はてなキーワード: 肺塞栓症とは
日本はコロナ前からCOPD(肺塞栓症候群)への対応がめちゃととのってる国なんだよ。
COPDを永らえさせるのは長期戦。
日本人のおじいさん、よくカートにのせたボンベから鼻に入れた細い管で酸素吸って歩いてる人いる。たとえばそこそこ都会の大型ショッピングセンターの車いすマーク駐車場で、車からよろよろ降りてくるのけっこう見るよ。アメリカはもうそこまでいったらすぐダメなんだろうな。肥満度も高いし。
知り合いはこれを20年やって健康保険も年金もたくさんつかってるけどそろそろダメになってきた。
トイレ行くにも息切れするし無理して体うごかすと酸欠失禁しておしっこもらす。
そういうときのSO2はコロナぶっちぎりの65%だからコロナにかかったら即おわる。
ピリピリして家族もどこにもいけない。20年間ずっとだけど最近はもっと迷惑かけてる。
ちなみに毎日奥さんに「なんでタバコなんか吸った」ってせめられてる時期あった。
寿命ではなくQOL(人生の品質)を高めるのならやっぱりタバコはあかん。
https://anond.hatelabo.jp/20210504174141
からの続き
2021/1/21(木)
この間の感じでは、また近いうちに危機的な状態になりそうな気がするが、そうはならずにずっと持ちこたえているのだろうか。
元気だった頃の母の姿がふとした拍子に脳裏をよぎる。もう見れることはないのだが。
2021/1/22(金)
2回目なのでだいぶ感じが掴めてきた。
世間ではコロナで仕事がなくなって、路上生活に追い込まれている人もいるのに、こちらは仕事に追い込みまくられている日々。
ありがたいと思うべきなのかなんなのか。
2021/1/23(土)
コロナで時差出勤になって、リモートワークもできるようになって、勤め人としての生活はかなり楽になったけど、あまり嬉しくはない。
2021/1/24(日)
いくら待っていても母は元気になることはないのがわかっているのに、一体私達は何を待ち続けているのか。
母を看取る瞬間を待ち続けている?きっとそうなんだろうけど、そうは思いたくない。
2021/1/25(月)
母に関する記憶を断片的に思い出すことが多い。厳しく怒られていたイメージが多くて苦笑してしまう。
でも、そんなふうに厳しく育てられてきたから、今の自分があるのだなと思って、また涙ぐんでしまう。
2021/1/26(火)
先週病院に行ってから一週間になる。母の様子がどうなっているのか気になる。
苦しい状態になっていなければよいのだが。
2021/1/27(水)
仕事には集中できているが、ふとした拍子に悲しみが押し寄せてきて涙が出てくる。
ずっとこの状態が続いている。
2021/1/28(木)
明日はリモートだと思っていたのに、急遽出勤することになった。
紙ベースの仕事が僅かだが残っていて、それが急に入るとリモートができなくなる。
そのうち改善されるだろうけど、今はそこに至る過渡期なのだろう。
2021/1/29(金)
この職場では、金曜日はリモートデーになっているから、当然か。
これだったら、出勤しようがしまいが、どちらでもソーシャルディスタンスは取れているような気がする。
2021/1/31(日)
今日で1月も終わり。母はまだ頑張っている。倒れた日に、今日明日にも危ないと医者から言われていたことを思い出して、よくここまで頑張ってくれたと思う。
このまま意識が戻らないまま、徐々に弱っていくのを見守っていくことしかできないのが苦しい。受け入れるしかないけど、苦しい。
2021/2/1(月)
朝の7時半頃、そろそろ起きて出勤準備を始めようとしていた時に、姉から電話が来る。
母の脈拍が落ちてきていて危ない状態なので、すぐに病院にきて欲しいとのこと。
すぐに父・姉・私の3人で別々に病院に向かう。
病室に入ると、前回と雰囲気が違った。時々鳴っていた機器のアラート音がずっと鳴りっぱなしで、モニタに表示されている数値も0になっていた。母の顔色も悪く、匂いもちょっとしていたように思う。
呼吸を補助する器具が動く時だけ胸がわずかにふくらむ以外は、母の体に動きが全くなかった。
その状態で、3人で呼びかけたり手を握ったりしていると、母の左目から一筋の涙が出てくるのがわかった。
もしかして、みんなが来ていることがわかっているのかなと思った。
あれは何の涙だったんだろう?
最後のお別れの涙かもしれない。
一時間ほどすると、担当医師が病室に来て、今の状態について説明を受けた。
今の母は、呼吸器がついていることで無理やり呼吸させている状態で、酸素の取り込みもほとんどできていなく、心臓もほぼ止まっているとのこと。
そして医師は、「呼吸器を停めます」と言って、傍らの機器を操作した。そして母の胸に聴診器を当てて心音を聞き、止まっていることを確認した。次に、呼吸も止まっていることを確認し、最後にペンライトを取り出すと瞳孔の反射を確認して、脳機能も止まっていることを確認した。
その一連の流れを見ていて、人間の状態って、どこまでが生でどこからが死なのかが、よくわからなくなった。
多分、このまま呼吸器を使って呼吸を続けることもできるんだろうけど、そうすることにあまり意味がないから、どこかで線引きして、ここからは死亡状態にしますっていうことを医者が宣告するのだろう。
その後、看護師さんから葬儀の手配など、今後のことについての説明を受け、最後に死亡診断書を渡された。
診断書の死因欄を見ると、
1.脳無酸素症
2.肺塞栓症
3.COVID-19
と書かれていた。
やはり、母の死因の大本はコロナだというのが、医師の診断なのだ。
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ここまで、母が倒れてから亡くなるまでの経過を、自分の日記から転載してきたが、この内容を踏まえた上で私がここで言いたいのは、以下のようなことだ。
母のことが起こるまでコロナのことを、どこか自分とは関係のない世界の話だと思っていた。
まさか家族が感染するという形で、自分の身に降り掛かってくるとは夢にも思っていなかった。
自分のことについては感染対策に気を回していたが、両親のことまではあまり深く考えていなかった。
コロナは、誰でもかかりうる身近な感染症であり、その脅威はすぐ目の前まで迫っているという感覚を、私達はもっと持った方がよいと思う。
母は、倒れる一週間ほど前から、喉が痛かったり咳が出たりしていたらしいのだが、その段階で一度病院に行っていたら、こんな結果になっていなかったのではと思う。
風邪に似た症状が続いている段階で、コロナ感染の可能性を想定して、もう少し適切な行動が取れていたらと思う。
それをしなかったということは、母はやっぱり、ただのちょっとした風邪だと思いこんでいたのだろう。そして、同居していた父も、同様に軽く考えていたのだと思う。
「ただの風邪だからたいしたことない、しばらく安静にしていたらいつもどおりよくなるだろう」と思わせておいて、いきなり重症化するのが、このウィルスの本当に恐ろしいところだと思う。なんというか、人間心理の脆弱なところを巧みに突いてくるようなところがある。(このウィルスがもし人工的に作られたものだとしたら、それを設計したのは悪魔的に頭の切れる人物だと思う。)
なので、少しでも兆候があれば感染の可能性を疑い、適切な行動をとっていくべきだと思う。
もうすぐ母の日が来る。毎年、母の日には実家になにかしら贈り物を送っていたのだが、それも今年からはできなくなってしまった。
母が亡くなるまでは、時差出勤やリモートワークが推奨されたり、煩わしい飲み会が廃止されたりと、そのメリットにばかり目がいっていた。正直、コロナ以前よりも社会生活が楽になる部分が多いと感じていたのだが、母が亡くなってからはそんなことを微塵も感じなくなってしまった。そんなことはどうでもいいから、母を返して欲しい。
私にとって、コロナ後の世界とは、母のいない世界のことだったのだ。
そして母が亡くなった以上、もうコロナ以前の生活に戻ることは二度とできない。
今現在、幸運にも自分自身あるいは家族や友人など身近な人達をコロナで亡くした経験のない人は、今ならまだコロナ以前の世界に戻れる可能性がある。
であるなら、数年以内に世界中でコロナの封じ込めが成功するという可能性を信じて、そこへ向かって進んでいけるように、今一度、自分たちの意識や行動を見直して欲しいと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20190107214043
忘れないように書いておこうと思った。
褒められるような健康的な生活をしているわけでもないし、酒も飲むし、体重も結構あるし、
それでも、まさか自分がエコノミークラス症候群になるとは思ってもみなかった。
・気になる症状は時系列で控える
体調不良で1日自宅で寝込んだ後、突然左足ふくらはぎがパンパンに腫れる。
数十メートル歩くと足が攣ったようになり、歩行に支障が出るようになった。
この時点で整形外科を受診、原因わからず1週間様子を見るようにとのこと。
(先生曰く「血管なら太ももから腫れるはずだし、、様子を見ましょう」と)
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右足ふくらはぎと左足ふくらはぎの周囲長が7~8㎝も差がある状態で、
左足は引きずるように歩く有様。
再度整形外科を受診、状態を診た先生が「血管外科を受診してみてください」と。
教えていただいた血管外科クリニックに予約の電話を入れ、翌日伺うことに。
先生の診察で「死ぬところでしたね」とお言葉をいただき、すぐ血液検査と足のエコー検査を行う。
また、血栓が肺に移動してる可能性があるため救急外来に搬送するとのこと。
受け入れ先の病院に連絡を取ってもらう間(2時間程)ベッドで安静にするように指示がある。
救急外来に到着後、採血などを行い、足と胸のCTを撮る。CTも造影剤も初めての経験。
結果、肺に血栓が詰まっている状態が確認でき、肺塞栓症でそのまま入院となる。
治療計画書をもらうまでは軽く考えていたが、計画書の入院期間は2週間とのこと。
しばらくの間は点滴投与で、再度CTを撮り血栓の縮小が確認出来たら投薬に切り替え。
・昨年10月頃、仕事中に「階段を登る」「ちょっとした荷物を動かす」だけなのに、
多量の汗・激しい息切れが起きたことがあった。しばらくしたら治ったのであまり気にしなかった
・昨年後半、何もしてないのに左足膝裏が痛くなり整形外科を受診。この時も原因はわからず。
しばらくしたら痛みが治まった
・運動、日常生活中に左胸にチクチクとした痛みを感じることが稀にあった
今になって、肺塞栓症、深部静脈血栓症の症状を読んでいると、上にある症状がすべて当てはまる。
ただ、個々の症状だけだと気にしないでそのまま生活していたかもしれない。