「肺塞栓症」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 肺塞栓症とは

2022-08-02

anond:20220802141142

日本コロナからCOPD肺塞栓症候群)への対応がめちゃととのってる国なんだよ。

医療保険のことはいうにおよばず。

COPDを永らえさせるのは長期戦。

日本人のおじいさん、よくカートにのせたボンから鼻に入れた細い管で酸素吸って歩いてる人いる。たとえばそこそこ都会の大型ショッピングセンター車いすマーク駐車場で、車からよろよろ降りてくるのけっこう見るよ。アメリカはもうそこまでいったらすぐダメなんだろうな。肥満度も高いし。

知り合いはこれを20年やって健康保険年金もたくさんつかってるけどそろそろダメになってきた。

トイレ行くにも息切れするし無理して体うごかすと酸欠失禁しておしっこもらす。

そういうときのSO2はコロナぶっちぎりの65%だからコロナにかかったら即おわる。

ピリピリして家族もどこにもいけない。20年間ずっとだけど最近もっと迷惑かけてる。

ちなみに毎日奥さんに「なんでタバコなんか吸った」ってせめられてる時期あった。

寿命ではなくQOL人生品質)を高めるのならやっぱりタバコあかん

https://www.erca.go.jp/yobou/zensoku/copd/about/02.html

数字マジックに耽溺してドヤ顔するならこれくらい知ってろ

2021-05-04

母をコロナで亡くした(続き)

https://anond.hatelabo.jp/20210504174141

からの続き


2021/1/21(木)

病院からの連絡はない。

この間の感じでは、また近いうちに危機的な状態になりそうな気がするが、そうはならずにずっと持ちこたえているのだろうか。

酸素摂取状態とか、どんな感じなんだろうか。

元気だった頃の母の姿がふとした拍子に脳裏をよぎる。もう見れることはないのだが。


2021/1/22(金)

今日リモートワークの日。

2回目なのでだいぶ感じが掴めてきた。

家で仕事していて給料が入るって不思議な感じがする。

世間ではコロナ仕事がなくなって、路上生活に追い込まれている人もいるのに、こちらは仕事に追い込みまくられている日々。

ありがたいと思うべきなのかなんなのか。


2021/1/23(土)

コロナで時差出勤になって、リモートワークもできるようになって、勤め人としての生活はかなり楽になったけど、あまり嬉しくはない。

そんなものいらないから、母親を元気な体で返して欲しい。


2021/1/24(日)

いくら待っていても母は元気になることはないのがわかっているのに、一体私達は何を待ち続けているのか。

母を看取る瞬間を待ち続けている?きっとそうなんだろうけど、そうは思いたくない。


2021/1/25(月)

母に関する記憶を断片的に思い出すことが多い。厳しく怒られていたイメージが多くて苦笑してしまう。

でも、そんなふうに厳しく育てられてきたから、今の自分があるのだなと思って、また涙ぐんでしまう。


2021/1/26(火)

先週病院に行ってから一週間になる。母の様子がどうなっているのか気になる。

苦しい状態になっていなければよいのだが。


2021/1/27(水)

仕事には集中できているが、ふとした拍子に悲しみが押し寄せてきて涙が出てくる。

ずっとこの状態が続いている。


2021/1/28(木)

明日リモートだと思っていたのに、急遽出勤することになった。

ベース仕事が僅かだが残っていて、それが急に入るとリモートができなくなる。

そのうち改善されるだろうけど、今はそこに至る過渡期なのだろう。


2021/1/29(金)

から職場に行ったらほとんど出勤している人がいなかった。

この職場では、金曜日リモートデーになっているから、当然か。

これだったら、出勤しようがしまいが、どちらでもソーシャルディスタンスは取れているような気がする。


2021/1/31(日)

今日で1月も終わり。母はまだ頑張っている。倒れた日に、今日明日にも危ないと医者から言われていたことを思い出して、よくここまで頑張ってくれたと思う。

このまま意識が戻らないまま、徐々に弱っていくのを見守っていくことしかできないのが苦しい。受け入れるしかないけど、苦しい。


2021/2/1(月)

