はてなキーワード: 物差しとは
こんなことを改めて説明しなければならないのは、少なくとも俺にとって、ため息をつくしかない事態なのだけど…
本当にごく一部のブックマーカーらを除いて、キモいは無害な感想だから好きに使っていいでしょう、みたいなノリの人たちばかりなので解説します。
死ね と同じようにイジメで多用されるのに、死ね と違って控えられる様子がない。
エロい と同じように、発言者の内の感覚を相手の属性にすり替える言葉であることも問題だ。
客観的評価じゃなくて主観的評価なので、評価者の物差しがわからない限り反論のしようがない。
バカでないことは証明できるが、エロくない/キモくないことは証明できないんだ。
無根拠のままに、エロくない/キモくない、と言い返すのも無理がある。それは相手の感情の否定になってしまうから。
「この部屋暑い? いや暑くないよ」
気軽に人の感情を否定する人はハラスメント気質として忌避される。
だからキモいと言われた側は一切の非がないのに、みずから悪人にならなければ突き返すこともままならない。“そっちこそどうなんだ式”の反撃をするにしても、 「自分はキモい」というネガティブなイメージを一旦は抱えることになる。
感想のテイをとった無敵ワードである「キモい」。あまりに便利なのでリベラルもフェミニストも、正義側を標榜する人々でさえ惜しみなく使う。
しかし、痛みを知る人は決して使わない言葉である。でも、使わない理由が語られることは少ない。
自分がイジメられていたと告白するのは、インターネットで獲物を待ち構える魑魅魍魎の餌になりにいく行為だからだ。
LGBTへの生理的嫌悪、腐女子への生理的嫌悪、オタクへの生理的嫌悪…
無意識のうちに差別をする人たちは、自分の感情を生理的嫌悪と称する。まるで生物の根本から来ているシグナルだから仕方ない、みたいに。
でも「生理的」の根拠なんて本当は何もないんだ。実際は、差別対象の実態を理解してないか、あるいは関心を払う手間さえ惜しんでいるかに過ぎない。
いちばん人気のある漫画、史上最も売り上げた漫画はワンピースだ。
ワンピースは確かに面白いけど、しかし世界でいちばん面白い漫画かと問われるとノータイムで YES と応えられる自信はない。
良いもの = 売れる
偶然知られていないとか、運悪く日の目を見なかったとか、連載のコストパフォーマンスが極端に悪くて続編が中々作られないために、さほど売れないとか…。様々な理由で隠れている可能性があり得る。“人気” は、それを見つけるための物差しにはならない。
知りたいのは「最強」である。
いま、恥も外聞もかき捨てて、虚心坦懐に「最強」を語ろう。
たとえば、最強の おにぎりの具 って何だろう。
梅干しが旨い、明太子が旨い、おかかも時々食べたくなります。オーケイ、そういうのはいい。
お互いを尊重するという名の心理的に安全なパーソナルスペースを確保するための牽制球みたいなのは、もういい。
もし明日、世界のおにぎりがいっせいに賞味期限を迎えて、以降もう二度と産出されなくなるとしたら。
…最強は思い付かないが、以前どこかのサービスエリアで一度だけ食べた、とり五目を焼きおにぎりにしたやつは記憶に残っている。あれは美味かった。
他には… 布団ちゃんという人が数年前に教えてくれたやつは気に入っている。彼がペカドの裏の闘技場にパラシュートで降下しているときに戯れに話していた焼きおにぎりだ。直後に作って食べて以来、定着したので思い出に残っている。味噌とマヨネーズを同量混ぜて、固く結んだおにぎりの上に塗りたくってグリルで焼く、という実に単純な料理なんだけど、これが中々に癖になってやめられない。俺は小腹が空いたときにたまに焼いて、パリパリの海苔で包んで食べている。
