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はてなキーワード: 拡散とは

2020-09-07

ツイッター月経カップが妙にバズっていた

ある日から急にツイッター月経カップ言及する人が増えた。

月経カップを初めて使用してみたという方が、その体験所謂オタク構文的」に仕立てたレポがバズったことがきっかけらしい。

月経カップユーザー自体国内にはまだ少なく、能動的に調べない限り情報が入ってこない中、親しみのあるオタクノリで語られたことで存在を身近に感じられた方が多くいたのだと思う。

興味深くその流れを追っていた中で、「月経カップユーザーメリット面ばかりを強調して勧めてくるのでなんか宗教っぽい」という意見を多く目にした。そこで、月経カップユーザー何となく胡散臭い、という疑念への回答をユーザーとして自分なりに考えてみることにした。

第一に、月経カップは決して安い買い物ではないし、一般的薬局等での取り扱いもされておらず、ちょっと気軽に試してみる、ということが難しい。

だってそのままドブにお金を捨てたくはないわけだから自分に合うものかどうか、各メーカー製品比較するなどして購入する前にかなり慎重に検討している人がほとんどではないかと思う。

使用が慣れるまで痛い思いをした」という情報レビューなどを調べればそれなりに目にするので、そのあたりのリスクも引き受ける覚悟の上で(というと大袈裟かもしれないが、ある程度は仕方がないと受け入れて)実際の購入に踏み切っている人が多いのではないか

そこまで行き着く動機というのは、私の場合には、それまでの生理用品の使用に著しく不快感不自由を感じていたことだった。

ここで特定生理用品についてのディスを書くつもりはないので、具体的にどこがどう悪いといったことは詳しくは言わないが、元々皮膚が荒れやすい体質だというのが大きい。

言うなれば最初から、「ナプキンなどの使用に伴う苦痛A」が解消されるのなら、「月経カップ使用に伴う苦痛B」は許容できるという不等号になっているのだ。

苦痛Aの解消にフォーカスが当たっている自分のような人間にとっては、苦痛Bというのは既に自分の中で飲み下してしまっている部分なので、つい「不快が”全部”なくなった!」みたいな言い方をしてしまいがちなのかもしれない。

しかし当然ながら何をより不快苦痛に感じるかというのは人によって大きく異なるわけで、苦痛Aの方が苦痛Bよりずっとましだという人がいるのは全くおかしいことではない。

それぞれ自分安心できる道をとるべきなので押し付けるような言い方だけはお互いにするべきではないが、何にせよ人の言う「快適さ」にはその人の価値観個体差によるバイアスがかかっているという当たり前の話でもある。

加えて、体質や心持ちの方が変わらなければおそらくはずっと要因としては残り続けるであろう苦痛Aに比べて、苦痛Bの方は多くの場合、慣れによって無くなるか、少なくとも軽くはなってくるという、怪我リハビリテーションのようなところがある。

リハビリとして考えてみると、「この器具を使えばあなた身体はずっと自由に動かせるようになりますが、慣れない内は痛かったり違和感を感じたりしますよ」という選択肢自分で納得して選んだ場合、その後練習を積んでだいぶそれを使いこなせるようになったという時に「確かに自由にはなったけれど、リハビリのこういう所がこれだけキツかった」とデメリットを伝える方に向かうよりは、今まで強い苦痛を感じていた人であればより一層「この器具を使ってよかった!同じ悩みがある人にぜひ薦めたい!」という感動ばかりが全面に出てしまうというのも、心理としてそこまでおかしなことではないのではないか

そういった性質と、元々ある程度各自リサーチした上で使用している人が多かったという背景から、ある種の「前提」を共有しているコミュニティで閉じてしまっていたという面はあり、そこが傍から見た時の”怪しさ”に繋がる要因であるかもしれない。

そもそも今回バズったきっかけのレポートを書いた方のように、「今までナプキンでもそこまで苦労をしていたわけではないか、人からもらったので使ってみた」というケースは結構特殊なほうではないかと思う。

しかしバズったことで月経カップ含めて色々な生理用品について率直に、気軽に語られるきっかけになったのならばそれはいい機会だし、また、月経カップ使用してみたが上手く使えなかった、という人が自分を責めてしまわない為にも、バズったレポートのような「失敗談」がオープンに聞ける機会があるのは良いことと思う。

私自初心者の頃は着脱に苦労した経験があり、個人的には「慣れれば絶対にうまくいきますよ」という言葉の方に勇気づけられて練習できたタイプではあるが、「同じように上手くいかない人がいる」とか「諦めてもいい」という声によって安心を得られる人もまたいると思う。

反面、拡散される中で月経カップユーザーからすると少し「怖いな」と感じられるノリもあった。

ここで少しだけ、仮に今、日本では圧倒的に月経カップ(もしくはタンポン)を使っている人がメジャーで、紙ナプキンを使う人が一番少数派である、という反転した状況を想像してみてほしい。

この状況が反転した世界では需要が少ない紙ナプキンは高級品で手に入りにくいが、それでも”わざわざ”紙ナプキンを使っている人たちというのは、体内に何かを装着する事への心理的な抵抗感など、各自の切実な理由があってそれを選択しているのである

