はてなキーワード: 自己完結とは
人生で1度は「よーし死ぬぞ」と決心するときが人にはあると思う。
全部どうでもよくなるとき、当てつけに死んでやると燃えるとき、とりあえず思いつきたとき等々色んなタイミングで、増田はよっしゃ死ぬぜと思う。
メンヘラではないがガラスのハートで、特に目立った才能もないのにプライドだけはエベレスト級。些細なことでプッツンと、生きるぞという気持ちが途切れる。
さて、今日もいつものように首をくくりたくなってきた増田は、とりあえず手近な紐らしきものを探した。
一般家庭に人を吊るすのにいい紐・いい縄なんて無く、結局フェイスタオルで妥協することにした。
頭では死んでやろうと思っているくせに、考えたのは「このバンドはなにも悪くないのにこんな用途で使うのは申し訳ないな」ということだった。
自意識過剰の増田はそんなに有名人でもない自分の死の情報が、特に『何を用いて死んだか』が広まる事にビビった。
死ぬし関係ないか、と思ってタオルを引っ掛ける場所を探し始めた。
そして次は「ここ借家なのにやっていいのかな」と至極真っ当な不安が過ぎった。
その時点でこれから首を括りましょうという人間の発想ではないなと、思った。
そのまま引っ掛ける準備をすすめて、いよいよというときになって、準備の悪い増田は遺書のひとつでも残してやろうかと初めて考えた。
そしてやっぱり「遺書とか重いし嫌だな」と思った。
プライドエベレストの増田はまだどこかで自分が死んだら悲しんでくれる人がいるのではないかと期待している。その人たちの重荷になるような事はしたくないと思うのだ。
存在しない理想の誰かに申し訳なさを感じる自己完結系ビビり。死にたい死にたいと思うだけの自己愛の化身。
ビビりでプライドが高いので、誰かに死にたいとこぼしたことは無い。心配をかけたくないし、メンヘラと思われたくない。
勇気がないだけなのに、ぶん殴りたい奴がいても殴るのは良い方法ではないと、自分が高潔であるために人に手を出してはならないと、自分を納得させている。
憎くて憎くてしょうがない相手でも、相手を害せば相手のことを大切に思う誰かを傷つけるのでは無いかと怯えている。
とにかく誰かから良く思われたいがために、いつも高潔でありたいと願っている。
こうやっていつも、自分は死ぬときまで誰かに良く思われたいんだ、と考えて死ぬ気が失せる。
高潔に死のうとするビビりの自分に、誰かに良く思われるような『理想の高潔な自分』が見いだせず尻込みする。
とある作品の二次創作を書くたびに決まってコメントをくれる人がいる。
ありがたいことだ。感謝の気持ちは私にもある。けれど、嬉しいか嬉しくないかといわれれば、むしろ、嬉しくないのだ。
感想、もらえるだけでありがたい。そういう空気が、そこかしにあって、ここにしか書けないので吐き出させてほしい。
とかなら、ありがとうございます。と返事をして、私もにっこり。で、終われるのだが、その感想はいつもなんと返事をして良いものかわからないのだ。
テレビ見ながら呟く独り言のような。「ギャハハ!!こんなことも知らないなんてまじありえねぇ!!」みたいなコメントが届く。
文面からは楽しんでくれてることはわかるけれど、自己完結してるから返事をどう書けば良いのかわからずに憂鬱な気分になってしまう。
別に返事は絶対書かなくてはいけないものではないので、私も「あぁ、楽しんでくれたんだな」で、終われれば良いんだろう。でも、私も感想を送ったときに返事があると嬉しいタイプなのでなんとか、頭をひねってお礼を伝えようとする。
そして、文面が出てこなくて心が削れてしまう。
でもって今回は、落ち込んだ主人公が最後はハッピーになる話を私は書いたつもりだったのに、主人公元気だせ!とコメントをいただき、主人公、もう元気なんだが?と、ポカンとしてしまった。
私の書き方が拙くて伝わらなかったのかもしれないけど、やっぱり書いてる人になにか伝えたいなら、相手の反応を考えて送ってほしいと思ってしまった。
【追記】記憶が混同していたが、「1人欠員」が出たのは向かいのテーブルで、ソロ凸していた俺はそちらに行きたいと強烈に念を飛ばしてた余り自テーブルが欠員していたものと記憶が混じってしまった。幽霊オチで☆を稼ぐブコメを見て気づいたので、ついでに誤字も修正した。
三人組サークルはまだしも、カップルは「2人の世界を邪魔するなオーラ」がとにかく尋常じゃない。ならこんな所に来るんじゃねえ!ホテルに引きこもってろ!
