はてなキーワード: 仕舞とは
https://anond.hatelabo.jp/20201009003935
不審者に声をかけられた時の経緯の詳細をオーナー宛にメモに書いて、退勤。翌日、オーナーから電話がかかってきた。
「声をかけられたって言うけど、何て言われたの?」
「えー、『好きです、好きなんですけど、彼氏とかいますか?』って言われました」
そんなことwwwと笑われてしまうかな?と思いつつも正直に言った。実際、夫に話したときは「お前モテモテじゃんwww」という反応だった。いや、見知らぬ人が加害する気満々のムーブで近寄って来て言った「好きです」なんてモテの産物じゃないだろどう考えても。オーナーはというと、
「えーっ、それって完全に性犯罪ですよね。それは危険なやつなので、僕の方から警察に電話しときます」
と言った。えっマジですかありがとうございます!って喜んだものの、どうせ忙しさに紛れて有耶無耶に消えていく話だと思った。
ところがオーナーは本当に本件を警察に相談していた。本件は私が直接手を掴まれる等暴力を振るわれた訳ではないので、警察に110番するほどではなく、地域を管轄する駐在所に相談しようとしたら、市の警察本部に回されたのだそうだ。
その為、オーナーの相談だけではなく私本人の証言を取る必要があるということで、私が直接電話で警察の生活安全課の人と話すことになった。
まず私の個人情報が聞かれた。生年月日、氏名を読みだけでなく漢字まで、住所をアパート番号まで、そして携帯番号。そういえば私、咄嗟に何故か生年月日を年号じゃなく西暦で答えたな……別にそれで平成ですか昭和ですか的なことは聞かれなかったけど。
次に、変質者にはどこでどのようなシチュエーションで話しかけられたのかを聞かれたので話した。勤務先の店の外にある倉庫で、荷物を仕舞う作業中に背後の少し離れたところを、男性が近付いてくるのが見えたこと。男性の動きが不審なのと、私のいた場所が行き止まりでそこにいれば逃げ場がないと思ったこと。それで、男性がいる方が開けた場所であり、店舗の正面に通じているので、私の方から男性の方へと近付いて行き、いかがなさいました?と声をかけたこと。すると男性は私に声をかけたこと。
要はこれは「声かけ事案」なのだが、危険を感じて私の方から変質者に先制的に声をかけた事案なのだ。これをもって私の自業自得だと笑われて終わるかもしれないと思ったが、そうなったらそうなったで電話対応した職員の上司に文句言ってやればいいかと思い、事案当時のありのままを話した。すると担当者は、
「なるほど。ではどのようなことを不審者から言われましたか?」
とだけ聞いてきたので、
「『好きです』と言われました。そして『好きなんですけど、彼氏とかいますか?』と言われました」
と答えた。
「なるほど、なるほど。では増田さんはどのように答ましたか?」
「『夫ならいます』と答えました。そしたら変質者は『あーそうですか』と言うので、私は会釈して通り過ぎて」
「それで店内に戻られたということですね。不審者はその後店内まで追って来たりなどは」
「追われはしなかったです。ただ店の監視カメラで変質者の様子を私と仕事仲間とで見ていたのですが、変質者はしばらく駐車場をうろついていて、搬送車が近くにくると、さっさと自分の車に乗って行ってしまいました」
担当者の対応はずっと理性的で淡々としていた。私の方もなるべく簡潔に聞かれたことを答えた。一通り聞かれたあと、特に際立った不審者の特徴を聞かれたので、答えた以上のことはないが、かなり痩せているのと、そわそわと妙な動きをしていたのと、髪型は坊主かスキンヘッドかもしれない、帽子の下に髪が見えないようだったから、と答えた。
「えーと、靴は覚えていないです。暗くて雨も降っていたので、よく見えませんでした」
見えなかったというよりは見なかった。何しろ相手から目を逸らしたら何をされるかわからないと思ったので、私は変質者の目ばかり見ていた。服装を上から下まで覚えていられたのは距離が充分取れていたからで、しかし足元をじっと見るのは怪しまれると思い出来なかった。ということは流石に長々と話せなかった。
「車種は、私は車の車種とかよくわからないのでわかりません。たぶん白っぽい色か灰色です。でも監視カメラにはバッチリ車も映っています」
「なるほどよくわかりました。では不審者はお店に増田さんを追って入って来たり、直前に店で買い物をしたり、以前にも来店したりなどはありましたでしょうか?」
「いいえ、ないです。追われませんでしたし、私は見たことがない人でした。仕事仲間も、事件の直前に接客した覚えがないと言っていました。少なくとも常連客ではありません」
「なるほど、わかりました」
担当者は最初から最後まで個人の意見や感想は挟まず、必要事項を聞いてくるだけだった。
「では、今後のことですが、もしもその不審者がお店に再来店して、増田さんに直接的に接触する、絡んでくる、店内を徘徊するようなことがあれば、すぐに110番して下さい。そうすればすぐに私どもが駆けつけて対応しますので、躊躇せずに110番をお願いします」
「わかりました。どうもありがとうございます」
「いえ、長い時間ご協力いただきどうもありがとうございました」
「とんでもございません。何か追加でお聴きしなければならないことがある場合、こちらから増田さんの携帯にお電話させていただくこともございますが、どうかご容赦をお願いします。それでは失礼いたしました」
コロナって、会社員の忙しさを変えたのかな。業界によりけりか。
僕はなぜかとても忙しくなってしまった。忙殺、そんな毎日がふさわしい。
テレワークでは仕事は回らない。僕は回らなかった。僕のチームも回らなかった。
だから暑い盛りに会社に通ったし、台風シーズンで雨が降ろうが風が吹こうが、
僕の朝は少し遅い。8時に起きて、8時半にまた起きる。そして頭と腹を掻きながら
シャワーを浴びて出社する支度をする。
朝食は家では摂らない。買い置きしてある炭酸水を一本カバンに入れて家を出る。
エレベータを待つ間に、メールとニュースチェックを済ませる。東証が止まっているらしい。
そんなことで驚いてもエレベータは急いでくれない。
駅に行く途中で、コンビニに寄って朝食と昼食を買う。朝食分はおにぎり1個と、
昼食という名の16時くらいに食べる夕食用にパンとサラダチキンを取る。
と、今日はいつものサラダチキンが品切れている。それにレジが混んでいる。
店員が揉めている。よくわからないが、通勤時間帯に何かの支払いに現金で20万をレジに出している不束者がいる。
東証が止まると近所のコンビニが朝混むというエフェクトについて思いを巡らせながら、
コンビニで買い物を済ませるのを諦めた。改札の中にもコンビニはある。会社の近くにもある。
