はてなキーワード: 坊主頭とは
カーチャンが最近好きらしく晩飯の時に絶対流れてるので、テレビで見かけたら彼らだと認知できるくらいには知っている。誰が誰みたいなのはさっぱり分からないくらいの認知度だ。
グループ名も知ってるので、よくトレンドに上がっていたりネットニュースになってるらしいのも知っている。
そんな彼らがテレビ番組の中で仲間内でカンチョーをしたかなにかで炎上したらしい。
そもそも最近カンチョーという文字を久しぶりに見た。いつからやらなくなったか覚えて無いが大学に入ってからは絶対やってない。高校でやったかな?もしかしたら中学で卒業したかもしれない。
俺が知ってるカンチョーは浦筋の道端の石食ってた貧乏な坊主頭にカンチョーしたらセメントみたいにかってぇウンコが指に張り付いたみたいなギャグで培ったものばかりだったし、実際ガキの頃普通にやりあって遊んでいたから、時代は変わるもんだなと驚いていたのだが、つい最近彼らと同じジャニーズの別のグループが映画かドラマの試写会かなにかで共演者にカンチョーされて仲良くなったと美談として語っている記事を見た。
オイオイ、それは流石にフェミさんが嬉々として燃やすんじゃないかと思って野次馬根性で記事を見に行ったが、しかし予想に反しておおむねコメントは好意的なものばかりだった。
カンチョーは結局アウトなのかセーフじゃないのかどっちなんだよ。
ねちっこい描写が好きというか、なるたけ前戯に時間をかけてもらうのがよくて、行き過ぎたアヘ顔描写はギャグみたいで好きじゃない。
痴漢モノの良いところは、すぐ挿入に至らないところ。
触手の良いところは、気持ちよさそうな女の子が沢山見れるところ。あと趣味に合わない言葉責めをしてこないこと。
最近は女性向けでも男性向けでも断面図描写があるのがちょっと面白い。あと自分が読んだものだと女性向けの方がおっぱい大きい傾向があった(なんでだろう)あと女性向けの方が性器の描写が生っぽい…。
ムヒョとロージー描いてた漫画家さんのエロ漫画も買った。おっぱい星人だった。絵は好きだけど性癖は合わないなと思った。
女性向けは人外が根強い人気ある。あやかしとか。最近読んだチャイナ服着た殺し屋が返り討ちにあうやつはとてもえっちだった…。一番好きなシーンは、落ち着きましたか…?でハメられているところですね。すぐ堕ちちゃってかわいい。
殺し屋の少年のも買ってみた。見た目は好みだけど年下とか未成年は嫌だな…話し方がIQ低そうであんまり…(でも2巻目も買った)
双子催眠の漫画も買った。これは大層えろくて買ってすぐ5周した。わ
あとBLにも手を出した。生徒会長と用務員のやつ。ほぼメスじゃん。「んおっ♡」みたいなの好きじゃなかったけど絵がうまいし、いますぐご奉仕したい…な表情がすごくよかった。これは用務員の気持ちで読んだ。ち○ぽ様のお通りだい、って言ってみたいセリフだな。
一時期めちゃコミも読んでた。
大正生まれの祖父は、坊主頭でメガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子である父から聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。
対照的に祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。
祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父の遺影はインテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真の遺影の人でしかなかった。
そんな祖父の遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父へ政府が贈ったものだ。戦後、日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父は戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。
去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父は戦後も抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎の山中にある村で、家業は農家という典型的な家だった。時代が時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。
その頃から興味が沸いていたんだと思う。
遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。
私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日、実家で終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。
兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父は陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要なものは、対象者が故人の場合は申請者との繋がりがわかるための除籍謄本と戸籍謄本といった、役所で簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。
まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父の戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言の事実のみであるのだから。
当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。
読み解いてまず驚いたのが、祖父は1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州で国境警備をしていたらしい。大きな作戦や戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。
次に驚いたのは1944年2月、祖父は除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父が満州で終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父の人生はガラリと色を変えた。
千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。
千島列島といえば、日本の降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島(ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵、終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。
お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島にソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前で漠然としているだけで、よくわかっていなかった。
どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。
祖父のいた部隊は結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。
得撫島はもとより、千島列島は自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい、今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空からは米軍の攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれて沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。
得撫島はラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意の戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずにはいられない。
兵籍簿には、祖父の召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的な情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。
古ぼけた紙は語っていた。戦争は8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ、祖父は戦後も長らく闘い続けていた。自分の血縁者である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父の存在への深みが増した。
シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気が流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ。戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。
祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去な抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父は日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷の山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。
ここでは政治的な話はしない。
兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父の存在がぐんと近づいた。存在そのものを実感した。祖父はちゃんと生きていた。過酷な時代を生き抜いた。ドラマや映画の主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷な環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和な世界でツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。
兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分の流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。
仏間へ行き、再び祖父の遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影は漠然とした無機質なものではなく、凄惨な時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。
タイトル通りだ。
嘘みたいな本当の話でどこにでもいそうな坊主頭の小太りで初老のおっさんが、女性用のド派手なワンピースの水着にこれまたド派手な水泳帽を合わせて颯爽とプールにやって来る。
見てはならないものが突如目の前に現れ、他の利用者はもちろん係員もショック状態に陥り困惑してるんだが、これは何かしら犯罪行為にならないのだろうか?
