はてなキーワード: 現実逃避とは
まあ現実逃避をしてばかりの人にしたら受け入れがたいだろうな
煽り合いをしても相手を罵って勝った気になっても、なんにも残ってないぞ。汚点になってるだけ
あと気づいてないだろうけど、クズなことしてるやつって、けっこうリアルな会話でバレるよ。気づいてないから直してないんだろうけど
私は幼い頃から自分は可愛くないんだと本気で思っていた。今考えてみれば父親が外国人のような顔立ちをしており、それに似ていた私は割と良い方ではあったのかもしれない。ただ、当時私はそれが嫌だった。
中途半端な奥二重、思春期特有の汚い肌。しょーもないベタさだけど好きだった男の子にそばかすのことをつっこまれて本当に嫌になっていた。こんな私なんて、と自己肯定感はどんどん低くなって、生身の人間と交流するのが怖くなってアニメや男アイドルに現実逃避してのめり込んでた。男性アイドルに夢を見まくっていたから、身近の男の子たちが苦手で、気軽に男の子とお話できる女の子たちが羨ましくて妬ましかった。それが小学生から中学生までの話。
中学3年後半あたりからある程度お化粧とかおしゃれに興味は持つようになった。アイドルとアニメは相変わらず好きなまま。高校生になってちゃんと美容室に行って髪の毛をボブにして、アイプチで二重にしてみたり、部活とチャリ通学で少し痩せたりもした。そうしてみるとある程度自分にもほんの少し自信がついた。相変わらず生身の男と話すことは怖かったし、こんな私なんての気持ちは消えなかった。それでも大変ありがたいことに2人の男の子に告白してもらえた。ハーフみたいで可愛い。そう言って貰えることが増えて、昔コンプレックスだったものが少しずつ自分の良さであることに気づき始めていた。時代の流れもあったのかもしれない。とはいえそれでも拗れた性格は治らず、アニメと男性アイドルに全てを捧げていた。そして大学生になって、YouTubeなどの動画でメイクや綺麗になれる方法が具体的に知ることができるようになった時代とかさなって、私もそれなりに綺麗になれるようになった。
小顔マッサージの仕方、美肌になる方法、眉毛の書き方、髪の巻き方、自然なデカ目にする方法、
何もかもを試してやった。
そうすると自分の顔まあいけるんじゃね?そう考えるようになって、男性とも積極的にお話するようになった。相変わらずアニメと男性アイドルは好きだったけど。でもアニメが好きな男性を好きになったから共通の話題があってそれもまた功を奏していた。気がする。他には授業中に私を見かけて話しかけてくれた後輩の子や、友達の紹介などでも出会いがあったし、合コンでは自分の顔のクオリティはある程度自分の及第点をクリアしていたから、顔を気にせずお話に積極的になれたし、コミュニケーションも取れていたから何人か声をかけられることもあった。それでも私の拗れた性格は本当にしつこくて、付き合えたところで私なんかよりもっといい人、可愛い人たくさんいるだろと本気で思っていた。結局上手くいかない、セフレ止まりばかりだった。私の美意識を上げてくれていたのは大学での出会いの為というよりは、アイドルに認知やファンサをもらいたいがためのものだった。大学生で時間だけは無駄にあったから、毎日1時間のウォーキング、ストレッチ、マッサージ、ヨガ、筋トレ、全身浴で体を温める、野菜中心の生活、何もかもに気を使っていた。
運動の効果もあってか、気持ちも前向きになったし、生理の諸々の辛さもなかった。同時にメイクの技術は上がっていく。それもこれもネットで情報が気軽に手元ですぐ見れる環境もあってこそでもあると思う。この時代に生まれてよかったなと今でも感じてる。
大学生の時は自分磨きの方法を模索して(勉強もちゃんとしてたけど)、外見における自分のコンプレックスの解消方法を見つけることが出来て、気持ちもポジティブ、もはや武器になるとすら思っていた。社会人になってその武器をフル活用して、職場の人やお客様にも綺麗な人と認知されたり、連絡先も聞かれたりして、本当に嬉しくて完全に自信になった。
同期に誘われた合コンで念願の彼氏もできた。趣味嗜好の理解があって、優しい人。今は結婚も考えていて、順風満帆とは言えないけど、楽しい毎日である。
自分の見た目をとても気にしていた過去は、究極に自信がなくて、凄まじいほどに自己肯定感が低かった。
こんな私なんて相手にされないから、恋愛なんて馬鹿げてる、と外見にかけるお金をアニメ男性アイドルに費やして現実逃避しまくってた。
そこから少しずつ自分のできることを懸命にしていったら、自分の顔が好きになって、余裕と自信が生まれて、コミュニケーションに積極的になれるようになった。コミュニケーションが取れるようになると、自分はこんなことも出来たんだって気づいてもっともっと自信がもてて、自分が好きになれる。そうなると、そんな自分のことを大切にしたいと思ってくれる人と出会えて、承認欲求がとっても満たされる。
あの頃そばかすで泣いていた自分に大丈夫だよと言ってあげたい。
そう本気で言ってくれる人に出会うために努力した自分をほめたたえてあげたい。
正直まだ気になるところはあって整形もする予定。ある種醜形恐怖症な感じもあるけど、現状である程度欲求は満たされてるから、何事もやりすぎないように気をつけないとなとは思う。
顔での差別が顕著だなと感じた余談。
職場の窓口に小さい女の子が親御さんと一緒に別々で来た時。1人目が橋本環奈ちゃんばりの可愛さの子で、もう1人が普通の子だった。環奈様似に対して私たちはテンションが上がって、窓口に置いてある飴を積極的にあげようとしたり、かわいいね〜と声をかけたりもした。その後に来たもう一人の子に対しては、親御さんの手続きが終わるまで特に何もしなかった。その一連の流れがあって、そのあと職場の人達と対応差に思わず苦笑してしまった。
逆の立場を私も経験したことがあって、お祭りの屋台に行った際に、前に並んでいたお姉さんに対しておっちゃんが「綺麗だからもう一本あげるね!」と言っていて、その次の私には無表情無言で対価に見あった分だけを正しくいただきました。悔しいと思う反面まあまあ切ない思いをしてややトラウマにもなったので、気をつけないといけないなと思った…
「手抜き」発言でオタクが阿鼻叫喚の反応を示す意味がわからない。
「誰も見てないから手抜きしよう」←まちがい
「誰も見てないのに手抜きを模索するような創意工夫を凝らして何の意味があるのか?」←せいかい
「手抜きを模索する」と「手抜きを模索しない」とでは「手抜きを模索する」の方が優れている。
「一切手を抜かない」と言うのは逆に「全部に手を抜く」と同義。
クリエイターの仲間みたいな顔をしているくせに、その辺の機微が伝わらないのか?
初見で伝わらないのみならず、どうやら説明されても理解できない様子だが。
(根本的なことを言えばアイデンティティを金で買おうという発想に無理があるのだ)
「手抜き」がそんなに悪いと言うのなら「手抜きのないお手本」とやらを自作して提示してみればいい。
実際に作業してみれば「比率配分」つまりは「手抜き」の重要性を思い知ることとなるだろう。
風俗に行ったら、ひどい嬢が来て、ひどい目にあった。
いろんな嬢の話を聞いていると、一定の割合で高校生の頃に猿のように盛ってた話が出てくる。
男友達でも、普通に彼女ができるやつは、高校生の頃から猿のように、って話をそういえばしていた。
どうして人が当たり前にできていることができないのだろう。
年収をもっと上げて、都内のいい感じのマンションに一人暮らししてれば、変わるだろうか。
そんなたいしたことないようで、そんなたいしたことないようなことが、なかなかできない。
社交的(人のことが好き)な性格だったり、イケメンに生まれたかった。
俺はまだマシな方だけど、それでもとても辛い。
先日ご指摘頂いたのでタグをつけてみました
marrishはおっさんホイホイ
あーそう言えばmarrishはご高齢のすごい経歴の持ち主の方にいいね頂いたんだけど、
若作りしてるくせに何が若く見られますだぁぁ
何日目かの日記でで切ろうとすると連絡くると書いたけどその通りになった
いつもセフレの家で過ごすんだけど今回は事情があってラブホに行くことに
心の底では何かしらの気持ちがあるんだろうなと気がついてしまった
そんなに誘うの怖いかなぁ・・
セフレから連絡こないかなぁと占ったら連絡来るって選択肢を選んだ
その占いした後2日くらいできたわよー
延々と恋愛観を聞かされたけど私と正反対でこの人とは恋愛できないとつくづく思った
普段私は親友に対してとても思わせぶりな態度を取ってるらしいが
今回は取らなかったと思う
親友ものすごいボディタッチしてきて、私のドリンク勝手に飲みまくってた
匂わせ撮らないの?って撮らせたりしたのはちょっと気持ち悪かったなぁ
別れ際に手を握ってくるしBBAだからってバカにしないでくれよな
今回のまとめとしましては
ってところでしょうか
わたしアラフォー寄りアラサーで年収350万くらいの正社員だけど
残業代とか要らないし投薬の関係で酒飲めないのでとにかくサッサと家帰らせてほしい
転職したら定時で帰れない日は月に1日あるかないか(というか無い、マジで毎日定時帰り)で
おまけに仕事内容が自分に向いてて楽しくて楽しくて仕方がないという天国ですわ
難点はあともうちょい近場に住める給料出ればなーってところ
あと欲を言えばコアタイムフレックス入れてほしいなってくらいか
現状サビ残経営者を刑事告訴できない以上、奴隷の身としてはとにかくスキル付けて「ゼニよこさんなら出てくやで」ってやるか(やった)、逆に「ゼニよこさんのやし働かんやで」ってやるしかない
前者は軽い人間不信がずるずる続いてたましいが腐っていく音がするようになるし
後者は自己肯定感が非業の死を遂げてしまいたましいが腐っていく音がするようになるので
何せただ判断を先延ばしにして何もしない状態を保ってるだけでも実質的に後者の戦略を取り続けてることにはなってしまうんだから
先に言っておくとこれは単なる駄々で、現実逃避で、どうしようもなくありふれた、どこにでもある話だ。
まあ簡単に言うなら勉強したくないし働きたくないというだけの話。
先人の怠け者たちはその切実なる願いにどうにか折り合いをつけた、もしくは何もわからないまま進学か就職かをしたのだろうが。
このままでは後者になるなと身で感じながらも、何か行動を起こす気になれない。
もとより自分が思う「ギリギリ」になってからしか動いてこなかったし、それは既に「ギリギリ」を過ぎていてゲームオーバーだったことも何回もある。徹夜でレポートを書いたし落単はしたしインターンの参加締め切りは過ぎていた。それでも今、現状を直視したくなくて引き延ばしている。いつものこと。今回は本当にまずいというのはわかる。自分の人生そのものに大きく関わる。けれどそれすらもどうにかなる気がしてしまっている。どうにかなった人には生存バイアスがかかっているだけで、実際は自分がどうにかしないとどうにもならないのに。
昔は、自分は多少人より賢いのではないかと思っていた。田舎によくある話で、勉強せずに「テスト」ができただけだった。
そして生まれたのが勉強の仕方がわからないわからないとオウムのように言い続ける、まだ自分が人に対してなんらかの優位性を保持していると思い込んでる単なるバカだった。わかろうとしなかったからテストもできない。他人に劣っているという明確な"数字"が出ていても現実を直視しないで、次は頑張るとのらりくらりと言い続け、ほぼ同じ成績をとり続けてきた。
結局努力しない人間が努力する人間に勝てるわけがなく、それを見る意味で定期テストというシステムは有用だと思う。人の価値は数字だけで決まらないなんて戯言はやめろ。それなりの数字すら出せない、そしてその現状を変える気が無い人間を信用できるか?私にはできない。私は自分を信用できないし、信用しても必ず裏切られることを文字通り身を以て知っている。
まあここで同じように勉強してもとれる数字が全く違うような異次元人間や何もしていないように見えて全部理解してる怪物がいたりするが、自分がそうでないことは火をみるより明らかだった。明らかだったのに努力できなかったのは自分が単なる怠け者だからだ。自分が怠け者だということだってそうだ、働き者と怠け者なら働き者が勝つのだ。散々言われていることで、努力したからといって成果が出るとは限らないが成功者は皆努力しているというやつ。
"頭がいい"人間になりたかったが、心の中で他人をどこか見下している雑魚キャラが一匹生まれただけだ。お話にならない。
ほどほどの努力でほどほどの成果が出せればマシだった。自分はほどほどの努力すらできていない、中途半端のカスだ。学生時代本気で打ち込んだことなんて妄想ぐらいだ気持ち悪い。何もしていない人間が何者かになんてなれるわけない。
結局今もそうだが辛いことから逃げているだけで、そのツケを払う時期が来てしまっただけなのだということは知っている。だが理解していない、したくない、自分はこんなもんじゃない、まだ本気出してないだけと言い訳を繰り返している。本気出してない人間の本気は永久に出ない。大人ならだれでも知っている御伽噺だ。
働くのも勉強するのも自分にとって面倒で辛いからどちらも選ぼうとしないだけ。必ず選ばないといけないし、特に後者は早ければ早い方がいいと散々言われているがそれも知らぬふりをしている。周りの人間は目的目標をもって毎日努力している。ほんとうに偉いと思う。そして自分とは地頭の出来が違うと言い訳をしてしまう。例え本当に地頭の出来が違っていたとしても、彼らが努力していた間私が何もしていなかった言い訳にはならないことは当たり前なのに。
最悪なのが、もし記憶を残したままN年前に戻れたとしても、結局何もせず同じ後悔を抱えながらこうやってパソコンに向かっているということがはっきりしていることだ。後悔しても反省しない。同じ失敗を繰り返す。人間として最悪の部類である。人間なんてどいつもこいつも最悪なのだが、社会活動をするにおいて特に無能な人材だ。
そしてそんな自分が自分は大好きで、まあそれでもいいかと思ってしまっている。多分これが最も重要な部分なのだろう。いくら自分はカスだゴミだといったところでカスでもゴミでもいいかと開き直る。そういうメンタルが求められる場もあるだろうが今はそうじゃないだろう。自問自答しているうちに他人は着実に自分の将来を手繰り寄せている。それが全くもって正しい時間の使い方だ。頑張ってほしい。
自分の未来すらどうでもいいとは言わないが、考えるのが面倒だ。また"面倒"になっている。面倒という感情は私のような人間には本当に効く。自分のやりたいことですら9割程度の確率で面倒になる。もう一生寝ていたいと思う時でさえある。情報を摂取するのが面倒だからだ。人と関わるのも非常に面倒だ。人と関わらないと"頭のいい"人間になれないのはいまさら感じているが、面倒なことをやる気力がない。(なぜなら面倒だから。) 人と話すのが好きなどという人間が心底羨ましいし、好きでなくても話そうと努力する人間は本当に凄い。
言い訳と承知で、努力することは才能だと思う。何に対してもで、将来のためでなくてもいい。趣味でもなんでもいいが、"のめり込む"ではなく"できなかったことができるようがんばる"才能だ。世の中の人間の大半は何かにのめり込んでいるだけでその道の天才になっているような一握りではないので好きでも嫌いでも努力が必要になる。そこで割り切って努力できるのは確実に才能だと思うのだ。自分自身の努力を才能と言われる相手方からすると噴飯この上ない言い分だが。(ゲシュタルトが崩壊しそうだ)
とにかく生命活動を行うのが面倒。死ぬ気はさらさらないが生きるのもなんだか面倒になってきている。これに社会人になって日常が辛い、環境改善の兆しがない、心の支えがない、金銭的な不足、将来への不安等々が重なると自殺したくなるのだろう。気持ちはわからんでもない。なんだかわからんが弟が自殺しているので親が存命の内は死んでも生き残ろうと決めてはいるが、上述の通り自分を信頼できないためある日衝動で死んだりしてるかもしれない。でも死ぬのは痛そうなのでやっぱり死なないかも。何もわからない。
エンタメを現実逃避に使うというのは普通は「面白いものを読んで現実を忘れる」程度のことなんだけど、
現実逃避を批判する奴は、現実逃避のことを「ガチのマジの本当に異世界に逃げること」だと思ってるんだよ。
だから「異世界に行けるわけないんだから無意味だ」とか「異世界に行くのは諦めて現実に立ち向かえ」とか噴飯もののお説教をかますわけだね。
「現実逃避」とか「二次元に逃げる」とか「リゾートで現実から離れる」とか言うけど、全部全然逃げられてないよなあ
身体も脳もずっと現実、物質世界にあるわけで 逃げられてると思い込んでるだけだ
でもときどき信じられなくなるんだよな 5歳の時も15歳の時も25歳の時もずっと現実を生きてて、ここまでの人生でそれが途絶えたことは一度もないって事実 どっかで異世界なりなんなり、とにかくここではない世界に行ってたような気がしてならない
ほんとうに30年も意識を保ち続けてきてるのかなあ まあ睡眠があるから厳密には保ち続けては全然ないんだけど ていうか睡眠ってありがたいよなあ 毎日意識が途切れてくれなかったら発狂しちゃうと思う
タイトルの通りである。この文章にタイトル以上の何がしかは存在しない。面白いオチも無い。所謂お気持ち文章という奴なので、余程暇か、同じ境遇で涙を飲んだことのある腐女子以外は読まないだろうなと思って書いている。ただただ私個人の慟哭が続くだけであり、意味はなさない。そういったことをご了承頂き読み進めて頂きたい。
それからタイトルで嫌な予感がした人は読まない方がいいと思う。NLで好きなカップリングがある人も避けた方がいい。これは別に読んではいけないというのではなく、単に無意味な時間を過ごさせる自信があるからだ。
私がハマっているジャンルは「食戟のソーマ」という週刊少年ジャンプで連載していた料理バトル漫画だ。
「ああ、あの、メシを食うと女の子の服が脱げるやつだろ?」
そう、それである。実際には男の子もおじさんもおばさんもおじいさんもおばあさんも建築物もみんな脱げるが、ともかくその漫画だ。
ジャンプ本誌での連載を終え、その後ジャンプGIGA(ジャンプの別冊雑誌)で短期連載していた後日談も最終回を迎えた。ここで言う「最終回」はそのジャンプGIGAでの最終回のことである。
ここからはその最終回を含めたファンブックのネタバレもあるので注意されたし。
最終回の配信日、夜中を前に私はスマホを前にうろうろしたりもんどりうったり神に祈ったりして配信を待った。具体的には友人たちに、「最終回を迎えた後の精神状態に異常を来たす可能性が非常に高い。ついてはLINEがめちゃくちゃ荒れるかもしれないが今回ばかりはご容赦願いたい」というLINEを送り、「用意周到過ぎでは?」「骨は拾うからな」などという優しいお言葉を頂戴して過ごした。
今まで推しジャンルが最も推している最中に最終回を迎えたことのなかった私は、最終回という現実に自分の身が耐えられるかわからなかったのである。特に最終回では「未来の話」をやるという予告が最初からあったため、主人公・幸平創真くん(推しカプの受)の結婚エンドや子どもができているエンドがあるのではないかとずっと怯えていた。最近のジャンプではNARUTO然りBLEACH然りそうした最終回が多かったので、もう物凄く怖かった。そういったエンディングが悪いとは言わないが、それまでナルトや一護を応援してきたのに突然知らない子どもに未来を託されても全然感情移入できなかったのである。
そして0時。心臓が異常な爆音を奏でる中、最終回が配信された。震える手でページをめくった。
正直な話、良かった、と思った。
最終回の概要を述べると、25歳になった主人公たちのその後が描かれ、今後もそれぞれのフィールドで料理の道を極めるぜ、みたいな終わり方をした。
主人公である幸平創真くんとヒロインの一人である薙切えりなさんの間に恋心のような特別な感情が芽生えているという表現はあったものの、その描き方が絶妙で、明確に付き合ったり結婚したりという宣言は無かった。各キャラの進路やビジュアル変更について色々物申したい事があったが、とにかく結婚エンドは免れたのである。
よかった。へとへとになったものの、私はひとまず布団に横になった。そしてよりにもよって感想を検索してしまった。これがいけなかったのだが、感想の中に見つけてしまったのである。
「葉山くんの指輪の相手はきっと汐見先輩だよね!」というような言葉を。
ハ?指輪…?
慌てて最終回を読み返すと、確かに、葉山アキラというキャラクターの左手薬指にはあったのだ。どう考えても結婚指輪にしか見えないものが。
その葉山くんこそが、アキ創という私の推しカプの攻めだったのだ。
荒れた。
翌日は一日潰れていた。元々の体調不良もあったのだが、完全に気がふれてしまっていてダメだった。
食戟のソーマを2巻くらいまでしか読んでいないオタクのために葉山アキラというキャラクターについて簡単に解説すると、超嗅覚というめちゃくちゃ高性能の嗅覚を持った主人公のライバル料理人で、プライド高めの銀髪褐色だが心を許した相手には世話焼きオカン気質になるイケメンである。
彼が幼少期、海外のスラム街で親もなく彷徨っていたところで、スパイスの取引で騙されそうになっていた汐見潤という女性を助ける形で出会う。彼女はスパイスの研究者であり、葉山の超嗅覚に着目した。日本に連れてこられた葉山は汐見のもとでスパイスの研究者・料理人としての道を歩むようになる。それもこれも潤のため。自分を救ってくれた彼女の恩に報いたいと努力し続ける。
…というようなキャラクターで、これまでも彼女とのフラグはガンガンに立っていた。葉山自身汐見先輩には自分がいないとダメだみたいな台詞を何度も言っていたし、秋の選抜という一年の料理大会で優勝した時の彼は汐見先輩を抱きしめていたし、彼女を人質にとられて闇堕ちしたりしている。(なお闇堕ちからは創真くんが彼を救っている)
自分で書いていて「そりゃくっつくよな…」的な要素しかない。声を担当されている某方がおまけVTRで「彼は多分女性として汐見先輩のこと大事に思ってると思いますよ」的なことをおっしゃっていたこともあり、いい加減な発言をされない声優さんだからきっと原作サイドからもそういう話があったんだろうとは思っていたが…。
それに理解る(わかる)。きっと葉山くんは遠月を卒業と同時に汐見先輩にプロポーズして、けれどまだ未成年だから20歳になってからという条件をもらって20歳にゴールインしたんだろう。もう手に取るようにわかる。私の推しカプ、アキ創なのに。なんでやねん。
だが問題は、最終回に汐見先輩が一ミリも出てこない上に、指輪の相手についても全く触れられていないことだった。ただ指輪のはまった薬指があるだけ。絶妙にぼかされている。それは我々への思いやりなのか、それとも葉山くんと汐見先輩の間に年齢差が10歳以上あるため明言を避けたのかは未だに不明だ。
LINE告知していた皆に案の定悲しみLINEを送ったところ、「ジャンプで生殖エンドじゃないのは評価に値する」「もしかしたら創真くんとのペアリングかもしれない」「モテるから他の女の子を散らすためのファッション指輪じゃない?」などご提案を頂いた。ありがたいことに別ジャンルなのに二次創作会話文まで送ってくれた友人もいた。ありがとうございます。もちろん創真くんが指輪をしていないか探しまくりました。首にチェーンがないかも目を凝らして見ました。無かった。それも伝えたら「そりゃお前、創真くんは指輪なんかに頓着しないから無くしたんだよ」って言ってくれてありがとう。推しは頓着しませんが私は頓着しまくっています。
