はてなキーワード: 花火大会とは
この花火を見るのは3回目だけど
こんな珍しい花火大会も少ないのでは?
普通花火大会と言えば河原や池や湖や海や大きな公園でやる事が多いが
しかも街のど真ん中だから、チケットを買わずにまともに見ることができない
野球のついで?に花火が上がることがあるが、基本あれの豪華版だから、考えてみたら当たり前だ
だけどいつでも球場の周りに人はごった返す
これも珍しいけど、歩行者天国ではない
何か警察が道を開けているけど、あれは救急車用で、徒歩は満員電車のような道を通っていかなければならな無い
つまりチケット買えということだ(でもチケット数も限界があるよね)
確か観客数は90万人と言う噂だけど本当だろうか??
だからといって忙しくないのに忙しいふりをしても、よっぽどウソつくのうまくないとバレる。
そこで本当に忙しくなってしまえ、というのが、この理論のポイントだ。
まだそこまで試していないので、半年以上検証してから真価は見極めたいが、今のところ下振れて連絡途絶えまくっている。
上振れてる間は良いのだけど、下振れると自信なくすわ。それでも続けないと意味ないから続けるけど。
忙しさで見ないようにしてきた事実だが、花火大会とか行きたくて6月からやってきたのに、そんなの無理め。
2ヶ月程度じゃあかんかった。
空を見上げるということをしなくなった。
いつも変わらずそこにあるのに、建物の隙間から見えるそれはさして印象にも残らず、
うだるような暑さの中で、いつも下ばかりを向いて歩いている。
ほんの10年ちょっと前までは、夏場と言えばイベントばかりで、
今となってはあんなに長い休みをどうして過ごしていたのかも思い出せない。
今となってはすべてが淡い思い出で、ぼんやりと靄がかかったような感じがする。
うだるように暑い夏の午後、
クーラーもかけずに蒸し風呂のようなワンルームのベランダから見上げた空は、
とても高く、青く澄み渡り、真っ白な雲は絶えず形を変えていた。
僕たちは変わらないと思っていた。
まだ、何者にもなれると思っていた。
衰えを感じる日が来るなんて思いもよらなかった。
かつては友人みんなやっていたSNSも、
今年の夏は、久しぶりに当時住んでいた街に行こうと思う。
あの日見上げた空に浮かんでいた雲を探しに。
有料席のチケットを買って花火大会を見に行こうという話があったのだが、まだ夏の予定が分からなかったので手を挙げそびれた。
そして本番が近づいてきて、今さら申し込まなかったことを後悔している。予定はないので、一人で有料席の近くに場所取りをして見るか、いっそ対岸から見るか、それとも別の花火大会に行くか悩む。写真を撮るのが目的なので、一人でもそんなに退屈しないはずなんだけど、やっぱり痛いヤツになってしまうだろうか。平日開催でかつ我が家から比較的近いところでやる花火大会も予定されているので、そっちに行く方がましかな。
こうやって仲間外れみたいになると自業自得でも悲しいんだが、暑くて人混みのすごいところに行くと疲れて人と会話するのも面倒になってしまうので難しいところだ。仮に皆と一緒に有料券を手に入れたとしても、黙々と写真を撮って、疲労感満載でろくに口もきかずに帰ることになってしまいそうな気がする。
何か人並み外れて生理的欲求に弱いんだよな。暑い中で歩き回れば不機嫌になり、トイレに行きたくなればたとえ周りの人を待たせることになっても我慢せずに行く(いちおうトイレのありそうな場所にたどり着いてから言うけど)。
そしてレジャーや旅行の帰りに車や電車に乗るとだいたい爆睡である。無理にトイレを我慢して粗相する方が怖いし、疲れて眠いときに寝るなと言われても無理。だから車の運転は知人・友人ではなくて高速バスとか旅行会社の運転手とかの方が気楽でよい。
茹だるような暑さ、積乱雲、夕焼け、屋台の熱気、盆踊り、始まりと終わりの境が判然としない花火大会。
金魚みたいにカラフルな帯をしめた浴衣姿の子を連れた女性。彼女を連れているのが、同級生であることに気づく。
突き刺すような太陽光と入れ替わりに辺りを包んだ優しい闇に誘われ、祭り気分を味わいたい人々が続々と戸外へ繰り出す。ワンマイルウェアに身を包んだ老若男女、体操服で屋台に繰り出す中学生、社命で祭りに参加した地元企業の若手社員、支持基盤のイベントは全通を旨としているのであろう市議会議員。この町のどこにこれほどの人が潜んでいたのかと驚く。
