はてなキーワード: 学童とは
そして話を現代に戻そう。
ある日、弟が帰ってくるや否や手紙を見せてきた。
「あの学童所が引っ越すんだって。名前も『ハテナ学童』から、なんかよく分かんないのに変えるとか」
むしろ、あのボロい住処でつい最近まではやっていたことに驚きだ。
それにしても、引っ越すだけではなく名前も変えるのか。
「で、引っ越す時に手伝って欲しいって。ボランティアで」
「ボランティアねえ……」
恐らく、タダ働きってことだろう。
「で、兄貴は行くの?」
「まさか。俺たちはあの施設に金を払って、不本意にも預けられていただけだぞ。引越しの手伝いなんてする義理はない。経済回すためにも業者に頼めってんだ」
「大した理屈だけど……兄貴にだって、義理はなくても人情はあるでしょ。形がどうあれ、それでも世話になったと言えなくもないんだし」
署名活動の時やたらと泣き喚いていた弟が、随分と健気なことを言ってくる。
俺よりもロクな思い出がなかった場所だろうに。
「他の子もくるだろうし、皆で久しぶりに何かやるのもいいんじゃない。少しでも思い入れがあるならさ」
「にゃー」
膝に乗っていたキトゥンが、弟と呼応するように鳴き声をあげた。
そういえば、キトゥンと出会ったのも学童時代の出来事が遠因か。
いや、キトゥンだけじゃない。
ウサク、タイナイ、カン先輩、今でもよろしくやっている友人もいる。
その点では無下にもしにくい、思い出の場所といえた。
まあ、それでも俺の意志は揺らがないが。
「いずれにしろ、その日の俺はバイトだ。ボランティアと比ぶべくもないな」
実際のところ、都合悪くバイトの予定はない。
建前上、そう断っただけだ。
「はあ、分かったよ。じゃあ俺は、父さんと母さんにも聞いてくるよ」
弟がそう言って部屋から出ようとした時、俺は慌てて扉を遮った。
「待て弟よ。分かった、俺も行く」
「え、急にどうしたんだよ」
もし両親が手伝いにいけば、他の保護者や学童の子とも話すに違いない。
ティーンエイジャーにとって、そんな状況は想像するだけでキツかった。
親というフィルターにかけられた子供の話ほど聞くに堪えないものはない。
「俺が行く以上、人手は足りている。だからこの件は他言無用だ。もし聞かれたら『学童の子だけでやることだから』と答えろ」
「思い出の場所に別れを告げるんだ。バイトとは比ぶべくもない」
まあ、なんだかんだで“思うところ”もある。
建物は当時からボロかったが、久々に見たら更に酷くなっている。
「おう、マスダ。来てくれたのか」
久々に会ったハリセンも“ザ・中年”みたいな見た目になっていた。
「きてくれて悪いが、もうほぼ片付いているんだ」
確かに俺たちがやることは残ってなさそうだ。
それ以外はほとんどダンボールに入れられ、ほとんど車に押し込まれていた。
面倒な仕事は避けたくて遅めに来たものの、意外にも多くの人が手伝いに来ていたらしい。
「せっかく来たんだし、中でみんなと話したらどうだ」
手持ち無沙汰な俺たちに、ハリセンは気を利かしてそう言った。
促されて家の中を覗くと、元学童らしき人たちが談笑しているのが見える。
しかし、その中に俺たちの知っている人は少ない。
俺たちは踵を返して外に出る。
「……俺と弟は外で待つよ。まだやることがあったら呼んでくれ」
知り合いもいるにはいたが、今では疎遠になってしまっている相手。
話せることも話したいことも特になく、同窓会ってムードじゃない。
俺たちには、あの空間は居心地が悪い。
そのために、かなりアウトローなやり方に手を染める者もいる。
「なんか最近、砂糖の減りが早い気がする……お前ら、こっそり舐めたりしてないだろうな?」
「さすがに、そこまで意地汚い真似はしないよ」
「クチャクチャ……せやせや、虫に食われてんちゃう?……クチャ」
特にカン先輩のやっていた方法はえげつなかったので、今でも記憶に強く残っている。
