はてなキーワード: イスラム教徒とは
痴漢の件に関しては完璧に意見が合わないね。それってすなわち、職場や学校でのいじめで、アンケート行われて「ある」ってなっても、そんなの嘘かもしれないし認識の齟齬だからから存在しないってよく教育委員会で言ってるのと同じだと自分は思う。
イジメだって、自称被害者の主観だけで裁いていいわけないだろ。
自分の出身はど田舎で、小さい時に誰も乗っていないガラガラ車両で隣にくっついきてワッシャワシャ触られまくって怖くて誰にもなにも言えなかったことが何度かあるけど、一度も警察行ったことがないから、アンケートではYesになるけど3200件には入ってないから、そういう人は私だけじゃないって思っちゃうんだよね…
それが誤認でも嘘でもないと言える根拠が一つでもあるか?ってことを先の増田で書いたと思うんだけど。
読まなかったの?
冤罪については科学捜査で最近はちゃんとわかるみたいね。どんな風に触ったか、強さは、どこで触ったか、とか。自分の友人とか家族が冤罪に会うって考えるとゾッとするから、どんどんやれ〜って感じだわ。
「触った」ことしかわからないし、そもそも微物検査を証拠として採用するかどうかは検察の胸三寸。
とても安心とは言えない。
私は犯罪率下げれるなら差別とは思わないなあ。女の方が多い犯罪って思いつかないけど、万引きGメンとかに年代とか性別で止められても、多分まぁー仕方ないかなって思うよ。
この妄言は、君が差別を受ける立場にないから出てくるんだろうね。
既存でアメリカに住んでいるイスラム教徒の犯罪率ってそんなに高くないんじゃないのかな?その上で差別的に扱うのはいけないと思うけど、もし極端に犯罪率が高い属性があるなら自衛のためにも職務質問ぐらいはやるべきって思うよ。
そして「属性で犯罪者扱い」が「「差別的に扱うのはいけないと思う」と同居する思考って...
「差別的扱い」以外の何物でもないぞ。
女性専用車両が男の人にとってどれだけ不便なのかがあんまりわかってないからなんとも言えないんだけど、多少の不利益は許しあっての世界の方がいいんじゃないかなって思ってる。ここも合わないね。
「許し合って」というが、女性がどんな不利益を許してるというのか。
片務的かつ差別的な義務の押し付けを「許し合い」とは言わない。
通院に対応してってわけじゃないけど、ちゃんと物証ありで検挙された人の去勢(まで行かずとも性欲減退薬)とかね。再犯率めちゃくちゃ高いらしいし、一部の人のせいで多くの無罪の人が迷惑被っているわけだし、進めば女性専用車両いらなくなるでしょ。
痴漢の処置については(物証があるなら、法の範囲内で)好きにすればいいが、
女性の既得権益と化してる女性専用車両がそれで解放されるとは思えない。
男女の進学率が等しくなっても国立女子大は残ってるし、トランスジェンダー受け入れにすら猛反発があった。
そういう法律は、雇用に関する規定はしていても提供するサービスに関する規定はしていないんじゃない?レディースデーとか男専用サウナとかカプセルホテルとか、別に金になるならいいんじゃないの?って思ってるわ。
どちらも等しく差別だ。
自分の思う男女平等ってのは下駄履かせて無能な女の人をいい地位に置くんじゃなくて、本当に有能な人がいるなら男でも女でも、差別されずに社会に参加して、男も育休きちんととって…みたいなことだから、増田とはどうしても意見違っちゃうわ。
今進行してる「男女平等」ってのは女性に下駄を履かせることに他ならないが。
男女共同参画予算が年何十億か知ってるか?クォータ制を要求してるフェミについては?
