はてなキーワード: フィルターとは
だが、チャンスを与えることは規模に関係なくできるんじゃないかな?
後は、復帰した本人次第。というところではないだろうか?
推しのことは大好きなんだけど「結局ファンの贔屓目なんじゃ……」と思ってしまい何も語ることが出来なくなってしまう。
推しのSNSに写りが良い自撮りがアップされるとすっごく嬉しくなってTwitterを開くけど、「推しよりかっこいい人は世界には沢山いるし……」「不細工って思ってる人も多いだろうな」とぐるぐるどうでもいいことを気にしてしまい結局RTも出来ずスルー
新曲が解禁されたときも歌上手くなったなーと思っても「歌手としてはせいぜい並レベル」「他メンにもっと上手い子が居るしその子のファンに見られたら笑われちゃうかも」という言葉がよぎってしまい、他メンを褒めて終わりにしてしまう
こういうことを繰り返してるから自分のオタ垢を見返すと他メンへの賛辞と推しの告知ツイートのRTだけで埋まってて、自分は誰を推してるんだかわかんなくなってきた
最近は同じメンバーを推してる人が推しを讃えても「推しフィルターかかってるからな〜」と信頼出来ず、他メン推しの人が私の推しを褒めてくれてるツイートのみ「いいね!」を押せる
「顔がいい!」「歌が上手い!」と素直にきゃっきゃ楽しそうにそれぞれの推しを語ってる他メン推し見てると胸が痛くなってくる
結局自分の審美眼とかセンスを信じられないのが原因なんだろうなと思う
同メン推し界隈には自分と同じようなタイプが多いのか、一部の他メン推しから「〇〇(推し)を褒めるとやたらフォロー外からふぁぼが飛んでくる」と気持ち悪がられているの見てヤバいな〜と焦りを感じた
https://anond.hatelabo.jp/20180203125454
おはようございます。ガンダムと攻殻が同じに見える彼氏がいる元増田?です。
実は増田に投稿するのは初めてでして、思っていた以上に反応をいただき、有難い限りです。同意、批判、考察、助言、お叱り、励まし、独り言、全部読みました。
こんなふうに追記をするという行為がこの場所に相応しいものか正直よくわかっていないのですが、拙い愚痴に足を止めて心情を吐露してくださった皆さんへの、ささやかで独りよがりな感謝の意として、軽く流してください。
私が増田に件の記事を投稿したのは、これまで彼と一緒にいて、この類いの強いショックを感じたことがなく、そのこと自体に衝撃を受けてしまったといいますか、ともかく私が感じた自然な心を、なるべく嘘をつかないように残しておきたかったからです。この件について第三者がどう感じるのか、本音を聞いてみたいという打算も含んでいます。
おかげさまで、私が考えもしなかったご意見もいただき目から鱗です。何度もハッとさせられました。面白いネタもあってニヤけました。
「誰もが自分の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる」とは有名な哲学者の言葉ですが、まさにその通りだなあとしみじみ感じています。
あとはこれをどれだけ私の肥やしにできるか、でしょうか。できる限りがんばりたいです。
彼とは、今回書かせていただいた「物語」とは異なる部分で、たくさんのことを共有することができています。共に過ごした時間はもちろん、やっているスポーツだったり、必ず笑ってしまうお笑い芸人のネタだったり、好きなかき氷の味だったり、下らないことから大切なことまでたくさん。
共有できない部分もあります。私は堺雅人さんの演技がとても好きですが、彼は大袈裟に思えて好きではないそうです。彼は大塚製薬の商品パッケージ全般が洗練されていて美しく感じるとのことですが、私にとっては手元に無ければ詳細を思い描けない程度の些末事です。こちらも大小様々です。
私と彼にとって、感性の違いは、既に互いに認識していることです。当然のことです。
なのに、わかっていたはずなのに、この件に関して私はショックを受けた。それが意味するものが何なのか、明確な答えを私は持ち得ない。
だからこれは、彼の問題というより、まず私の問題なのだと思います。
件の記事ははごちゃごちゃした状態で書いてしまったので私の恣意的なフィルターがかかっています。ちょっと狙った狡いタイトルにしてしまいました。ここで私の罪悪感を軽くしておきたい。悪口書いちゃってごめんね。
ちなみに、答えはまだはっきりと出せていません。
