はてなキーワード: 家庭裁判所とは
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
特例法は手術の可否にはまったく関係ない。そもそも手術時点では改名以外で裁判所と関わることがない。手術に関わり得るのはジェンダークリニックの専門医から成る判定会議くらい。従来の運用では、特例法は手術を受けた後に家庭裁判所に申請して使うものだった。
そのもともとの趣旨はすでに性別移行をしている人の戸籍の記載情報と実生活のズレによる生活上の不便を解消するためで、従来はその適用の条件に手術が入っていたけど、そうするとすでに移行しているけれど手術をしていない人が困難な状況に置かれ続けたり、特例法を使うには恒久的な不妊化が必要ということになり身体への過度な介入になったりで、問題が意識されるようになった。
音信不通の親が孤独死した時、どのようなことが起こるのかについて記録する。
昨年、父が死んだ。
父とは30年近く会っていない。母は離婚後も父と連絡を取っていたようだが、父に私の連絡先を決して伝えないようにとお願いしていた。
5月頃、母のところに、父の知り合いから父が死んだようだとの連絡があった。
その人も遺体は見ておらず、父の住まいを尋ねたら大家さんから死んだと伝えられたとのこと。
私はそれを聞き、一番最初に思ったのは、相続放棄の手続きを一刻も早く終えたいとのことだった。
市の無料法律相談に行き、相続放棄の手続きの仕方や困ったことが生じるおそれがないか等を確認した。相続放棄の手続きは、家庭裁判所によって若干違うので、事前に確認してから行く方がよいとアドバイスを受けた。
孤独死した人間の特定をしなければならないので、DNA検査をするとのこと。
これは兄が対応してくれた。
父の死はまだ確定していない。
DNA検査をする費用が出ないため、兄の顔を見て特定することにしたと連絡。
父が孤独死した場所と母の家は新幹線で1時間ほど離れているため、出張のついでに寄るので少し先になるとのこと。
兄が取った唾液はなんだったんだ。そんなことを市民にお願いする前に、予算があるかどうかの確認はできるだろうに。警察っていい加減なところなんだなあ、という印象を持つ。
11月 兄から戸籍抄本にて父の死亡が確認できたと連絡をもらう。父はおそらく5月に亡くなっているのに、書類上の死亡は11月になっている。
12月 有給を使って家庭裁判所に行き、相続放棄の手続きをする。郵送でも手続きできるが、不備があると嫌だったので、窓口で手続きした。窓口の人は手慣れた様子で、相続放棄したい理由の書き方等を教えてくれた。
12月末 手続き完了の封書が届いた。この半年間の気持ちの重りが取れて、ほっとした。
まとめ
・事件性が薄い孤独死に対して、警察は費用を割かない。そのため、最寄りがない人間が孤独死すると、死が確定するまでに時間がかかる。
この文章を書こうと思ったきっかけは、下記の文章を読んだからである。
https://inukawatama.com/father/
読んでまず、うらやましいと思った。
私は父が死んだことに対しては、特に何の感慨もない。
馬鹿な生き方しかできなくてかわいそう、まともに生きていれば子どもや孫の成長を見ることもできたのに、という一般的なことを思うだけである。
父との思い出は記憶のどこかにあるのだろうが、思い出したくないことばかりであり、考えるのを停止するようにしている。
相続放棄の手続きを一刻も早く終わらせて、父と無関係になりたいという思いは、母を呆れさせ、くだらない喧嘩に発展した。
大人になって、母に感情的に声を荒げたのは初めてで、お互いにダメージを受けた。
母に対してはいろいろと思うことがある。
父に対する思いの欠如は、私の人間としての欠如なんだろうと思う。
私は、父と自分を切り離さないと、「普通」の枠の中で生きていくことができなかった。
毎回、どうしてこの人たちは、「毒親」と縁を切らないのだろう?と思う。
結局のところ、この人たちは「毒親」と詰りながらも、親のことを愛しているんだろう。
暇空の弁護士の松永成高さんは「暇空は確かにデマを書いてしまったが、colaboは報道陣集めてデマだって報道させたんだからもう名誉回復してますよね。むしろあの会見で暇空さんの方が傷ついてるんですけど?暇空さんを晒し者にしたあなたたちはひどい」と裁判で激おこして、colabo弁護士の神原元さんも激おこして喧嘩になって裁判官にシャラップされる一幕があった
実際には名誉回復してないよね
増田の中にも「裁判で負けようが、colaboに風評被害流せたんだから暇空の勝ち」といまだに言うやつはいるし
松永さんは中高生の頃に荒れて事件を起こして複数回捕まり、そのことを論文にした家庭裁判所調査官を訴えて最高裁で負けたことがある
https://www.asahi.com/articles/ASNB95WRDNB9UTIL02S.html
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/757/089757_hanrei.pdf
事件自体は事実だけど、その時々にどういう心情であったかは著者が勝手に推測したもので本当は違う、デマだと松永さんは主張していた
反論してあれは間違いだって言えば名誉回復できるロジックなら、松永さんも記者会見すりゃいいじゃん
僕は本当はこんな気持でしたって記者の前で主張すればいい
離婚調停で妻のDVがまるっきり無視されるなら、司法を敵視する人はマジで増えるだろうな
https://x.com/MITHMELLOX/status/1836754746868470166
こまい☆°。⋆⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝_
@MITHMELLOX