「カン先輩、さっきからずっとガム噛んでますね。もう味しないでしょうに」
「いやいや、まだするよ。甘い甘い」
「“甘い”?……カン先輩の噛んでるのって、甘さがそこまでない奴だったんじゃ……」
「あ……いや、ちゃうねん。アレや、『お前の考えが甘い』って意味の“甘い”や」
なんと、学童にある砂糖をガムにまぶして、味の延命を図っていたんだ。
そんな感じで、俺たちは思いの思いのやり方でオヤツを楽しんだ。
「オバチャン、タコせん頂戴」
そのせんべいにソースを塗りたくり、マヨネーズをかけ、最後に揚げ玉をふりかけて提供される。
いま思うと、「タコのせんべい」だからじゃなく「タコ焼きみたいなトッピングのせんべい」だから「タコせん」って呼ばれていたのかもしれない。
「ソースは二度塗り、三度塗りやろ! 串カツちゃうんやぞ。マヨネーズと天かすも、もっとかけーな! ケチくさいなあ」
カン先輩の態度はちょっとアレだが、トッピング増しの要求は学童全員やっていた。
なにせこれ一つで手持ちがなくなるんだから、ちょっと図々しくなっても仕方ない。
「あ~、やっぱ天かす多い方がええな」
「その点は同意ですが、『天かす』じゃなくて『揚げ玉』って呼んだ方がよくないです? “かす”って言葉じゃあ響きが悪い」
「なにがアカンねん。『駄菓子』って言葉にも駄目の“駄”が入ってるやん。上品ぶらんと、ちょっと下品なくらいがちょーどええねん」
“下品なくらいがちょーどいい”
俺たちが食べる、トッピング増し増しのタコせんは見た目も味も下品だった。
本来のせんべいの味なんてしない、上品なんて言葉とは無縁の代物だ。
だが、それに比例して満足感も上がる。
俺たちはそれでよかったし、それがよかったと言ってもいい。
「それに、言葉の響きとか言うたら『揚げ玉』も金玉の“玉”やん」
「えー……、その理屈はともかく、だったら揚げ玉って呼ぶのも良くないですか?」
「なんでや、“天かす”やぞ? “天のかす”やぞ? 『腐っても鯛』と同じってことや」
「違うと思います。それに、先輩の最初の言い分から少しズレていっている気が……」
しかし下品だとしても、俺たちにとってタコせんは贅沢品だった。
飴玉ひとつを勿体ぶって舐めている間に、せんべいはなくなってしまう。
買うには多少の思い切りが必要なんだ。
だから食べる時は自然と口数が多くなり、どうでもいい話をして、コスパだとかいったものから目をそらすようにしていた。
だが、それでも“情念”は頭をもたげてくる。
「あ~あ、“このタコせん”でこの美味さだったら、“あのタコせん”はどれほどなんだろ」
通常のタコせんに更にタコ焼きが加えられている、憧れの存在だ。
「マスダ弟ぉ、その話はすんなって前に言うたやろ」
「でも気になるんだもん」
「それは皆同じなんだよ。でも気にしたってどうしようもないだろ」
挟んで食べるなんて夢のまた夢だった。
結局、俺たちはあの「真・タコせん」を食べないままティーンエイジャーになった。
今だったら、食べようと思えば食べられる。
だが、未だ手つかずだった。
あの時の憧れは嘘じゃないが、なぜか今は食べたいと思えなかったからだ。
ウサクは渋いというか、俺たちから見るとビミョーなものをよく食べていた。
パッケージのデザインが一世代前みたいな、俺たちが第一印象で候補から外すような、子供ウケの悪い駄菓子だ。
「その『ミソッカス』って駄菓子、よく食えるな。明らかに不味そうじゃん」
「食べてみなくては分からん」
「なんで、そんなの食べるんだ? 好きなのか?」
「店に並んでいる以上、何らかの需要があるはずだ。企業の陰謀か、或いは食べた者を中毒にさせる成分が入っているのかもしれぬ」
「で、実際に口に入れてみて、『ミソッカス』はどうだった?」
「名は体をあらわすというが……まさにその通りらしい」
「というか、店のオバチャンに聞けば、売ってる理由が分かるんじゃないか?」
「むぅ、一理あるな。店主、つかぬことを伺うが、この『ミソッカス』はなぜ売っている?」
「……なるほど」
カン先輩は直情的だった。
「くそっ、ハズレや。なあオバチャン、当たりだけ抜いたりしてへんやろな?」
「そんなこと出切るわけないだろ」
とにかく「当たればもう一個は断然お得」という理由で、当たりつきの駄菓子をよく食べる。
一度だけ当たったことがあるらしく、その時の快感が忘れられないらしい。
また当たりが出るのではと、その菓子がそこまで好きでもないのに買い続けた。
「これもハズレ!?」
「ほんまに当たり入っとんのか?」
「あ、『当たりが出たのでもう一個』きた」
「あ~! タイナイ、お前なんやねん。ワイの方が買っとんのにぃ!」
カン先輩の熱中ぶりは凄まじく、特にタイナイが一発で当ててしまった時の拗ね方は酷かった。
「タイナイぃ! ワイの持ってる未開封のと、その“当たり”と書かれた蓋を交換や!」
「いや……というか意味ないだろ」
その日を境にカン先輩は当たりつきの菓子を買うことはなくなり、俺たちの間では“あの菓子”の名前を呼んではいけないほどタブーとなった。
カン先輩は刹那的な欲求に忠実なタイプだけど、それはこの頃から変わっていない。
そんな風に、俺たちは自由オヤツの時間を様々な工夫で楽しんだ。
「ミルせんにパチキャン、更にのびーるグミ! これで『パチグミサンド』の完成!」
複数の駄菓子を組み合わせて、新たな菓子を作るのも一時期流行った。
「着物ガムに、金チョコ、更におっちゃんイカを入れる! これぞワイの完全オリジナル『KKO団子』や!」
「確かにオリジナリティはありますけど、それ本当に食べるんですか?」
ただ食べ合わせは良くないことが多く、複数買った菓子を一つにまとめて食べると勿体無く感じてすぐに廃れたが。
「あ~……金チョコの甘味とおっちゃんイカの酸味が絡み合い、それを着物ガムが口の中で留め続ける……まあ、失敗に限りなく近い成功やな」
「それを成功とは呼ばないのでは?」
その日に手渡されるのは菓子ではなく小銭。
それでも俺たちは普段とは違う「自分の意志でモノを買う」という行為に一種の楽しみを覚えたし、駄菓子の下品なフレーバーに舌鼓を打った。
俺たちは小銭を貰うと、足早に最寄の駄菓子屋へ向かう。
学童所の近くにある公園を抜け、その向かいをちょっと進めばあるというアクセスの良さだ。
「さて、どうしたもんか……」
「そう急かすなよオバチャン」
その菓子屋はオバチャンが一人で切り盛りしていた。
俺たちは週末にそこを利用しては、彼女のせわしない声を聞くことになる。
「どれ選んだって、どうせ後で『ああすればよかった』って思うんだから、ズバッと選べばいいじゃないか」
オバチャンの圧力は凄かったが、店内で焼かれるタコ焼きの音、そしてソースの香りは独自の魅力があった。
俺たちはタコ焼きを買うにしろ買わないにしろ、その辺りに漂う独特な“駄菓子屋っぽさ”を好んだ。
「やはりアメ玉……アメ玉でいいのか、本当に?」
そんなオバチャンを尻目に、俺はいつも何を買うかで悩んでいた。
先ほども言ったが、使える額は少ない。
本当に少ないんだよ。
それ故、「如何にコストパフォーマンスを上げるか」は、学校の課題よりも大事なテーマであった。
「ああ、くそ……噛み砕いちまった。油断すると、どうしてもやっちまう」
例えば、俺の場合は基本アメ玉。
時には違うものを選ぼうとするが、結局はそこに終着することが多い。
だから如何に噛み砕かず、口の中に含み続けるかはちょっとした戦いだった。
「兄貴、またそのアメなの? アメにしたって、もっと他にあるじゃん。パチパチするヤツとか」
「あれは量が少ないだろ」
「あ、見てよアニキ。『金運』に花丸!」
「こんなの食ってる時点で、金運なんてないと思うがな」