そうやって自分なりの安心を得ている人が少数いる中で、突然「なんか紙ナプキンていう生理用品があるらしい」という話題SNSでバズったとする。

ナプキンユーザーが圧倒的に少数派である状況で、「紙ナプキンかいやばいツールw」みたいに面白コンテンツとして消費されたり、「経血を体内に溜めないで自然に外に出すっていうのがいかにも子宮カルトの人が好みそうだよね」と特定思想集団と結び付けられたり、「公共トイレに毎回ゴミを出すなんて不潔、感染症スプレッダーになっている」などというネガティブ意見がワッと湧き上がるのを想像されると、少しこの「怖いな」という気持ち理解いただけるのではないだろうか。

意見を言う自由があるのは当然のこととして、「オープンに語る」ということと「他人領域踏み込む」ことは違うし、特に生理用品は単なる「嗜好」や「趣味」という基準からではなく、もう少しプライベート身体健康上の理由から選択している人が多いと思うので、その辺りはデリカシーを持って語っていったほうが良いのではないか

最低でも、〇〇をつかっている人はこうなんじゃないかとか、勝手イメージ想像に基づいた偏見をばらまくのは良くないし、そういう姿勢こそカルト等と揶揄される”疑似科学”と何も変わらないように思う。

一応補足しておくと、今回バズったことでレポート主の方を責めたりするつもりは全くない。むしろ予想外にバズってしまたことで色々と矢面に立たされてしまい大変なことだろうと思う。

使った人が率直な使用感を述べることは全くの自由だと思う。しかし、その中でも少しだけ読んだ方への誤解に繋がるのではと心配になる部分はあったので、以下は参考として書かせていただく。

月経カップメーカーHPなどには身長体重出産経験のありなしによって推奨されるサイズが書かれており、先ずは自分に合ったサイズを買うことでリスクを抑えられる。

レポ主の方はMサイズを人から貰い受けたとのことだったが、未経産かつ性交経験がないと書かれていたので、サイズが合っていない可能性があり少々心配になった。もちろん体格や個人差があるので一概には言えないが、Sサイズさらに短いタイプ等もあるので、基本的にはこれから使用される方は最初月経カップ自分で選んだ方が間違いがないと思う。

また、着脱の度に煮沸消毒したほうがいいか、という点に関して。メジャー月経カップメーカー使用方法には基本的には月経期間が終わった後と始まる前に1回煮沸消毒すればよいと書かれており、メーカーによっては必ずしもそこまで神経質にやる必要はないと書いているところもある。月経カップ区分的には一般医療機器にあたるので、「なんとなくこうじゃないか」と各自判断するよりは、使っている製品ごとに書かれている使用方法を守るのが安全だと思う。

最後に、処女場合性具等で拡張しないと月経カップは入らないのではないか、という懸念については、逆に経産婦の方やパートナーペニスは入る方でも月経カップ最初痛くて入らなかった、という意見もよく見る。月経カップ装着の仕方にクセがあるので、ディルド等の性具と比べて考えるより、やはり月経カップ特有の装着の仕方に慣れていくことでしか痛み等は解決しないように思う。

ただ、確かに今まで膣に何も挿入経験がないという方とそうでない方とでは心理的な抵抗感なども大きく変わってくるとは思うので、まずはタンポンなどで挿入しやすい角度や感覚などを練習してみるというのは有用だと思う。

追記

ツイッター上で、ここで言及しているレポート主の方に何点か指摘を頂いたようだったので補足。

先ず、「マイノリティとまで言って「月経カップを使う人」をコミュニティ属性にしている時点でうわあと思ってしまう」、という指摘に関して。

文章内で”マイノリティ”という言葉使用したことに関しては、単に”少数派”という意味使用したつもりだったが、意図しない含みを連想させる言葉であることも確かだと思ったので、そのまま”少数派”に訂正した。文章の至らなさがあり申し訳なかった。

そして確かに話を分かりやすく進めるために「月経カップを使う人」をひとまとめのように表現してしまっている部分はあるかと思うが、勿論、月経カップユーザー特定属性に押し込めたい意図はなく、私の主張はむしろその真逆のところである

月経カップユーザーが閉じたコミュニティになっていかない為にも件のレポートがバズったことには良い作用があった、という事を書いたはずだったのだが、この日記レポート主の方に向けて月経カップを「庇え」と言っているように受け取られてしまったようで残念だった。

また、「ナプキンネガキャンをしている月経カップユーザーだって居た」、という指摘については、もしその「ネガキャン」の内容がナプキン使用している人を不当に貶めたり、偏見のある発言をしていたということなら、私が問題視しているのはまさにそういう声や、この日記コメント欄にも発生している「布ナプキンの方が云々」のような発言のことだ。

元々この日記レポート主の発言に向けてではなく、あくまでその流れに便乗して乱暴発言をする人たちを危惧して書いたものだったが、結局レポート個人の気を悪くさせる結果になってしまたことについては申し訳ないし、ここで交換日記めいてしまうのも良くないので以後は更新しないことにする。

2020-09-06

anond:20200906181904

拡散初期の方が罪が重そうというのは同意もっとも、後期でも拡散はしているので無罪にはならないと思うけど

で、罪の大きさが変わるのは初期~後期というタイミング問題で、肯定的否定的関係無い

初期に否定的RTした人が居ればやはり同罪

初期は肯定的RTが多かったというのは、何か調査はしたのかな? RTした人のリストからアカウントツイート一覧に飛んで、どういう言及だったか1つ1つ確認したとか?

