はてなキーワード: 自営業とは
私はそこら中にいる普通の主婦です。普通の主婦ですが私のお金で生活をしてくれませんか?
いきなりこんな事を言ってしまっては「頭がおかしい」とでも思われてしまいますでしょうか。
私は現在進行形で困ってます。だからあなたに助けてほしいというのが本音です。
私は今月収700万円を稼ぐアフィリエイターです。どこの会社に属している訳でもなく在宅で一人でこつこつとインターネットビジネスをしてます。
専業主婦ですから、外に働きに行ったりはできません。言ってしまえば夫が私に対して専業主婦でいてほしいと。かといって夫にそれなりの収入があるかと言えば頷く事はできません。
夫に直接「収入が少ないから」といってしまえばDV体質の夫ですからきっと私に手を挙げるかもしれません。
そんな理由があって外には働きに行けないので、少しでも私が憧れていた結婚生活をするためにも副業がどうしても必要でした。
「在宅でできて0円から始めれる。」魅力的な単語ですよね。これに惹かれてアフィリエイトを始めました。ですがいざ始めていいものの初めは全然うまくも行かないですし、もはや勉強の為の教本を買ってしまったので赤字でした。毎日が家事と、夫が寝た時間を見計らっては1円にもならない工程の繰り返しでした。あまりにも残酷な現実に精神科に通う事もありましたけど、そんな苦労もあってようやく得れるようになった700万円なんです。
ですが"700万円の収入に対して半分以上の税金が徴収される"現実が待っていました。
冒頭でも申し上げましたが私は一人でやっています。会社でも自営業でもないので、経費というものが引けないのです。つまり一人でやっている場合には税金対策ができないんです。
だからあなたさえよければ私の月収の3割を定期的に受け取って欲しいというお願いです。
あなたが受け取ってくださるだけで税金の負担額が大幅にさがります。
ですがあなたが受け取ってくれないと私の収入の半分以上は税金として徴収されてしまうのです。
ですから一先ずは私のお願いをくれませんか?という意味あいを込めて去年の売上「3100万円」をあなたにお渡ししようと思ってます。
それから今後の月収の700万の3割、つまり「210万円」にあたります。これを今後定期的にあなたに送金させてください。決して悪いお話ではないはずですし、今アフィリエイトは軌道に乗っているのでもう半年もしないうちには月収1000万円も夢じゃないんです。そうなってくればあなたに渡す額も半年後には300万円になっている計算になります。
この取引が実現できればあなたも私も得をすることしかありませんから、お互いの利に適っていると思ってお願いをさせて頂きました。
こういう迷惑メールが来たんですよね。。
宗教の勧誘っぽかった。。
客と付き合うとか、ないわー。
デリヘル嬢の先輩と雑談していると、何かのきっかけで、客との交際の話になった。
その後、いつのまにか、先輩は、お店に顔を見せなくなった。
給料のことでオーナーと衝突したとか、男性従業員と付き合い始めて辞めさせられたとか、色んな噂が流れたが、真相は分からないままだった。
願わくば、何が真相だろうと、幸運(ラック)に満ちた人生を送ってほしい。
私がそのお客さんに初めて会ったのは、先輩がいなくなった頃のことだった。
口ヒゲがよく似合う、爽やかで優しい顔。
デリヘルを利用するのは初めてらしく、とても緊張していた。
多くの他のお客さんと同じく、私よりは年上だったけど、不安でぎこちない様子は、どこか可愛くもあった。
いつも以上に気を使って、サービスをした。
これは、オーナーの受け売りだけど、デリヘル嬢の仕事は、将棋に似ている。
攻めるべき時があれば、受けに徹するべき時もある。
結果も大切だが、そこに至るプロセスや相手へのリスペクトも重要である。
私は、将棋に疎いので、オーナーの話はよく分からないけど、そんな感じだ。
そのお客さんとは、良い「対局」ができたと思う。
お客さんは、比較的早く、たっした。
どうやら、バックを気に入ってもらえたらしい。
お客さんは、それ以来、定期的に私を呼んでくれるようになった。
モノ扱いされることも多いけれど、そのお客さんは、そんなことは絶対しなかった。
いつだって、私のことを褒めてくれて、私の話をじっくりと聞いてくれる。