「うーん、ちょっと暑くなってきたし、チューチューにしようかな」
「お前、寒い時もそれじゃん」
特に『チューチュー』という、棒状の柔らかい容器に入った飲み物をよく買っていた。
駄菓子屋では凍らせて売っており、食べる時は二つに割り切って食べる。
俺も食べたことがあるが、本当に凍らせただけって感じのチャチな味だった。
それでも冷たいってだけで、ちょっとした贅沢感を得られたものである。
「ほーい、みんな皿持ってって~」
ハリセンが人数分の皿を用意し、その中に市販の菓子を数種入れていく。
種類はその時々で違うが、基本的には甘いものと塩味のあるものが半々。
2~3時間後には自宅での夕食を控えている時間帯、ということもあり菓子の量は少ない。
「いや、慶応」
「それは元号の話やろ」
業務スーパーとかで仕入れているのか、よく分からないメーカーの菓子ばかりなのは気がかりだったが。
まあ味は悪くなかったし、ありがたいことにチョイスも普通だ。
フレーバーも変に奇をてらっていない。
まあ、とはいっても、実際そこまで安心できる時間でもなかったが。
「マスダ、ワイの皿と交換や」
「え、なぜ?」
だからこそ「最大限、可能な限り楽しみたい」と考える学童も多い。
「でも枚数的にはカン先輩の方が多いですよ。そんなに変わりませんって」
しかし、その“ほぼ”が厄介だった。
「そんなに変わらないんやったら交換してくれや」
「そんなに変わらないんだったら交換しなくていいでしょ」
食べたところで、胃袋はその差を感じ取れないにも関わらず。
「マスダぁ、ワイが上級生の権限を行使する前に、“大人しく”言うことを聞いとった方がええで~?」
「なら俺も下級生の権限を行使しますよ。そうなったら、“大人しく”するのはそっちじゃないですか?」
「いつまでやってんだ、お前ら! さっさと『いただきます』しろ!」
実際問題、違いがあったとして、食べた時の感覚は同じと言ってしまっていいだろう。
だけど菓子を目の前にした子供に、そんな理屈は大して意味がないんだ。
「今回も渡されたわけじゃないんだが……」
「ねえ、兄貴」
「ん? どうした?」
「俺の皿と交換して」
「おいおい、お前までカン先輩に触発されたのか? だから、どの皿も同じだっての」
「いや、そっちの皿の方が綺麗だもん」
「尚更どうでもいい」
不味い菓子が出てきたこともないし、全体的に美味かったと思う。
だけど、“面白味”という意味で味気なかったのは否定できない。
オヤツだろうがなんだろうが、「決まった時間に、誰かが決めたものを食べる」という状況は、俺たちに多少の閉塞感を与えたからだ。
いや、もちろん分かってる。
我ながら細かい不平不満だ。
ただ、こんな細かい文句が出てくるのは“相対的評価”だからである。
つまり、オヤツの時間よりも“楽しみな時間”があったってこと。
他の学童所の子供たちや保護者などが一同に介するため、ある意味では学校より盛り上がっていたかもしれない。
「ハテナ学童のカンくん、これは速い! 一輪走の関門、魔の直角コーナーを何なく曲がっていく!」
「ははん、当たり前田のクリケットや! ワイほど一輪車をこいどる人間は、この世に誰一人おらん!」
あくまで学童所での交流が目的であるためか、競技性を重視しないものが多かった。
「ブクマ学童のシオリ先生は、素手で瓦を一枚割れる。○か×か」
「そんなの知らんがな」
「まあ、でも一枚くらいなら割れるんじゃない?」
「じゃあ○の方に行こう」
「正解は……シオリ先生、実際にどうぞ!」
「せいっ!……痛い」
「ヒビすら入ってないじゃん」
保護者が参加する、障害物盛りだくさんのパン食い競争なんてものもあった。
「マスダくんのお父さん、全身を紙テープと粉まみれにしながらも、堂々の1位でゴール!」
「ぜはっ、ぜえ……げほ……」
「デスクワークのくせにやるじゃん、父さん」
「子供の前だからって、パン食い競争で本気出し過ぎじゃないか?」