わかっていたつもりなだけで、私が何もわかっていなかっただけなのか。彼と何かが違うということに、嫌な気持ちを抱いたのはなぜか。その気持ちの源泉はなにか。
この一件は、他のすべてを帳消しにするほど、私にとって大きなことなのか。私の中から生じた嫌な気持ちを、わたしはどう扱うべきなのか。どう扱うことができるのか。
また、もしかすると、彼にとっての大塚製薬パッケージは、私にとっての物語と同等の存在なのかもしれない。私が感じた気持ちと似たものを、彼も感じていたとしたら。
そして、この件を彼と共有すべきなのか。自分ですら折り合いがつけられていない気持ちを、正しく伝えることができるのか。そもそもなぜ伝えるのか、その必要はあるのか。私は私の問題について、彼に何かを求めているのか。だとしたら、何を求めているのか。
書くことで整理できると思っていたのですが、余計散らかってしまったような気もします。考えすぎと言われてしまえばそこまでですが。自分のことながら難儀なものです。
まあ、ガンダムと攻殻及びパトレイバーの違いと彼の認識について、ちょーっとがっかりしたのは事実なので、いつか興味を持ってもらえた暁には、渾身のパワポでプレゼンでもしようと思います。ボトムズも添えて。
お付き合いをしている人がいる。
私はおそらく世間一般で言うオタクというやつで、創作物、創造物の類が好きだ。
ゲーム、アニメ、映画、演劇、絵画、模型、音楽。私にいろいろな感情を教えてくれたそれらのなかでも、ことさらに本が好きだと思う。
飽きっぽく節操の無い性格のためか、活字なら小説から詩集新書専門書、漫画なら少年少女青年成年、雑誌に写真集、攻略本に設定集、映画や舞台のパンフレット等、およそ統一性の無い本たちが、広くはないワンルームの隅に鎮座している。縦に横に雑多に、しかし私のなかでは理路整然と。
最近遊びに来た友人に、積みすぎると床が抜けると脅された。賃貸でそれはまずかろうと、恐る恐る電子書籍に手を伸ばしている最中だ。
さて、冒頭に出てきた彼の話だが、おそらく少なくとも、漫画やアニメのオタクではない。ハリウッド版攻殻機動隊を視聴するにあたって概要を説明した折、第一声が「それはガンダムとは違うの?」だった男だ。
興味の無い人間にとって、電脳化・義体化とモビルスーツによる宇宙戦争は同じに思えてしまうらしい。お前話聞いてなかっただろ。
「ガンダムとはちょっと違うかなー」「あれ、前見たガンダムと同じ監督って言ってなかった?」「ガンダムと同じ監督?何見たっけ?」「見たじゃんあのアニメの、警察のやつ」
ある日のこと、きっと遊馬とカイの区別もつかないであろう彼奴から突然「3月のライオンって知ってる?」とラインが来た。
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『3月のライオン』(さんがつのライオン)は、羽海野チカによる日本の漫画作品。将棋を題材としており、棋士の先崎学が監修を務める。(Wikipediaより)
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知っている。
漫画は単行本を既巻全巻持っている。アニメも見た。実写映画も見た。
好きな物語だ。
正直すごく嬉しかった。自分の好きなものに興味を持ってもらえると一気に親近感が沸くオタクの生態よろしく、結構、いやかなりテンションがあがってしまった。チョロいもんである。
とはいえ相手は小泉花陽ちゃんと三村かな子ちゃんの区別もつかない甲斐性なし野郎だ。ここは慎重にフラットに対応すべしと自分に言い聞かせつつ話を聞いてみると、どうやら彼の友人がアニメを見てハマったらしく、自分も気になった、ということらしい。
漫画を所有していることを伝えると、貸してほしいとの返信。もちろん了承の旨を伝え、既巻13冊をすべて手渡した。重くなるが、スピンオフの灼熱の時代も紙袋に詰めた。
3ヶ月ほど経った頃だったか、デートをした日、そういえば漫画全部読んだよ、と彼が言った。晩ごはんを食べようと入った居酒屋でメニューを見ていたときだった。
もちろん私はすぐさま感想を聞いた。そうなんだ、どうだった?と、期待を込めて聞いた。
彼は笑ってそう言った。
びっくりした。ショックだった。
面白くなかったのだろうか。そう聞けば、面白かったという。続きも読みたいという。実写映画も漫画も見てみたいという。
けれど、一番に口をついて出た感想が「現実にはあり得ない」だった。
そこで初めて思い知った。
