はてなキーワード: 気づきとは
大学時代、ひたすらあえぎ声を書くバイトをしていたことがある。
その会社のエロゲはストーリーに力を入れていて、所属するライターも自分の文章にプライドを持っている人ばかりだった。
彼らからすると、Hシーンのあえぎ声を書くなどというのは苦痛でしかなく、学生バイトにでも任せておけということになったらしい。
1. まず、「チャックを開けた」とか「腰を動かすスピードが速くなっていく」といったHシーンの「ト書き」部分だけを渡される。
2. ここに私が「んっ……」とか「あんっあんっ」といったあえぎ声をてきとうな塩梅で足していく。
3. シナリオライターのチェックを受けて終了。
という流れだった。
簡単に思えるかもしれないが、これが意外に難しい。
まず、Hシーンにはある程度の長さがあるので、その範囲内で的確に盛り上げていく必要がある。
使う音に緩急をもたせ、飽きさせず、かつ少しずつボルテージを高めていかなければならない。
短すぎると気持ちいい感じが伝わらないのだが、かといって長すぎるとボイスが冗長になる。
このように、エロを俯瞰的に捉えるバランス感覚と、計画的なペース配分が求められているのだ。
思うままにキーボードを叩いていればいいなどという仕事では決してなかった。
最初の仕事は「妹もの」だったが、2回目のHシーンという設定で、「あ」の音の配分に苦労した。
はじめから「あああああ」など言ってると手慣れた淫乱みたいだし、かといって「あん」ではエロさが足りない。
苦労の末に完成させたものの、ライターには「もっと速く上げられない?」と言われる始末。
どうしたものか……と、前任者が残したパソコン(キーボードの「A」だけ妙にテカテカしている)の前で悩んでいると、あるファイルの存在に気づいた。
「あえぎエディタ.xls」と題されたエクセルファイルは、前任者が残したあえぎ声専用のマクロであった。
縦に並んだセルにセリフを一つずつ入力していくと、各セリフに含まれる母音・子音等の音声的要素が自動で数値化される。
さらに、その数値を足し引き計算することで、「絶頂度」と呼ばれる値が算出される仕組みになっていた。
この「絶頂度」がミソで、この値がシーンの最初から最後に向かって少しずつ上昇していくように文章を組み上げていくと、理想的なあえぎ声が出来上がるのである。
かくのごとき驚くべき神エクセルを、前任者は独力で作り上げたようだった。
そして、秘密のツールとして上司には隠しつつ、後任である私にこうしてこっそり教えてくれようとしたのだろう。
このツールのおかげで、私の仕事はずいぶん楽になり、安定したクオリティであえぎ声を出し続けられるようになった。
あえぎ声を入力するセルには、理論上どんな文章も入れることができる。
つまり、あえぎ声以外のテキストでも、その「絶頂度」を算出できるのだ。
たとえば、「私はその人を常に先生と呼んでいた。」は12、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」は30という具合だ。
予想もしていなかったことだが、こうして調べていくと、傑作の多くは私の仕事と同じ原則で書かれていることがわかった。
とくに顕著なのは芥川で、「下人の行方は、誰も知らない。」など絶頂度367だ。
薬漬けになった人妻が白目を剥いて失神するシーンでもせいぜい330程度なので、どれほど驚異的な数字かお分かりいただけるだろう。
「絶頂度」はあらゆる文章に通用する普遍的な法則だったのである。
この事実に気づいた私は、それからあらゆる文章をあえぎ声だと思って書くようにしてきた。
就活のエントリーシートでも、重要なのは「絶頂度」の配分である。
たとえば学歴欄でも、「絶頂度」の高い名前の大学を中退し、最終学歴とすることで、ずいぶん見え方が変わってくるようだ。
(大学名によっても異なるが、概して「卒業」よりも「中退」のほうが絶頂度は高くなる。)
さて、お気づきの方もいるかもしれないが、この文章もここまで少しずつ絶頂度を高めるように書いてきた。
↑この一文の絶頂度は290だ。
かなり高まってきているので、この辺りで文章を終わりにしたい。
んほぉぉぉぉ! あああぁぁん!!
最近ようやく落ち着いた例の同人誌問題で、以下の記事を読みました。
https://17on.site/natukusa/888872
最初はまたvを叩く記事かと思いましたが、記事書いた人(同人誌書く側の立場かな?)の率直な感想やちょっとした反省、そして考えを記したものでした。
読む前に誤解して申し訳ない。
で、これを読んで気になったのが以下の文章です。
私としては、その文化がしばしば軽んじられているという背景があるからこそ、不服に思ったのならそれをちゃんと申し立てするのは大事なことだと思う。
相手もそれを受けて問題点に気づき、謝罪する一連の流れを評価することとは、単に水に流してなかったことにするということではなく、「同じくらい軽率な輩は今後も許さんぞ」を内包する。
でもさー、それで腫物のように扱ってほしいわけじゃないんすよー。そういうのじゃないんすよー。
前半はなるほどなあと思ったけど(二次創作とはいえ作者には怒る権利は当然ある)、後半は「ん?」でした。
これはそもそも私が二次創作に疎いからかもしれませんが、率直に思っていることは「創作物」の責任を果たせないものが流通してるんだから、それは腫れ物じゃないのか……と。
が、今回のように市場に出回っている創作物に対する批評が、二次創作(あるいは二次創作BL)については許されないのであれば、それは立派な腫れ物でしょう。
先日はてなでも少し話題になった、以下の記事でのやりとりを少し引用します。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210401044629
どっちかというと元案件よりも元案件をどう消化するかのコンセンサス取りで燃えてる感じ。創作者の端くれとして「この程度でキレんなよ」には与したくない。軽んじて晒すな・晒すなら尊重しろ、と分かってほしいだけ
この人、個人的には好きだったんだけどなあ。与しないのはもちろん自由だけど、それが叩くことなの?(ほかは知らんけどこの記事でしているのはそういう話だよ)
というか一般的な創作物の場合こそ、『エスパー魔美』の有名なシーンのように、当人たちの問題でしかなくて、作者が怒った(そして謝罪を受け入れた)時点で終わりだよ?
結局、他から見れば外野として思えない人たちが憤るのは、それが「二次創作(特にBL)」だからでしょ。特殊な文化なんでしょ?
今回のケースであなたも憤るなら、創作者の端くれでも主語が大きすぎだよ。そんだけ。
【引用ここまで】
前半と最後のは文章はまあブコメに対する文句に近いので置いておくとして、
「というか一般的な創作物の場合こそ、『エスパー魔美』の有名なシーンのように、当人たちの問題でしかなくて、作者が怒った(そして謝罪を受け入れた)時点で終わりだよ?結局、他から見れば外野として思えない人たちが憤るのは、それが「二次創作(特にBL)」だからでしょ。特殊な文化なんでしょ?」というのは、この騒動における私の率直な感想に近い部分があります。
本当に個人的な話をするのであれば、冷蔵庫に入れたくだり以外で怒る要素があるのかという思いはありますが、私の二次創作の理解が足りてない部分かもしれないし、当事者間で決着した部分なのでそこはちゃんと尊重します(何より作者が不快になったのは事実)。
で、上記の増田で言及されているが『エスパー魔美』の有名なシーンが、全てにおいて正しいかは分からないが、少なくとも私は正しいと感じています。
『エスパー魔美』の主人公の父親が描いた絵(もしくは開いた個展そのもの)がボロクソに批判されたシーンのやりとりは、かなり有名ですが引用します。
「公表された作品については、見る人全部が自由に批評する権利を持つ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにも見せないことだ」
「でも、さっきはカンカンにおこっていたくせに」
「剣鋭介に批評の権利があれば、ぼくにだっておこる権利がある!!あいつはけなした! ぼくはおこった! それでこの一件はおしまい!!」
今回の件も、通常の創作物(公表された作品)であれば、作者が怒った段階で終了するでしょう。批評だったというと議論の余地はあるかもしれませんが、読んだ時の反応もまた批評という表現の一部だと私は思います。
作者以外が怒るとすれば、それは冷蔵庫に入れたくだりじゃないでしょうか。悪意のないサプライズのためとは言え、作品に対する敬意に欠けるという意見が周りから出ても不思議ではありません。
私個人は、枕の代わりに漫画雑誌を使ったことも過去にあるし(足蹴にしたことも)、同人誌を冷やしたくらいのことを諌められる立派な精神はないんですが……。