君の言ってることは矛盾してる。
ありとあらゆる不利益受け入れてでも、男とか年齢とか見た目とか、属性によって何かしらの不利益を被りたくないって考え方は今まで社会で出会った誰とも違う考え方だから、勉強になったよ。
痴漢の件に関しては完璧に意見が合わないね。それってすなわち、職場や学校でのいじめで、アンケート行われて「ある」ってなっても、そんなの嘘かもしれないし認識の齟齬だからから存在しないってよく教育委員会で言ってるのと同じだと自分は思う。
自分の出身はど田舎で、小さい時に誰も乗っていないガラガラ車両で隣にくっついきてワッシャワシャ触られまくって怖くて誰にもなにも言えなかったことが何度かあるけど、一度も警察行ったことがないから、アンケートではYesになるけど3200件には入ってないから、そういう人は私だけじゃないって思っちゃうんだよね…
冤罪については科学捜査で最近はちゃんとわかるみたいね。どんな風に触ったか、強さは、どこで触ったか、とか。自分の友人とか家族が冤罪に会うって考えるとゾッとするから、どんどんやれ〜って感じだわ。
私は犯罪率下げれるなら差別とは思わないなあ。女の方が多い犯罪って思いつかないけど、万引きGメンとかに年代とか性別で止められても、多分まぁー仕方ないかなって思うよ。
既存でアメリカに住んでいるイスラム教徒の犯罪率ってそんなに高くないんじゃないのかな?その上で差別的に扱うのはいけないと思うけど、もし極端に犯罪率が高い属性があるなら自衛のためにも職務質問ぐらいはやるべきって思うよ。
女性専用車両が男の人にとってどれだけ不便なのかがあんまりわかってないからなんとも言えないんだけど、多少の不利益は許しあっての世界の方がいいんじゃないかなって思ってる。ここも合わないね。
通院に対応してってわけじゃないけど、ちゃんと物証ありで検挙された人の去勢(まで行かずとも性欲減退薬)とかね。再犯率めちゃくちゃ高いらしいし、一部の人のせいで多くの無罪の人が迷惑被っているわけだし、進めば女性専用車両いらなくなるでしょ。
職の差別は反対なんだね、そこは一貫しているって知れて良かったよ。
女子大は共学にしたらいいと思うし、助産師も産婦人科医で男の先生いっぱいいるんだから全然問題ないと思うけどね。
奥さん大丈夫でも、夫側が産婦人科医は絶対男は無理!って言ってる職場の人いたから、助産師に関してはもしかしたら男の人側の反対も強いのかもね。
そういう法律は、雇用に関する規定はしていても提供するサービスに関する規定はしていないんじゃない?レディースデーとか男専用サウナとかカプセルホテルとか、別に金になるならいいんじゃないの?って思ってるわ。
こんだけ女の社会進出が進んじゃったら、なかなか家父長制の復興は難しいだろうね。海外からの圧力も強いだろうし、まずどう考えても労働力が足りないからどうしても移民頼りになる時期が必要で、無理だろうね。どうしてもそんな社会が嫌だっていうなら、パキスタンとかイスラム教国家にアーリーリタイアするしかない気がするなぁ。
自分の思う男女平等ってのは下駄履かせて無能な女の人をいい地位に置くんじゃなくて、本当に有能な人がいるなら男でも女でも、差別されずに社会に参加して、男も育休きちんととって…みたいなことだから、増田とはどうしても意見違っちゃうわ。
ありとあらゆる不利益受け入れてでも、男とか年齢とか見た目とか、属性によって何かしらの不利益を被りたくないって考え方は今まで社会で出会った誰とも違う考え方だから、勉強になったよ。
長々付き合ってくれてありがとね〜
私は日本で生まれ育ってしまったのでとても大きな違和感を感じる体験なのだが、私が大学生の頃父が隠し子を持っているということを急に暴露した。ガーナに私の兄弟が2人か3人いるという話を聞いた。
私は大変驚いた。妹は父が自分の子をガーナの親戚に引き渡し置き去りにしたことを怒っていた。母は唖然としていたが受け入れた様子だった。
先日父と口論になり父から「あなたよりガーナの子供の方がお利口さんだ。ガーナの子供は親の言うことを必ず聞くし親に従う。親を尊敬する。」「日本の子供はこんなに悪い子ばかりなのか」と言い始め2国間で自分の子供を比較し私達日本側を非難した。ガーナでは親に反論する子どもはいないとのこと。私は父にガーナの子供を連れて来たらいいじゃないかと言うと母はそれは違うと言う。
ガーナ在住の長男(急に出てきた私より数年年上の兄)と電話した際、大学を卒業しても仕事がないと言っていたんだが、果たして親の言うことに従ってばかりで何かいいことがあるのだろうか。