「はあっ……母さんがいれば、もう少し楽に勝てたんだろうがな……」
「父さん、そういうノリ、こっちも反応に困るからやめてくれよ」
「すまん……」
「湿っぽい雰囲気出すのもやめてくれって。変に含みのある言い方するから、周りには離婚したとか、母さんが死んだとか思われてんだよ」
「そうなのか……おえっ……ほら、餡パンだ」
「いらねえよ、歯形ついてんじゃん」
思い返してみると、この頃の父は少しテンションがおかしかった気がする。
母が戻ってくるまでの間、最も辛い思いをしていたのは父だったのかもしれない。
俺が参加したのはリレー。
「コマの回転は全くゆるまな~い!」
まさか学童が暇つぶしにやっていたコマ回しを、こんな風に活用させてくるとは思いもよらなかった。
「おい、何やってんだよタイナイ。ゴール近いんだから、そんな丁寧に巻かなくてもいいだろ」
「僕の腕じゃあ、中途半端に巻いての手乗りは無理なんだよ。どじょうすくいだってギリギリなんだから」
まあ、結果としては3位だったが、タイナイが言うには2位だったらしい。
「今でもマスダは、この日のことを根に持ってるよね」と、よくタイナイは語る。
弟は缶ぽっくり競争に出場。
「おーっと、次男のマスダくん。これは速い、圧倒的だ!」
ハテナ学童内でもダントツだった弟の缶ぽっくりは、外でも変わることはなかった。
普通に走るのと大差ないスピードで、他を寄せ付けることなくゴールにたどり着いた。
「あれ、もう終わり? 短っ」
「さすがといったところだな、弟よ」
「兄貴の作ってくれた缶ぽっくりのおかげさ!」
「いや、缶に穴を開けて、紐を通しただけだから誰でも作れるぞ」
だが、あの時の俺たちは本気でやったし、その結果に一喜一憂することができた。
何の意義があるか分からないまま、漫然とやっていたこともあった。
「お願いしま~す」
ある日、俺たちは署名運動をやることになった。
何のためにそんなことをしていたのか。
答えは「さあ?」だ。
わざわざそんなことをさせるんだから、俺たちにも関係のある事だったのかもしれない。
しかし、いずれにしろガキには分からないし、知ったこっちゃなかった。
それでも言えるのは、全くもって楽しくないってこと。
「お願いしま~す」
「……」
見知らぬ人にいきなり話しかけ、とにかく名前を書いてもらうよう頼み込む。
人と接するのがよほど好きだとかでもない限り、基本的にストレスが溜まる行為だ。
有り体に言って不愉快だった。
「お願いしま~す」
無視してきたり、ぶっきらぼうに応対する人もいるから尚更である。
いい気はしなかったが、その人たちに恨みはない。
つまり俺は、自分がされて嫌なことを赤の他人に対してやっていたわけだ。
「はい」
それでも、なんだかんだで署名は集まった。
我ながら無愛想な態度だったが、書いてくれる人は意外にもいた。
なんとも不可解な出来事だ。
よく分からないまま名前を集める俺たちと、よく分からないまま名前を書く誰か。
そうして集まったこの紙の束に、一体どんな意味があるのだろう。
「兄貴……」
弟はというと、その日はずっと申し訳なさそうにしていた。
弟は当時、人見知りが激しかった。
免疫細胞がなくなれば、人は泣き喚く以外の行動はできなくなる。
「自分の分をやっただけだ。謝られる筋合いはない」
実際、ノルマがあるわけでもなかったので、俺は弟の分までやったとは思っていない。
サボりたかった気持ちを、長男の安っぽいプライドが邪魔しただけだ。
お互い誇れるようなことはしていないが、恥じるようなこともしていない。
「でもさあ……」
「それでも何か言いたいことがあるなら、謝るより感謝してくれ。どっちかっていうと、そっちの方がマシだ」
結局、あの署名にどのような効果があったのか、今になっても俺たちは知らない。
ただ、あの時やったことが何かに繋がっている、と願うしかなかった。