いちおう言っておくとチ◯コは水着にきちんと収納されている。ちゃんと男性用更衣室を使っていてる。他の利用者に絡むようなことはない。
ただただ、おっさんが女性用の水着でプールサイドをうろうろしたりストレッチしたり泳いだりしてる。
はっきり言って非常に不気味なので何かしらの対策を求めている。みんなの知見を教えてくれ。
一
これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。
むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに人類を守るためのお城があって、中山さまという将軍さまが、おられたそうです。
その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」という狐がいました。ごんは、一人ぼっちのゴジラよりも大きな狐で、しだの一ぱいしげったアマゾンのような原生林の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って東京ドーム十個分の芋をほりちらしたり、菜種油の貯めてあるタンクへ火をつけて村を焼き払ったり、百姓家の裏手に建っている発電用風車の羽をむしりとっていったり、いろんなことをしました。
或秋のことでした。二、三年雨がふりつづいたその間、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。
雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、ごんが穴から出たことを知らせる警戒警報が地の果てまできんきん、ひびいていました。
ごんは、村を流れる黄河の十倍ぐらいある川の堤まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少いのですが、三年もの雨で、水が、どっとまし、辺りの村々は全て水没していました。ただのときは水につかることのない、川べりの大きな鉄塔や、世界一長い橋が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下の方へと、すっかり水没した高速道路を歩いていきました。
ふと見ると、川の中にシュワルツネッガーを百倍屈強にしたような人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと原生林の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。
「兵十だな」と、ごんは思いました。兵十はその名の通りグリーンベレーの選りすぐりの兵隊十人を瞬殺したという人類最強の男で、盛り上がった筋肉によってぼろぼろにはち切れた黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、総延長五十キロに及ぶ定置網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、お盆が一まい、大きな黒子みたいにへばりついていました。
しばらくすると、兵十は、定置網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、車や家や橋の残骸などが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、鯨ぐらい太いうなぎの腹や、ジンベエザメぐらい大きなきすの腹でした。兵十は、体育館ぐらいの大きさのびくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。
兵十はそれから、びくをもって川から上りびくを山の峰においといて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。
兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと原生林の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、定置網のかかっているところより下手の川の中を目がけて、大谷翔平投手のような豪速球でびゅんびゅんなげこみました。どの魚も、「ドゴォォォン!」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみ、大きな水柱を立てました。
一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュオオオオオオンと超音波のような叫び声を上げてごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから、
「うわア石川五右衛門とアルセーヌ・ルパンと怪盗セイント・テールを足して三で割らない大泥棒狐め」と、地球の裏側でも聞こえるような大声でどなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままごんを縊り殺さんと巨大重機のような力で締めあげてはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、超音速旅客機コンコルド並みの速度でにげていきました。
ほら穴の近くの、ごんの挙動を監視するためのセンサーの下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。
ごんは、ほっとして、象ぐらいの大きさのうなぎの頭をかみくだき、なおも圧搾機のような力で締めあげてくる胴体を渾身の力でやっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。
二
十日ほどたって、ごんが、大日本プロレスを代表する悪役レスターである”地獄のカントリーエレベーター”弥助の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木で懸垂をしながら、弥助が、おはぐろをつけていました。総合格闘技界の若きカリスマ、”溶接王”新兵衛の家のうらを通ると、新兵衛がダンベルを上げながら髪をセットしていました。ごんは、
「ふふん、格闘技村に何かあるんだな」と、思いました。
「何だろう、異種格闘技戦かな。異種格闘技戦なら、プレスリリースがありそうなものだ。それに第一、告知ののぼりが立つはずだが」
こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間にか、表に手掘りで地下30キロまで掘り抜いた赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その大きな、兵十が歩くたびに立てる地響きによってこわれかけた家の中には、大勢の人があつまっていました。よそいきのコック服を着て、腰に手拭をさげたりした三ツ星シェフたちが、厨房で下ごしらえをしています。大きな鍋の中では、本日のメインディッシュである”比内地鶏胸肉の香草和え~キャビアを添えて~”がぐずぐず煮えていました。
「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう」