朝の7時半頃、そろそろ起きて出勤準備を始めようとしていた時に、姉から電話が来る。

母の脈拍が落ちてきていて危ない状態なので、すぐに病院にきて欲しいとのこと。

すぐに父・姉・私の3人で別々に病院に向かう。

病室に入ると、前回と雰囲気が違った。時々鳴っていた機器アラート音がずっと鳴りっぱなしで、モニタに表示されている数値も0になっていた。母の顔色も悪く、匂いちょっとしていたように思う。

呼吸を補助する器具が動く時だけ胸がわずかにふくらむ以外は、母の体に動きが全くなかった。

その状態で、3人で呼びかけたり手を握ったりしていると、母の左目から一筋の涙が出てくるのがわかった。

もしかして、みんなが来ていることがわかっているのかなと思った。

あれは何の涙だったんだろう?

最後のお別れの涙かもしれない。

時間ほどすると、担当医師が病室に来て、今の状態について説明を受けた。

今の母は、呼吸器がついていることで無理やり呼吸させている状態で、酸素の取り込みもほとんどできていなく、心臓もほぼ止まっているとのこと。

そして医師は、「呼吸器を停めます」と言って、傍らの機器操作した。そして母の胸に聴診器を当てて心音を聞き、止まっていることを確認した。次に、呼吸も止まっていることを確認し、最後ペンライトを取り出すと瞳孔の反射を確認して、脳機能も止まっていることを確認した。

それを持って、死亡状態であるということを告げられた。

その一連の流れを見ていて、人間状態って、どこまでが生でどこからが死なのかが、よくわからなくなった。

多分、このまま呼吸器を使って呼吸を続けることもできるんだろうけど、そうすることにあまり意味がないから、どこかで線引きして、ここからは死亡状態しますっていうことを医者が宣告するのだろう。

その後、看護師さんから葬儀の手配など、今後のことについての説明を受け、最後に死亡診断書を渡された。

診断書の死因欄を見ると、

1.脳無酸素

2.肺塞栓症

3.COVID-19

と書かれていた。

やはり、母の死因の大本コロナだというのが、医師の診断なのだ


============


ここまで、母が倒れてから亡くなるまでの経過を、自分日記から転載してきたが、この内容を踏まえた上で私がここで言いたいのは、以下のようなことだ。


・正直コロナをなめていた

母のことが起こるまでコロナのことを、どこか自分とは関係のない世界の話だと思っていた。

まさか家族感染するという形で、自分の身に降り掛かってくるとは夢にも思っていなかった。

自分のことについては感染対策に気を回していたが、両親のことまではあまり深く考えていなかった。

コロナは、誰でもかかりうる身近な感染症であり、その脅威はすぐ目の前まで迫っているという感覚を、私達はもっと持った方がよいと思う。


・もう少し、なにかできることがあったんじゃないか

母は、倒れる一週間ほど前から、喉が痛かったり咳が出たりしていたらしいのだが、その段階で一度病院に行っていたら、こんな結果になっていなかったのではと思う。

風邪に似た症状が続いている段階で、コロナ感染可能性を想定して、もう少し適切な行動が取れていたらと思う。

それをしなかったということは、母はやっぱり、ただのちょっとした風邪だと思いこんでいたのだろう。そして、同居していた父も、同様に軽く考えていたのだと思う。

「ただの風邪からたいしたことない、しばらく安静にしていたらいつもどおりよくなるだろう」と思わせておいて、いきなり重症化するのが、このウィルスの本当に恐ろしいところだと思う。なんというか、人間心理脆弱なところを巧みに突いてくるようなところがある。(このウィルスがもし人工的に作られたものだとしたら、それを設計したのは悪魔的に頭の切れる人物だと思う。)

なので、少しでも兆候があれば感染可能性を疑い、適切な行動をとっていくべきだと思う。


コロナ後の世界について

もうすぐ母の日が来る。毎年、母の日には実家になにかしら贈り物を送っていたのだが、それも今年からはできなくなってしまった。

母が亡くなるまでは、時差出勤やリモートワークが推奨されたり、煩わしい飲み会廃止されたりと、そのメリットにばかり目がいっていた。正直、コロナ以前よりも社会生活が楽になる部分が多いと感じていたのだが、母が亡くなってからはそんなことを微塵も感じなくなってしまった。そんなことはどうでもいいから、母を返して欲しい。

