はてなキーワード: 乳首とは
ブクマやコメントくださった皆さんありがとう。ひとつひとつ大切に読ませてもらっています。
この日記は、コロナ前の2018-2019年。妊娠&出産したとき書き殴っていたメモがスマホから発掘されまして、削除するのも勿体なかったためここに放流させてもらいました。
あれから我が子はもう3歳になっており、毎日元気にすごしています。(「うちの子と同じくらい!」とコメントくださった方ごめんな...)
・妊娠しているのが判明したとき母親になる実感とか覚悟とか全然なかった。子供は嫌いじゃないけど自分が育てるとなると。。不安と恐怖ばかり。
・仕事や趣味もいっぱいやり残した事あったし、まだもう少し夫と恋人同士でいたかった。でもまあ…40前にもなって結局大成もせず何者にもなれない人生だったが、どうやら母親にはなれそう。か。
・妊娠8wかな。心音確認後、母子手帳交付へ。保健センターは大勢の妊婦さんでいっぱい。つわりが始まりかけていたので、しんどかった。
・エコー写真は相変わらず宇宙人みたいなウネウネ。その得体の知れない存在が怖かった。母としての実感なし。
・空腹が気持ち悪い...かといって何か食べても気持ち悪くて吐いてしまう。。
・つわりの酷かった時期の全てがトラウマに。当時よく食べてた物、よく行ってたスーパー、トイレの芳香剤の香り、よく聴いてた音楽までも…思い浮かべるだけで気持ち悪いよだれが口いっぱいに湧いてきて軽くえづく。
・食材のにおいや鍋の熱気などが気持ち悪くて台所に立てなくなり、以来ずうっと現在に至るまで夫が料理を作ってくれている。。夫は元々料理が趣味だからと快く引き受けてくれている。掃除洗濯皿洗いが私、買い出しと料理が夫。役割分担をしてちゃんとやってるのに、料理をしないことに罪悪感がある。
・15w頃。高齢出産のため出生前検査を受ける。何かしら障害があるのなら生まない選択をするつもりだった...が、容易いことではない。だって、あんな元気な心音を聞かされて、くるくるよく動き回る胎児の姿を見たら。
・18w 結果がわかる。異常なし。いくで!ようやく決心がついた。このあたりから母性と覚悟が座ってきた。
・22w頃。エコーでの最終検査もまったく異常なし。元気な男の子と判明。
・妊娠糖尿病に引っかかる。。1日5回の血糖値測定、毎食の記録、週1糖尿病内科への通院を義務付けられる。
・お腹が大きくなってきた頃、夫以外の男性に生理的嫌悪。道の向かいから男性が歩いてきたら回り道をする、レジ係の男性、会社の同僚と目が合うのも嫌。体の表面が警戒心という電気でビリビリ覆われている感じ。
・妊娠中期〜(産後半年まで続いた)はホルモンバランスのせいか感情過多&涙もろくなる。
・母親学級にて、先生が朗読したポエム「わたしがあなたを選びました」で、おんおん号泣。
・TV番組「ワイルドライフ 野生動物のリアル」産卵終えたばかりで弱っている母ウミガメをバリバリ食うヒョウ。むご過ぎて号泣。
・エコー越しの赤ちゃんが、ただ、ただ、可愛くて愛おしすぎて号泣「可愛い」って感情だけでここまで泣けるものなんだな。
・出産予定日に検診。胎動カウントを聞かれ「そういえば昨晩からあまり動いてないんですよね」と伝えたら即日入院になった。臨月は胎動が落ち着いてくるとか聞いてたから特に気にしてなかったがあかんかったのか。。内診エコーNSTの結果、いまのとこ緊急性はないけど予定日だし促進剤いれてもう産んじゃいましょうって。
・翌朝破水、陣痛はじまる。なんかおかしい...なんか異変を感じるんです看護師さん...→ヘイヘイ赤ちゃん心拍弱ってる〜→緊急帝王切開の流れ。
・硬膜外麻酔で大暴れしてごめんなさい。。陣痛よりも背中に刺す麻酔が1番痛い&恐怖だった…
・感覚のない下半身は、長時間雪遊びしたあとのジーンと痺れる感じに似てた。
・ずっとお腹の辺りでカチャカチャすること約30分後、赤ちゃんの鳴き声。生まれましたよ!と同時、胸元にドサッと生暖かい肉塊を置かれたのを感じた。カンガルーケアってやつ?シートで阻まれ姿がよくみえないうちに連れ去られたw
