はてなキーワード: 学童とは
俺はあの猫が先ほどいた場所にエサを置き、そこから一歩離れた場所で中腰になって構えた。
そうしてしばらくすると、目論見どおりあの猫が姿を現す。
しかし、エサにはすぐ食いつかない。
こちらを窺っているようだ。
手を出せば捕まえることができる距離まで近づいてきたが、それでも焦らず腰を据える。
俺はおそるおそる人指し指を突き出した。
猫もおそるおそる指の匂いを嗅ぐ。
よし、ここまでくればほぼ成功だ。
そこから流れるようにそっと猫の首や背中をなでるが、抵抗せずに身を委ねてくる。
最初に会ったときに何となく分かっていたことだが、やはりこの猫は人慣れしている。
猫が人間社会で生きていこうとすれば、人間をアテにしたほうが合理的だから当然だろう。
ウサクみたいに強い敵意を向けたり、強引に迫ろうとしなければ逃げようとはしない。
だから俺は、エサをあげたいだけの猫好き一般人を装うだけでいいんだ。
そうして猫が完全に警戒心を解いたのを見計らい、俺は用意していたカゴに導いた。
俺たちは捕まえた猫を引き渡すため、施設へと移動を始める。
「素晴らしい達成感だな。我々は社会に貢献したのだ!」
猫一匹捕まえただけで、ウサクは大義を成したとばかりに喜んでいる。
ある意味では子供らしい反応なのだが、愛嬌はまるで感じないな。
「それにしても、兄貴って意外と猫好きだったんだね」
「そう見えたから、この猫も近寄ってきたんだろうな」
猫だけじゃなく、お前まで騙されてどうするんだ。
「好きじゃないっていうか、まあ厳密には好きでも嫌いでもないな」
「とんだ猫たらしだ」
みんなの目が冷ややかだ。
俺はスマートに捕まえてみせたのに、なんでそんな態度をとられなければならないんだ。
「そもそも俺が猫好きだったら、わざわざ業者に引き渡すようなマネはしねえっての」
「え? どういうこと?」
どうやら弟は要領を得ていないようだ。
そんな状態で猫を捕まえるのに精を出していたのだから、何とも残酷な話である。
俺がそう答えると、弟は固まってしまった。
というか、それを聞いていた学童仲間みんなが固まってしまっていた。
「“殺す”んじゃない。“駆除”するんだ。」
「結局は殺されるんだろ」
「いや……“駆除”という言葉には、“殺す”という意味以外も含まれているのであって……。業者に渡したからといって、必ずしも殺すというわけでは……」
「じゃあ、この猫は殺されないの?」
「……少なくとも苦しむような手段はとらないだろう」
ウサクの歯切れが悪い。
イエスともノーとも答えていないが、その反応だけで察するのは簡単だった。
そして、その時にやっと弟たちは自分のやっていることが“どういうことか”自覚したらしい。
罪の意識に駆られた弟たちは、それを解消しようとウサクを非難するという行為に及んだ。
「ウサク! 僕たちに何てことをさせたんだ!」
「俺たちを猫殺しに加担させるなんて……」
俺はウサクが少し気の毒にも思えたが、半ば強制的に手伝わされた恨みがあったので擁護する気になれなかった。
かといって猫に思い入れがあるわけでもないので、弟たちの側に入る気も起きない。
俺は猫が入ったカゴを抱えながら、その様子を静観しているだけだった。
「殺すわけじゃない。我々は捕まえて、業者に渡すだけだ」
「でも、その業者に渡したら殺されるんだろ?」
さすがに目の前の命が危機にさらされていると分かれば、ロクな主義主張を持たないガキでも必死になる。
弟たちは猫を業者に渡すことに猛烈に反対した。
「な、なんだ貴様ら。さっきまで猫を捕まえることに協力的だったくせに……」
「殺されることを知っていたら、こんなことはしなかったよ!」
「『無知は罪』という言葉を知らんのか!? 『知らなかった』、『いま知ったから』で簡単に手の平を返して許されるとでも?」
ウサクはみんなにそう返すが大した理屈じゃない。
俺たちがガキであることを抜きにしても、ヒト一人が知っていることなんて高が知れている。
なのに知らないことを罪だと責めるのは理不尽だ。
とはいえ、今こうして言い争う皆を見ていると、分からなくもない主張ではあった。
「貴様ら、何を悠長にしている。あれはジパングキャットだ! 捕まえて、業者に引き渡さねば!」
ジパングキャット……
このため健康面を考慮しないのならば、食生活は環境によって大きく異なるといえる。
牛肉の国では牛肉を食べ、野菜の国では野菜を食べ、カレーの国ではカレーを食べるわけだ。
ジパングにはウナギが大量にいることから、そこに生息する猫たちも自然と食べるようになったのだが、これが他の国ともなると事情が変わってくる。
ウナギは俺たちの国では高級食材とされているほど希少な魚であり、国産ともなると一般庶民の手には届かないほどであった。
そのためジパングキャットはこの国のウナギを絶滅させるとして、害獣と認定されていたのだ。
「あんな外来種をのさばらせて、ウナギを絶滅させたとあっては我が国の一生の恥だぞ」
ウサクは真剣だったが、対して周りの反応は冷ややかだった。
ほとんどの子供はそういった話を理屈の上では分かっても、その危機感までは伝わりきらない。
はあ、そりゃ大変だ、くらいにしか思えないのだ。
「それじゃあ、まあ捕まえる? ウナギ食えなくなったら嫌だし」
大した主義主張を持っていない俺たちは、ウサクに何となく話を合わせる。
「『ウナギ食えなくなったら嫌』? 何と軽薄な。『絶滅する』と言え」
俺たちからすればウナギが絶滅するのも食えなくなるのも同じようなものだと思うんだが、細かな表現の違いで何かが変わるんだろうか。
「当たり前だ。人間の作った勝手な尺度で他種の命を測るんじゃあない!」
「それだとウサクの言った『我が国の一生の恥』って理由も“人間の作った勝手な尺度”なんじゃ……」
「貴様とは志が違う!」
志の違いで本質が変わるとは思えないが、ウサクにとっては決定的な違いなのだろう。
まあ何らかの使命感に燃えているような奴だった。
そして、燃えて熱くなったウサクの相手をするのは面倒くさいのでテキトーに受け流す。
「分かったから、さっさと捕まえにいこうぜ。目的はそっちだろ」
こうして俺たちは捕獲作戦を開始したのだが、いざ探し始めると目的の猫が中々見つからない。
あの猫、かなり人に慣れているようだから、ひょっこり顔を出してきてもおかしくないと思うんだが。
第六感とやらで危機を察知して、俺たちの思いもよらないようなところに隠れているのだろうか。
もとから気乗りのしない俺は探すフリをして誤魔化していたのだが、バレバレだったようでウサクに檄を飛ばされた。
「弟を見習ったらどうだ」
「根っほり~ん、葉っほり~ん」
確かに弟は歌いながらではあるものの、文字通り草の根を分けて捜しているほど一生懸命だった。
だが弟があそこまで頑張っているのはウサクみたいな志があるというわけではなく、猫探しをゲーム感覚くらいにしか思っていないからだろう。
ウサクの言っていたことが実感に繋がらないように、自分たちのやっていることが“どういうことか”も、あまり分かっていなかったのだ。
俺は猫を飼っている。
我ながら酷いネーミングセンスだと思う。
有名な猫のキャラクターを参考にして名づけたのだが、それが安易だと気づくのはしばらく後になってからである。
その頃には完全に定着してしまい、そいつは「キトゥン」と呼ばないと反応しなくなっていた。
俺も面倒くさいので改名はしていない。
ゾンザイだと思われるかもしれないが、実際その通りだと思う。
なにせ俺は猫が好きでも嫌いでもない。
好きでも嫌いでもないものに対して、人はとても薄情だ。
今でこそキトゥンという個に対しては多少の情こそ湧いているものの、それでも猫自体が好きなわけではない。