私にとって、コロナ後の世界とは、母のいない世界のことだったのだ。

そして母が亡くなった以上、もうコロナ以前の生活に戻ることは二度とできない。

現在幸運にも自分自身あるいは家族や友人など身近な人達コロナで亡くした経験のない人は、今ならまだコロナ以前の世界に戻れる可能性がある。

であるなら、数年以内に世界中でコロナの封じ込めが成功するという可能性を信じて、そこへ向かって進んでいけるように、今一度、自分たちの意識や行動を見直して欲しいと思う。

あなたや、あなたの大切な誰かが亡くなった後では、遅すぎるのだ。

2019-01-09

肺塞栓症(エコノミークラス症候群)で入院した

https://anond.hatelabo.jp/20190107214043

上記エントリをみて思うところあり

忘れないように書いておこうと思った。

褒められるような健康的な生活をしているわけでもないし、酒も飲むし、体重結構あるし、

それでも、まさか自分エコノミークラス症候群になるとは思ってもみなかった。

今回の教訓

生活改善運動食事、減酒)

複数医者にかかるのは大事

・気になる症状は時系列で控える

入院までの経緯

2018年12月中旬

体調不良で1日自宅で寝込んだ後、突然左足ふくらはぎパンパンに腫れる。

数十メートル歩くと足が攣ったようになり、歩行に支障が出るようになった。

この時点で整形外科受診、原因わからず1週間様子を見るようにとのこと。

先生曰く「血管なら太ももから腫れるはずだし、、様子を見ましょう」と)

----------

2018年12月下旬

右足ふくらはぎと左足ふくらはぎの周囲長が7~8㎝も差がある状態で、

左足は引きずるように歩く有様。

再度整形外科受診状態を診た先生が「血管外科受診してみてください」と。

教えていただいた血管外科クリニックに予約の電話を入れ、翌日伺うことに。

次の日の朝、会社遅刻する旨連絡を入れて血管外科受診

先生の診察で「死ぬところでしたね」とお言葉いただき、すぐ血液検査と足のエコー検査を行う。

エコー検査血液検査の結果、左足の深部静脈血栓症判断され

また、血栓が肺に移動してる可能性があるため救急外来搬送するとのこと。

受け入れ先の病院に連絡を取ってもらう間(2時間程)ベッドで安静にするように指示がある。

(動いて左足の血栓が肺に詰まると危険なので)

人生2度目の救急車で、総合病院へ。

救急外来に到着後、採血などを行い、足と胸のCTを撮る。CT造影剤も初めての経験

結果、肺に血栓が詰まっている状態確認でき、肺塞栓症でそのまま入院となる。

入院期間、治療

治療計画書をもらうまでは軽く考えていたが、計画書の入院期間は2週間とのこと。

年末年始病院で過ごすことが確定する。

治療は坑凝固薬で血栓を小さくしていく。

しばらくの間は点滴投与で、再度CTを撮り血栓の縮小が確認出来たら投薬に切り替え。

自覚症状、思い当たる

・昨年10月頃、仕事中に「階段を登る」「ちょっとした荷物を動かす」だけなのに、

 多量の汗・激しい息切れが起きたことがあった。しばらくしたら治ったのであまり気にしなかった

・昨年後半、何もしてないのに左足膝裏が痛くなり整形外科受診。この時も原因はわからず。

 しばらくしたら痛みが治まった

運動日常生活中に左胸にチクチクとした痛みを感じることが稀にあった

今になって、肺塞栓症深部静脈血栓症の症状を読んでいると、上にある症状がすべて当てはまる。

ただ、個々の症状だけだと気にしないでそのまま生活していたかもしれない。

その他

・生きていることに感謝(急性肺塞栓症の死亡率は約3割)

・左足がパンパンに腫れてくれたことに感謝深部静脈血栓症の8割が無症状らしい)

整形外科、血管外科入院先の主治医看護師の皆様に感謝

家族感謝会社感謝

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん