はてなキーワード: 学童とは
会社Aは会社Bの教材とカリキュラムを使用して「プログラミング教室」をしている。
いわゆるフランチャイズ。よくある話です。
しかし、「教室の先生」になるためには会社Bで「講師認定テスト」を受けるか、そのテストを実施できる社員(B社に一定期間内部出向していた社員)にテストしてもらわなければならない。
私は「テストを実施できる社員」になるためにB社に内部出向する予定だった。
(A社の社員だけどB社に勤務する形)
勤務先はB社からは「希望は一切受け入れられない」と言われていたが、A社からは「とは言ってもうちの社員だし山手線圏内って言ってあるから」と言われた。→それなら引っ越しはしないと言った→引っ越したら?とは言われた
A社内定承諾後、社宅引越しの案内が届くとの連絡があったが全く来ない。(勤務地も決定していないが)引っ越すつもりもなかったので後々メールしたら「他の内定者は実家暮らしのようでみなさん引っ越さないと思ったので書類送付しなかった」と来た。
ちょっと怪しいな?と思った。
労働条件通知書をくださいと言ったら労働条件はB社の方に合わせるので、と言われてB社で面接した時にもらったスライドが再度送られて来た。(採用ページに書いていた程度の内容)
怪しいな?と思った(とはいえもう2月くらいで就活できる状態じゃない。)
入社式と研修のお知らせが2月3日に突然来た。3月25日から仕事が始まるらしい。入社は4月1日だとばかり思っていた…
2/4に勤務地決定通知が来たが勤務地決定通知(勤務地決定とは言っていない)だった。
(結局B社の勤務地がわからないのでA社の横浜支部所属ですよ程度の通知書)
遠方から両親が来てくれることになっていた。
両親がこっちにくるのは入学式以来なので次の日とか案内できたらなと思っていたのにほぼ直前になって希望は打ち砕かれたのであった...
3/25 研修
3/26 入社式
その後は研修...
研修は都内でもそこそこ近くの教室だったのでとりあえず通うのは大丈夫だった。
とはいえB社の偉い人(B上司とする)が癖の強い人で本当に大丈夫かな??という気持ちで研修を受けていた。
子供たちにプログラミング()を教える立場になるので、B社のカリキュラムの理解、子供への対応、教え方などの研修があり、最終日に実技試験()とペーパー試験()を受けてどちらも合格した人だけがメイン講師になれる...みたいな説明をされたけど人手が足りてないのか研修も受けてないバイトさんが授業を普通にやってるらしい。
A社の新卒私含めて4人、B社の新卒2人(バイト・講師経験あり)、B社中途1人、B社学生バイト2人(講師担当経験あり)で研修を受けたが実技とペーパーどちらも合格したのは私だけだった。
会議と言っても数字報告と夏休み期間のイベントの目標数発表だった。
驚いたのは少しでも予定の数字が下がろうものならB上司がその先生が何も言えなくなるまで責めたこと。
いびる、責める、無言の圧力。「もう貴方は知りません。」などなど。
社会ってすごいなあと逆に関心した。
私は研修でのテストに唯一一発合格したためかなぜかB上司に期待の新人としてお気に入り登録されたよう。
配属発表ではB上司の教室(山手線圏外)と、山手線圏外の教室(私メイン講師担当?)と、山手線圏内の教室で、圏内の教室はまさかの週一シフトだった。
配属の後はイベントの会議役割決めなど。同じ内部出向組で女性が1人いたのだけどその子はすぐ役割が決まった。
私は最初、メイン担当教室の先生の引き継ぎになってたのに、B上司に無理やりB上司が担当のイベントに入れられた。
そしてなぜかイベントのバス手配とポスター作りと予約取りなど全くよくわからない役割を決められてしまった。
(バスの手配方法、ポスターの素材その他諸々教えてもらえなかったので大変不安だった。昨年の資料をくださいと言っても特に渡せる資料はないと言われた。周りの先生もいかにB上司の期限を損ねずに会議を終わらせるかで必死で忙しそうだった。私は置いていかれていた。)
最初は研修が分かりやすくて好きな先生の卓だったので良かったが席替えでB上司の真ん前にされた。
そしてB会社の新卒と私ともう1人の女性と中途の男性に目標を発表させる雰囲気に。
目標=◯◯を頑張りたい みたいな話かと思っていたら 「新規○人入会させて上半期で全体○人にします」って言わないといけないらしく?新人全員意味もわからず担当の先生が耳打ちしてくれた数字を喋る機械になった。
酔った勢いで他の先生たちが話していたのを聞いてみると結構「夜の仕事をしていて、結婚したいのでまともな職に就くために会社に拾ってもらった」という方がいて「結婚式には必ずB上司と社長を呼ぶ」みたいな話もされて辛くなった。
