はてなキーワード: レビュワーとは
その「慣れ」をオーディオ界隈では耳エージングとか言うが、そうではなく機械工学的な意味でエージングによる変化もある。
周波数特性の測定値では帯域ごとの大小しか測れないし、あとは帯域ごとの歪み率などもデータ化できたりするが、オーディオユニットには応答速度や収斂速度、残響などから構成される微妙な聴覚上の変化、ステージ空間の広さ感、左右や上下や前後の距離、音像の精細感のように、数値化できない、測定が難しい要因があり、しかも音域ごとに性質が違ったりする。
ボーカルが近い、シンバルが遠い、音場が広い、高域の抜け感がある、寒色(残響少なめで精細)、低域がにじみ出て中域をマスクする、みたいに、さまざまな言葉で表現するが、そういう特性が正反対にまで変わることはないものの、微細な変化を人間の聴覚は大げさに捉えることが得意だ(意識して聴く場合)。
もちろん思い込みによって変化したと感じる部分もないとはいえないが、集合知として稼働時間による変化はあるというのがこの界隈では消費者のみならず生産者の間でも常識になっている。
オーディオ愛好家向けのメーカーではエージングに言及して推奨するメーカーもあるが、基本的にはエージング行為を意図的にする必要はなく、通常使用するうちにこなれていくのを待てばいい。レビュワーなどは条件を揃えるために一律のエージング作業をすることはあるが。
なので、特定の測定値を出して、エージングだとかリケーブルだとかに有意な変化がないから無意味、と声高に主張するようなものはどちらかというと理系気取りを履き違えたトンデモの域。聴覚は電気や工学の側面だけじゃ説明できない。
もちろん、オーディオ界隈にはシールを貼ると音質がアップする、みたいなオカルトじみたグッズも存在するので、そういうものまで肯定していく必要はないが、外部の人はすべてを一緒くたに小馬鹿にしがちなので難儀なところだ。
話を戻すと、エージングという表現だと使い古して悪い意味でもユニットが劣化していく変化までを含むので、慣らし運転としてはバーンインという呼び方をする事が多い。
それによって低域がスムーズに出るようになったり、高域のトゲトゲしさが落ち着いたりといった変化はある。もちろん、ある場合もある、というだけで、知覚できないことも多いだろう。大抵の製品は箱出しから音がいいので、「あれっ」という音の時にエージングに期待する感じになる。
またユニットの種類によってエージングにかかる時間が異なることも集合知的にわかっていて、例えば平面駆動ドライバの場合は一般的なダイナミックドライバよりも長く、数百時間のバーンインが必要なことが多い、などと言われる。
工業的にも物理的にも、同一製品だからといってどの時点でも同一の出音を維持するなんてことは不可能で、普通は左右のユニットですら微妙な音量差や周波数特性にブレがあったりする。それはデータにも現れるが。
Amazonでレビュー投稿すると、「役に立った」票がもらえる楽しみもあったので、気が向いた時にだけレビューする程度でレビューしてた。
10年間くらいで、多分100程度だったと思うので、1年10回くらいの軽い趣味だ。
自分としては普通にレビューしてたつもりだったけど、特段、気合を入れて書いていたわけでもなく、その時に思った通りに書いてた。
ただ、ある分野に対してだけは、辛辣な長文レビューを投稿していた。その分野に対するデマが書いてある書籍に対しては許せない憤りを持っていたからだった。
おそらく、それが合計4〜5つほど。
とにかく自分自身がその分野に関してはかなり詳しいため、その書籍の記述を完全論破するレベルの詳細さで徹底的な批判レビューを投稿していた。
「役に立った」票もそこそこ多かったと思う。
ある日いきなり意味不明のメールがAmazonから四つ届いた。
「数日以内に、そのレビューが コミュニティガイドラインに適合しているかどうかを確認し、適切な措置を取らせていただきます。
Amazonは、虚偽のレビューは一切容認しません。Amazonの高度なテクノロジーと専門調査員は、虚偽のレビューを投稿しようとする試みのほとんどは阻止します。また、購入して虚偽のレビューを投稿する人々や企業に対しては、法的措置も講じています。」
かなり厳しいことが書いてあるので、ビビったけども、自分としては虚偽のレビューなど一切投稿した覚えもなく、その辛辣なレビューの全てについて、かなり事細かに根拠も明示してあった。
AmazonはレビューでURLを記入することを一切禁止しているため、事細かに直接レビューに書くしか方法がなかったというのもあった。