そんな俺がなぜキトゥンの飼い主なのか。
大してドラマティックでもないが、今回はその出来事について話そう。
今から数年前。
自分から見ても一般社会から見てもガキとして認識されている歳だった頃。
その日は弟や学童仲間と連れ立って、近所の空き地で遊んでいた。
そこで皆が思い思いの遊びをする中、弟がするのはもっぱら生き物探し。
名前すら分からない虫や動物がその空き地には多くいて、当時は何とも思わなかったが、いま考えるとかなりヤバい空間だった。
「見てよ、兄貴! この虫、すっげえ見た目!」
俺はそういったものに対して抵抗感を覚え始めており、その様子を遠巻きに眺めるにとどめていた。
「兄貴! 珍しい猫がいるよ」
「ああ、そうかよ」
「本当だって! 見てみなよ!」
俺はテキトーに聞き流すが、弟にせがまれて渋々と猫を見てみる。
首輪がないので野良だと思うが、人慣れしているのか至近距離まで近づいても猫は平然としている。
全身が白い体毛で纏われているが、背中部分だけは妙に赤い。
あまりに不自然だったので最初は怪我をしていると思ったが、血の色にしては鮮やか過ぎるので柄なのだろう。
「ニャー」
鳴き声も独特だ。
猫の鳴き声を文字に起こすとき「ニャー」と表現することは珍しくない。
だが実際にここまで、ハッキリとそう鳴く猫は逆に奇妙だった。
「え、なになに? 猫いるの?」
鳴き声を聴きつけ、他の学童仲間たちがゾロゾロと集まってくる。
すると猫は警戒したのか、逃げるようにどこかへ走っていってしまった。
「ああ~、いっちゃった……」
みんな残念がっている。
学童仲間はみんな猫好きだったのだろう。
猫の何がそんなにいいんだか。
そう思いながら学童仲間たちを俯瞰して見ていると、一人だけ険しい表情をしている奴がいるのに気づく。
ウサクだ。
仕事で書いてるんだけど、
何であんなに記入項目が多いのか。
一年ぶんの給料とか勤務日数とかほんとに入園のために必要な情報なの?
連続して育休とって5年以上会社に来てない人の育休取得前の勤務実績を知ってどうなるの?
児童との続柄とか通勤時間とか、会社が証明しないといけないの?
だいたい仕事内容の詳細とか知らんし、仕事の内容によって保育園入れたり入れなかったりするの?
同じ内容のものを児童ごとに作成する必要ある?全部手書きで?コピーじゃだめなん?
あと保育園用と学童用とで様式違うのもめんどい。同じ自治体なんだから使い回してくれたらいいやん。社員一人につき2枚3枚とかやってられん。
記入者名書かされるのもやだ。
ところかわって父は大作アニメの製作に関わっていて忙しかったが、俺たちのこともあり早めの帰宅を余儀なくされていた。
「フォンさん、シューゴさん。すいません、今日はこれで失礼します」
「最近は帰りが早いですね。まあ今回は予算も人員もたくさんなので支障はないですが」
「子供たちを学童に預けているので、迎えに行かないとならないんです」
「あんたの嫁さんはどうした? 病気か? いや、サイボーグだから故障って言ったほうが正確か」
「そうではなくて、例の政策に妻が引っ掛かってしまって、いま子供の面倒見れるのが俺だけなんです。では、お疲れさまでした」
「はい、お疲れさん……しかし、例のやつにマスダさんの奥さんが引っ掛かったか」
「我々が知っている限りでは、問題なさそうな人柄だと思いましたが」
「あれ基準がザックリしすぎているからな。冷静に考えれば問題ない人たちまで弾かれているらしい。逆に問題あるだろって人が親免許持っていたり。要は現実に則していないんだよ」
「ワタクシにも娘がいますが、この仕事のこともあって面倒はそこまで見れていないんですよね。なのに親免許を貰えるんですから不思議なもんですよ」
「それがマズいよな。逆に言えば貰えないやつはどれだけヤバいんだって認知される。でも実際のところ子供の教育に親がどんなタイプがいいかなんて、収入とか分かりやすいものを除けば後は不確定なんだよ」