今日から各教室で普通に業務するらしい。(研修は教え方とカリキュラム研修しかなかったから突然先生やれ、教室長だと言われてポカン)
各先生は各先生の業務で忙しすぎて私たち新人にはノータッチだった。
午前は完全に放置されていたので担当教室の先生にコピーの仕方とか今日の授業について教えてもらった。
担当の地区の「神」のような先生が上司にお気に入り登録されている私を心配してありとあらゆる資料が詰まったGoogleドキュメントを共有してくださった。
と見せかけて、出社、退勤を社内メーリスで流さないといけなかったらしく(聞いてない)、B上司から(朝顔を合わせたにも関わらず)「新卒の皆さんは本日無断欠勤ということで良いんですか?(威圧)」的なメールが全社員宛に届いていた。(嫌味は全社員に公開するらしい)
先生に聞いたところ、仕事量が多いし授業もあるし毎日残業数時間は当たり前。社内でB上司への悪口グループができているようだった。
そして直後に「新卒社員+B上司」の謎の「新卒監視グループ」が作られた。
ここで私のメンタルが限界になったのでA社の上司に「ここでは絶対にやっていけない、A社の別部署か横浜支部で働かせてくれ」といってA社の上司(前年度B社に出向経験)もあそこは異常だからしょうがない、ということで次の出勤日から横浜勤務になりましたとさ。大感謝。(そして私の勤務時間が往復5時間になった)
業務内容は午前中に入会書類の整理など、事務系の仕事をして午後から各教室に移動してひたすら授業(立つ・声を張る)。または10キロ近いチラシを持ってポスティング。
幸いA社の人たちは明るく優しい人たちだったので「楽しい」という感覚を持って仕事ができた。
「(完全ではない)週休2日」という話は知っていたけど6連勤1日休み3連勤、7連勤1日休み4連勤とか普通に入れられる。
なぜ長期連勤の後1日休んで連勤できるのか?というお気持ちだったが人も足りないしそれが社会なんだなぁ(多分間違ってる)と思いながら働いていました。
8時に家を出て23時に帰ってくる感じ。
5月下旬、生理ながらも授業してたら今までにないくらいの血の量が出て早退した。(夜用生理用品してるのに10分経たずに漏れてくるくらい血が出て死ぬのかな?ってなった。)(出血過多)
6月下旬、家についた途端全て嫌になったのと体が痛いのとで「マジで死ぬ3日前」みたいな状態になったので急遽休みをとらせてもらって病院に行ったりした。整形外科に行って先生にとりあえず1週間休めと言われたので1週間休む。
7月下旬、引っ越し決行。通勤時間は片道40分になり少し希望を持ち始める。
しかし諸々のストレスで8月上旬に謎のめまいが多発、駅のトイレで吐いたり異変が起き始める。
膝も痛くなり歩けないほどの痛みがあったりもしたがとりあえず仕事していた。
だましだましやっていたが本当に限界がきて同居している婚約者に相談したら「養うの余裕だしとりあえずそこから離れた方がいい」と言われ9月に仕事を辞めました。大感謝。本当にこれはラッキーだった。
なぜそんなにストレスが溜まったかというと、「周りの情弱がすぎる。」だと思う。
1年先輩社員はExcelの行内改行ができず、十数年先輩の上司もExcelで連番を入力することもできなかった。(ググるという発想があまりないらしい)
入会書類は紙で、印鑑が押されていないところがあればお客さんに電話して印鑑押しにきてもらわなければいけなかった。
新規開講の教室がほとんどなので数百枚の紙を処理。領収書的なのも全て手書き。
出社報告退勤報告はLINEで報告した後に月末に紙に出社日数分の判を押し、本社にFAX。その後紙を郵送。交通費などの経費精算も全て手書き。それも本社に郵送。
出社の時間帯も日にちも同部署社員で全然違うので休みだろうと休みじゃなかろうとLINEは鳴り続ける。(たまに自分宛のも来るし、上司が休みの日も上司でないと判断できない事があると連絡しなければいけないのが心苦しかった。)
FAX初めて使った。
割と色々な情報をGoogleドライブで共有していたので(そういうことはできるのかと関心したけど)「(出勤簿なども)データ化してドライブで共有かメールで送ったら良いのではないか」と聞いたら「メール(Gmail)だとどこで盗み見られるかわからないから。」と一蹴された。
FAX番号間違えた方がえらいことになると思うんだけどなあ…と思った。
Slackとかそういうの使いませんか?と言ってみたが「貴方ができても他の社員のリテラシがないので導入コスト考えてね。貴方が1人でそれを導入して他社員も教育できるならやれば?」とのこと。
面倒なので流石に放置した。
そして各教室にWi-Fiはなかった。全て有線。しかも個人用PCはない。部署で2つの社用ノートPCを使っていた。