そうでなければ、初期に肯定的RTが多かったと言える根拠が分からいね

バカでもわかったつもりになる程度に知的情報」がバズるという話

半年くらい趣味の話をするTwitterアカウント運営して、FF比2.5くらいの状態フォロワー数を4桁いくらまで伸ばして気づいた事である

アルファツイッタラーのような方々には遠く及ばない車輪の再発明的な気づきだし、こんな煽り文句めいたタイトルには不釣り合いな内容かもしれないが、何かの役に立てばよいと思って記してみる。

第一に、散々いろいろなうさんくさいネットメディアで紹介されているとおり、バズる情報発信(私はTwitterで発信を行っているので以下はツイートと書く)には強い共感必要である

趣味の話の場合、それは「こんな面白い・興味深い情報があったなんてすごい!フォロワーにも知ってもらいたい」という感情から来ることが多い。

絵のツイートなら、例えばコスメやコーデのブランド方法論などをキャラと一緒に詳説したり、美術解剖学見地から正しい人体の描き方を紹介しているような奴だ。

こういうツイート情報量は大体、「バカでも分かった気になる程度に知的」なレベルであることが多い。以下、どういうことかを説明する。

まず、専門的すぎる・マニアックすぎる知識は、そもそも面白い・興味深い」と思ってもらえないことが多い。

ポルシェ911の70年式の内装が、他の年代ポルシェいかに違うかについてアツく語られても、大体は「わたしにはすごさが分からないが、なんだかすごそうだ」という所で止まる。

前提となる知識がないからだ。もちろん分かる人にはRTしてもらえるし、分からない人でも拡散してくれないことはないが、あまり伸びはよくない。

かといってあまりに当たり前・調べればすぐ出てくる知識は、当然ながら言われなくてもみんな知っているので、やはり拡散されない。

あるあるネタみたいなものや、意外と抜け落ちがちな基礎知識なら話は別かもしれないが、あるあるネタを延々ツイートして滑っている人を見るとわりと見ていていたたまれなくなる。

よって「面白い・興味深い」と思ってもらえるようなレベル知的情報というのは、多少ググった程度では出てこないが、多くの人に理解できないほど専門的でもないものが望ましい。

その情報自体は知らなかった・身についていなかったが、それを理解するための前提知識はある。なるべく多くの人にそう思ってもらえるような内容が、(個人的には)いちばん手軽にバズる

このような要件を満たすのが、「バカでもわかったつもりになる程度に知的情報」ということである。多くの人がアクセスできないものの、理解した気になるのはさして難しくない。そういう情報を探してきてポストすると、大体はいい感じに伸びる。

ひとつ重要なのは、「分かったつもりになればいいので、実際に理解させる必要はない」ということである。分かったつもりになるのは、共感するのと同じくらい嗜癖になる快感でもある。

「人体の正しい描き方!」みたいなツイートに「ふむふむ参考になるなあ〜」みたいな引用RTをしてる奴が、実際にその描き方を参考に練習したり創作している例はほとんどない。

めちゃくちゃマニアック知識しか持ってない…みたいな人は、それをバカにでも分かったつもりになるよう平易に発信するといいかもしれない。見栄えするよう絵と解説に描き起こしてツイートすれば、大体「なんか理解できそうだぞ」みたいな印象になると思う。

anond:20200906180332

違うよね、先に拡散した方が悪いし

anond:20200906170406

何か勘違いしてるっぽいけど元々拡散したのは変態オタクだろ

実際俺が見た時には数万いいねついてたし、否定的ニュアンス言及され始めたのは拡散しきってからなんだよ

そうした肯定的意味RTしたような人々に対する批判ツイート主に対するものと同じようにされてたと思うが(「性癖チキンレース」等)

ラブドール漫画RTした人達の罪

https://anond.hatelabo.jp/20200903135029

この増田追記部分にとても重要論点が書かれていて、なのに(追記から?)あまりまれていない気がするので、再提起したい

自分元増田では無いのでどうかとも思うのだけど、どうしても重要論点だと思うので

 

あの日日本ツイッターで「ラブドール」と「小児性愛」をトレンド入りさせたのはあの作者ではない。ゾーニングを求めるならばなぜ拡散に加担したのかと疑問でしかない。

話は簡単だ。件のラブドール漫画は「ゾーニングしていない」「未成年の目に入るような所に公開した」「センシティブ設定していなかった」「見たくない人のTLに流した」事を理由に叩かれた

ではその漫画RTした人も同罪なのではないか?という事だ

同罪では無くても、半分くらいの罪にはなりそうだ、とは私も思う

実際、名誉棄損に該当する様なツイートRTした場合に、RTする行為名誉棄損とする判決も出ている様だ

だとすると、実はラブドール漫画の作者を叩いていた人達も、作者と同罪か、それに準ずる罪を負っているのではないか

また、はてブブックマークするのも拡散行為には該当するので、RT程ではないにせよ、罪は負うのでは?

この論点はとても重要だと思う

恐らくこれからも、似たような事件は起こる。その時にRTする行為倫理的な是非を確認する為にも、これは議論して共通見解を固めておくべきではないだろうか?

