以下は別に男女差別に限った話ではないがわかりやすさのため男女問題に絞る。
(必要ならば、各自で外国人や障碍者等に読み替えてもらいたい。)
同じ条件であるにもかかわらず男性の方が女性より優遇される現象。(またはその逆)
早くから問題とされたため近年この傾向はほとんど残っていない。
しかし女性は大相撲の土俵に上がれないなど一部には残存している。
男性が女子校に入学できないこと、女性が男子校に入学できないことを差別と呼ぶ人間はいない。
これと「女性専用車両」「女性だけの街」問題との違いはどこにあるだろうか。
女性が子を産むことに起因する区別(女性の坑内労働禁止など)も
差別と言われることがあり、差別と区別の境界ははっきり引けるものではない。
男女は死亡率が違うため生命保険料などが異なるが、日本ではこれは合法であり、EUでは差別として違法である。
もちろん男女の合格判定基準に差はなく、女性が男性より問題を解く力がないわけでもない。
これはそもそも女性が東大を志願しないことによって起こっている結果である。
これに対し、機会均等なのだからあとは志願者の自由で何も問題はないのだとする説と、
そもそも意欲不均等とは過去の機会不均等が根を引いている証拠なので是正するべきとする説がある。
企業が採用者を決めるときなどに、より素晴らしい候補者を選択しようとするのは当然である。
しかし、選定の時間が有限である以上、候補者の能力や人格を一から百まですべて知ることはできない。
この時にどうしても利用されてしまうのが過去の採用者の実績である。
統計的に男性の方が女性より業績を残す(またはその逆)とはっきりしていれば、
候補者本人に何の非もなかったとしても、統計的判断が加味されてしまうものである。
統計的差別は、往々にして、本当に期待する結果を生んでしまう。
個人個人の実力にはブレがあったとしても、何千人何万人と採用した際、
統計データを完全に信頼して選択した企業とそうでない企業にはやはり差が生まれてしまう。
(これに関しては男女よりもむしろ学歴フィルター等の問題を考えればわかりやすい)
これを是正するということはすなわち、企業に「統計データによらず個々人の実力のみを見ること」
つまり今まで以上の負担やコストを強要することに繋がるため、非常に困難な問題になる。
女性の管理職問題は、意欲の不均等と統計的差別が合わさって発生している。
それ以外の者にとっては機会の面で相対的不遇な状況に置かれることになる。
機会と結果を同時に均等にすることはできないという根本的な要因から発生する現象。
意欲の不均等や統計的差別は、もともと過去にあった機会の不均等が原因であることから、
逆差別を積極的に行うことによって強引に結果均等な状況を作り出し、
意欲の不均等や統計的差別がじゅうぶん無くなってから逆差別を解消することによって
最終的には機会も結果も同時に均等にする施策。
途中の段階で差別を一度受け入れてしまうため、これが許されるのかどうか議論がある。
なお、この男女差を打開するために、女性のみ男性より低い基準で別枠のプロになれる「女流棋士」の制度がある
(アファーマティブアクションの一例であろう)。
しかし、この制度が逆に女性プロ棋士の誕生を阻害しているのだとも言われる。
囲碁では女性プロも普通に存在するため、将棋というゲームのみが男性にとって得意な構造になっているのか、
それとも裏側に何か発見できていない差別が隠れているのか、理由は不明。