うちは離婚する前はケンカが多かったんだが、母親がモノをぶん投げて喚き散らし、父親がそれを笑って片付けていた。
当時小学3年生だったけど鮮明に覚えてる。
ある日、学校から帰るとタクシーが家の前に止まっていて、大事なものだけ持ちなさいと母親に言われた
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263.2万
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こまい☆°。⋆⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝_
@MITHMELLOX
そのまま、区役所→シェルターへ。いつ帰れるの?とずっと聞いていたのを覚えてる。
まあそれから帰れる日は来なかったんだけど。
それからシェルターを出て、母親と兄貴と3人ぐらしだったけど母親は昔みたいに暴れてモノをぶん投げまくってた。
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41.6万
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こまい☆°。⋆⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝_
@MITHMELLOX
あまり現実と違いすぎるし、それで離婚が成立した意味がわからなかった。自分は父親に殴られたことなんてないし、母親は現在進行系で暴れ続けている。
それから高校生になって、幼い頃の記憶を頼りに父親に会いに行った。そしたら、手紙を書いてくれていたことをその時に初めて知った。
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41.3万
件の表示
こまい☆°。⋆⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝_
@MITHMELLOX
全部まとめて送り返されたと言っていた。それからもういい歳になったけど、兄も自分も母親の家には5年ほど帰っておらず、父親とは3ヶ月に1回くらい飲みに行っている。
それ以降、でっちあげDVと理不尽な家庭裁判所、それを悪用する弁護士がキライ。
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49.8万
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https://x.com/MITHMELLOX/status/1836765452397392186
こまい☆°。⋆⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝_
@MITHMELLOX
内容に「女性弁護士が多い」と書いてあったが、うちも女性弁護士だった。やっぱり親権強奪、実子誘拐のテンプレがあるんだろうね。
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3万
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https://www.moj.go.jp/content/001346485.pdf
p2のQ1_1 部分ですが過去に見たこの資料を男女500人のアンケートと混同していまして
申立て人を妻と夫で分けて、申し立ての動機3つまでを重複ありで集計してあります。
[19婚姻関係事件数 申立ての動機別申立人別 全家庭裁判所]
妻 18,268
妻 7,378
妻 9,745
酒を飲みすぎる 申立て人 夫 384
妻 2,752
妻 3,293
浪費する 申立て人 夫 2,030
妻 4,686
妻 845
家庭を捨てて顧みない 申立て人 夫 887
妻 3,600
妻 3,171
同居に応じない 申立て人 夫 1,597
妻 862
妻 13,725
その他 申立て人 夫 3,525
妻 5,189
不祥 申立て人 夫 637
妻 2,810
これについて、総数や却下の件数や調停成立の件数は上記リンクの
[20婚姻関係事件数 終局区分別婚姻期間別 全家庭裁判]にあります。
韓国で、被相続人(死亡した子どもなど)の扶養の義務を果たさなかったか虐待などの犯罪を犯した法定相続人(父母・祖父母など)の相続権を制限する法律が制定されたそうだ。通称「ク・ハラ法」
急死した KARA のク・ハラ氏の葬儀に、20年間音信不通だった実母が現れ財産の半分の相続を主張したことが発端だという。それをうけてク・ハラ氏の実兄が民法改正案の立法を訴えていたのだそうだ。
実兄の気持ちは理解できる。育児放棄をした親には相続させたくない。
同じ事象が起きたとき、日本の法律だとどうなっているのだろう、と付け焼き刃ながら調べてみた。
法定相続人は親になる。
100%親が持っていく。両親健在の場合はどれだけひどい母親だったとしても50%は母親のものとなる。
どれだけひどい母親だったとしても法定相続人である以上、親は遺留分を請求できてしまう。親として全体の1/3。両親健在の場合は1/6ずつ。
生前に家庭裁判所に「母○○は育児放棄をしていたので母○○を廃除する」と申立をして認められれば、
または
遺言に同様のことを記載し、死後、遺言執行者に家庭裁判所に申立をしてもらって申請が認められれば
遺言書いたうえで家庭裁判所に申請して認められなければならんのでハードルは高いが手段はあるのだな。
ただ、準備ができないままク・ハラ氏のように若くして急死だと母親に財産がわたってしまう……。
韓国の「ク・ハラ法」では、被相続人からの申立なしで親から相続権を剥奪できるのだろうか?
