はてなキーワード: 引き起こしとは
国会議員がほとんど男ばかりなのに疑問を持たないのだろうか。
このアンバランスをなくすためにせめて同数にしましょうっていうのがそんなに理解できないのか。
こんなのばっかりだから男女差別がなくならないし、日本はずっと男社会なんだろうな。— Rikimaru (@Rikimar16753900) 2019年11月15日
そもそもこれを実現するならば、普通に入党あるいは政党結成→立候補→当選をすれば良いだけの話だよ。
元ツイートの在日ウクライナ人のかたの方が余程その点を理解されておられる。
現状が男社会であるのは良くも悪くも有権者にその様な候補が望まれているからに過ぎない。
しかしこの手のフェミ的思考の人はジャンプの時と言い、権利を主張し、特権的に枠組みを要求する人しかいない様に思うね。
だからこそ逆に嫌われるんだよ。
政治家なんて特に論理的な人間が一般的に求められる職業なので、この時点で有権者にはないわと思われるのも必然。
しかしいつもながらこう言うのを見ていて思うけど、フェミ及び一部の団体は自民と組んでいた時に法律に絡んで、好き勝手に感情論で時にはメッセージと称して、自分らの思惑に沿う様な規制をしていた頃が忘れられないのかも知れないね。
恐らくその後状況を見ていて、票にならないからパージされて、野党側に行ったのだろうと推測するけど、フェミさん達はその時の経験があるから、今でも増長して高圧的なんだろうと思う。
ただそのフェミと組んだリベラルや野党側は逆にこの点でもイメージが悪化したのも一因として、更に中間層から嫌われて、投票率低下を引き起こして、勝てなくなり、落ちぶれていっているけどね。
実際今回の参院選でも立憲や国民のフェミ候補が落選しているしな。
特にメインターゲットと本来していた女性票に嫌われたのは致命的だよ。
個人的には男女関係なく、能力のある人間がなりゃいいと思うよ。
ただ言っちゃ悪いけど、日本に限らず、政治家になりたがる女性はそれこそ出しゃばりな人物が多かったから、それで世間的なイメージが悪化しているのも事実だと思うよ。
それと女性の権利関係や男女平等などの政策において、余りにも度の行き過ぎた要求や主張の結果、余計に世間から嫌われたのも事実。
いや冗談抜きでさ、この国の衰退と今の停滞や、生きづらい世の中になった原因の8割くらいは、ロスジェネ世代のせいだろ。
就職氷河期世代の救済を、雇用保険の積立からやるなんてことで氷河期世代が大バッシングを受けて、我々に人権はないのかとかいってるが、そんなの言われて当たり前だろって
俺ら社会人はヒーヒー言いながら、バカみたいに高い年金や雇用保険払って、30万くらい稼いでも手元に残るの20万円台前半なんだよ、なんで俺らがそんな苦労してんのに、今まで楽してきて人生詰んだオッサンやババア共養うために、さらなる年貢を取られないといけないわけ?
大体、就職率が悪かったというが、有効求人倍率はバブル崩壊~1998年くらいまでは、人手不足でかなり就職しやすいくらいに上がってる今と統計上どっこいどっこいだぞ
有効求人倍率が1を割ったのは西暦2000年の一回だけ、今とほぼ同じ有効求人倍率でマトモなところに就職できませんでしたなんて、そんなもん自己責任以外の何だってんだよ、甘えてんじゃねえぞ?コラ
今や20代なら、年収300万円台中盤でかなり頑張って稼げてるクラスにまで全体の賃下げが起きた起点ももとをただせば氷河期世代のクズ共が「本来なら市場から淘汰されるべき中小零細」に群がって薄給でゾンビのように延命させ続けたからだろうが、派遣だって当時の政府のせいにしてるが、全く同じ理由で、単純労働しかできんクソ共が安請負で平均時給ガンガン下げまくったせいなのは、当時の経済学者たちの著書の中でさえ、大半は触れられてる事実だ。
お前ら氷河期世代のクズ共がいなければ、中央値でさえ480万円くらいのまま労働者の平均年収が微増してんだよ、つまり経済的停滞は少なくとも今並よりかは起きうるはずがない。もっと言えば、ここのITあたりで20代で500万や1000万くらい稼いでるや男女問わない増田でさえ、結婚と出産や子育てには躊躇するほどに雇用環境が不安定に悪化してっからな、お前ら氷河期野郎どものせいで
お前ら氷河期世代の害虫共が、勝手に薄給ブラックに甘んじて、奨学金踏み倒しまくったせいで、今や女子大生でさえ風俗で学費を稼ぐほどなんてニュースで問題になるくらい大学の学費が国公立でさえ上がってんだよ、〇ねよマジで、お前ら罪悪感とかないわけ?