私が嫌いなブクマカなので甚だ不本意ではありますが、今回の件だけで見れば以下と同意見だったのが少し悔しい。
Vを殊更叩いてるやつは広告費取ってるクソゲー批評系とか辛辣映画批評系とかどう思ってるんだ 隠してた個人の日記みつけて晒したわけではないんだぞ 冷蔵庫のくだり以外は道義的に何も問題ない
しかし本件は最初にデマで著作権で燃え、その後は「晒したこと」で燃えました。冷蔵庫云々で怒った人間はブコメを見る限りはそんなにいないでしょう(適切に管理できていないケースなんて誰にだってありますし……)。
上記の「晒した」は、多くのブコメやTwitterでの反応を見る限り、「タイトル」を伏せつつも作品を特定できる形で述べたことや、一部セリフを朗読したという行為についてのようです。
これらの行為は、批評を行う上で当然のように起こりうる行為です。対象を定めず批評するってまず無理ですよね。
つまり、二次創作BLは批評も許さないということと同義でしょう。これはブコメを見る限り、ほぼほぼ正しいと思います。
※男性向け二次創作の場合、戦利品として表紙をアップすることは良しとしているという話もあるので、ここでは二次創作BLが批評を許していないとします
反論があるとすれば、「公表された作品については、見る人全部が自由に批評する権利を持つ。」というのは、同人誌に当てはまらない……という主張でしょうか。
これは完全にローカルで行っているのなら、納得できます。例えば鍵垢だけで公開していたり、同人誌即売会のみで販売(頒布って言うのかな?)のならば、それは世間に「公表」しているわけではないでしょう。
しかし今回の作品もそうですが、二次創作BLは決してローカルではなく。委託販売を通して全国の同人誌を扱うショップで(あるいは通販で)、ローカルから外れたところで作品を「公表」しているパターンがかなり増えてきています。
そういった作品についても、作品を特定できるような、批評といった行為が許されないのはおかしいと思っています。
商業(ビジネス)的な展開の美味しい部分だけを搾取して、他の創作物が果たしている責任を果たしていない。
こういうのをフリーライドって言うんじゃないでしょうか?(違ってたらごめんなさい)
最初の記事の書き手は腫れ物として扱ってほしいわけじゃないと書いていましたが、やっぱり腫れ物だし、そもそもローカルルールを強制する今の在り方は歪んでいると思います。
原作に対する著作権云々は二次創作側の問題なのだから、それを世に流通させる以上、他の創作物と同等の責任は果たして欲しいです。
それができないなら、今の形が間違っているのだから完全なローカルに戻すのが筋なのではないでしょうか(今も完全にローカルでやっているところはあると思いますし)。
あるいは縮小の道ではなく、違う道もあるのかもしれません。別記事についていたブコメを引用します。
https://anond.hatelabo.jp/20210331235506
腐・女子関係なく同人誌は全部バレてるし、PixivでなくTwitterは鍵じゃなきゃ只の宣伝。企業ブースもいるっつうのに。もう有志団体作って二次創作法を立法して仕切り直しの段階だ。少なくとも立法に否やはないはず
歪みが虐げられていた過去からきているのであれば、こういったことを実際に働きかけていくべきなのではないかと思いました。
とりあえず、あくまでこれまでの経緯を追った個人の感想としては、タイトルに書いたように、
「創作物としての責任を果たせないんだから、腫れ物として扱うレベルじゃなくてそもそも表に出さない方が良いのでは?」というものです。
何年か前にダウンタウンの浜田が大晦日の番組でエディー・マーフィーの格好して笑いをとろうとして黒人差別だと大批判を世間から受けた件。まだ記憶に新しいし、分かりやすい黒人差別の話題だったのであの件で世間は盛り上がったけど、こういうのになるとみんなはなかなか気づきにくいらしい。
https://twitter.com/caligula_zmns/status/1376933065272950787
コスプレ用プラグスーツの見本写真、シンジがアベンジャーズに居てもおかしくない貫禄でジワる
https://twitter.com/caligula_zmns/status/1376933065272950787/photo/1
これ自分も最初見たとき確かにクスッとしたしツイ主を批判する意図はないんだけど、これダウンタウンの件と同じ構図なの分かるかな。日常の見慣れた文脈に不意にまったく文化や背景の違う別の人種・民族性を持ってきてその絶妙な違和感に笑いをとるネタ。それが白人だからさらに分かりにくくなっている。実際引用RTをかなり辿ってみたけどウケてるコメントばっかりで、そのことを指摘してる人は一人もいなかった。