・術後、朦朧として「お腹の上に乗せてる重り?文鎮ですか?をどかして下さい」と言った。重いと感じていたものは文鎮ではなく、どうやら傷の痛みだったらしい。
・術後の姿を見て「難産だったね…」と義母に同情されたが、赤ちゃんが無事健康に産まれてきたのなら安産だと思う(思ってた。。)のでそう答えた。
・腹の傷の痛みがとにかくつら過ぎた。腹筋どこいった?て感じで腹に力が入らない。あと、傷口にブッ刺さった2本のチューブから出血を溜める小さなボトルがぶら下がってる。トマトジュースのように濁った体液が常にタポタポしてて気持ち悪かった…
・縦に走った傷跡にはホチキスの芯がびっしりと。抜糸はそれを一本一本抜いてく。「陰毛を抜く程度の痛み」とネットで事前に知れたので、恐怖はそれほどでも。
・術後のガスがなかなか出てくれなかったので、入院食はずっと五分粥。お祝い膳をすごく楽しみにしてたが結局出てこなかった…ものすごく豪華で美味しいと評判の産院だったので残念。。
・術後のガス出ない。。お腹はガスでパンパン膨れ、とても産後に見えない大きさw傷口が開きそうで怖くなる。歩くのも苦痛。ガス出すために下剤飲まされたり浣腸されたが無駄だった…肛門ボロボロいぼ痔悪化…。ネットで調べたオナラ体操が一番効いたかな。体をひねってなんとか出した。
・「赤ちゃんと一緒にがんばりましょう♪」という通常分娩を前提としたイメージトレーニングを受け続けてきたせいだろう。緊急帝王切開となり「ちゃんと産めなかった」みたいな負い目がずっとある。泣きたくなる。「出産頑張ったね、大変だったね」の声に紛れて、実母が「この子はラクして産んだから〜」と親戚に話してるのが聞こえて悲しかった。
・産後翌日。保育器に入り色んな管に繋がれた我が子と対面。こんなに可愛い子が胎便漏らすほどお腹の中で苦しんでたなんて...可愛さといたましさに保育器の前で体をくの字に曲げおんおん号泣。異様な姿だったと思う。
・産後すぐ姉や友人たちに送ったメールを読み返すと、出産時の様子を生々しく熱っぽく報告してあって、テンションが二郎レポのそれだった。以上、レポっす!!ってやつ。
・産後すぐ、実母がすごく嫌だった。帝王切開はラクなお産発言とか母乳足りてないんじゃないのとしつこかった。マルチ商品みたいな怪しいドリンク持ってくるし。
・実父が「自分に似てる」と言うのが心底嫌だった。授乳する時思い出しては最悪。。
・ 実家は狭いうえ底冷えがひどく、両親が高齢なのもあり頼れないなと思ってたから里には帰らなかった。かといって、赤ちゃんとの暮らしなんて想像もつかないし実際体験してみないとわからない事だらけだ。退院後すぐ自宅育児が出来る自信がなかったので、産後ケア施設に2週間入所することにした。
・24時間助産師さんのもと赤ちゃんと2人の生活を監修して貰えるのはありがたいと思う。自宅育児が始まる前に、赤ちゃんと実生活しながら育児に必要な細々としたものを揃えていき(夜な夜なAmazonポチポチ)、日々のお世話の仕方をしっかり身につけられてあんしんできた。母乳の状態もみてもらえるし、疲れたら助産師さんに子を預けて休息をとれるし、栄養ボリュームたっぷりな1日3回の食事、おやつ、マッサージと至れり尽くせり。お金があれば、ずうっと入所してたいくらいだった。。。
・2週間、夫は毎日来てくれた。夕食の18時から2時間ほど親子3人で過ごした。たまに夕食を持ち込んで一緒に食べたり。面会終了時間までベッドで横になり、初めて3人一緒に眠ったり。嬉しくて幸せで貴重な時間だった。赤ちゃんの名前はこの時に2人で決めた。
・施設を退所して自宅育児開始。産後0ヶ月は壮絶だった。。赤ちゃんは1日のほとんど寝るか泣くかの繰り返し。愛おしい我が子なのに理由のわからないギャン泣きは異生物感凄くて、正直ギブつって放って逃げ出したかった。独身時代の自由気ままな暮らしに戻りたくてたまらなかった。産後はもっとこう、母性が芽生えて無限の愛に溢れたキラキラママへ自動的になれるものだと思ってたのに。なれない自分に自己嫌悪したり。
・止まないギャン泣き。途方にくれる。リビングが精神と時の部屋化する。
・おっぱい咥えてる間は泣かない、咥えたいだけそうさせればギャン泣きしない。解決!