Wi-Fiがない理由も「セキュリティ強化」らしい。でもPCのパスは至極単純なものでパスワード知らなかったけど違う部署のPC借りて仕事したりできていた。
その社用PCにはWordとExcelは入っていたがPowerPoint、Illustratorは存在しておらず、各イベント用のポスターや掲示物をWordで作らされるという拷問を定期的に受けていた。もちろんWindowsなのでメイリオを使うしか無かったが皆さんポップ体がお好きなようだったので創英角ポップ体に一生分お世話になった。あと100行くらいのExcel開くだけで3分くらいかかる弱すぎるPCなのもストレスだった。
情報リテラシ皆無な講師陣がプログラミング()を教えるのに不安があったがとうとうそれが現実になった日があった。
先輩の担当する授業で「生徒の誰1人として作品が完成しない(動くはずのものが動かない)」ということがあり、それが原因で1人退会した。
聞いたところ、ただモーターを一旦逆回転させて位置を調整してリスタートしたらよかっただけだったらしい。
私はその「動かなかった」授業の次の授業を担当させられ、前回の授業と今回の授業を一度に終わらせるという完全な尻拭いをさせられた。(入社2ヶ月)
ここで、私がここにいて私にメリットはあるのか?という気持ちになった。
生徒募集の体験会も担当したが、営業担当の先輩が、子供の父に「他のプログラミング教室との差は何か、ここでは何が学べるのか」と質問されていた。先輩は用意された営業トーク以上のことがわからなかったようで、私がそのお父さんの相手をして気に入られて「貴方のような先生にレッスンしてもらえるなら」と入会を獲得した。(結局私の担当クラスにはならなかったのでごめんなってなった)
生徒が使うPCも弱い共用PCでBluetooth接続に最高30分かかったりして、せっかく早く組み立て終わったのに接続できなくて授業ギリギリになってやっと接続できる、みたいな状態になってかわいそうだった。
(10人分くらいの機器を繋げた履歴があると一度繋げたことのある端末でもなかなか繋がらくなった。端末の履歴を消すと一時的に復活したりしなかったり謎だった)
ということが毎授業あるのでPCも変更してほしいと相談したら「繋がらないわけじゃないんでしょ?」とのことでそのままだった。
5月から私の直属の先輩(「動かなかった」で授業を終わらせた方)との行動が増えてこれも結構なストレスだったと思う。
来年度からは直属の上司(主任)が本社に行って先輩が主任になると思うから、相談ごとはなんでも一旦先輩を通さなければならないというルールができた。
私より授業できないのに主任になっちゃうの?年功序列?LINEで個人で繋がってるんだし上司に聞かなきゃいけないことも先輩通すの二度手間では…
その先輩はいわゆる「文系()」と呼ばれるタイプの方で全く情報系の話は分からない代わりに恋愛系のことをたくさん話す人だった。
一緒の時は先輩の恋愛事情を聞かされる毎日。婚約中の彼氏が浮気をしていたとか、でもそれは私に構ってもらえなくて寂しいからなんだなって思ったら許せてきた、私には共感できなかった。
その先輩は目先のことしか考えられないようで、「別部署と共用のプリンタ用紙の在庫がなくなった(こっちの営業の人がたくさん使っていたらしい)」時、別部署の人からこちらが責められた(その別部署もどうかと思う)のだが、今すぐ授業に向かわなければ間に合わないという時間帯なのにも関わらず「私たちがA3用紙を半分に切るから」と本当に切り始めそうになったのはビビるというか呆れてしまった。
私たちに拠点がなく、学童保育をしている部署と共用で建物を借りていた。学童保育ももちろんA社の事業。
こっちの部署も賃料を払っているのだがどうしても学童の社員は私たちに対して口調がいちいち責めるような口調だった。
そして、授業をした時に1人お休みの子がいたのだが、後からその子の父親から「息子が少し遅れて行ったのだが、学童の先生と目があったにも関わらず鍵を開けてもらえず、やむなく帰ってきたのだがどういうことだ」との電話がきた。
授業の部屋と玄関の間にドア一枚あるため授業が始まるとこちらのスタッフは玄関を見られない。
そのためそちら側を使っている学童のスタッフに対応してもらうしかなかったのだがしてくれなかったらしい。
「あと、学童側のスタッフがあからさまに教室側の生徒に冷たい」と生徒が話していたらしい。
上司に相談したが「同じ会社とはいえ別会社のような関係なので協力も強く要請できないので今回は報告だけする」「あくまで悪いのは遅れてきた生徒、というスタンスで対応する」とのことだった。
同じ会社で隣で仕事しているのに足の引っ張り合いをする、お客様のことを優先的に考えてサービス改善できない(ビジネスといえばそうだが切り詰める所が違うと思う)、先輩との雑談で新しい知識が増えることもなく、ただ自分たちの現状の物を(アップデートもせず)いかに良いものに見せかけられるか、ということしかできない。自分が大学で得たものは全て会社の社員のレベルまで落とさなければならない。