焼きおにぎり方面に最強の答えがあると思っているんだけど、わさびのクリーム状になったやつも旨いんだよな… 何だっけ、釜めしにトッピングされてるやつ… ううむ ググっても出てこん
まず最初に「美人は人生イージー」についての是非を問う日記じゃないです。
そう感じる人は多々いると思う。
こんな反論もあると思う。
確かにそうだと思う。
しかし最近ふと「まなちゃん(仮)」という女性がいたな〜〜なんて思い出した。
なぜ思い出したかというと、最近こんなブログを読んだのが始まり。
https://anond.hatelabo.jp/20220321231143
弱者男性がモテるために努力して、結局モテないというブログなんだけど、
性格・所得どうこうはさておき、外見でモテない人は恋愛も結婚も一筋縄じゃいかないよな〜〜、
じゃあ逆にこの人の反対側はどんなんだろう?そういえば「まなちゃん(仮)」って反対に近いかもな?て感じで。
日々の情事ブログに載せる裏垢女子インフルエンサー的な女性で、やり取りの中でそのブログを教えてもらったんだけど、
結局その後話題がなくなって自然消滅したけど、暇なときそのブログをちょくちょく読んでた。
今日は城○○似のセフレに会ったとか、今日は初めて5pしたとか、今日は○○とハプニングバーに行ったとか、それはもう酒池肉林の日々。
ブログに載せている彼女の写真を見ると確かにモテそうだと思った。(芸能人だとauのCMの高杉くんのやつの女優と姉妹か?ってくらい似てた。)
ギャルとかより清楚っぽい子の方が実はすごいんだな〜とか思った。
そんな内容8割で、残り2割は「寂しさを埋めるために抱かれてる」とか、「私は幸せになれないしなる気もさらさらない」など内面的な内容で、
まぁ確かにこんだけセックスしまくってると心に闇を抱えてるんだろうなぁなんて思いはしたけど、
なんだかんだいって顔がいいから、理解のある彼氏くんが現れて、今までのことなんて嘘だったかのように人並みの幸せを手に入れるでしょと思った。
寧ろそうなってしまったら、外見は何にも勝るということを理解しないといけないから、そうならないでくれ〜〜とさえ性格の悪い私は思った。
そして数ヶ月が過ぎ、まなちゃんのブログは彼氏一色になっていった。もう結末はわかり切っていた。
散々イケメンとセックスしまくって最後に全てを受け止めてくれる男性に出会い結婚する女。
そんな立場の違う二人の人生。否が応でも他者との比較について考えさせられるよね。
幸せに生きるには「他者と自分を比較しない」なんてよく聞くけど、無理じゃね??
清掃員といっても高圧洗浄機のような凄い機械を使ったり、薬品や洗剤でウワーッとやる事は稀で、大体雑巾使って汚れ拭き取ったりホウキやチリトリで埃を取ったり、あとはトイレ掃除したりとまあ地味な作業をしています。
今日もいつものようにホウキ使ってレジ周りの埃を取る作業をしていました。
平日ではありますが混んでいて、レジに立っているのも研修中の新人ちゃんと入社1年目の従業員。
「あのさあ、レジ混んでるんだし研修中の子にばっかやらせなくて、あんたも掃除してるくらいなら手伝ってやれよ」
頭の中が真っ白になりました。
清掃員とはいえ制服は皆様と同じです。けれど清掃員として雇われているので、レジのことは担当業務外で教えられておらず何もわからないし、それよりもお客様の言葉「掃除してるくらいなら」という言葉にとてもショックを受けてしまいました。
お客様なので店の事情なんかわからないのは当然ですが、「掃除してるくらいなら」つまり掃除してるくらいやる事がないのなら、という意味で仰られていますよね?
私も「清掃員なのでレジのことはわからず、お手伝いが出来ないんです。申し訳ありません」と言えば良かったかもしれません。
けれどあまりのショックに口から出てきたのは「…すみません」の一言だけでした。
震える手で袋詰めを手伝いました。
お客様は割れ物を買われていましたので落とさないようにだけ気を付けていました。
終わった後、新人ちゃんにすみませんと謝られてしまいました。謝るのは此方です。出来ないことは出来ないと言えばよかった。けれど言ったところでそのお客様にはわからなかったと思います。
何食わぬ顔で清掃を続ければ良かったですが、お客様が去った後に急に涙が零れました。怖かったです。
清掃員というのがお客様にとっては価値が低く認識もされ辛い、清掃作業は暇な人がやると思われている。
改めて実感したというか、正直心が折れました。
お客様の仰る事は半分くらい気持ちはわかりますがとても悔しい気持ちになりましたし書いているうちに冷静になってきました。今は、自分の物差しでしか物事を判断出来ない人間に絡まれてしまった不幸をコーラで流し込もうと思います。
●異性としての魅力がない弱者(格下)がビジネス・経済的に優遇(格上扱い)されていることが許せない
っぽいんだよね。
要素別にみれば、
●組織内集合知の結果で選定される、組織の機能に支配的影響を与える人材に男が多いこと
●その他の大半の男は上記人材とのコミュニケーションコストが低い、いわば組織内サービス業として評価されていること
こんなこと一瞬で理解できるはずなのにね。
(なお常識だけどサービス業の労働付加価値は周囲の生産性に強く依存する。)
人は衝動的な感情に支配されている時に対象をひとつの物差しで測る傾向があるけど、フェミはその傾向が特に強い。
なお、一般論としてこの行動様式自体は一概にデメリットばかりではなく、愛(ここでは欠点すら愛おしく感じること)の由来でもあり人々の集団生活に寄与してきた一面もある(緊急性の高い状況で損得を素早く判断することに優れる)が、当然万能ではなく特にワイルドカード的な処理(次の茸が致死性の毒を持つ場合)には向いていない。
崖の上で蝶を追いかけることには恐怖という機構で制限をかける一方で、女性が男性を選別する場合については衝動的な判断が許されてきた。なぜなら良い男を掴むことも悪い男を掴むことも自身と子孫の生存に致命的ではなく、そもそも良い男は環境的な選別に生き残る(遠征で死なず成果を持って帰ってくれば良い男である)ことでバイアスがかかっているため女性が良い男を見抜く能力はそれほど重要ではなかったから。
とはいえ過去においては上記が正しかったとして、現代においてはどうだろうか?
男への環境的選別は文明の進展に伴い減少し、かつてはその悪影響を無視できるほどであった悪い男の家庭内暴挙が自身とその子孫の生活に致命的であると考える人も既に多い。
既に、異性を選別する決断は衝動的判断に基づくべきでないとする変化は起こりつつある。その時に異性選別において衝動的な判断を是とする人はどのような扱いを受けるだろうか?集合知はどう振舞うだろうか?今はまだ本当の弱者は分からない。淘汰されてからでなければ。
春はあのぼけ、夏は夜、秋は夕暮れ、
冬は?冬は?
うーん、
思い出せないわ。
かつての紫式部、清少納言、十返舎一九、伊能忠敬と言えば今で言う日本の三大ブロガー。
だから私、
今はまだ読んでないけど意気込みだけはあるの。
トミーフェブラリー6の川瀬智子ちゃんが可愛い赤ブチのメガネかけてるようで、
それだとなんだか私も同じお利口さんに見えるでしょ?
日本の三大ブロガーでもある長谷川町子先生の古典のサザエさんも見てみようかしらと思ったの
もしかしたらそこに何かのヒントがあると思ってね。
サザエさん学って学問があるぐらいだから何かの学びにはなるはず。
サザエさんの視聴率に左右されて経済の市場が良くなるとか悪くなると買って話もあるじゃない。
だからそういったのをひっくるめて、
今だスマホすら登場しないサザエさんの世界線世界観なのに街中にある郵便集配ポストの描写は都内の最新型のポストのスタイルで、
視聴者を試すように問いかける引っ掛け問題のようで時代考証がときとして矛盾しているのよ。
パイオーツではないわね。
オーパーツよ。
間違い探し的な楽しみをもって楽しむのかしら?サザエさんって。
ここ何回か見てみたんだけど、
ただただそう言った
内容だって無いのかも知れないわ。
とにかく来週は1時間スペシャルだって事には間違いないみたいだし、
でもさ、
余地はあるけど、
作中のサザエさんの出てくるテレビジョンの厚さのブラウン管との違いは平均値としては叩き出すには
答えを出すには早いようよ。
ああやって、
街中にある郵便集配の赤いポストは最新型のものの最近のポストの描画がされていたりと
あの中には並行してサザエさんの世界線が時代が幾つものサザエさんが流れているってことなのかしら?
やっぱり奥が深いのかしら?
見れば見るほどよく分からなくなるわ。
うふふ。
なんだか今日に限って給湯室が混んでいて
ヒーコーだけしか飲めなかったのがシャクよね。
おやつに頂くわ。
だんだんと暖かくなってきて
ダウン鮭ととまで着込まなくていいぐらいな陽気よね。
このまま春の春眠に突入して欲しいし、
最近お気に入りはグレープフルーツ炭酸ウォーラーが市販されているのを好んで買っているのが、
あのグレープフルーツの
ちょっとした苦味というか
柑橘の中の苦味が甘いだけのとは違うのよね。
なかなかいいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
男女雇用機会均等法や障害者自立支援法によって、企業は一定数の弱者を採用するべきだと法律によって決められている。
でもそれらも努力義務にすぎず、罰則規定付きの強制にはなっていない。
企業は、自分たちが採用したい人間を自由に選ぶ権利があり、就活や転職市場では「市場原理」によって採用が決まる。
その市場原理に基づいた物差しが「学歴」になっている状況が正しいかどうか、という疑問は置いておく。
その企業の「自由意思」を最大限に尊重しなければ、今の資本主義社会が成り立たなくなってしまう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/DividedSelf_94/status/1465862459244298244
人間は「痛み」を感じます。動物、特に系統的に人間に近い種ほど、人間と似た神経構造を持っており、人間に近い「痛み」を感じていると科学的に考えられます。
また、植物は動物と違って神経を持たないため、人間とその他脊椎動物が共有しているような意味での「痛み」をそもそも持ちません。
植物が傷つけれた場合にある種の化学反応を起こすことは知られていますが、それを人間や哺乳類が共有しているような「痛み」とは根本的に異なるものです。
「植物は痛みを感じている」というのは、ヒマワリの花がそのてっぺんに咲いてるのを見て、ヒマワリは人間やキリンのように頭があるというようなものです。
一方、人気のはてなユーザは何を言っているでしょうか。
その理屈だと植物の痛覚が証明されたら詰む。植物の葉が虫に囓られると他の葉に刺激が伝わることは既に分かっている。植物にも痛覚はあるという前提で踏み倒す方が合理的だろう。もっと生物殺しの顔をしよう。
植物には痛覚があることが証明されることは永遠にないでしょう。神経がないのだから。もちろんヒマワリが歌を歌ったり、キリンが原子力発電所を作る可能性を夢見るのは悪いことではありません。
痛みを感じるかどうかも科学的でもなんでもなく人間の想像を基にした宗教だけどね。とはいえ、痛みが苦しみであるは共感を得られやすい宗教ってだけで、異宗教は虐殺していいがキリスト教含めた一神教の原理主義
痛みを感じるかどうかが人間の空想、宗教なら、麻酔治療はおまじないなのでしょうか。
葉っぱちぎると植物全体から化学物質が出てくる。これを痛みを感じてるとしない理由を科学的に教えて欲しい。嫌がって必死になってるなら広い意味で痛みを感じてると言えるだろう。文系の連中は度し難い
「植物が痛みを感じてる」という感想の方が、どう考えても比喩であり文学の領域でしょう。
何でこんな幼稚で非科学的な意見に☆が集まるのかといえば、「ヴィーガンや動物愛護活動家は非科学的・宗教的な信念を持っている。肉を食べている我々は科学的である。」という強い偏見を多くの人が持っているからかもしれません。冷静に常識的に考えれば「植物は痛みを感じている」という主張はおかしいことに気づくとは思うのですが。
もちろん、事実の認識が科学的で正確かどうかと、その認識に基づいた判断が倫理的に正しいのかは別です。
肉食を正当化するなら、「確かに動物は植物と違って人間のような痛みを感じている。しかし、動物を殺すことは~~という理由で正当化できる。」というような主張をした方が良いと思います。
「『痛み』なんか人間の想像でしかない」みたいな極端なことを言う人もいますが、もう少し日常的なレベルでものを考えた方がいいでしょう。他人に大きな「痛み」を与えることは一般的に法的に禁じられていますし、「痛み」を緩和させるために様々な医学的知識が使われています。
「痛み」だけを倫理の基準になるのも明らかに良いとは思われませんが(安楽死さえすれば人を殺してOK?)、現代日本の倫理の物差しにおいて「痛み」が重要なのは言うまでもない。
「動物愛護法」という法律があります。日本の国法レベルで、植物と動物は違う取り扱いをしてね、と言っていますから、西欧と日本の倫理観にそこまで大きな違いはないように私は思います。
「第二条 動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。」
やっぱり動物にむやみに苦痛を与えたらダメだよ~と言っていますね。
動物の殺処分方法に関する指針(平成19年11月12日環境省告示第105号)
管理者及び殺処分実施者は、動物を殺処分しなければならない場合にあっては、殺処分動物の生理、生態、習性等を理解し、生命の尊厳性を尊重することを理念として、その動物に苦痛を与えない方法によるよう努めるとともに、殺処分動物による人の生命、身体又は財産に対する侵害及び人の生活環境の汚損を防止するよう努めること。
第2 定義
この指針において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めると
ころによる。
(1)対象動物 この指針の対象となる動物で、動物の愛護及び管理に関する
法律(昭和48年法律第105号)第44条第4項各号に掲げる動物
(4)苦痛 痛覚刺激による痛み並びに中枢の興奮等による苦悩、恐怖、不安
(5)管理者 殺処分動物の保管及び殺処分を行う施設並びに殺処分動物を管
理する者をいう。
殺処分動物の殺処分方法は、化学的又は物理的方法により、できる限り殺処分動物に苦痛を与えない方法を用いて当該動物を意識の喪失状態にし、心機能又は肺機能を非可逆的に停止させる方法によるほか、社会的に容認されている通常の方法によること。
もっといろいろ読むなら
https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/1_law/baseline.html
私はリベラルなのだろうが、衰退したように全く感じないからだ。
リベラルとは「保守主義とは相容れない考え」。つまり以下をリベラルと呼ぶ。
リベラルが、保守主義と考えが合わないのは当然と言えるだろう。
そして、ここには党派性などここには出てこない。「保守主義」の人たちは、立憲民主党をリベラルと思ってるようだが、全く違う。立憲だけをリベラルなどと思ってもいない。日本全体あるいは世界がリベラルになればいいのであって、おらが村の「党」のことだけを考えているわけではない。リベラルからすれば、そんなのは狭すぎて眼中にない。「保守主義」の人たちは自分の物差しで測っているようだが、あえて真正面から否定しないが苦笑いしか出てこない。
むしろ日本共産党などは、昔の社会主義を引きづってて、保守主義に近いものだ。
リベラルが懸念するのは、むしろ自民党の甘利が牛耳ることだった。あれは古き悪き自民党の代表みたいなもので、あれが居座るのであれば、リベラルの勢力が大いに減じることになる。
幸い、落選して、幹事長からも引いたので大いに安心した。その意味でもリベラルが衰退したなどとは全く思ってない。
むしろ私の小選挙区制だと、神奈川3区で、自民党がとったが、政策はどう見たってリベラル的な政策だ。少なくとも、保守的な政策が出てこない。
しかも河野派なのでなおさら。はっきり言って、そのまま立憲民主党が同じ政策を掲げても全く驚かない。
これらを見ているので、リベラルが衰退した言われてもなんとも思わない。衰退したと思ってる人は何も見てないのだろう。
さらに言えば、実質上、「無能」で典型的な保守主義が壊滅し続けているので、それほど心配してない。リベラルからすれば、その政治家が自らを保守主義と認識しているかは一つも重要ではない。
人権を推進し、新しい考えを容認し、賢く、法を遵守すれば十分だ。どのみち人間は完ぺきではないのだから。
もっと無能な政治家は消えて欲しいが順次消えてもらうしかない。
結局、リベラルが衰退したと思い込んでる人は、せまーい「党」「村」だけを見てるのだろう。