • 『手記の秀ちゃん』と『島で会った秀ちゃん』は別の存在。『島で会った秀ちゃんと吉ちゃん』は声を発さない。
  • 白い毬
  • 諸戸の衣装の汚れ見えた。すごく緑色に見えた。照明の影響すごく受けるから何色なのかわからない。『私』には黒いススのような汚れしかないのが気になった。諸戸と半々ではないのかしらん?
  • 『私』が明らかに《みのうら》に見えるのは井戸出たとき。『箕浦』が明らかに《わたし》になっているのは諸戸に襲われている時。上手からではここの『箕浦』の表情が見えなかったことが悔い。
  • 初回は焦点が集中し過ぎて見えていなかったけど《わたし》になっても『箕浦』ずっといた。
  • 『私』が演じる《わたし》は諸戸に向けて感情を込めた視線をすごく送るけど、『箕浦』をそのように見つめない。『箕浦』が演じる《わたし》は『私』にも感情の籠った目線を向けることがあるが、基本ずっと座って正面を向いて険しい顔をしている。
  • 恐怖とは襲いかかってくる諸戸で固定されている印象も受ける。ただ、それ以上にやはり『私』と『箕浦』の差異重要そう

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

追記。8日ソワレの当日引き換え券を購入した。前回視力的に見えなかった部分を補完できるよう前方列の上手~中央の席をご用意いただけると良いのだけれど。

観劇にむけ、注目したい点など備忘録



白い鞠?は唯一『私』よりも先に舞台上に存在するので、高次元存在である可能性や何かの表現であったりしないか

秀ちゃんと吉ちゃん、初見では(誰しもそうだろうけど)双生児ではなく比喩としての『醜くコントロールできないもう一人の自分』の話だと思っていた。

エグい描写が続いていたので、比喩と見せかけて実際の奇形の話であったというオチにまんまと流されてしまったけれど、

この物語が諸戸の視点であるならば、箕浦と秀ちゃんの恋愛描写は雑で蔑ろであったのに(彼にとっては箕浦他人恋愛なんてどうでもいいからだ。箕浦物語視点であるならばこの恋はもっと尊く丁寧に描写されているであろう)、妬ましい秀ちゃんの手記はいやに丁寧に描写している。

これは秀ちゃんと吉ちゃんの存在が、諸戸ないし箕浦隠喩からではないだろうか。

諸戸本人の感覚というよりも、より高次元な作者・超自我としての感覚で、『諸戸から箕浦への愛』に対し、『美しいものであって欲しい』という望みと、『どんなに消されても消えない愛の炎と欲望は醜い』と卑下する気持ち二面を抱えているように見えるのだけど。

自分の愛は醜い』と卑下してしまうのは、受け入れてもらえないことが唯一で絶対理由だと思う。箕浦が諸戸の愛を受け入れてしまえば、もうそれは醜いものじゃなくなる。

でも箕浦はどうしても『性愛』を受け入れられない。

諸戸の二面性は彼の超自我によるものだと私は考えるけれども、ある意味箕浦が愛せた諸戸と受け入れられない諸戸の二面でもある。

吉ちゃんに凌辱される秀ちゃんとは、愛欲をコントロールできず捕らわれ続ける諸戸であるなと。

箕浦はまさしく舞台上にて『私』と『箕浦』の二つに分かれている。

同一人物であった二人が切り離されたように見えるのは、井戸の中での諸戸の告白辺りから。……それ以前、島に着いてからもかなり二人の差が「目について」くる。異様に見えてくる。

井戸を出た時の諸戸の表情が座席位置関係で見えなかったのだけど、彼は箕浦に何を見たのだろうか。

私は諸戸に対して全くもって嫌悪感がなく、むしろ清楚な色気すら感じていたのだけれど、ラストセリフ・親御さんから手紙の内容を聞いたときに唯一初めて諸戸のことをきもちわるいと思った。

諸戸本人からの求愛であったならまた印象は違ったのかもしれないけれど、第三者から告げられたそれはすごくきもちわるかった。

(これは私が『告げ口』というものに異様な嫌悪感を持つために抱いた感情なのかもしれないけど、あれだけフッたのに他人からまだアイツお前のことが好きだってと言われるなんて、しかもそれが息子を失った親御さんから訃報でだなんて、最悪すぎるし気持ち悪過ぎると感じるのですが……これで意中の相手が振り向いてくれることなどあるのでしょうか?)