若者の〇〇離れじゃねーんだよ、そんな余裕も時間もなけりゃ、今や中学生や高校生が手つないで下校しただけで、女子高生がバイトでお金貯めて中古車買ったのをSNSにアップしただけで、嫉妬に狂った氷河期世代のフェミ婆やオッサンが「けしからん!!!!」とかクレーム入れて何を狂ったか警察に110番16連射とかやってるなんて問題になってるだろ。そんな中で若者が委縮して恋愛なんかできるわけねーだろうが、てかそんな正義マンや正義ウーマンという名の公務執行妨害行為の対応に当たる警察官のみなさまの迷惑とか考えたことねえのか?考えたことないから氷河期で落ちぶれて、無能ゆえに誰からも相手にされずに、そんな暇なことやってんだろうけどなw
そもそも今一番比較的稼げるIT業界ですら、致命的な賃下げを引き起こしたのも、業界がブラック化するほど供給過多を続けたのも、お前ら氷河期世代のせいだろうが
VBブーム以前の頃は、マジで平均年収800万くらいの世界だったっていうべ?予算は何でもつけてくれてどんなエッジのきいた技術だって使わせてくれる、そんだけ金回りがよかった業界を、今見たいなブラックに変えたのはほかでもない、氷河期世代のせいだろうが、デスマだのブラックだのと勝手にやめればいいのを自殺に利用するがごとくやってさ、IT業界に風評被害まで巻き起こしてよ、迷惑なんだよ、死にたきゃ一人で死んでろよ、お前ら氷河期世代の害虫どもがいなければ、少なくとも年収はアメリカ世界標準だったわけだべ?
散々そんで社会福祉を甘えだ削れと20年間も言い続けて、いざ自分らが福祉のお世話になるしか生きる方法がないとわかった途端に「我々は国に捨てられたのだから貰う権利がある」とかふんぞり返ってナマポ開き直りとかさ、ホント呆れて物も言えんわ
人権認めてほしけりゃ日本国憲法の義務を果たせよバカ共が、年貢もロクに納められない時点でお前らに人権認めてやる余裕なんか今の日本にねーんだよ
で、挙句の果てにここ1年で何件もこの世代がテロを起こしてるけどさ、狙うのは幼稚園とか小学校とか、何の関係もないアニメスタジオとかでさ、情けないことこの上ないのをネットじゃあ「ソフトターゲットを狙うのはテロの常道」とか開き直ってんだぜ、こいつら氷河期世代って
国が言わんなら俺が代わりに言ってやるわ、
10年近く菜食主義者だった、オーストラリア・ビクトリア州在住のタミ・ジョナスさん(49)。ハンバーガーを一個食べてしまったことが原因で、肉の味に心を奪われてしまい、肉食から抜け出せなくなったといいます。
動物たちが牧場でどのような扱いを受けているのかを知って、大きくショックを受けたジョナスさん。その後10年近くもベジタリアンとしての生活を続けていました。しかし30代で3人目となる子どもを妊娠した際に、深刻な貧血を引き起こしてしまいます。それで仕事終わりに久々に肉の入ったハンバーガーを食べた彼女。その一口で肉の味に病みつきになってしまいました。「すごくいい気分になって、身体が必要としていたものを摂取して健康になっていくのを感じた」と当時を思い起こしています。
この出来事をきっかけにジョナスさんは肉食を解禁、それどころか牧場経営や精肉店も始めたのでした。消費者が倫理的な選択を出来るよう、家畜の飼育状態にはとても気を遣っているというジョナスさん。化学薬品などは一切使用せず、動物たちが自然体で過ごせるような環境を整えていると言います。「目から鱗が落ちるようでした。私たちは農家になる運命だったんだと気付かされたんです。食肉のためであっても殺すことは悪いことだ、と考えてしまう人もいるんです。けれども私は良い一生を過ごした動物を消費することは、非倫理的なことだとは思わないです」
#無かった、というかやたらと延焼していなかったというか、、
最近の性差における問題が建設的でない盛り上がり方をしていて、
理性的とは言えない人間の声のほうが大きく、悪循環に陥っているように思える
問題に対して過去から真摯に取り組んできた人に対して不義理となってしまうのではないか
こういった問題に限らず騒動は論点のズレや複雑化から時間経過により落ち着いて、