コミュニティガイドラインも確認していたし、それに抵触するようなことは一切記述した覚えもない。
だが、そのメールに記載された通り、一週間も経たずに、全てのレビューが削除され、永久にレビュー投稿することを禁止されてしまった。
もちろん、弁明の機会など一切与えられていない。
実際のところ、それら辛辣な長文レビューは、何年も放置されていたものさえある。
従って「Amazonの高度なテクノロジーと専門調査員」なんてAmazonの嘘であり、おそらく、それら書籍の売主側か、あるいはそれ以外の他の誰かから通報があったのであろう。
一私企業の判断なので、表立ってとやかく言うつもりもない(言える場すら与えられていないのでどうしようもないが)。
だけど、デマ本がデマであることを指摘するレビューを消されてしまう事態には、やるせないものを感じる部分もある。
Amazonの実態はすごくいい加減で、実はその分野のデマ本は欧米のAmazonでは発禁になっており、Amazonの方針として売らないはずなのに、日本では放置されているのである。
正直、日本が馬鹿にされているとすら思えて、Amazonには非常に憤りを覚えている部分もあったので、無意味だけどこの際Amazon会員を解約した。二度と利用するつもりはない。
ネットで調べてみると、Amazonレビューを同様に禁止された人はそこそこいるらしい。
個人的には、私のような辛辣レビュー(ただし単にディスっているだけのものは違う)は割と好きだった方である。
興味深い辛辣なレビューは読んでいてためになるくらい詳細なものも多かったし、世の中、色々な事柄に精通している人って多いんだなと感心することしばしばだった。
そうした辛辣なレビューがあることでもAmazonが気に入っていた部分もあったのに、最近の動きはちょっと残念な気もしている。
実際、ちょっと確認したけど、前にあったはずのそうした私以外の人による辛辣なレビューがいくつかなくなっているのも確認している。
Amazonはなんだか今の習近平の中国みたいだな、と思ったりもするんだけどね。
追記:
どんな本でどんなレビューをしたのか、書いて欲しいと言う意見があるけれど、ヒントだけは与えてあるのであとは自分で考えて欲しいです。
ただ、四つの事前通告メールが全く同じ内容で同時に来たので、「Amazonの高度なテクノロジーと専門調査員」はあり得ないと思います。
実は、上には書かなかったけど、Amazonはそのメールで自爆してるんです。なぜなら冒頭にこう書いてあるからです。
このたびはレビューのレポートにお時間を頂戴し、誠にありがとうございます。お送りいただいたレポートは、Amazonのレビューの信頼性、安全性、利便性の維持に役立ちます。
最初は、私自身はいかなるレビューにも通報などした覚えもないので「なんだこれは?誤通知?」と思ったのですが、要は通報者と同じ内容のメールを通報されたこちらにも送っているだけなのです。
「通報があったので、一応調査しますので少しお待ちください」つってるだけなのです。
Amazonとしては一応は文面を読んだのでしょう。で、大して内容も精査もせずに、文面の表面的な表現だけで判断したのだと思われます。
しかし……、欧米のAmazonならばそれら書籍自体を発禁にしてしまったはずです。書いた通り、その手の書籍はAmazonでは発禁対象であり売らない方針だからです。
要は何も知らない日本人の雇われ確認者が私を不適切レビュワーだと判断したのでしょう。
私は、その筋のそうした書籍の主張に賛同する人たちに、蛇蝎の如く嫌われています。
分野が違いますが、反ワクの人たちの主張を事細かに誤りだと批判するようなことをやっているからです。
まー、Amazonは別に正義でもなんでもないので、しょうがないかなーと諦めてますけど、でも欧米Amazonではっきり発禁対象なのに、それはちょっといい加減すぎない?と思ってます。
少し内容を真面目に読んで、どんな分野の話なのかを理解するだけで、細かい内容に判断がつかなくとも、「ああ、あの話か……」程度にはすぐに理解できるはずだからです。
国連でさえもその話題については厳しい非難声明を出しているくらいなのです。
私自身は言論の自由の観点から発禁処分には反対ですが、せめて批判レビューを残す程度の器量はあって欲しかったかなぁと。でも内容がなんの話か分かってないのならしょうがないです。