改札はスマホを直接当てないようにスマートに通る。誰が見ているわけでもないが僕の流儀だ。
スマホから視界を切り、センサー部分をかざす、ゲートが開く、即座に右のポケットに仕舞う。
忙しい中でも、ルーティンを忘れないことが自分のバイオリズムを作る。誰にも言えないけど。
駅なかのコンビニも混んでいる。人が、活動が、生命が麻痺から癒えたように、痛みに慣れたように
混んでいる駅のコンビニは、入ったら後ろに戻れない。みんな一方通行に狭い店内をベルトコンベアに乗った
部品のように進んでいく。立ち止まったら次の電車に乗り遅れる。目を商品にチラつかせながらパンを取り、
前後の人の邪魔にならないように、商品を手に取る。この瞬間にソーシャルディスタンスなんて存在しない。
おにぎりに手を伸ばそうとしたところで、前に並んでいた人が振り向いた。
どうやら一度手に取ったものを、棚に戻すようだ。この場合僕は進んでよいのだろうか、後続を堰き止めるべきだろうか。
一瞬の判断が命運を分ける。逡巡の刹那、後ろの人がぶつかってきた。僕は軽く会釈をして、右手を伸ばして
前にいた人が、にこやかに微笑んでくれた気がした。目を合わせないように会釈する。
僕は運命に出会った。この時点では気づいていないんだが、運命に出逢っていた
慌てて会計を済ませて、レジ袋もなくカバンにおにぎりとパンを突っ込んだ。電車が来る。
予想より混んでいたので、ギリギリだ。何とか早足で乗り込む。息が弾む。活動量計は軽い運動中を示していた。
会社について、デスクで一息。カバンのおにぎりをつかみ休憩室に向かう。
今日も長い一日が始まる。共有部のコーヒーマシンのボタンを押す。
ドリップの音がする。何かを切り替えるトリガーの音。この音が止んだら表情をロックする。
おにぎりを頬張る。
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うっめえええええええええええええ、なんだこれ超絶旨いやんけ
それは、NewDaysの北海道産バターのエビピラフおにぎり。僕の運命の相手。
明日も会いに行く。忘れられないために。
クローゼット(英語: Closeted、および英語: in the closet)は、ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア、クエスチョニング、インターセックス(LGBTQI)の人々で自身の性的指向や性同一性を公表していない状態を暗喩する言葉である。
言葉の背景
20世紀後半のアメリカでは「クローゼット」はゲイの歴史学や社会動態を把握するための重要なメタファーになっている。クローゼットの概念はカミングアウトのそれと切り離せないものがある。衣類を仕舞う「クローゼット」を当人の心に見たてて、「(性的指向を)隠している状態」(in the closet)と「表に出した状態」(come out of the closet)の二つの状態を暗喩して、当人の性的指向や性同一性の扱いを二元論的に示している。この背景から「クローゼット」な人物は「偽って暮らしている」「不幸な人生」という皮肉の意味でしばしば用いられている[1]。
前述の意味での「クローゼット」は第二次世界大戦後となる1950年代のアメリカで始まったとされる。「第一次世界大戦後のゲイの人々は…今の "coming out" という表現を使っていなかったが、 "into"という表現(同性愛社会やゲイの世界の『中に』入る)はあった。その当時も世間は大きくて人々の交流も盛んだったから…まさにクローゼットに隠しているようなものだった」(Chauncey 1994, emphasis added)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%88_(%E6%80%A7%E7%9A%84%E6%8C%87%E5%90%91)
『早生まれの不利は大人になっても続く』という見出しの記事が最近話題になっていた。
高校入試の偏差値や所得にも影響しているという記事で、統計的に3月と4月で偏差値が約4.5違うというものだった。
6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長が109センチ。趣味はスーパーファミコンとドラゴンボールZのビデオ視聴。
好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。
すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校に不安を持っていた。
ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。
小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。
小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分は勉強が嫌いかも。という感覚だった。)
そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。
今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字の計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。
5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。
しかし学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生がクラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが
職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラスの勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。
当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。
そんなことを考えるものだから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。
体育。一番小さいサイズの体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。
夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。