「一理ありますが、シューゴさん子供いないのに随分と雄弁に語りますね」
「そんなにおかしいことじゃないだろ。関係のない立場から意見を出す人間のほうが遥かに多いんだ」
この時期になると、当事者以外からも今回の政策の問題点が徐々に認識され始めていた。
そして俺たちは、迎えに来た父と帰りの道中いろいろなことを話した。
「母さんは何時ごろ帰ってくる?」
「予定表を見る限りでは、早くて1週間、長くて2週間」
「免許がとれなかったら?」
「その時は再試験になるかな」
「じゃあもっとかかるってこと?」
「うーん……」
それは母という生活的、精神的支柱がいなくなったこともそうだが、政策そのものに不満を抱き始めていたからだ。
「なあ、この政策やっぱりおかしいんじゃねえの。“よき親”なんてものがどんなもんか知らないけどさ、少なくとも今の俺たちは母さんがいなくて不幸だよ」
「……うん、そうだな。なら俺たちは俺たちで、出来ることをやろう」
「まだ耐えろってこと?」
父は市長に投票した一人なこともあって、政策を批判することを憚っていた。
だが、それでもダメだと思うことにはダメだと言うべきだって決断したらしい。
俺たち家族が一致団結し、一つのことを為そうとした数少ない出来事である。
それがなくても出来るが、ないとやってはいけなかったり、あったほうがハクが付いたりする。
こう考えてみると非合理的なものにも見えるが、俺はそういったものを漫然と受け入れていた。
町の人たちもほとんど同じだっただろう。
数年前の話だ。
普段は特筆するような人物ではないのだが、突発的に妙な政策を打ち出すことがある。
「皆さん、子供を健全に育むために必要なものは何だと思いますか。わたしは“豊かさ”だと考えています。
これはお金を持っているという意味もありますが、心身においても言えることです。
そう、親ですよね。
毒親、貧困、問題は様々ですが、子供が背負う業は親が大きく影響することは誰もが認めるところでしょう。
そして、この問題が起きる要因は、子供は親を選べないことだと思うのです。
だからこそ“よそはよそ、うちはうち”だとか、“個人の資質”だとかで片付けず、わたしたちが代わりにメスを入れるべきなのです」
軽く聞いただけだと尤もらしいことを言っているようにも感じられるが、市長の演説は毎回“尤もらしいだけ”なのである。
こうして打ち出された政策が、子供を持つ親の資格、“親免許”である。
実の子の育児権利にも免許証が必要なので、俺の両親もこれを発行してもらいに行った。
査定の内容は、収入だの学歴だのまるで企業の面談みたいだったらしい。
「……というわけで、収入自体は副業のおかげもあって十分です。妻もいますし、手が回らないときは近くに学童もあります」
「ふうむ、なるほど」
父の方は何とかクリア。
だが問題は、意外にも母のほうだった。
いや、意外だと思っていたのは俺と弟だけだったのかもしれない。
「……おや、あなたサイボーグらしいですが……具体的にはどこを機械化しているので?」
「脳と心臓以外はほぼ全てです」
「うーん……つまりあなたはほぼ機械ってことですよね。機械に親免許をやるというのは倫理的に……」
「そんな!? いまでこそ体は機械化していますが、私は立派な人間です」
「いかんせん特殊なケースなので、適用すべきかどうか判断しかねるのです。ちゃんと規定しないことには……」
「現時点では見送りですね。規定するにしろ会議とか手続きで、恐らくは結構時間が……」
出来立てのルールというものは融通がきかないことが多く、イレギュラーが出てくるとしどろもどろになりやすい。
今回は、母のサイボーグっぷりがソレだった。