お午がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、坐像としては日本一の高さの大仏さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、ごんから人類を守るためのお城の大砲が光っています。墓地には、ラフレシアより大きなひがん花が、赤い布のようにさきつづいていました。と、延暦寺、東大寺、金剛峯寺、増上寺、永平寺など日本中の名だたる寺から一斉に、ゴーン、ゴーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。
やがて、世界各国から集った黒い喪服を着た葬列のものたち七十万人がやって来るのがちらちら見えはじめました。話声も近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、跡形もないほど木っ端微塵にふみおられていました。
ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、3m程の位牌をささげています。いつもは、赤い閻魔大王みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。
「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」
ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。
その晩、ごんは、穴の中で考えました。
「レスリング女子世界チャンピオンだった兵十のおっ母は、床についていて、巨大うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十が定置網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母に世界三大珍味を始め、ありとあらゆる有名店の美味しいものは食べさせても、巨大うなぎだけは食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、巨大うなぎが食べたい、ゴテゴテに脂が乗って胃もたれがする巨大うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」
三
兵十は今まで、おっ母と二人きりで、ストイックなくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。
「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」
ごんは道場のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。
ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが、裏戸口から、
「いわしを五千匹おくれ。」と言いました。いわしの仲買人は、いわしをつんだトラック三百台を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを満載にした発泡スチロール容器を三百人がかりで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、車列の中から、五、六台のトラックをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の屋敷の裏口から、屋敷の中へトラックを投げこんで、穴へ向ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、落ちたら骨まで砕け散る井戸のところで小指一本で懸垂をしているのが小さく見えました。
ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。
つぎの日には、ごんは栗がなった木々を山ごと削りとって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、鶏のささみ肉十キロの午飯をたべかけて、茶椀をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬ぺたに、かすり傷がついています。ボクシング世界ヘビー級王者と戦った時も傷一つつかなかった兵十の顔にです。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。
「一たいだれが、いわしのトラックなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人と思われて、いわし仲買人のやつに、ひどい目にあわされかけた。まさかトラック三百台が一斉に突っ込んでくるとはな。受け止めるのはなかなか骨だったぞ」と、ぶつぶつ言っています。
ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし仲買人にトラック三百台で突っ込まれて、あんな傷までつけられたのか。
ごんはこうおもいながら、そっと兵十の三十年連続総合格闘技世界王者防衛を記念して建てられた東洋一の大きさを持つ道場の方へまわってその入口に、山をおいてかえりました。
つぎの日も、そのつぎの日もごんは、山を丸ごと削り取っては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗の山ばかりでなく、まつたけの生えた松の山も二、三個もっていきました。
四
月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を間断なく降り注ぐ砲弾を手で払いのけながら通ってすこしいくと、非常時には戦闘機が離着陸するために滑走路並みに広くなっている道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えます。チンチロリン、チンチロリンと緊急警報が鳴っています。
ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助というムエタイ世界王者でした。
「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。
「ああん?」
「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」
「何が?」
「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに大量の土砂を、まいにちまいにちくれるんだよ」
「ふうん、だれが?」
「それがはっきりとはわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」
ごんは、ふたりのあとをつけていきました。
「ほんとかい?」
「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来いよ。俺の屋敷を埋め尽くす土砂の山を見せてやるよ」