noteや増田でやれって? 増田は何回か散発的に書いたことはあるけど、場違いだし(ほとんどの人はその分野に無知すぎて仔細な内容が分からないかと)、noteではすでにやってる(その話題だけで信じられないくらい膨大な量の記事があります)し、はてなブログにもその話題のみを取り扱うブログが二つあります。
私が言いたいのは、Amazonはやっぱりevilだってことですよ。ていうか、いい加減すぎます。少なくとも日本のAmazonはダメダメだと思います。
カプコンが開発したオープンワールドアクションRPGゲームの新作『ドラゴンズドグマ2』が遂に発売された。
久々の続編ということもあり発売前から多くのゲーマーが盛り上がっていたが、いざプレイしてみるとその仕様の数々が中々辛かったので対策を書いておく。
敗北時などに「最後に休息した宿屋から再開」を選択するとお金やアイテム、キャラ育成度など本当に休息した段階まで巻き戻る。
長時間のデータが巻き戻っている人が多数みかけるので気をつけよう。10時間分巻き戻った人もいた。
キャラの見た目など変更、相棒の性格変更(ランダム)、死亡したNPCの蘇生、投獄された際の脱獄用、空中移動用のハーピーを呼び寄せる、他のプレイヤーの相棒を雇う通貨など多くのDLCが販売されている。
その多さに驚く人もいるだろう。
全てのアイテムはゲーム内でも入手可能なので購入しなくても問題ない。
ただし事前インタビューによると蘇生用アイテムが貴重らしくゲーム内での入手数に制限がありそうなので、これだけは救済用の可能性がある。
1度ゲームを開始すると、あらためて最初からゲームをプレイすることができない。
「すでにセーブデータがある場合、ゲームを最初からやりなおすことはできません。」との公式回答があるので仕様。
https://www.capcom.co.jp/support/faq/platform_pc_DD2_0265148.html
PC版をプレイしている人はセーブデータを削除してサーバーへのセーブデータ同期を止めると選べるようになるとのこと。
詳しい方法はSteamのレビュー欄などに書かれている。レビュワーに感謝しよう。
PC版以外をプレイしている方は、現在カプコンがニューゲームの選択を可能にする準備を検討中らしいので続報を待とう。
https://store.steampowered.com/news/app/2054970/view/4106792732433556918?l=japanese
https://www.capcom.co.jp/support/faq/platform_pc_DD2_0265160.html
各自で調べよう。
自分には合わなかった
Amazonで購入
具体的に脈ありな出会いについて書いてあるとの事で読んでみましたが、結局、人に紹介してもらうとかマッチングアプリとか街コン、婚活パーティーしか書いてないように読めました。
年間500冊くらいしか本を読まないので読解力が不足しているのかもしれません。
なんだかな
Amazonで購入
老害と言われるんだろうけど、死ぬ理由がさっぱりわからない。恵まれ過ぎてて、何が不満なんだか。少なくとも親の脛齧っている奴が自殺したいとか言われても。死ぬならせめて1ヶ月は自分一人で生きてからにして欲しい。それすらしてないやつに死ぬ権利なんかない。
5つ星のうち1.0 びっくり
Amazonで購入
こんなに中身のない本は久しぶり。最後まで読んだけど、結局ハイライトをする箇所がゼロでした。自身の考えを述べた本なので合う合わないはあるかと思いますが、共感できる人の方が少ないのではないでしょうか。
うーん、レビューは画像は参考にするけど、同じ商品でもショップで分散してたりするから評価はあまり参考にしないな。
参考にするのはブランド。中華の中でも上の方のブランドかどうか。あとYouTubeのガジェットレビュワー。
どういう分野でどういうブランドが評価されてるかはググり散らかすしかないかも。
ケーブルならUGREENとかBaseusとかそのへんだけ選ぶ。
PCパーツはKllisreのDDR3メモリとか問題なかったし最近セールで安く買ったHiksemiのSSDなんか大満足だけど、冒険する気がなけりゃ普通に米大手ブランドとかとそう価格差ないしそれでいい気もするな。
はじめは外国の方のプレイ動画なのかと思い、珍しいなと思って見てたら、プレイする様子がなく、
題に「reviews」が入っていて、長さが6時間なのに驚いた
104万回再生されているけど、6時間のゲームレビュー動画をそんなに見るものなのか?