聞き上手なので、ついつい色んな話をしてしまう。
くさらず、地道に、自営業の店を自転車操業で切り盛りしていたお母さんのこと。
つやめいた近所のお姉さんに憧れて、目を輝かせていた幼い頃のこと。
手っ取り早く、いじめや当てこすりを避けようと、クラスメイトと距離を置きがちだった中高時代。
リア充の友達の、下半身事情が派手なのに憧れ、空回りしていた大学時代。
ドキドキしながらお店に体験入店して、いつのまにか擦れてしまった、近頃のこと。
お客さんの話も、たくさん聞いた。
そして、コイの話。
いつしか、私は、そのお客さんに会うのが楽しみになっていった。
プライベートでも連絡を取りたかったけれど、連絡先の交換はお店のルール違反だ。
私は、呼んでもらえるのをただ待つことしかできなかった。
首を長くして待ってるのが私の方なのは、なんだか普通とは正反対で、不思議な気がした。
そんな日常がずっと続けば良かったのだが、そうもいかなかった。
あるトラブルで、私は、お店を辞めることになったのだ。
例のお客さんに会うのはこれが最後になるだろうという日。
お店を辞めることを、お客さんに伝えた。
みるみる悲しそうな顔になっていった。
そんな顔を見たのは初めてだった。
その瞳が潤んでいるのを見ていると、私まで悲しくなってしまう。
これまでの色々な思い出が、頭をよぎった。
このお客さんと、もう二度と会えないなんて……。
前日までは、覚悟を決めていたはずなのに、顔を見ると、心が揺らいだ。
私は、つい、こう言ってしまった。
連絡先、交換しようよ、と。
ありがとう、と言いながら泣きじゃくるお客さんを見て、胸が締め付けられるような感じがした。
デリヘル嬢が、「飛車と竜王」に勤める自動車で、客がドラゴンの場合はどうか?
私はまだ、この問いに対して、答えることができない。
どっちなんだろう。
1)日銭商売で、来たお客の仕事をある程度より分けつつこなしていく毎日。たいして目立たない自営業のおっさん。でも自分の裁量があるから楽しい。
1と2では全くアプローチもやり方も違うのに混同して1をすれば2になるかのような。
ああ、2はまず狙わんほうがいい。まずは針の穴のアカデミック競争戦を勝ち残ってからだな。で、パーマネントのアカデミックポストになったらそのまま落ち着いてしまえばいいじゃない。
両親は昔すごい仲良くやっていたのだと思う。物心着いた頃とかは父親が仕事に行く際玄関でキスとかしてたと思う。物心着いた頃なので定かではないが
小学生の頃から喧嘩が増えてきた。まあ増えたといっても精々月1くらい。主に父親が不潔(部屋にもの置きっ放しとか洗面所を散らかす)なのに対して母親が聞こえるような小声で愚痴を言ったりするところで父親がブチギレるみたいな。あとは仕事のこともある。父は自営業でデザイナーをやっているのだが母がその経理を担当していてそれを巡るいさかいも多かった
とはいえ離婚しようという程ではなかった。父も母も働いているが一人息子である俺を一人で育てられるほどの稼ぎが無かったし... 二人はがんばって働いて中学受験塾に通わせるお金を何とか作り、俺はその期待に応えるかのように都内の有名国立中高一貫校に合格した
自分が中学生になってからは父も母もお互い無関心になり喧嘩すら無くなった。いやあったかもしれないけど自分は家では耳栓かイヤホンを付けて過ごすようになったから気づかん。たまに喧嘩の声で目を覚ますことはある。そもそも父親が朝早く家を出て夜遅くに帰るようにしてるので姿を全然見ん
高校生になるころにはもう全然喧嘩しないしこの件はもう忘れかけていたことだったが、東大に入って学問だけではなく生き方についても考えさせられるようになった時に改めて男女関係のあり方みたいなものを意識させられている(中高は男子校だったので...
何というか、自分の両親は子育てについてはプラクティカルな結果を残しているので家族としては大成功だけど夫婦としては大失敗という感じで... この子育てと夫婦仲の2つを両立させるのはとても難しいんじゃないんだろうか。反例はあるだろうか
ともかく自分は結婚はしたくない。一人の方がお金を自由に使えそうだし。そもそもバイトと家族以外で人と会話するのが二週間に1回くらいだからまあ無理なのだが...
【追記】
(この文章を書いている)自分が(学歴が良いとしても)人間としては失敗作だから、むしろ両親仲と子育てが上手くいくかは正の相関があるのでは、という批判もあり得そうだった。
そういうの(毎日通勤して客ににこにこして職場の人間関係維持して)が苦手なんで自営業やってます。週休3日で毎月温泉! 社会人楽しいー! 楽ちーん! 魚肉ソーセージんまんまー! Switchの新しいジョイコンはレモンイエロー買っちゃったよー!
なんだけど、そういうのは「一部の才能ある人の例外だ!」って増田では切断処理されます。楽しく生きてる社会人は社会人総数の数十%はいるとおもいますが、増田において、社会とは苦界でないと都合が悪く、労働者は富裕層の奴隷じゃないと世界観が崩壊しちゃうので、幸せピープルは視界の外にゲラウトでございますよ。増田はイライラメソメソチームに入団するみたいなので、わいみたいなのを叩いて溜飲を下げてください。お幸せに!
フリーランスになってみてどうだい?
いや、おじさん的には自営業って言葉のほうがしっくりくるかな。
自営業、楽じゃないよね?
実際に自営業になってみて、自由って言葉に隠れている現実を実感していると思う。
不安定な収入、将来が見通せないことがこんなにもキツイものかって感じているだろう。
自信を失い不安で眠れない夜もあるだろう。
回転なくして自立できないコマのように、SNSでの発信を止めたが最後、倒れてしまいそうだ。
そのうちにリーマン同級生は、出世したり、結婚出産、ローンを組んでマイホームを手にする人も現れて、
リーマンと自営業の違いを見せつけられて、茫然とすることもあるかもしれない。
他人と比べることに大して意味はないのだけれど、不干渉になれるほど君の感性は鈍くはない。
いや、むしろ感受性が豊かだからこそのフリーランスの選択なのだ。
子供の頃から疲弊するサラリーマンを嫌というほど見せつけられて育ってきたのだ。
少ない休日、わずらわしい人間関係、ベースアップもスズメの涙、誰がサラリーマンに魅力を感じるものか。
だいたいヤングが大挙して公務員になりたがる国は不健全であるとさえおじさんは思う。
自分を全面に出して想いを発信する。
そのパワーがおじさんには眩しいほどだ。
でも、もし、自営業に限界を感じたら、リーマンに戻るのも選択のひとつだ。バイトでもいいだろう。
冷笑されるかもしれない。
でも、おじさんは笑わない。
初志貫徹することも立派だけれど、それと同等に現状をみて方向転換することも、勇気と行動力が必要だから。
話は変わるけれど、最近フリーランスの拠点が数か所できているらしい。
もし、孤独と不安を感じたら、そんな場所を訪れてみるのもアリじゃないだろうか。(廉価ならいいのだが)
その裏にある、孤独と不安が見えたようでこんなことを書かせてもらった。
どこかで会ったら、一杯奢らせてくれ。
タクシードライバーから見たシステム関するお話しとか出て大変だなと・・・
私は一般的に普通にタクシーを利用する側なのだが、最近立て続けに
これはたぶん、明確に法的か規約的に違反していることだと思う。
高額ではないが、家計管理上クレジットカードで払うことが多い。
いつも通り、クレジットで払おうとしたときに運転手さんからこんなことを言われた。
「このクレジットの手数料は私たち運転手が払ってるんですよ。天引きです。」
「え?そうなんですか?大変ですね。」
と言いながらその時は、クレジットカードで支払いをした。
しかし、ちょっと気になった。「そんなこと言われると今後クレカで払いずらい・・・」
なぜなら、サービスとして提供している以上、それを利用することは普通の行為だからだ。
しかし、裏側ではタクシーの運転手がカードの利用手数料を引かれているらしい。
他のエントリでもあったけど、載せれば乗せるほど、今時カードで払う人なんて
沢山いるわけで、その分手数料が増えるわけだ。。
そもそも、これって法律違反?いや、クレカの利用規約違反じゃないのかな?
とか思っていたら、ついぞ、同じ地域の別のタクシー会社でこんなことがあった。
いつも通り、乗ってクレカで払おうとしたら、
「すいません、クレジットカード使えないんです」
「あ、そうなんですね、わかりました。」
と言って普通に現金で支払い、お釣りをもらう際に、ふと気になったので聞いてみた。
「使えますよ。でも使えないタクシーがあって、それが唯一この車なんです。」
「あー、そうなんですね。(なかなかレアなのにあたったな)」
「実は、クレジットの支払いの手数料を運転手負担になってるんですよ。
そのことを労基に訴えたんです。そしたら、労基から指導が入ってね。
会社はどうしたかというと、僕の車だけクレカを使えないようにしたんです。」
どうやら、クレカの支払手数料を運転手負担にしている会社は多いのか?
労基から指導が入るくらいだからダメだと思うし、報復的にその車だけクレカ
使えなくするとか、相当ひどいと思う。
実際利用した私という顧客にも不便を被ったわけで。
個人タクシーの場合は自営業だからクレカの手数料を個人が払うのはわかるけど、
タクシー会社がクレカ導入したらその手数料は会社が払うべきなのではないだろうか?
小さな事かもしれないけど、配車アプリや、このクレカ手数料のように
売れて無くてもいいし生活出来なくてもいいけど、金が取れるレベルの必要はある。商業的成功を収めてる場合は敵なし
売れなくていいけど生活出来るレベルで、なおかつ音楽か服装がオシャレである必要がある
そこそこ金持ってる必要がある
1980年台後半だと思う
駅前のデパ地下にあるナムコ直営のゲームコーナーで、忘れられないできごとがあった
それなのに毎晩のようにそのゲームコーナーに出没しては、お金ももたないままに他人のプレイを目を輝かせながら眺めていた
いわゆる夜の仕事(といっても性風俗ではない)をしていたために、夜には家に誰もいなくなってしまうのだ
そのため、学校から帰るときまって母親に連れられて店の片隅でテレビを見ながら仕事が終わるのを待つ毎日だった
何かの買い物で連れられていったデパ地下の商店街の片隅に、宝石箱のような世界が広がっていた
それからというもの、親には本屋にいくと嘘をついてウキウキした気持ちでデパートの階段を下った
デパートの裏口から直接つづく階段ホールに入ると、広い空間にほんのりと響くリブルラブルやトイポップのBGMが身体を包んだ
階段を降り地下への入口をくぐった瞬間にこもったような音からクリアな音楽に変わる
その瞬間の心がときめく感覚は、この歳になっても全く色褪せることなく当時のまま思い出すことができる
お客にゴマをすり頭を下げる姿、酒に乗じて大騒ぎする姿、帰りのタクシーで酔いに任せて悪態をつく姿
でも、ゲームコーナーにいる間はすべてが無縁だった
一つ一つ置かれたゲーム機を覗き込めば、そこにはいくつもの夢のような世界が広がっていた
普段はゲームのデモ画面を眺めては妄想にひたり、誰かがお金を入れてゲームを始めれば怒られない距離を保ってその様子を眺める毎日だった
その距離を保っていたのは、ある時、ノート片手にゲームを攻略する人の横に座って眺めていたときに店員さんに注意されたのがきっかけだった
いつも話しを聞いてくれたし、つぎにどんなゲームが導入されるのかも教えてくれた
「君がゲームの邪魔になることで他のお客さんが来なくなると困る」そう優しく教えてくれたから、自分も素直に従ったのだ
サイドアームの、デモ画面でも合体した直後の数秒間だけ操作ができることを教えててくれたのもこの店員さんだった
それからというもの、その数秒を操作したいためにデモ画面を食い入るように見入ったものだった
たまにほんの少しのお小遣いをもらったときは、どのゲームをプレイするか真剣に悩んだ
悩んだところで自分の腕前では持って3分、はやければ数十秒でゲームオーバーを迎えるのが関の山だった
他人のプレイを盗み見して自分なりの攻略は持っているつもりだったが、自分をスーパーヒーローか何かだと勘違いしているその世代にしてみれば、目の前の堅実な攻略よりも頭の中のスーパープレイができると信じ込んでしまっている
それでも店員さんは、自分のスーパー裏技攻略プレイの妄想話をいつもニコニコした顔で聞いてくれていた
店員さんから新しいゲームが入るとよ前々から聞かされていたものだった
大体以下のような内容だ
・ガントレットのような360度方向に動かすことのできる見下ろし型のアクションゲーム
・主人公というものが存在していて、攻撃のメインは投げナイフだったと思う
・飛距離はそれほど長くないが連射ができた
・ステージクリアー型のゲームで、ゲイングランドのように道中で仲間を助け出すと、プレイヤーキャラクターついてまわって攻撃の補佐をしてくれたように記憶している
・おそらく2人で同時に協力プレイができた
・当時の中ではグラフィックが綺麗で緻密だったように感じた
その当時よく眺めていたと記憶しているゲームは大体、魔界村、ドラゴンバスター、妖怪道中記、ワンダーモモ、パックランド、イシターの復活、などだ