・産後1〜2ヶ月頃。夢を見るが不思議と我が子は出てこない。一度だけ、仕事もバリバリやってスタイリッシュなオフィス、魅力的な同僚に甘酸っぱい恋、うんとオシャレして素敵なレストランでワインを飲んで…というコテコテの月9かよみたいな世界観の夢みて、まじでどんな悪夢よりもきついものがあった。だって自分には決してもう有り得ないんだもの。
・我が子はものすごく可愛いし毎日幸せでたまらん…のに、退屈で死にそうになる事がある。
・開き直るようになった。これまでは、電話が取れなかったりメールの返事が遅れる自分をだめなやつだと責めてたけど、今では「だって育児してるんだもーんしょうがないでしょ」と。
・お洒落しなくなった。白髪増えていくのにそのまま、化粧も適当、服買わない、身なりに興味なし。
・人とうまく喋れない。言葉がでてこない。話し相手は夫だけ。それも生活上必要最低限の会話だけ。
・自宅育児初日のこと。「沐浴はどうしようか...」となり、とりあえず沐浴マットを敷いたシンクに横たわらせシャワーをジャーっと…したっけ大号泣よ。洗剤スポンジ置く鉄網?を、ちっちゃな手で力一杯握りしめながら怯え泣いている姿を見てハッと我に返った。赤ちゃんをお皿や食材みたいに洗っちゃいかん、これはいかん、わしら何てことをしてしまったんや(寒かっただろうしね…)それ以降は湯舟に一緒に浸かるスタイルで安定。
・母親学級で習った「怒責感(どせきかん)」という言葉が流行る。うんこしたい時の合言葉になった。
(使用例:「怒責感が…」と言ってそそくさとトイレへ立つ。怒責(どせき)ってきた。など)
・オムツ替えは、うんちの回数が多くまぁ進んでやりたいような楽しい作業ではないのもあり、そこでちょっとワクワク感を加えようという思いもあって、うんち量が多いほど小吉〜中吉、うんちがオムツからはみ出したら大吉といううんち占いを
・自宅にて家族3人ようやく念願の川の字になるが、我が子ピンポイントで夫の股間を蹴るため、PK時のサッカー選手みたいなポーズで就寝する夫。
・イベント化する選挙。夫婦2人だった頃の生活上には「投票に行く」なんて一度もなかったが、いまでは選挙があるたび散歩がてら家族揃って投票所へ足を運ぶようになった。
・産後1ヶ月あたりからずーーーっと手首痛い。抱っこが苦痛。おむつ替えのとき、赤ちゃんの蹴りが手首にちょっと当たっただけで痛みにうずくまって泣いた。
・整形外科通院。手首の腱鞘炎に注射。むちゃくちゃ恐怖だったが、硬膜外麻酔よりマシ...!と脳内で繰り返し唱えて耐えた。手首への注射はすんごく不思議ななんともいえん新感覚な感触。。ポクン!て鳴った。
・痛みが緩和されるのはほんの数日。根治治療にはならないのと、あと注射の効きにムラがある。。注射後かえって痛くなる日もあった。
・やたらとオナラがでるんだが。。。
・首、肩、手首、乳首がボロボロ。。首という首がやられる。(足首だけが無事)
・妊娠中20kg近く太り、産後1ヶ月で10kg痩せたが残り10kgェ…
・産後すぐの授乳指導で、助産師さんがおっぱいのあげ方を「手に乗せたハンバーグを差し出すように」と表現したのだが、いまだにイメージがわかない。もしかして単に聞き間違いだったのかな。。
・母乳が壊れた蛇口のようにビャービャー出る。我が子の顔や頭にまき散らして笑ってしまった。
・紐の扱いが天才的にうまいw いつのまにかヒュヒュッと絡め取ってる(見ないで取ることも)胎内で臍の緒で遊んでた名残とも言うがはてさて...。
・新生児期、ミルクあげると両手を胸元でキュッと寄せるぶりっ子ポーズをしたり、ゲップ出しで背中とんとんする際、酔っ払いみたくクッタリする姿がほんと可愛くて。
・いつ見てもホコリや垢を握りしめている。
・布類を顔にかぶせたがる。洗濯物に埋もれていることが多々ある。
・「THIS IS IT」のポーズで大喜びしてくれる。
・たっちができる頃には組み手、歩けるようになったらぶつかり稽古の相手をしている。
・突進してきては抱きついて私の着ている服で口や手を拭ってゆく。
・夜中寝ているとき、ちゃんと生きているのか不安になって呼吸や鼓動を確認する。
実母との関係を心配されているようでしたが関係は至って良好です。母は人から褒められたり持ち上げられると、つい自分sage身内sageをしてしまう性格に加え、母自身もあの頃は孫ハイになっていて深く考えず発言していたんだと思います。実父に対してはほんと理不尽だったなと反省...。
超個人差があると思いますが、ガルガル期、いま振り返ると自分でも異常なほど攻撃的でした。人が変わったように感じることがあるでしょうが一時的なものですので安心してくださいね。
2022.8/30 皆さまへ
前パートでは時間をぼったくってしまいました。申し訳ありません。
https://anond.hatelabo.jp/20220829202648
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気が付いたらめっちゃ書いてるな。気が晴れてきた。
それから、地元ではイマイチ目立たない感じの、偏差値40半ばの私立高校(今年甲子園に出場している)に入った俺は、ますます薄汚い根性を身に着けていった。アニメとかドラマとかで、三下がやるような行動があるだろう。まさに、それをやっていた。
例えば、土曜日なんかの地元のセブンイレブンで、可愛い子と大学生くらいの男が仲睦まじい様子で店から出てきたとするだろう。モテない俺達としては、大いにイラッとするわけだ。
人がいない辺りに出たのを確認して、3人で近づいて取り囲んだことが何度もある。
「こんにちはー」「かわいいっすね」「夕方までお話しませんかー?」「怖くないんで」みたいな具合で話しかけにいく。彼氏と思われる方は、ほとんど全員委縮する。当然だ、喧嘩なんてしたことはないんだろう。それで、女の子と会話を続けて、腕とか肩に触っていって、コンビニに停めてあるバイクの方まで連れて行く。男の方は、怖い顔の先輩がガードして止めておく。
半分以上はうまくいった。女の子が声をあげたら大人しく退散するし、近所の人が携帯電話を取り出していたらダッシュで逃げるし、男の方が暴力に訴えたら、3人がかりで服を掴むなどしてブンブン振り回して、道路に沿って流れている小川に叩き落して終わりだ。
ちなみに、女の子はバイクの後ろに載せて、付近の国道沿いエリアまで連れて行って、適当に飯食ってカラオケに行ってそれで終わりだった。犯罪的なことをしようとした連れもいたが、俺が怒鳴って止めていた。『警察に捕まるのだけは割りに合わない!退学になるだろ!危機管理が大事だって父も言ってたろ!』と、まさにゴブリンレベルのこざかしい思考を巡らせていた。
情けないほどの三下だった。これって、ある意味弱者男性じゃないか。精神的な意味での。自分がモテないからって、モテる奴を踏んづけて勝者になった気分になってたんだよな。普通に最低だと思う。ちゃんとした教育を受けてない人間って、リアルゴブリンなんだよな。
読者の方の溜飲を下げるために言わせてもらうと、その後ひどい目に遭うことになる。ああいう感じで無理やりに引っ張っていった子が、マジモンの反社(暴力団。名前は当然伏せる)と関係があった。ある日の夕方だった。俺達3人は、例のセブンイレブンにバイクで立ち寄ったところで、黒くてデカい車からいきなり出てきた連中、今でいう半グレだな。そいつら4人に取り囲まれて、本人確認されて、その後は最短コースでボッコボコにされた。
