はてなキーワード: 一浪とは
俺の人生は東京大学経済学部を卒業し、ハーバード大学で数学修士と経済学のPh.Dを取得して、Googleの検索エンジンアルゴリズムの設計や広告表示システムの設計を担当し湯水のような報酬をもらうはずだった。それなのに、結局一浪一留(仮面浪人のため)で明治政経を卒業して、IT系スタートアップという謳い文句で若者を集め、朝から晩までテレアポさせる地獄みたいな会社に就職した。毎日電話で年寄り相手に電気料金プラン見直し薦めてと給湯器の販売してる。
俺に数学への苦手意識を持たせた、3年間毎日裏表ある大量の数学プリントを宿題として配って質問したら怒鳴り散らすだけの高校の数学教師、私文に転向することをアドバイスしてきた塾の早稲田在学糞チューター、仮面浪人サークルに誘っておいて自分だけ早稲田法に入学した一年の時の糞同級生、そもそも地頭の悪い親。俺はこいつらにどうやって、俺の人生を今からじゃ到底救いようのない悲惨なものにした責任を取らせれば良いんだ。
来年で、ついにしっかり「あらふぉー」を名乗らなければいけない。
この年まで結婚もせず、子どもも産んだり育てたりせずのんびり生きてきたが、
過ぎてみればあっという間。人生は実に早いもんだ。
もう、父が私(第一子)を設けた歳になったんだなと思うと、いろいろ思うところがある。
まあそんないい年した私だけれど、実家に帰省するたび、父がだいたい5万円の小遣いを渡してくる。
銀行の封筒に入れて、来たらもう渡すと決めてあるのだろう。帰ったら割とすぐに手渡される。
我が家は決して裕福ではない。父は70代を目前にしても働かなければ生きていけないし、同年代の母もパートをしている。
祖父の遺産(不動産)の月商が月十数万程度あるので生計に死ぬほど困っているわけではないが、
ふたりともろくに年金を払ってこなかったそうで、遺産がなければ我が家の家計は一気に生活保護レベルだ。
実家には長期休みや出張ついでなどを利用して帰省するので、年にだいたい5回は居座る。
感覚的には2、3回に1回ぐらいでお小遣いを渡されるので、合計するともう数十万になる。
もちろん、私は小遣いなどなくてもやっていける。毎回いらないと言って突っぱねているが、父はそれを頑なに受け入れない。
このやり取りが終わるを迎えることは、多分しばらくない。
父はとにかく働かない。今が多分人生でいちばん働いているぐらい、人生のほとんどをちゃんと働いてこなかった。
恐らく現代なら何かの病名がつくだろう父は、二人の子どもと妻を養う甲斐性などまるでなかった。
母はパートをしていたりもしたが、我が家は昔からとにかく貧乏だった。
私がうんと小さい頃から父は「うちは貧乏だから」「ハタチになったら働け」が口癖で、
私が思春期(受験期)になった頃は「オレに迷惑をかけるな」がさらに加わるようになる。
余談だけどいつも父に見下されていたせいか、私と妹の自己肯定感はすこぶる低い。
私が10代の頃はいちばんお金がなく、行政の教育系給付を受けるため、
「世帯年収80万」と書かれた紙を中学の担任に提出したときに見せた彼の驚いた顔は忘れられない。
当時はそれが普通だったのであまり実感はなかったが、私ですら今は思う。「よく成人できたな」と。
受験する高校はとにかく偏差値を下げて、公立でも完全に安全圏のところ。
大学はハナから諦めていたが、母が入っていてくれた学資保険のおかげで、高校卒業後は2年制の専門学校に進学できた。
そのまま社会人になり、転職を何回か繰り返して今は東京の小さな会社で専門職として働いている。
私は広告関連の仕事をしているので、携わった仕事が父の目に触れることもときどきだがある。
母や妹には頻繁に掲載等の連絡を入れているので、そこから情報を得ているらしい。
ちょこちょこ雑誌に小さく小さく名前がのったり、たまたま広告関係の小さい小さい賞をとったり、
本業とは関係ないものの資格を取ってみたりと、真面目にコツコツ社会人をやっている姿を見て、
「コイツは実は頑張り屋なのか」「案外やるのかもしれない」と、父はようやく私の人間性に気づいたらしい。
父の小遣いという名の懺悔がはじまったのは、そうやって私を見る目が変わった頃からだ。