世の中には、現実というフィルターを通して物語を読んでいる人が、あるいはそう読むことしかできない人がいる。少なからず今、目の前にいるのだと。
私自身は、幼い頃から随分本に触れてきたと思う。特にフィクションの物語を好んで読んできた。読むたび私は空想にふけてきた。
こんな魔法が使えたら、こんなドキドキするような恋愛が出来たら、こんな力を持って世界を救うヒーローになれたら。
そりゃそうだ。私は本を読むとき、その物語という未知の世界の扉を開けて、体ひとつで飛び込んでいるようなものだ。
本を読んでいるとき、現実は扉の向こう側にある。現実は戻ってくる場所なのだ。
みんなそうなのだと思っていた。それが当たり前なのだと思っていた。
でも、そうではなかった。
私は何にショックを受けたのだろう
彼に自分が好きな世界を否定されたように感じたからか。自分の好きな物語にケチをつけられたように感じたからか。あるいは、単に同調してもらえないことに傷ついたのか。
おそらく全部あてはまる。けれど核心ではない気がする。
いまだによく整理できていないが、私はあのとき直感的に、嫌だと感じたのだと思う。
きっとこの人と私では、心の奥底のほうで、物語を共有することができないと、そう感じたのだと思う。
立ち位置が違う。視点が違う。同じものを見ているはずなのに、見えているものが違っている。
考えれば考えるほど当然だ。彼と私は他人で、好みも違えば趣味も違う。育ってきた環境も、考え方も違うだろうし、感じ方も違うだろう。
けれど私は、「物語」に関しては、その差異が許せなかった。直感的に、嫌だと感じるほどに。
これがいわゆる価値観の違いってやつなのか、とも思った。
これを理由に離れてしまうペアは多いと聞く。価値観が違うのは当然だと以前は不思議に思っていたのだが、今はなんとなくその気持ちがわかるような気がする。
自分のなかの大切な、染み付いてしまってどうしようもない根っこの部分を、きっとこのひとには理解してもらえない。それがわかってしまった。
ただそれだけなのに、その瞬間、彼が異質なものに思えてしまった。
ガンダムと攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼と私は、何かが決定的に違っている。
以来私の心は、彼の前では、私の大切なものをそっと奥に、彼の手が絶対に届かないところにしまいこむことにしたらしい。
一緒に映画を見たいと思わなくなった。見ても感想を言いたいと思わなくなった。本を貸したいと思わなくなった。本屋には着いてこないでほしいとすら思うようになった。
理性のコントロールが効かない部分の、なんとまあ厄介なことか。辟易する。
追記
以下は別に男女差別に限った話ではないがわかりやすさのため男女問題に絞る。
(必要ならば、各自で外国人や障碍者等に読み替えてもらいたい。)
同じ条件であるにもかかわらず男性の方が女性より優遇される現象。(またはその逆)
早くから問題とされたため近年この傾向はほとんど残っていない。
しかし女性は大相撲の土俵に上がれないなど一部には残存している。
男性が女子校に入学できないこと、女性が男子校に入学できないことを差別と呼ぶ人間はいない。
これと「女性専用車両」「女性だけの街」問題との違いはどこにあるだろうか。
女性が子を産むことに起因する区別(女性の坑内労働禁止など)も
差別と言われることがあり、差別と区別の境界ははっきり引けるものではない。
男女は死亡率が違うため生命保険料などが異なるが、日本ではこれは合法であり、EUでは差別として違法である。
もちろん男女の合格判定基準に差はなく、女性が男性より問題を解く力がないわけでもない。
これはそもそも女性が東大を志願しないことによって起こっている結果である。
これに対し、機会均等なのだからあとは志願者の自由で何も問題はないのだとする説と、
そもそも意欲不均等とは過去の機会不均等が根を引いている証拠なので是正するべきとする説がある。
企業が採用者を決めるときなどに、より素晴らしい候補者を選択しようとするのは当然である。
しかし、選定の時間が有限である以上、候補者の能力や人格を一から百まですべて知ることはできない。
この時にどうしても利用されてしまうのが過去の採用者の実績である。
統計的に男性の方が女性より業績を残す(またはその逆)とはっきりしていれば、
候補者本人に何の非もなかったとしても、統計的判断が加味されてしまうものである。