例えば、相手を名指しで呼ぶ時。
「マスダ、お前の番やで」
基本は呼び捨てであるが、学年が上の相手へは少しだけ気をつかって「くん」付け。
「ちゃうやろ、マスダ弟ぉ」
「え?」
「ワイのことは“カン先輩”と呼べ。“カンくん”とか、むず痒くてかなわん」
「先輩呼びだったら痒くないの?」
「あ~?……なんや、不服なんか? そこまでして“カンくん”って呼びたいんか?」
「“カンくん”呼びやめろとは言うたけど、ディスってええわけちゃうぞ」
「ねえ、マスダ」
「ん? どっち」
「弟の方。マスダの兄さんじゃない」
俺だったら「マスダ(くん)」または「マスダの兄さん(ちゃん)」。
弟は「マスダ(くん)」または「マスダの弟(くん)」。
面倒くさがりな奴からは「マス兄」、「マス弟」とゾンザイに呼ばれていたこともある。
呼び方がまるで安定しないため、俺たちはしばらく混乱していた。
この独自の呼称ルールは、学童所に唯一存在する大人である指導員にもあった。
「なあ、マスダ」
「どっちのこと言ってんの、ハリセン」
名前にハリが含まれていたからハリ先生、略して「ハリセン」だ。
本名は知らない。
見た目から来る印象も朧げだ。
よく不精髭をたくわえていたので中年だと思うが、剃った時の顔は20代のようにも見えた。
声は妙に甲高かった気がする。
「ほら、こういうことになるから、肩を叩くなりして呼べばいいって言ったじゃんか」
「ああ、すまん、すまん。どうも忘れっぽくてな」
学童はみんなタメ口で喋ったが、ハリセンは咎めることもなくフランクに接した。
しばらく後になって知ったことだが、学童保育に就く人間は、学校の教員とは色々と勝手が異なるらしい。
俺たちのあんな態度を気にも留めなかったのは、むしろそっちのほうが自然だったからなのだろう。
そこでの生活は学校ほどかしこまってはいないが、俺たちにとっては監獄も同然だった。
だが、俺たちは悪いことをしたからそんな場所にいるわけじゃない。
さしあたっての問題は、退屈をどう紛らわすかであった。
現代の娯楽に慣れ親しんだ子供にとって、学童所の空間は何とも味気ない。
いつからあるかは分からないが、どの玩具も使い込まれており、修理された箇所があった。
「へえ、マスダ、糸なしでできるんだ」
あまり興味はわかなかったが、何もしないよりはマシだった。
「すごいなマスダ、もうコマを指のせできたのか」
「ああ、つなわたりも出来るぜ」
学童所内には、それらの技表が壁に貼られており、難易度が設定されている。
誰がどういう基準で設けたのか知らない。
だが、とりあえず挑戦心はくすぐられたし、退屈しのぎとしては十分なスパイスだった。
「そういえば、弟くんはどこで何してるの?」
「ふ~ん、まさか缶ぽっくりで?」
特に缶で作った下駄、通称「缶ぽっくり」は足の一部のように動かせる程だ。
その他だと、少ないが本棚もあった。
「ん~? なんでこのキャラ死んでんだ?」
漫画もあるにはあったが巻数が揃っておらずバラバラで、読んでも話が分からない。
「あのなあ、お前そういうのでハシャぐのやめ……なんでそいつ両方あるんだ?」
そもそも俺たち子供が読むことすら想定していない、ビミョーな内容のものも多くあった。
破れていたり、落書きされていてマトモに読めないものもあったので、あそこは放置に近い状態だったんだろう。
そんな感じで、退屈な環境ではあったが、そうならないようにする余地は多かった。
近くには小さいけれど公園があったし、自由に動ける範囲内には川原やら遊べる場所はたくさんあった。
やれることは、当時の目線から見ても前時代的な遊びばかりだったが、それでも子供たちが昔から親しんでいたモノだ。
俺たちが楽しめない道理はない。
それでも、いよいよ手持ち無沙汰になったら、最終手段。
手持ち式の数取器を、ひたすらカチカチやる。
「兄貴ぃ、いまどれ位?」
「623……4だな」
「少なっ、こっちはもう1000いったよ」
「と言いつつ、いま横のツマミ回しただろ!」
そうして数取器のカチカチ音を聞いていれば、「何か別のことをやりたい」という意欲が湧いてくる。
9の数字が並んだことも一度や二度じゃない。
その頃の名残で、俺の親指は今でも歪な形をしている。
年号が変わる意味なんて分からないけれど、何事にも節目ってのはある。
身長は伸び、それに比例して体重も増えて、ついでに色んな所にも毛が生えた。
やりたいことも、やれることも、やらなきゃいけないことも両手に収まらない。
でも年号と同じく、時間は俺たちの気持ちとは関係なく流れ、距離はどんどん離されていく。
だからこそ思いを馳せたがるのかもしれない。
俺が今よりもガキだった頃、ちょうど今の弟くらいだった時にまで記憶は遡る。
あの頃の俺と弟は、とても不自由な思いをしていた。
平日のスケジュールはこうだ。
まず午前7時に起床。
朝食を摂ったり、身支度を整えるのに1時間弱。
父親が迎えに来る午後6時過ぎまで、そこで過ごす。
買い物を済ませ、家に着いた頃には午後7時前後。
そこから晩飯や入浴、睡眠もあることも踏まえれば、自由に過ごせる時間は皆無に等しい。
当然、夜遅いので友達の家に行って遊ぶだとかの選択肢は存在しない。
俺たちは実質、1日の半分以上を自宅以外で過ごし、子供時代の豊かで自由な時間を拘束されていたわけだ。
まあ、子供の自由な時間なんて、総体的に見れば無駄だとは思う。
その不自由感の象徴ともいえるのが、当時通っていた『ハテナ学童保育所』だ。
小学生向け保育園みたいな場所で、親が仕事を終えるまで子供たちが時間を潰す場所だった。
「マスダは何で学童に?」
「母さんが母さんでなくなっちゃったらしくて」
「え……」
この時、俺たちの町では『親免許制度』なるものが実地されていた。
体の9割が機械化していた母はこれに引っかかったんだ。
仕事で家にいないことが多い父は、止むを得ず俺たちをここに預けたってわけ。
「マスダ、ほんとゴメン。ちょっと無神経だったよ」
「別に謝るようなことでもないと思うが……」
あの時、理由を聞いてきた学童仲間がすごく気まずそうにしていたが、何だか誤解されていた気がする。
ないよりマシ程度のボロ屋で、壁や柱には歴代の学童たちの落書きと傷で溢れている。
「……弟よ。口を開けたまま、天井をずっと見ているが、バカみたいだぞ」
「なんか、天井から水が落ちてくるから、どんな味かなあ~って」
でも小1の壁小1の壁って騒いでるけど、あれの原因の半分は「子供が成長したこと」だから根本的にはどうしようもないんだよね。
保育園児は夜遅くまで保育園に閉じ込めても周りが皆そうだから疑問を持ちにくいし、文句も言わないし、文句言ったとしても園脱走したりはしない。
保育士に逆らったとしても所詮幼児だからやる事はたかが知れている。
でも小学生になると「世の中には学校が終わったらすぐ親のいる家に帰宅して自由に友達と遊べる子が多数いる」事に気づいてしまうから
そうではない自分の状況に疑問と不満を持つ。
行動力も上がるから学童に入れても脱走したりするし、指導員の手に負えないくらい反抗する子も出てくる。
本人がそうではなくても、そういう子にいじめられたりもする。
学童で下級生が上級生にいじめられると言うのはよくある話だし、上級生になれば指導員の目の届かない所でいじめをする知恵だってつく。
宿題も毎日出るし、分からない事があってもその時にしっかり身につけないとどんどん分からなくなっていくが
児童数十人に対して1人のスタッフという普通の学童でそこまでフォローするのは不可能だ。
だから金のある親は金をかけて、なるべく民度が高く安全で勉強のフォローもしてくれる学童に入れたがるがそういう所は当然高い。