その時期はちょうど、妹が大学を卒業したタイミングでもあるからそっちの影響も大きいかもしれない。
「大学は諦めろ」と言われ続けた我が家だけれど、実は妹は一浪して4年制の私立大学を出ている。
相続時、私は成人して学校を卒業したばかりだったので、子育てにかけるお金が一人分へった余裕もあったのだろう。
このことは、母や妹にとっても「お姉ちゃんに申し訳ない」と感じるそうだ。
父は私に小遣いをわたすとき、必ず「勉強代に使ってくれ」と言う。
それはきっと、「実はこいつも大学に行ったら、もっといい感じになったんじゃないか」みたいなことを多分思っているからだ。
私も、当時は「絶対に私の方が妹より大学生活を有意義にできるのに」と面白くない気分は味わっていた。
でも、あくまで昔の話だ。
もう成人して働いているので親の手助けなどなくても自分で好きに資格を取りにいけるし、
結婚も子育てもしてないのでそれなりに貯金もある。その気になれば自分のお金で大学だって行ける。
確かに、大卒しか応募資格がない企業への転職は難しいし、いろいろ苦戦することはある。
でも、それでも前向いて、友達にも恵まれながらそれなりに楽しく生きている。
勉強したくなったら自分で勝手にやる。収入も年齢の平均程度はある。小遣いなど、いっさい不要なのだ。
もらった小遣いはそのままゆうちょに貯金しているので、一度もさわっていない。
(親からのお金ってなんかこうゆうちょとかに入れたくなるよね笑)
でも、父はそれでも「勉強代に使ってくれ」と言って渡してくる。そういう妖怪のように。
「何かやりたくなったら自分で払うからいい」「そんないつも勉強しねえよ」と実際に口にしているが、終わらない。
ヘタすれば、大学の学費分ぐらい払うまで終わらないんじゃないかな。
ちなみに、妹にはそういう小遣いは一切ない。かわいそう(笑)。
私はろくに貯金もできず、年金も払わず生きてきた父の老後の世話をしっかり見る気はあまりない。
(そう言いながらなんだかんだ結局世話をやくんだろうが)
だから、ぜんぶ許すし、そもそもうらんでないし、いざとなればほっとくから。
小遣いはもういいよ。
大学受験は三年浪人した末にようやく受かった。キツかったよ。祖母、母、俺の3人家族で余裕無いから予備校も行けないし。現役、一浪、二浪と3年連続全落ちで、その間にお婆ちゃんは俺の心配したまま死んじゃうし。でも三浪目で東大文一、早稲田法、慶應法法全部受かったのよ。あの時は、俺の人生始まったな、って思ってた。
でも無理だったわ。通学に2時間半かかるから往復の電車で勉強したり、土日も地元の図書館行って勉強してたんだけど、遊んでたとかじゃなく普通に勉強についていけなくて単位落としまくった。電車もよく止まるし、寝過ごして電車が反対方向に向かってる時に目覚ましてもう授業終わってたりとかした。コミュ障だから友達もいない。なんとか法学部には進めたけど、本郷来てからはいよいよダメだった。そんで今3年留年。ようやく卒業は出来そうだけど就活は全滅でさ。焦って母親に「大手じゃないけどなんとか内定貰えた」って嘘ついたら大喜びしちゃってさ。
もう死ぬしかないのはわかってるんだけど、やっぱ怖いわ。生きていくのは無理なのに死ぬのも怖い。今泣きながら途中駅の公園で弁当食べてる。
結婚式じゃなくて結婚パーティー。家族と友達だけ呼んで食事会みたいな感じね。
俺はもうそろ30の童貞。友達(仮)は一歳上。俺たちの出会いは大学。後述のそいつの人となりからFランとか言われるかもしれないけど、私立の政治学科じゃ国内トップレベルじゃボケ。三田じゃなくて3号館の方ね。俺は現役でそいつは一浪なので同級生。何個か授業が被っていたため、向こうから話しかけられて仲良くなった。
俺は身長167、カエルに顔がそっくりのキモ男。そいつは身長178のイケメンでイケボ。そんでそいつに誘われてインカレサークル(男子は学内で女子は他の女子大みたいな感じ)に入った。そいつは女絡みは多かったが男の友達がいなかったので俺を誘ったのだろう。