統計的差別は、往々にして、本当に期待する結果を生んでしまう。
個人個人の実力にはブレがあったとしても、何千人何万人と採用した際、
統計データを完全に信頼して選択した企業とそうでない企業にはやはり差が生まれてしまう。
(これに関しては男女よりもむしろ学歴フィルター等の問題を考えればわかりやすい)
これを是正するということはすなわち、企業に「統計データによらず個々人の実力のみを見ること」
つまり今まで以上の負担やコストを強要することに繋がるため、非常に困難な問題になる。
女性の管理職問題は、意欲の不均等と統計的差別が合わさって発生している。
それ以外の者にとっては機会の面で相対的不遇な状況に置かれることになる。
機会と結果を同時に均等にすることはできないという根本的な要因から発生する現象。
意欲の不均等や統計的差別は、もともと過去にあった機会の不均等が原因であることから、
逆差別を積極的に行うことによって強引に結果均等な状況を作り出し、
意欲の不均等や統計的差別がじゅうぶん無くなってから逆差別を解消することによって
最終的には機会も結果も同時に均等にする施策。
途中の段階で差別を一度受け入れてしまうため、これが許されるのかどうか議論がある。
なお、この男女差を打開するために、女性のみ男性より低い基準で別枠のプロになれる「女流棋士」の制度がある
(アファーマティブアクションの一例であろう)。
しかし、この制度が逆に女性プロ棋士の誕生を阻害しているのだとも言われる。
囲碁では女性プロも普通に存在するため、将棋というゲームのみが男性にとって得意な構造になっているのか、
それとも裏側に何か発見できていない差別が隠れているのか、理由は不明。
良い文章だったし大体頷けた。
ただ以下の部分の、「性的消費しない」と「相手の成熟を認めない」が切り分け可能であり、相手の成熟を認識しつつ性的に見ないことも可能、という立場は、それは無理っすよと思った。
その中には「ももクロは性の匂いをさせないことがアイデンティティだったのに、それを崩された」という怒りもあるような気がして(さっきの宮台的発想です)
それは「自分が当該アイドルを性的客体として扱わない」ことと、「アイドル自身の性的主体性を肯定しないこと」を混同してるのではないかと思うのです
まあこれはももクロのファンに限らず、わりと世に根深く蔓延る発想なのかもしれないですが
少女を性的に消費しないということと、少女の(女性性を含む)主体としての人格が成熟してゆくことを肯定しないことは別の話でしょと
人格が成熟していく、と書いているけれど、人間の成熟や成長において人格面だけが成熟し、性的には成熟しないってのはまあ基本あり得ない。
そんで、性的に成熟した相手のことを性的にまなざさないし性的対象として見ないし性的消費しないってのは、いやー、ほとんどの人間には無理でしょう。
(人間というのが主語が大きいならおのおの納得するレベルに縮めて読んでください)
熟れた果実であっても、その甘い匂いを脱臭して、熟れた色もヒーロー戦隊みたいな衣装でくるんで、沢山のフィルターを使ってまだ食べられない青い果実として見せてたから、ファンはあんまり口の中に涎が湧かずにすんだけど。
そのフィルター取っ払って食べ頃ですよって見えちゃったら、実際ファンが彼女らと親しくなるチャンスはないとしても、勝手に食欲もとい性欲は湧く。
「性欲が湧いてもそれを制御化において表に出さない」=「性的に見てしまうとしても性的扱いはしないし性的消費もしない」ってのは現実的じゃないし。
人間の気持ち、とりわけ欲求はそんなにコントローラブルじゃない。
あとももクロの極端な子供っぽさ、幼児ロールプレイって、ファンもそのロールプレイに参加させる部分があると思う。
ももクロが子供っぽく振る舞う。そしてファンも自分が子供のようにそれを応援する。ちょうど5色の衣装のスーパー戦隊を応援していた頃のように。そして自分も相手も性に目覚めていなかったころのように。
オナニーやセックスは気持ちいいし、露出度高い女の子見るの好きだし、性欲に駆られたらそれを我慢することって苦痛なんだけど、でも性欲クソ強マンの私みたいな人間にとっても性欲が湧くのって鬱陶しい部分もあるんだよね。
たまには、己の性欲を忘れられるものなら忘れたい。我慢したいのではなく忘れたい。
そこでももクロの、自分たちも子供だし応援してくれてるみんなも子供! という態度が価値を持つ。