時間的には数分だったが、バイクはキズモノにされたし、俺は駐車場の車止めに向かって蹴りを食らわされて激突したし、その後も殴られて、額からも鼻からも血が出て、あいつらが帰ろうとした時には痛すぎて立つこともできなかった。
コンビニから一番偉いと思われる、まさにヤクザな風体の人が出てきた。今思えば、店舗責任者と話をつけていたのだろう。その人は「次やったら海に捨てんぞ」とだけ吐き捨てて、黒いデカい車の後部座席に乗った。
その日、思い知った。力というのはより強い力に潰される運命にあると。自分達は社会のゴミのひとつに過ぎないと直感した、そういう日だった。
厳密にいうと、「力というのはより強い力に潰される」のを本当の意味で知ったのは、それと同じ月のことだった。家に帰った俺を見ると、じいちゃんがとんでもない目つきでやってきて、肩をさすった。
「誰にやられたんな! 言え!!」と。親父も訝しい目線でこっちを睨んでいた。椅子から立ち上って、電話の方を見ていた。眉間にシワを寄せてた。
じいちゃんにも親父にもいろいろ聞かれたけど、要約すると「大丈夫だったか?」と、それだけになる。で、あっという間だった。一週間も経ってないんじゃないか。その半グレの連中+ヤクザな風体の人が逮捕されたのは。
じいちゃんと、後は親父も一緒に警察に行ってくれた。それで、やられた俺の仲間二人と、対応したコンビニ店員にも警察官が話を聞き取って、黒い車のナンバーもわかって、それでやつらは一斉逮捕となった――と、父親から聞いた。
肩書の力もあったように思う。祖父も父親も、自分の名刺を警察官に渡していた。じいちゃんは、当時天下りで地元のJAの役員になっていて、親父は食料品関係の会社の代表だった。その二人が、取調室の中で、説得力ある風に警察官に詰め寄って、いろいろ言っていたのを覚えている。
今では、「力というのはより強い力に潰される」→「権力はより強い権力に従う」という風に脳裏に刻んでいる。あの当時、もしかして俺ってすごくツイてたんじゃないか。マジでそう思う。
(追記)
今現在、じいちゃんは亡くなっているし、あの時すごい剣幕で警察官に寄っていった親父も、寄る年波には勝てててない。食料品会社を俺の弟に継いでもらってからは、生まれ育った実家でのんびりと過ごしている。介護が必要になっているため、毎日のように福祉事業所からやってくるヘルバーサーカーに囲まれて、ゆっくりとして落ち着いた感じの生活を送っている。
今は、広島とは遠く離れたところで自動車を作る仕事をしている。もちろん肉体労働の方だ。自分で言うのもなんだが、まあそれなりの評価だ。正社員登用にはほど遠いが。いざという時のために有給は取っておく方だ。いろいろ出かけたいところもある。
日々の暮らしはテキトーだ。毎日、半額になったスーパーの刺身や惣菜を買って、夜になったら勝てもしない仮想通貨の取引画面とにらめっこをして、ビットコイン掲示板を眺めては阿鼻叫喚の叫びを楽しく聞いて、残った少ないお金でスナックやバーへ行き、当然のように自転車で飲酒運転をして寮に帰る。たまにデリヘルを呼んだりする。クソみたいな生活だ。
※デリヘルって書いたけど、たまに投稿してる人で最後にデリヘルを呼ぶ人がいるけど、俺は一切関係ない。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。俺の兄は地方公務員で、弟は東証一部上場企業に入社していて、親戚もそのほとんどが公務員か経営者だ。
どこで間違えたんだろうか。いや、たぶん生まれた時から間違えているのだ。俺という人間は。生まれた瞬間に詰んでいた。