その日は他人がプレイするのを眺めては、いつものように自分攻略の妄想を広げていた
次の日、たまたま50円の小遣いをもらうことが出来たので、そのゲームへとまっしぐらに向かっていった
店員への挨拶もままならないまま、すぐに筐体に50円を投入してスタートボタンを押した
すると常連客の一人、大学生くらいの男性が突然近づいてきて自分に声をかけた
「なんだよ。ゲーム始めちゃったのかよ。終わったらすぐにどけよ。」みたいなことだったと思うが、そういうとその男性はすぐにその場を去った
普段ろくに会話をしたこともないのにその日に限ってなぜだろうと不思議だった
せっかくの新しいゲームをプレイするトキメキが台無しになったと思ったように記憶している
ステージ1をクリアできるかできないかで、自分の残機はなくなった
ところが、悔しくていろいろなボタンを押していたら、スタートボタンを押したときにふいに自分のキャラが復活してゲームが再開された
自分はその時、とうとうスーパー裏技攻略プレイを発見したと思った
その後も仲間を助け、敵にやられるを繰り返し、残機がなくなるとスタートボタンを押せば復活できた
ゲームが下手な自分でも、何ステージも進めることが出来たことにとても興奮していた
しかし、とうとうスタートボタンを押しても復活できなくなってしまった
理由はわからなかったが、何故かその時、仲間がいる間は復活ができるのだと自分の中で解釈していた
ゲームが終わると、すぐに店員さんのもとに駆け寄りに嬉しそうにそのことを話した
しかし店員さんはとても煮え切らない顔で「そんなはずないのにな、、、」というようなことを口にしていた
とうとうスーパー裏技攻略プレイを発見した自分は興奮を抑え切れないままに、そのゲームのもとに戻りデモ画面を眺めていた
何かすごい偉業を成し遂げてしまったような気分だった
するとそこに、先程の男性が戻ってきた
そして戻ってくるなりこちらを睨みつけて、「ふざけんな!お前全部使っちまったのかよ!」と怒鳴りつけてきた
自分には何のことかわからずただキョトンと相手の顔を眺めているだけだった
男性の顔はみるみるなにか言いたそうないらだちで満たされる
しかし、その直後に椅子をひとつ蹴飛ばすと、だまってゲームコーナーを後にしてしまった
わけがわからないままに立ち尽くしていると、店員さんが近づいてきて、すべてを理解したような顔でこういった
「あー、彼がいれたコイン全部つかっちゃったんだ。おかしいと思ったよ。今度あったときに返さないとまずいんじゃない。」
それですべてを悟った
男性は、そのゲームをしっかりと攻略するために予めゲームにクレジットを入れてあったようだ
しかし何らかの理由で席を離れなくてはならなくて、その間に自分が座ってゲームを開始してしまった
子供相手にどけとは言えず、終わるのを待つことにした(そしてまた何らかの理由ですこし席を離れた)
その間、自分は彼の入れたすべてのクレジットを使い切ってしまった
というものだ
子供相手だからと、男性もそれ以上は詰め寄ることはしなかったのだろう
再び困ったように店員さんの顔を見る
しかし、店員さんは自分にできることはなにもないといった様子で、冷たい視線を送ってくるだけだった
いつもは仲の良いと思っていた店員さんだけに、幼心にその視線はあまりにも辛かった
何回くらいコンティニューしたのだろうか
おそらく10回はくだらないだろう
返せる宛もなく、店員さんの冷たい視線を思い出すとそのゲームコーナーに近づく気にはなれず、あれ程通っていたにもかかわらずそれ以降そこには行かなくなってしまった。
今はその場所を離れ別の土地で生活をしているのだが、数年前に、地元がテレビ番組で映し出されたときにこのことを突然思い出した
その後軽い気持ちでそのゲームを探し始めたのだが、有名メーカーの情報や過去のアーケードゲームを網羅するようなサイトを見てもそれと言えるゲームをどれだけ探しても見つけることが出来なかった
うっすらとした記憶の中に、そのゲームが導入されることを導入前から店員さんと話をしていたような気がするので、もしかしたらロケテストのみ行われて販売されなかったゲームなのかもしれない
しかし、ナムコでは過去、そのようなゲームが開発中止になったという情報を見つけることは出来なかった