なお職場の後輩男子に伝えたら「え…そりゃそこがくっつくと思うんですけど…」って戸惑いがちに言われた。わかってるよそんなの!課金してまでアニメソーマ見てくれてありがとうな!君が作って差し入れてくれた化けるふりかけご飯おいしかったよ!でもやめてよそういう正論で殴るの!…というお気持ちになった。
だが、事態はこれでは終わらなかった。
勝手に受けた時間差爆撃で頭がクラクラしている所で、最終回と同時に二つの重大発表があったのを思い出したのだ。一つはアニメ4期決定。そしてもう一つは、ファンブックの発売決定である。
アニメはもちろんのこと、ファンブックは食戟のソーマファンは多分みんな待ち望んでいたもので、私も純粋に嬉しかった。
しかしハッとした。
もしかしてファンブックであの指輪の話題に触れられてしまうんじゃないか?と。
そこからは更なる地獄の幕開けだった。ジャンプGIGAでの最終回からファンブック発売までは1ヶ月以上あり、その間「ファンブックであの指輪について何か言及されたら死ぬ」とずっと思っていた。もう葉山くんと汐見先輩がくっついたと決めつけて脳内妄想を浮気ものにしたくらいの荒れようだった。
ファンブックについては2019年10月27日現在は電子版配信があるが、発売当時は書籍のみだったので、当日に確実に読めるようにAmazonと楽天とhontoで予約して、近場の本屋も何軒か回って予約した。考えられないかもしれないが私が住んでいる地域ではジャンプ単行本の発売日が一日遅れる。本屋は無理だろうと思っていたが、それでも最後くらい売り上げに貢献したかったし、…今思えばそれよりも、駆けずり回っていると気が紛れたのかもしれない。
ファンブック発売日、仕事から帰ってきて最初から順番に読んでいった。
原作者の先生によるキャラ紹介のところに差し掛かる。葉山くんのページにも汐見先輩のページにも結婚の文字は無かった。
しかし先生へのインタビュー記事の中に、その記載はあった。その小さな「こぼれ話」という記事自体、「元々は創真とえりなを結婚させるエンドにするつもりだった」というものなのでジャブとしてはかなり強力だったのだが、最後にこう付け加えてあった。
空笑いというか、やっぱりなというか。全身の力が抜けた。
この文章の凄いところはそれでも「結婚」の二文字を頑なに出さないところで、あの指輪が何の意味で誰との間の物なのか情報としてはゼロということだ。ある意味二次創作者には優しい。
でも、身勝手な言い分だとわかっていても、他の誰も結婚していないのに、葉山くんだけどうしてと思ってしまった。
他のキャラをくっつけるとファンが暴徒と化すから?(特に創真くんがどのヒロインとくっつくかについては論争が凄かったようだ。)でも葉山くんと汐見先輩はほぼ公式みたいなものだから大丈夫だと思った?単純に公式の推しカプだった?
私がこんなにもショックを受けていても、周りはそうでもないみたいだった。そもそもソーマクラスタの友人がそんなにいないので全体がどうだったのかはわからないが、感想を検索した限りではおめでとうとかよかったねとか、当たり前に二人の関係を受け入れる文言ばかりだった。
元々その二人が好きな人たちが喜ぶのはわかるが他カプクラスタの人たちが祝福しているのも見て、「ああ、これを喜べないファンは私だけなんだ…」と膝をついた。だから二人をくっつけるエンドにしたのかな、だってこの世でこんなに醜く喚いてるの、私だけだもんね。そんな風なことを思って苦しかった。
別ジャンルに喩えて恐縮だが、あっちが刀剣乱舞ならこっちは歴史修正主義者なのである。歴史という概念としての正しさで言えば向こうが圧倒的上。こちらがどんなに原作を読み込んでも、些細なやりとりに萌えを見出しても勝てる筈がない。もちろん上下や勝ち負けなんていうものは二次創作界隈には無いし、意味もない。彼と彼女のカプを好きなファンの人たちと交流はほとんどないけれど、偶然出会った折には皆さんとても優しく接してくれる。カプは何なんですか、と問われるとちょっと困るけれども…そりゃ刀剣男士も隣に突然歴史修正主義者が現れたら驚くよね…ごめんね…という気持ちになる。
つらつら書いたが、ファンの中ですらひとりぼっちになってしまったみたいで、みんなと同じように楽しめなくて、自分だけ公式から置いていかれたみたいで、悲しかった。公式から認知されていないファンなのかなとか(むしろ認知されていたら困るのだが、この時は理性もなくなっていた)、自分勝手にぐるぐる考え込んでしまって鬱々とした。
心にぽっかり穴が空く、という表現があるが、この時の私は頭にがらんどうの穴が空いていた。考えるだけでつらくなるから妄想すら躊躇われて、大好きなカプなのにできるだけ考えないようにしようとしていた。
空いた穴を埋めたくて現実逃避したくて、久しぶりに他のアニメを見たり、他のゲームをしたりしてみた。でも何をしても推しカプ変換してしまう。パロったら楽しそうだなとか、中の人が同じだなとか、トロに推しカプの知識を授けよう…とか、そんなことばかりだった。
さっき突然刀剣乱舞の話を引き合いに出したが、とうらぶも好きだったので、そちらで妄想の息抜きをしようかなとも一瞬思ったが、まるで逃げ道に利用しているみたいでダメだった。とうらぶの私の推しに顔向けが出来ない。
何をしても楽しくなくて、しんどいなあと思った。指輪ネタも無理になってきた。今後どのジャンルでも指輪を贈るネタが無理とか笑える、と笑っていた。
誰かに、自分の思い描いた形になってほしいという理想を押し付けるなんて、なんて傲慢なんだろう。それは作者様に対しても、他のファンの人たちに対しても、作品の内容に対しても。
結局のところ、「自分がどうありたいか?」ということしか私の自由にできる事はない。それがわかってはいても認めるのがずっと辛かったんだなと思う。
それから、自分の妄想や推しカプをあんまり卑下するのも良くないな、と思った。マイナーカプでも、公式から半ば否定されても、私が好きになった二人だから、自分勝手に大事にしたいと思う。
私にできるのは妄想することだけだから、今後も自分が萌えている内は推しカプについて考えていくしかない。苦しい気持ちや後ろめたい気持ちを抱えては、時折下ろして一休みしながら。
…などとまともなことを書いてはみたものの、正直に言うと一日一回は推しカプがくっつかない世界に未練はないので明日地球が終わらないかな?とか思ったりする。何を生き甲斐にしたらいいのかよくわからない。そんな風にぼんやり生きている。
余談だがAppleMUSICに入ったので推しカプソングにできないか色々聞いていたらOfficial髭男dismの「Pretender」を聴いてしまった。コンフィデンスマンJPの曲ということくらいしか知らなかったのに歌詞で死にかけた。
……。
このお気持ち文章を書く前に読んでいた記事でも別のオタクの方がこの曲を推しとの別れの曲としてとらえており、だからApple MUSIC一位なのかな…などとぼんやり思った。
お気持ち文章は以上で終わりです。面白いオチも何もなくてすみません。
食戟のソーマ21〜23巻にアキ創の料理バトルが収録されています。攻めが受けを俺の天使にします。よかったらそれだけでも読んでください。よろしくお願いします。あと最終巻36巻に何回読んでもよくわからない葉山くんによる「俺の幸平創真語り」があります。
あと何故だかよくわからないのだが原作以外からは推されることが多くて、今回大阪であったコラボカフェでも上記の料理バトルで二人が出した料理が同じプレートにセット盛りされてきた。美味しかった。ありがとうございます。
最後に、友人から送られたLINEが強かったので載せておきます。同じように苦しむ腐女子に届きますように。