いよいよ、ぼったくりバーの話をしよう。自称進学校とはいえ、皆が大学に行く中、高校をギリギリで卒業した俺は、進学も就職もすることなくフリーターとしての道を選んだ。理由は単純で、そっちの方が人生面白そうな気がしたからだ。ほかの人が歩んでない道を歩いていこうと当時は考えていた。愚かしさの極みだ。真の個性は見た目ではなく人間性に出るというのに。
人間の核は、なにがしかの努力によって磨かれて強くなっていくのだと――肩書とか見た目とか家柄とかで差別化できるものじゃないんだということを、当時の俺は知らなかった。
後悔は置いといて、フリーターになった俺は家族からの冷たい眼差しなど受け付けもせず、半年後にはアルバイトで貯めたお金と、祖父からの餞別10万円をババッと使って一人暮らしを始めた。
実家から遠く離れて、憧れの都会暮らしだ。といっても、福山市街からちょっと外れたところにあるこじんまりとしたアパートだったが。
当然お金はなくて、コンビニアルバイトだと稼ぐにも限界があって、高校時代が懐かしいなぁと思っていたら、繁華街で中学時代の先輩に出会った。当時からやんちゃをしていた先輩だったけど、この時にはもう、完全なる……そんな感じの見た目だった。
飲み屋で何杯かおごってもらった時に、「仕事紹介してくださいよ」と持ち掛けた。「オレは○○やぞ、お前わかっとんじゃろうな」と念を押されたが、金がほしくて仕方がなかった。金があればパチンコもスロットも打ち放題だし、飲み屋で好きなだけ注文することができる。行ったことはなかったが、いつか風俗にだって行きたかった。
絶対にすぐ辞めるなよ、という条件付きで紹介されたのは、とある料金が高めのバーだった。お店に面接に行ったところ、看板がなかったので驚いた。小さい黒板みたいなタイプの看板が店の前に置いてあった。
内装も、お世辞にも綺麗とは言えない。お客に見えそうな位置に雑巾とか置いてあって、素人にもわかる清潔感のなさだった。一応メニューらしきものはあったが、カウンターの一番端にさりげなく置いてあるくらいだった。
従業員の数は事務方まで含めて6人ほどか。自分を入れて7人。いるのかいないのか、よくわからない人もいた。バーに行った経験はないが、どんなところなのかはわかっていた。
面接で店長(代表者)に言われた言葉として、「あの人の紹介だから仮採用にはするけど~ここがどんな店なのか知ってるよね~まあ、ここは実力主義だから。頑張って稼ごうね」といったのが記憶に残っている。
そこまで長くは働かなかったので、思い入れがあるわけでもない。思えば、よく警察に捕まらないで済んだものだ。
当時すでに、県条例的に違法な店(以下I店と呼ぶ)ではあった。19才で若かったとはいえ、悪に手を染めていたのは間違いない。今はちょっとだけ後悔している。
で、まずは典型的なパターンを挙げて、お店の基本方針を説明する。しまいに、ぼったくりについての所感と、せめてもの罪滅ぼしとして、ぼったくりに遭った場合の対策などを述べる。
断っておくが、具体的な行為の場面は一切挙げない。時効だから大丈夫とかじゃなく、そのあたりの礼節は弁えているつもりだ。俺はあの業界にお世話になった。
この業界の基本は、酔っているお客さんを捕まえる(キャッチ)ことにある。一応はマニュアルがあって、人それぞれの口伝によるところが大きいけれども、それでもI店のみんなは言っていた。シラフではなく、酔っている客に声をかけるようにと。玄人連中は口を酸っぱくして説いてくれた。
個人的にもそのとおりだと思う。酔っぱらうなどして認識が弱っている人間じゃないとダメだ。まあ、そうではないシラフの状態でも、多くの人はどうみても○○○風の男連中に囲まれて脅されると、ぼったくりだとわかっていてもお金を払う。
※…I店でお客さんを「カモ」などと呼ぶ習慣はなかった。みんなプロ意識をもって仕事をしていた。
※…初めは店内の飲食スタッフを二ヶ月やった後、キャッチ役をするようになった。
が、それではいつかハズレに当たる。
お客さんの中には、策略の罠を知り尽くしたキツネのようであり、またオオカミを威嚇するライオンでもあるような人がいる。そういう人は、どれだけ強面に囲まれても、ちゃんと脱出して警察への相談までもっていってしまう。最悪、スタッフ全員の 乳首手首(ブコメ指摘感謝)に手錠がかかる未来だってある。
企業経営でいうところの『危機管理』だ。知性や勇気に溢れた人間でも、酔わせておけばどうにかなるかもしれない。ダメな時は失敗するけど、それでも傷を浅くできるかもしれない。当時の俺はツイていたと思う。飲食の仕事を通じて、危機管理と臨機応変さを肌で学ぶことができたからだ。
さて、路上で飲み歩き客を見つけて、かつ酔っているとしよう。その場合はI店に入ったが最後、多くの人が餌食となる。成功率は八割以上だ。入店までもっていくのが大変なのだが。
多くの人はキャッチを無視するし、会話になっても成り立たないことが多い。酔っ払いだけを狙ってるから仕方ないのだが。
入店後の大まかな手順としては、以下の感じか。
①.~来店時
女の子がふたり付く。それで最初に飲み物を聞いて出す。I店は内装がスナックに寄っていた。メニュー表を見せて、と言うお客はほぼいなかった。
当然だが、接客サービスはまともに行う(詐欺容疑を回避するため)。そこらのスナックにも負けてない。ペペロンチーノ風焼きそばだって、フライパンでサッと作ってみせる。まともでないのは料金だけだ。
②.~接客中
お客さんにはもっと酔ってもらう。焼酎やウイスキーだと、相場の濃さの2倍~3倍が基本だ。ビールにも隙を見て細工する。烏龍茶を頼まれても関係ない(ウーロンハイにする)。とにかく酔ってもらう。
店内には一般客はいない。サクラ客は常に1人以上用意していた。
③.~お会計
最短のセットで1時間だ。多くのお客さんは目が飛び上がるほどの金額に衝撃を受け、幾度も会計伝票を見直す。そこに、強面のスタッフ数名が「どうされました?」と囲むように接近していき、逃げられないようにする。加えて圧を掛ける。反論されても個別に返し方が用意してある。
なお、請求額を相場の何倍にするかだが、ここが店長の腕の見せどころだ。そう、ぼったくりバーの請求額はなんと、時と場合によって異なるのだ。具体的には、相手の懐具合を推察して決める。お客が会社員だった場合、居酒屋に相当する料金が4,000円だとしたら、30~40万円程度を上限にしていた。相手がフリーターでお金持ってない風だったら、4~10万円未満など相当おまけをする。
リスキーな請求額というのがある。相手の生活が成り立たなるほどの金額を請求するのは通報リスクを伴う……と店長が言っていた。その辺りを考慮して請求額を決める。
この時、お客さんが完全に酔い潰れていた場合は、どうにか起こして財布を出させる。目が覚めないようであれば、こちらで勝手に出す。クレジットカードが狙いだ。というか、どんな時でもクレジット払いがいい。ATMまで連れて行くと逃亡リスクや通報リスクが高まる。
なお、この時代(参考:東京卍リベンジャーズ)だとクレジットカードはサイン形式が一般的だった。当時、店長はサイン偽造職人と皆に言われていた。暗証番号はわからなくてもいいし、別に入れなくても決済できる。
④.~お客さんがゴネた場合
最後に。お客さんが支払いを断った場合も、店長や社員が臨機応変に対応する。脅したり脅したりして、透かすことはあまりしない(回転率のために短期決戦が基本)。相手の体力と精神力の低下を狙うのが基本だ。これも定まったマニュアルはない。あくまで経験に応じて、その場に適した対応を決める。まさに臨機応変だ。ルールに基づいたり、あえて外したり。腕の見せどころだ。