父が凄く風変わりな人に見えて仕方がない。めちゃくちゃ
※ガーナは一説によると50の民族、80~100の言語が話されていると言われている。海岸沿いや中部の地域にはキリスト教徒が多いのだが北部の州にはイスラム教徒が多く、一夫多妻制の家庭がある。父から聞いたニュースでは14人ほどの子供を持つ北部在住の男性がいて奥さんは5人以上。それに憧れるキリスト教徒がいる。
今話題になっているあいちトリエンナーレについて個人的に思うことが色々あったので書こうと思う。細かいことを話して特定されると普通に死ぬのでぼかすが、一応運営ボランティアとして展示に参加している。
クソ長い。
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最初に断っておくと、今話題になっている「表現の不自由展・その後」についてだが、私はぶっちゃけ見ていない。今となっては炎上が勃発した時点で見に行っておくべきだったと後悔しているのだが、いやだってまさか3日で終わるとは思わねえもん。
と、いうのも事前のボランティア研修とかで「表現の不自由展・その後」に注目している人は私の知る限りほぼ皆無だったからだ。一応警備対応とかの事情で説明は受けたがそれについて「楽しみだ」とか「心配だ」とか言っている人は居なかった。別に目を逸らしていたとか重大性を認識していなかったとかではなく、ちゃんと理由もある。
他の人は知らないが、個人的には「表現の不自由展・その後」については「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」くらいの認識だった。面白そうな企画だ、地獄のデスマッチ感がある。しかし確かに面白そうだが、言ってしまえばそれだけなのだ。
話が変わるが我々ボランティアが研修で何をやっているかと言うと、作品の知識を蓄えるのではなく、自身の感性に従って自由に鑑賞する、所謂対話型鑑賞とかVTS(定義は微妙に違うのだが)と呼ばれているものを実践している。具体的にどんな感じかというと、背景知識はほぼなしで作品を見て
「画面は綺麗だけど、人物の顔が悲しそう、破局を予兆しているのでは?」
などとそれぞれの感性や経験に基づいて解釈を語りあうのだ。これが結構楽しい。例えるなら深夜のファミレスでオタクが集まってエヴァ最終回について語り合っている状態に近い。割と何分でもやっていられる。
だがそういった観点から見ると、「表現の不自由展・その後」があまり魅力的でないことは分かってもらえると思う。「近代化」、「ジェンダー」、「作家自身の半生」、トリエンナーレには複雑なテーマを持った鑑賞しがいのある作品が沢山出品されている。「表現の不自由展・その後」は企画としては面白いがある意味「企画落ち」なのだ。事前に具体的な作品内容が分からなかったというのもあるが、それ以上掘り下げようがない。寧ろ中止になった今の方が色々語れる。
そんなわけで「表現の不自由展・その後」がここまでの話題になったのはかなり意外だったし、多くの人にとってあいちトリエンナーレの第一印象がそれになってしまったのは少し残念でもある。
さて「表現の不自由展・その後」の中でも特によく燃えていたのが慰安婦と昭和天皇絡みの展示だと思う。政治的にインパクト抜群だからだ。だがここまで千字くらい駄文を読まされて大分心と頭が冷え切っているところだと思うので、少し冷静に展示のコンテクストについても考えて欲しい。
「表現の不自由展・その後」は「あちこちの展示会で撤去されたやつを集めて展示する」というコンセプトで行われている。よってこの企画で展示されているのは慰安婦像それ自体ではなく、あくまで「どっかから撤去された慰安婦像」なのだ。
ソウルの日本大使館前に慰安婦像が設置されたとき、メディアはこぞって大使館と慰安婦像が一緒に映った映像を放送したと思うが、あの報道に対して「不快だから映すな」と怒った人は居ただろうか。まあ居なくはなかったかもしれないが、多分映さない方がもっと怒られるだろう。怒らないのはそれが「大使館の前に慰安婦像が設置されたという報道」だとコンテクストも含めて理解しているからだ(勿論どちらの場合も制作サイドの意図は別にあるのだが)。
今回の展示ではそこのコンテクストがおざなりにされたまま、日本に実物の慰安婦像が展示されているというインパクトと、SNS上の断片的な情報で事態が拡大してしまった感がある。
また若干話が大きくなるが、余裕があったら歴史的なコンテクストについても一度考えてみて欲しい。慰安婦像というと直ぐに反日というイメージに結びつけがちだが、何故そう思うのか。
そもそも慰安婦なんて居なかったと考えている人からすれば一応理屈は通っている、悪意のある捏造ということになるからだ。
しかし、詳細については諸説あるが、そういうものが存在したということだけについては歴史的資料も揃っているし、両国の見解も一致している。つまるところ歴史に認められているのだ。
負の歴史を展示し続けることは未来に生きるだれかにとっての悪意になるのか、日本を始め第二次世界大戦に関わった各国には慰霊碑やモニュメントがある、ドイツやカンボジアには国内の虐殺を記憶するモニュメントがある、それを見て不快になる人はいるだろうし、寧ろ不快になるべきなのかもしれないが、ならそれらは排除されるべき悪意なのか、そもそも悪意は無条件に「悪」なのか。
場所によって反応も変わる、オバマは広島の原爆資料館に行ったが、アメリカでスミソニアンがエノラ・ゲイ展示をやろうとしたときは退役軍人たちから大バッシングが来た。そういった反応の違いは展示の意味、ひいては歴史の意味に影響を与え得るのか、得ないのか。
そして誰の、誰に対する悪意なのか、人の属性は一つでないし必ずしもはっきり分類出来る訳でもない、あなたが引いた「味方」と「敵」の線など気にも留めず他人は好き勝手踏み越えて生きる。例えば、韓国人男性と日本人女性が慰安婦について議論しているとして、彼らは一体どの立場にいるのか、そこに存在する先入観は何か。
話が大分概念的になってしまったが、何が言いたかったかというと、コンテクストというのはそれだけ膨大で複雑なのだ。
勿論コンテクストには政治性だって含まれる。慰安婦像が純粋に歴史的なモニュメントというより政治的に使われているのは明らかだし、恐らくそれは大半の日本人のせいではないので、あんな一触即発なもの見たくも聞きたくもない、というのは分かるし別に普段はそれで構わないと思う。
ただ死ぬほど暇なときにでも少し考えてみて欲しい。メディアの報道を見ていると日韓で政治的な同意が得られれば慰安婦像は撤去されていると考えている人もいるようだが、その必然性はない、だって歴史に認められているから。というかそれで撤去されたらマジで純粋なプロパガンダだったって言っているようなものだからやめろ。
像はコンテクストの中で存在し続けるし、今回の展示もそのコンテクストの一部である。
批判するにせよ擁護するにせよそこに対する考察がなければそれはインパクトに押された感情任せでしかないだろう。
それでも慰安婦像許せないし完全に撤去したいんだけどっていう人はどうすればいいかって?そこも歴史に学ぼう。
アメリカでコロンブスとかリー将軍の像が次々撤去されているのはニュースで聞いた人もいるだろう。時代の変化とともに歴史観は書き換わる。虐殺や奴隷制擁護者としての側面が評価され、彼らは英雄ではなくなった。もはや歴史に認められていないから像だって撤去される。
個人的には英雄として評価されていた歴史も含め展示するのも面白いんじゃないかとも思うが、少なくとも公共の場のモニュメントとしてはふさわしくないと判断されているのだ。
つまり慰安婦像を撤去したいのなら何らかの方法で歴史観を書き換えれば良い。そして歴史学の徒は全力で戦って阻止すれば良い。
トリエンナーレ運営が「表現の不自由展・その後」の公開を取りやめたことについて、ネット上では様々な意見が飛び交っている。これについては「脅迫に屈した」とか「作家に許可をとっていなかった」とか確かに色々と問題がある気はするのだが、津田総監督や大村知事が会見で言っていた「安全管理上の問題」という観点からは正直仕方がないと思っている。
第一に展示施設自体の問題だ。あいちトリエンナーレには複数の会場があり、「表現の不自由展・その後」が展示されていたのは愛知県文化センターの8階、所謂「県美」だ。関係者の名誉のために言っておくが、日本は災害が多いだけあって美術館や博物館といった文化施設の安全管理にはそれなりに注意が払われている。耐震設備に水害対策、防火設備、さらには盗難や破壊防止のための監視員や監視カメラが多くの施設で導入されている。
しかしテロや大人数による襲撃までは対応出来ないというのが現実だろう。海外の博物館ではそういった事態も想定して手荷物検査などを実施しているところもあるが、日本でそれをやるのは割に合わないと言わざるを得ない。