「へえ、へんなこともあるもんだなア」
それなり、二人はだまって歩いていきました。
加助がひょいと、後を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気づいていましたが、そのままさっさとあるきました。吉兵衛という館長の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンとサンドバッグを叩く音がしています。窓の障子にあかりがさしていて、兵十よりさらに大きな坊主頭がうつって動いていました。ごんは、
「連合稽古があるんだな」と思いながら井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三万人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。千人組手の声がきこえて来ました。
五
ごんは、吉兵衛館長主催の一週間で参加者の九割が病院送りになるという連合稽古がすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。中山将軍が最終防衛ライン死守のために投入した戦車部隊をふみふみいきました。
お城の前まで来たとき、振りかかる火の粉を払いながら加助が言い出しました。
「まあそうだろうな」と、兵十は飛んできた流れ弾をかわしながら、うんざりした顔で、加助の顔を見ました。
「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、怪獣だ、怪獣が、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」
「そうかなあ」
「そうだとも。だから、まいにち怪獣にお礼参りをするがいいよ」
「無茶を言うな」
ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、怪獣にお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。
六
そのあくる日もごんは、栗山をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は道場で縄登りのトレーニングを行っていました。それでごんは屋敷の裏口から、こっそり中へはいりました。
そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が屋敷の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
兵十は立ちあがって、中山の城に設置してある、対ごん戦に特化して開発された砲身長30mの520mm榴弾砲をとってきて、火薬をつめました。
そして足音をしのばせてちかよって、今門を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、びくともしませんでした。兵十は五百発ほど打ち込みました。ごんはかすり傷一つ負っていません。兵十は榴弾砲を剣のように構えると、ごんの足に五千連撃を叩き込みました。ようやくごんは足をくじいてばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、家の大部分が栗山で押しつぶされているのが目につきました。
「おやおや」と兵十は、うんざりした顔でごんに目を落しました。
「ごん、やはりお前だったのか。いつも栗山をくれたのは」
ごんは、お礼を言われることを期待したきらきらした目で、うなずきました。
何の病気でもないただの薄毛に悩んだ挙げ句、坊主頭にしてウィッグで日常生活送ることを選んだ。
仕事や外出時は医療用ウィッグ被ってる。最近のヅラはなかなか性能がよく、意外にバレない。
ただ家にいる時ウィッグを被るのが正直めんどくさく(暑いし…)、この前医療用帽子というものを買った。
出かけない休日は一日それで過ごすんだけど…時々やってくる宅配の兄ちゃんの視線が辛い。
医療用帽子というのは、抗がん剤治療をされている方がよく被ってるやつだ。頭をすっぽり覆うニット帽の、綿バージョンみたいなやつ。
町中でこの格好をしている女性に出会ったら、ガン治療中なのかな?って思う人も多いだろう。自分もそうだったし。実際には色んなケースがあるんだろうけど。
とにかく、こっちはハゲてるだけで健康そのものなのに、宅配の兄ちゃんが当社比150%で丁寧な対応してくれるため、罪悪感がすごい…。髪を生やしてた時、ヅラの時と比べた体感なので、おそらく気にし過ぎではないだろう。
自粛自粛自粛!世界は自粛の波に潰されそうになっている。俺が世界だ。
一人暮らしの関東住まいでテレワークな一般男性が1人ここにいます。
髪が切りたいです。そろそろ。
もともと学生時代は坊主頭でメンテナンス方法は「煩わしくなったら坊主にする」坊主リセット方式で過ごしてきました。
だいたい2ヶ月半でリセットです。
ところが、今年はまだ切りに行けてません。
昨年末あたりにリセットした後、もう散髪の時期はありませんでした。
短髪の人はわかると思いますが、髪の毛で一番面倒くさい時期は、中途半端に伸びた時です。
特定の方々にとっては贅沢な事を言うなと嗜められるかもしれませんが、私にとってはかなり死活問題に煩わしいです。明らかにシャンプーの減りが早いのです。
そもそも、今まで「ミュージカル刀剣乱舞」という作品に対して「刀剣乱舞のキャラクターの服を着た人が歌って踊る」くらいの認識しかなく、むしろ「世界を守るために戦っているのに歌って踊っている場合なのか?」と思っていた。
そんな私が刀剣乱舞ミュージカルを見て楽しめるのか? と訝しながらも、刀ミュガチ勢の友達が薦めてくるのでせっかくだからと見てみることに。
結果、最高。
本来「モノ」であった刀剣が肉体とこころを持ってしまったことで生まれる葛藤、死んでしまった主に再会できたことに喜びながら、でもここに派遣されたということは主の最期を見なければならない、幸せな時間はうたかたの夢であることに気付いている刀剣男士の苦しみ……。歴史の渦に翻弄されながらそれでも『生きた』人たち……(しんどい)。
それと対照的に、第二部や真剣乱舞祭の圧倒的なエンターテイメント性……。キラキラしてる……。あんなにキレキレで踊ってるのになんでめっちゃ歌うまいの?????? 私と同じ生き物ではない。
すっかりファンになってしまった……。「イケメンが歌って踊ってるだけでしょ」とか言っててすいませんでした。靴舐める。
しかも、現在進行形でこのコロナ騒動で翻弄されている受験生の私にとって、特に救われたことが二つあった。
まず一つ目。
現在私の学校は集団授業再開のめどが立っていない。三月一日から授業ができなくなり、そこから一度も授業を受けてない。映像授業もようやく再来週から始まる状態で、できることといえば週に一度だけ配布される課題を黙々とこなすことだけ。私は予備校の映像授業も受けていたのでまだラッキーだったけど、ほんっとに……ほんっとに虚無(でも私の学校はまだしっかり対応してくれてるほうだと思う)。
一日中パソコンで映像授業を受けているのでターゲッティング広告がすべて東進予備校になった。「模試受けませんか?」ってもう受けとるっちゅーねん!!!!!