そいつが俺をまあいじるいじる。低身長を好きな女はいない、声が面白い、話がつまらない、女と話す時キョドッててウケる、絶対彼女できない、などなど。周りの女は一緒に笑っていた。その後そいつはサークル内で複数の女子と浮気し、バレてサークルを辞めさせられた。話は脱線するけど女ってすごいよね。目の前で人の容姿とかを貶しまくる奴にも平気で抱かれることができるんだもん。尊敬する。
元々つまらなかったので俺もそのうちサークルには行かなくなった。その後同じゼミでいじられたり、マウントを取られたりする日々が続いたが、他に友達もいないし、そいつは授業は真面目に受けてて代返に使われたりすることはなかったため付き合いを続けた。俺の部屋で鍋を食いながらそいつの女絡み武勇伝を聞き「そりゃすごいね」と返事して過ごした。卒業して社会人になってからは会うことはあまりなくなった。
それで結婚パーティーに呼ばれたから行ったんだけど、相手は普通に清楚で優しそうな女性だった。今までそいつが付き合ってた女とは違うタイプのね。そいつは俺のことを「大学時代からの親友!」と紹介していた。
帰り道、「あ〜、なんであんな奴にあんな奥さんが出来るんだろう」と思いながら帰っていたんだけど、前から来た婆さんとぶつかった。ここでふと思った。自分の思うまま、恣意的に、悪意を持って相手に振る舞うのってどんな気分なんだろうか、と。相手はお婆さん。周りに人はいない。俺は決めた。
「おい!ババア!どこ見て歩いてんだよ!」と怒鳴った。人生で初めて他人に暴言を吐いたので声が震えた。婆さんは「あ…すいません…すいません…」と何度も頭を下げた。俺は睨みながら舌打ちをして、立ち去った。
とても嫌な気分になった。仕事はつまらないし、金はあるけど趣味もないし、女にもモテないし、もうそろそろ仕事辞めて実家帰ろっと。
複数の私立医大で女性と浪人生を差別して点数を低くしていたことが分かっている。国公立でもそういう噂のある大学はチラホラある。
女性差別は分かるんよ(許されないことだが)。妊娠出産で戦線離脱してしまう。でも浪人生差別は謎。10浪していて他より10年働ける年数が少ないとかじゃないのよ。東京医大などは一浪から点数を引いていた。
さすがに3年くらいまでの浪人って働ける期間でいえば完全に誤差じゃない?何が原因で浪人生って差別されてるのかマジで謎やで。高3で縁あって医師を目指し始めて受験間に合わないから1浪2浪ってこともありうるだろうし、非進学校だから卒業時には間に合わなくて浪人って子もいるだろうに
僕には、何をしても褒めてこない上、全否定してくる、それはそれは素晴らしい親がいます
僕には少し歳が離れた兄貴がいる。
兄貴は国公立大附属中学を受験し、合格していた。なので流れ的に僕も受験するよう言われた。
結果、国立大附属中学への入試に失敗し、公立の中学校へ進学した。
絵を描くのが好きだった。真面目に描くと、必ず賞を貰えたからだ。県内の評論会かなんかでも何度か賞を貰ったことがあった。美術の才能があるんじゃないかなって思った。
けど、親は「そんなものはない」と一蹴。
続けて、「お前には〇〇高校っていう1番頭のいい高校に行った兄貴がいるんだから、勉強で頑張っていけ」と言われた。
それで一応勉強を頑張った。
偏差値がたまに70行くくらいには勉強出来たのだけど、親は「偏差値は100が最大値だろ、たかだか70なんて、勉強してないだろ」と言われたのを今でも覚えてる。あいつバカだったんだな。
結果、滑り止めで受けた私立高校へ進学した。
やっぱり絵を描くと、賞がもらえた。人と違う絵を描けた時が、1番達成感があった。画材にも手を出して、絵を描くことがすっかり好きになった。
親はめちゃくちゃキレた。
あろう事か2chの「美大に進もうと思ってるけど」的なスレを見せてきて、如何に美大に進学することが愚かなことかを示してきた。
そして「お前は勉強から逃げようとしている。」とまで言われる始末だった。
また説得すれば良いかなって楽観していた。
しかしその次の日、親は部屋に上がり込んできて、僕の手で画材を捨てさせた。
決め手には「お前の兄貴は、東京大学に受かったんだ。お前に勉強が出来ないはずがない」と言われた。「東京大学に行ってから絵を描けば良い」とまで言われた。
唯一、周りから褒められていたものを手放して、受からなきゃ褒められないものを強要されたのは正直しんどかった。
僕は文系科目(特に現代文)が苦手だったので、東大ではなく東工大を受験。一浪したけど結構受からず。
結果、他の国公立に後期で進学した。
受かったって報告した時は、流石に「おめでとう」と連絡が来た。
ちなみに、現代文ができない理由を「お前は人の意見とか気持ちを汲み取れないアホだからだなw」と言われたこともある。
入学書類を書いて、チェックをしている時に書き忘れた書類があったことがわかった。
それを見つけた親はめちゃくちゃキレた。
「そんな杜撰だから、東大にも東工大にも受からねえんだ、クソバカが」
って言われた。
報われないなぁって思いながら、未記入の書類を準備していた。
曲がりなりにも国公立の理系なので、就職活動自体は苦じゃなかった。親さえいなければね。
親は日本の会社制度が如何にクソであるかを力説した上で、外資系企業やGAFAMに就職するよう勧めてきた。自分は保険会社の下請けの営業なのにな。失せろよ。
某超大手電機メーカーからの逆求人が来た時には「そこは潰れるからやめろ。お前やっぱバカだから、そういうクソみたいな会社からしかオファー来ないんだな」と言われた。
産まれてこの方ずっと自分のことを有能だと思い込んで生きてきたが、実はただの思い上がりで、自分は単なる無能に他ならないと、40年以上生きてきた今、ようやく認めることができそうだ。
否、今の今までずっと認めることができるだけの勇気と覚悟と度量がなく、とうの昔に何の価値もない無能人間だと露呈して裸の王様状態になっていたのを、今否応なしに認めざるを得ないところまで追い詰められた、というだけのことなのだが。
長文になるがどうか吐き出させてほしい。
1.二留してまで目指していた資格試験に失敗
失敗というか難易度の高さと勉強の苦しさから逃げ出しただけだった。
2.就職活動への切替にも失敗
下調べが足りず、時期もタイミングも悪く、準備をしていなかった上に、高学歴に胡坐をかいて「たかがシューカツ」と完全にナメていた結果、どこからも内定をもらえなかった。
3.新卒カードのおかげで地元に帰ってなんとか就職はできたが、望まない営業職での採用しかなかった
自分自身が営業むきのタイプでないことは明らかなのに、2.の事情から適当に決めた。
自分(の営業成績)のことしか考えない、昭和気質すぎる(地域と職種的にアタリマエのこと)人間や社風が嫌になり1年で退職、私の心身は消耗し、何よりチンケなプライドが傷ついた(内心周囲の人たちをバカなやつらだと見下していた、間違いなく伝わっていただろうな)。
4.2.3.の反省を生かし、転職エージェントを使って第二新卒カードでの転職に成功
面接に進んだある企業は、全然聞いたことのない企業だったが確かに東証一部上場で抜群の安定性と急成長を誇り、そんな企業の人事担当者(課長クラスの人)が、なぜかはわからないが面接開始10分もたたないうちに「是非あなたを採用したい」と言ってくれ、その直後すぐに経営トップとの面接が組まれ、即日即内定の通知をもらうことができたという、おそらく人生イチの奇跡が起こったことで「これも学歴のおかげか」とかさらに有頂天になってしまった。
最初の出足はまずまずだったが、1年で「やっぱり使えない」と思われたか、部署異動対象になり、異動した先の業務内容はよかったものの上席者から繰り返しパワハラというか学歴によるマウントを激しく取られ(「○○大出てるくせににこんなこともできないのか」的なやつ)、それが苦痛になってメンタル系の通院および服薬を余儀なくされ、そのまま追い出されるように退職した(自覚はないが私の態度が学歴を鼻にかけたように見えたのだろうな)。
6.4.5.の経験と反省(急成長の上場企業はやはり「キツかった」とやっぱり弱腰だった)から、もう少し田舎(だけど地元の外)のちょっとのんびりしていそうな製造業の企業に転職
これも最初のうちは周囲の人たちに恵まれ、特に前職で大ハズレだった上司がとてもアタリで、学歴でも何でも鼻につくような態度にさえ気を付ければ、今度こそ落ち着いてはたらけるとちょっと安堵した。
この上司ととにかくソリがあわず、うまくいなすことができるだけの対人能力もなく、最低の人事評価を受けつつ、1年で異動希望を出した。
このあたりでまず自分には対人能力がないことに気付き始める…が、まだ無能を認めることはできるほどではなかった。
私のまったく専門外の専門的知見が必要な部署だった上、何をどう勉強してよいかもわからず、結局単純作業的な仕事くらいは割り振ってもらえたが、はっきりいって毎日の就業時間がとても暇で苦痛だった。
ところがそれとは裏腹に会社自体の利益は過去最高クラスを記録し、その恩恵で何もしなくとも自分史上最高クラスの年収を得ることになり、完全にぬるま湯につかってしまうと同時に、「私にはそれだけの価値がある」とより一層のぼせ上がってしまった。
さすがにそんなにうまい話は長く続かず、ハナから役立たずだったため、総務に異動となった。
製造業における総務部門なんて、製造や研究部門のような花形部署に比べれば圧倒的に「下」に見られる部署だったが、私個人的には前の部署よりはやることもあるし、のんびりはたらけてそれなりにいい給料をもらえるラッキーな状況には変わりなかった。
人事制度が大きく変えられることになり、社員全員が厳格に格付けされ、それに基づいたきめ細かな給与体系に変わることになった。
7.8.あたりであまり人事評価が芳しくなかった私にとっては、これまで得られていたのんびりはたらけてそれなりにいい給料をもらえる安寧の地を失いかねない内容だったため、一気に焦り始めた。
とりあえず自分の業務だけは真面目にこなした…つもりだったが、そんな小手先のものは通用するはずもなく、製造部門への異動内示があった。
製造部門は危険な薬品を扱うことから身体的リスクが高く、その分の手当はついたものの、完全に思い上がっていた私は「製造部門なんてただのソルジャーじゃないか」などと、あからさまに見下した愚かな考えでこれを蹴った。
最後の最後まで高い給料を手放すことだけが未練だった…しかし私は自らの思い上がった考えや行動でそれをみすみす捨ててしまったのだ。
そしておめおめと地元に帰り、その後6年あまりがたとうとしている。
帰った当時、親が体をこわしたからという事情もあったのだが、根本的に私には対人能力がなく、地元を離れて1人で自活するとか、何かを成し遂げることができるだけの能力自体なかったのだと思い知り、地元に帰った、帰らざるを得なかった。
それは1.の時点で既にわかりきっていたことだが、その無能さをどうしても受け入れるのがいやで、むしろ既にそれは露呈していたにもかかわらず、自覚できず、修正もできず、いわば裸の王様の状態で何年も何年も生き恥を晒し続けながら生きてきたということだ。
地元に帰って6年あまりがたった今、さすがにいい加減認めざるを得ないという状況にまで追い詰められ、不本意ながらしぶしぶ受け入れ始めている、というのが現在地だ。
「不本意ながらしぶしぶ」という時点で、まだまだ解決までの道のりは遠そうだ。
かくして自分は無能だということをようやく自覚し始めたが、では今後具体的に何をどうしたらいいのか、やはり無能だからかいまいちわからない。
無能だとわかったところで、今後私が自分なりに幸せに生きるために何をしたらいいのかがわからないのだ。
(それがわからない今は、むしろ「生きることは幸せではないから生きたくない」としか思えない)
今なら何か変な宗教に引っかかれる自信があるな。
これからどうしようか。
そんな彼は、神戸大学の工学部に一浪して入学した。それが、いまやゲイで東京にて年収300万で、貯蓄ゼロのホモバー通いの凶人となってしまった。ついには、金持ちの資産を没収してばら撒くべきなどとのたまう。公務員試験に惨敗し、いや正確には面接で落ちまくり、好青年だった彼の見る影もない。三十路になって、自分はイケメンだと主張する。禿げて、色白のノッポが、俺はイケメンだからという。俺は太ってしまい、もう高校の頃の見る影もない。そんな彼が言う、どうしてこうなったんだろう?とね。... もうお前は負けたんだ、俺たちがバカにした kko になったんだ、あとは若者の反面教師となるべく生きていく他ないとね。そう言うと、ハッとした顔を彼はする。それで、どうしてこの品行方正なオレが公務員にすら受かんないのか?というので、おっさんになって採用に関わるようになった自分が言ってやった。確かにお前はペーパーテストでは優秀かもしれないが、どんなに高得点をとっても、俺だったら不合格にすると。何故なら、お前を組織に入れると破壊工作をするからだ。なぁ、中高で学校を出席日数ギリギリを攻め、部活すら入らず、一切の学校行事の依頼を「権利」を翳して拒否した人間が公僕になれると思うのか?と。自分は潔癖症だから清潔だというけど、日々ハッテン場に入る人間がキレイなわけがないだろ。そもそも、イケダハヤトの生き写しのようなお前が、誠実に見えることはない。身長が高くても、BMI が 17 とかいうヒョロガリが体力のいる仕事ができると思うか?というか、身長が高いなんて、公僕ではデメリットだ。威圧感しかないぞ。それに、お前のようなコミュ障が就活の良い土木科を二留して推薦を拒否し、あまつさえフルタイムの公務員試験予備校に行って高得点をとっても、文系な「行政」枠で入ろうとしても面接官が納得する受け答えができるわけ無いだろ。制限のある 26歳を超えて経験枠で入ろうとしても、派遣社員の事務なんてカウントされるわけが無いだろ。どこの会社に入っても、女性に嫌われ、男性には無視されるお前が公務をできるわけないだろ。仕事しないのを美徳とするお前みたいなのを弾くために、わざわざ面接点を増やしているのだ。だいたい、自分のスペックで地方公務員の行政パン職に応募するなんて烏滸がましいだろ。男で、名門大学で、非専攻の学科、しかも地方公務員パン職を遠く離れた地から入ろうなんてするやつは、まともに就活をしたことがないアホだよ。... などと言うと、彼は顔を真っ赤にし、オレを指して反抗してくる。あぁ、そうだな、高校の時もそうだったな。普通は、そういうのはいじめられたりして修正されるのだが、相変わらず斜めがけのショルダーバッグを肩かけて、猫背でシャツをズボンにインするのがクールという破滅的なファッションセンスが、あぁ採用面接って大事だな~、と思わせるのだった。彼の持説を聴き流しながら、 ... 自分の子どもたちにはサッカーか野球をさせて、中受でマーチにでも入れてあげるぐらいの所得を得よう、と私立医大に親の金で入った自分は思うのであった。
今なら心の整理がついたので、獣医学部に行って後悔した話を書きつづる。
学力的に言えば、国公立のかなりいいところを狙えるくらいの偏差値ではあったものの、思った通りの合格は勝ち取ることは出来ず、とはいえ資格さえもらえればどこでもいいかと滑り止めの私立大学に進学した。
もちろん、一握りのすごいお金持ちというわけではないが、安定して世帯年収1千万は超えていて、とくに浪費しない家だったので、私立大学の獣医学部の学費と、一人暮らしの生活費を与えられる幸運に恵まれた。
私は、昔からソロバンをはじいて行動する可愛くない子供だったので、浪人して1年分の年収が失われる損失、10代の1年が受験勉強に浪費されるという損失などを秤にかけて、資格を得られるなら食いっぱぐれることはないだろうということも計算にいれて(入れたつもりだった)、私立大学に進学した。
いや、違うかもしれない。
お金を出してくれるという安心があって、獣医になれれば私立でもまあいいや。と思ってたから、たいして勉強しなかった。
塾にも行ったことがない。
今あの頃に戻れるなら、もう少し勉強して、一浪してでも東大京大かに入っておけと自分に言いたい。
が、医学部なんかとは違って、一般家庭でも出せないこともない額ではある。
私立理系の大学の学費が120万くらいのところ、200万。高いといえば高いし、卒業まで6年だ。
といっても、理系は修士まで進学する人が多いので、獣医以外の理系なら4年で済むというわけでもないかもだが。
さて、入学して早々(正確には入学式の数日前から)、私はまた人生設計の続きを始めた。
とりあえず入学は果たした。たぶん、ストレートに卒業できるだろう。さて、卒業後どうする。
求人票をみてビックリしたのが、週休二日の社会保険完備が半分くらいだったこと。
社会保険完備だと初任給が数万安く、逆に初任給が高いところは代わりに社会保険が完備されてないか、あるいはボーナスがない。
今考えれば、個人事業主のところに就職するというのは、そんなもんなんだと思うけれども、当時は動揺した。
給与も、全体的に、当時の大卒初任給より1割くらいは高いような気がしたが、正直がっかりした。
そして、卒業を控えたと思われる6年生らの会話を盗み聞き、動物病院の勤務医を選んだということは、いつかは独立を考えなければいけないもの(少なくとも当時は)ということを知った。
考えてみれば当たり前だ。動物病院のほとんどは個人事業主で、終身雇用はあり得ない。
この、中小企業サラリーマンより少しいい程度の給与水準で、開業資金が数千万、無理ではないがかなり苦労するのは18歳でも解った。
自分のような奨学金の返済もないボンボンなら十分可能ではあるけれど、やりたいかと言われたらやりたくはない。
皆が喜びにあふれてるなか、将来への不安で悶々として新入生オリエンテーションに参加。
実際、知らないわけではなかった。
獣医といっても皆が動物の治療で生計をたててるわけではなく、公務員として公衆衛生や家畜衛生分野で生きる獣医が多いらしい。
そうはいっても、誰がなるんだ?と思っていた。
この記事を読む人にもご存じない人もいるかもしれないので、軽く説明すると、公務員として獣医が働く先は大きく二つ。
自治体によって部署の名称は違うのだけど、農業関係の部と、ヒトの衛生に関わる部のどちらかに配属される。
農業関係の部だと、家畜保健所に配属されて、自治体のなかの家畜保健所を数年ごと点々とする。
公衆衛生分野、つまりヒトの衛生に関わる部で獣医が活躍する場所というと、食肉検査所と保健所の二種類。
食肉検査所というのは、屠畜場で流れてくる肉にオーケーを出す仕事。
保健所というのは、スーパーのバックヤードの指導とか、食中毒が出たらその調査とかなんだけど、なぜそこに獣医なのかというと、もともとは、野良犬の捕獲の仕事が多かった時代に、狂犬病予防員野良犬捕獲の陣頭指揮という肩書で獣医の枠が用意されていたことに由来してて。
今だったらコロナでそれどころじゃないんだけども。
さてさて、仕事内容はとにかくとして、オリエンテーションを終えてからさっそくリサーチ。
給料はやっぱり高くない。6年出てるのに、修士よりも低い。このへんも自治体によるけども。
またまた落ち込む。
就職氷河期で仕事があるだけで勝ち組みたいなムードの時代ではあったけども、なまじ高校時代の偏差値に己惚れていたため、
「仕事があるだけラッキーじゃねーよ!年収1千万は目指してーわ!」
と泣きたくなる。
単純に、親の年収は超えたかったってのもありますけども。親よりは学校の勉強が出来た自負があったので。
さてさて、獣医学部を卒業しても、思った以上に楽な人生は送れなそうということに気づいて、いよいよ一年次の学生生活が始まった。
続く(まだ本題には入れてない)
犬の散歩をしながらずっと考え事をしていた。
私は一浪で大学に入り一留で来年卒業予定だ。親は教育や娯楽にちゃんとお金をかけてくれていたし、大学生活に失敗したのは私の責任である。
では、なんで受験に失敗したのか?怠惰な性格のせいである。地頭は人並みにはあることが中学受験の成功で証明されていたし、ただただ怠惰だったのだ。
父親も母親も堅実かつ努力家だった。仕事をサボっているのは見たことがないし、教育を放棄された記憶もない。でも私は怠惰だった。親から色々なものを不自由なく与えてもらった。学校の準備や旅行の準備は全て自分でやった後でも親のチェックが入って途中から自分でやることがめんどくさくなり放棄した。それは怠惰の一因にしかなり得ず、周りの人間が与えた様々な影響で怠惰の土台が築かれたのだと思う。
そのような影響を受ける人間になるか否かも運であると考えてしまう。それを言い訳に今まで生きてきたが、自分で金を稼ぎたい、就職して真っ当に暮らしたいという気持ちがここになって噴き出してきた。性格は運ゲーによって決まるものではあり、このような思考になるのもまた運である。
私は与えられた性格に抗わなければならない。まるでRPGのNPCが意志を持ち出す系アニメのように、自らの性格を自ら打破しなければならない。世の中の人間は頑張っていて本当にすごいなと思う。彼らはNPCなどではなくすでに自分の性格をコントロールして主人公になっているのかもしれない。俺も主人公になりたいぜ。