日本の法律における相続欠格――相続人が被相続人を殺害したり、脅したりだましたりして遺言状を書かせたり書くのを妨げたり、遺言状を隠蔽したりすると、被相続人からの申立なしでその相続人は相続権を剥奪される――みたいに。
また、日本で「母親に財産を遺したくない」という観点だと、まだ足りないかもしれない。
その場合、母親を相続廃除したとしても、その義理のきょうだいも実のきょうだいと同格で法定相続人となりそうだ。
ただし、きょうだいは遺留分がないので、遺言で実のきょうだいに100%遺すと指定しておけば顔も知らない義理のきょうだい(≒育児放棄をした親の新家庭)に財産がわたることは防げる、のだろうか。
親の戸籍謄本を調べでもしない限り、自分に異母きょうだい異父きょうだいがいたか/できたかなぞ分からんよな。
むずかしい。
Xで、シンママの子供が男の子と女の子それぞれの設定でマッチングアプリに登録してみたところ、女の子だといいねの数やマッチング率が段違いだというポストがバズっていたけれど。
朝ドラの「虎に翼」、あれって主人公の元ネタの人の子供は息子なのに、どうしてドラマでは娘に変えちゃったんだろう
どんなに綺麗事を言ったところで、年頃の女の子にとって知らないおじさんとの同居は苦痛だよ
勿論男の子ならいいって訳ではないけれど、それでも性加害の確率は段違いだし
裁判官それも家庭裁判所で勤務していたような女性がそれに無頓着なのってどうなの?って思う
「医師2人の診断」
みたいな性別変更の要件をトランス女性が満たしていることは当然の前提として話していると思っていました。
「そういう条件を満たしていて見た目が広島高裁のトランス女性と同程度に女性的であればトランス女性はペニスを切らなくても女性です」
ぐらいに絞れば文句は無いでしょうか?
「生活実態や医師の診断や見た目で家庭裁判所が認める基準はだいたいこの辺り」
というラインが当事者の間で広まれば今後ペニスを切らずに女性に性別変更するトランス女性が次々に現れることでしょう。楽しみー
広島高裁が今日ペニス付いたままの未手術トランス女性でも戸籍を女性に変更できると認めてしまった。
日本におけるトランスとTERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)の戦争はこれで決着でしょう。
裁判所とは別に、公明党議員も昨年の違憲判決に従ったトランス有利の方向での性同一性障害者特例法の改正案を作ると言っている。
司法と立法(与党)がトランスの味方をしているのに、ここからTERFが巻き返してトランスの権利を削ってシス女性の権利を守り切る逆転勝利の目がもう全く見えない。
自分はトランス当事者でも、友達がトランスのアライでも、そられと逆のトランスが怖くて憎くてたまらないTERFでもない。
かわいいね
殺し合えー
ぐらいの気分でネットでトランスとTERFのレスバをたまに観戦していた普通の市民だ。
正直に言うと、手術せずチンチンブラブラのまま男から女に性別を変えられるという理屈はなかなか理解するのが難しい。その点はTERFに共感しないでもない。
しかし、裁判所が判断を示したなら、その判例に従うしかないでしょう。それを覆す新しい判例が出ない限り。
実務は判例に従って行われるのだから文句を言っても仕方がない。これから家庭裁判所がバンバン未手術トランスの男→女への性別変更を認めていくのであろう。自分も頑張って価値観をアップデートするしかないね。
さぁどれだ?