冷静な議論と検証により改善に一歩近づいていくと希望しているが、
今回の件については良くない延焼に繋がっている事例が多く見られる様にも思う
非建設的、未検証で感情的なぶつかり合いは見るに堪えないと思っていたが、
思い出してみるとこれは旭日旗の問題とも類似性があるのではないかと考えた
とある時点までは特に言及されず、その事柄に関わらる人たちもメリットを受け止めており、
デメリットを受けていた人はそれをうまく回避していたのではないだろうか
#勿論被害者側の泣き寝入りによって逃げられない悪辣な環境に閉じ込められ今か今かと死を覚悟していたのでは
大問題ではあるが、ポスターの表現程度であれば目を逸らせば事足りるはずだ。
紙切れは性犯罪を実行しないし、包丁自体は殺人を実行しない。逮捕するのは紙でも包丁でも無く犯人である。
類似したフラストレーションを持つ周囲によって無秩序な延焼を引き起こし、改善から著しく遠ざかってしまう。
こうなると油田火災などで使われる爆風消火といった極端な方法しかないのかもしれないが、、
本来であれば発生しなかったはずの争いによって、
疲れる必要のない人が疲れたり、傷つく必要のない人が傷ついたり、
そういった状況が起きているとすれば、それはとても悲しい事だと思う
道徳とかで取り扱う平和とかの定義を見直したほうがいいんじゃないかと思う
みんなただしい考えを持ちましょう。悪いことはすべて無くしましょう。
自分はアラサー、身長163 cm、体重49 kg、血圧は下50-上90程度の健康な人間だ。風邪はほとんど引かない。最近は半年に一回くらい脳貧血でブっ倒れるが、献血に行かない理由はそれではない。
20歳くらいの頃、学校に献血カーみたいなやつが来たことがきっかけで、ちょくちょく献血をするようになった。自分は実にくだらない人間だが、健康であったので、困っている人の役に立てるならと思った。あとジュースが飲みたかった。
でもある時から行くのをやめて、それ以降行っていない。ある出来事がこの事態を引き起こした。その顛末を以下に示す。
自分は友達がとても少なくて、そして一人で行動するのが好きだ。
ある日、血を取る看護師に、「一人で来たの?わざわざ?」「普通、友達と来たりするもんだけどねー」と半笑いで言われた。わざわざ一人でも来てくれてありがとう、というニュアンスではなかった。馬鹿にしたような感じ。
なぜそんなことを言われないといけないのだろうと思いながら、あまりにびっくりしてしまったので黙っていた。意味がわからなかった。何か悪いことをしたわけじゃないのにどうして。だんだん目に涙がたまっていくのがわかった。どうしてそんなことあんたが言うんだ。泣かないように目をつぶって別のことを考えて、帰りの駅のトイレで泣いた。そして、二度と献血なんて行くもんか、あんな思いはしたくない、もう知らねと誓った。
もう10年ほど前のことなのであるが、この出来事は自分の中に澱のようにとどまっていて、献血の看板を目にするたびに暗い気持ちになる。
あの看護師みたいなのはたぶん特殊で、そんな人ばかりではないのはわかっている。でももうきっとトラウマになってしまっているので、献血には二度と行けないだろうと思う。自分の体には、誰かを救うことができる健康な血液が満たされているのに。
社会学を信用できないという人が多いようだが、社会学を批判できるのもまた社会学の力なんじゃないかなぁ。高度経済成長期に起こった数々の公害問題も、引き起こしたのは科学であり、そして解決するのもやっぱり科学なんだ。
小宮友根大先生のようなヘタレと違って、ちゃんと真正面から「千田はエスノメソドロジーの知見を誤って理解している!」と論文で批判をした社会学者がちゃんといたことはお伝えしたく…。
下記より「メディア表現の批判と社会批判の実践」という論文をご参照ください。https://t.co/q97eku3I24 https://t.co/PaksAgnP8r— ハントス (@bee4yuu) October 23, 2019
「何か知らんけど毎年八朔から秋分にかけて異様に暴風雨になったりするけど何で?」とか疑問に思わなかったのだろうか?
朝廷とか幕府の役人が諸国からの訴状を調べてみたところ「薩摩で暮れ六つに暴風始まり、子ノ刻に尾張にて風雨甚だし河川溢る。江戸明け六つに暴風にて屋敷の瓦剥がれ落ち、明くる午ノ刻陸奥にて暴風あり」
とかの知見みたいなのを得て「これは移動性の低気圧である」という結論を出せなかったのだろうか?
そういう事では無い。只の「夏から秋にかけて発生する暴風雨」としか認識しておらず「日本近海の太平洋上で発生し、日本列島を南から北に移動し各地に被害を及ぼす熱帯性低気圧」という事は外国人に教えて貰うまで知らなかったという事をいっている。
「今朝に多摩川で洪水を引き起こした暴風雨は半日後には最上川を氾濫させる事になる」という一般的な知識は江戸時代の人々は持ってはいない。「台風を知らない」事とは、つまりそういう事。
私の推しはだいたい悪役だ。主人公たちから見ると敵側で、自分の野望のためによからぬことをしようとしているタイプのやつ。街を滅ぼそうとしたり、欲望のままに殺人や殺人教唆をしていたり、作中で屈指の極悪野郎として描かれていたり。
以前ネットで「悪役ばかり好きになるタイプのオタクは“この子は本当は過去に色々あって!この行動とかやばい野望もそこから出てきてるだけだから!本当は悪い子じゃないんです!”タイプと“悪役の悪い所を愛しているから実はいい子とか好きじゃない”タイプにわけられる」(雑まとめ)みたいな所感を見た。私はどちらのタイプも併せ持った厄介オタクである。というのも、私が好きになるキャラは“かわいそうな過去があり、それが原因でやばい事態を引き起こしているため同情できるが、それを補って余りあるクズ”みたいなやつが多いからだ。
かわいそうだけど、それにしてもその行動はどうなのよ。超自分勝手じゃん。言いたいことはわからなくもないけど、そのセリフはどうなのよ。いやでもそういう“悪”の部分が好きだ。だがしかし、悲しい過去を抱えながらも自らの信念のために突き進む点だとか、過去の経験から鬱屈してしまった人間が強大な力を持っていきいきしだして周りをはちゃめちゃにしていく点だとか、そういう“人間くさい”ところを好ましく思う。自分が本当に尊敬する人だとか、お世話になった人のことは信じようとする“善”の部分もいい。
こういう考え方のオタクになると、自分の解釈しか受け付けなくなる。この子は本当はいい子なんです!なファンと一緒にいると、いやいやわかるしその部分が好きなんだけどでもやっぱりこいつはクズですよ、と言いそうになるし、こいつは純粋に悪!なファンと一緒にいると、いやいやでもかわいそうな過去があって.......と言いたくなってしまう。どっちつかずなのだ。
挙句の果てに、こういうキャラは原作で罵倒されがちだから、原作を見るのが少しだけ億劫になってしまう。一番大好きな聖典であると同時に、推しをめちゃくちゃに貶す激ヤバ作品にもなりえるのだ。でもそういうふうに主人公たちから言われるのもわかるのだ。クズだから。でもそういうクズなところもかわいそうなところもひっくるめて好きだから、罵倒されてるのを聞くと少しうーんと思ってしまうのだ。モンペかよ。
ちなみに私の人生の最推しは原作で主人公のライバルキャラからくたばり損ないと呼ばれていた。泣いた。でも本人は全く気にしてなさそうでよかった。そういう謎に前向きなところも好きだよ。
私の思考はネトウヨ寄りだ。天皇陛下を敬っているし、安倍政権すら他に任せれる所無いから理論で肯定的に見ている部分が多い。
さすがにネトウヨ煽り系まとめサイトのコメントとかには嫌悪感があるが、基本日本大好きな右寄りである。
なのにこのネトウヨでない人にも響いているっぽい天候ネタに自分でも不思議なくらい拒否感がある。
なんでだろうって考えたら、私は自然現象が大好きだったんだなと気づいた。
自然現象の偶然を、人が引き起こした奇跡であるかのように語られるのにエセ科学を聞かされたような嫌悪感があったのだ。
私の仕事は自然を壊す仕事の一端を担うタイプのものだ。だからこそ自然のどうしようのなさや理不尽さも知っているつもりだ。
そんな私が自然が自然であることを否定する色を持つ言説に強烈な嫌悪感を持つほどにそれを敬っていたんだと気づけたのは僥倖だったように思う。
例えば、ものすごく良い人で会えば皆良く言うのに発言がアレな人なんてのは多い。
そして、とても明晰で仕事も確実で信頼性の高い取引先が、飲みに行くとアレな話をすることも多い。
そして、人はみなスティーブン・キング程には表現が上手ではないので、
「うわヤだな」と思ったことに後から理屈をつけて話す事が多い。少なくとも自分はそうだ。
最初に「宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスター」論点を明確にしよう。
DCコミックスのワンダーウーマンは、その物語がある程度北米で共有されているため、特に男性から消費される性の対象として描かれているとはみなされない。
しかし、イスラム圏のポスターにワンダーウーマンを描けば非難の対象になるだろう。
だから、「あのイラストがエロいかどうか」は、時と場合による。
つぎにB、宇崎ちゃんを好ましく見る人に届けば良い、そうでない対象外の人は見なければ良い、とする意見である。
公共のポスターであり、ゾーニングされているわけではないからだ。Bは対象外の人も見えてしまうとする方が自然だろう。
つぎにCだ。知り合いの医療従事者もこの立場だったが「血が足りないのだから手段を問うている場合ではない」。
外科医はその職責において傷害罪に問われないという点から考えても、一考の余地がある。
待ったなしの局面において、明確に違法でなければ何をしても良いと考える医療従事者は、割といる。
半裸の男性のカレンダーが、売上が慈善に繋がる場合かなり好意的に受け止められている。
つまり、公共性の高さ、公共の福祉というのは、他よりも優先度を上げるという考え方は、社会によっては有り得る。
つぎはDだ。表現の自由は、公共のポスターにも適用されうるか。
表現の不自由展は、「芸術作品の表現が、制限される」という点で問題視されていた。
宇崎ちゃんは遊びたい!が、例え半裸のポスターであっても、適切に販売されるなら検閲すべきではない。
クリムトがウィーン大学向けに描いた作品が論争を引き起こして納品されることが無かったのは有名な話だ。
ポイントは、「作品」ではなく「掲示する場所」だ。争いの余地がある。
職場にヌードポスターを貼るのは、環境型セクハラに該当する、とされる。
Aの論点において「性的なポスター」であり、Bの論点において「嫌なら見るな」は否、ならば環境型セクハラに該当するだろう。
つまり、性的か否か、対象外の人に見えるか否かが、Eの結論に影響する。
性的なポスターであっても、該当の人にだけ見えれば良いという論陣なら、やはり該当しない。
最後にFだ。環境が女性に好ましくない状況である中で、それを維持強化して良いか、である。
これは、「その環境にある、ない」か「強化するか否か明確でない」か「強化はする、強化しない」の論点がある。
強化しない、強化する、いずれも明確に証拠を提示するのは、とても困難な作業になる。
女性が男性よりも性的に消費されやすいとする証拠もまた、提示が難しい。
よってこれは、「その可能性がある」とする立場で考えるのが一番自然だ。
その場合であるときに、他の論点がどう変化するかが、論点となる。
さて、こうすると、例えば自分の立ち位置は、以下となり今回の件はOKという立場だ。
B「ゾーニングはできていない」
C「医療は許容度が高い」
これは端的に言えば「環境型セクハラで女性の不当な扱いを強化する可能性があるが、表現の自由に加えて公共の福祉(医療)の方が優先度が高い」とする立場だ。
自分は、全く同じ図案のポスターが「読書感想文全国コンクールのポスター」であればNGとする立場だ。
環境型セクハラに該当する図案の場合、表現の自由よりも子供の教育環境は優先されるべきと考える。
つまり、同じポスターも時と場合によって許容度が違うと考えている。
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さて、長い前フリを読んでくれてありがとう。
JOKERは、アーサーという中年男性が、コメディアンになる夢を追いかけ、他人から利用されるだけであることをやめ、自分の悲劇が喜劇的であることに自覚的になる、悲しい物語だ。
JOKERはそのスタッフクレジットも、全体として「喜劇」のフォーマットで作られている。軽やかな曲とともに始まり、明るく楽しげな音楽で終わる。
そしてその悲劇が、喜劇的なエンターテインメントであることを理解している。
アーサーは人を笑わせるコメディアンになりたいのであって、人から笑われるピエロであることは望んでいない。
アーサーは人からはわかりにくい障害を持っている。緊張性の発作のように、自分の意志と無関係に笑ってしまうのだ。
劇中には小人症の人物も出てくる。その特性(障害)はわかりやすい。それでもソレは笑いのネタにされる。
現代では、小人症の人物を揶揄するのは不謹慎だとされるだろう。
同様に、アーサーの症例が精神病として一般に認知されていれば、当然それについて差別したり揶揄するのは、社会的に許容されない。
社会的に許容されないというのは、そんな現実がない、ということとは明確に異なる。
たぶん、アーサーは、現代でも差別され生きにくさを感じると思う。
もちろん表立ってではないし、合法的になんの問題もない理屈の上で、差別されると思う。
アーサーがJOKERになったゴッサムシティと、宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスターが掲示される現代は、とても遠くて、実はすごく近い。
医療のための緊急避難だと考えている人が多ければ、たぶん遠く、
大学1年生になって直ぐに好きになった人がいた。既に相手には付き合っている人がいたので半ば諦めていた。大学2年の頃、フリーになった後、めでたく付き合えることに。でも、しばらく振り回されているうちに連絡がこなくなった。同じ必修の授業にも出席せず、学年末に最近どうしているだろうかと連絡しようとしたら、使っていた連絡先は全て使えなくなっていた。そのまま中退。今もどこにいるのかわからない。
修士1年の時、複数のゼミの合同合宿みたいなものがあって、そこで仲良くなった人がいた。次の年の企画を一緒に準備しましょうということで、連絡しあっていたし、デートらしきものもした。しかし、企画が実現する前に自殺の知らせを受けた。ゼミの中でのハラスメントだか進路・就職の悩みとか、そんな理由を聞いたけど、そこまでとは思えなかった。逆に、「知らないの?」と周りから聞かれた。もしかしたら他の人にわからないように抱えてしまったのかもとも思う。自分も単に「他の人」の一人で、そこまで親しくなかった、というだけかもしれない。あるいは伝えていたけれど鈍感で気が付かなかっただけなのかもしれない。
就職してしばらくして、18歳まで過ごしてた地元に帰ると、ちょっと年上でずっと憧れていた幼馴染が失踪していた。誰もただそう言って、理由・背景については誰もが知らないか、知っていそうな人は教えてくれない。
その辺りから好意を持つことが怖くなったし、示すことが苦手になったのだと思う。人が10くらい出しているところ1くらいでめいっぱい。
ごめんなさいと思うけれど、それが今の自分の限界です。もっと大事にしてくれる、幸せになれる人がいれば、その人の方がいいかもしれない。
本日離婚を持ちかけられて、色々思い出した。けれど、過去が原因なのか、自分が原因で引き起こしているのか、正直わからなくなった。
疲れた。
大学1年生になって直ぐに好きになった人がいた。既に相手には付き合っている人がいたので半ば諦めていた。大学2年の頃、フリーになった後、めでたく付き合えることに。でも、しばらく振り回されているうちに連絡がこなくなった。同じ必修の授業にも出席せず、学年末に最近どうしているだろうかと連絡しようとしたら、使っていた連絡先は全て使えなくなっていた。そのまま中退。今もどこにいるのかわからない。
修士1年の時、複数のゼミの合同合宿みたいなものがあって、そこで仲良くなった人がいた。次の年の企画を一緒に準備しましょうということで、連絡しあっていたし、デートらしきものもした。しかし、企画が実現する前に自殺の知らせを受けた。ゼミの中でのハラスメントだか進路・就職の悩みとか、そんな理由を聞いたけど、そこまでとは思えなかった。逆に、「知らないの?」と周りから聞かれた。もしかしたら他の人にわからないように抱えてしまったのかもとも思う。自分も単に「他の人」の一人で、そこまで親しくなかった、というだけかもしれない。あるいは伝えていたけれど鈍感で気が付かなかっただけなのかもしれない。
就職してしばらくして、18歳まで過ごしてた地元に帰ると、ちょっと年上でずっと憧れていた幼馴染が失踪していた。誰もただそう言って、理由・背景については誰もが知らないか、知っていそうな人は教えてくれない。
その辺りから好意を持つことが怖くなったし、示すことが苦手になったのだと思う。人が10くらい出しているところ1くらいでめいっぱい。
ごめんなさいと思うけれど、それが今の自分の限界です。もっと大事にしてくれる、幸せになれる人がいれば、その人の方がいいかもしれない。
本日離婚を持ちかけられて、色々思い出した。けれど、過去が原因なのか、自分が原因で引き起こしているのか、正直わからなくなった。
疲れた。