学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。
今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。
ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。
顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。
恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。
得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。
もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。
そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と
割り算プリントにデタラメな数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミングで先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。
考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。
小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。
国語は漢字の覚えが悪く、社会科も47都道府県がいつまでも覚えられなくて居残りをした。
音楽も練習したつもりだったリコーダーのドレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術も風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。
4年生から始めたスイミングスクールの甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。
中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。
中学には水泳部に所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。
(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)
中学の運動会が自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。
1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。
夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。
毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。
夏組に割り振られた6月生まれはガッツポーズをして喜び、その学年の生まれの割合から冬組に割り振られた10月生まれは先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月生まれか4月生まれかの確認しあいっこが始まる。
秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。
秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。
運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらめムードの冬組がうなだれていた。
中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。
ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。
今から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。
きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)
高校は公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制の高校でマイペースにプリントを進め、コツコツとDTPデザインの勉強をした。
高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強をSkypeしながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。
通信制の高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。
正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。
もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては
適切な学習環境が必要なのではないか、と当事者の自分は思った。
ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生は自分と同じ誕生日の美しい先生だった。
聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。
年に何度かある大量の郵送物の発送作業で
借り出されちゃってました。
お昼も済ませちゃいました。
お茶漬けでささっと済ませたわ。
たまに食べる永谷園のそれは本当にたまに食べると美味しいわよね!って思いました。
さすが味一筋!って感じよね。
郵便局にもってけば、
そう言うのって機械化できないのかしら?って思うけど、
隣の部署の人を見てそう思ってたら、
私が暇そうだったので、
暇じゃないけど暇だけど
借り出されたって訳。
私は借りてきた猫のように、
うだうだと仕事をしないわけじゃないので、
ずばばばばってぱぱっとやって
あっという間に終わらせて褒められるところがワンセット、
だけど
ってたまには本当に仕事をしています感をただただ出して書いているだけだから、
本当は私は仕事をしているのかしていないのかは
開けて見ないと分からないなんとかの観測の猫みたいでカワイイでしょ?