お迎えが苦痛。学童に寄って保育園に寄って、これから寝て朝家を出るまで、寝ている間以外ノンストップ、とにかく私がやらなきゃ何も終わらない、終わらないどころかただただやることが増え続ける時間の始まり。
お迎えから帰って夕食作って食べさせて、食べ散らかしを片付けて食器を片付けて掃除して洗濯して邪魔されながら干して、宿題見て本を読んであげたり遊んだりしてもうお風呂に入りなさいと言ってお風呂に入れて、お風呂ぐっちゃぐちゃになって自分はろくに浸かれず洗えず水滴垂らして震えながら子どもに暖かい服を着せて、化粧水もはたけず子供らの保湿をして歯磨きさせて、怒涛のうちに寝かしつける。寝る間際まで子供はママ聞いてママ聞いてと話し続けている。自分も寝落ちしてしまう。
そして朝になったら自分が最初に起きて朝ごはんを作ってせかして食べさせて着替えさせてウンチのオムツ替えて食べこぼし片付けて食器片付けて掃除して家を出る。
これが毎日毎日続く。職場ではほうぼうに頭を下げて仕事に追われ家では育児と家事に追われ、自分なんてどこに行ったのか。白髪だらけの髪、ガサガサでシミだらけの肌。へたった去年のユニクロの服。涙も出ない。虚ろな目の私。
いつかこれも思い出になるのか。
これが母親の尊い役目だなんてクソ食らえだと思う。尊さよりも自分の時間をくれ。落ち着いてトイレに入れる時間をくれ。子どもが食べるメニューだけじゃなくて自分が食べたいものを食べさせてくれ。
幼稚園の頃、同じ園児で仲の良い友達がいて、成人後の今、その友達への執着の感情が出てきた。
その友達は、私と同性の男で、私と仲が良く幼稚園ではいつも遊んでいた。
幼稚園は同じだったが、私と彼の家は遠かった為、卒園後は会うことが無くなってしまった。
それでも、記憶の中には、幼稚園で仲の良かった誰それという友達がいたという、そういう記憶は残っていた。何をして遊んだか、何故気が合ったのかは覚えていない。
そして、ここ数年は何故かその彼とまた会いたいと思うようになった。
卒園後もずっと彼のことを考えていたのなら良い友情だったのだろう。
しかし、彼のことは10代の頃は長らく記憶に残っていた程度だった、それが成人後に会いたいと思うようになったのだから都合の良い話だと思う。
彼の家は覚えている。とはいえ、幼児期の後から長らく接触が無かったし、ご近所でも無いので、今更訪問するのはいくら同性でもストーカーなのは言うまでも無いのでやらない。
だから、趣味や性格が現在合うかどうかも分からない。あの美形がどうなっているかも分からない。
なのに何故合いたいと思うのか。
多分、運命的な友情というものが良いもののように感じられるからではないだろうか。それを彼に見いだしているのだろう。
ここが私の自己中心的なところだと思う。
ただ、誰しも、ロマンチックなものを追い求めている面はあると思う。現実はそう都合の良くはいかないのだろうが。
彼が今の私を歓迎するかどうかは分からないが、
では、今の子供達ってどうなんだろう?素で疑問。
今の子供達は親が面倒見られなくても、保育園~学童まで手厚く世話をされてはいるものの、保育担当者は基本年替わり、ややもすると数ヵ月で交替や日替わりって事もあって、一人~少数の大人に長く依存して過ごすという事が無い。
私にとっての祖母の様な存在はどこで獲得するのだ。保育士さんがその様な存在になるとして、短期間でそういう存在との出会いと別れを繰り返す事は、子供にどんな影響を与えるのか?
夕方、降園が早くて保護者と接する時間が長く取れるならまだしも、毎日毎週フルで保育園にお世話になっている様な子供の内面ってどうなっているのだろう?一見すると保護者に長時間面倒見られている子供達と変わらないが、不思議だ。
その金は誰が出すの?
つか本人が金を出しさえすれば今でもいくらでも保育サービスは買えるよ?何故自分で買わないの?
誰が病「児」保育やシッターを「手軽に使える」値段でやるの?