自慢じゃないが初対面のチームメンバーと打ち解けるコミュ力があり、地声が大きい。つまり情報共有にほぼ不自由はしなかった。
プレイ経験者には周知の通り、リアル脱出ゲームは大変楽しい体感型謎解きゲームだが、その大半は5人以上のチーム戦である。つまりスタッフによるいたずらな「チームメンバーガチャ」によって勝率も楽しさも9割近くが決定されてしまうという魔のゲームなのだ。特にソロ参加者にとっては。
・2人だけの世界で自己完結するパリピカップルAB(金髪男が中級者らしく己のカッコ良さアピールのため何もしない置物の彼女Bを付き合わせてる模様)
・3人組の世界で盛り上がるパリピ大学生サークルCDE(これも中級者の男1人が他の置物男女2名を強引に付き合わせたと見られる)
・カップルと大学生サークルに挟まれるもっさいTシャツジーパンでデブの俺
ゲーム開始前の待機時間、周囲のテーブルからは「よろしくお願いしまーす」の和気藹々ムードが伝わるのに、俺らのテーブルだけは2:3:1で壁が出来ておりグループは典型的な「好きな相手とは超饒舌だが馴染めないとみなした他人は無視」タイプだった。この時点で猛烈に嫌な予感がした。他の欠員テーブルに移りたくて移りたくて仕方なかった。開始直前に恒例のチームメンバーあいさつがあったが、両隣のカップルと大学生サークルは俺の頭越しに目を合わせあい俺とは目を合わせようとしなかった。
ゲームが開始すると同時にクソボソボソ声の金髪パリピカップル男が仕切り出し、残りの大学生サークルは探索に向かうと言って3人で動き出した。元々探索担当にそんな人数はいらない。仕方なく俺はカップルに挟まれて謎を解くしかなかったが、金髪男は隣の俺に背を向け完全に彼女に内緒話する態勢で謎の書かれた用紙を自分だけに引き寄せてしまう。謎解きに必要な小道具も金髪男の肘の下に全部敷かれている。ただ男を褒める要員として引っ張られてきた彼女は何の役にも立たないので無視されたまま時間だけが無駄に過ぎる。金髪男は自称中級者との事だが、リアル脱出ゲームの基礎原則『情報共有が命のチーム協力戦』を完全無視するゴミ虫クソ野郎だった。
またこのド低能金髪パリピ男のカッコ付けしぐさがいちいちうざい。
コナンに影響された馬鹿丸出しのようにわかってないのに「なるほど!」「そういう事か!」をとにかく終始連呼しまくる。20回位独り言で言ってたと思う。わかったんですかと聞けば「いやわかってないw」と答える金髪パリピ男の後頭部を何度殴りたい衝動に駆られたかわからない。
封筒の中に入っていた謎解きアイテムを1人で全部独占する、手がかりのアイテムを独断で黙って不要品ボックスに投げてしまう。長文で書いてあるヒントシートを独り占めして「手がかりは3行目なんじゃないかな」と手前の推理結果だけをボソボソ小声で聞かせてヒントシートを手放さない。ちなみにその意見は的外れだった。俺が「手がかりは皆に読ませて共有しないと」と注意したら死んだ目で睨む。向かいの大学生サークルも3人だけで盛り上がり問題シートをやはり独占。こいつらも情報共有する気が格段に無かった。そして勘違い男の自慢のダシに使われた置物パリピ女同士が目と目を合わせてニッコリするだけ。気がつくと身内ノリのパリピグループ2つがお互い情報共有されてないくせに謎のパリピ同士の連帯感を発揮して、俺1人が謎と探索機会を軒並み奪われてぽつねんと突っ立っていた。司会適正ゼロの低知能のくせに彼女にカッコつけるためリーダーぶるゴミ虫コナンモドキ金髪男の暴走を諫めつつ、なんとかチームのために有用な提案をしたり置いてけぼりされないよう必死で謎を解くのだが自分が発言するたび2人と3人の壁が厚くなるだけなのが、しんどかった。
リアル脱出ゲームはよく「初心者はソロ凸しない方がいい」と言われる。それはソロ主体の俺も同意見だ。可能なら3人で行くのがいい。そうすれば自称中級者や2人の世界に引きこもるカップル(特に男のイキリ率と彼女としかまともに口きけない率は異常)の圧がそこまで致命的に効いてこないと思う。今回俺がチャレンジしたのはガチ勢仕様の硬派な公演だったが、アニメコラボ系、それも美少女アニメなら例の勘違いイキリカップルのようなアレやパリピウェーイ系大学生サークルとの遭遇率は低くなると思われる。