ということがずっと溜まりめまいが始まり適応障害と診断され、鬱も再発してきて眠れない、家事もできない、絵も描けない、PC触れない、という症状がで始めたので辞めました。
会社を辞めると「職を失いました」という証明をするために会社から受け取らなければならない書類がいくつかありました。
・離職票 (退職後10日前後で会社から郵送されなければいけない)
・健康保険・厚生年金保険資格喪失連絡票 (退職日前にもらえるはず)
この3つですがどれも会社側から自動で送られてくることはありませんでした。(本当は連絡入れなくても送られてくるべきもの)
いつまでたっても来ないので辞めたのに上司にLINEして(LINEしか連絡手段がない)離職票と保険資格喪失連絡票は手に入りました。
源泉徴収票はこの時も送られてこなかったがまぁ年度末にはくるだろうと思っていました。(こなかった)
確定申告ギリギリになってもこないので会社のお問い合わせメールから連絡したら、「給与事務課に直接電話してください」とだけメールがきて、電話かよ…と思いながら電話してみたら「辞める時に源泉徴収票が必要だと言われなかったので送りませんでした(しょうがないから送ってあげます)」という感じでまじでギリギリに送られてきた。(困る)
次に俺は片方だけ足を上げ、クルリと回ってみせる。
「な、なんて機敏な!? まるで自分の足のように動いているぞ!」
『鍛錬は心を包み込む』
アノニマンの教訓その6の通りだった。
「弟くんに、あんな特技があっただなんて……」
「いや、練習したんだろうさ……俺たちの知らないところで」
そうして一通り動きを見せていく頃には、俺はすっかり調子を取り戻していた。
今なら大技もできるという確信を持てるほどに。
「よし、次だ!」
俺は目の前にある階段を勢いよく駆け上る。
その勢いを殺さず、次は駆け降りてみせる。
「マジかよ!? 技術だけじゃなくて、勇気がなきゃあんなの出来ないぞ」
「これで最後だ!」
最後の一段、俺は大きく跳んだ。
そしてバランスを崩さず、綺麗に着地する。
当然、ここまでの間、俺の足はカンポックリから一度も離れていない。
完全に一体化していた。
「うおおお!」
「すごいな! いつの間にあんなことが出来るようになったんだ」
みんなが俺のもとに駆け寄ってくる。
カンポックリで感心してくれるか不安だったけど、杞憂だったようだ。
アノニマンの教訓その10、『スゴイことに貴賎はない』ってことなんだろう。
間違いなく俺はここにいる。
「それが今のマスダを形作ったルーツってわけね」
「あれ? でも今はカンポックリやってなくない?」
「そりゃあ学童に行かなくなってからは、わざわざそれをやる理由がなくなったからな。でも、あの時の経験が無駄になったわけじゃない」
俺はそれからも、様々な場所で自分を表現することが自然に出来るようになった。
何かに熱中して、上達する喜びも知ったんだ。
「へえ~、イイ話だねえ」
「いや、それそんなにイイ話じゃねえって」
同じ部屋にいた兄貴が水指すことを言ってくる。
兄貴はこの話を何度も聞かされていたので、ウンザリしていたんだろう。
「野暮ったいこと言うなよ兄貴」
「え、どういうこと?」
兄貴の言うとおり、アノニマンというのは昔の特撮ヒーローが基となっている。
その映像を見たことがあるけど、見た目、言動といい、確かにそっくりだった。
彼はそれに強く影響されていたってことなんだろう。
それは、しばらく後になって分かったことだけど、別にショックじゃなかった。
「そいつはこのアノニマンを真似ていただけ。ただのゴッコ遊びだったんだよ」
「そんなの関係ないね。俺と手を握ったのは“あのアノニマン”なんだ」
アノニマンの教訓その11、『私が尊敬されるような人間かどうかは関係ない、キミが私を尊敬できるかどうかが大事』。
それへの答えは決して変わらない。
「だったら、せめてその話は周りにはするなよ。お前はともかく、そいつにとっては黒歴史っつう可能性もあるんだからな」
「それっぽい理由を盾にしてケチつけんなよ。俺とアノニマンのことについて何も知らなかったくせに」
「……まあ正体なんて誰にも分からないだろうし、大丈夫……か」
どこかで惨めに 泣く人あれば
横槍気味に やってきて
啓発じみた 教訓で
好き嫌いは 分かれるけれど
自愛の心は 本物だ
アノニマンは 誰でしょう
アノニマンは 誰でしょう
「さて、次のステップはその“頑張れること”を何にするかだ。もちろん好きなものの方が良い。アノニマンの教訓ではないが、『好きこそ物の上手なれ』という名セリフがあるからな」