お互いに性的に未熟というロールプレイにファンを巻き込むことで、一時的にせよファンを性欲から解放する効果がある。
これは、けものフレンズのブームの時に、ファンが妙に子供っぽい応援の仕方をしたがった心理も近いとこあったと思う。
ももクロの人気にはその強みがある。
でも成熟した女として振る舞われちゃったら、ファンの方が子供の心で見ることは難しくて性欲にとらわれてしまうし、強みを一個失うことになるんじゃねえかなあ。
まあ性欲に訴えかけられるってのは新たな強みではあるけど。
ただの経験則だが
30も超えてくると、どの同僚がどの大学出身かなんて話しないけど
こいつスゲ~できるやつだ、と思ったら大概自分より上位の大学だし
同僚が優秀すぎてツライなーという職場は周りの方が偏差値良かったりする
学歴フィルターは無いと豪語して、大学出てない人もそこそこ居る会社だったとしても、多くは似た学歴の人が集まってる
こいつとは話が合うなーと思ったら、同じ大学院出身だったのは笑った
偏差値10くらい変わってくると、もう同列の同僚として付き合うのがちょっと辛くなってくると思う
もちろん負けないように努力はするんだけど、学歴高いやつの方が当たり前の如く真面目なので、そいつも同じくらい努力してる
逆に、どうやっても勝てねーなあと思ってた人の学歴が二段くらい上だったりすると、妙な安心感を覚える
それは多分かっこ悪いことなんだけど、同じようにやってるのに勝てない相手を見て「何で俺はこんなにダメなんだ」と落ち込むよりは
元々初期パラメータが違うやつと思ったほうが、仲良くできると思う
投書欄に、妻が外国人(ドイツ人)だからということで入居を断られた話があった
妻は日本語検定も1級だしちゃんと働いてるしなのに外国人というフィルターで一括拒否るのは差別だと憤慨していた
どうなんだろうな
再定義されても、その度に企業はわずかな隙間を抜けて新たなタバコを作り出したのだ(厳密にはタバコという名称ではなく色んな名前がつけられていたが、みんな普通にタバコと呼んでいた)。
そうすると自治体は新たにタバコの定義を加えたり変えたりする。
企業は企業でその度に新たにタバコを作り直すというイタチごっこがしばらく続いた。
最終的に自治体が企業そのものに圧力をかけることで、この流れは沈静化する。
だが、この頃になると世論の流れが大きく変わりつつあった。
こういったタバコの中には、他人に害を与えないものも多くあった。
それらまで禁止にすることに疑問を抱く人たちが、非喫煙者からも多く出てきたのだ。
そもそもタバコを吸わない人たちが禁煙法に賛成していたのは、副流煙による健康被害や紙巻きタバコ特有のキツい匂いを理由としていたのが大半である。
槍玉に挙げられやすい喫煙者のマナー問題も個別の事例でしかなく、市民のほとんどは必要以上のマイナスイメージを持っていなかったのだ。
吸わない大衆にとっての分かりやすい理由がない以上、全面禁止を訴える声も必然小さくなっていく。
「いや、タバコじゃない」
「けど、その筒はパイプのように見えるけど」
「これはパイプじゃなくてポエプ。煙はフィルターによって有害でもないし、無臭だから匂いもつかない」
「え?……だったらいいのかな……あ! そっちのあなたは違うでしょ」
度々起きたタバコの再定義に組員が対応しきれず、ロクに取り締まれなかったのだ。
そして、この頃になると喫煙行為は、歩行者の信号無視くらいに有名無実化していた。
自作で“タバコっぽいもの”を密かに楽しむ人が増え、時にはそれを売り叩こうとする者までいたのだ。
当然、そんなことが裏で起きているのを苦々しく思っている人も多い。
その中でも特に眉をひそめていた層は自治体……ではなく元タバコ組合だ。
そもそもタバコの販売は、地域で競合が起きないよう組合で決まりが存在していた。
それが禁煙法で丸ごとなくなったのをいいことに私腹を肥やす人間が跋扈し、元組合の者たちは不満を募らせていた。
市場に出回る粗悪品は排除し、よく出来たタバコを作っていた者は組織に引き込んだ。
当然、サクリムケ組合の統制を快く思わないタバコ販売人も多かった。
このためサクリムケ組合とはしばしば小競り合いが発生し、そこに自警団が介入した日には収拾がつかないことも珍しくなかった。
結果として、禁煙法をきっかけに治安まで悪くなってしまったのだ。
そしてその二つの組織の争いは、いよいよ大規模なものへと発展しつつあった。
