はてなキーワード: 立方体とは
3位 初代プレステ
灰色のボディがいい。
10台くらいまとめて積み上げておくと、「これ、当時定価で買ったら何十万したんだろ」とか思って贅沢な気分を味わえる。
2位 ゲームキューブ
洗練された立方体のフォルム。そのシンプルなつくりはインテリアとして2,3台部屋に飾っておいても違和感がない。
様々な色を選べるので、お部屋にあったものを飾ろう。
単体では不可。上にファミコンを載せることで、最強にカッコいいマシンとなる。
今後、こいつを上回るカッコよさのゲーム機は登場しないだろう。まさに、名器と呼ぶにふさわしい。
とりあえず3つに絞ったが、まだまだカッコいいゲーム機はたくさんある。
PCエンジンやメガCDも捨てがたいし、MSXなんかもカッコいいやつがあったりする。
月面基地の発展に伴い、基地内の収納能力に限界を感じ始めた頃、新たな実験がスタートした。
地下に建設された月面基地の内部ではなく、月面で物資の保管を行うのだ。
核燃料や脱水汚泥などの身近に置いておきたくないものから、酸素ボンベや保存食品類、各種建材などのすぐには必要ないもの等、リストには無数の品目が並んだ。
月面に物資を保管する上で考慮しなければならない問題が数点。特に大きな問題点は以下の三点である。
・数百度にわたる温度差
・流星直撃
これらを避けるために月面基地の大半は地中に建設されているのであり、さすがに野面で月面に物品をさらすわけにはいかない。
アイデアとして、まずは半地下を掘削し、コンクリート製の屋根を渡した『バンカー』が考案された。
しかし、月面の砂質を考慮すると、掘削に手間がかかり、またコンクリートの作成にも様々な困難が発生するため計画は頓挫した。
この時点で研究会は可能性としては無視できる程度に低いとして、流星直撃に対する対策は一時放棄された。
次ぎに、物品をそのまま土のうで埋めてしまうというアイデアが採用され、これは実験も成された。
そのまま、月の昼を経過して、夜になったら掘り返す。
結果、十分に厚みを持たせた土のう層は温度の変化を最小限にし、十分に実用に耐える事が判明した。
保存のために確保できる空間が労力の割に極端に狭いのだ。
埋め込み、掘り出しに膨大な人手間が必要となり、比較的搬入、搬出が頻繁な物品には向かないことが解った。
やはり倉庫型の建築が必須であった。ともかく直射日光さえ防げれば物品の劣化は防げるのだ。
荷重は地球の1/6、それに木造建築の最大の敵である腐朽菌も白アリも、月面には存在しない。
火災さえも極端に低い酸素濃度のせいで発生しない。月面では木造のメリットがあった。
同時に原材料の地球からの輸送というデメリットもあるが、それは現状全ての物資に言えることである。
早速、地球から取り寄せられたプレカット角材が月面に組み立てられた。
レゴリスに建つ立方体の骨組みはいささか滑稽ではあったが、歴史的瞬間には違いない。
倉庫と言うことさえはばかられるような貧相な構造物を多くの研究者が見物した。
合板などは接着剤にどのような変化が生じるか、研究が必要なので初回は無垢材だ。
ちなみに、雨も風も考慮しないため、当初は水平に屋根を設置するとの意見も出たが、空中に巻き上げられたレゴリスが日々降下しているため、屋根にある程度の傾斜を付けることとした。
側壁にいたって、三方に腰板を設置し、届いた木材を使い果たした。
早速、お調子者の研究者が、「サムライハウス」などと落書きを加えたが、東屋は一昼夜の後に解体され、材料は徹底的に切り刻まれて研究に回された。
熱伝導の低い木材は、高熱の直射日光を浴びて表面を炭化させながらも、内部は生木の状態をたもち、倉庫として要求される強度を十分に発揮することが証明された。
(後に、月面基地で生産可能な石膏ボードを利用した倉庫建築技術が考案され、木造建築の研究はたった一度の建築実験のみで中止されたが、月面基地開発初期のロマン主義的な代名詞として木造建築実験は長く語り継がれることになる)
みんなが、おれのことを「葱だ」「葱だ」と言うので、おれはどうやら葱らしかった。
自覚は無かった。
物心ついた頃には、細身のママさんとか、無口な豆腐とか、軟派な蜂蜜とか、かわいい林檎とかがいて、そいつらの中で俺は一番ママさんに近い存在だと常々思っていたので、深夜の集会でそう言われた時はなかなかのショックだった。
いつかはおれも洗濯したり客と洋酒を飲んだりパチスロで勝ったりできると思っていたのに。