「それは施設内にないだろう。あそこにある中で、可能なものを選ぶがよい」
そうは言っても、今まで手をつけてこなかったものだ。
興味が湧かないし、やってどうこうできるイメージも湧かなかった。
そこでアノニマンはまたも道を示してくれた。
「ならば、まずは施設内にある遊具を一通り嗜むのだ。そして、その中から“得意なこと”を見つけだせ」
「“得意なこと”……?」
「アノニマンの教訓その4、『得意と努力は家族ではない。しかし隣人ではある』。得意なものほど熱中しやすく、頑張ることは苦になりにくいのだ」
こうして俺は無作為に、色んな遊びに手を出してみた。
最初は気乗りしなかったけど、どれも遊んでみると意外な魅力を感じるものが多い。
アノニマンがいないときも、いつも何かで遊ぶことが増えたんだ。
そんな俺の様子を見て、学童の皆もよく話しかけてくるようになった。
「うん……でも大皿にすら乗せられない」
「ああ、それは持ち方と構えが……」
徐々にだけど、俺も自分の意見を言えるようになり、マトモなコミュニケーションをとれるようになっていく。
その時は気づいてなかったけど、俺は既に自分なりの居場所を手に入れつつあった。
得意なことも頑張れることもまだ分からなかったけど、多分それも考えた上でアノニマンは俺に色々やらせたんだと思う。
そうして一週間後。
俺はその日もアノニマンに成果を報告していた。
「……というわけで、どれもそこそこ出来るようになったけど、やっぱり俺は“コレ”にしようと思う」
「なるほど。“ソレ”は学童内でちゃんとやっている子もいないからな。個性を見せるという点でも良いチョイスだ」
アノニマンも最初の頃のような説教じみたことを言うことが減って、その代わりに俺を褒めてくれることが増えた。
「それに“コレ”で遊んでいる姿は、皆にはまだ見せたことがないんだ。今日はしっかり仕上げて、明日ビックリさせてやる」
俺はその時、かなり充実感があった。
「ふむ……では、もう私の助けも必要なさそうだな」
いや、忘れているフリをして、考えないようにしていたのかも。
アノニマンが何のために道を示したのかを。
「そんな……」
「『道は示す』と言った。そして『通るかはキミ次第』とも言ったはずだ。通れる道が見えているのに、移動まで私にやらせるつもりか?」
分かってはいたんだ。
俺がその道を通れるようになった時点で、アノニマンの仕事は終わる。
それがこの時だった。
そして翌日。
まずアノニマンは、俺にその“道”がどういったものかを教えてくれた。
「アノニマンの教訓その1、“居場所とは社会の縮図”である! その中で自分の居場所を見つけるためには、とどのつまり社会の一員になること。仲間になればいい!」
「どうすれば仲間になれるの?」
「少しは自分で考えろ!……と言いたいところだが、この段階で勿体つけても時間の無駄なので答えてあげよう。せっかちな私に感謝したまえ」
「……ありがとう」
「いいぞ、その調子だ。アノニマンの教訓その2、“感謝とは言動で示したとき、初めて感謝となる”のだ」
「その教訓、いま考えてない?」
アノニマンは偉そうで、強引だった。
だけど、あの頃の俺にとってはそれ位が丁度良かったのかもしれない。
「何度も言おう、私はせっかちだ。だから理屈はクドくとも、答えはシンプルにいく。キミは“一目置かれる”存在になれ!」
「それって……どういうこと?」
「例えばキミと同じ学童のウサク。彼はある日、学校の朝礼にて校長のカツラを剥ぎ取った」
その場には俺もいたのでよく覚えている。
確かにあれは衝撃だった。
「ウサクは後にこう語った。『ありのままの姿を隠すことは、否定することに繋がる。学園の長がそんなことでは教育以上よくない』……と。この主張の是非はともかく、それで彼が一目置かれる存在になったことは間違いない」
「キミは応用力がなさすぎるな。今のはあくまで一例。他人のやり方を形だけ真似ても、ただ悪目立ちするだけだ」
「じゃあ、何のために今の例えを出したの?」
「ほんとキミは疑問系ばかりだな……あの話から学ぶべきこと、それは“個性を認めてもらう”ってことだ」
個性……。
アノニマンの言うことは理解できたけど、どうすればいいかはまだ分からない。
だって自分の個性なんて、ちゃんと考えたことがなかったからだ。
「俺の……」
「みなまで言うな。自分の個性が何なのか分からないのだろう。だが、それは大したことじゃない」
だけどアノニマンはそれを察した上で、その不安を一蹴してくれた。
「アノニマンの教訓その3、“個性とは自称するものではない”。『自分はこういう人間だから』と吹聴する人間はロクでもないからな」
アノニマンも似たようなことやってるような気がしたけど、そこはツッコまないようにした。
「だったら、どうするの? 自分の個性が分からないのに、認めてもらうことって出来るの?」
「先ほどしたウサクの話を思い出してみろ」
確かにそうだ。
「他の人のことも思い浮かべてみろ。そしたら自ずと見えてくるはず」
他の人……。
その時に俺が真っ先に思い出したのは、今日の兄貴のことだった。
「俺の兄貴なんだけど……コマ回しをやってた。難しそうな技が出来て、周りも驚いていた。本人も得意気で……」
「……そうか。どうやら“道”が見えてきたようだな」
「何か頑張れることを見つける……ってのはどう?」
「よかろう! では、次のステップだ!」
俺が自分で答えることができて、たぶん喜んでいたんだと思う。
話がそこまで進展したってわけでもないし、ましてや俺の問題なのに。
それでも自分のことのように喜んでいる様子を見て、俺はこの人に頼って良かったと思った。
今シーズンからNPBで始まったリクエスト制度。名前のカッコ悪さもあるけれども、なんとも審判員にとっては格好悪い制度。
成功率が約半分。成功率と呼べばいいのか失敗率と呼べばいいのかは立場によるね。
ただ、少なくともベンチが「ん?」と思うジャッジをビデオでよくみると確率は丁半博打とほぼおんなじだってこと。
ずっと審判は一番近くで見ているので正しいと習ってきた。私自身、そんな風に思ったことはないけれど。
学童野球に携わり、アマチュア審判員のライセンスも取得した。3級だけどね。なんども講習会にも出席した。
教えてくださる方によって異なる位置取りや理屈。毎年代わるフォーメーション。もう野球って100年以上行われているけど、まだそんなことも決めらんないのかと呆れていたし、よくよく聞いてみれば偉そうなことばっかり言ってるけど、肝心なところはやっぱり結局見えてない時もあるじゃん。
ある講習会で理事長がテニスの審判員のような椅子に座り、我々受講生の動きを見ていた。講習会では地元の中学の野球部員が協力をしてくれており、三塁のクロスプレーのケースを練習していた。
私の番が来た際、私はアウトのジャッジをした。しかし、そこでテニスの審判員の椅子にふんぞり返った理事長がメガホンで「セーフ〜」と言ってきた。「今のはセーフ、どこみてんだ、足が入っているだろ」のおまけ付きで。
たしかにサードの彼は足にではなくお腹あたりにタッグをしており、ランナーの足がベースに着くのとどちらのタイミングが先かという感じであった。そこで一番近くで見ている私がタッグの方が早いという判断を下し、アウトのジャッジを下した。
私は「俺が一番近くで見てるんだ!そっから見ている方が正しいのであれば、そっから見る形に変えろ!」と怒鳴って詰め寄ってしまっていた。
その他にも納得しかねるアドバイスの数々。もちろん、良かれと思ってアドバイスをして下さっているのは分かるのだけれども。キャッチャーが自分の膝より下でとったらボール。大差がついたらストライクゾーンを拡げて。
ストライクゾーンはルール上、キャッチャーが取ったところでは決まらないはずだし、大差がついたらストライクゾーンが広がるというルールもない。ましてや試合が決してからチャンスをもらう選手だっているのに、そんなご都合主義的なことできないだろう。
講習を通じて守らなくてはいけないことは「審判の威厳を保つこと」「試合進行を促すこと」であり、「プレイヤーズファースト」の観点が抜けているように感じました。
審判員はあくまでプレーの結果をジャッジするだけで、試合進行を促すとか、試合を演出するとか、ちゃんちゃらおかしい。威厳を保ちたければジャッジの公平さ正確さで尊敬を集めるしかないと思う。
プレイヤー側が審判は神だと思うのはいいと思うけど、審判員自身が思うのは奢りでしかないし、危険だと思う。ジャッジは迷うし、見えてない時は見えてないし。逆だったかなと思う時はあるし。
私は見えていないことやミスジャッジを責めているのではなく、神であるという態度や審判の威厳なんていう考え方が嫌なのよね。プレイヤーのプレーを正確に判定し、プレイヤーが時間を掛けたければそのようにするというのが良い審判員だと思います。
リクエスト制度によってはっきりしたのは、ジャッジの正確性など遠く(ベンチ)からみているのとそう変わらないし、むしろ見ないで判定しても、コインで判定してもそう変わらないということ。よって正確性によって威厳を保つことはもう無理。
ごめん、わかんないって言えば許すのに。人間のやることなのだから。
でも、結果は半々なんだね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180713-10000001-mbsnews-l27
アラフォー共働き家庭の母のほうです。関西某所在住で、小学校低学年の子供を放課後、公設の学童に預けている。先生たちはとても良くしてくださって、子供は学童が大好き。
でもこの記事を読んで、もう本当に指導員の先生に申し訳ない。うちは世帯年収は2K万円を超えている。でも学童に支払っている額は約1.1万円/月。平日、ときには土曜日も預かってもらってこの額。自治体の基準に従って決まっている額だが、いくらなんでも安すぎる。
もっと払ってもいいのになといつも思ってる。支払いが難しい家庭には負担を軽くすべきだけど、払える家庭の負担はもっと重くていいよ。払う。ケアワークを軽視するシステムに乗っかって、ケアワーカーを搾取する側に回るのは嫌だな。どうしたら先生たちの待遇を良くすることに貢献できるのかな。
ガイドが罪罰メーターの説明をしている間、兄貴は何も言わず話を聞いている。
時おり何かを言いたそうに口がもごもごしていたが、ある程度は話を聞いてからにするようだ。
「このメーターの素晴らしい点は、罪と罰の性質やベクトルが違っても計算してくれることなんだ。暴力という罪に対して、罰金や、社会的制裁でもいいわけ」
ガイドが一通り話を終えた。
兄貴は罪罰メーターの効果に驚くわけでもなく、ただ静かにキトゥンを撫でているだけだった。
「ふーん、つまり罪と罰を正確に測るための装置ってわけか。ならキトゥンには使えないな。こいつの躾くらいには、使えなくもないと思ったが」
「え、測れないの?」
俺は兄貴がなぜそう思ったのか分からなかったので、理由を聞いてみた。
「そりゃあ、罪だとか罰だとかってのは人間の尺度で決められたものだろ。それを動物を測れるわけがない」
うーん、そうなのか。
言われてみればそんな気もする。
「いや、動物も測れるよ」
何だか雲行きが怪しくなってきたぞ。
「このメーターは目的こそ罪と罰の計測だけど、その原理は因果の計測なんだよ。これまでの行動と結果を多側面的に記号化しているんだ。だから他種の生物だって計測することは可能さ」
「いや、測れたらマズいだろ。それってつまり、人間たちの尺度で動物を裁くことを良しとするってことだぞ」
「何を当たり前のことを言っているんだ。ボクのような未来の人間だけではなく、この時代の人たちもそうしているじゃないか。キミ達も外来種が原生生物を脅かしていたら、その外来種の方を殺すだろう? それって、つまり人間たちの尺度で他種を裁くのを認めているってことじゃないか」
表情が歪んだことを隠すため、咄嗟にやってしまう兄貴のクセだ。
だけど兄貴の眉の角度は明らかに上がっているのが分かるし、その理由も明らかだった。
兄貴の飼っている猫、キトゥンはジパングキャットという外来種だ。
ジパングキャットは、この国では絶滅危惧種である魚が好物なため、駆除対象に入っている。
数年前、俺や兄貴のいた学童の仲間たちの間で、このジパングキャットをめぐって一悶着あった。
または人間の勝手な感情を押し付けて、猫を優先して守ることは良いことなのか。
兄貴は最初の内は飼うのに反対で、俺が駄々をこねてもそれは変わらなかった。
そんな兄貴がどういう理由で心変わりしたのか、尋ねたことがある。
返ってきた答えはこうだった。
「猫を生かそうが殺そうが人間のエゴだというなら、自分の心に従ってより良いエゴを選ぶまでさ」
そんな兄貴にとって、ガイドの言うことは十分に理解できるものだった。
だけど、いや、だからこそ。
学校終わった後はまたバス必要な距離にあるのに送迎もない学童に入れるしかないのを分かってて
教育熱心さの方向性間違ってない?災害とか起きたらどうするの?
余程しっかりしてる子ならともかく、そんなくだらない理由で学童に行かないような子なのに。
せめて1年生のうちだけでもシッター雇うとかさあ…
東京からは遠い都市圏に在住の共働き夫婦。同じ専門職に就いているが職場は別。私は妻のほう。一年生の娘がいる。
娘はバスを使って一人で学校に通い、帰りはバスに乗って学童に行く。学童は夫の職場からならタクシーを使えば10分かからない。私の職場からは30分弱かかる。娘の学校は携帯・スマホ禁止だけれど、GPS端末を持たせていて大体の居場所はわかる。下校時刻になったらどこにいるかを確認するように私はしている。
少し前のことになるが、娘は迷子になった。学校で嫌なことがあって、下校後に学童に行くのではなくて夫の職場に行こうとして迷った。私が位置情報を確認していておかしいと気づいたので、夫の職場が近いし夫に探しに行ってくれないかと頼んだが、仕事が抜けられないという。それで私が仕事を切り上げ、タクシーを飛ばしてなんとか娘をみつけてことなきを得た。娘は無事。夫は私が娘を家につれ戻ってから戻って来て、まだ仕事が終わらないと職場に戻った。
この事件のあと、「こういう事態のときにはともかくすぐに仕事を抜けるべきではないか。あなたの職場の方がが近いのだからもっと早く娘を助けられたはずだ」と言うと、仕事が抜けられなかったという。自分の子供より大事な仕事なわけ?
一年生の娘が一人きりで公共交通機関を使って移動しているということがものすごく心配なんだよ。車にはねられたらどうするんだ。変な人に変なことされたらどうするんだ。総合的な判断で遠くの学校に通わせることにしたけど心配は心配だし、時にまわりに迷惑をかけて仕事を切り上げるのだって仕方がないと私は思ってる。
なんだろう、夫と私のこの温度差は。私が心配し過ぎなの?夫がおかしいと思う私は間違ってるのか。
追記:
コメントありがとう。ざっくり言うと、娘の学校と私の職場が近い。で、自宅と夫の職場と学童が近い。この学童には保育園時代の仲良しが通っていて、娘の希望で通っている。送迎付き学童も入ってたのだけど、娘が車酔いするのでやめた(路線バスならなんとかOK)。シッターさんもこのあたりだと一回2時間からなので、学校へのお迎えにだけ使うのは難しいかな。あと、まわりの友達も一人で登下校しているので最近はたまに私が付添うのも嫌がる。ここに書けることはこのくらい。
追記つづき:
「掟」については当てはまるところもそうでないところもあり。でも確かに、私が仕事を切り上げられるのは私が女性だからかもしれない。まわりが「仕方ない」と思ってくれる度合いが高いしね。
昔はみんなの歌で家の前の道路で元気に遊ぶ子供達の映像が流れてた記憶もある。
親も昔よりずっと子供にくっついて、年長の子供に親が付き添わず近所の公園で遊ぶような、昔なら問題なかったレベルで今なら非常識な親や放置子になる。
赤ちゃんを一人家に残して買い物に行く母親も今ならキチガイだ。
学童もきちんと使い働く母親は激増しているのに鍵っ子は減っている。
なのに、ネットで嘘松臭いそんなん見た事ねぇよレベルの子供や妊婦叩きネタが頻繁に上がり、今時の親は躾がちゃんと出来てないですからね、私達の頃は道路で遊ばないようしつけられてたのに今時は、今時の子供は変なのばかりですね等々サンドバッグにされる。
こいつらに子供のころにやらかしてる瞬間の自分を見せてやりてぇ。
ウザいなぁ。
毎日の弁当作り、かなり親(主に母親)に多大な負担かかってんだけど。
で、「今までずっとこうだからー」って、変化が大っ嫌いな組織(※役所、教育委員会、学校)が関わってくるんだよなー。
臨機応変に動く事が嫌ですか??
「家庭で作った弁当を子供に持参させる事こそ母の愛」とか、なにそれ???
共働きワンオペ家事育児して、フラフラの母親は夕飯朝食の準備すらままならないのに、ギリギリの精神状態で更に「弁当作れや」って、死ぬぞ母親!!!!
作れたら作るよ弁当。
でも作れない位、倒れそうな位クッソ忙しいのよ母親は。
今、教育の場に立っている40〜50代の責任者や担当者ってさ、「だって、自分の母親は毎日弁当作ってたし、あなたも働きながらできるでしょ?」って価値観なんだよ。
ひとくくりにしてんなヴォケーーーーー!!!!!!!!!
格差は縮まるでしょ。現状だと
認可保育園に入れる→安い金で共働きで世帯収入倍増→小学校入っても学童優先で世帯収入保てる→貯金大量に作れるから学費も豊富
認可保育園に入れない→共働き出来ず世帯収入半減→幼稚園入ってようやくパートするも↑ルートよりは遥かに少ない世帯収入のまま
→小学校でも学童入れず同じ→貯金もなく子供の学費出せず子供は貧困層へ
→仕方なく認可外に入れて共働き→世帯収入は保てるが保育料は激高&環境は悪く子供の教育を満足に出来ない
と言う状態で「皆専業主婦で幼稚園で当たり前」時代より格差が遥かに広がってる。
それが「全世帯に金を配り、保育園入れたい人はそこから出す」方式になれば
遊んで、宿題やって、おやつ食べて、親に言われた時間通りに帰る。
人が足りない。全然足りてない。
クローズアップされるのは保育園ばっかだけど学童だって今需要めっちゃ上がってる。
わたしはパートでもう2年働いているけど人がほんとに足りない。
1ヶ月朝から夕方まで60人近い子供を相手する。それをシフトで回さなきゃいけない。
小学校の規模によってまちまちだが
うちはそれでもまだましな方
ただ4月から職員体制が変わって、長く勤めてた常勤さんが異動になる。
パートも何人かやめてしまって、平日60人を3人で見ないといけない日もあるとのことだった
けど60人のおやつを準備して、食べさせて、皿洗いしたりするおやつ係がまずひとり、掃除したりする人も必要、
保護者から受けとる連絡帳の対応をする係、事務作業だっていっぱいある。
やらなきゃいけないことが膨大すぎる。
障害のある子には、介助度にもよるけどひとり職員が付きっきりでいなきゃいけない。ひとり持っていかれる。
子供の喧嘩も日常茶飯事なのに、こんなにもやることがあって、人手が足りなさすぎる
むかつくこともあるけど些細な瞬間に救われたりもする
あの子たちがちゃんと生きていけるような社会にしなきゃいけない