「社会を回すためにルールがあるのに、そのルールのせいで乱れるなんて皮肉なこともあるよな。有害なものを禁止にするという点では、決して悪法というわけでもないのに」
マスターたちは談笑していたものの、俺は心のうちに焦燥感を抱えていた。
ハトとタカの争いも、鳥に関心のない人間からすれば同じ動物同士の戦いでしかない。
あの二つの組織の争いが激化し、表面化すれば事態は更に悪化することだろう。
マフィアの抗争じみたことが起きて、一般社会にまで波紋が広がる可能性がある。
「何とかして止められないものでしょうか」
「それは構わないが、あの二つの組織をどうこうしても根本的な解決にはならないだろう。その場しのぎにしかならない」
「それって、つまり……」
確かに禁煙法がなくなれば、以前のようにタバコ組合が公に活動できるから統制しやすくなる。
禁煙法に相応の理由がある以上、撤廃することにも相応の理由がなければ政府は動かないと思うのだが。
「ま、ちょうどいいタイミングだろうな」
タケモトさんたちはゆっくりと立ち上がった。
その動きには焦りも迷いもない。
何らかの打算があるのだろうか。
もう誰か言ってることかもしれないけど、年末の例の番組が問題として取り上げられてからずっと微妙に分からないことがあって書きました。
何か間違ってることを書いてしまうかもしれませんが、その時はご教示ください。
簡潔に言うと、疑問なのは、「あれがもし、高い鼻をつけて白塗りの白人富裕層コスプレだったら、同じように批判されたのか?」ってことです。
人種差別だから批判されたのか、塗った色が黒だったから批判されたのか、いまいち分からない。
もし、なんらかの色を肌に塗ることが差別になってしまうなら、これは極論だけど、
黄色人種である私たちが毎朝肌に白いファンデーションを塗るのは、白人に対する、もしくは黄色人種自身に対する差別になるんじゃないのかな?と思います。
あと、これは余談ですが、年始のとある芸人の方と女優さんの交際報道に対し、
あるコメンテーターが女優さんをアイドルと言い間違えてしまったのを、
「女優として認めてないのか?見下している!」と批判しているネットニュースがあって、
それも、記者の人は「女優をアイドルと言うのは失礼」って思ってたのかなとか思ったり。
「××は⚪︎⚪︎より劣る」って思ってるってことが透けて見えることってありそうだなと思ったということです。
(追記)
早速のコメントありがとうございます。
なるほど、差別といわれるものは、社会的な重要度とか気にする人数などのフィルターを通して、批判される対象になったり見逃されたりするということかなと、私なりに理解しました。
飯は笑いましたw
電車でした。
挽きたてのコーヒーを飲みたいが怠惰なのでフィルターをいちいち買うのが面倒だ。そんな時にはフィルター要らずのこれ。しかも美味い。
2.羊毛布団(敷き・掛け)
吸湿性がよく蒸れにくい。羽毛布団のように軽すぎず適度な重みがよい。価格もお手頃。
3.布団乾燥機
これ簡易ヒーターになるんです。布団の足元にホースを突っ込んでみよう。そこはもうコタツです。
4.オートミール
後述するマイプロテインではセール時に5kg 約690円という破格で買える。レンチンするだけ、もしくはそのままでも食べられる。しかも美味い。
5.割り箸
割り箸はほんといい。
6.iHerb・マイプロテインの利用
海外通販です。送料無料ラインまで買うのが基本。iHerbではマルチビタミンミネラル(MVM)サプリを、マイプロテインではプロテインとオートミールをメインで購入。正直、プロテインとオートミールとMVMさえあれば食生活はそれで完結する。
7.追い焚きできる風呂
ドアを開けて入浴するだけで湿度計が上限値を振り切って計測不能に。寒い時期の湿度対策に最適。
冬の寝巻きオブ・ザ・ベスト。このモコモコした肌触りと暖かさを一度体験したらもう他の着る毛布は着れない。耐久性超ある。価格もそれほど高くはない。
一番有名なペアーズとやらを始めてみた。
課金もした。心理的ハードルは高かったが、月額2000円程度だし、課金してみた。
そのあとはひたすらスクロールして瞬時に顔がタイプかどうか、自己紹介文がやばくないかどうか、を判断する。
気になる子がいたら、詳細プロフィールをクリックしてサブ写真を注視する。
どんな趣味でどんな恋愛感でどんな年齢などなどをチェックして、会ってみたいと思ったらイイねを押す。
しかし、心に余裕がないときにスクロールして探して瞬時の判断でイイねを押す訳だから、しばらく経ってから成立しても、イイねを押したときの熱が残っているかと言えばそうとは限らない。