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000207260
①成年被後見人(心身喪失の状況にある者で、家庭裁判所で後見開始の審判を受けた者)
③禁錮以上の刑に処せられ、その執行を受けることがなくなるまでの者(刑の執行猶予中の者を除く。)
④公職にある間に犯した刑法の罪(収賄及び事前収賄罪、第三者供賄罪、加重収賄及び事後収賄罪、あっせん収賄罪)により刑に処せられ、その執行を終わり若しくはその執行の免除を受けた者でその執行を終わり若しくはその執行の免除を受けた日から5年を経過しないもの又はその刑の執行猶予中の者。なお、被選挙権については、さらにその後5年間、停止される。
さすがに法律が変わって市民の目が光ってる今の状況では家庭裁判所も今まで見たいなガバガバおちんぽナイトやるわけにはいかなくなってくると思うんだよな
家庭裁判所がヤバいのは周知の事実だけどいくら地裁のお爺ちゃん判事でも法律が変わったとなればさすがに今どういう状況なのか調べるやろ
NHKのニュース見ただけで内容はちゃんと調べてないけど、今までと大して変わらないんじゃないかなと思う。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240516/k10014451041000.html
>> DV=ドメスティック・バイオレンスや子どもへの虐待のおそれがある場合は裁判所が単独親権にしなければならないとされています。
>> また法務省は、父と母が話し合うことができない状態となり、共同で子どもの養育を行うことが困難な場合も、単独親権になる可能性があるとしています。
これって家庭裁判所が『DVのおそれあり』と判断する基準が極端にゆるかったら今まで通りってことでしょ?
一度だけ手を強く握ってくることがありました→暴力に発展する可能性あるので男性に親権は渡せません……みたいな事例が多発しそう。
ルールとしては共同親権ができ、建前としては原則的に共同親権。ただし実運用としては今まで通りに母親の方が親権を獲得しやすい、となるんじゃないかなー。
共同親権などで最近話題になっているので、妻による子ども連れ去りから監護権・親権を裁判で勝ち取った身として、ある程度時間もたったし自分の経験などから共有してみる。
②一番大事なのは別居までにどちらが子どもの世話(専門用語で監護)をしていたか(なので社会的な理由では男女差が出る)
③離婚を考え、親権が欲しい親は子どもの世話をとにかく自分で行い、その記録を残すべき
関係もあるのでそれぞれの主張を軽く触れると、
自分の主張:妻が仕事もせず、育児もせず、家事もほぼしないのを改めてほしいことを言っていたところ、突然子どもを連れ去り遠方の実家に帰られたことが最終的な理由
相手の主張:頑張っているのにモラハラをされ続けて鬱になったので耐えられなくなり実家に帰った
①離婚を検討しよう、という段階で「お互いに子どもの連れ去りは行わない」誓約書を交わす
②1週間ほど後、こちらが外出中に保育園に迎えに行ってそのまま実家に帰る
⑥その後ひと月ほどで引き渡し
審判がはじまった段階では離婚はまだ成立していないため、最初は監護権を争うことになる。
こちらはそれまでの環境との継続性を柱に、誓約書などもあるので保全処分を申し立てたが、その段階では「母親といるんだし…」という論理で緊急性はないと裁判官に判断された。また誓約書もただの約束だしねえ、と言われて唖然とする。裁判官は高齢の男性で、この辺は「連れ去ったのが女親ならそっちと一緒でいいでしょ」という感覚は如実に感じられ、一番男女差別を感じたポイントであった。
その後、監護権の争いになるわけだが、ここで最重要なのが「家庭裁判所調査官による調査官調査」。それぞれの家庭や関係する親族、保育園や学校などに調査官が出向き、調査を行うんだけど、この調査官調査の報告結果≒審判結果となる非常に重要な調査らしい。
また、並行して調査官が別室でカメラを見ながら父母それぞれが子どもと面会する「試行的面会交流」も行う。この結果も調査官の報告に盛り込まれる。
この報告により、どちらが監護親としてふさわしいかの報告を行うわけだけど、最も影響するのは「今までどちらが監護をしていたのか」という点になるので、自分が行っていたことを強調するのが超重要。