完璧。夏が始まる前から求めて止まなかったのだ。この空気感を。
あとは焼きそばだけがあればいい。夏祭りを完結させよう。地元有志が出す屋台を覗く。
ない。
枝豆、りんご飴、フライドポテトに金魚すくい、フランクフルト、ビールに白玉団子に鮎の塩焼きまであって、焼きそばがない。全ての臓器がレッドカーペットを敷いて焼きそばを迎え入れる準備を整えているのに肝心の焼きそばだけがそこにいない。もう麺ならなんでもいい。浮気を決意し、近所のラーメン屋に片っ端から電話をかけた。「貸切」「売り切れ」「食べ物がほとんどない」時刻は20時。丸見えの繁忙期を前に、どんな作戦立てて戦に臨んだらそうなるんだ。実家まで徒歩20分の距離でこんなにひもじい思いをする日が来るとは思わなかった。朝からパフェとクッキーしか食べていない上に、夕方炎天下で全力ダッシュをした後の空腹感はもう無視できない。
浮気心を捨て冷静になった頭で今夜やきそばにありつく方法を再考する。近くにコンビニがある。コンビニにはカップ焼きそばがある。見えた。願わくばゆっくり食べられる場所が欲しい。悩む我々の隣をその辺に住む知り合いが通りがかった。彼を逃す手はない。挨拶もそこそこに、「あなたの家で今からカップ焼きそばを作らせてほしい。」と頼み込んだ。暑さで頭がおかしくなった人みたいな頼みを彼は快諾してくれた。神だ。もしくは頭が暑さでやられていたのかもしれない。
神に供える焼きそばも買い込み、意気揚々と神の家へ上がりこむ。カップ焼きそば用のお湯を沸かす間に神は飢えた人間に食べ物を振舞ってくれた。
神の生活水準は高かった。
無添加の佃煮、火照った体に心地よい喉ごしのもずく酢、余りものだという炊き込みおこわのおにぎりを手際よく並べ、産直で見たことがある体に良さそうなお茶を人数分のグラスに注ぎ、遠慮せずに食べなさいと言った。歪だけどハリがあって味が濃そうなトマトを切る係を仰せつかった私は、嘘みたいに切れ味の良い包丁でトマトを切り分け、作家ものの器に不恰好に盛り付けた。この空間にカップ焼きそばを持ち込んで本当にごめんなさいとみんなで神に謝罪した。いいよいいよと神はわらった。
恥と共に飲み込んだカップ焼きそばは相変わらず駄菓子みたいでおいしかった。神に会う前だったら食事としておいしいと感じただろう。夏は人を少し大人に変えるな。と感傷に浸っていたら、神から「人生はあっという間だから、毎日ちゃんと生きなさい。」という言葉を頂いた。神は手厳しくて優しい。
理系に6年間いたが、恋人がいないことで悩んでいる男子大学生が意外と多いことを俺は知っている。
ここに書いて有ることをやればまず彼女はできる。めんどくさい筋トレも、恋愛工学(?)のモテ本も、出会い系アプリも、訳わからんナンパもいらない。
これから書くことを上から順にやっていくだけでよい。半年くらいあれば彼女ができる。
・髪を切る。ただ行く店に注意しないといけない。男性向け美容院のチェーン店に行くのがベスト。オーダーは「マッシュにしてください。」これだけで良い。意味が分かる必要はない。
・服を買う。wearというサイトの一番人気を真似しておけば良い。「服屋に行く服がない」とよく言うが、今は大半の服はネット通販で買える。ここが一番カネがかかるポイント。
・目が悪い人はメガネをやめる。コンタクトにする。眼科に行って、「コンタクトにしたいんですけど。。。」といえばあとは全部やってくれる。
・サークルに入るかバイトをやる。なんのサークルでも良いが、オタサーはだめ。中高と部活をやっていればそれの続きで良いし、何もやってなかったら取り敢えずテニサーでよい。
・「付き合ってもいいかな」レベルの「後輩」のラインを聞く。ここが最も難しいポイントだが、上に書いてること全部やってたらよっぽど顔面崩壊してる人以外なら多分大丈夫。もし断られたら多分望むレベルが高いと思う。明るい子でも暗い子でも良いが、あんまり友達が多くない子のほうがいいと思う。
・ラインを聞けたらもう50%程は終わってる。だが間違ってもいきなりデートに誘うのではなく、同じサークル・バイトの男と飯食ってるときの写真とか、そういうのを送って自然と会話につなげる。