第二に運営側の問題。最初に言っておくがあいちトリエンナーレのような文化事業というのは基本的にクソクソ&クソ金がない。
確かに税金から拠出の予算10億は大金だ、これだけあれば50回くらい安心して老後を過ごせる。しかしそれでアーティストを100人くらい呼んで75日間展示会をやれと言われたら難易度はルナティックだ(他に寄付金とかもあるので実際の予算規模はもっと大きいはずだが)。
よって私も含めた運営スタッフの多くはクオカード1枚で半日働くボランティアである。加えて事前に結構勉強もしないといけないし、当然交通費とかも出ない。
これだけ聞くと何が悲しくてそんな苦行をとか思われるかも知れないが、最初に言った通り美術館とか博物館とかも含めて文化事業は取り敢えず金がないので、もうそういう人たちがいないとほぼ成り立たないのだ。そこで講習会とかバックヤード体験を餌にこじらせ教養オタクたちをボランティアとして釣っている、というか釣られている(※個人の感想です)。言っていて悲しくなるし話が逸れるのでそこら辺は省くが、つまるところ何が言いたいかというと、テロとか起きると我々はタダ働きの挙句何も出来ずやられる。勘弁して欲しい。
最後に若干抽象的な話になるのだが、良くも悪くもあいちトリエンナーレは寄せ集めというのがある。
運営側の細かい事情は知らないが、直前までどんな作品が出るか分からなかったりしたので、少なくとも運営と作家が一体となって特定のテーマに沿った展示を作るという感じではないと思う。恐らく「情の時代」とかいうぼんやりしたコンセプトに基づいて作家を招待して展示スペースを用意している感じだ。
「表現の不自由展・その後」だって別に運営が企画した訳ではなく、かつて行われた「表現の不自由展」を招待しただけだ。
展示施設の職員に至ってはそれを公務員の業務として受け入れているだけである。
よって、運営の中心スタッフ、末端のボランティアスタッフ、施設や関連団体のスタッフ、さらに作家間で一人一人が一つ一つの作品に全て賛同しているとかそんなことはあり得ない。まあそれはある程度の規模の組織では当然のことだと思うし、そうでなければ大規模で多様性のある展示会なんて開けないだろう。なので断っておきたいが、会場とかSNSで関係者に絡んで「トリエンナーレの見解」とやらを聞き出そうとしてもそんなものはない、せめて総監督に聞いてくれ。
そんな緩い結束でつながっている人々を「脅迫に屈しない覚悟」に巻き込むのは正直言って無理がある。
それらを踏まえてトリエンナーレ運営の対応はある程度仕方なかったとは思うのだが、しかしそうせざるを得ない状況には大きな問題がある。
先述の通り、施設や組織の問題でテロや脅迫に対応することは出来ないし、安全上の問題を考えると「表現の不自由展・その後」の展示中止は仕方ない側面もあると思う。
しかし考えてもみて欲しい、そもそも武器とかガソリン持った奴相手に対抗できる団体・個人がこの国にどれだけいるのだ、極真空手の総本山とかか?結構な大企業だって本気で襲撃されたら対応出来ないことの方が多いだろう、必然的にそれを仄めかす脅迫の時点で相手側の要求を飲まざるを得なくなる。
暴力による権利への挑戦に対しては個人レベルでなく、社会全体として対抗しなければならないし、行政側には憲法に基づいてその義務がある。
最初に特定されたら困るから匿名で意見すると書いたが、そもそも身の危険を感じて発現を躊躇しなければならない状況自体がおかしいのだ(勿論それとは別に自衛はするが)。
また、津田総監督が会見によると脅迫と並んでまずかったのが「電話」らしい。
抗議の電話でまず事務局の回線がパンク、結果つながらなかった人たちが県美や文化センターに掛け、何の対策もしていない職員が罵声を浴びせられる、しかも公共施設なので切らずに対応しないといけないという事態になったらしい。所謂「電突」と呼ばれるものだ。
ネット炎上とともに話題になることの多い電突は、市民による集団的抗議の形態とも見做せるが、一方でインターネットという新興メディアによるメディアスクラムともとれる、特にやられる方からすればそうだろう。
確かに組織には説明責任がある、取材と報道の自由もある。けどそれが対象となる人々の生活を過度に制限するようになればそれは権利が守られている状態とは言えないし、何かしらの法にも触れそうなのだが、恐らく相手が不特定多数ということで対策が難しいのだろう。スクラムを仕掛けた側を罰しろとかではなく、対象となった側を守る為の社会整備は必要だと思う(と、ずっと前から言われている気はするのだが…)。
誤解しないで欲しいが、ここでいいたいのは抗議をするなということではない。
表現の自由というのは反論されない権利などではない、ただやり方の問題だ。
話がまた大きくなるが、個人的にはどれだけ平和主義を語っても「戦い」なんてものはなくならないと思っている。政治も、経済も、受験も、スポーツも、婚活も、創作も、結局は「戦い」なのだ、ただそれをいかに物理的な暴力を伴わず決められたルールの範囲内でやるかが、人類が積み上げてきた理性とか法治とか文明の指標なのだと思う。
抗議は存分にやればいい、カウンターとなるアートを作成しても良いし、ネットに長文を書き込んでも良い、署名やデモでも良い。そして表現の自由と言っても万能ではない、脅迫罪、威力業務妨害罪、侮辱罪、名誉毀損罪、プライバシー権、著作権…憲法に定められた公共の福祉の概念に基づいてそれを規制する法律なんてごまんとある。そのうちの何かに抵触してそうなら訴訟という手もある。ただやるからには全て合法的にやれというだけの話だ。
pixivで気に食わねえ解釈を見つけたら自分の解釈を倍の質と量で投稿して相手の筆を折るのが仁義というものだろう。すまない今のは完全に個人の意見だから忘れてくれ。
じゃあこの場合どうしたらいいのか。
少し話が飛ぶが比較のため「コンビニエロ本問題」について話させて欲しい。「コンビニエロ本問題」とは女性客などからの抗議を受けてコンビニから18禁の本が撤去されている事態のことだ。あれを表現の自由と結び付けて語る人もいるが、私はそうではないと思っている。
何故ならあくまでコンビニは民間の営利団体だからだ。コンビニ業界に詳しい訳ではないので話半分に聞いて欲しいのだが、もしコンビニ側が「エロ本を撤去しないとタピオカを積んだトラックで突っ込む」とか脅迫を受けているならば、それは許すべからざる犯罪だ、しかし多分そうではないだろう。
抗議が原因と言われているが、恐らくより正確には「エロ本絡みの抗議や客足減退に対してエロ本の売り上げが割に合わない」が原因なのだと思う。
コンビニで18禁本を最後に買ったのはいつだろう、正直質はともかく量と利便性はネットの方が格段に上だと思う。正確な売り上げは知らないが、エロ本だけで月々1兆円くらい純利益が出ているなら、あの容赦のないコンビニ業界が Permalink | 記事への反応(15) | 22:16
ほとんどだれでもフェミニストを名乗れてしまうからどんどん別の思想の人間が増えて集団全体の思想の流れがそっちに寄ってしまう。
一番わかりやすいのがイスラム教徒の女性がフェミニストを名乗ることで、彼女たちの価値観は欧米のフェミニズムとはかけ離れてるんだけど、一人一派だとこの人たちも自動的にフェミニストに認定されるから止めようがない。
女性は肌を隠すべきだとか、女性は貞淑であるべきだとかそういうイスラム的な価値観もすべてフェミニズムの主張の一つということになってしまう。
ツイッターのとてもフェミニストと言えないような男性がフェミニストを名乗ってフェミニスト認定されてしまうのもこれが理由。
とにかくコミュニティの女性に認められた人は誰でもフェミニストだという空気感になる。
https://anond.hatelabo.jp/20190620170517
別増田でも書いたけど、女性は自分たちの承認の力を認識してない。
集団の中でだれか女性が一人承認しただけで、その人は安全パスを手に入れたことになって誰も気にしなくなってしまう。
さらにほかの女性に承認されたんだから私も承認していい、と思ってそいつを承認してしまって危険な自分物でもどんどん発言権が上昇していく。止めようがないよね。
香港デモについて、大陸の中国人はまったく知らされていないという話が本当なのか気になったので、生の声を見つけるべく、北京大学の掲示板を見に行ってみた。
ふつうに香港のニュースも議論されてる。しかも内容も健全だ。言論の自由を大事にしている風潮もある。なんとなく現在の京大や、学生運動時代の東大の雰囲気を感じる。
https://bbs.pku.edu.cn/v2/post-read.php?bid=251&threadid=17153349