これたぶんモデルが黒人とか他のアジア系とかだったらたぶんヤバいって気づく人は結構いたと思うんだけど、まあ白人だからといってその異なる人種・民族性から来る違和感をネタに笑うという点ではあの悪名高いダウンタウンの一件と残念ながら同根な訳で、良識のある人はやはり自粛をしなくてはいけない。
言いたいのは別にこういった気づかれにくい人種差別を高らかに指摘して論いたい訳でも何でもなく、このポリコレ全盛の時代に笑うってそれ自体が難しくなって来てるよね、っていう呟きなんだけれども…
これまで私が行ってきた違法視聴や違法ダウンロードの総量は数知れない。学生時代から数えて10年ほどになる。
羅列はしたものの、性的なコンテンツがその85%を占めている。
学生時代の私は、「買いたくてもお金がない。だから仕方がないのだ」という幼稚かつ短絡的な考えでもって、そういう違法アップロードを行っているサイトをくまなく巡り、コンテンツを集めてきた。
(ここに書いても影響がないので)すでに潰れたサイトでいうと、DROPBOOKSだ。かの有名な星野ロミが運営していたサイトのひとつであり、品揃えがいえば国内、いや世界最大級だったと言っていい。
今回を機に、これまで私が上記サイト等で違法ダウンロードしたコンテンツを数えてみた。フォルダ内を全選択して、どこか下の方にフォルダ数が書いていないかを見てみる…
「1159」
これが結果だった。漫画に限った話なので、動画も含めるとさらにとんでもない数になる。
もし、私がこれだけの冊数を正規に購入していたとすると、1冊あたり税込800円と仮定して、1159×800=927,200円となる。
これは凄い金額のように思えるし、たったこれだけか、という感想も確かにある。
学生時代の私も、社会人若手時代の私も、中堅社員としての私も、大して罪悪感のない状態で違法視聴等を行ってきた。
①これは公共財だからいいとか、②この漫画家は社会的によくない思考を持っているので勝手にダウンロードしてもいい(※当時でいうと「もつあき」や「Iris Art」)とか、③この漫画家は芸術性の高いエロ漫画を描くので、敬意を込めてアマゾンで1冊だけ購入しよう(※当時でいうと「無望菜志」や「宵野コタロー」)など、いろいろとんでもないことを考えていた。
今では考えが変わっている。
①について、性的なコンテンツが公共財なんてことはないにせよ、『社会福祉』の一環ではないのか?と考えるようになった。
②について、今では、精神的に不健康な作品を描く漫画家に出会ったとしても、「この作家は今は低いレベルで生きているかもしれないが、いつかは人間愛に溢れた作品を描くようになるかもしれない」と思えるようになった。
③について、今の私は違法サイトを覗くことはなくなっている。お金をちゃんと払って、公式サイトでコンテンツを買うようになっている。が、まったくゼロになったわけではない。欲に負けて、違法サイトを見てしまうこともある。しかし、少なくとも違法ダウンロードをすることはなくなったし、イイと思う作品を見つけた時は必ず購入している。
どうして考えが変わったのか。
2019年頃から、違法サイトそのものがガシガシ潰されるようになり、そういうコンテンツに出会う機会が急になくなった。
※それより前だと、DLsiteその他の公式サイトで販売・配信されているコンテンツであっても、ごく普通に違法サイトにアップロードされていた。
1年ほど前のことだった。
私は、人生で初めてDLsiteで性的コンテンツを購入した。作品名は恐れ多いので申し上げないが、トランス・トリビューンの作品だったと記憶している。
違ったのだ。
これまでとは違った。
物語が頭に入ってきた。これまでの雑然としたページの捲り方とは違う。一コマ一コマを脳が処理する精密さ、キャラクターへの入れ込み、描かれた物に対する視覚の強さ、絵では表現されえないはずの物音への興味、作品に込められた愛、思想、意味、感動、情熱! とにかくそんなことになってしまった。
なぜ、ここまで違うのだろう。
対価を用意し、作品を買った。これは私の所有物だ。できるだけ、ゆっくりと楽しまなければならない。そうい気持ちが芽生えたのだ。
タダで見ているものは、これとは違う。そこまで丁寧な気持ちで読み込もうとは思わない。
一コマ一コマを、ただなんとなく眺めていって、そういうシーンだけは熱を込めて読んで、後はどうでもいい。読み終わって面白ければダウンロードし、面白くなければそのままページを閉じる。それだけだ。
お金を払うという行為によって、作品に対する印象や、作品の価値そのものが変わることがわかった。