そしてリアル脱出ゲーム進行者側も出来るならば、ソロ参加者はソロ参加者同士でグループ分けしてほしい。俺は自分以外全員グループだったという局面を何度か経験している。これまでは皆ウェイウェイ言いながらチームプレーの出来る良心メンバーに恵まれていたけど、1時間少々と考えると決して安くない料金と時間を割きながらチームガチャで最悪を引くと謎解きどころではない台無しになるうえ多大なストレスになるだけなので、こんな100か-5000かのギャンブルに毎回左右されるのは身が持たない。
そしてリアル脱出ゲームで知的な自分アピールをしたがるカップルに言いたい。
お前はイキリ散らしてるけど、隣にいるパートナーの目は死んでるぞ。相手がミステリーやクイズ大好き人間でない限りデートにリアル脱出ゲームはやめとけ。
https://4komagram.com/users/5792
朝食に辛いものを食べる。すると思いのほか目が覚め意識は冴えた。
昼食に初めて低アミロース米なる米を食べた。
パンは硬くて歯応えあるほうが好きだけど、米のほうはモチモチしていたほうが好きかも
幼少時、浦安鉄筋家族が好きでよく読んでいたのだけど、巻末には作者による各話の感想が書いてあって、その感想のどれもがおおよそ否定的であったのがとても印象的。
当時は「面白いのに、どうして駄目だなんて言うのかなぁ」と思っていたけれど、大人になって、そしてこうしてふと四コマを書いてみるとその気持ちがちょっとわかった気がする。こうした発言自体が随分とおごがましい事とは理解しつつも、そうした心境についてちょっと綴る。
「これ面白いのでは!?」といって浮かんだアイデアを表面化するというのは深夜テンションのごとくの自己完結的な躁常態と、冷静になり作品を俯瞰する常態になって訪れる鬱的な見方。その両極端と成るふり幅の大きさ如何によって、そのまた作者の情緒も揺さぶられるではないかと思う。コーヒーかぶっと飲んで、カフェイン切れて妙に落ち着かない浮遊感にも似た喪失さと焦燥さは、自己便宜的な否定の意見を持ってようやく落ち着くことができるのかもしれない。
追追記
ブレイブウィッチーズのストーリーが文句なく良い、ねえ……。俺にはまるでそうは思えないんだが、なんでそう思う人がいるのかちょっと真面目に考えてみようかなあ。
俺含めた多くのストライクウィッチーズファンのブレイブのストーリーに関する不満は、端的に言えば「宮藤に比べてひかりに主人公適性がなさすぎる」に尽きると思うんだよな。
ひかりは目的や手段が完全に自己完結していて他人を巻き込まない、よって自分の話と大きなストーリーがリンクせず話を進められない、他キャラへの影響も少ないから大きなストーリーを動かす力がないし他のキャラも立たないんだよな。501で言えば初期リーネを主人公にした感じ? まあ本編の宮藤は「一定の能力・血統から来る才能・正義感・他人を動かす情熱・強力な固有スキル・かっこよさ・かわいさ・スケベさ」といった部分をきっちり備えてて主人公としての適性が高すぎるから、そこと比べるのもかわいそうなんだけど。
ひかりにかまってあげるニパと菅野が異常に優しすぎるという印象を受けるのも、結局ひかりが自分のためだけに頑張ってて他人の内心を変えていかないキャラだからだと思うんだよな。戦況的にも自分のためにやってる奴に構うほど余裕があるようには見えないし。
2期やOVAでの主役キャラが一話ごとに変わる話の作りは1期である程度メンバーのキャラが立っていたから成立するのであって、主人公が他キャラの内面や人間関係に作用しなくて大きなストーリーにも関与しないのなら、その「主人公」はただの登場人物の一人でしかない。結局12話もかけて「主人公が成長しました」以上のものが何も残らないような主人公じゃ、架空戦記ものとしてのストライクウィッチーズシリーズの主人公としては不適格と言わざるを得ないと思うんだよな。ひかりというキャラが気に入れるならそれでもいいんだけど、気に入る要素も正直よくわからなくてなあ……。がんばり屋さんなところとかなの? まあひかりを気に入ったらひかり中心の話が続いて面白いというのは分かる気がするよ。
戦闘描写とストーリーの関係についても話しておいたほうがいいかもしれん。ひかりの成長ストーリーをメインに据えるなら、戦闘描写で成長を描くというのは必須だと思うのだが、実際はその戦闘描写がご存知の通りのアレなんだよな。作画修正したBDは見てないから知らんが、カット割から大きく変更でもしないとキャラの特徴や変化は伝わってこないだろうからどうせゴミだろ。天真爛漫なエーリカ、一本気な坂本とバルクホルン、不思議ちゃんエイラ、宮藤の成長みたいなのは戦闘描写からも感じさせるアニメだったはずなんだけどなあ。