もちろん、北京大学の優秀な学生たちと、一般庶民ではリテラシなどはまったく違うだろう。しかし、このような議論が.cnドメインの元でできているということが驚きだったし、その場が政府のお膝元でもある「北京大学」の掲示板にも用意されていたことも、意外だった。(トラバ指摘:政府が反乱分子を捕らえるためにあえて泳がせているのではないかという邪推も)
わたし自身は中国語はまったくできないが、偉大なる中国産の翻訳サービス3つの力で、なんとか読み解いてみた(Googleその他の翻訳は、こと中国語に関しては、まったく役に立たない)。 雰囲気を感じ取っていただければ幸いだ。
https://fanyi.caiyunapp.com/#/
https://fanyi.baidu.com/#zh/jp/
以下、意訳した部分もあるので、誤訳があればご指摘ください。
(間違いなく指摘されると思うので、素人機械翻訳による第1稿を鵜呑みにせず、しばらくしたらまた見に来てください)
香港の反中運動や独立運動はどうくい止めるべきなんだ。香港のあらゆる大学の学生会は香港独立運動に変わりつつある。わたしには生粋の香港人の友人がいるが、香港で共産党を擁護するといじめにあうほどの空気らしい。
議論を歓迎しますが、主観的になりすぎず、過激な言葉も使わないようにしましょう。
これはイデオロギーの対立で、香港政府や共産党に反対する姿勢は、すなわちあらゆる西洋国家にとっての正義でもある。毎日Reddit(訳注:アメリカの投稿型ニュースサイト)を回っていますが、トップページに載せられている中国関連のニュースはほとんどがマイナスニュースです。
わたしは党員でもないので海外が共産党の悪いところを悪いと言うのは何とも思わないが、多くはでたらめな悪口だ。正直なところ、海外メディアや海外フォーラムの世論に注目するようになってから、自分がどんどん愛国的になっていることに気づいたんだ。
(共産党についての)よいニュースというのは国内には溢れていますが、外国人の関心は薄いものです。また、海外に留学していると、個人の中国人が海外で見せるイメージも悪評に貢献しているのを実感します。
外国メディアや、中国内でも政治的見解を異にする人間が、共産党の悪いところを指摘できるなら、それは嬉しいことだと言える。しかし多くはでたらめだ。
例えば、先日のニューヨークタイムズによる中国の医療についての動画は、まさに悪評のためのものだった。中国語を英語に翻訳するときも、故意に文章を切り詰めたり、誤訳したりしていた。
例えばわが国の新疆政策では、ウイグル族を東南部沿海に追い払い、漢民族を新疆に送り込み、イスラム教徒に対して無料で開設されている養成所を収容所と呼んでいるといわれている。また中国が少数民族を虐待するという。中国は少数民族の扱いを区別しているわけだが、実のところ、いったい誰が優遇されているのか、誰が冷遇されているのか、ほとんどの中国人は知っているのではないだろうか。(訳注:言外に何か言いたそうだけど真意がわからない → トラバ指摘:これはおそらく中国における少数民族優遇のアファーマティブアクションのことで、漢民族で不満を持っている人は多い)
ただし、(海外メディアだけでなく、)一部の中国人たちによる海外での発言、海外フォーラムでの発言もまた、中国のイメージ悪化の一因ではある。
つまるところ香港人は中国政府を信用していないということだね。
タキトゥスの罠にかかった(訳注:政府が信用を失っている時は、何を言おうと何をしようと、民衆に悪く思われること)のは誰のせいでしょうか。内部的・外部的な要因があるに違いない。
しかし、私の香港の同級生(デモ参加者)が送ってくれたビデオによれば、香港政府に対する中国政府の影響は最悪です。(中国政府は、香港人による香港の統治ではなく、中国政府による香港の統治を黙認している)
結局のところ、メディアは誇張と切り貼りをするものです。(訳注:海外メディアの話に対するレス?)
すぐ隣り合った深圳と香港とで、異なる体制の都市がどのように発展していくか、よい試金石となるでしょう。惜しむらくは、職場でまじめに働いて(デモや政治に)何の興味もない香港人民の利益が犠牲になったことである。
あああ、これで大陸と香港の対立はますます深刻になっていくのか?ああ。。。。。
はい、しかも国際的にはほとんどの人が香港市民の側を支持しています。
(スレ主さん、)あなたは本当に新疆の施設は研修学校だと思っているんですか?それはちょっと・・・
(以下ずっと議論が続く)