誰かが金を出してくれればいいのに。
そんな都合が良い「誰か」なんていないよ。
https://anond.hatelabo.jp/20171026223119
>その相手の増田は、自分が楽したいという意味ではなく社会的な問題提起として言っているかもしれないのに。
ここ、そうなんです、私もそう思ってます。
ただ、私が言いたかったのは、辞めざるを得なかった人と、権利使うだけ使って辞める人をごっちゃにして欲しくない、ということなんです。
そこの切り分けは他人からは難しいのかもしれませんが、ちょっと環境を整える援助(保育園、学童など)をするだけで、働き続けられる人を減らすことについては、これからも継続して社会全体で考えていく必要はあると思います。
他の女の時間使って産めなくしている、っていう考え方が、そもそも私は違うと思っていて、それこそあなたが仰っているように、社会的な問題提起とするなら、そもそも男女関わらず、家庭やプライベートを大事にしたい人が時間外労働をすること自体が問題なんじゃないの?という所に目を向ける方が効率的なんでは、と思う次第なんです。
もしくは手軽に使える病理保育やシッターがもっと増えれば、多少の残業などにも柔軟に対応できます。
私個人としても、権利使うだけ使って辞めるとか、個々の事情はあるとしても何だそれ、、、というのはとても同意なので、そういう点で適切な評価をされていないと感じるのならば、さっさとそういう場所を去って、お荷物で稼働率の低い社員だけ残させてそんな会社潰してしまえ、ということです。
自分はそもそも時間外の労働をしたくないのか、金銭面や昇格の面でで評価されさえすれば喜んでリカバーするのか、は人によって違うと思うので、自分の考えに合った評価をしてくれる会社を探す方が精神衛生上良いのでは、と。
そういう風に、自分の働き方を能動的に選ぶ人が増えれば、企業も終身雇用でお荷物でもイキイキのんびりーな人が切りやすくなると思うんですよね。
学童行く家庭も、極限られた上澄みは自腹で現在の学校教育+学童と同じ教育&環境を買うだろうね。
でも大多数はそんなの無理だから、親が仕事を辞めて自力で子供の面倒見るしかない。
と言っても現代の学校教育と同じだけの教育を自力で子供に施せる親がどれだけいるか。
仕事を辞められない家庭は子供は放置になって、その子は小学校レベルの教育さえ身についていないまま大人になるんだろうし。
公教育なんて無駄とか言ってるのがいるけど、そういうのは親やら塾やらから公教育が必要ないほどの教育を受けられた上澄みなのか、
それとも今自分が持っている教養の大部分は公教育で教えられたという事など忘れたのか。
アメリカのホームスクーリング家庭を見た事あるけど、両親共に高学歴エリートかつ
母親はキャリア捨てて専業主婦で全力で子供の教育に尽力してるんだよね。
あれが出来る親が全体の何%いるのか。
私も母子家庭育ち。
私の姉が5〜6歳くらいのときにやっぱりチックになってた。
姉はチックだけでなく夜尿症もあったけど、普段は友達も多く普通に元気な子供だった。
私はチックや夜尿症はなかったけれど、夜寝てるときの指しゃぶり癖が小学3年生くらいまで治らなかったな。
私は姉と違って友達がおらず絵ばっかり描いてる根暗な子供だった(笑)。
私たちが小学2〜3年生くらいのときは、放課後は学童クラブに行かされていたけれど、元増田さんのご近所には学童クラブはないのだろうか?
ちなみに、姉のチックと夜尿症は小学校高学年になるころにはおさまっていたと思う。
かなりひどい確認強迫や常同行動やこだわりがあり、それはまるでチックのかわりに表れたかのようだった。
姉は高校を卒業するころに統合失調症を発症。強迫性障害と統合失調症の併発でえらいことに。
私は拒食から過食に転じるタイミングでうつ病を発症し、20代半ばで双極性障害に診断が変わった。
元増田さんを脅すわけではないが、子供のころのちょっとした問題は、思春期〜青年期〜成人期の精神疾患発症を予測するのかもしれない。
学童帰りの息子を一人にしないですむようになったが、息子は義母になついていない。
私は家のローンを半分払っているのに、家に居場所がない。
義母がリビングにいると、家族だけで過ごしている感じがなく無言になる。
子供のために頑張って働いていたが、義母と同居したので子供部屋を持てなくなった。
義母はネガティブ発言が多いが、嫁姑問題によくある嫌味は全く言わない。
そこは素晴らしい。
ただ、正しいことしか言わないので堅苦しい。
洗濯と週一回夕飯を作ってくれるのは助かるが、それ以上は期待できない。
同居前はよく話をしていたし仲もよかった。
ただ些細なことなので私が我慢をすればすむ話なのだが、生活はその些細なことの積み重ねで気持ちが晴れない。
義母に一人暮らしをすすめて、承諾を一応してくれたが、本心では同居を続けたいのだと思う。
倒れたらどうしよう。
でも私の祖母は93歳まで生きた。
今から20年間も今の狭いマンションで同居することなんてできない。
でも、もし2、3年で亡くなったら、同居解消を後悔しそう。
倒れたらどうしよう。
でも私の祖母は93歳まで生きた。
どんどん義母に対する思いやりがなくなっていく。
同居は解消したいが、同居を解消した途端に義母が倒れたらどうしよう。
どうしたらいいと思う?意見をききたい。
今の気持ちを整理できる本があったら教えてほしい。
リラックスしたい。
息子、小学1年生。
あぁ、これがPTAか。
噂のPTAか。
1家庭1回は絶対。
それは分かる。
分かるんだけど、うち、1学期いっぱいで転校するんですよ。
諸事情あって、手続きに時間がかかっていて、現時点で何月何日に転校しますってはっきり言えない状態。終業式と同時に居なくなるかもしれないし、7月いっぱい居るかもしれない。
事情は話してたんだけどね。
内容まとめるとこんな感じ
・当番表に名前入れていて、もし転校して居なくなっていた場合、その日のプールは中止
・最初から当番表に名前を入れない場合→うちの子はプール使用禁止
なにこれ。
もし転校してプール中止とかなったら…考えただけで恐ろしい。そんな責任負えない。
とりあえず名前を入れずに作ってもらって、夏休みに入った時点でまだ転校できていなかったら、どこかの日に+1人で入れてもらえないかとお願いしてみた。
+1人も-1人も駄目です。との返答。
なんで+1人が駄目なの?
どうしろって?
選択肢ないじゃん。
考えただけで涙出る。
しょうがないの?
ねぇしょうがないの?
やりたくないって言ってるわけじゃない。だから提案というか相談もした。
ごめんね、息子
涙が止まりません。
小山小学校という教育方針や環境の優れた新設小学校の学区という謳い文句で
母になるなら流山、父になるなら流山、子育ての街流山じゃねーのかよ。
100m前にある新設小学校ではなく1.5km先の古い小学校かよ
理由は「小学校まで100mだけど大きい幹線道路があるので横断が危険でしょ」と言われたよ
歩車分離もない死角も多い2.0kmの田舎道のどこか安全なんだよ
隣の松戸市の六実であんな事件が起きてるのによくそんなことが言えるな
何故逆に旧小学校区から新設小学校区に組み入れられる地区があるんだよ。
<勝ち組>
<負け組>
http://nagareyamountain.seesaa.net/article/449552695.html
「新しいコミュニティ、新しい小学校いやあ幸せですね。市役所にも学区は再度確認しました」
学区の不利益変更計画あったら購入者に伝えるのは宅建業の必須事項なので販売員が悪くないだろうな。
悪いのは行政だ。
何千万円もマンションに払って、その上俺らは毎年何十万住民税を払って
この市に貢献するなんて許せん。出て行く出て行く
しかしこの市は学区変更を毎年のように繰り返している
でもマーケティングのためか、HPにはそのネガティブ情報をすぐさま削除し、
履歴を決して追わせない。
そんなことだけが今回の要因ではないだろ。
はたまた地域ニュースなのでテレビでは取り上げないが一部のネットニュースで指摘されている。
なのにテレビなどメディアでは流山市は子育てに素晴らしい街と取り上げているのだ。
しかも今や、保育所の待機児童だって県内1位2位を争うこの街。
これのどこが子育ての街??
今日の説明会でも推計や計画の甘さ、へのその反省もなかった流山市学校教育課、教育委員会
「今日みなさんにいただいた意見は聞きます、流山市学区審議会で決定します」
過去の議事録を見ても行政は審議会に1案しか提示せず、ほぼ反論なしで決まる
「中学校もこれじゃあいっぱいになるんじゃないですか?どうなるんですか」
<追記>
<まとめ>
https://matome.naver.jp/odai/2149615551872364201
<Togetter>
https://togetter.com/li/1115293
<BuzzFeedJapan>