ブレイブウィッチーズは言及先の人ほどではないけど見てるのが辛くなるから頑張って二回見たくらいだから、変なこと言ってたらごめんね。
あと、もう結構前の話だから知らなかったり忘れてたりする人も多いんだけど、ストライクウィッチーズの1期とかいらん子中隊は基本的にシリアスな架空戦記SFとして人気が出たんだよね。ああ見えて。2期以降はキャラ描写中心にシフトしたんだけど、やっぱり1期のあの架空戦記モノとしてのワクワク感は凄かったと思うよ。人型ネウロイの伏線をほっぽりだしたのは本当がっかりしたなあ……。
つらつらと愚痴を垂れ流してみる。
今はまだリモートワークと出社が混ざってるのだけれど、うちの会社はもうすぐなくなるらしい。
家に感染を避けるべき家族がいるので、なるべく通勤を控えたい。
コロナが無ければ今頃会社の比較的近くに引っ越す予定だったが、それも出来なくなってしまった。
会社の「社員同士の関係性を大切にしたい」という意向の元、私の希望は聞き入れられないだろう。
久々に出社したら、自分が関わってる仕事の関係者の大半が出社していた。
話していると、早くリモートをやめろという圧を感じた。
「同じターミナル駅を通過してる人、他にもいっぱいいるよ」とか
「いちいち整理してメールなりチャットなりにまとめるのはめんどくさい」という趣旨のことを言われた。
前者については「他の同様の人が出社してるから私も出社すべきとはならんだろう」としか思わないが、コミュニケーション方法については疑問符が付いた。
対面のコミュニケーションなら良いのかというと、デメリットばかりが目に付いてしまった。
出社した一日の対面でのコミュニケーションを振り返ってみていたが、
・発話内容の大半が整理されていない情報で、かつそのまま文字に起こすと支離滅裂(私含め大半の人がそう)
・会話しながら整理した結果を本人が共有しない場合がある(自己完結)
・一方で私(最年少)が整理することを目的に話すと威圧される(それ前に言ったよね?とか)
・伝える気はなくて、言わなかった責任を負いたくないだけの言い方をする。
・謎の待ち時間が発生して何にも手を付けられない時間が発生する
・その結果よくわからない空白時間がたくさん発生したまま遅くまで残業する。
という惨憺たる結果だった。
確かにPCの画面に指さしながら会話したほうが楽なのはわかる。
口から発声しているうちに自分の考えがまとまるというのも良くわかる。(今こうして文章を書いてるうちに考えが整理されているので余計にわかる。)
そういう関係性にこそメンバーシップ型の日本の雇用形態に意義があるという話も、まあ分かる。
そこは理解したうえで、
今の情勢下で誰かの「メールやチャットより直接会って話したほうが楽」に付き合うために
落ち着いて、端的に文章で説明するように努めたほうがミスが少ないのに、
ワーワー頑張ってるような雰囲気を作ってミスをたくさんして余計に残業が増えている。
それなら私じゃなくてぬいぐるみに話しかけながら考えを整理したほうが良いんじゃないか。
端的に物事を伝えられない人は多分リモートワークを嫌うのだろう。
そんな「何となく楽」に付き合うために私や家族はコロナに感染するリスクを負うのか。
このことを自分の周囲に話せばきっと「怖がり過ぎだ」「そんなところに住んだお前の自己責任だ」などと言われるのが目に見える。
家庭の事情なんていうならそんな家族切り捨てればいいなんて言う人も出るだろう。今の日本なら出てもおかしくない。
なんというか周りを信用も信頼も出来なくなってしまったなあ。
ああやっぱ転職したほうが良さそうだ
酒の入った状態で書いているため乱文乱筆です。
1.1.先日、行きつけの居酒屋で女の子と知り合った。酒の勢いでLINEを交換し、その日は店の床にゲロをぶちまけて帰った。
後日、LINEでその女の子にサシ飲みに誘われ、同じ居酒屋に行った。(と言っても、その居酒屋の店主と顔見知りだったり常連の知り合いなんかが来たのもあってサシ飲みという感じではなくなったけど)
2.1.ここで少し、自分のことについて記しておこうかな。
タイトルの通り、彼女いない歴=年齢の童貞。21歳大学生。自他共に認めるブサイク。ついでにオタク。
