はてなキーワード: 物差しとは
「指示されたその方向が左という名前なのか右という名前なのかを事前手掛かりゼロの状態から確定する際に、脳内の物差しをいちいち持ち出して当て嵌めようとするために一定の時間がかかる」
これはだいたいやってるかも。
例えば車の運転してるときに助手席でナビしてもらってる状況なら事前に脳内の物差しをワーキングメモリに読み込んでるから「次を左」とか言われてもすぐに理解できるけど、
デスクワーク中に突然「増田さん左向いて」とか言われたら左という概念を脳内ストレージからロードしてくるのに一瞬時間がかかる。
左右失認といったような疾患ではなく、一般にみられるトラウマ型の左右盲の場合は、左右が「わからない」のではなく
「指示されたその方向が左という名前なのか右という名前なのかを事前手掛かりゼロの状態から確定する際に、脳内の物差しをいちいち持ち出して当て嵌めようとするために一定の時間がかかる」
このへんは東西盲の話をするとすっきりするんだけどなあ
西と東を確定するために脳内で特定の風景を一度展開させて(北はわかるのでアジャストして)太陽を昇らせたり西日を差させたりするんだよ
子が自閉症スペクトラムと診断された。
いわゆるアスペルガー症候群というやつだ。
2013年に診断の世界基準とされるDSMが改定された(DSM-5)ことで、アスペルガーは自閉症の一形態ということになっている。
診断と言っても、傾向があり可能性が相当に高いという話ではあるけど。
自閉症スペクトラムがその名の通り連続体(スペクトラム)なので個人差が大きく、
その上血液検査みたいなもので数値判定することもできず、症状が広範で明確に区別できないので診断も難しいと思われる。
今のところ知的障害はないように見える。
自閉症は他人と関わりを構築するのが苦手・或いはできないだけであって、知的障害を伴わないものがある。
幸いというか、数ヶ月前にあるきっかけで自分自身がアスペルガーではないかという疑いを持ち、
田舎であり心療内科の数がほとんどなく予約が取れないこと、主訴(実際に生活で困っていること)がないことから
心療内科にかかることもできなかったけど、思い当たることが多すぎて100%間違いないと確信している。
そしてその才能(アスペ)をいかんなんく発揮し自閉症スペクトラムについて無駄に広範な知識を手に入れ
診断がくだる前から知識武装がされていたこと・パートナーにその事実を伝えておいたことで
それで困難と感じていないのであれば障害ではなく個性と認識される。
その意味で高機能自閉症は「自閉症スペクトラム」であって、「自閉症スペクトラム障害」ではない。
いかに「障害」にしないか、がこれからもっとも重要なところだと思っている。
保育園も含めてどうこれから「介入」していくのかということを考えているときにふと気付いた。
本人を社会に順応させるのが目標ならば、家族は本人を取り巻く環境の一部であって、本人に合わせて介入される側だ。
ある程度知識を得たとしても、それは生半可なもので、臨床経験が豊富な人の意見に従う必要はあるだろう。
子供の教育に介入するのは、プライベートに土足で踏み込んで来るようなもの。
それなら我々が用意しておくのは雑巾(掃除道具)なんだろうなと。知識よりも心の準備の方が大切だなぁと思った。
未満児の段階で自閉症スペクトラムを診断される。
自分が同じように診断してもらえていたら、おそらく全然違う人生を歩んでいたんだろうなと思う。
障害を個性だと主張しても、やはり障害は障害なのだ、目が見えない人はどう頑張っても本を読めないように、
僕はどう頑張っても普通の人のように円滑な人間関係を築くことはできない。
努力で解決すべきか、諦めて他の道を探すかの選択をするときに、
「これは障害であり、自分には不利である」と分かっていたら、どれだけいい選択ができたことか。
姿勢が悪いのを物差しを背中に当てられて強制されるようなこともないだろうし、
(姿勢が悪いのもアスペあるあるらしい、おそらく同じ姿勢をとることがあまりなく自然に体幹が発達しないのだろうと推測)
時間の多くを長所を伸ばすことに当てられたらどれだけ良かっただろうか。
アスペルガーのもう一つの特徴は興味の局所性と集中であり、興味がないことはとことんできないということだ。
人との関係を構築する能力を失う代わりに得ているものがあるそうで、多くは数学的能力(論理的思考)か、言語的能力だそうだ。