翌日、洗濯物を干し終わったママさんに「おれはママさんとは違うのですか」と勇気を出して訊いてみた。
「うーん、そうね。あなたは葱だし」
「葱はパチスロできませんか」
「できないわね。あなたは鍋に入ったり、豆腐にかけられたりするのよ」
豆腐か…。あいつは正直恐い。いつも黙ってて何を考えているか分からないし。どうせかかるなら…
「林檎にはかかりませんかおれは」
「それはないよ」
「鍋に林檎は」
「もっと無理」
「じゃあ逆に林檎がおれにかかりませんか」
「林檎が好きなの?」
「そ、そそそんな、そんなわけあるわけななないじゃないっすか」
おれはその夜住処を抜け出した。葱を辞め、蜂蜜になるために。
しばらく進むと、目の前にバカでかい犬が現れた。ママさんの飼っているケビンだ。こいつは見境無くなんでも食べる。マズい。案の定ケビンは俺を見た途端大きな口を開けた。
もうだめだと思った時、おれの前にたくましい純白の立方体が立ちはだかった。豆腐だ。
ケビンは豆腐の端っこを食べ、その曖昧な味に首をかしげている。犬なりに食の奥深さを噛み締めているようだ。
「さあ葱!今のうちに逃げるんだ!」欠けた身体で、豆腐はおれを引っ張っていく。「…そっと出て行く君を見て胸騒ぎがしたんだ。間に合ってよかった」
豆腐の意外な一面を見た。おれはその優しさにキュンてなった。やばい。豆腐好きかも。
次の日、林檎がデザートになった。蜂蜜のやつがニヤニヤしながら一緒に行った。
灰色の砕石と安全柵に囲まれたアイボリーの立方体「キュービクル式高圧受電設備」
金網の内側にもたれて待っていた姫カットのお嬢様はおもてを上げた。
「待ちくたびれましたよ。おかげでオリンピックを作ってしまいました」
「オリンピックを作る?」
姫カットのお嬢様は青・黄・黒・緑・赤、五色のインシュロックをW字型に結びつけたものを示した。
「……深遠なセンスをなされているんですね」
「お褒めにあずかり光栄至極」
おさげのお嬢様は溜息を深呼吸につなげて止め、サンダーのスイッチを入れた。
金の卵をこしだめに構えて、まっすぐ進む姿はさながら古代の丸ノコ鮫ヘリコプリオン。
渦を巻く歯に噛まれたら、ただではすまない。
機械の牙を突きつけられた姫カットお嬢様は遠慮なく金網を盾にした。
もろちん金卵で切り裂きに掛かるが、インシュロックを指に挟んだ手はそこを上から狙う。
あわただしい攻防は、おさげお嬢様が予備の金の卵を手裏剣にしたことで均衡が崩れる。
「それ、何枚もっているんですか!?」
サンダーだけにサンダーが落ちるに等しい事故が起きない算段が必要だ。
姫カットお嬢様は新手を投入する。それはインシュロックを数珠繋ぎにして作った、七夕飾りによくある奴(輪飾り)だ。
「るろっ!」
顔に迫る鞭は切断されたが、反対側の腕も別の鞭を繰り出していた。
「うにっ!?」
紙一重でかわせそうな一撃は、眼前で伸びてサンダーを持つ手にヒットする。
そいつは黒と白のインシュロックで作られた遠近を狂わすしましまの鞭だった。
痛みよりも見えるものが当たった驚きに思わず取り落としたサンダーが即座に蹴り飛ばされる。
だが、あきらめの悪いおさげのお嬢様は腰の後ろから二つのインパクトドライバを抜いた。
「何ですってっ!?」
突き出されたドリルとホールソーが、すんでのところで下から五色に跳ね上げられた!
姫カットお嬢様は相手の腕をひねり上げながら、鋭く低い足払いを繰り出した。回転体使いは地面に叩きつけられる。
「……降参です。あと、武器を奪っていいのは本当に公式のルールですからね?」
委員長っぽい娘に言われると、そんな気もしてくる。
最初からインシュロック以外を使う気のなかった姫カットお嬢様は失念していた。
彼女は、卑怯と思ったおわびに、おさげを結びなおしてあげた、インシュロックで。
そして、サンダーを蹴ったときに靴紐が切れていたので、インシュロックを代わりにした。
彼女の小指の赤いインシュロックに繋がった未来の旦那様は誰だ。
残り3人!
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160412123242
次回
コウモリって超音波で周囲の状況を把握しているっていうけどさ、どんなにコウモリという物質を分析したって、コウモリが超音波をどのように感じているかっていうのは、人間には実感できないじゃん? そういう物質的には分からない感覚ってやっぱり存在するんじゃん? それがクオリアなんじゃん?