とは言っても、実の所容姿に関しては疑問を挟む余地がある気がしている。というのも、気のおける友人達は自分の容姿が並外れて劣っていないと言ってくれているからだ。
まあ、友人の言葉を信じるだけの根拠を持っている自分が何を言ったところで「そんなのは気を使われていだけだ」と言われてしまえばどうしようもないのは確かだ。
だが、この話の本質はそこにはない。
結局のところ自分は、「自分がブサイクでありそれが故に異性に好かれるわけが無い」と信じきっていて、信頼している友人の言葉を信じきれていないという自己嫌悪がこの段落で伝えたいことだ。
3.1.前述の通り、俺は大学生であり、大学には一定数の友人がいる。もちろんそのほとんどが男で、非童貞で、下らないことで笑い合える気のいい連中だ。
その中に1人、よくサシで酒を飲んだりパチンコに行ったりする奴がいる。
そいつの家で酒を飲んでいる時、俺はいつも「彼女が欲しい」「セックスがしたい」「つまるところ、異性とゼロ距離の心で触れ合いたい」ということをボヤき続けている。PCでCRF戦姫絶唱シンフォギアを眺めながら。
そして友人はそれに「お前はそもそも努力をする気がない」「性風俗にでも行けばいい」「まずもってお前は本気でそう思っていない」と言ったようなことを言ってくる。俺は、その言葉に救われ続けている。
1.2.一緒に飲みに行った女の子から翌日、LINEが来た。解散したあとはどうしたのかといったような他愛のない内容だ。
確かその女の子は、連絡が帰ってこないことに極度に不安を覚えると言っていた事を言っていた気がする。
大きく間を開けて送ったLINEには、笑えるほどに簡素な返事が帰ってきた。そのまま会話は途切れた。
俺は、なんの理由もなく異性との繋がりを手放したのだ。
自分が本気で異性との繋がりを求めていないのだと実感した。
3.2.それでも俺は酒を飲めば彼女が欲しいのなんのとボヤき続けるのは変わらない。寂しさの解消を異性に求め、劣等感の解消を異性に求め、でもそれは21年間叶っていないと突きつけられる。相変わらず自己完結し続け、矛盾し続ける。
2.2.夜の道を歩くのが好きだ。見慣れぬ光景に心奪われ、いずれそんな光景も既知になり、飽いて、思考は自分の内面へ向かう。
内面に向いた思考は、概ね上記のコンプレックスと矛盾、自己嫌悪を想起する。
4.自虐的な思考が好きだ。自分は極端に劣っているのだと実感する時間が好きだ。異性の温もりを求めながらそれらを遠ざける矛盾を責める思考が好きだ。
自分を嫌う自分の内面に気がついてから、夜の散歩が楽しくなった。
夜の風を浴びながら自分の矛盾と向き合い、自己嫌悪に沈む時間が最高の快楽になった。
思えば自分は、精神的にマゾヒズムの素質があるのかもしれない。
こうしてまた矛盾する。
ITが業界として成り立ち始めた当初から、IT業界全体にリベラル気質があふれていた。
それはApple IIのようなパソコン文化だったり、BSD・Linuxといったオープンソースだったり、あるいはM$帝国といったアイコン化などでもよく分かる。
IT関係者が当初のユーザーに多くいた"はてな"、特に"はてなブックマーク"にも、それは強く表れていた。
自由な環境を好み他人に寛容な典型的なリベラル気質の人が多く、東アジア諸国を見下すような愛国主義的なネトウヨもいないわけではなかったが見下されていたように思う。ただ、軽く見られて相手にされていなかったというところかも知れない。
いつの頃からかよく分からないのだが、"はてな"の特に"はてなブックマーク"の雰囲気が変わり始めた。
それはIT関連の記事がホットエントリーに上がらなくなってきた頃からか、政治や社会の記事がホットエントリーの常連になってきた。世間的には民主党政権の前か、最中か、後か、どうなのだろう。
それと共に、寛容さは失われ、攻撃性が増してきた。
「汚物は消毒だ~」というフレーズと共に半ばジョークとして半ば真剣に語られていた「モヒカン族」が、特にジョークであったはずの部分が現実化してきたようだ。元々「モヒカン族」は論理の棍棒で相手を打ちのめすという合理性と暴力性の合わさった存在として恐れられていたが、その合理性が独善化して自己完結化した結果、自分の正義に合致するか否かで暴力を振るう相手を特定し攻撃を正当化するように変容していった。これは、モヒカンの各氏が変わっていたのではなく、モヒカンを許容する"はてサ"社会が変わっていったと考えるのが正しい。
それは、表現規制やフェミニズム、その他様々な社会問題・政治問題でよく観察される。
一方、現実社会では、民主党の政権奪取と凋落などもありリベラルという看板が色褪せてきたためか、あるいは大陸中国の台頭もあって国際協調路線から民族主義的な危機感からか、世の中が左翼的な傾向から右翼的な傾向へ移行し始めている。それは、リベラリズム・グローバリズムが自分を救ってくれないという限界に対する失望感なのかもしれないし、対照的に自分を助けてくれそうな地域社会から見直しているからかもしれない。
"はてサ"が変わっていった一つの要因としては、そういった現実社会でのリベラリズムの退潮と無関係ではないだろう。
正義が揺らぐとき、その正義の正当性の是非が問われ、是であれ非であれ互いに正統性を主張することになる。それは寛容さを失わせ、自分の考え以外を異端と排除する方向へ向かうことになる。
正統性を求めるあまり狂気に走った事例というのは、古くは宗教戦争からフランス革命のジャコバン派の暴走、スターリン粛清・クメールルージュの虐殺など数えきれないほどある。昔から、人を狂気に駆り立てるのは、悪ではなく正義なのだから。
いずれにせよ、そのようにして"はてサ"の寛容さは失われた。
"はてサ"でも現実社会の左派でも結局残ったのは、他人に対して攻撃性を示す人たちばかり。政治の世界でも、報道でも、自らの正当性を主張して他人を非難・攻撃するのが左翼の姿になっている。かつてケネディが言った「あなたの国があなたのため に何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」という精神は、現状のリベラルの中には全く残っていない。
そのような有様で党派抗争に夢中になっている人々からは、何かを成し遂げようとする人は離れていく。
何かを成し遂げるためには、党派抗争は有害で邪魔なだけなのだから。けれども中にいる人には、その党派性こそが守るべき正義であり全てであるから、離れる人をも攻撃してくる。不正義に協力していると。そして更に教条的になり、異端排除、先鋭化していく。
もう、"はてな"ユーザーの中には、新しく何かを産み出すという気質は失われてしまったのだろう。
それは仕方のないことかもしれない。
よくTwitterで見かける、発達障害、または精神病を患った女性が、生きづらさやそれをどう乗り越えているかを、コミックエッセイ風に綴っているやつ
に、ほぼ必ず、理解がありその女性を支えてくれる男性が登場するやつ
というのを非常によく見かける。揶揄する人の言いたいことはとてもよくわかる。
とっても生きづらいけど、良いパートナーのおかげで生きていけている、というのは、パートナーに恵まれない障害や病気を抱える人々を改めて絶望の淵に突き落とすようなものだ。
非常に一般的な考え方として、例外は必ずあるにしろ、基本的に、女性のほうが男性に比べ、恋愛的なパートナーを得る機会が多いのはおそらく確かだろう。その理由はいくつか挙げられるが、ここでは割愛する。
ゆえに、パートナーに恵まれ日常を送ることができている障碍者/精神疾患持ち女性という存在を見せつけられると、同じような状況にある男性のなかに、『では誰にもかんがみられることなく、パートナーに恵まれない自分たちは、どう生きていけばいいのか』と暗澹たる気持ちが生まれてしまうのは仕方がないのではないだろうか。
私の話をしよう。
私は女性である。そして発達障害者であり、精神疾患を持っている。
具体的に言うと、ASD優位のADHD、かつ、うつ病と解離性同一性障害の診断が下りている。
理系の大学院を卒業後、財閥系企業に勤めていたが、病状の悪化に伴い退職した。
そして離婚歴がある。
私の持つ障害と疾患は、両親からの虐待に由来する可能性が高く、主治医の所見もそのようになっている。私の両親は裕福で社会的地位のある人たちではあったが、あまり子供を育てることは得意ではなかったらしい。成人し、うつを発症し、自殺未遂後、弁護士を通して虐待の事実を認める旨、慰謝料を支払う旨、それができないのであれば縁を切る(ことは非常に難しいのだが)協議書を送り、その段階に至り、はじめて自分たちがしてきたことが客観的に虐待に当たると気づいた、なかなか能天気な人たちでもある。
この虐待由来というところがネックなのか、私の抱える障害と精神疾患は非常に根深いところにあり、もう10年近く投薬を続けているが、治るというよりもただ生きているだけだ。
さて、表題の話をしよう。私の人生において、障害や精神疾患を支えてくれるパートナーはいたかという話である。
結論から言うと、いなかった。これからも現れない気がしている。
そもそも、私は強い気分障害を持っているが、精神が不調の際は自ら抗不安剤(軽いものならソラナックス、リボリトール、ひどければヒルナミン)を飲んで、迷惑をかける前に自分をコントロールしていた。これはたぶん、両親による『人に気を遣わせるな』という強い教育が行き届いた結果だと思う。もちろんこの人という言葉には、家族も含まれている。
解離性同一性人格障害というのは、簡単に言うと多重人格のことで、現在この病名が診断されている患者はかなり少ない。最近は発作もあまり怒らないが、解離時、私にはなんの記憶もない。どこで何をしていたのか、ポケットに入ったレシートや、体についた汚れや傷、SUICAの履歴など、いろいろなものからなんとなく推理するしかない。でもそれがとても怖いともあまり思わない。発作が起こるタイミング、シチュエーションは決まっている。そうならないよう、そういった状況に自らを送り込まないよう注意すれば、ある程度制御できる。
私は精神療養手帳も持っているし、飲んでいる薬の数も種類も途方もない数だが、それでいて、一人できちんと精神科に行き、診察を受け、薬を飲んで生活している。もちろん生活も一人だ。親元なんて考えられないし、世間体のためだけにした結婚は、結局相手が何を考えているのかわからないまま、かつ、相手も私がどういった人間なのかわからないまま終わった。
主治医はあまりこの状況をよしとはしていない。つまり、頼れるだれかが近くにいたほうがいいのではないかという話をされることもある。しかし私は、短い結婚生活のことを思い出す。いつも誰かがそばにいるのに、その人がひとつも自分のことをわかっていないという状態は、単純に一人でいるより何倍もつらい。元夫との生活の中で、私は何度も『大丈夫』と言った。ぐうぐう寝息を立てる元夫のとなりで、絶望が押し寄せてきて一晩中声を殺して泣いた。これではいけないと、元夫に私は何度か自分の話をしようとした。それはかなり勇気のいる行為だった。他人の精神がいびつになるに至る理由を、好んで聞きたがる人はいないし、そのあと慰めるのだって面倒だろう。もし、面倒がられたら、聞いてくれなかったら、と思うと、だれにも言えなくなってしまうのだ。
結果から言うと、元夫は私の話を聞いてはくれた。その間ずっとドラゴンボールかなにかのソーシャルゲームをスマホで遊んでいた。
最初から期待していない分、絶望も少なかったが、たとえ結婚していても、他人は他人であり、興味のない話を無理やり聞かせることはできず、自分のことは自分でけりをつけなければいけないのだとわかった。私は、元夫がしてくれる自分の話を聞くのが好きだった。それは元夫に興味があったということだろう。そしてその逆はなかったということだ。
ちなみに離婚の直接の理由となったのは、元夫の暴力的行為により、私が結婚前に拾いともに暮らしていたネコが、ストレス性の病気になってしまったことだ。ネコは家具が破壊される音を聞き、泣き叫ぶ私の声を聴き、壊れた箪笥を見、過度のストレスで過呼吸を起こし、自らのしっぽをかじり始めた。ネコの異状に気づき、獣医でそれがストレス性のもので、環境を変えるか、抗不安剤を投与するかしかないと聞くその瞬間まで、私は無気力のあまり離婚することすら考えていなかった。動物病院を出た私は、その日のうちに離婚届を手に入れ、元夫に書くように強制した。
元夫は渋っていたが、一連の暴力行為を私がICレコーダーに録音していることを知ると、あきらめたようにぐちゃぐちゃと署名をした。
おそらくこれを読んで私に好意的な気持ちを抱く人は少ないと思う。それは私が完全に自己完結しているからだと自分でも思う。私は折り紙付きの障碍者で、精神疾患を抱えているが、誰にも頼りたくないと思っているし、私が求めているものは、他人に求めるにはあまりにも重たいものだという自覚がある。
私はネコと暮らしている。ネコは私がいなくてもおそらく生きていけるだろうが、私はこのネコがいないと生きていけない。ネコは私の話を聞いて頭をなでてくれるわけでも、そっと抱きしめてくれるわけでもないし、「つらかったね」とかそういうことを言ってくれたりもしない。ただ生きていて、日向ぼっこをして、昼寝をして、ノートPCに向かう私の邪魔をチョコチョコとしてくるだけだ。
でもそんな存在を私は心から愛し、どの人間よりも深い信頼を抱いている。
誰にも愛されない、だれも愛すことができないと思い、絶望している、私と似たような境遇の人がいるとしたら、まずネコを拾うことを強くお勧めする。
※主に頭の整理と吐き出しのために書いています。見苦しい文章で申し訳ありません。
付き合いは長い方だと思う。
出会って少し経って、お互い近くなればなるほど、ずっと喧嘩続きで心をかなり病んでしまっている。
あまり心が強い方ではなかったらしい。睡眠障害や接触障害を起こし、体も弱り、会社も辞めてしまった。
彼は、少し揉めるとかなり強い口調で一方的に話をし、自分の非を認めようとせず、過去に遡ってでも何かあらを見つけてはお前のせいでこうなっているんだ、もうお前なんていなくなってしまえ、と怒り始める。たまに手が出ることもあった。
そうなると、私が何を言っても無駄だ。謝罪をしてもそんな言葉響かないと跳ね除けられる。何も言わないと何か言うことも無いのかとさらに責められる。
思ってもいないことをお前はこう考えている、と決めつけられる。信じてもらえていない。すごく悲しい。
それでも、私は彼と一緒にいたいと考えているので、縋りついてきた。
ごめんねと言い続け、できるだけ負の感情が湧いても抑え、怯えて、顔色を伺い続けてきた。
それでもやっぱり人間なので、感情がある。限界もある。耐え切れず爆発して更に喧嘩になる。
数少ない心許せる友人に相談すると、それはモラハラだ、そういう人からは離れるか諦めるしかない、と言われる。
彼のことはとても大切だし素敵な人間だと思っているからこそ好きなので、あまりモラハラという言葉を使いたくないのだが、確かにその特徴に当てはまるし、まあ難しい定義とかは分からないがここではモラハラという言葉で表現するのが伝わり易いのかなと思う。(罪悪感)(ごめんね)
と、そうやってずっと悩んできたのだが、例の如く喧嘩をし、どうしたら仲直りできるのか、納得・理解して貰えるのか、どこを直すべきなのか、とぐるぐる悩んでいた時、ふと気付いた。
私も彼に対してモラハラをしていた。
私も感情的になると一方的に考えをぶつけてしまうところがある。
但し、彼と違い、感情が溢れると涙が止まらなくなり会話できなくなることが殆どなので、LINEなどの文章で一方的に送りつけてしまう。長文とか連投のLINEって嫌ですよね。分かっています。
そして、彼の言動によって傷付いたとき、彼の気持ちを全て自己完結して決めつけ、今までの伝えてくれていた気持ちまでも否定してしまう。約束を破られたりしたら勿論謝ってほしいし、それは人として大切な事だと思っています。言葉だけなら誰にだって何とでも言えるし、行動によって示されるべきこともたくさんあるはずです。
とまぁ他にもあるのだが彼に対してどうして?と理解できなかった、傷付いていた部分が、全て自分にも返ってくることにやっと気付いた。
私もモラハラをしていたのだ。
今まで私は手は上げていないが、モラハラも一種のDVのようなものである。
お互いなにかのきっかけで傷付いて、(このきっかけは普通の喧嘩と同じようなものだと思う)、感情的になりモラハラして、また相手が傷付いて更にモラハラして、最終的に必要以上にお互い傷付いてしまっている。だいたい口が下手で考えを伝えられない私が泣きついて終わるのだが。昔よりもお互い短気になったし、感情の爆発具合も酷くなっていると思う。こんなの負の連鎖だ。
ついさっきこれを自覚した。私はただの心の弱いモラハラ被害者だと思っていた。同じことをしていのだ。大発見だった。彼はきっとまだその自覚は無いんだと思う。勢いで手を上げてしまうことに対しては反省しているようだが。
もっとお互いに必要以上に傷付け合わずに、健やかに生きていけるようになりたい。
勿論これからもずっと一緒にいたいが、もしこの先別れることがあったとしても、周りの人間や大切な人を必要以上に傷付けるような人間であってほしくない。私もそういう人間のままでいたくない。
モラハラ同士、どうすれば上手くやっていけるのだろうか。治せるのだろうか。
未だに喧嘩中なのでこのまま謝罪を受け入れて貰えずに仲直りする事が出来なければこれで関係は終わってしまうかもしれないが、二人で一緒に治して、より良い人として生きていけるといいな、と思う。
どっちもモラハラってあるんだな。難しいな。