次に似た事件が起こった時、これを読んでいるあなたRTするかしないか加害者になるかならないか

から考えておいた方が良い

2020-09-05

anond:20200905184736

まいっちんぐマチ子先生以降明らかにスカートめくりは激増したぞ

そもそもあの漫画がなければスカートめくつても何も楽しいと思わんかったと思うわ

それがあの漫画読んだら魅力的に思えたんやな

不思議なもんやが影響力がないっちゅーのは嘘やと思うわ

ちゅーか漫画には悪影響というか、良かれ悪しかれ拡散する能力があると思うわ

ワイもタッチ無かったら野球漫画読んでなかったやろし

これあれじゃん

人知れず戦ってコロナ拡散に暗躍する悪の組織を壊滅させてるやつじゃん

2020-09-04

anond:20200903135029

何一つ問題がなかった。

問題があったとすれば、コンテンツとして良すぎたため拡散されすぎてバカに見つかってしまたこと。

anond:20200903135029

ゾーニングを求める運動として拡散するのは、そこはまあ仕方ないんじゃないか

その後ゾーニングが進めばトータルで有益、という考え方はある。

anond:20200904064406

ツイッタータイムラインリツイートだの、いいねだのが勝手流れる仕組みだからね。

見たくないなら、見に行くなが通用しないし。

それにあの漫画拡散する意図を持って描いてる描き方。こっそりと独り言話してたら、わざわざ引っ張りだされた訳じゃない。

anond:20200904060338

不特定多数がみれるので、公共と言えるかな。公共性が高いと言えると思うよ。

特にGoogle検索に表示されたりSNS拡散されると、多くの人の目に届く。

2020-09-03

anond:20200903191834

R18的な内容をSNSで発信してはいけない

最低でも鍵垢にして、拡散されないようにするべき

anond:20200903171918

世論調査で石破と答えた人間など実際にはおらず、マスコミ捏造しているんだ、とな

安倍自分としては、こういうトンデモはむしろ拡散していきたい

ネトウヨのヤバさをアピールしていきたい

ラブドール漫画ってそんな問題あっただろうか

冒頭に「未成年は閲覧禁止」という一文が入ってるのでゾーニングへの配慮はされていたと思う。

問題となった「実在幼児に手を出す前に」という文言だが、ここの認識がまずズレているのではないだろうか。

とりあえず理解を深めるために、ツイッターではない場所幼児ラブドール愛好者のコミュニティをいくつか覗いてみた。

まず、そのようなコミュニティでは人形性愛者と小児性愛者のふたつのタイプがいて、人形性愛者はリアル代替にしている者をあまり好んではいなそうだったが、同じものを愛好している情報交換の場のなかで多少の軋轢はありながらも共存していた。

そして、小児性愛者はラブドールがあることで自分たち欲望抑制することが出来て救われたと考えている人たちが多かった。

実際の子供への性犯罪が起きたニュースに対しても、この犯人ラブドールの○○ちゃん出会っていれば犯罪者にはならなかった可能性が高いと語られていて、性犯罪再犯心配し、出所するときにはこのようなものがあるという情報を教えた方が社会の為にも子供の為にも本人のためにもなるという会話がなされていた。

治療」という言葉が出てくるコミュニティもあり、そこでは治療は役に立たなかったことやホルモン投与で性欲減退させるだけであるなどが語られていた。治療無駄だったが自分社会から逸脱させないでいさせてくれたラブドール出会えて良かったと。

そのような前提のなかでひとりの小児性愛者が「実在幼児に手を出す前に」とラブドールを推奨するのは、同じ性嗜好の者に対して100パーセント善意プレゼンなのではないかと思う。

犯罪の一歩手前でギリギリ立ってる人がラブドールによって実在児童への加害を抑制することが出来ている。だからラブドールを買おう」と同じく犯罪に一歩手前でギリギリ立ってる人に呼びかけることは、十分に責任ある行動であったのではないかと思う。

追記 9/4 9:10

冒頭の「未成年は閲覧禁止」は「禁止」でなく「注意」であるブコメで指摘があったので訂正する。

ゾーニングがなされていなかったというのは同意するのと、ツイッター規約違反であるというのも同意する。

そのうえであの漫画のものは<合法販売されている物によって自分体感した欲望の救済方法を、同好の者にプレゼンした>漫画しかないと思っている。それを外部の者の目にも触れさせたのは迂闊であったというだけだ。

私が怖いと思ったのは、問題がある思った人がRT拡散に加担していたことの方である

誹謗中傷名誉棄損の件からもわかるが拡散は加担である

規約違反である認識したらそのままツイッター社に通報すれば良い、それだけの話しじゃないんだろうか。

あの日日本ツイッターで「ラブドール」と「小児性愛」をトレンド入りさせたのはあの作者ではない。ゾーニングを求めるならばなぜ拡散に加担したのかと疑問でしかない。

当事者に「異性愛である」と言わせたことも暴力であると思う。それが本当でも嘘でもだ。

一人の人間に受け止めきれないほどの誹謗中傷批判を浴びさせて、SNS創作の界隈で本人が培ってきたであろう人間関係を全て捨てさせるほど追いつめたのはただの暴力であり私刑だ。