自閉症スペクトラムの子供に調査を行ったアメリカの研究では、一人も自分の障害をなくしたいと思っている子はいなかったそうだ。
僕も同感だ。
障害が自分の能力の一部であり、危ういバランスの上にいることを自覚しているのだろう。
自閉症スペクトラムは遺伝性のものであるという強いエビデンスがあって、
自閉症の親から自閉症の子が生まれる確率は通常の50-100倍だそうだ。
そう、100%僕が悪い、と同時に、100%僕の親が悪い、と同時に・・・・遺伝とはそういうものだ。
妻には申し訳ないと思う。しかし生まれつき他人と違うというのは、メリットになりうる。
子にもそう思ってもらえるよう、色々模索して行きたい。
幸いと言っていいのか、僕も通ってきた道だ。
登山で延々藪漕ぎをするのはしんどいが、アスファルトで舗装されていても醍醐味がない。
ちょうどいい登山道を用意し、同時に登山道の作り方を教えて行けたらいいなと思う。
しかし楽観もできない。
知的障害がないとは言えないし、
これから発達が進むにつれて見えなかったものが見えてくるだろうし、
前途は多難だ。
ちなみに今のところ生活に何も困っていないが、特別児童扶養手当の申請はしておく。
困ってからではなく診断が出た段階で申請するのがベストだと思うし、
行政の用意してくれているセーフティネットには引っかかりやすくしておいた方がいい。
運よく検診で拾って貰えたのは本当によかった。
全く呆れたものだな。
身体的特徴を社会が組み上げたくだらん物差しで測って嘲笑うか。
高身長の男はイケメンで低身長の女は可愛く、肌の色は白いほどよく体重は軽いほど優れていると。
巫山戯ろ。
そういったものを下らんと蹴り飛ばせる世界を求めていったのがオタクだろう。
それが今ではオタクの側こそが古臭い慣習を愛で文化だ教養だと囀るか。
痴れ者よな。
痴れ者であることこそが世間に反旗を翻した誇りだと語るお前らこそが自分たちの狭い世界で他者を測る側に回ってなおそう嘯くか。
今のお前らの下らなさは実につまらんよ。
より多くの共感を得、より身内からのいいねを集めることに特化するうちに、目的を違えた劣等種どもよ。
オタクなどというくだらん外付けの名はお前らにこそ相応しい。
いつも、同じ大学に縁のある人間たちが、隣駅の駅前ロータリーを汚していて、
恥ずかしい思いでいっぱいです。
さらなる学びや、芸術の世界への羽ばたきをたのみにしている人達です。
自分にとって彼らは、勉強はできるが社会に合わせない人、という印象です。
彼らを見ると、
そうした時、自分は、『何も見なかった』ことにしがちです。
という自分の考えが、
「多様性」の物差しで見たら古さや因習のくくりに入る考えなのだろう、
と分かりつつも、
でもそれが正しいよな?と
学びの豊かさが至上という人達の、
学びへの愛情や熱意や、
否定したくはありません。
彼らのそういうところを、
まあそういう奴だよな、と、
隣人として愛しています。
だからこそ、その人たちの前では、
「働くことは結局は悪なんですよ楽しいですけどね」というポーズを取るしかなくなります。
働くことはつらいけど楽しいと思っている自分を密かに殺しているような、
俺をこんな目に遭わせているのはこいつらだ、と相手を憎みたくなるような、
話は変わりますが、以前、その中の一人と、
彼は、不忍池の周りを意味もなく歩いたり、黙り込んだり、話したり、
弛緩ばかりの時間を共有してくれる、数少ない友人です。
自分の入館料を出そうとすると、彼は
と言いました。
それはあなたに奢られた訳では無いだろ
俺は入館料も払えず美しいものを無償で享受するような人間ではない
先輩らしさとは奢りのことなのか?
それをこの人に投げかけるのは俺の情が許さない
今日は楽しかった、この人が障害を持つことでこの先遭遇するだろういくつもの苦しみのひとつに、今日を加えたくない
「あ、じゃあ、それで…」。
美術館は印象的でした。
洗練された気持ちになりつつも、
胸の奥に何かが引っかかり続けていました。
その人と美術館に行くことはもうないでしょう。
働かなくても(公的な補助と親の支援で)生きていけるという人たちが、
でも変わりたいと思えません。
長くなりましたが、
そういう汚さを飲み込んで生きていくのが、
勝ちも負けもせず思います。
みなさんはどう思われますか?