実はこの記憶は自分の中で捏造されたものかも知れないという疑惑さえ生じてくるほどに悩んだ
だとしたらどうして自分はこんな記憶を捏造するに至ったのだろうか
自分は、数年前に嫁の年齢と持病から子供を諦めた者で、その時は子供がいない人生となったこと自体にはあまり苦しみは感じなくて、むしろ嫁と二人の生活を楽しめるようになったのだけど、そのうち、子供のいない老後は安楽死を迫られるんじゃないかという不安を抱えるようになってしまった。
今の日本は間違いなく老人優遇の政策を取っているけど、おそらく俺たち就職氷河期世代(団塊ジュニア世代)が老人になる頃に、いよいよ持たなくなって現役世代重視に反転するんだろうと予想している。
「人数の多い団塊ジュニア世代の老人を国はもう支えきれないので、老人福祉は削減して、老後は自分の子供か資産に面倒を見てもらうように、そして、どちらも持たない者には安楽死というオプションを与える。これで日本は復活する」
そういうことになるんだろう。
日本という共同体の持続可能性を考えるなら、資産形成や家族形成に失敗したまま老人となった団塊ジュニア世代を切り捨てるのは正しいと思う。
自分が切り捨てられる側でなければ。
実のところ、生涯子なしが確定する前の俺は、自分自身も含めて次世代の負債になるぐらいなら働けなくなったあたりで安楽死していいんじゃないか、と考えていた。
俺たち団塊ジュニア世代は、親世代の団塊世代の雇用を守るために就職氷河期に落とされ、団塊世代の老後のために今も毎月高い社会保険料を取られている、そういう被害を次の世代に繰り返すべきじゃない、という多くの同世代と同じ覚悟をしていた。
ところが、人間の脳の我が身の現状を肯定しようとする力は凄くて、もはや子供を育てる義務が発生することは無く、週末にちょっと良い外食をして、嫁の体調が良い時に年2回ぐらい休暇を取って海外旅行をして、それでも年に数百万は余裕で残り、それを全て二人だけの資産にできる嫁との生活が楽しくてたまらなくなった。
子供云々よりも、仕事が急に裁量が効いて楽しく働ける状況になったことと、ここ数年順調に昇給が続いていることの方が大きいかもしれない。
小学生の時以来かもというぐらい毎日の生活を楽しむことができるようになった。
これから嫁の病状が悪化したり、俺の体にガタが来て多少不自由になったとして、それを負担することになる下の世代には本当に申し訳ないけど、手厚い年金や介護を受け続けて、辛いことの多かった俺たち夫婦がやっと報われたこの実りの季節をできるだけ長く味わいたいという執着を二度と捨てられそうに無い。
そして、頭に書いた通り、子供のいない老後への漠然とした不安に取り憑かれてしまった。
そもそも、老後を待たずとも、嫁が動けないほど悪くなって、俺が介護のために仕事を辞めることになったら、今の生活はあっという間に吹っ飛ぶというどうしようも無さがある。
もちろん個人でできる対策として、子供がいない分資産を貯め込む努力はしているのだが、それだけではどうしても不安を鎮めることができず、統合失調症でも発症したんじゃないかと心配になるぐらい、このまま黙っていたら殺される(安楽死に追いやられる)という焦りや怒りの発作に悩まされ続けた。
結局どうしたかというと、老人福祉の維持・充実を訴える政治活動を始めた。
具体的には、地元の老健団体の賛助会員(年会費一万円)になって、その政治部門で週末に事務局のボランティアをしている。
その老健団体は、内規で不偏不党を掲げて政治活動には関わらないということになっているので、賛助会員の一部(実際は全員)が勝手にやっている「勉強会」という形の団体。
そういう曖昧な団体でも、わりと昔から活動しているからか、役所や地元議員、たまに上京して中央官庁に行くと役人や議員先生が向こうから頭下げて来るので、「いや、ああいう人種は有権者にはとりあえず頭下げる人たちなんだよ」と理性に囁かれながらも、所属欲求とか承認欲求のような感情が簡単に満たされている。
「こちらの○○さんが、若いのに手伝ってくれてるんですよ。長くお世話になりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
などと陳情に出向いた先で若手のホープのような紹介をされるとなにやら面映い。