・最初のデートは飯に行く。飯だけ。1時間で終了するくらいの方が良い。いきなり高いレストラン行かなくて良い。向こうの好きな飯を聞いて、一緒に食べに行って、駅まで送って終了でよい。
・二回目のデートは水族館に行く。3時間くらいウロウロしたら飯食いに行く。そのまま駅まで送って解散。
・三回目のデートで告白する。夏なら花火大会に連れて行く。冬ならクリスマスの街をぶらぶらする。駅まで送って、帰り際に「付き合ってほしい」といえば100%大丈夫。というか、3回も遊びに付き合ってくれてる時点でもうカタはついている。
なんで後輩狙いなのかと言うと、こっちのほうが成功しやすいから。
また、飯も全部おごってあげよう。先輩とか同期だと、ちょっと奢りにくいけど後輩なら奢りやすい。
この ご飯→水族館→花火大会orクリスマス は本当に黄金ルート。失敗したことがない。
これはあくまで今まで誰とも付き合ったことのない男子大学生向けに書いている。あくまで「付き合う」のがゴールであってこのあとにあるセックスまでたどり着けるかは君次第。
ただ付き合ったからと言って人生が薔薇色になるわけではない。女というものがどれだけ面倒くさいか、また信用のおけないものかひしひしと味わうことができる。
現代日本で「誰とも付き合ったことありません」なんて言ったら、完全に異常者扱いされてしまう。
https://anond.hatelabo.jp/20190710013156
>なんで、インタビュー形式なの?AVとか「ロキノン」好き?あと、文章が妙に読みやすいけど、もしかしてライター目指してた?
文章をお褒めいただき、ありがとうございます。いわゆるFAQというかQ&A形式だと、自分は説明書とかでも理解し易い性格ですので、それを真似てみました。
たしかに20代の頃には、ライター業も就職候補として狙っていましたが、上京するタイミングを逸した頃と前後してバブルが崩壊し、そこからフリーター生活に突入したという、気持ちだけは若いおっさんというか中年なのです。なので、『30/35歳まで』の応募年齢制限に、涙を飲んだ日々…。あ、音楽雑誌はさほど熱心には読みませんし、AVも借りた事は無いです。
>同僚とか、学歴低そう…。あと、タバコ臭い職種なのが分かってたら、コネでも断れたのでは
あまり突っ込んで訊いた事はありませんでしたが、隊員のけっこうな数が高校や工業高校卒らしく、ただ数人は大卒でした(自分は大学中退)。とは言っても、年齢層としては50-70代が多くて、かつこの世代は喫煙者である事は珍しくないので、ちょっと休憩時間があればすぐタバコを吸いに行く人が半数ほどだった印象が。また、タバコの吸い殻のポイ捨てをする隊員は、残念ながら当たり前のように居たし、そういった『タバコのあと始末』がダメな隊員は、概して人当たりもダメでしたね。
>『片側交互通行』がこなせないんなら、警備の仕事を続けるのはさすがに無理だろ。もしくは、施設警備専業の所へ移ったら?
自分も「このザマじゃ、長続きはしないな…」、とは感じていました。『片交』(と略す)は、瞬時の反応ができるかできないかがカギなので、下手すればクルマに轢かれて死ぬよね、と。あと、自分の居た事務所は基本的に2号業務(交通誘導)業務がメインで、1号業務(施設・雑踏)はあくまでオマケ扱いでした(ALSOKやCSPや東洋テックなどの大手は、資金的にも余裕があるため設備投資が可能な1号業務が多い)。なお、自動車専用道での片交や車線規制での悩みは、食事休憩もだけど、トイレが近場に無い事。
>ドライバーの罵声はクソだが、いっぽうで近所の人は優しい印象がある
それはあります。工事現場でのダンプ運転手の3割近くや、車線規制の際の一般ドライバーの2-3%は気が荒い印象でした。また、自分は年齢よりやや若く見られる顔つきのせいか、施設警備のうち総合病院の玄関や駐車場では、特に中高年の女性からよく、気遣いの挨拶をされていました。
ただ、先述の社長も「うちらは、みんながスムーズに運ぶように『お願い』するしかない仕事」と述べていたように、警備員の行動には『法的な強制力』が無いため、あくまで『協力を求める』姿勢が大切。なので、本質的には『接客業』でもあります。(という事はつまり、『客からの理不尽な反応』を受けやすい職業でもある…)
>でもしょせんは、『旗振り』でしょ。あっても無くても大差ない、意味も無さそうな仕事では?
路面工事・道路設備の点検・車両が出入りする工事現場では、歩行者や車両へ注意を促すための『専従の誘導員』を置く事が、法律で義務付けられてますので。
あと、未経験者が警備員になる際に受講が義務づけられている『新任教育』の際には、混雑時の群衆誘導や予測を誤った事で死者が出た典型例として、『明石花火大会歩道橋事故』を学びます。1平方mあたり約3.5人を超えると、自分の意志では身動きができなくなり危険なので、そうなる前に入場規制を行うのは催事会場や周辺での基本。
小さい頃、母と母の当時の彼氏(A)と三人で花火大会に行ったことがあった。
当時加護ちゃんが好きだった私は雑誌の付録のミニモニのボディシールを自信満々に腕に貼って行ったが、それを見たAは大声で「だっせえ〜」を連呼。
それまで何も言わなかった母も「それはダサいよ」とAに同調した。
悲しかった。
Aはその後花火が上がるたびにブラボーと叫んでは大きな拍手をした。うるさい人が苦手だったのでその場から立ち去りたくてたまらなかった。
別の日、母にAと焼肉に行くよと言われ「焼肉なら」と付いていったが、なんと店先には「もつ鍋」と大きく書いてある提灯が下がっていた。
もつが食べられなかった私は「聞いてた話と違う、絶対に嫌だ!」と拒否する。
母も「そうだね、せっかく来たのに」
何も食べずに帰ることになった。
その後は(覚えてないだけかもしれないけど)Aとは二度と会わなかった。
知らないうちに別れたらしい。
マジで些細で大したことない話だけど、ふとした時に思い出してもやもやしてしまうのは母がそんな意味のわからない男から娘の私をかばってくれなかったことに対して悲しかったからだろうな。
お母さんは遅くまで働いてたから保育園のお迎えはいつも一番最後だった。小学校に入ると祖母の飲食店に預けられ、深夜に母が仕事を終えてくたくたな時に迎えに来てもらっていた。
水曜日が母の休みの日だったので毎週楽しみで仕方なくて、その日は友達遊ぶ約束をしないようにしていた。
わたしがずっと欲しいって言っていたぬいぐるみをサプライズでくれたり、ぬいぐるみで一緒に踊ったりもした。
そして毎日お弁当作ってくれて、私の予備校も受験も受け入れて応援してくれたお母さん。
仕事と子育てで忙しい中出来た彼氏で、言えなかったんだろうな。てか私もダサかったし、駄々こねて鬱陶しかったよね。ごめんなさい。
ただAが今でも嫌いってだけです。
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。
おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロックの役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。
統一教会よりマシか?
社会人5人にきいたら2人くらいは社名を知っているような、社員1000人規模(多分)の中堅会社に勤めてる。
俺は転職組で、福利厚生の良さと企業の安定性(市場占有率など)を見て今の会社に来たんだけど、派閥争いと擦り寄りが多くて気持ち悪いなあと思ったことがあったから書き留めておく。
役員側は善意でやってるんだろうけど、「新卒歓迎会」の名のもと、役員自宅でのホームパーティーが催される。自宅だぞ、自宅。会社近くの居酒屋で飲み会じゃなくて、自宅でホームパーティー。しかもこの役員にはいわゆる喜び組みたいな奴らがいて、そいつらも手伝いの名のもとに参加。別の役員は、都内の大きい花火大会が自宅マンションからよく見えるっていことで、こっちも花火大会当日ホームパーティー。こっちも奥様お手製の料理が並ぶ。弊社、派閥争いがあるからどの役員のホームパーティーに行くかとかもすごい気を遣うだろうし、そもそも休日に役員の顔なんか見たくないだろ。一応「自由参加」らしいけど、facebook見る限り遠方からも参加している新卒もいる。心底同情する。まあそこの派閥に染まると決めて擦り寄っておけば、確かにその先は楽なんだろうけど、技術者なんだから会社に依存してないで技術磨いて会社に依存させろよ、としか思わない。マネージャーになりたいのなら別だろうけど、擦り寄ってる奴を見ている限り、単純に気圧されている感じしかしない。奴らはテイカーだぞ、としか。とにかく傍から見て気持ち悪い。
障がい者雇用促進法だかなんだかの観点から、弊社にも軽度の知的障がい者が働いてる。難しい仕事じゃなくて、掃除とか、コピー機の紙の補充とか、届いた荷物を別のフロアから持ってくるとか、逆に届けるとか、そういう作業がその人の仕事。上手く仕事をしてくれているんだけど、こいつがセクハラをかます。若い女性社員をトイレまで追いかけたり、ウォーターサーバーでお茶を作っている女性社員の真横ででかい声で話したり。これ、男性社員にはやらない。見ているこっちも「いや、それは…」と思うレベルなんだけど、これ、問題が顕在化しない。チームの子に「大丈夫?」と聞いたら「前に人事に相談したんですけど相手にしてもらえなくて」。いやいや、ハラスメントだろ。ど思って、人事の人と飯食う時にちょっと話題を振ったら「あの人にいてもらわないと困るんだよね。身体障がい者の人を雇うと、会社のハード面での配慮が必要だし、精神的な方の障がい者だと、能力的に問題なくてもいつ休むかわかんないし。使いやすいんだよ」「え、でもあれ、セクハラじゃない?」と言えば「まあほら、あの人構われたがりだから、そう見えるかもね」。いやいやいや、女性社員からもう声が上がってるだろ。……でもこいつも、喜び組の一人。言うだけ無駄か、と思ってそういう場面を見かけたらそっと間に入るようにしてる。
◆そして事件は起こった。
A部署の社員BがC部署との共同プロジェクトで、B部署の社員から嫌がらせを受けている、と。内密に相談があった。俺はA部署。聞く限り確かに理不尽。とはいえこのBという社員も性格に難ありだから、片方だけの話を聞いてもな…と思ってその場はとりあえず宥めて終わった。俺はこいつの上司ではない。だから、上司に相談したの?と聞いたら
「相談した結果、C部署の主犯らしき人(裏がとれてない)といきなり二人きりのミーティングをセットされました。まずは事実関係の調査から依頼したのに「話せばわかる」とか言われて」
おっと…。そうだった、うちの上司人の心を理解しない人だった…。
「じゃあ人事に相談は?」
「はい、その後人事に相談したんですけど、上司の息がかかってしまっていたようで、同じ対応をされることになって。もう嫌なので会社やめます」
おっと…。長い物には巻かれるタイプの管理部だったか、この会社。
ここまでで書いていた喜び組がいる役員はC部署の人。そして人事部もC部署寄り。次の社長は多分C部署の例の役員だろうから下手なことはできないんだろう。うちの上司がクソなのはもちろんだけど、対C部署の案件は分が悪い。実際業務を円滑に行うにしても、根回しがすごい必要で面倒。そして今回の事件。B社員にも悪いところはあるとはいえ、打撃がこっちにしかないのはいかがなものか。そしてB社員曰く主犯である人は、社員総会で何かの発表をしていた(つまり部署をあげて応援しているということ)。しかしまあ、発表内容がブラック企業に居た頃の根性論みたいなもので、モノヅクリをしている弊社でよくこんな事言えるよな、と。A部署だけでなく、C部署の社員も、他部署の社員も失笑。でも本人はドヤ顔。B社員はといえば体調を崩して休みを取ってる。
福利厚生は良いんだよ、この会社。腰掛け社員でいたかったけど、いろいろ面倒なことが目の前に迫ってきてて。転職も面倒だし、どうしたもんかな。
日本で起きた殺人事件について芋づる式にネットサーフィンしていると、5年前の不幸な事件に辿り着いた。花火大会から帰る途中だった女子中学生が見ず知らずの男子高校生に襲われ、殺害された事件。この事件を特異にしているのが、加害者の男子高校生がTwitterをやっており犯行後もツイートし続けていたという点だ。
5年前、犯行数日後のツイートがネットで拡散され、偶然ながらそれを目にしたことがある。凶悪な犯罪が近所で発生したことに加害者が恐怖を感じているという内容だった。事件を起こしたのは他ならぬお前じゃないか。そう思ったが、野次馬精神は特に働かず、それ以上掘り下げることは無かった。
今になって事件の詳細について知ると、彼は普段Twitterにどのような呟きを載せていたのか気になってしまった。とても褒められた行為ではないと自覚しながら、5年経った今もインターネットに取り残されている彼のツイートを辿ってみることにした。
犯行の半年ほど前から彼のツイートは始まる。最初は趣味の野球関連の内容が中心で、高校の同級生と思しき人のアカウント宛にリプライを送ることも多かった。ごく普通の男子高校生のTwitterアカウント。
急展開を見せるのは事件から数日後。近所で発生した殺人事件に関するツイートが増えた。事件について知人とリプライを交わし、家に警察官やマスコミが来たことを呟く。自分が殺人事件の犯人であることが露呈しつつあることに焦りを感じ、不安を静めるためツイートの数が一時的に増えたのかもしれない。
事件からしばらく経った後は野球関連のツイートはほとんど無くなり、知人とのやり取りや、車関連のアカウントやパクツイbotをリツイートするのが中心となっていく。そして高校卒業から間もない頃に彼は逮捕され、ツイートは途切れたままだ。
事件発生から間もない一時期を除いて、彼のTwitter上での振る舞いは日常そのものだった。捜査の手が及ばないと感じるようになり、平常心を取り戻していったのだろうか。逮捕前までは直接の知り合いが大半だったフォロワーに向けて、犯罪者ではないことを示すせめてものアピールだったのだろうか。
罪を犯してから逮捕されるまでの日々を、彼はどんな心境で過ごしていたのだろう。
19歳、浪人中の夏だった。
僕は幼い頃から空気が読めず、からかわれてばかりいた。今なら発達障害と診断がおりるかもしれない。
ヤンキーだらけの中学校で、教室の隅に転がるゴミみたいな扱いを受けながらも、成績だけは良かったことが僕の唯一の拠り所だった。だが、進学校に入学して地頭がいい連中の中に入れば、真面目さだけが取り柄の僕では敵わない。
早々と童貞を捨てたようなコミュ強や、高3の夏まで部活に打ち込んでいたクラスメイトが現役でMARCH以上に合格する中、僕の浪人が決まった。プライドばかり高い僕は、当時の2ちゃんの学歴板に毒されていたこともあって、人生に負けたと思い込んだ。
ショックを引きずったまま入った予備校では、声の大きい派手なグループが幅をきかせ、友達はできなかった。
春が過ぎ夏になっても、模試の判定は良くならない。家と予備校を往復するだけの毎日だが、世間の楽しそうな人たちが目に入らずにすむからその方が気楽だった。
通っていた予備校は駅と花火大会の会場の真ん中にあった。予備校の建物から出ると、狭い歩道は浴衣姿のカップルだらけ。露店も出ていて呼び込みの声も騒がしい。押し分けても押し分けてもはしゃいだ様子のカップルが押し寄せてきて、まったく駅に近づかない。肩がぶつかった強面の男に舌打ちされた。
惨めだった。毎日楽しいこともなく、女の裸なんてディスプレイ越しにしか見たことのない僕が、なぜこいつらに遠慮しなければならないんだ。刃物だと一人か二人しか殺せないから、マシンガンがいい。高いところから会場を埋め尽くしたカップルを打ちまくり血の海にできたらどれだけ爽快だろう。自分より幸せそうな人を殺す想像に、罪悪感はなかった。
今思えばまだ19歳。未来に絶望する歳じゃないし、花火大会なんてたった1日のことだ。でもそう思う余裕がなかった。
想像だけで済んだのは、ただただ親に恵まれていたからだと思う。浪人を快く認めてくれ、予備校から帰る時刻になると母は夕食のメニューをメールで教えてくれた。雑談をしながら家族で囲む食事が、心の支えだった。
その後、第一志望には落ち、格下だと思っていた大学に入学した。そこで気の合う友達に出会えた。卒業後、合った仕事に就くこともできた。だから当時の鬱屈はすっかり記憶の隅に追いやっていたが、川崎の事件でふと思い出した。
もしも親ガチャで爆死していたら、大学でも孤立していたら、仕事が見つからなかったら、犯人は僕だったかもしれない。そして、この先も人生に絶望するようなことがあれば、また僕はマシンガンを求めてしまうかもしれない。