コメントにも「6時間もどうやってゲームレビューするんだ?と思ってた。見終わったらもう6時間くらいレビューしてくれと思っている自分がいる」みたいなコメントついている
そんなに何を話しているんだろうと思って、4時間目くらいを見てみたら、小学校らしき教室が映っていた
このレビュワー、自分のノスタルジーについて説明するために母校に行っているのだろうか
少なくともここは守って欲しいんだが、ここさえ統一されてない。
更に焼きそばの入れ方やはさみ方も流派があるし、モダン焼きはモダン焼きでキャベツ多めフラワー多めと種類が多岐に渡る。
ぶっちゃけ広島風お好み焼きについてはまだマシな方で、商品の写真をチラッと見て粉が混じってないキャベツの層があるか確認すればいい。
これを怠らなければ「今日は広島風が食いたかったのにな―」にはならない。
でもモダン焼きを食べようとするとそこには迷宮が待ち構えている。
フンワリ系・ガッツリ系・肉多め・キャベツシャキシャキ・焼きそばカリカリ・焼きそばモチモチ・と様々なパターンが存在するが、それをレビューから推察するのは難しい。
個人的な好みの問題を超越して「今日はこういうタイプが食べたい」が発生するため信頼できるレビュワーを探すという裏技も難しい。
ひたすらモチモチしたカロリーボムを腹に入れたいときもあれば、サクサクしつつもヘルシーに行きたい日だってある。
自分の中に「モダン焼きの大正解」なんてものは存在せず、あらゆるモダン焼きが日によって当たりにも外れにもなる。
視聴環境は4DX、というか観た後に断言するのであればザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーは4DXを前提に作られている映画だ。
上記をレビューの1番最初へ持ってきたことの意味を大事にして欲しい。レビュワーによれば4DXでなくとも良いと評価する者も居るだろうが、個人的には本作において4DXは無くてはならないものだという印象を受けた。それほどに4DXと相性が良すぎる。
USJなどの体験型アトラクションと比較するレビュワーも多く散見されているが、USJなどの体験型アトラクションと比較しようと多くのレビュワーに思われてしまう時点で本作はそういう映画なのだ。
つまり、裏を返せば2Dで鑑賞してしまった人たちと4DXで鑑賞した人たちに断絶とも表現することが出来るほど評価の差が起きる可能性が十分にある。
そのような意味では、プロモーションの時点で4DXでなければならないと観客へ強く印象付けることは必要だったのではないかと思う。
関連した部分では物販の乏しさも失敗だったのではないか。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーを視聴した後に強く思ってしまったのは「USJで買ったマリオの帽子を持ってきて子供に被せりゃ良かった。子供ももっと気分が盛り上がっただろうに」だ。
この映画には身に着けられるスーパーマリオブラザーズのグッズが必要である。何なら応援上映があっても良いと思うくらいにはグッズがもっと充実してても良かったんじゃないか。みんなでフラワーやスターをあしらったキンブレを振ろう。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーは親にそう思わせてしまう、そういう映画なのだ。
上映終了後、退館する子供たちのキラキラした瞳は表現しようがないほどの満足感を私たちに与えてくれる。
映画館の通路で片手を挙げピョンっとジャンプする子供が多いこと多いこと、そんなはずは無いのにジャンプと共に効果音が聴こえてしまう。このレビューを読むアナタにも聴こえているんじゃなかろうか。
もしかしたらアナタはザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーをまだ観ていないかも知れない。しかし効果音が頭の中で鳴り響いた。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーはアナタのその幻聴を肯定してしまう。アナタが期待したとおりに劇中では効果音が鳴るのだ。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーはスーパーマリオブラザーズの体験そのままを映画に落とし込んでいる。
子供たちはマリオが頑張る姿を観てワクワクドキドキし、大人は数多く散りばめられた小ネタに気付くたびニヤリとする。本作はそういう映画なのだ。
このレビューをする筆者は北海道の片田舎に生まれた。北海道民が「あそこは田舎だ」と言うような地域出身である。小学校の同級生は3人だった。
筆者は高校生になるまで遊園地というところへ行ったことがなかった。初めて体験した遊園地はルスツリゾートだ。
筆者は結婚するまでルスツリゾート以外の遊園地へ行ったことがなかった。ディズニーランドへ行ったことがなかった。
考えてみて欲しい、ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーはあの超有名な遊園地であるユニバーサルスタジオジャパンのアトラクションと比較され語られる映画なのだ。USJの、ユニバの、アトラクションとたかが映画が比較されるんだぞ?