「正しい」は私刑免罪符にはならないのと、正当な批判であると考えたとしても既に同じ趣旨発言をしている人が何人かいるのならば、控えることも自制心のひとつだ。数は暴力だ。

私達はSNSが人を殺せることを学んでいるし、攻撃はいだって「正しい」と思っている側が行っていることも学んでいる。

それなのに迂闊であっただけの人を殴り続けることを正しいと思っている人が大勢いた。そのことの方がよっぽど怖い。

Twitter公共の場では無いbyフェミニスト

フェミが宇崎ちゃんをはじめとするオタク向けイラストを何度か猛批判炎上させてきたが、

主張を雑にまとめると(過度に性的)(環境セクハラ)(差別助長)などの理由により

公共の場子供向けの場にあるべきではない」

となるが、ここでの炎上現場Twitterとなる。

そしてフェミ問題イラスト自体RT批判引用RTいいね、これらのRTなどの方法拡散していたが、Twitterの場が公共の場である仮定するとフェミ公共の場公共の場にふさわしくないイラスト拡散した人物となり自己矛盾が生じる。当然だが問題のあるイラスト拡散しなくても批判できるのでRT無罪は通じない。

まりフェミtwitter自体公共の場とみなしておらず、フェミの考えることは政治的に正しいので学級会女の考えるtwitter公共の場理論は誤りである

2020-09-02

友達のお通夜の話

数年前に友達が亡くなった。幼馴染でまだ30代になったばかりだった。

友達のお母さんの希望で、お通夜お葬式には出来るだけ同級生もたくさん来て欲しいとのことだったので、幼馴染以外の同級生となんて全く連絡を取ってなかったけれど思いつく限りの人には連絡をし、情報拡散をお願いした。どれだけの人が来るか心配だったけど、お通夜には思った以上の人数が集まってくれて同窓会のような雰囲気になっていた。

成人式ぶりに会う仲が良かったクラスメイトと話していると悲しいだけでなく自然自分たちの近況の話にもなった。うその話の流れで何度か「私たちも30過ぎだけど、まだまだこれからよね!」という声が聞こえた。周りはみんな、そうだと同意する空気だったと思う。私はその発言が本当に信じられなかった。お前、同級生のお通夜に来てるの忘れてるの?そうだよ、アイツは、まだまだこれからだったんだよ。

子供の時からの夢を叶えるために上京して、やっと夢が叶ったところで病気が発覚し、長く入院をして退院することなく、この世を去ってしまった。本当に「これから」の人だった。

もう数年前の話だけど、今だに定期的に思い出して、思い出したらしばらくは引きずって悲しくなってしまう。最初の頃は発言元のクラスメイトを、何てデリカシーのないやつだと怒っていたけれど、今では多分それだけじゃなくて、どうしてこんなに悲しいのかが明確に言葉にできてしまったのが余計に辛くなるんだけど思う。

例の炎上したショタコン絵師の人、炎上させなければ人の目に触れる機会はもっと少なかったんじゃなかろうか

自分不快に思う表現拡散させて、より多くの人を不快にさせてやろうとする動機イマイチ分からん

Twitter社に通報して垢凍結狙う方が効果的だったんじゃないかなぁ

早口相手を倒そうとする(多様な)人たちに疲れた

はてなブックマークトップページ毎日のように見ていると、いろいろな立場から当事者として意見を表明したり、そうでない人も加わって多様性に関する論争が行われているのをよく見かける。政治的立場人種性的指向ジェンダーアイデンティティ発達障害難病、等々。

多様な立場の人たちがいて、さまざまなニーズがあり、周囲の人々は配慮必要としている。そういうことがわかるのは、おそらく、いやきっといいことなのだ。多様な立場の人々がお互いを配慮しながら共存できるようになればなるほど、社会は強くなっていくはずだから

それは頭ではわかっているつもりでいる。でも最近は、ちょっと疲れてしまった。

多様な立場の人たちが、自分のことについて、相手のことについて、意見を表明する自由はある。

だがそれは、相手完膚なきまでに叩きのめそうという情念をもって、口汚く相手を罵っていいということをただちに意味しないはずだ。

職業的ライターでもやっていない限り、インターネット上に人が書き綴るもの編集を経ていない。情念に任せて書き綴った攻撃的な文章直ちに放出され、拡散され、読んだ人を直撃する。

はてなブックマークトップページには多様な意見が出てきていると思う(左翼的偏向があるという指摘はさておき)。それはおそらく価値のあることなのだと思う。

問題は、編集を経ていない攻撃的なテキストを、こちらの意思では思うように避けられないことだ。

いかにも早口で喋っていそうな、情念に駆られた人の語り口そのもので、論争相手を口汚く罵るテキストが目に入ってしまい、なんというか、疲れる。

暴力的テキストを見かけて、そっ閉じする前に、一定フィルタリングができるようになりたい。

はてなブックマーク自体を見ない方がよいのだろうか。

少年ラブドールのすゝめ、最大の汚点

Twitterにてトレンドを風靡した「少年ラブドールのすゝめ」的某漫画

度重なる賛否両論罵詈雑言及び誹謗中傷があり、とあるnote記事も瞬く間に拡散されていくのは、いかにもTwitter現象と言って良いだろう。


ぶっちゃけ、なかなかに主観的倫理を試されるお話であり、明確にあの漫画が法的に引っかかっている事はなにもない。

(いや、Twitter利用規約には引っかかっているかもしれない。これは俺はよく調べていないので、各自で良きTwitterライフを得る為にも確認しておくべきだろう。)