にゃ~なんて。
今日はこれにてドロンさせてもらうわね!
うふふ。
昨日買っておいたおにぎり鞄の中に仕舞っていて潰れてそのまんまでしたから、
成仏させるべく、
私的にはもうちょっとワサビ効いてるロシアンルーレットまではいかないけど、
この追いレモンって発想いいでしょ?
真似しても良いからね。
酸味豊かな酸っぱさをもたらしているわね。
酸っぱく感じるのは生きている証拠よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
背もたれにはバスタオルが2枚、だらしなく引っ掛けてある。
白いのと紺色のだ。
白いバスタオルは元はベージュだったのが消えそうなチェック柄から分かる。
紺色のはいかにも安物のようで、向こう側が透けて見えそうなくらい薄い。
どちらもゴワゴワでこれで体を拭いたら擦れて痛そうな、却って気持ち良さそうな固さ具合だ。
乾いているのだからたたむべきか、誰かが使ったのだろうから洗濯してから仕舞うべきか。
暑いから今から洗っても日付けが変わる頃には乾きそうだ。しかし洗濯機の音は近所迷惑になるだろうか?このアパートの防音がどの程度のものかはわからないが、やめておいた方がよさそうだ。
などとぼんやり考えながら、アマプラで何の映画を見ようか、さっきから延々とスクロールしている。
氷水が飲みたい。
我が家は細々と農産物を販売する兼業農家で、20年くらい前から通信販売もはじめた。始めた当初は母が諸々の事務を担当し、8年ほど前に私にその仕事が私へ引き継がれた。
代金の回収は商品着後の後払い(郵便局かコンビニ)で、ほとんどのお客様は滞りなくお支払いしていただいている。
そんな中、本当に初期の頃からご利用いただいている、Aというおじさんがいた。
Aさんはいつも電話で注文をしてくれる。特にうちのブルーベリーを気に入ってくれていて、一箱は奥さんと食べるために自宅へ、あとは兄弟や従兄弟に送りたいから、〇〇県のB、△△府のCに同じ商品を送ってね、というように注文をくれた。
Aさんのご兄弟も我が家の商品を気に入ってくれて、兄の紹介で、と注文をくれたこともあった。
Aさんとは直接お会いしたことは無かったが、電話の話だと過去営業をやっていたとのことで、声にはハリがあり、大変はきはきと喋る。熨斗の確認などの際も、細かく指示をくれたので、15年の間にAさんに変化が訪れていたなど想像もしていなかった。15年。私はまだ学生だった頃だ、そのくらいの時間が流れたいたのに、気づかなかった。
ある年のこと、Aさんに商品と請求書を送ってから3週間が経過した。我が家では着後2週間以内のお振込みをお願いしているが、まあ土日や祭日に商品が届くこともあるので、入金漏れのチェックはおよそ3週間を目途に行っている。Aさんは今まで着後すぐに入金をしてくれるタイプの人だったので、家族でもあれ?という話になった。商品の追跡を確認したが、発送の翌日にはお受け取りいただいている。Aさんからの発送依頼で商品を送ったご兄弟の方々も同じくお受け取りは完了していた。
入金の確認がとれないまま、4週目に突入した。請求書の発行履歴はある、これまでにあったパターンだと、請求書を紛失した?でも、Aさんなら請求書を紛失したと言ってくるだろうし、となると何かあったのだろうか?