あえてそれっぽい言葉を使うとしたら……解決すべき問題とは、今目の前で起こっている問題であって、過去に脳裏に蓄えられたパターンそのものじゃない。頭の中に蓄えてある問題は、昨日までの問題であって今日の問題じゃない。だから、その都度適宜調整して、その時々の状況にあった最善の解を求める必要があるのだ(90%本の受け売り)。
実際には、お客さんが手ごわくて「これはいかん」となったら、通常のバーの料金に毛が生えた程度の額(×1.2~1.3)で妥協することもあった。この程度の金額だったら、支払わないと無銭飲食になるからな。これもまた適応のひとつだ。
コメントを読ませてもらった。
ブコメの人が言ってたけどそのとおりで、何度か死にたいと思うことがあった。
少し元気が出たよ。ありがとうな。
休憩所の冷蔵庫に入ってる冷たい系の麺類を食べる。DMで入った90分や120分の予約を確認して萎える。金だけ払って死なないかな。予約はDMで埋まるので電話予約は断る。
お前ら客の仕事の話も嫁の話も他の店の話も興味ねえよ。あと爪切ってこい。腹毛とかすね毛は剃るな。脱毛しろ。カミソリで剃るくらいならジョリジョリするから何もするな。お前らはツルツルでもジョリジョリでもどっちみちキモい。あと食い物の差し入れはいらねえ。持ってくるなら完璧にラッピングされた状態な。じゃなきゃ捨てる。自宅に呼ぶなホテルとれ。乳首吸うな。髪触るな。イチャイチャしようとするな。5秒以上キスしようとするな。金だけ払って時間一杯仰向けに寝てろ。チップは嬉しい。
風林会館の前で担当と待ち合わせ。当然のように遅れてくるのでとりあえずブチギレる。でもかっこいい。大好き。きづな寿司でご飯。私が払う。
担当は代表のヘルプ(という名目でVIPルームでカロリ2セットしか頼まないキャバ嬢とイチャイチャ。代表がプレイヤー上がってるなんてみんな知ってるよ。嘘下手だね)へ。無理矢理担当呼ぶと後でキレられるのでヘルプにダル絡みする。お気に入りの可愛いヘルプの子にフード注文してアーンしてあげる。
ラストオーダー前に紅白かアルマンド入れる。撫で撫でされて嬉しい。ラスソンはacid black cherryの「イエス」。本当かっこいい。
お店を出る。ラスソン卓の客だけどミーティング(という名目でキャバ嬢客とご飯)なので系列のバーで待たされる。
しばらく経つと担当登場。かっこいい。ばんからか竹虎でラーメン。たまにサムギョプサル。担当はミーティング()でお腹一杯なので私だけ食べる。
担当は風呂入ってすぐに爆睡。洗濯して風呂入って明日の予約確認してから寝る。シャワーで膣が染みる。40代妻子持ちでブルマコスが大好きなガシマン広告野郎のせいだ。全財産私に相続させて保険金の受取人を私にして今すぐ自殺しろ。
元バブみ系風俗嬢ワイ、増田が発達障害とかじゃなければ、以下のどちらかだと思う。
・同世代の女性との会話をめちゃめちゃ楽しんでしまった自分に困惑して、照れから露悪的なことを言った
・女性と親しく話した経験がなく、男友達の前しか許されないような軽口を言ってしまった
増田のように、環境がストレスフルだったせいで性格が捻じ曲がってしまったような人はたまにいる。
そうでなくても、風俗に来る男性は例外なく思考が非モテで、同性の話し相手すらいなかったりする。
みんな初めは緊張するらしく、ひどい人だとお酒飲みながら待ってたりするけど、緊張が解けるとすごく喋る。
同業じゃなくても仕事の悩み、子供の頃の思い出、趣味の話とか、タイマーが鳴ってもしてくれる。
(話し足りないのか、事務所まで送ってくれるお客さんもいる)
癖の強いお客さんが、別れ際に少し晴れやかな顔をしているのを見ると、私もうれしい。
乳首を吸われると伸びる、大きくなる、と言われていて、未婚の女性は嫌がることが多い。舌を出してペチャペチャと舐めてください。