あの漫画の最大の汚点は、公開アカウントで公開した作中のこの文言だろう。

実在児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」


さて、この記事で問いたいのは以下だ。

少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」


彼らからの返答はだいたいこうだろう。

「実際に児童に手を出していないんだから、なにも問題ない。」



さて、以下からは俺の理論である

上記発言意図を知りたい方は「石の上にも三年」、乱筆をご容赦いただきたい。


まあまあ先進的な国においては、きちんとした両者の承諾があれば相手が異性であっても同性であってもセックスに及ぶ事は全く問題はない。

では言葉を置き換えてみよう。

「実際の成人女性に手を出す前に、ぜひラブドールを」

「実際の成人男性に手を出す前に、ぜひラブドールを」

※尚、本記事において「手を出す」は「両者同意の上でセックスに及ぶ」と定義する。


別にこれは何ら問題はない文章に見える。

なぜなら、女性に手を出すことも、男性に手を出すことも法律的には無問題からである


では、相手児童にしてみよう。

ちなみに、児童とは日本において「小学生」を意味する。

国語辞典をひかなくとも、一般的には黄色帽子ランドセルを背負った子供たちをイメージするだろう。

まあまあ先進的な国においては、たとえその「児童」本人の合意があったとしても、セックスに及ぶ事は禁止されており、犯罪行為とされている。

上記認識した上で、もう一度先の文章を読んでいただきたい。

「実際の児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」


この文章に含まれている要素は以下だ。


発言者=犯罪者ではない一般人

・「実際の児童に手を出す」=犯罪行為

・「ぜひラブドールを」=犯罪行為ではない

欧米各国では未成年ポルノ規制が激しく少年少女を象ったラブドール販売・購入が規制されているが、日本はその限りではないので犯罪行為としない。



では似たような要素で他の文章作成してみよう。

下記の文章は、「人生においてなんら犯罪行為を犯していなかった人達」が発言したと思ってほしい。

「実際に人を撃ち殺す前に、ぜひFPSを」

「実際に動物虐待する前に、ぜひ犬猫ぬいぐるみで」

「実際に銃を購入する前に、ぜひエアガンを」


FPSプレイして楽しむのも、犬猫ぬいぐるみを切り刻むのも、合法エアガンを手にするのもするのも、なにも違法行為ではない。

問題なのは「まるで犯罪行為入り口・捌け口としてそれらの合法行為勧誘していること」なのだ


先に言ったようにこれは犯罪を一度も犯したことがない一般人言葉だとするなら、彼らは

・銃で人を撃ち殺したこともない

動物虐待したこともない

・本物の銃を購入したり所持したりしたこともない


そしてあのアカウント

児童に手を出したこともない


そういう人間なのである



さて、本題に戻ろう。

少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」


「本当に銃で撃ち殺すわけないだろう」

「本当に動物虐待をするわけないだろう」

「本当に銃を持つわけないだろう」


「本当に児童に手を出すわけがないだろう」


その言葉は内輪以外には通じない。

その言葉を見た所謂マジョリティに属する人々はこう思うのだ。

「彼らは犯罪行為入り口・捌け口としてそれらを嗜むのか」


まるで犯罪行為入り口・捌け口のように少年ラブドール体験談を語った表現者は、果たして擁護されるべきか?


一般人の目に触れるほど拡散されるとは思っていなかった」

それは結果論に過ぎず、非公開アカウントで防げた筈である


Twitterレギュレーションがあり、児童は見ていないのだから無問題である

これは児童への問題だけではなく、児童を持つ保護者達、そして児童を守らなければならない我々成人を迎えた人間にも問題となりうるのである


かのアカウントは非常に直接的に言葉児童の恐怖をあおり子供を守る立場にある成人に不安を生み出したのだ。


ただ単に「児童とのセックスフィクション漫画を書いた」のではない。

ただ単に「少年ラブドール体験談漫画を書いた」のではない。

実に直接的に、かのアカウント

「まるで少年ラブドール犯罪行為入り口・捌け口のようにして体験談漫画を書いた」

である


たった一文、されど一文が、あの体験談の意義をあらゆる方面へ確かに変えてしまった。



腐ったお姉さま方がたまに使う言葉をここにあげよう。

ホモ、を侮蔑言葉として使ったわけではないし、当事者達に言っているわけでもない。(だからこれからも使い続けるつもりである)」


だが、男性同性愛当事者は往々にしてホモ侮蔑として受け取るし、傷つく人まだまだ存在するのだ。

なぜその言葉を使い続ける?

この世界には他にも男性同性愛者を指し示す言葉があるのに、当事者でも嫌がる人が存在するのに、なぜその言葉をあえて使い続ける?


あの体験談を描いたアカウントにも同じ問いを投げよう。

「なぜあらゆる人を傷つけかねないその一文をあえて使った?他に誘う言葉ごまんとああるのに」


繊細なジャンルを扱ういかなる表現者も、実在する当事者・該当者たちに相応の敬意を払わなければならない。

我々表現者はその義務を決して放棄してはならず、傷つける言葉をあえて使用するのなら、相応の意味を持って発さなければならないのだ(例えば差別の現状を知らしめたり、時代考証等でリアリティを彫り込んだりする為に)。

とても厳しい言葉ではあるが、こんな些細な事にさえ想像力を働かせられない表現者に、マイナー性的嗜好を扱う資格はないと、同じヲタクとして俺は考えている。


最後にもう一度。

少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、"あの言葉を発した人間を"本当に擁護する気なのか。」

Twitterゾーニングすべきは閲覧者か発言者か?

アングラ思考は内心であるうちは自由であると思っている人が大半だろう。

問題になっている小児性愛者も、表に出ないなら問題ないと判断している人が多数派だと思う(一部過激派もいるが)。

じゃあTwitterで表明するのは自由であるべきか?

Twitter自分タイムラインの趣向をコントロールできる。気になる人をフォロー、見たくない人はブロックミュートすればほぼ嫌なツイートは目に入ってこない。タイムライン自衛可能だ。

しかし、鍵アカウントでない限り、ツイートすれば全世界に発信される。検索したり、RT拡散されれば、見たくない人にも届いてしまう。

「嫌ならブロックしろ」「全世界に発信するな」はどちらも正しいのではないかと思う。

個人的には、

あたりで落としどころになってほしい。

あと、他人いいねを表示するのはせめて選択できるようにお願いします……。事故率が高くなる。

追記 他人いいねタイムラインにあるキラキラマークで切り替えできると指摘を貰いました。トラバ感謝

ここから脱線

Twitterセンシティブ設定はもっと使いやす改善されないかな。ゾーニングのしやすさはプラットフォーム側の仕様にもあると思う。

anond:20200902133024

公の場で物申してるんだったらセクハラになる可能性は否定できませんね

しか拡散されてるんだったら尚更批判対象になってもおかしくないでしょうね

2020-09-01

anond:20200901222657

言いたいことはわかるが、当然リツイートした人全員が批判派なわけではないんだから拡散責任批判派のみに押し付けるのはいかがなものか…

ショタコンの長文お気持ち

燃やせ!!!!!!(挨拶)

最近は色々なところで色々なもの燃えているがとうとう自村も燃やされた。

・これまでのあらすじ

発端はとある絵師男児ラブドールを購入し、そのレポ漫画pixivにアップしたことらしい。

私はその漫画を読んでいないし、リアルタイム事態を追っていたわけではないので、漫画の内容や作者本人の発言等についての言及はしないが、ようはリアルショタコン実態が描かれた漫画が非ショタコンの目に触れてヤバイキモい性犯罪者やんけ!!!批判されてしまったというのが大筋のようだ。

まず本題に入る前に、ペドフィリアという性癖ペドフィリア以外の人にとっては気持ち悪く、危険もののように感じられるということについて、私は反論するつもりはない。

小児性愛倫理的に大きな問題を抱えた性的嗜好(指向)であり、性的マイノリティのLGBTQと比べても、受け入れられ難い。

また、児童への性的行為は明確に犯罪であり、その被害者実在する以上、けして公にできない趣味である

当事者自分性癖に関して慎重に振る舞う責任があると思うし、理解のない人たちがペドフィリアに対して身構えてしまうのも仕方のないことだ。

そのうえで、今回の漫画の内容、公開手段には問題がなかったと主張したい。

ここでは、争点の一つとなったであろう「インターネット公共性」について考えてみようと思う。

「誰の目にも触れる可能性があるのだから、鍵をかけてやれ」

これ、本当か?

・「公共性」とは

公共性」、最近一部界隈でよく見かけるようになった言葉だ。インターネット激アツエクストリームスポーツであるところのツイフェミvsアンチフェミ闘争では毎秒この言葉使用され、醜い表現物を公共の場に持ってくる持ってこないの論争が日々行われている。

これまでツイフェミ陣が燃やしてきたものは、主に自治体献血等のコラボポスターだったりテレビCMだったりした。

フェミ陣営批判根拠は多岐に渡るが、その中の一つが「公共の場に相応しくない表現である」というものだ。

ポスター広告政府HP、そのどれもが(一応は)不特定多数に向けて無差別に公開されているものであり、しかるべき場所に行けばいやでも目に入ってくるため、それが苦手な人たちにとってハラスメントになりうるというのがだいたいの主旨である

この話題に深く突っ込むことはしないが、これらの炎上と今回の炎上が決定的に異なる点があるとするなら「公共性」、この点だと思う。


インターネット公共の場か?


過去インターネットとは便所の落書きであった。汚い言葉の廃棄場であり、そこには現実とは異なる独自ルール存在した。

インターネットにおいては、基本的に「嫌なら見ない」がマナーだった。そもそも歩いていれば目に入ってくるような看板広告などとは違い、インターネット上のコンテンツ基本的検索しなければ出てこない。

「全世界どこからでもアクセスできるから」「誰でも見られるから

から発信するな、やるにしてももっと隠れてやれ、そんな意見をたくさん見た。

でも、本当にこれが規制根拠になり得るのだろうか。誰でも見ることができる、ということは、誰の前にも無差別に出てくる可能性がある、ということではない。

インターネットの仕組みは見たい人が見れるというものであって、見たくない人に無理やり見せつけるようなものではない。

今回の漫画に関して言えば、これはpixivにアップされたようだ(もちろんR18タグや注意書きありで)。あとTwitterで告知もしたかもしれない。

この時点で、件の漫画が目に入るのは「pixivで作者をフォローしている人」「似たような絵をいいねしていてオススメ欄に表示された人」「Twitterフォロワー」そして「RTでそれを目にした人」たったそれだけだ。作者には3万人フォロワーがいたらしいが、絵師フォロワーは大多数が作品ファンであると考えられるので、数の多さは重要ではない。

この中のうち、一つの集団を除いては、誰もあの漫画問題とは思わないだろう。好きで見ているのだから

この点から問題本質インターネット上で公開したことではない、ということがわかってくる。好きで見るなら問題はない。

しかし、「RT漫画を目にした人」。

彼らはどうだろう。もちろんショタラブドールレポ漫画を堂々とRTするような人をフォローしている人は、似たような変態だろうと考えるのが自然ではある。

でも万が一、そうでない人がいたら。見たくもない特殊性癖のディープ漫画を見つけてしまい、さぞ不愉快気持ちになってしまうことだろう。

まり問題の核心は「公開をある程度限定しているにもかかわらず、見たくない人の前にその情報が流れた」というところにある。


RT危険

なぜショタコンでもない人にショタラブドールレポ漫画シェアされてしまったのか?

これはTwitter仕様であるリツイート機能が原因だと思う。

自分フォロワーに向けて特定ツイートウェブ情報を公開できる機能は、手軽に情報を共有できるという利点はあるが、相手に見たくないものを見せてしま危険性を常にはらんでいる。

リツイートはたんに便利なだけの緑色ボタンではない。ある意味では、二次的な情報発信手段なのだ。だからリツイートする人は、その情報フォロワーにどんな影響を及ぼすかを配慮する必要があると私は思う。

RT先で誰かが嫌な思いをした場合、そのツイート主本人よりも、むしろリツイートした人間にこそ責任が問われるべきなのではないだろうか。

そう、まさにこのリツイートという行為こそ、炎上を引き起こす諸悪の根源に他ならない。

想像してほしい。

インターネット教室の隅で、オタクキモい絵を描いている。それ自体めちゃくちゃキモいし、周囲から白い目で見られてしまうのはもう仕方がないことだが、その中に猛然と突っ込んできて絵を引っ掴んで

「おい!!!!!!オタクがこんなキモい絵描いてる!!!!!!!」

と触れ回る奴がいたら、どうだろう。

オタク自分たちのキモい絵をパンピに見られたくはないし、みんなもそんなもの見たくない。なのに、わざわざそれをオタク一般人拡散するやつ……

なんでそんなことするんですか。

放っといてくれればいいじゃないですか。


不快ものを見たとき、「ウワ!マジでキモい!!」と言いたくなる気持ちはわかる。だが幸にして、インターネット情報選択することができる。見たくないものミュートできるし、気に入らないユーザーブロックできる。

もしオタクキモい絵をみて反射的にRTしてしまったら、フォロワー全体にそのキモい絵が拡散されてしまう。キモい絵をみた人たちは嫌な気分になり、その中からさらに絵を拡散する人が出てくる。

だが、最初キモい絵を見たとき、「これキモいんだけど〜!」と言いたい気持ちをグッと抑えてRTの代わりにブロックボタンを押すことができたら。キモい絵はオタクたちの間でひっそり閲覧されるし、フォロワーはそんな絵のことなど知らずに可愛いねこ画像かにいいねをする。

これこそ、正しいTwitterではないか

繰り返しになるが、情報は取捨選択できる。

それは被害者の方であれ、まだ幼い子ども(といってもインターネットは使える程度の)であれ。嫌だなと思うものは見なくていいし、公開する側もそういう選択ができるように、キャプションやbioで注意書きをしている。

見たくないし、見られたくない。ペドフィリア一般人の間の距離感はそんなふうに保たれてきたし、これからもそうあるべきだと思う。


結論燃えるべき問題など最初からどこにもない。ショタコン漫画ショタコンしか見ない。内容が多少、かなり、めちゃくちゃ過激だったとしても、見ない人には「関係ない」。

それなのに、

見たくもないものを眼前に突きつけ、不愉快な思いをさせ、

性犯罪被害者や、子持ちの親御さんや、多感な時期の子供を不安にさせる、

そんな人たちこそ、1番の加害者なのではありませんか。


今、現在性犯罪被害者子供たちを直接傷つけているのは、気持ち悪いペドフィリアたちではなく、あなたかもしれないのです。


・おわりに

お気持ち文書くの疲れた

これを書く前、あるツイートをみた。 

自分ショタコンだったが、子供が生まれて考えが変わった。ペドはいるだけで不安から規制してほしい」

なんだよそれ。子供まれたら気が変わったからもうショタコンは消えてくれって?

ふざけやがってクソが。テメーみたいなのが一番迷惑なんだよ。そんな程度の気持ちショタコンやってんじゃねー

以上です。

anond:20200901205344

それはゾーニングしてる場所から公共拡散した特定アカウント等を非難すればいいだけでは?簡単ですよね。それもゾーニングを維持するための必要プロセスだと思いますけど。自分が目にした議論は、どれもゾーニング全くされてない話だったからピンときていないのもありますが。

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