辞めた理由:キチガイの集まりなので離れる必要があると感じたから。
辞める方法:サイト選択型のブロックアドオンを複数同時に使用して心理的ハードルを上げる。
結果:1ヶ月間の無アクセスを達成。アドオンのブロック画面どころかそもそもググってさえいない。
辞めたばかりなので習慣的に開きそうになる。
ヤバそうならさっさと寝る。
「虹裏でスレ立ってたらこういう話題をするか」という発想自体があまり出なくなる。
虹裏経由の文化を見かけると「うわ気持ち悪い奴らの作ったのだ……」と素直に感じられるようになる。
(前は自分が巻き込まれるので何とか言い訳をしていた部分に対して、ハッキリと問題点を認識できるようになった)
最初のウチはツイッター等を使って雑談を眺めたりもしていたが、それも減る。
もしも虹裏で語っていたとしてもどうせ荒らしや業者にスレ誘導されるので話したい内容については話せる確率なんて低いのに今までは時間を無駄にしていたと素直に認められるようになる。
テレビのニュースなどに対しても一部の連中が作り上げたどうでもいい世論っぽい何かをいちいち相手してもしゃーないという気持ちになる。
流行っている話題についていき、他の人よりも知識をつけなければ人間として劣った存在になるという焦りが消える。
インターネットが世界の全てになっている人間たちが使っていた物差しで自分のことも測っていたことに気づく。
ネット知識自慢だとかオタクセンサー自慢から開放され、精神的に余裕を持って過ごせるようになった。
なるほど一理あるな。
「」なんかと比べたらまだナンボか話が通じるだけではてなーだって十二分にキチガイなのかも知れねえな。
なまじ自分らは賢いと思ってエコーチェンバーに籠もってるしょーもないネチズン共だわなここも。
わかった。
トラバをやめよう。
これ以上をいきなり目指すのは一足飛びが過ぎらあ。
おまけに5chも辞めたらあよ。
これでどうだ。
元ぼくのりりっくのぼうよみであり、現在たなかで活動している人のyoutube動画を見た。
タイトルと同じことについて話しているのだが、うむなるほどと思わせるようなことを話している。
暇ならぜひ見てみてくれ。
その際、普段の視点がプレイヤーか評論家のどちらでいるかで結果と過程が本当に大きく変わるものだと話を聞いてて思った。
評論家の視点でいると100点をベースに物事をジャッジするので減点方式のように自分の粗も探してしまう。
他人から賞賛を得られても、理想とのギャップを感じて相殺してしまいがちだし、取り組んでいるだけでは基本満足感は得られない。
こう重く苦悩を感じたり、はたまた自分にポテンシャルを見出せなければ簡単にやめてしまうことも多々あるだろう。
この辺が評論家視点でいることのつらいところだ。完璧主義ともいえる。
とはいえど、何かいいものを作るためには評論家の側面を持ち合わせなければいけないのもまた事実だと思う。
下手でも愚直にひたむきに生きているやつってのは割といる。
とりあえず描いてみた絵をツイッターで投稿したり、ファンがまったくいなくてもライブをするバンドマンだったり、実力が伴っていなくてもめちゃくちゃできる感を出してくる人だったり。
この人らはただただ自分の物差しだけで生きているように感じる。評論家同様に何かを評価することはあっても、自分にとって好きか嫌いかの単純な二択くらいでしか評価していないように思う。
本人らは下手だと気づかないほど鈍感なのか、ただただ好きの一心だけで周りなど気にしてないのか、見えていないのかわからないが、そんな人を目にするたび、そんなんじゃだめだよと諦めてしまったはずの自分が評価を下している。
その浅ましい姿は、まるで光に向かって群がる蛾のようで本当に気持ちが悪い。
前職があまりにファッキンだったのでコロナ禍なのに転職、半年ぐらい立ったけどこの職場有給鶏肉さが凄いので報告
ゆーてスマホが突然鳴ってトラブル対応に呼び出されることはまれにある……死ね。
土日の業務時間管理がウンコ級に雑なのでわざわざ呼び出されてほぼサビ残が多い……なんでこの会社で働き続けて死にたくならねーんだコイツら?