それにしたって親が家にいて子供を常時監視できる状況と比べたら遥かにフォローは手薄になる。
シッターでも雇うなら別だが、それこそかなりの金がかかる。
勿論子供が大きくなればなるほどその傾向が大きくなっていく。
子供は(悪)知恵がついて教師や学童指導員のいう事を素直に聞かなくなるし、勉強は難しくなっていく。
「中学受験の為に母親が仕事を辞める」ってのが多いのも結局はそのため。
大人が監視しなきゃ大多数の小学生は受験勉強なんかできないし、それを全て他人(塾や家庭教師)に頼んだら生半可な母親の給料など全部吹っ飛ぶ。
「24時間保育園を使って残業も夜勤も休日出勤も全部自由にやるエリートママ」の記事を見たことがあるが(医者とか高級官僚とかそういう人だった)
保育園児はそれで良くても小学生は24時間学童に放り込むなんて無理だろ。
本人が疑問と不満を持つし、そんな親なら当然中学受験もさせる前提だろうに。
「共働きをしやすくするための制度をもっと整えるべき」と言うけど、ぶっちゃけ無理だろと思っている。
税金で、子供を一人一人十分に監視出来て受験勉強もフォローできるだけの人員のいる24時間学童を希望者全員入れるだけ整備しろと?無理に決まってんだろ。
学童前ってなに?
超雑に計算して、35年ローンとしても1年につき200万(実際は利子や諸経費あるからもっとかかるだろう)か
子供産んだら奥さんの収入が100万下がるとして世帯年収800万。手取りは600万くらい?
んでローン200万、保育園代50万払って(3歳過ぎても大幅に下がる訳じゃないし、小学生になったって学童代がいるし)350万。
学童代が要らなくなる頃にはそれ以上の教育費がかかってくる。勿論生活費だって大きくなるほどかかる。
その頃には奥さんの働ける時間が長くなるとしても、教育費を補うので精一杯だろう。
これじゃ大学は奨学金頼るしかなさそうだし、老後の資金も貯められるんだろうか。
なんか自転車操業感が凄い。
更に繰り越し返済なんて出来る余裕ないからそれを35年継続(まあ子供が就職すれば子供も払ってくれるかもしれないが、それを前提として家買うのは毒親過ぎるだろ)。
…無謀すぎない?
今後大幅に収入増える見込みがあるとか、親から援助受けられるってならともかく。
どちらかが働けなくなったり、これ以上収入減ったら詰むし。
3月までは保育所に行っていたが、私は在宅ワーカーだし、息子は大人しい子だし、なんとかなるかなぁと思って4月からは学童に行かず家にいる。
が、なんともなっていない。
とりあえず春休みの目標は毎日学習プリント1枚、小学校まで一緒に一往復する、自転車で公道を走る練習をする、スクラッチでゲーム作り、
これを一通り午前中に一緒にやって、午後からは私は仕事、息子は1人遊びにしようと思ってたんだけど、当たり前に午後までかかるし、夕方ごろに終わったとしても私もヘロヘロで仕事にならん。
学校まで子供の足だと往復1時間かかるし、息子は自転車にハマって隣町まで行きたがるし…家のとなりのコンビニまでもわざわざ車で行く親には辛いぜ
まぁ、息子は楽しそうだしあと1週間体に鞭打って頑張ろう。
今時の小学生は忙しいし、遊びに行くとしても必ず家に帰ってランドセル置いてから、と学校からも指導されている。
共働きなら尚更、学童行かせたり子供が放課後暇にならないよう塾や習い事で時間埋めてる。そういう事をやらない親=放置親扱い。
親が専業でも、遊びに行かせるならまず帰宅させてどこに行って何時に帰るか聞いてから。
(そういう事をしない親の子がランドセル持ったまま勝手に他人の家に入り浸ったりしたら放置子扱いで近所から嫌がられる)
んで高学年になれば6時間授業で帰宅時間は3時半、塾は4時から、とかだから最短距離でないと間に合わない。
子供がランドセル背負って勝手に遊びに行っても親も学校も近所も関知しなかった昭和の頃とは何もかも違うんだよ。