でも、私が変わった原因はそういう体験をしたからではない。いや、上記の行動はただのきっかけに過ぎないのだ。
私自身が、人間として成長を遂げたから――すなわち、自分に関係するすべての人間に対して感謝すること、支払うべき対価は損をしてでも支払うべきであること、ある作品の創造者に対して敬意を示すこと、そのほかにも多くの気づきや洞察を経て、私が人として成長したからこそ、『コンテンツをお金を払って手に入れる』自分になることができた。
今、私には読みたい作品がいくつもある。少なく見積もっても25冊はある。
ひとつの作品をゆっくりと楽しむようになった関係で、読んでいる時間はぜんぜん足りていないが、それでもすべて読んでみたいと思っている。
頑張ったので書いておく。
2階にLDKのある家に引越したら冷蔵庫が階段を通らなかった。引越し当日はひとまず一階の部屋に置いてもらって終了。
※前提※
・立地と間取りの制約で吊り上げ搬入はNGであり階段を通すしかない
・冷蔵庫は10年物の400〜450リットルのタイプで概ね奥行き690、幅600、高さ1800強
・階段はL字型で狭いところは幅は720ぐらい
※とった対応※
前面に操作パネルのあるタイプ。本体上を覗くとソケットがあり、爪を外せば本体とドアの電線を分離できた。あとは固定ネジを外して持ち上げるだけで意外と簡単だった。
外すと奥行き630ぐらいとなり、家電移動を請け負ってくれる業者に見てもらった。
幅が足りない。無理すると家に傷がつく。
手すりを外したらどうかと聞くも、つけ直すと手すりの強度が落ちる、外したところで幅が十分ではない、家電屋の搬入経路の記載は当てにならない等、相当やりたくなさそうで諦めた。
小さいサイズへの買い替えを検討するが、ゆとりをもって通せそうなのが3ドアタイプしかなく要件を満たさず保留。
世の中には脱着を前提にした手すりがあると知り、冷蔵庫以外の荷物搬入も考えてリフォームを実施した(大建の部材を使った)。
前と同じ業者に来てもらった(担当者は違う)。冷蔵庫のドアを外しても足が出っ張っていることに直前になって気づき、希望の光が風前の灯。
→ 通せる保証はないが、家や冷蔵庫に傷がついても文句なしという条件付きでやってみてもらえることになった。
階段の上が綺麗に吹き抜けになっていれば幅だけの問題ですんだが、天井の一部が出っ張っている。そうすると冷蔵庫を傾けて階段を上げ始めないといけない。
傾けた冷蔵庫を回り階段部分で真っ直ぐにできなければ試合終了。
「ここを通らなかったらアウト」の段を迎え、慎重に向きを変えてクリア!
「通りましたよ!」と嬉しそうな業者さん。
よいしょよいしょと運ばれて、ようやくキッチンに収まった冷蔵庫が輝かしい。
都市部でよくあるだろう、ゆとりのない立地と間取りの家で起きた事例でした。
手すりを外せるようにしたことはもちろん、冷蔵庫のドアを外して上だけでも奥行きを小さくできたのが良かったよう。軽量化の観点からも。
おっ、良い所に気づきましたねぇ~
そのゲームはストーリーといえるものも、キャラの深掘りもほとんどないのにとあるAというキャラに私は心底ハマっていた
あまり目立つ人気がある方ではなかったので、立体化した時は大泣きするレベルだったし、ネタキャラ扱いされた時は表にこそ出さないが心の中でキレまくるほどだったし、愛されたり好きだと言ってる人を見ると幸せだった
だがある時、「自分が萌える理想像」をAに押し付けてるだけでは無いか?と気づき始めた
こうだったらいい、こういう人に違いない、とだんだん「理想の人間像」にAを仕立てあげていっている気がしたのだ
情報量が少なすぎるゆえに脳内補完が過ぎて、どんどんイメージは肥大化していった
それさえも「情報が出たら当たってるかも知れないし」と自分に言い聞かせたが、一度そう気づいてからは楽しく推せなくなった
私が好きになっていたのはAではなく自分の中で都合のいい妄想を押し付けたAだった
デスクトップ操作の視覚障害者モードは健常者も目隠ししてやってみると色々面白かったりする
工場の作業員とかのウェアラブル端末みたいにハンズフリーを音声で実現するのにも役立つ
そこがネックだったりする
一時期はWindowsもXPのときだったか、読み上げ機能とか標準でない時期があった気がする
だから、視覚障害者の団体がある中小企業のソフトウェアを買い上げたんだったか、
それをインストールしてWindows使うのを推奨してた時期があった気がする
ただ、残念ながら点字キーボードとかコストで考えると採算に見合わなくなっちゃうんだよね
多分二十歳ぐらいから、怒りを表明することは意味がない、非効率だ、と考えて怒らないようにしてきた。