金曜の夜までにおなしゃすで取引先に依頼した内容が「ゆーて実質、日曜の30時までみたいなもんやん?」って感じな時間に投げ込まれているのでそれを確認。
あと取引先が金曜の夜中や土日に必死に作ったと思われるトラブルの報告が溜まってるのでそれを処理する。
火曜~金曜全部に五月雨で投げ込まれるのと同じぐらいの量の情報がこの1日に集中するのでほぼそれの対応で終わる
この日に休むと「忙しいの分かってるじゃん?」って言われる。
水曜は会議の日って決まっているのか水曜にやたら会議が集中しているのでそれの準備。
月曜に1日待ってくれと宿題にした分とかも片付ける。
この日に休むと「忙しいの分かってるじゃん?」って言われる。
基本的には偉い人が対応するけど、終わると即座に「上司が答えきれなかった分を担当者が答えるコーナー」が社内メッセで始まる。
ぶっちゃけ上司がどんどん「細かいことは担当が」と言っちゃうのかめっちゃ来る。
この日に休むと「忙しいの分かってるじゃん?」って言われる。
会議の時に承認が降りた案件は水曜中にさっさとまとめて社内にまわしていく。
身内であーだーこーだ言ったこととは全く別の角度から「これおかしくね?おかしくね?」とそれぞれの部署の物差しで勝手に測られて色々ケチをつけられた物が降ってくる。
ちなみにすぐ回答できない分は来週の木曜に回答という暗黙のルールがあり、先週・先々週~~前久年度までの宿題についてズバーっと「もうちょい待って」と逐一報告する日。
この日に休むと「忙しいの分かってるじゃん?」って言われる。
前は飲み会が頻繁にあったらしい日。
今は酒は飲めないけどお気持ちを吐き出そうみたいなよく分からん面接がある。
意味不。
この日に休むと「大事な日じゃん?」って言われる。
マジむりぽ。
/高校2年生
/一人称は「自分」、伊丹と話す時だけは「あたし」、「僕」。意図的に変えているわけではなく、染み付いたクセ。
/絵が人並みに描ける
/子供の頃の記憶はあるが、中学2年までははっきりと思い出せない
・偽名として、「彼」。別人格(?)。
/一人称は一貫して「俺」
/歌を歌う。シャウトと巻き舌が異常に上手い
厨二病全開のスペックだが、本当にこれがあるんだから恐ろしい。ちなみに彼とは11年の付き合いだ。
もう1人いるはずだが、最近は目撃情報がないので多分死んだか寝てる。
そもそも解離性同一性障害は「解離性障害」のひとつに分類されており、
・解離性健忘、遁走
・離人症
と分類されるらしい。wikiそのままだ。診断書が書かれた訳ではないので、詳しい話は知らない。
この中で、自分は「健忘」「離人症」「同一性」に当てはまっている。役満だ。嬉しくない。
詳しい話は省く。今回は解離性同一性障害についてだけ話す。
解離性同一性障害は、ゲームや漫画で書かれるようなものとはまず違う。そんな美談で終わらせられるほど簡単なものではない。
「何かしらのトリガーで引き起こされる」。これは、人による。彼もロックを聴いていたら稀に現れるが、ほとんどは静かだ。自分は好きな絵を見ると帰ってくる習性がある。
だが、確定ではない。あとパッキリ切り替わる事もない。「いつの間に変わってた」と言う方が正しい。
「自分の意思で変えられない」。これは自分の中ではノーだ。目を閉じて30秒〜2、3分経つと、身体から血の気が引いてくるような感覚を覚える。それにに合わせて、頭が飛んでいくような感覚になる。スッと意識が遠くなったら、もう変わっている。
「記憶がまるきりない」。これはイエス。だが、自分達の場合はそれほど空っぽという訳でもない。目に焼き付いた景色は残っている。ただ、何をしたのかは朧げだし、思い出したとしても自分の経験として至らない。勝手に誰かが作った記憶のようだ。
「顔つきや目つきが変わる」。イエスだ。家族からは目でわかると言われる。彼はいつ変わったかわかるよと言われたらしい。
声の出し方も変わる。彼は男性ででいたいので低い声を出したがる。声帯の使い方が違うのかも知れない。よくわからない。
多重人格のキャラは見ていられないので特徴がよくわからないが、とりあえずはこんな感じだ。
少なくとも「バイクに乗ったら気性が変わる」と言ったような単純な変化はない。それは多重人格でもないと思う。
なぜこんな話をするのかというと、多重人格のキャラはあまりにも綺麗事ばかり書かれているからだ。
最近、SNSで「バニシングツイン」について書かれた漫画の広告を見た。片割れの双子が死んだ場合、もう一人に憑依する事がある、という話だ。
実質多重人格はバニシングツインと同義としてもいいだろう。意識が同じ身体の中にあるんだから、ほぼ一緒だ。
というより、彼も自分の生まれる7年前に流産した男の子説がある。どうせ偶然だろうが。とりあえず多重人格も憑依型のバニシングツインも変わらないものは変わらない。
「母親が死んだ方の双子の意見ばかり聞き、自身の意見は蔑ろにされてとても悲しい。自分が乗っ取られているようだ」
と話している。
この時点で気持ち悪い。
少なくとも、自分の身体を持たず、自分のやりたかった事もできず、ただ空虚な人生を送っている彼と主人公を比べれば明らかにどちらが素晴らしい人生かわかるだろう。
人格は悪じゃない。誰も悪くないのだ。
なんだそれ。
除霊?
人格を殺すって言うのか?
せっかく、身体なしでも生きながらえているのに?
作者は、何も知らないのだと思った。
バニシングツインについてもそうだが、それ以上に「人格」を軽く見過ぎなのだと。
当事者からすれば、人格というものは四六時中離れられない関係にある。情が湧かない、という方が無理がある。
それを、損得だけで、切り捨てようとしている。
レビューでは「親が理解できない」という声が多いが、自分はそれ以上に子供が理解できない。
どうして、同じ時を過ごした人間を殺そうとできるのか?
今、自分が「彼を消せる」と言われたら、泣き叫んで相手を殺してしまうだろう。
レビューを今読んでいるが、頭の中で声が聞こえる事が「ホラー」と称されてる事にも少し腹が立った。
レビュー作者も漫画作者も、それを「エンターテイメント」として見ているからその様に話せるのかもしれないが、当事者からすればこの上ない侮辱である。
自分が抱えているものはホラーでもエンターテイメントでもない、
それを、ただの自己満足で消費される程気持ち悪い事はない。不思議でもない、スピリチュアルでもない。そいつらの目の前に立って「私が多重人格てす」と話してみようか。
厨二病だと投げ捨てるのだろうか。
気持ち悪いと目を背けるのだろうか。
やってみたい気持ちと、自分もリアルを見たくないという矛盾で吐きそうだ。
幸せでもない。不幸でもない。それは彼らにとっての「普通」なのだ。健常者の物差しで測る方が間違っていると思わないか。
それと、人格の年齢や性別が身体と違っても、受け入れてあげてほしい。そういうものだ。そうとしか言いようがないのだ。
気にしない人格もいるのかもしれないが、彼の様にスカートを履こうとするだけで泣きそうになる、それくらい性別にこだわりがある人格もいるだろう。
そういうものだ。それさえも知らないで多重人格の話を書くのはやめてほしい。SNSに蔓延る三流作家達のことだ。
初代ライダーやV3、X、ウルトラマン、セブン、タロウなどは見た記憶があるし、友人との話題にも上がっていた。
この増田自身も雑な先入観が多くて、批判してる「特撮嫌い」と同じことをしてると思う。
庵野だってすべての「和製特撮」を手放しで褒めてるわけじゃないでしょ。むしろ偏ってると思う。
ただ、俺自身もそこまで詳しいわけではないので、あまり増田を批判できないが。
シリーズで言えばウルトラマンは海外での「USA」や「グレート」があったりして、見てはいなくとも話題には上がってブランドを延命していたし、辛うじて「ウルトラマンキッズ」とか「パワード」があって、「ティガ」に繋いでいた。
ソフビを集めてる子とかはそういうのすごい詳しくて、「USAみてー!」とか話してた記憶がある。
玩具とかアニメとか海外展開、あと「ヒーロー戦記」とかのゲームも結構キモだったと思う。
※「パワード」に関しては、庵野と仲いい樋口真嗣(ガメラの特撮)が関わってたんだけど、まあ本人たちがネタにするような出来だったりする。
映画で言えば平成ゴジラなんかはあれでもみんな割と楽しんでてメカキングギドラとかデストロイヤかっこええーってなってたし、忘れてはならない「平成ガメラ」も登場してる。
ただまあ石森系は「真 仮面ライダー」とか「ZO」とかあとなんか「ハカイダー」とか、ビジュアルグロめだったり「大人に向けた内輪向け」感が強い作品だったのが、なんだかなあ感はあった。
でも子供向け漫画雑誌で仮面ライダーのシリーズがあったり、やはり漫画・アニメの役割は大きい。
「ポワトリン」とかもあったな。
そんな中でも一番偉かったのは東映スーパー戦隊とメタルヒーローか。
「女リーダー」「全編ギャグ」といったエポックな「カクレンジャー」や「カーレンジャー」は94年、96年に登場してる。
「特撮」の本道とは少し違うかもしれないが、でもまあ本当に東映はよくやってたよ。
ここからはさらに個人的な偏見だが、昭和50年代かそれ以前の人の方が「本物の特撮」をリアルタイムで体験してる分、その後の特撮(平成ガメラ以外)にケチをつけてる印象がある。
ただこれも仕方ないというか、少年時代に「本物」を見た後には「劣化コピー」が続き、さらには「海外の本物」を同時に見てるんだもんな。
映像的にも「アビス」86年、「ターミネーター2」91年、「ジュラシックパーク」が93年。
「ジュラシックパーク」を見た前後に、じゃあ日本はどうなのかっていえば「REX 恐竜物語」とか「水の旅人 侍KIDS」とか「北京原人 Who are you?」なんだぜ・・・そりゃキツイよ。
で、まあ80~90年代と世の中全体の物差しが「世界基準」になってる中、その世界の映画監督が影響を受けたと公言してて、世界で戦えてたのが「漫画・アニメ」なわけで。
「青少年時代」にそんな体験をすりゃあ「漫画・アニメすごい」ってなるのも当然の成り行きよ。
繰り返すが、「ジュラシックパーク」のあとに「REX 恐竜物語」を見せられる気持ち、想像してみてくれよ・・・
たとえばペットの犬が死んだあとに犬死映画を何本も見て、沢山感情移入して沢山泣いて復活とかしちゃ駄目なのか?
自分の思想に自信をなくした時に同じような気持ちで作られた物語を見て、自分はこの世界で孤独なんかじゃないんだと救われた気持ちになっちゃ駄目なのか?
そもそも作品見て救われる気持ちって結構な頻度で感じるものじゃないか?
たとえば宇宙映画でロケットの発射シークエンスが当時のものをリアルに再現しつつも映像的にはギリギリの所で嘘を混ぜて来てると「そうそう。あそこは誤魔化しちゃ駄目だけど、ここはこう誤魔化すと観ていて楽しいものになるんだよな」って共感が湧いてきたとして、それって鑑賞者として救われるような気持ちにならないか?
逆に今まで全く理解できなかった価値観に対しどういう理があるのかを伝えられたときも納得という形から過去のトラウマに対して「あれ?あれってつまりは単なるコミュニケーションエラーかよ」みたいになってつっかえが取れたりするけど、それも救いの一種だと思うんだよな。
作品の話をするときに自分が救われたかどうかって案外関係あるんじゃないかな?
自分が好きな小説や映画を上げていったらそのうち半分ぐらいは「自分がソレを観て救われた」って話が絡んでくるもんじゃないの?
少なくとも自分は10作ずつあげたら2作ぐらいはモロに「俺はこの作品に救われたんだ!この物語のコイツは俺なんだ!これは俺みたいな連中のための物語なんだ!」って思わせてくれたのが入っちゃうけどな。
まあそういうのって表裏一体ってのはたしかに分かるんだわ。
たとえばレディプレイヤー1なんてオタクからは「俺彼女出来たわwwwwリアル恋愛最高wwwお前らネット中毒は地に足つけろよwwww」と煽ってくるから最低の映画って評価受けてるっぽいけど、まあそこまで主人公に感情移入しまくって陰キャの物語として観てたら梯子外された気持ちになるよな。
まあだから作品の善し悪しと自分が救われたかを完全にまぜこぜにしていいのかってのは分かる。
いやでもそれって大体の人ができてるよね?
「自分が救われたかどうかだけで作品を判断するな!」と言ってる人は単に自分が一度に一本の物差しでしか測ってないだけでは?
世の中の多くの人は複数の物差しで作品を鑑賞して、複数の物差しで測った結果をときに総合的にときに個別に述べていくと思うんだよな。
だから特定の物差しで測った結果について語られたのを観て「それだけで語るな!」ってのが通るのはアマプラにレビュー載せられた時だけであって、レビューの平均点にも絡まない場合なら個人が特定の物差しでだけで感想語っても問題なくね?
kingate 監督くんの憑き物落としの物語に付き合ってるだけだぞ。何でオマエが救済される必要がある?
iinalabkojocho コンテンツを「自分が救われるかどうか」の基準で見てたら楽しめも心動かされもしないでしょうね。世代と関係なく。
この辺への返答だけど100文字じゃ描ききれなかったので。
人格が理由で何かの役から引きずり降ろされたり、作品や行事がなくなったりするのって、法に触れたことをしたときだけだと思ってたけど、アクタージュの件から「不適切」が感情的な物差しで測られるようになって、作曲家の件からはもう犯罪はしてないのに不適格ってことになってしまった
アクタージュのときに漫画が読みたいおじさんたちが「作品に罪はない」と原作者を擁護している、みたいな話があって、自分も漫画の続きがきになるだけの人たちが勝手なことを言うなと思ってたけど、
今現在感情で「不適切」って決めつけられるようになってみると、確かにアクタージュの漫画自体には罪はないしプロットが用意し続けられるなら連載続いてほしかったなと思う
人生で何が辛いって
・もしも今時分のいる場所にいたのが他の人だったらその問題は起きなかった
・絶対に変えようがない部分で起きている問題を「次までに」治すことを求められる
・マジメにその意見を受け取るならその場所から去る以外の道はない
・そんな状況に追い込んでおいて相手は「次は上手くやれと行っただけ、でてけとは言ってない」と平気で嘯くのが想像に難くない
・でもその程度の「俺の物差しで世界を測ったらそうなっただけだけど?なんで俺が世界を測るのに俺以外のやつの物差しを借りなきゃいけないの?」な傲慢なんて世界に溢れてる
・だからそいつの人格の問題にしても仕方ないし多分同じことは自分も沢山やってる
・なら解決方法は自分の適性や能力が生かせる仕事につくことだけどそれが分からない
・居座らなくても生きていけるならぜひ逃げ出したい
・でも逃げ出したら生きていけなくなる
アレ?
「一部の富裕層以外にとっては生存と労働がイコールで結びついていること」の方だな。
とりあえずBIの導入を叫ぶか
昨日のテレビ番組?の生理の貧困の話でTwitterのトレンドが燃えていたので
私も女なので、生理用品が軽減税率の対象になって欲しいっていうのはまあまあわかる。
女に生まれた限りはほぼほぼ確実にあるものだし、一回ごとが大した金額じゃないとしても
これが不要って女はいないと思うので(いないよね…?なんらかの理由で生理ない人がいたらすみません)
でも、「おしゃれにお金がかかるから生理用品にお金がかけられないので
タダで配って欲しい」は、正直ほとんど同意できないし今後もしないと思う
これが「ソシャゲ課金してるので生理用品が買えません」でも、同じように擁護してくれました?
染めてないやつは女として失格って言いたい感じ?どうも仕事で髪染めできない失格女です。
貧困なら○○するなって言いたいんですか、が最近のトレンドだけど、
金がないなら贅沢はできないっていうの、当たり前じゃないんですかね。
最近「お金はないけどお金ある人と同じ生活したい」って人が多すぎて嫌になるよ
お金ないならないなりにやりくり必要っていうことが我慢の強要なら
もう万引きでも何でもすればいいじゃん。我慢を強要させる社会が悪いんですもんね。
もうちょっと他人からその言い分がどう見えるのか考えてほしいわ
こんな奴らと十把一絡げで見られたくない女より