熱が残ってない相手のときは、相手からメッセージがきたらやり取りをする。来なかったらそのまま放置だ。
続きはまた後で。
ブコメの中で気になったのは、どうもアプリなどの色覚シミュレーターを名乗るものが本当に様々な色覚の見え方を再現しているのだと信じている人がいるらしいということ。
https://anond.hatelabo.jp/20180111135207
https://anond.hatelabo.jp/20180112100435
そんなの原理上ありえないので、あれはこういう感じで区別付きにくくなりますよって言うだけで実際に見えてる色を再現しているわけじゃないですよ。
色はただの雰囲気です。
逆バージョンのフィルターも同じことで、単に識別しやすくなるようにしてるだけで色の見え方が「治る」わけじゃないですからね。
そういえば人以外の知的生命体がいた場合、絶対にヒトとは異なる色覚を持っていると思うのだけど、SFとかでそういうところまで考察している作品ってあるんですかね。
https://anond.hatelabo.jp/20180112100435
これだけ見るとすごく暗いしコントラストが小さいよね。
ただ、暗い部屋での人の目の順応性のことを思うと、わりとホワイトバランスをうまく調整してくれてそれなりに見えるんじゃないかとも思う。
ところが元の増田も、また、その増田のブコメでいくつか言及されていた色覚異常者が色彩に出会って感動する動画も、それらのリアクションは全て未知の色彩と出会う驚きによって演出されています。
これは同感。そこまで未知の色彩があるわけない。それもたかがフィルター通しただけで。
ただ、自然界がすべての光の波長のパターンを網羅しているわけでもないと思うので、より色鮮やかに見えるパターンというのはあり得るかもしれないと思う。
実際自分の場合、紅葉や赤いバラは肉眼で見ても暗い赤にしか見えないが写真やテレビで見るとものすごく鮮やかな赤に見える。
これらを組み合わせて、この製品が嘘だという最大の根拠を一つ示します。
特定の色の彩度を下げることで鮮やかな世界を作れるとするのであれば、どうして症例にあわせた作例が一つもないのでしょうか。
レタッチソフトを使えばRGBのバランスを変えることは造作も無いことです。
この辺は微妙。
そもそもこの世に存在するRGBやらCMYKというのは色覚正常者にとって最適化されたものなので、色覚異常者にとってはそもそもがずれたものだ。
光というのは本来様々な波長を含むもので、全く同じ色に見えるものでも物質が違えば違う波長の光を含んでいる。
そういう性質を利用して色覚正常者だけが、自然光と同じに見えるようなRGBの三色光とCMYKのインクを選んでいるにすぎない。
とても繊細な調整が必要で、モニターによって色は変わるし、インクのロットが違えば色も微妙に変わる。再現度を高めるために色校正が必要とされる理由である。
モニターや印刷物は1つ1つで発色の加減が微妙に違うのに、色覚正常者はだいたい同じように見えるように調整している。
言い方を変えると、本当は違う色(光)が出てるのに色覚正常者はその違いを認識できない。
これはあくまで色覚正常者向けの調整なので、極端に言うと色覚異常者にはどれも違うように見えてしまう。
だから、作例がないというのは仕方のない話で、やろうと思っても画像ファイルだけを用意すればいいというものではないのだ。
専用のモニターを用意してそのモニターだけで見るようにすればできるかもしれない。
印刷物の場合、指定のインクを使ってきっちり色校正するようにすればできるかもしれない。
(これを実際にやっているのが色覚検査表。あれって自分で買うとものすごく高いのだけどそれだけ手間はかかってる。
http://www.neo-dalton.com/side/check/が簡易的と言っているのもそのため。これは専用のモニターを使ってるはず。)
これまでの自分の実感だと赤緑色弱は本当に個人によって見え方が全然違う。
この増田自身は赤緑色盲(2色型色覚)なのではないかと思うが、赤緑色盲向けの作例であれば可能ではないかと思う。
ただそれをやるのは結構お金がかかると思うよ。レタッチで済むというものではないだろうから。
分かる。
でも彼らには見えてないものが僕らには見えているはずでそっちを楽しんで生きていきたい。