田舎の流行の発信地と言えばイオンだ、大きなイオンにはイオンシネマがある。
全国津々浦々のイオンシネマでUSJのアトラクションと比較されうる映画が登場した。その作品名はザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー(4DX版)というのだ。
都会人の皆さんは無意識に比較したのだろう。しかし田舎者にとってその比較の意味は計り知れないほど大きなものなのである。
遊園地がオラが田舎に来た。ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー(4DX版)はイオンシネマを遊園地にする。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー(4DX版)を体験した子供たちは絶対に「なんまら面白かった!また映画館さ来ようね!」と言うだろう。
そんなの任天堂にとっても映画館にとっても映画業界にとっても大勝利の感想じゃないか。
マリオを楽しんでたボクは、息子がマリオを楽しむ姿を見る親になった。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーはそんな体験型アトラクションなのである。
多分Amazonのレビュー、バラバラに存在する情報を横断していかないと「自分の用途に最も適合する商品、コンテンツがどれなのかわからない」というのが、現在の情報の弱点だと思うんだよな。
例えばドラム型洗濯機AとBとCがあってそれぞれのレビューや感想記事を全部読んで検討すれば「今の俺に必要なのはこれだな」ってわかるんだけど、「今の俺の状況」から逆算して最も適したドラム型洗濯機を紹介してくれるサービスってのは今のところほとんどないわけじゃん。
で、そういうのってAIの得意分野なような気がすげーするんだよ。
その商品カテゴリに類する商品の情報を横断的に学習して、それぞれの商品がどのような条件で使用されていてどのような年代のどのような層の人からどのような評価をされているのかを総合的に判断して、お前に一番合ってるのこれちゃう?って出してくるとかさ、めっちゃAI向きだと思わん?