もちろん時には感情として怒りを感じることはあったし、その感情が外に出てしまったこともあったと思う。
それでも少なくとも「怒りを表明するよりも、問題点を淡々と指摘し、落とし所を見つけていくべきだ」というのを自分の行動規範の一つとしてきたと思う。
そうすると、副作用として、怒りを表明している人に対して軽蔑の念を覚えるようになる。
とはいえ、そういった人を表立ってバカにしたり、非難するようなことは、基本的にはしていないつもりだ。
それは怒りの表明とはまた違うが、それに準ずる行為であり、それもするべきでないと考えているから。
だけど自分は単に怒らなくてもやっていける程度には恵まれた立場にいるだけだということに最近ようやく気づき始めた。
男性として東京でソフトウェアエンジニアとして働いていると自分は明らかに多数派だし、そこそこ仕事はできる方なのでそれなりの自己肯定感と給料を得ながら生活できる。
全てではないが、あらゆるものを持っていると思う。
怒ることなく穏やかに振舞い続けていると、「増田さんって本当に落ち着いてますね」「人格ができていますよね」ということをたまに言われる。 (たまにね)
「そんなことないですよ、結構しょうもないことにイライラしたりもしてますよ」と謙遜して返したりするが、自分の信条を肯定されているようでとてもいい気分になる。
だけどそれは、単に「怒る必要がない」からできているだけのことである。
自分の場合は怒るまでもなく周囲の不快さをある程度取り除けるので、怒る必要性はかなり低いし、怒らない方が多分圧倒的に効率よく物事を進められると信じられる。
そこに最適化された結果の振る舞いに過ぎない。
だけどこのような生き方は、「怒りを表明する人」に対して直接的に非難したり攻撃はしていなくとも、間接的にはそういった人々の評価を下げているのかもしれない。
彼ら彼女らは人間としての程度が低かったり損得勘定ができないから怒っているのではない。
確かに、損得勘定がもう少しできれば怒らずに済む、という仮定は成り立つかもしれないが、社会の歪みのせいで日頃から感じているストレスだったり、そういった状況に対する無力感が蓄積していたら、「問題点を淡々と指摘」できるほどには自制心が働かないこともあるだろうし、それどころか怒った方がむしろ効率が良くて、そこに最適化されている可能性だって考えられる。
もちろん、怒らないと問題を解決できない状態よりは、怒らなくても解決できる状態の方が望ましいとは思う。
だけど現実はそんなに綺麗じゃない。
長年母との関係性に感じていた違和感に気づき始め、苦しんでいる。
これまで違和感は感じつつも違和感の正体に気づかなかった、もしくは気づける機会を自分から遠ざけてきていたため、苦しさを感じることはなかった。
どうも。とある条件を満たして20年前から魔法使いになりました。
魔法を発動させるためには異なる魔力を異なる分量で正しい順番に配合し、最後にキーとなる呪文をトリガーとして発動させる必要があります。
そのため、詠唱は、その単語や長さによって、配合させる魔力の種類や分量がわかるようにデザインされています。
その後発動のキーとなる呪文をトリガーとして魔法が発動するという仕組みです。
このあたりは化学式を思い浮かべていただくのが良いかと思います。
正しい種類、分量、順番で組み合わせないと目的の化学物質が作られないのと同じです。
それを体系的に学習ができるようにと開発されたのが、みなさんのよく知る中二な詠唱と呪文を組み合わせたベーシックな魔法言語です。
魔力の種類と分量さえ正しく配合されていれば、詠唱の単語もキーとなる呪文も自由に置き換えることができますし、詠唱や呪文そのものを唱えずに魔法を発動することも可能です。
それでも詠唱を行う理由は大きくわけて二つで、一つは配合の間違えによる事故を防ぐため、そしてもう一つはどんな魔法を発動するのかを周囲に知らせるためです。
1つ目はいわゆる声かけ確認のようなもので、慣れてきた頃に一番起こりやすいうっかり事故を未然に防ぐことが目的です。
2つ目は味方とパーティー行動しているときなどに、どんな魔法を発動させるのかを周囲に知らせることでパーティーの安全を確保してもらうことが目的です。
詠唱の内容を理解できる敵に対してはわざと詠唱と異なる魔法を発動させるというテクニックもあります。
中にはパフォーマンスのためにあえて大げさな詠唱を行う魔法使いもいますが、治癒魔法などはそのほうが効果が高いなどいわゆるプラシーボ効果も認められているので、それらしい格好、それらしい雰囲気を好んで取り入れる魔法使いが多いのも事実です。