60代後半から70代が主力の団体だから、そりゃあ、比較すれば確かに若いんだろうが、組織に歓迎されるというのは良い気分だね。
60代後半から70代というのはつまり俺の親世代、団塊世代で、「こいつらの雇用を守るために俺たちは就職氷河期を味わった、こいつらの老後のために給料から毎月高い社会保険料を取られている」とずっと憎んでいたのだけど、
実際に話を聞いてみると、こういう活動に熱心な人々は、当然ながら経済的にかなり期待外れな老後を過ごしている。
大企業で40年勤め上げたなら話は別なんだろうけど、自営業が長くて大した年金などもらっていないような例が多く、総じて俺と同じ不安と怒りを抱えている。
抽象的な理由で一つの世代を憎み続けるのにも疲れていたし、俺は彼らを許すことにした。
以前は街中や行楽地にいる子連れを鬱陶しい連中としか感じなかったのが、
「ああ、この子が俺と嫁の(文字通り)尻拭いをしてくれるかもしれないんだな、そうでなくとも俺と嫁の尻拭いをする外国人介護士を雇う社会保険料を収めてくれるんだな。親切にしてあげないとな。お母さん、ご苦労様です」
と肯定的に見れるようになった。
他人と不安を分かち合い赦しと和解を与えて、ともに現状を改善するために微力とわかっていても行動する、
そういう前向きな姿勢でいることは俺の精神に良い影響を与えているように思う。
老後問題が自分一人(と嫁)の解決不可能な問題としか思えなかった時に比べて脳への負担が減って、頭と肩が軽くなった気がする。
そういうわけで、俺と同世代で老後に不安を抱えているなら、こういう政治活動がセラピーとして効くかもしれないので試してみれば、程度の軽さでお勧めする。
こういう活動を、なんだフクシかサヨクのオルグか、と毛嫌いする人が同世代には多いというのはわかっている。
だが、実際のところ老人福祉の拡充を訴える団体の投票先で一番多いのは自民党なので、サヨク嫌いの人に向いた団体も地元で簡単に見つかると思う。
俺がいる団体がどの政党支持なのかは伏せるけど、与党系だろうが、野党系だろうが、老人福祉をイシューに投票したり陳情しに来たりする有権者の数が増えて、政治家の圧力になること自体が重要だから、みんな仲間だと思っている。
ひとつの人口統計予想として、数十年後俺たちが80歳になる頃には日本の人口構造は団塊ジュニア世代を唯一の頂点とする完全な逆ピラミッド型になる、という物がある。
この予想が当たれば、俺たち世代は有権者の数が最も多く、つまり民主的には最強の世代になる。
さらに下の世代も同じく高齢になるほど人口が多いのだから、政治家が当選するには今以上に老人優遇にせざるを得なくなる。
俺は自分の現状を実りの季節だと言ったけれど、数十年後には同世代全てが実りを得られることになる。
だから、別に政治活動を始めなくていいけど、俺は同世代に老人福祉をイシューにして投票することを考えて欲しいと思っている。
そして、何をしてでもいいからどうかあと数十年生き延びて欲しい。
今日久しぶりに10時に出勤(正確には自営業の取引先)し、19時に退社した。
そして気がついてしまった。
人の心を殺していたのはこれだということに。
在宅勤務というやつだ。
会社に通わなくなってから、会社員時代は何に対しても無関心で感情を失っていたことに気がついた。
考えてみれば当たり前だった。
開業して家で自由に働くようになってからは、ふとした散歩など日々の日常で楽しいな、穏やかだなと感じることが増えてきた。
平日、仕事に飽きたら本を読んで休憩したり、人の少ないジムにいってリフレッシュしたり、新しいことの勉強にも意欲的に取り組めた。
だが10時に出社して19時まで会社に拘束、となると仕事するかぼーっと休憩するかだ。
何もできない。
時間に拘束され、拘束が解けたと思えばゴミのような人混みにもまれる。
ジムに行っても混んでいるし、散歩しようにもお日さまの光はとうに沈んでいる。
今日一日だけ再び通勤してみて、一瞬で心がしぼんでいくのを感じた。
毎日週5で決まった時間拘束されるために同じ場所に通うことが、どれだけ自分の心にダメージを与えてきたのかをとても痛感した。
これはうつ病になるわけだ。
こんなことを繰り返していたら本当になんのために生きているのかわからなくなる。