私はAさんの自宅へ電話した。
Aさん「はい、Aです!」
私「××の私と申します」
私「すみません、実は商品発送後、Aさんの入金確認がとれておらず、お電話させていただきました。商品とご請求書は届きましたか?」
Aさん「ああ、商品は届いているよ~ ごめんね、冷蔵庫に空きがなくて仕舞えてないんだ。早いところ食べないとね、請求書は、ちょっと待ってね、見たような気はするけど……」
私「あ、はい、あのもし紛失されたようでしたら、再送致しますが……」
Aさん「あ、あった、ありました、あれ?おかしいなあ、忘れちゃってたのかな。ごめんなさいね、今日は、え~っと、土曜日か! 週明けに至急振込みますので!」
そう言うなり電話は切られた。
「冷蔵庫に仕舞えてない」「土曜日」この二つの言葉に私はじわりと嫌な感じがした。
まず、この会話は商品を発送してから4週目に突入したころのやり取りなのだ。ブルーベリーはクール便で送ったが、その後少なくとも常温で20日以上経過している。傷んでいるだろうし、下手をすると腐敗している可能性もある。だが、Aさんはそれを食べないとねと言っていた。
そして、Aさんは土曜日と言っていたが、その日は普通の平日だった。
5日ほど経過した。もちろん入金はなかった。
私は家族に相談した上、経緯(食い違いがあるといった内容は書かず、何日に商品を送った、請求書の送付から何日が経過している等)を説明した手紙を同封し請求書を再送した。奥様がいると言っていたので、奥様に読んでいただければと思った。
再び5日ほど経過したが、何の連絡もなかった。
私は再度Aさんへ電話をかけた。
Aさん「はい、Aです!」
私「××の私と申します、先日お電話したブルーベリーの件で……」
Aさん「××(弊社の名前)さん! ブルーベリーね、昨日おいしく食べたよ」
嫌な予感が当たった衝撃。Aさんの嘘であって欲しい、本当はぐじゃぐじゃで食べられなかったけど、気を使ってくれただけだと。いや、でもAさんなら、もし食べてしまっていたら、今年のブルーベリーはおいしくないって正直に言ってくれるはず……Aさんの言った昨日がせめて、先日の電話の日であって欲しい……食べられる部分だけ食べたのだと……そんな日にちの感覚がずれているだけであって欲しい……。色々な考えが巡った。
私「請求書をお送りしたんですが……」
Aさん「んっ!? 請求書ね、ちょっと待ってね……妻が出て行ったから、持って行っちゃったのかなあ、申し訳ございませんね、今日は、え~っと、土曜日か! 週明けには至急振り込みますので!」
先日とほぼ同様のやり取りだ。
このままでは代金の回収ができないこともだが、Aさんの生活は成り立っているのだろうか、それが不安だった。奥様はお元気なんだろうか、家族のことに踏み込むのは失礼にあたるだろうが、Aさんが常温でずっと放置されたブルーベリーを食べるような生活を送っていることを知った上で、このまま見過ごしていいのだろうか。
もちろん、Aさんとは親戚でもなんでもなく、顔も知らないし年齢も分からない。遠い所に住んでいるお客様の一人だ。けれど見て見ぬふりをするのが正解、代金の回収も諦めてそのまま(大口の注文ではないので、できなくもないが)、と割り切ることもできなかった。
その後も、Aさんへの電話は続けた。逆に、Aさんから電話がかかってくることもあった。やり取りは同じようなことを繰り返すことになった。
Aさんの調子には波があるようで、ブルーベリーの注文をしたことすら忘れているとき、ブルーベリーを食べたことを忘れているとき、注文はしたけど届いてないよと言われるときがあった。奥様とは相変わらず連絡が取れなかった。
かかってくる電話は、早朝に来ることもあれば、夜にくることもあった。
家族と再度相談し、今回はやむなし、ということで、私はAさんのご兄弟のBさんに連絡をさせていただいた。過去ご注文をいただいたご兄弟の履歴が残っていたのだ。
経緯を説明すると、「お察しのことかと思いますが、兄は痴呆症なんです」「義姉(Aさんの奥さん)は既に他界しておりまして」「私も月に数度様子を見に行っておりますが」「日常生活や身の回りのことは大体出来ているので、あとはホームヘルパーを派遣したり、週に数度は兄の息子夫婦が訪ねたり」「息子さんは〇〇(大手企業)の役員をやっていて、その奥様が様子を見に行っているようですが、二人ともいい人なので、代わりに支払いを申し出て下さると思いますよ、私の方から経緯と事情を説明しておきますね、そちらの会社名とご連絡先も伝えておきます」
本来、私が心配しなくてはならないのは代金の回収だけのはずだし、私でも知っているような企業にお勤めの息子さんご夫婦が定期的に訪れているのだ、生活に困窮なんてしていないに違いない。どんな生活を送っているかなんてわからない。これ以上私などがAさんの心配をすることも、私にこれ以上できることもない。そうは分かってもなんだか、Aさんの老いや時間の流れや……何ともしがたいけれどつらい気持ちになった。
後日、Aさんの義娘にあたる方からご連絡があった。請求書の送り先の住所は、都内のマンションだった。3日もせず、入金があった。
私たち家族としてはとりあえず一件落着、と思っていたさらに数日後、なんと当のAさんから電話があった。
Aさん「ブルーベリーいただいたよね! 請求書を送ってくれるかな?」
Aさんへ請求書は4度ほど送った。送ったとだけ言うと、Aさんからまた電話がくるかもしれない。
Aさん「えっ? そんなことないよ、まだ支払ってないはずだって」
困った。少し押し問答になり、悩んだ結果、私はこのような嘘をついた。
私「ご請求書の件ですが、何度かA様宛に郵送したのですが、郵便事故でA様の所へ届かなかったようです。申し訳ありませんが今回だけ息子さんご夫婦の所へ郵送させていただきました。お支払いも息子さんご夫婦が代理で行って下さいましたよ」
Aさんはものすごく怒った。悪くなったブルーベリーの違いも分からなくなり、時間や曜日の感覚も失い、けれど息子に迷惑をかけたことを恥と感じ、こんなに辱められたのは初めての経験だ、客へ行う仕打ちではない、一体どんな会社の教育なんだと御叱りを受けた。私は謝罪した、10分ほど謝罪を続け、Aさんは怒りを納めて、また来年もブルーベリーを注文させていただきますと言い、電話は終わった。
翌年、Aさんにはブルーベリーの案内ハガキは出さなかった。Aさんからも問い合わせも注文も無かった。
Aさんの弟さん、息子さん夫婦、ここまでサポートされ、身の回りが出来ていると判断されていても、Aさんは腐敗した食べ物を食べている。でもそのことをBさんに伝えることはできなかった。そんなこと分かっていて、それでもAさんの性格や折り合いから付きっ切りなんてできないのかもしれないし、もしかしたら腐敗した食べ物を食べていることも知っているのかもしれない。
あるいは、Bさんに伝えたところで息子さん夫婦やヘルパーさんが叱られるだけで、でも手のつけようがないのかもしれない。
外野が出る幕でもなく、余計な心配だったのかもしれない。でもどうしたらよかったんだろうとブルーベリーの時期になるとぼんやり思い出す。
こうしたお客様は今後も出てくるかもしれないし、私もいずれAさんみたいになることもあるんだろうな、なんてぐじゃぐじゃした気持ちを、今も引きずっている。
説明しよう。「サイケデリック旅行」とは人間の内的世界すなわち夢・無意識世界に没入することで、その鮮やかで自由な世界を散歩することである。本稿では荒唐無稽、支離滅裂な内容が続くため、物好きにして、根気の強い人のみ読むべし。
さて、初めてのサイケデリック旅行は、高校一年の時である。それは忘れもしない冬休み、雪のしんしんと積りゆくクリスマスイブの日の出来事である。聖夜の前日ということもあって、私はくさくさと家に篭り、もののけ姫のdvdを観た後に、チャイコフスキーの「冬の日の幻想」を聞いていた。確か40分弱の曲で、高校生の私には長く、単調なものに感じられたが、20分ほど聞いていると、不思議なことが起こりはじめた。
まぶたの裏にあらゆる断片的なイメージがカラフルな原色となって浮き上がってくる。それも、有名な絵だったり、カードゲームのカードであったり、動物だったり内容はまちまちである。はじめは、歌川広重の「おおはしあたけの夕立」が浮かんできて、様々な色の斑点を伴いながら、暗闇の深淵へと消えていった。それから子供の時に集めていた遊戯王のカードが、回転しながら現れて、その次に物置に仕舞った、白色のPSPが浮かんできた。さらにその次に現れたのは、なんと説明しようか、いわば極度に抽象化された、概念的なイルカだった。そのイルカは点と線のみで構成されるアルゴリズムのようであり、イルカショーで見られるような美しく大胆な、水から跳ね上がる運動を延々と描いていた。
https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=1173
これは衝撃的な体験だった。それから私は無意識・夢の鮮やかで摩訶不思議な世界の虜となり、夢日記をつけ、河合隼雄の心理学を読み耽るようになった。夜、世界は青い静寂に包まれる。私は目を閉じて呼吸を穏やかにし、これからに映る美しい幻覚を心待ちにした。夢の中では空を泳いで、知らない街を見下ろしたり、通っていた高校に行って、やれやれ、なんて高校生らしい願望だろうか、ありとあらゆる同級生のおっぱいを揉みしだいたり、セックスをしたりした。
はてなで京都の話題が出ているのでまた蕎麦屋のことを思い出した。
詳細を忘れてしまった為に残っている記憶を頼りに時折ネットで探すのだけれど、土地勘もないので探してもわからない。閉店してしまってるのかもしれない。
雑誌るるぶのページ下のちっこい欄で、お好み焼き屋ジャンボの隣に並んでたからそのあたりの店なのだろうか?
霊園か寺の横にある細めの道を入ったところに店はあった。がっつり和風のお店で屋根付きの和風門があって、飛び石?が玄関まで続いている。店内は狭くはないがとても広い、という印象もなかった。
「御用蕎麦司 本家尾張屋」に外観の雰囲気は近い。けれどこんなにテーブル席がたくさんあった記憶がない。店の前の道の雰囲気もなんだか違うような。
平安神宮か北野天満宮を見たあとに行った。タクシー移動だったのと記憶がうろ覚えなのでこれはあまり当てにできない。
班の三人で各々ニシンそばと海老そばを注文した。ニシンそばが美味しくて感動した記憶がある。中学生の修学旅行の予算を考えると蕎麦1つはそこまで高い値段ではないはず。(ランチ価格だろうし、高くても1200〜2500の間だと思う。当時の話だが)
店内の奥の方を見ると中庭が見えた。京都の古民家はあんな感じなのだと思う。
修学旅行から何年か経って記憶が朧気になっても、ニシンそばに感動したことだけは鮮明に覚えていたので、京都駅に寄ったときにはせめてと思ってそのあたりの店でニシンそばを注文した。こんなもんか、と思った。
母が子供のものは何でもとっておくタイプのため、実家に当時自分で書き込んだ行程表(修学旅行のしおり)も保管してあるのではと思い聞いてみた。
あるとは思う、けれどどこに仕舞ってあるかはわからないと言われた。家のあちこちに分けて仕舞っているというので、それらのデジタル化に踏み切るまでは手を付けなさそうだ…。
ああ蜘蛛よ
どうしてお前の姿を受け入れてやれないのだろう
コバエやゴキブリを食べてくれる
益虫だというのに
ああ蜘蛛よ
壁にいても 床にいても 同じ布団にいようと
受け入れられるのに
ああ蜘蛛よ
許してくれ
一度は見逃すから
ああ蜘蛛よ
どうかもう二度と わたしの前に現れないで
蜘蛛だけじゃない
同じ家にいることは構わない
ただ目の届くところに居ないでほしい
すまない
見つけて仕舞えば 殺さざるを得ないのだ
益虫でも害虫でも
ああ蜘蛛よ
ああ蜘蛛よ…
どうか安らかに…
(殺虫スプレーの音)
○ご飯
朝:サーターアンダギー。昼:きしめん。夜:茹でた豚肉を水で締めて、水菜とレタスと大根おろしの上に載せてポン酢をかけて食べるやつ。間食:アイス。ポテチ。
○調子
洗濯しないと会社行けないので洗濯だけしてた。洗濯しててハンカチを会社の鞄に仕舞おうとしたら、ウサギさんとキリンさんの刺繍がしてあって、ああ頑張らないとなと思った。
○グラブル
古戦場で開けた大量の箱の整理をしてた。
悪ヴァディを捕獲。ついでにガラル未解禁のジグザグマ、マッスグマ、ファイヤーを捕獲。