魔法使いの技量は大きく分けて、知識、魔力の最大量、魔力の充填速度の3つに分けられます。
化学式と似ているといいましたが、魔法も組み合わせによって種類が多く存在するので、単純にその時ふさわしい魔法をどれだけの魔法からどれだけすぐに用意できるかは魔法に対する知識そのものが試されます。
また、魔力の最大量には個人差があり、例えば多くの魔力を組み合わせる大魔法を唱えるには、一度にそれだけの量の魔力を保持できるだけの最大魔力が必要となりますので、単純に魔法を知っていれば使えるというわけではありません。
魔力の最大量は訓練で増やすこともできますが、基本的には本人の生まれ持っての才能に依る部分が大きく、天才と呼ばれる魔法使いが一握りなのも納得できるかと思います。
くわえて、魔法に必要なだけの魔力はそれに応じた分だけ魔力として充填する必要があり、この充填速度も個人によって大きく差が生じます。
一般的な詠唱の長さでは充填時間が足りない魔法使いもいれば、達人級になると詠唱の単語から頭文字だけを読み上げるだけの時間で充填が完了できる魔法使いもいます。
こちらも訓練で早めることはできますが、やはり生まれ持っての才能が大きく影響してきます。
さて、ここまでご理解いただけたなら、魔法における無詠唱とはいくつかの意味があることに気づきます。
これは普通の魔法発動プロセスと同じだけの時間が必要になりますが、魔法使いなら誰にでもできるもので、意図的に詠唱を行わないパターンです。
使用する魔法を予め予想しておいて、詠唱だけ済ませておくことで、必要なタイミングに最短で魔法を発動でするテクニックです。
充填した魔力は時間とともに目減りしていきますのでタイミングがとても重要なことと、状況が変化してしまうことでその魔法が必要なくなってしまえばためた魔力が無駄になってしまうなどのリスクがあります。
状況判断に長けた魔法使いがこれを多用している姿を見たことがありますが、文字通り魔法のように状況に応じた魔法を瞬時に繰り出す姿は、多くの冒険者を魅了していました。
達人級になれば、小さい魔法であれば暗唱でほぼ無詠唱のような速さで魔法発動できたりしますので、限りなく短い時間で充填できる魔法であれば無詠唱といっても差し支えないというパターンもあります。
しかし、一部都市伝説によると、過去最高クラスの魔法使いと呼ばれた人物は、つねに全ての魔力を最大まで充填している状態で、使用する魔法に応じた魔力だけを瞬時に組み合わせてその分だけを消費する本当の意味での無詠唱を実現していたと聞いたことがあります。
本当にそのような魔法使いが存在したかどうかはわかりませんが、基本的には充填した魔力は発動と同時に全て消費されてしまうので、単なる都市伝説ではないかと言われています。
ちなみに、巻物に記されるような魔法は基本的にレアで使用頻度の低い魔法が多く、それらが知識として失われないように文字として記録されているとのことでした。
また、魔力の低い魔法使いでもある程度の大魔法を使えるように、発動時にぴったり魔力が貯まるように計算して作られた詠唱が書いてあるとも聞いたことがあります。
いずれにしても理にかなった仕組みのようです。
いかがでしたでしょうか。
魔力が充填されていなければ、うっかり発動呪文を唱えても魔法は発動しませんし、詠唱だけしても対応する魔力を充填できなければ魔法が発動することもありせん。
それでも詠唱が形としてのこっているのは、事故防止のためだったり、パーティーとのコミュニケーションだったり、一部パフォーマンス要素を目的としているというわけです。
あれだな、「ご意見を沢山頂き自分の考えが間違っていることに気づきました」って声明出すパターンはあるな。
(反対意見がたくさん来たので事態を収拾させるために謝ります≒自分の考えは少数派なので謝ります≒何が間違っているのかはわからないがめっちゃ怒られてるし間違ってるっぽいので謝ります)という穿った見方もできるが。
理想的と言っても良いほどのクソコメがあったので紹介しておきますね。
nobori_lupin そちらのことは知りませんけどムーブをしたら規制されても文句言えないじゃん。オタクがオタクだったころは、ゾーニングして社会に迷惑をかけないようにするので許容してほしいって方針のオタクも多かった記憶。
xnikki 倫理を無視すると宣言した以上、もう萌えを始めとしたオタク系表現は社会悪としてバッサリ切るべき。ネットはもはや公共物。オタク表現の居場所を作ってはいけない
フェミさんの勘違いをこの上なくわかりやすく表現してくれている奇跡のコメント。
・そちらとはどちら?
・規制するのは誰?
・オタクがオタクだったころも意味不明。じゃあ今のオタクは何なのか?
「全然わからない、俺たちは雰囲気でオタクを殴ってる」を地でいってる。
私がこの文章でオタクが従わなくても良いと言っているのは「フェミさんの主張する倫理」だけ。
「オタクがフェミさんの主張する倫理をすべて受け入れる必要がどこにあるんですか?」ということ。
社会的な倫理や行政の定めたルールはどうでもいい、ということは一言も言ってない。
「フェミさんの主張する倫理」と「社会の求める倫理」が一致しているなら、あるいはフェミさん自身が何らかの権力を持っているなら従う。
今回zとqの二人はそれを認めさせて、その態度が倫理的じゃないとマウントかけようとした。
これに対して、「強者のいうことにだけ従うという態度が倫理的ではない」
ということを認めさせたところでなんか意味ある?というのが前回の増田で書いたこと。
>nobori_lupin、xnikki
の2名はまずこれが全く読み取れてない。
「支離滅裂なことを言ってるフェミ」については「知りませんけどムーブ」をかましても行政は規制しない。
フェミがまともなことを言ってて、行政が「せやな」って思っていれば話は別だが、
第二波の頃ならともかく最近のフェミはそのような存在だと受け取られていない。
支離滅裂なことを言ってるのに、いまだに無条件で自分が行政と一体化してると勘違いしてるフェミが多すぎる。
「フェミのいうことに従わない」と「行政によって規制される」が頭の中で同一になってるやつが多すぎる。
そんな我こそが規制する権力者と一体化した存在と思い込んでるフェミ、この人に限らずはてなにはたくさん見かける。
いままでさんざんそう指摘されてるのに知らんぷりしてたけど、
xnikkiさんやnobori_lupinさんのおかげでこういう認識の人が本当にいることがよくわかっただろ?
こういう勘違いに陥ってるフェミがやるべきことはいい加減自他の区別をつけること。
自分たちの主張がオタク憎しで先鋭化しすぎており、社会の標準から大きく逸脱しているということをわかれ。
自分たちの主張が社会から認められる落としどころを見つけて、フェミが社会から認められればオタクは自然ということを聞くから。
今の時点でも十分認められてると思ってるんだったら大間違いだから。
その努力を一切せずフェミ独特の論理を押し付けようとしているから嫌われてる。
急がば回れ、自分たちの尖った社会に請けいられるように着実に社会とすり合わせを行っていきましょうね、といってる。
nobori_lupin、xnikki のように「やっぱりオタクはフェミのいうことを聞かない!→だから社会的に抹殺しよう」といっても
「フェミのいうことを聞かない罪」なんてものは法律で定められてないってことにいい加減気づきましょう。
Arturo_Ui オタクの対立項が「フェミ」という時点で、認知が極端に歪んでいる。二次創作とかエロ同人に関わってるオタクに対立する勢力としては、真っ先に「警察」を挙げるべき。法的規制に関する認識がナイーヴ過ぎないか?
警察が敵ではないとは言ってないじゃん。敵だとしても警察はフェミと違って会話ができるし、行政にはできる限り逆らわないのがオタクだっていってんじゃん?むしろその話するなら、警察とは現時点で敵対勢力だとしてもうまく落としどころを見つけてやってるのにフェミはいつになったら落としどころを見つけようとする動きに落ち着くのってこっちが聞きたいよ。
マジレスってのはちゃんと文章を読んだうえで答えることだと思ってたんだけど。ちゃんと読んだつもりのレスがこれだとしたらやべーやつ。やり直し(@^^)/~~~
z1h4784 yujimi-daifuku-2222氏の言うとおり、オタク(の一部である反フェミ勢)は自分より上のヒエラルキーに属しているとみなした相手には盾突かない権威主義者なわけ。それを揶揄されているということが伝わっていないようだ
文章読めてねー。フェミがそれを揶揄してるのはわかってるけど揶揄して何の意味があるの?ってのがスタート地点なんですがー。こういう「お前らが俺の意見に納得しないのはお前らが俺の真意を理解してないからだ。真意さえ理解すればお前は俺に従うはず」って考えの人おるよね。こういう人のおかげで話題が無限ループするの勘弁してほしい(@^^)/~~~
death_yasude 石原都政の表現規制案も過去の話になったのかな2次元表現を規制したいって動きは常にあるんだから次はフェミが賛同するだけで規制されるんだが右派の持ち出した規制案に左派が反対して今の状況が維持できてるんです
この勘違いしてる人もいるよね。フェミ=左派=立件民主党・共産党、みたいなやつ。オタクやアンチフェミ=右派=自民党・公明党、みたいなやつ。気に入らないオタクにネトウヨって言葉浴びせかける人多いしね。議論にならないので(@^^)/~~~
tvxqqqq 内閣府男女共同参画局から公的広報ガイドラインが出てて概ねフェミの言うことと同じだと思うよ。 https://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/012/720/kouhoutebiki.pdf
この人はなかなか賢い。文意を取れば当然こういう返しが出るはず。この人だけが会話できる余地がある。公的広報についてはこの基準で話すのは良いことだと思う。宇崎ちゃんの時もこれをベースに話をしてる人わずかながらいたよね。そういう人とだけ会話したいのであってそれ以外の人は無能な勤勉&会話の邪魔でしかないんだよね。