自分のケースの場合、当然双方が監護していたと主張したわけだけど、報告書の結果としてはこっち側視点で「少なく見積もっても半分以上していた」という結果を得られた。
・こちらはリモートワークであり、先方の体調不良もあって家事育児をすべてこなしていた期間が相当ある
・こちらが日記などを元に具体的に監護歴を提出したのに対して先方からは「やってた」という主張のみ
・モラハラしていた、という証拠として提出された録音は淡々と話し合っているだけのものが二つのみ(こっち視点では当然していないので当たり前)
・試行的面会交流でも先方は子どもに対しての課題などがクリアできない
・先方実家においても、家事などは先方両親がほとんどやっており、子どもが母の世話をするという逆転現象まである
・上記諸々から「母側の主張をすべてのんでも父側が半数以上やっていただろう」と言った結果になる
などなど、そりゃそうでしょ、という内容であった。
というわけで、監護に関しても半分以上父側がやっており、今までの環境も父側にあり、今後に関しても父側の方が子どもにとって望ましい、という結論でそのまま審判が出た。
よほどの問題がなければ、その後離婚となっても監護親がそのまま親権も持つので、ほぼこの段階で決着となる。
・向こう側は「お腹いためて産んだ子どもだから母親と一緒にいて当然」などと平気で言う価値観であり、また先方弁護士も(過去がそうだったからか)母親が連れ去ったパターンなら勝って当然、と思っている節があって最後までなめた法廷態度であった。弁護士は「審判が出ても守らない」と裁判官の前で平気で言う程度には無能でもあったので、敵失は大きかったと思う。
・とはいえ、こちらの弁護士も任せたらすべて大丈夫、というものではなかった。伝手があったので肩書など相当立派な弁護士に依頼ができたのだが、聞いた質問には法的に答えてくれるし、書面もすべて用意してもらえるがそこまで。敵失に乗る、と言ったことや、提出書面の方向性など、戦略的なことはすべてこっちから出さざるを得なかった。
・細かいが、関係してきた役所の「母子健康課」や「母子手帳」などの名称は現代にはそぐわないと感じた。母子手帳などは子どものためのものでワクチン接種などにも必須なので引き渡しを依頼したが、「母」子だから、という理由で拒まれたりした。妊娠期間中を考えるとしょうがないかもしれないけど…。
・別居している場合、理由を問わず「婚姻費用」というものを双方の収入に応じて支払う必要がある。その結果、監護権に関する審判が出た後、離婚に関しては争う点が双方にないにもかかわらず、先方が和解を提案してそのままこちらが飲んでも拒否したりなどして少しでも長く婚姻費用を取ろうという戦略を取られた。ここは腹立たしい仕組みの欠陥点と感じる。
・最後に共同親権に関して。現状、先方からは一切養育費の支払いなどはなく、また母と子の面会も離婚調停中にこちらから働きかけて1年たってようやく仕組みが作られるほどだった(現状月1回で面会)。別居後、先方が一切の直接連絡を絶っているのが一番の理由だが、当然そんな状況では共同親権などは成り立たないと考えている。
共同親権導入への反発は既得権益を奪われることへの反発って誰も言わないのなんで?
こういった反発を女だけがするって話じゃなくて既得権益を奪われることへの反発ってのはすでに権利を握ってる側からは必ず発生するんだよ
今回ヒステリックに反発してるのは女(特にシンママ系団体)と左派弁護士団体だよ
前者は言うまでも無いと思うけど共同親権を導入しようとすると今まで紙切れ一枚で済ませていた離婚が共同親権のための養育計画とかまで含めたある程度手間がかかる対応になってくるんだけど
それに現状の家庭裁判所のリソースじゃ対応が難しいって事情があって普通だったらじゃあ家庭裁判所(またはそれに類する新しい仕組み)のリソース増やせばいいじゃんってなるんだけど
弁護士や裁判官は数を絞りに絞って特権的地位を獲得してるから人数が増えるとそれが脅かされてしまうからリソースなんて増やしたくないんよ
つまり今回の共同親権に反対している女はほぼ無条件で得られる親権が男女平等になってしまうことへの反発
弁護士団体は自身の独占的特権的立場が薄れてしまうことへの反発から生まれている既得権益の防衛的反対運動の色が濃いのを認めろよ