「ライオンは言語を話せないのではなく、まさしく話さないのだ(L.ヴィトゲンシュタイン)」…コウモリの感覚を「感じる」ことができない、という問題ではなく、そもそも他の人間であっても、その人がどのように「感じているか」を「実感」してると考えているとしたら、それは間違いで、それは単に勝手に自分が理解できる何かに置き換えて(翻訳して)いるだけのことだ。
人間は喋ることができるがコウモリは喋れない。それだけのこと。もし、コウモリが喋ることができて「○○HZの音って何かスーッとする感じなんすよ」とか言い出したら、あなたは「なるほどー」って思っちゃうんじゃないの? 自分以外の「感覚」への理解など、そもそも全てが想像の産物に過ぎない。仮に脳と脳を直接連結しても、誰にも他者の感覚をそのまま「感覚する」ことなどできない(感覚する主体は『自我』なのだから。感覚できたらそれはもう「他者」ではなく、そのときあなたは今までと同じ「自分」ではなく、ある共有された集団的自我となった「何か」であるに過ぎない)。
たとえば生まれてからずっと白黒の部屋で生活してるマリーちゃんが、在宅学習を頑張って「色」に関する全ての知識を身につけたとするじゃん? そのマリーちゃんが部屋から出て生まれて初めて「色」を見たら、知識だけでは分からない、何か新しい体験とか感覚みたいなものを得るんじゃねえの? それがクオリアなんじゃねえの?
現実問題として、生まれてからずっと白黒の部屋で生活してるマリーちゃんには「色」を認識することはできない。猫を使った心理学の実験で有名な実例。(実験「横縞を認識できない猫」http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/vital/TrueLook.htm)動物のような「本能」をもたない人間にとって、「認識」とは自動的に生まれる何かではない(もしそうなら、赤ん坊は生まれた瞬間からいきなり「世界」を認識できなくてはならない)。あなたは「モノゴコロつく」まで、生まれてから何年間必要だった? 人間の「認識」は膨大な学習から生まれるものだ。
たとえば同じリンゴを見ていても、自分が認識しているリンゴの色と、相手が認識しているリンゴの色は違うかもしれないじゃん。どんなにリンゴの色に関する知識を身につけても認識の齟齬には気付けないじゃん。やっぱ表面的には同じでも内面が異なることはありうるよね!
内面が違うと主張するなら、あなたはまず「内面が違う」ことを証明しなくてはならない。そして、そもそもそんなことができるなら(他人の感覚を感覚できるなら)、その場合むしろ「内面」は違わないのだ。
たとえば人間とまったく見分けがつかないゾンビがいるとするじゃん。見た目も行動も完全に人間なんだけど、でも内面的には意識とかは持ってないのね。そういうゾンビは論理的に存在可能だけど、ゾンビに意識が欠けていることは物理的には説明できないわけじゃん。やっぱり何でもかんでも物理現象だけで説明するのっておかしくね?
ゾンビに内面がないと主張するなら、あなたはまず、どこから見ても「内面があるとしか見えない」ゾンビに「実は内面がない」ことを証明しなくてはならない。
どうやって?
あなたが言っているのは、「全く同じ重さだけど、実は違う重さの物質があるとするじゃん?だから物質の重さなんて分からなくね?」みたいな、全く無意味な仮定に基づく無意味な問いとどう違うのか。
たとえばある人間が死んだ瞬間にさ、物質的に全く同じ人間が出現したら、それは同一人物と言えるの? っていうか、それで意識の同一性みたいなものは保たれてるの?
一卵性双生児は、ほぼ「物質的に同じ人間」ですが? で、それをあなたは「同一人物」と呼びますか? というだけの問題。「意識の同一性」など保たれるわけがない。スワンプマンに関して言えば、スワンプマンは意識の同一性を「主張」するかもしれない。だが、その言葉は証明することもできないし、上のように考えれば、信用することもできない。
生まれてずっと目が見えない人は、球とか立方体とかを触った感覚で認識してるけど、もし目が見えるようになったとき、その人は見ただけで球とか立方体とか認識できるのかな?
先の猫、赤ん坊の話と同じく、認識できない。ただし、既に手触りなどで「球」の認識をもっていた人なら、新たに得た「視覚」感覚を、これまでの「学習に基づく認識」と結びつけることによって、赤ん坊よりずっと早く「視覚的に認識する=見える」状態に到達できる可能性はある(もし、相当素早くその段階に到達したのだとしたら、その人は、今までずっと触覚を通して「見て」いたということ。目のないコンピュータにだってセンサーによって世界を擬似的に「見る」ことは可能なのだから、目が見えない人だって「見る(対象を視覚的世界に配置して認識する)」ことは可能だし、そういう能力がある以上はそういう認識を育てる可能性はある。)。
引きこもりと中国語で文通できるからって、その引きこもりが中国語を理解しているとは限らないじゃん? 部屋の中で隠れて日本語製の応答マニュアルを見てるだけかもしれないじゃん?
日本語を話す私とあなたが、会話できていると、いつから錯覚していた?
人工知能に関する「中国語の部屋問題」を持ち出さなくても、これは「そもそも人間同士、言葉が通じているっていうのが誤解かも」問題として、言語哲学上では有名かつ重要な問題。そして、そちらの結論は極めてシンプル。「会話できてるならおk」
ある船の古くなった木材を徐々に新しい木材に置き換えていったとき、全部新しい木材になってもそれは元の船と同じだって言えるの?
人間の細胞の素材もどんどん入れ替わっています。http://banyuu.txt-nifty.com/21st/2005/06/post_50b9.html 考え方や好みなんかも、成長だけでなく、立場や条件で変化するものですしね。「わたし」という人間は、なんらかの形で記述し規定できるようなものではないのです。モノではなくコト、物質ではなく現象なのです。
船でたとえるなら、「古くなった木材」でなく、単に別の木材に置き換えるという仮定で考えると分かりやすい。Aの船の木材を交換し、元の木材で別の場所に船Bを造っていく。最終段階を見てみれば? はい、モノとしては、当然どこからどう見たって船Bが「元の船」です。バラして組み立てただけですし。しかし、Aの船が、たとえば航海しながらどんどん部品を入れ替えているというような場合は? そう、どんなに部品が入れ替わっても、Aの船が「元の船」と呼ばれるしそれは正しい。つまり、現象=コトとしての「元の船」はA。物質=モノとしての「元の船」はB。
とりあえず、あなたが知りたいようなことは大体全部本に書いてあるから、興味の赴くままもっとたくさん本を読むといいと思うよ。
Category:哲学における思考実験 - Wikipedia
「脳という物質からどのように意識が生まれているのか?」という問題は“意識のハード・プロブレム”と呼ばれる。
例えば、自分とまったく同じ細胞、遺伝子、なんだったら構成する原子までをコピーした肉体があるとする。
簡単に言えば、「物質が全く同じなら意識も全く同じはずだ」という立場と、
「物質が全く同じでも意識の差異を生む『何か』があるはずだ」という立場がある。
コウモリって超音波で周囲の状況を把握しているっていうけどさ、どんなにコウモリという物質を分析したって、コウモリが超音波をどのように感じているかっていうのは、人間には実感できないじゃん? そういう物質的には分からない感覚ってやっぱり存在するんじゃん? それがクオリアなんじゃん?
たとえば生まれてからずっと白黒の部屋で生活してるマリーちゃんが、在宅学習を頑張って「色」に関する全ての知識を身につけたとするじゃん? そのマリーちゃんが部屋から出て生まれて初めて「色」を見たら、知識だけでは分からない、何か新しい体験とか感覚みたいなものを得るんじゃねえの? それがクオリアなんじゃねえの?
たとえば同じリンゴを見ていても、自分が認識しているリンゴの色と、相手が認識しているリンゴの色は違うかもしれないじゃん。どんなにリンゴの色に関する知識を身につけても認識の齟齬には気付けないじゃん。やっぱ表面的には同じでも内面が異なることはありうるよね!
たとえば人間とまったく見分けがつかないゾンビがいるとするじゃん。見た目も行動も完全に人間なんだけど、でも内面的には意識とかは持ってないのね。そういうゾンビは論理的に存在可能だけど、ゾンビに意識が欠けていることは物理的には説明できないわけじゃん。やっぱり何でもかんでも物理現象だけで説明するのっておかしくね?
たとえばある人間が死んだ瞬間にさ、物質的に全く同じ人間が出現したら、それは同一人物と言えるの? っていうか、それで意識の同一性みたいなものは保たれてるの?
生まれてずっと目が見えない人は、球とか立方体とかを触った感覚で認識してるけど、もし目が見えるようになったとき、その人は見ただけで球とか立方体とか認識できるのかな?
引きこもりと中国語で文通できるからって、その引きこもりが中国語を理解しているとは限らないじゃん? 部屋の中で隠れて日本語製の応答マニュアルを見てるだけかもしれないじゃん?
ある船の古くなった木材を徐々に新しい木材に置き換えていったとき、全部新しい木材になってもそれは元の船と同じだって言えるの?
ゲーセンにおける人間関係はおおむねコミュニケーションノートによって形成される。場合によっては、 twitter などの SNS や、2ch、したらば等のスレッド型掲示板の場合もあるだろう。都会や人口密度の高い地域でのゲーセンは人間関係がプレイに寄与する所は少ないが、田舎のゲーセンは濃密なムラ社会となっており、常連に逆らう事はすなわち論理的・物理的出禁の危険性を孕んでいる。
そういう前提とは一切関係なく、ゲームをやっていて女性と仲良くなれたらとても良いのではないかと思う。何かを始める動機は人それぞれだし、それが不純でも純真でもどうせ100円1プレイの価値は誰がやっても同じなのだから。完全なる主観で適当にモテそうな音ゲーを列挙していくので、音ゲー警察諸氏は余り目くじらを立てないでほしい。
それと、ゲーセンの常連はプレイヤーの顔を意外と見ているし、ゲーセンのゲーム機は公共物である。モテるモテない以前に、人としての最低の水準は守りたい (個人的には、ゲーセンでゲームばっかりやっている人間は自分も含めそもそもに何らかの問題を孕んでいる気もしなくはないが)。
現在もっとも女性比率が高いと思われる音ゲー。ドラム式洗濯機のようなデザインの(というミームの奔流に飲まれすぎた余り公式自らドラム式洗濯機を自称するようになった)筐体であり、2台あるうちの片方がプレイ中の場合もう片方も使用できなくなるという設計になっている。
今ゲーセンにいる女性と交流するためにもっとも適している音ゲーだと思う。
ただ、私事で申し訳ないのだが、肩こりがひどく腕が上がらない為ちゃんとやり込んでおらず、どんな評価体系が存在しており、どういう仕組みでコミュニティが出来上がっているのか全く知らない。ただ普段見ている女性比率と、動画サイト等にアップロードされるさまざまな動画からそう判断した。オフで即ハメ音ゲーに漸近している音ゲーだと考えられる。
maimaiと同じくセガの音ゲーである。操作体系が独特で、上空にあるセンサーの間、虚空へ手を振りぬく操作を求められる。これも結構女性客が付いているが maimai と同じ理由で俺には遊べないので不明。比較的生まれて日が浅い音ゲーで、このゲームをやりこむ前に「このゲームが長生きするのか」という事を各自考える必要があると思っている。
10年前のカジュアル音ゲーの代表格であり、わずかなアニメ・立ち絵(ハリアイ絵)と楽曲のフレーバーテキストだけで数多の女性をスケブ片手に筐体に釘付けた。直線的でシンプルな縦長の筐体、カラフルな9つのボタンがポップでキュートなこのゲームの目印だ。今でこそ「9ボタンとか多くて難しいですよね~」等と言われるものの、カジュアルな音ゲーと競技性のある音ゲーを両立させたその功績は音ゲー界の革命児と言えよう。
最近は相対的に楽曲のパワーが落ちてしまっているのと、流行性の高い版権曲も2~3作で消えるため男女問わず顧客の定着が行われにくくなっている気がする。ゲーセンでこのゲームをやり続けている女子はコアなユーザーが多く、彼女らと警戒されずに話題を合わせるためにはそれなりの上達が求められるだろう。
ゲームシステム的には、プレイヤーの技術を一切要求しない昨今の音ゲー事情としては稀なデザインとなっており(技術を要求したら大不評だったので、以後撤廃された)、はじめてすぐの段階でもすべての要素を楽しむ事が可能となっており、やりこまないと話題に乗り込めない……というような事態は発生しない。
段々書くの飽きてきた。IIDX はコナミの音ゲーで、サウンドブースのような骨組みのデザインに、2つのスクラッチ、14個のボタン、あと正面に謎のボタンやレバーのある筐体である。
あらゆる音ゲーの中で最も高密度な譜面が降り注ぐゲームの為、その内実はともかく非常にアスリート性を高く感じるゲームとなっている。一方で譜面の密度が高いだけでもあり、ある段階を経るまではきわめてシンプルな構造となっている。
さて、 IIDX には Single Play と Double Play の2種類のゲームモードがあるが、モテるのは Single Play である。本作中にはプレイの腕前を格付けする段位認定というシステムがあるのだが、大体6~7段くらいでたむろするユーザーが多いため、10段くらい取っていれば大体ヒエラルキーの上の方に位置出来るだろう。
このゲームは腕前による人間の格付けが驚くほど強烈であり、段位が自分より低い相手、段位のクリアランクが自分より低い相手、自分がクリアマークをつけている曲にマークをつけていない相手など、とにかく他プレイヤーより一点でも優位性を見つけて精神を上層におかないと即死してしまう人が多い。そのため、このゲームをやっている女性と交流しようと思ったらまず彼女らより上手くなりマウントを絶対に取らなくてはならない。より強い雄になる、原始的な交流と言える。
スクラッチの独特のアナログな操作感、本作特有の高密度には慣れが必要なため、ある程度上達するまでに要する時間は1年程度だろうか。ゲームの要領が良い人ならば、最高段位である「皆伝」まで1年掛からずに到達するだろう。音ゲーのそれなりの上達は見た目ほど難しいものではない。もちろん皆伝の上も果てしなくゲームは続いていくのだが、一般的なプレイヤーは余りそういう事を気にしておらず、ランクを評価体系の9割に組み込んでいる。
ボーカロイドの本家(元祖ではない)、ミクちゃんである。このゲームが出た当時はボーカロイドや東方などニコニコ文化が音ゲーに寄与する部分が少なく、ボーカロイドの持つ集客性は音ゲーにとってまだ不可侵領域である時代だった。太鼓の達人など、一部先んじて目をつけていた作品もあるが、ボカロが音ゲーと密接に関わるようになるのはかなり最近の話である。
そういうわけで、ボカロの御大、初音ミクがゲーセンにいてさまざまなニコニコ動画の名曲を遊べるという事、4ボタンしかないシンプル極まりない操作性などの理由で一大カジュアル音ゲーの地位を築き上げたゲームがこの作品である。女性比率の非常に高い作品であり、混雑時は女性の行列に男性一人だけ混ざるという事も頻繁にあった。
とは言え、このゲームも既にリリースから5年近く経過している上に、もはや初音ミクはボーカロイドの主流ではなくなってしまったこと、ボーカロイドはこのゲームの聖地ではなくなってしまった事などの理由で、最近はこのゲームのユーザーもめっきり減ってしまい、まだ更新が続いているにも関わらず、撤去されるゲーセンも徐々に増えてきた。兵どもが夢の跡である。
立方体をくっつけたような小さな筐体があればそれが jubeat である。ボタン数は16個と非常に多いが、叩く場所が光るため光った場所を叩けば良く、ゲーム的にはとっつきやすい構造となっている。リリース当初こそキー音もなくモグラ叩きではないかなどと揶揄されたが、若い世代を中心としてウケがよく、カジュアル層の開拓に一役買ったゲームであると言える。
出だしは比較的好調で客付きも良かったものの、焼畑農業のようなゲーム内イベントをリリースし続けた結果(だと思う)、定着しているユーザー数はほかのゲームに比べ水をあけられてしまった。
最近はややウェイ系のプレイヤーが多く、ガンダム程ではないがプレイ中に騒ぐユーザーをあちこちで見かけるようになったため、女性ユーザーは少し敬遠気味になっているように思う。流動性の高いユーザーはセガの音ゲーにほとんど移動してしまったと思われ、モテ目的でこのゲームを遊ぶ理由はどこにも存在しない。
kinect を利用したアーケードの音楽ゲームであり、画面に表示されたポーズを取るゲームとなっている。他ゲーのコアユーザーに見られる機能性に優れた服装でプレイするユーザーは少な目で、ミニスカや可愛い衣装で踊っている女性が多く、ほかのゲームをやるフリをしてしょっちゅうチラ見するのだが、イケメンで流麗なダンスを踊れればモテるのではないでしょうか?
同名の女児向けアニメと連動しているアーケードカードゲームである。法律上は自販機扱いで、スーパーなどのゲームコーナーでもよく見かける事が出来るだろう。他方バンナムのアイカツとは商売敵のため、バンダイやナムコのゲームセンターでは絶対に見かけることが出来ない。
システムとしては、1プレイする度にランダムで服のパーツ(体上、体下、靴)のどれかと、「トモチケ」と呼ばれる自分のデータを他人に譲るための半券を得る事ができるようになっており、服装データはプレイヤーIDに紐づけられているため、基本的に交換などで手に入れる事は出来ない。唯一ヘアアクセサリだけ交換可能となっており、こちらもトモチケと同じように交流の材料となっている。
幼女から始まり学生、主婦、OLなどなど幅広い年齢層を取り込む事に成功している音ゲーであり、しっかりゲームをやり込んでいると、女性側から声をかけてきてトモチケやヘアアクセを交換するイベントが発生したりもする。
音ゲーマーとしての腕前はほぼ要求されない反面、無数に存在するコーデを組み合わせるセンス、キャラクターへの多少の理解、希少なコーデを入手するための財力と暇が求められる。
俺が子供のころに比べてどれだけ社会が変わったか思いつくままに列挙しようと思う。
・ウォークマン(カセットテープ)が発売されたのが中学のときだったからまだ携帯音楽機はなかった→スマホ
・テレビのリモコンはなかった。金持ちの友達の家にはあった。赤外線でなくて超音波(?)だった→リモコン無しなんてありえない
・ビデオゲームは任天堂からブロック崩しがでていた→なんかいろいろある
・携帯ゲーム機はゲームウォッチ(モノクロ液晶で単純なゲームが一種類だけ)だった→スマホとなんかいろいろある
・ウォシュレットはクラスで一番金持ちの家にだけあって、クラスで「あいつの家にある」と話題になってた→あって当たり前
・買い物袋が現役。レジ袋は紙製→レジ袋はビニール。買い物袋はエコバッグとして復活しつつある?
・スーパーは19時ごろには閉まってた→21時や22時は当たり前。24時間もある。コンビニもある。
・自動車の車体→大型化。軽でも当時の普通車並みの広さ。未来的デザイン。昔はライトは汎用部品の丸いやつだった
・自動車の燃費→子供の頃は燃費なんて考えたこともなかったから知らない。でもこの10年でもびっくりするくらいよくなってる。
・自動車のエアコンは家の車にはなかった→エアコンのないクルマはありえない
・自動車の窓は家の車は手動→業務用の車とか軽トラ以外はまず自動
・都市部では銭湯がまだまだ使われていた→風呂なしはアパートでもありえない
・銭湯通いの家庭は毎日は風呂に入らない→毎日風呂に入らないなんてありえない
・洗髪→中学ころに「毎日髪を洗うのは常識です」と中森明菜のシャンプーのCM攻勢で毎日洗うのが常識になったけどそれ以前は毎日ではなかった
・朝シャンなんてない。俺の家にはシャワーがなかった→朝シャンも楽勝で、シャワーはあって当たり前
・風呂桶が半畳くらいの立方体→棺桶みたいに横長になって足を伸ばして浸かれる
・天日でお湯を沸かすやつ。粗悪品が横行して衰退→太陽電池
・エアコンは贅沢品→あって当たり前。無しでは夜は眠れない
・近所のスーパーは駐車場がなくて客は違法駐車。違法駐車におおらか→駐車場はぜったいある
・小学生のころはPCはない。中学の時に友達が買ってもらってた。高価だったはず→3万で買える
・海外旅行は多分俺の周囲では行ったことのある奴はいなかった→格安海外旅行とかある
・本→電子化
・時計の時間合わせ 117やテレビの時報→電波時計でいつでも正確な時間
・ビデオはなし→レンタルビデオを通り越してネットのオンデマンドに。映画だけでなくてテレビ番組も見れる
・猫や犬のエサは残飯→キャットフードやドッグフードが当たり前
・猫の外飼い(事故などで帰ってこなくなったり病気をうつされたり)→室内飼いの普及
・猫の砂は本物の砂で汚れたら手洗い→使い捨て
・缶飲料100円→130円(値上がりしているが物価の上昇から考えたらかなり安くなってる)
・缶は250cc→200mlや350ml、500mlなどチョイスできる
・飲料はコーラやファンタやコーヒーだけ→日本茶やブラックコーヒーなどなどがチョイスできる。とういうか全体的に種類が増えてた
コンビニのカップめんの棚のまえで立ちすくんでさんざん迷ってしまい、途方に暮れた末に、結局カップヌードルカレー味にしてしまうことがよくある。最近はそば系のやつとかもよく食べるけど、カップヌードルのたまに帰ってきたくなる感は異常だ。
その中でもカレー味が1番好き。昔カップヌードルに入っていたよくわからない立方体の肉の塊、ネット上での通称「謎肉」はカレースープによく合った。いまは「コロチャー」という別の肉になってしまったけれど。いまのも別に嫌いではないんだけど、やっぱりあの肉がまた食べたいという気はする。(調べるとライトやリフィルのほうにはまだ入ってるらしいのだが)
カップ麺の世界も競争が激しくていろいろな新商品が出ては消えていく。その中でよく見るのが「生麺そっくり」というような、本物のラーメンと比べて遜色ないことを喧伝する謳い文句だ。あと有名ラーメン店とのコラボ商品とかもよく見かける。ふつうに鍋でゆでるタイプの袋麺をめぐる状況もだいたい同じ感じで、マルちゃん正麺という商品がヒットしてから、より生麺っぽい乾麺を目指す技術競争が加熱してきたようにおもう。
しかし、これだけ各社が技と工夫を凝らして新しい麺を開発してるのにもかかわらず、(他のカップ麺と比べれば相対的に値段が安いとはいえ)カップヌードルはこんにちに至るまで淘汰されず、同じ味を守りつづけている。他のインスタント麺が「まるで生麺!」とか「行列のできる店の味!」とかばかりにこだわっている中で、カップヌードルの姿勢のあの揺るがなさ。堂々たるものである。
それは、カップヌードルが自らひとつの評価軸になってしまったということを意味するのだろう。チョコレートやポテトチップスやコーラは日本人の記憶の中では比較的最近登場した食べ物だけど、チョコレートやポテトチップスやコーラをようかんやおせんべいやほうじ茶と比較しておいしいとかおいしくないとか言いだすひとはいない。チョコレートはチョコレート自身なのであって、他の甘いお菓子とは別のジャンルを確立しているからだ。それと同様に、カップヌードルはラーメンではない。ラーメンや他の麺類とはまったく違う、異質の食品が20世紀後半のある時期の日本に突然発明されてしまったということが重要なのであって、この一点においてカップヌードルの偉大さは他のカップ麺と比較できるものではない。
そういう食べ物って他に考えられる? いまちょっと考えたけど、乳酸菌飲料とかはそうかもしれない。ヤクルトとかおいしいとおもうんですよね。
後発のインスタント麺はしょせんラーメン的イデアの似像に過ぎないので、王道っぽいしょうゆ味やとんこつ味が多いし、カップの形からしてだいたいがどんぶりを模した横長だ。対してカップヌードルは非ラーメンなので、カレーとかチリトマトとかクリームシチューとか、かなりのゲテモノを投入しつづけ、しかもちゃんと受け容れられている。
そこでおもいだしてみると、カップヌードルCMでふつうの家庭人が家で平和にカップヌードルを食べてる風景というのはあんまり出てこないことに気づく。たいてい宇宙にいくとか南極に行くとかそういうSF。
ここまで考えると、あーまんまと広告戦略に踊らされてただけだったなーという気にはなるんだけど。まあ、それにしたって「カップヌードルという食べ物」のセルフイメージを確立するまでの道のりというのはなかなか平坦なものではなかったろう。
特定異性の交友関係について、話者の好みを元に、事実に基づかない仮定の下、そのシチュエーションが話者にとって性欲をそそる物であるか否かを話している
事実にはある程度基づく場合もあるからね。というか、日常から拾うならむしろ事実は前提にされる。
例に出した「見知らぬバス停の二人組」とかね。
雉も鳴かずば…ってわけじゃないけど、「二人できゃっきゃと楽しそうにしてた」という事実から出発します。
前者は、対象異性がどう感じるかは別として、話者から対象異性自身への好意(性的なもの含めて)。
後者は、対象異性がどう感じるかは別として、話者から、話者が規定した架空のシチュエーション下に置かれた対象異性への好意(性的なものも含めて)。
普通性欲は好意とは言わない。
それと、「ベクトル」と「立方体」くらい違ってれば違うと言ってもよかろうけどw
どっちも同じ「ベクトル」じゃん。違ってんのは向きと出発点くらいだ。
もし巨乳女の例で言うなら、巨乳女がどうこう語るのではなく、「巨乳女が超不細工のあのA男と付き合ってるとしたら、超興奮するよな。あいつがB専だったらとか考えてさ」というのであれば、後者と同類。
そこは逆の例を持ってきてもいいけど。
「○○学科の××クンちょーカッコイイ!デートだったらあそこ行ってここ行って…」と一人で暴走する女、とか。
でもこういうの、見たことない人にとってはあんまリアリティないっていうか、非モテこじらせてると深刻さがわかんないみたいなんだよね。
風邪をひいて熱に浮かされて、こわい夢をみた。
その夢の中で、僕は大きな金属の箱を作る任務を与えられた。一辺2mから3mくらいの立方体で、骨組みを組み合わせて、金属板を貼り合わせて完成する。しかしながら、その箱を作る目的は分からない。むしろ、出来上がる度に怖い監視人から、「何の意味もない箱を作りやがって!」と罵倒されて、せっかく作った箱を叩き壊されてしまう。箱が壊されたと思ったら、また監視人から箱作りを命じられる。僕の周りの世界が、壊れた箱の残骸で埋めつくされ、それでも逃げられない。どこまで続くか分からず、気が狂いそうになる。
真夜中に、うなされる自分の声で目が覚めた。頭が痛くて、動けない。再び眠りについたら、またこわい夢の続きがやってきた。真夜中、なんども目が覚め、その度に同じ夢に引きずりこまれた。悪夢の夜は果てしなく長く感じられた。
一般の次元では正多胞体と呼ばれます。Wikipedia:多胞体によると、4次元では6個、それ以上の次元では3個あります。
3次元 : 正四面体・正六面体・正八面体・正十二面体・正二十面体 (5個)
4次元 : 正五胞体・正八胞体・正十六胞体・正二十四胞体・正百二十胞体・正六百胞体 (6個)
正単体とはn次元における正n+1胞体。2次元では正三角形、3次元では正四面体、4次元では正五胞体。
正測体とはn次元における正2n胞体。2次元では正方形、3次元では立方体、4次元では正八胞体。超立方体とも呼ばれます。各次元でのいわば「マス目」ですね。
正軸体とはn次元における正2n胞体。2次元では正方形、3次元では正八面体、4次元では正十六胞体。n本の座標軸のそれぞれ1と-1の目盛をとって線で結んで描けます。
2次元の五以上の正多角形、3次元の正十二面体・正二十面体、4次元の正二十四胞体・正百二十胞体・正六百胞体は一般の次元にはない特殊な正多胞体ということになります。
まったく役に立たないから参考にするな。
時は戦国弥生時代。氷河期なんてちゃちなもんじゃねぇ、もっと恐ろしいモノの片鱗を…の時期に大学4年生の俺。
もうその時から就職活動はしてなかった。
つーか、3年生の時から就職活動するなんて信じられず、どんどん届く立方体ぐらいになっちゃってる就職雑誌に恐れおののく。
失敗。
行きたかった研究室に研究生として潜り込み、大学院試験勉強を1年する。
大学院入学。
やっぱり就職活動するつもりなし。
このまま大学に寄生できればいいなーとほのかに何の行動も起こさずに考えていた。
で、研究室のOBが会社見学に来ないか?というので、弁当とテレカと交通費に引かれて遊びに行ったら、そのまま入社試験を受けさせられて、1回本社で面接を受けたら入社が決まってた。