から、実はラストシーン佐藤さんの反応を見逃すまいと凝視してしまって。

私は諸戸すげーきもいと感じるけど、『私』はどうだろうなと。

そのせいで他の要素を見逃している可能性が高い。

あと、どうやら原作ではそれなりに諸戸の好意きもちわるいようなのだけど、舞台では健気で美しい印象の方が強かったので、それは私が田中さんの美しさ・色気に当てられて誑かされていたからなのかどうかもしっかり見極めたい。

更に追記

ラストシーン手紙から受けた『諸戸きもちわるい』って印象、この手紙を読むのが井戸の中で消えた箕浦役の石田さんが担当しているからって可能性もあるのかも。

あのセリフを言ったのが箕浦かどうかはまだ考察できないけど、『消えた自分』にそんなこと言われて亡霊度がめっちゃ高くて不気味だったような気がしている。

怨み言や呪いのように聞こえた。

こちらも改めて確認したい。

更に追記

諸戸が箕浦を好きになった理由原作からも明らかにされていないらしい。

しか口説文句に「君は美しい」とあるそうで、これは他の人も言ったセリフである気がする。

作品中において『美しい』と評されることの意味は重いはずなので、

誰がいつ何を『美しい』と評したか、その評価意味を捉えていきたい。

更に追記

「『私』が白髪になるほどの恐怖」とは何であったのか原作でも名言されていないらしい。

解釈余地があることの意味検討したい。

また、どうしても視覚情報の伴う舞台では白髪になったターニングポイントが「見えて」しまうため、原作にならい解釈余地を生ませるよう演出されているのだが、それでも舞台上に起きた出来事はどんな解釈でなされていたか、芝居の息遣いをしっかりと感じておきたい。

2017-01-24

ちゃんと寝たい。

脳梗塞とか怖いと思って(訃報を聞いて。

2017-01-17

0.77%、0.72%、0.67%、0.45%

これは、阪神淡路大震災で、特に被害の大きかった神戸市東灘区神戸市灘区神戸市長田区・神戸市長田区における、当時の人口あたりの死亡率です。ザックリ言うと、これらの地域では、「あの日、200人につき1人死んでいる」ってことですね。

私のフェイスブック友達の数は190人。ザックリ言うと、この中で1人死んでいたでしょう。

LINEの友だちの数は185人。ザックリ言うと、この中で1人死んでいたでしょう。

高校同級生が300人。ザックリ言うと、この中で1〜2人死んでいたでしょう。

小学校同級生は50人。これなら、誰も死んでいないかも知れない。でも、親兄弟を含んだら?親戚を含んだら?兄弟友達恋人は?あのとき担任先生は、何人の教え子の訃報を聞いた?

校庭に仮設住宅が建ち、体育館だけでなく教室の中にも避難者がいる中で、残った数少ない教室や図工室、音楽室で授業を受けていました。部活レギュラーだった同級生が転校してポジションが変わりました。身近なところに死者がいなかった私は、いつもどおり朝起きて「あれから何年経ったか」を確認する。

2017-01-05

腹が立って寝れない

あのカスどもは許せん

死んでほしい

あいつら死んだとか、訃報電話かかってこないか

ぐっすり眠れるのに

2017-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20170101224536

訃報ニュースに「誰?」とかわざわざ書きに来る奴みたいな

アイコンゆゆ式ゆゆ式構成脚本高橋ナツコなんで

興味がないというより、余計なことするなやという可能性も

2016-12-14

いま Twitterで書けないことを吐き出しに来たよ

訃報に「嘘?」なんて一言レス付けるバカ女は死ね



「誰?」ならハルシオン・ランチの件もあり、

スルーのしようもあったけどな!

人は事実に殺されるのではない。

人に殺されるのだ。

2016-12-07

2016年9月30日前略プロフィールが死んだ。

訃報はいつも突然だ。人間世界においては。

けれど今回、前略プロフィールは、死去の2ヶ月前に「9月30日をもってサービスを終了します」と、言うなれば「死亡予告」とでも呼ぶべき知らせをくれた。

心の準備をする時間をくれた前略プロフィールには、感謝すべきなのだろう。

 

前略プロフィールは……いや、こんな形式ばった呼び方はよそう。私や周りのみんなはいつも君を「前略」と呼んでいた。私たち平成1ケタ台生まれは、「前略」と聞けば「草々」ではなく「プロフ」を思った。ちなみに「道の上より」を思うのはオッサンかオバサンだ。

 

前略、君は単なるプロフィールサイトではなかった。現在ではツイッターが「バカ発見器」の名を欲しいままにしているけれども、元祖バカ発見器とまではいかなくとも、バカ判別機の役割を担っていたのは君だった。

私たちは【性別】の欄に「パコられる方??ワラ」、【嗜好品】の欄に「↑何て読むか分からン??」と書いてあるのを見て、関わってはいけないレベルバカ判別していた。

兎に角主張したいこと】の欄に「ゲスブ荒らすな〓怒」と書いてあるのを見て、「ゲストブックを荒らしているのは明らかに機械的存在なのに(当時botなどという言葉は知らなかった)、荒らすなと書いたくらいで収まるわけがないだろう」と呆れていた。

 

【住んでいるところ】の欄に

「一商/二工/三高/右商/左工/中高/東商/西工/南高/北高……」

なんてずらりと近隣の学校名を記し、少しでも多くプロフ検索に引っかかろうという意思(当時SEOなどという言葉は知らなかった)を見せていた出会い厨も、

ここだけの話】の欄に「ぅちが悪いんですヵ??笑」と書き、「恋愛面で何かしらのトラブルがあり、納得できずやや立腹している」ことを遠回しに伝えていたギャルも、みんな君の死を悲しんでいるに違いない。

みんなお菓子の「カラムーチョ」を食べる度に、【絡むーちょ】という微妙にスベっていた項目名を思い出して切なくなるはず。

 

君の仲間たちも駆けつけてくれたよ。@peps!、モバスペ、decooリアルCROOZブログデコログ……。みんな、突然の報せに驚き悲しんでいる。

フォレストページさん、mixiさん、GREEさん、モバゲーさんからは弔電が送られてきたよ。

ちなみにモバゲーさんの会社上司は今とても多忙で来られないと言われていますが、落ち着いたら出どころ不明な長い文章を書いて寄こしてくれるそうです。いかがでしたか

それからTwitterfacebookも弔文を送りたかったみたいだけど、断っておいたから。だって前略がこうなってしまったのは、あいつらの責任でも……、やめよう、こんな話。ごめん……。

 

前略が遠くへ行ってしまったことは、2ヶ月経った今もまだ受け入れられない。でも、しょうがないんだよね。永遠なんてないと分かっているはずなのに、インターネット上のコンテンツにはつい永遠を求めてしまう。

君のことは一生忘れない。「前略」と言えば「プロフ」を思い出す世代がオッサンやオバサンと呼ばれるようになっても。老人になって、カラムーチョが食べられなくなっても。

息を引き取るその瞬間は、「人生の中で、“兎に角主張したいこと”って何だったかなあ……」と考えながら君の待つあの世へ向かおう。

 

前略で始まる文章は世の中にたくさんたくさんあるけれど、前略で終わるのは君に宛てた文章だけだね。

さようなら、前略。

<終>

知り合いが死んでいく

不思議なくらい訃報が続く

人間っていきなり死ぬんだな

南場さんの夫は、DeNAを守るために亡くなったように思えてならない

DeNAWelq問題に端を発するキュレーションメディア騒動タイミングで、南場さんの夫が亡くなられた。

このタイミングがあまりにも符号しすぎていて、南場さんの夫はDeNAのために亡くなったように思えてならない。

もちろん本人や周りが意図をもって行ったとは思っていないのだが、運命としてそのようなものを感じるのだ。

人として生まれた意義を感じたとき創業者会社100%コミットし、会社を我が子のように可愛がる。

の子がいない夫妻はよりそう感じているであろう。

我が子であるDeNAを守るため、身をはって守ったのだ。

Welq騒動はキュレーションメディア事業に大きな傷を残し、さら取引先の信頼を大きく傷つけた。

守安社長は、MERY以外のサイトを全て非公開化するという英断をくだし、

その評判がよかったので炎上は沈静化すると思われたが、結局MERYにも大きな問題があったため、

炎上さら燃え広がり、他の事業にも影響が出てくる可能性が出てきた。

そのなかでの今回の訃報である

南場さんにとっては大きな悲しみではあるし、大変な中でWelq問題が起きているため、

2重の苦しみを味わっているだろう。しかし、物事には全て両面があり、いい面と悪い面があると私は思っている。

断言してもいいが、今回の訃報でもってWelq騒動は沈静化する。

なぜならさらDeNA糾弾するものは、死者に鞭打つ人でなしと認識されるため、

まともな人間であればバッシングしづいからだ。

(現にブコメで心ないコメントをするものは大いに叩かれている)

最後に、私は元DeNAで働いていたものとして、DeNAエールを送りたい。

あの会社は働いている人間も優秀な人が多く、必ず今回の騒動を乗り越えてより強い会社になると信じている。

繰り返すが、物事には全て良い面と悪い面の2面があるため、今回の騒動および訃報は必ず

DeNAにとって良いものになるはずだ。

2016-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20161130230057

ボブディランノーベル文学賞受賞のニュースで「風に吹かれて」ばっかり流されるのと同じだろ。

プリンス訃報で「パープル・レイン」ばっかり流されるのと同じだろ。

師走も近づく昨今、また一人旧友が命を絶ったという連絡を受けた。

霜が降りそうな朝、葉がほとんど落ちた樹にぶら下がっていたのだという。

旧友といったのは、この4,5年のあいだお互いに行き来することがなかったからだ。

最後に会ったのは、彼が事業を始めてまもなくの頃だったと思う。そのころ彼の会社プレスリリースなど出して、彼は多くの人に囲まれていたから、軽く立ち話をするくらいのものだった。

彼の会社は、特定カテゴリ顧客に、ネット上で服をセット販売するという事業を展開していた。開始当初は、ネットサーフィンしていると、彼の会社バナーを見かけることがあったが、最近はまったく見かけなかった。

というか、彼の訃報を聞いて、ようやく彼の事業を思い出したほどだ。

共同創業者に近い間柄にある知人とこれまた数年ぶりに電話で話したが、彼の死去の原因は、資金調達の失敗にあったのではないかということだった。

運転資金が底をつきかけて金策に走った旧友は、投資してくれる可能性のある人物と会食し、共同創業者とともにレストランに行ったのだという。

交渉は結局のところ不調に終わり、2日後に彼は命を絶った。

「何か思い当たる原因はなかったの」と私は知人に聞いた。

最初は先方もかなり乗り気だったけれど、急に表情を変えて、翌日に断ってきたらしい」

「なにがきっかけだったのだろう」

「さあ、思い当たることといえば、彼が会食の席でなにかまずいことをいったのではないかということらしい」

「まずいこと?」

「まずいことというか、いい間違いといった方がよいのかもしれない。肉料理がメインのコースを頼んで、最初フランスパンが運ばれてきたらしい。それで、グラスを傾けながら事業の話をしているうちに彼が言ったらしい、「このバケット、うまいですねぇ」と。そしたら先方が急に眉根をひそめて、「ああ、バゲットですね」といったそうだ。彼はハッとして話題を変えたが、そのあと、先方の表情は硬いままだったらしい」


そんなことがありえるのだろうか。

ここにはデマが溢れているから、これを書いている私も、まさかといいたい。

もし上記のことが交渉不成立の原因だとしたら、彼はたった一度の言い間違いのために命を落としたことになるのではないか

バケットとバゲットの区別などどうでもよいという意見はよく聞くし、私も実際にそう思うことがある。

だが、この間違いが命取りになることがあるのだとしたら、私は今後間違えることはないだろう。

そんなことを思いながら、落葉の積もった歩道を見つめ、私は彼の冥福を祈った。

2016-11-18

雨宮まみが許せない

雨宮まみが死んだことについて

最近訃報の中で誰よりも悲しくて、ファンでもないし著作もそんなに買ってないし、どちらかというとインターネット彼女コラム人生相談を読んでいただけなのだけど。

彼女文章を読んで救われた気持ちになったり、寄り添われすぎて胸やけしそうになったり、けれど誰よりも他人の痛みをわかろうとする人、という印象だった。

それはきれい事なんかじゃなくて、彼女が本当に自分の痛みをすべて晒せる人で、だからこそみんなこの人にわかってもらいたい、この人ならわかってくれると思っていたのだと思う。

それだけの痛みを抱いていて、なお生きることに努力をしている彼女私たち勇気付けられていたし、だから彼女がどう年を重ねるか見ていたかった。

決してファンではなかったけれど(好きではあったけど)、あーこの人今こんなことやってんだ、こういう40代50代を生きているのかと思いたかった。

私は20代中盤で、生まれてこのかた恋人なんていたことがなく、毎日仕事しかしていないのだが、彼女が死んでしまうことは将来に対する希望ひとつ潰されることと同義なのだ

私が将来孤独で、くるしくて、さみしくて、死んでしまいたいと思ったときに、それでもこんなに生きる努力をした人というお手本があることを希望に、

将来何も報われなくたって、ちゃんと生きていようって覚悟をもらっていたのに、なんで死ぬかなあ。死ぬなんてありえないでしょ。

事故です、とニュースサイトで言っていて、でも自殺では?と言っている人もいて、自殺だったら本当に本当に本当に許せない。

私は自殺は一つの選択肢としてアリだと思っていて、それしかないのなら本人が望んでいるのなら、しょうがないじゃないと思っているのだが、

彼女文章や、商売は、彼女が生き続けることによって力が発揮されるのではないの?

死んでしまったらあなたによって励まされてきた人に嘘をついたことにならないの?

私は彼女が書いた文章の中での彼女しか知らないけど。プライベートで何かあったのかもしれないけど。

でも、彼女死ぬきじゃなかった。死んでほしくなんてなかった。

彼女に救われた心を返してほしい。

将来に希望を持たせてくれたことを謝ってほしい。

追記

事故だってことはわかってますがそれでも死んでほしくなんてなかったんです

雨宮まみさんが亡くなった。

直接面識のある人ではなかったし、熱心なファンというわけでもなかった。でもwebで読むエッセイ人生相談記事はいつも、心に染み渡るような優しさと、孤独を恐れず生きていく勇気を与えてくれた。FaceBookでは雨宮さんが「友だちの友だち」の位置にいたし、知人が仕事関係者だったりもして、親近感は感じていた。もしどこかで会う機会があれば「あなたの書くテキストはどれも本当に素敵で、いつも救われていますありがとう」と伝えたかった。だから自分もびっくりするくらい雨宮さんの訃報に打ちのめされた。昨日はずっと気を抜くとそのことを考えてしまっていたし、今朝起きても真っ先に雨宮さんがいないことを思い出してしまった。

雨宮さんは40歳、私よりひとつ年下だけど、気分としては「人生の先輩」あるいは「姐御」であった。東京女性ひとりが生きる時に感じる生きづらさを優しく芯の通った文章で細やかに表現してくれた。モヤモヤと捉えどころのない不安孤独言葉にしてくれることは、それで全てが解決するわけではないにせよ、現状を把握するヒントになり、気持ちを整理することに繋がったのだ。あんなふうに強くしなやかに生きていけたら、そんなふうに思える憧れの先輩だったのだ。私は、私たちは、雨宮さんの背中についていけば良かった。時々衝動的に死にたくなる夜のことを書いた記事も、うんうんわかる、と思ったし、でも生きていかなきゃね、と思っていた。

死因の詳しいことは明かされていないが、事故だ、と出版社の発表にあった。事故なのだろう。もし衝動的に足を踏み外したとしても、衝動的に薬を飲みすぎたとしても、衝動的に手すりに手をかけたとしても、それは事故だ。あるいはご本人の意図しない事故しか言えない何かだったのかもしれない。事故、という言葉以上に、私たちが知り得ることはない。

だけど、雨宮まみさん、事故にせよ、あなたが死んではだめじゃないか

私たちに生き抜く勇気をくれたあなたが、私たちを何度も救ってくれたあなたが、死んでしまってどうするんだ。

あなた背中についていけば生きていける、とどこかで思っていたのに、目の前から急にあなたが消えてしまったら、私たちはこれからどこへ進んでいけばいいのだろう。これから50歳、60歳と年を重ねて感じるモヤモヤ不安孤独も、あなたがすべてもらさずカタチにしてくれて、私たちは「そういうことか」と納得して前に進んでいけるのかと思っていたのに。

雨宮まみさんと共著もあったおかざき真里さんの漫画「サプリ」に、主人公の同僚女性が突然自殺してしまエピソードがある。広告代理店バリバリと働く女性がぷつりと糸が切れたように亡くなってしまう展開だ。漫画では「失恋」というわかりやす理由があったが、今読むと過労死した電通女性の姿も重なってくる。いずれにせよ失恋きっかけにすぎなくて、社会仕事やいろんなものに削られて磨り減っていった末の「事故」だったのだろう。主人公やその同僚たちも自分の足元が危ういことに気づかされ、生きるためにそれぞれが「確かなもの」を得ようと舵を切り、大きな決断をしていく。死がさほど遠くない場所にあることを誰もが自覚しているのだ。

無性に人生を終わりにしてしまいたくなる夜、今までは心のどこかで雨宮まみさんのことを思っていた。「雨宮さんも頑張っているのだ。私ももう少しがんばってみよう。」はっきりと言葉でそう思ってるわけではないけれど、多分ぼんやりとそんなことを思っていた。だけどそれは終わりにしなければならない。

昨日、「雨宮さんはもういない」「ならば私も」そんなふうに思ってしまいそうな自分がいた。

私は、「サプリ」主人公たちがしたように、亡くなった彼女自分の間に線を引かなければならない。雨宮さんが今は安らかに穏やかな気持で眠っていることを祈りながらも、「先輩」「姐御」であった彼女背中を追うことをきっぱりとやめなければならないのだ。

2016-11-17

訃報はてブトップに来てるけど、まったく知らない女だった。有名な人なのか。

2016-11-13

引退報道とか訃報とか聞いて初めて「え?誰?」ってことってあるよね。

2016-11-12

歌手女優りりィ訃報スマホニュースサイトで流し読んでいたのだが

「妻の吉田美和は」といきなり出てきて、え?同性婚?さすが芸能界だわ…と誤読した

なんか歌のイメージとぜんぜん違う、吉田美和すごいな、と誤読しながら間違った感動をし

その後、他のサイトも合わせて読んで、息子のJUONの妻である吉田美和、って話だと理解した

なんだよ紛らわしい文章だなあ、「息子のJUONと、妻の吉田美和は」妻はJUONにかかってんのか

と、納得しかけた後に、JUON(31)、吉田美和(51)の括弧書きに驚いた

なんか吉田美和すげーな…

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