しかも私、ちょっと変な大学に進学しようとしてるので、予備校の授業を日本史しかとってない。学費クソ高いからこのままじゃ進学できるかもわからんのに毎日毎日日本史を勉強する日々……。
「お前は王族の血を引いてるから」ってわけわからん滅んだ国の文字を勉強させられてる在りし日のムスカ大佐に異様に感情移入してしまう。
読める、読めるぞ!!!!!!!!!!!!!!(クソデカボイス)
文字と戦果の羅列でしかなかった歴史が、ミュージカルのおかげで色づいた。ムスカがあそこであんなに興奮してる気持ちが痛いほどに分かった。だってこれ進研ゼミでやったもん。
「みほとせの部隊が竹千代を保護して最初にするのが『城の修復と日々の記録』ってめっちゃエモいな(家康が征夷大将軍になって最初に行ったのが江戸城の造成と郷帳、国絵図の作成)」
とか、
「結びの響、はじまりの音によってもたらされた変化は、みほとせであれだけの祈りをもってもたらされた泰平の世を塗り替えるものなのかぁ」
とか習った歴史を思い出しながらしみじみできる。む、報われた……。日本史勉強しててよかった。
個人的に、榎本武揚の五稜郭籠城中、榎本が秘蔵していた国際法研究書を「これからの日本に役立つものだ、戦火の灰にしてはいけない。これからの日本に役立ててほしい」となんと敵方である新幕府軍の黒田清隆に送ったエピソードがすごく好きなので、ミュージカルであんなに魅力的な人物にえがかれていて納得しました。そりゃ黒田も感動して助命嘆願するわ……。
黒田清隆、死刑にするべしと言われていた榎本を救うために坊主頭にしたんですよね。敵であった人物にそれだけさせるだけの説得力があった。
しかも、戦火の灰にしてはならない、と言うってことは榎本には五稜郭を戦場にする覚悟があったってことなんですよね。そんな覚悟をさせるだけの土方歳三……流れ星を見つけ流れ星のように生きた男……。
話が脱線した。
でも、それだけミュージカル刀剣乱舞は魅力的でした。最高。日本史勉強しててよかった、って思えてよかった。ありがとう。大学受験はどうなるかわかんないし、志望校に受験できるかわかんないし、高校さえいつ始まるかわかんないけど、それでも日本史を勉強してたから私はこのミュージカルをたくさん楽しめた。
ならいいや!!
二つ目。
運動会はほぼ練習終わってるし、学園祭も夏休み中に劇の練習があるので、夏休みが無いと言われている現状、開催が絶望的。もっと言ったら友達の引退ライブもたぶんできない。
つれ~~~。ほんとならライブハウスを貸し切って、めちゃめちゃモッシュして最高に盛り上がるはずだったのに。
でも!!
ミュージカルを観て、舞台の上にいる誰かの真剣な顔を見てはっとしたり、真剣乱舞祭でキラキラしてる誰かにキャーキャーしたり、なんかそういうので『『青春』』成分を補給できた気がする。
そりゃ、何か月も稽古をして、それが本業の俳優さんと同級生を同列に語るのはとても失礼だけど、でも、二か月も友達としゃべっていない虚無虚無プリンな今の私に一番必要だったのは、友達と一緒にかっこいい誰かにキャーキャー騒げる、そういう他愛ない時間だったのだと痛感した。
もう、ぼろっぼろに泣いてる。アホほど感動している。
私、全然刀剣乱舞知らないんだよ……言っちゃえばミュージカルがほぼ初見なので、キャラクターとしての彼らをあんまり知らない。え、ゲーム内の彼らは歌って踊らないですよね……。刀だもんね……。
のに、刀剣男士が、主を、仲間の刀剣を、歴史を、どれだけ大事に思っているか。
主とともに紡いだ歴史とともに、自身をどれだけ誇りに思っているか、
そして主(審神者さん? とにかく観客席の方たち)がどれだけ刀剣乱舞というコンテンツを愛しているかがビッシビシに伝わってくる。ミュージカル観ただけなのに。素敵なジャンルだ……。
受験終わったら円盤買いますね。年末にはコロナ渦が収束してたくさんの審神者さんたちがまた騒げることを願っています。
最後に昨日「三百年の子守唄」の見どころを友達に聞いたところ、「ファンサのとき良い匂いがした村正」と言われた。
どう味わえと。