そうなったとしてもレビュワーの価値は下がらんと言うか、むしろレビュワーの価値はどんどん上がっていくと思うんだよね。だってAIはレビューの情報を集めることはできても、自分で商品を使ってレビューすることはできねーんだもん。レビュワーが消滅したらメーカーが出してるカタログスペックから判断するだけの悲しき紹介マシーンと化してしまう。
例えば「毎日のプレイ時間が5分未満で月間3000円以下の課金で楽しめる美少年キャラが多く登場するRPGアプリ教えて。ちな、私が好きなゲームはこれとこれとこれ」とかでも全然紹介してくれそうじゃん。
ウェイトリフティングやランニングで記録が伸びなやんだらイライラすることもあるけど、単に海外ドラマを先月は何本見れたかなんてのは気合の入ったレビュワー気取り以外は気にも留めないだろう。
テレビゲームが難しいなら難易度を下げればいいし、スマホゲームでイベントがクリア出来ないなら動画を見ればいい。
ラーメンの味の善し悪しが分かるかよりも、食ってて幸せな気持ちになれたらそれでいいし、そこに優勝だのなんだのを持ち込むのもバズりたがりのインフルエンサー気取りぐらいのもんだ。
消費活動は最高だ。
自分の能力を証明する必要性から開放され、ただその瞬間瞬間を楽しめば良い。
消費活動はソレができる。
ガンや借金苦で今にも死にそうだろうが、一度それらを忘れてお笑いのライブでも見てれば取り敢えず楽しく時間は過ぎ去っていく。
前向きな集中ってのは結局のところ、過去や未来を置き去りにするってことだ。
消費活動はそれが出来る。
間違いだ。
どっちが上か下かなんてない。
最高の肉を用意しても誰もステーキを焼かないし食べないならそれは無意味だって話でもない。
たとえば面接を控えた学生が近くにいる人なんかはこの辺の勘違いが凄い。
趣味は自分の凄さをアピールするためのチャンスに出来なきゃ駄目だとホンキで思ってる。
今どき内申点を重視するような学校のお受験を控えたママなんかは、自分の子供がやってる趣味がユーイギかが滅茶苦茶気になるらしい。
正直こういう怪物になってしまった人たちは雑談相手としてもしんどいので早く治って欲しい。
まずお金をかけすぎないことだ。
見返りを求めると焦りが産まれ、気持ちのいい集中状態からは離れていく。
消費活動を最高に楽しんでますよと声高に叫びながらお金を使いまくる人がいるが、あれは消費を利用した自己プロデュースでありもはや創作活動に片足を突っ込んでいる。
それが創作活動だと自覚があるなら別に悪いことだとは思わないが、消費活動だと思っているのに創作活動をしていると方向性がブレてしまう。
昨日までの自分の努力が実ったり、将来に向けて腕を磨くといった概念がいつも付き纏ってくる。
その付き纏ってくるということが、ときに消費活動にとってノイズにもなるが、上手くやれば両方一度に楽しめる自分に自信があるなら消費しつつの創作はアリだと思う。
消費も創作も両立できる自信がないなら、消費活動にはあまり金をかけすぎない方がいい。
他人に消費してる姿を見せるのも控えていくべきだ。
自分以外の人間が介在してくると人間はどうしてもそこに他者の目を感じるものだ。
それはよくない。
人の目が気になると「いい年こいて幼稚なストーリーのドラマを見てるね」「デブがケーキ食うとか医療費経由での反社会活動じゃん」みたいな声がどこからか聞こえてくるものだ。
ありもしないどこかの未来図として「如何に格好いい趣味を持っているか」を他人に見られているのを空想している状態では、目の前の遊びに集中なんて出来はしない。
他人の目は考えない。
誰かに見せつけるために格好つけようとしているなと思ったら一度距離を取るべきだ。
最後に大事なのが、余裕のある時間の中で、急がなくていい範囲の量でだけ向き合うことだ。
平日の深夜に明日の寝不足を気にしながらでは消費活動も上手く楽しめない。
たとえそれが休日だからといってそれが分刻みのスケジュールとなれば、何をやるにもある種アスリートじみてくる。
消費活動は楽しい気持ちに集中するためのものであって、消費することそのものは目的ではなく手段だ。
映画を毎月50本見なければいけないと自分にノルマを課したらその瞬間に消費活動としての側面が大きく薄れる。
消費活動を純粋に消費活動として最初から最後まで楽しみたいなら、丸一日自由に使えるとしてもそのうち12時間程度で済ませた方がいい。
同じことでもずっとやっていれば飽きてくる。
その飽きが自分苛めとして楽しいというのも分かるが、そういった見せかけのストイックさは何だかんだで人生をあまり豊かにしないものだ。
見せかけの時間的豊かさの方がずっとずっといい。
とにかく何もしてないと退屈だからと好きなことをして時間を潰そうとして、それでいて気づけば集中し、疲れてきたので昼寝でもする。
消費との付き合い方はそれぐらいの距離感でいい。
そして、そういったやり方で消費に向き合う時、人は生まれ持った才能や積み上げた能力の影響をあまり受けることなく、目の前の遊びに集中する快感に浸れるのだ。
消費は最高だぞ。