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はてなキーワード: 惑星とは

2013-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20130825002204

現在知られてる物理法則をもとに地球固定の数学モデルをつくることは可能

からどの物理法則重力は使わないんだよね?地球固定にして惑星のあの動きを再現することを考えるんだよ?

本当に相対性を理解してるしてるなら「記述できない」とか書かんと思うが

あんたの言う、相対性はだから違う。

あのね、繰り返すけど現在物理法則、単純にケプラーの法則から天体の動きを記述することが出来るのはいいよね?

それが重力のような広がりを持つ引力を要する2体間の運動として記述できる、と。

から、これは同じよ言うな磁力で引きあうような場合も同じ式で記述できる、と。


で、その場合、座標軸はどこでもいいよ?例えば太陽中心でも地球中心でも。

地動説は、これがさら太陽と小さな惑星の引力によるもので、太陽が異常にでかく、他の惑星が小さいので、結果的に太陽と各惑星の間の2体運動の様に近似できて、

太陽の周りを惑星が回っているような記述に出来る、と説明できる。

この記述場合でも、ただ座標をずらせば地球中心になるけど、それがそのまま天動説になるわけではないよ?


天動説と言った場合には、まず、太陽や、遠くの恒星はなどは地球を周回するような記述を行う。

これに対し、惑星はそれぞれ特有な特別な性質を別に加えてやる必要がある。これは、上で書いた、"地球中心にした"場合に出てくるものと全くべつの話。

それくらいは分かりますよね?相対的な話ではないの。

地球太陽のどっちが中心なのかという論争なのでそれは違う

本当に地動説天動説の経緯を理解してたら「惑星の動きを説明できないか天動説から地動説に変わった」なんてでたらめは書かんと思うが

なんで自分の思い込みにそこまで自信を持てるのやら

天動説地動説自体は単なるモデルで、昔からあったものだろう?で、天動説の方が記述や考えが単純なのと(惑星などを特別にするのは別としても)、

そもそも地球中心の方が宗教的にも都合が良いこともあって、天動説が優勢になっていったわけでしょ?

地動説のほうがよりシンプルな論拠だけから示せる様な兆候は昔からあったけど、やはり最終的に全てを記述しようとすると複雑になるので、単純な観測と比べるには天動説のほうがやりやすかったわけで。

そこから観測技術が発達して、コペルニクス辺りからはっきりと強い証拠を示せる様になって、論拠もしっかりとしてきて、一方、天動説はほころびが出始めた。

更に進み、重力などの理解が深まり物理的な意味を加えていった所、地動説の考え、つまり地球が固定されてない、と言う事の強い後押しになっている。

物理的根拠とやらが俺様定義っぽいので何が言いたいのかわからんニュートンの根拠は引力の法則だろうとしてケプラーの与えた物理的根拠って何?

これに関しては、例えば重力だけでなく、他の力も同じように記述出来て、観測を非常によく表している。

まりモデルとして、より広く適用でき、より多くのものを正しく記述できる。

重力記述というシンプルものからスタートして、天体の動きを記述出来る。それが現在強く支持されている根拠。

一方、天動説モデルを作る事も勿論可能だが、その根底にくる物理法則が無い。単にモデルとして記述できた、と言っても何も意味が無い。

よりシンプルモデルから天動説で言われた惑星の動きなども記述できる様であれば、再び天動説が優勢になると思うが、今のところそんなものはない。

あるんですか?

http://anond.hatelabo.jp/20130824234322

地球を固定した場合現在知られてる物理法則では記述することは出来ません。勿論、それだけのために"モデル"を作ることは可能です。数学的に書くことも。

現在知られてる物理法則をもとに地球固定の数学モデルをつくることは可能

本当に相対性を理解してるしてるなら「記述できない」とか書かんと思うが

また、天動説地動説は、基準の取り方に基点するものではありません。

地球太陽のどっちが中心なのかという論争なのでそれは違う

本当に地動説天動説の経緯を理解してたら「惑星の動きを説明できないか天動説から地動説に変わった」なんてでたらめは書かんと思うが

なんで自分の思い込みにそこまで自信を持てるのやら

ケプラーニュートンが出てきて、それらに物理的根拠を与えたわけです。その辺りはご理解いただいてるのですよね?

物理的根拠とやらが俺様定義っぽいので何が言いたいのかわからんニュートンの根拠は引力の法則だろうとしてケプラーの与えた物理的根拠って何?

こういう数学モデルケプラーの法則)で惑星の動きが予測できるということなら天動説だって予測できるモデルは作られてたわけだが

2013-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20130824193347

そこに不自然さがあったが、それでも無理矢理記述しようと思えばいくらでも記述出来るわけで。

で、その不自然さを疑問に感じて、もっと自然にできないかな、と考えて地動説が生まれた、というのは正しくないですか?

自然からダメとか言い出したら量子力学相対性理論だって自然だし数学的にもややこしいわけだがそれはどう思ってるの?

ニュートン力学記述しようが天体の数考えれば近似しないと計算できないし正確にしようとするほど計算が複雑になるってのは天動説の頃と変わらん

それに地球の周りをほかの天体が回ってると考える方が日常感覚からすると自然では?

その際、地球を基準に取るとか取らないとか関係なく、地球が他の惑星同様太陽の周りをまわって無いと困ると思うのですが?

その点で、どの様な数学物理を用いると、「天動説」は記述できるのですか?と聞いたのですが?

相対性理論では絶対座標もなければ宇宙に中心もない

何かが何かの周りをまわってると決めつけないと困るなら相対性理論は困り者だな

http://anond.hatelabo.jp/20130824191841

惑星予測天動説でもできてたんだって

これに関しては、その様な動きになるよう、数学体系で無理矢理作り上げてたわけですよね?

そこに不自然さがあったが、それでも無理矢理記述しようと思えばいくらでも記述出来るわけで。

で、その不自然さを疑問に感じて、もっと自然にできないかな、と考えて地動説が生まれた、というのは正しくないですか?

出てきた当時は、その数学記述が長きに渡り洗練されてきたので、それはぽっと出の地動説で上手く説明することは出来なかったと思いますが。

で、今となっては、「天体観測」だけではなくて、その動きに物理的な意味を与えて解釈してるので、

その際、地球を基準に取るとか取らないとか関係なく、地球が他の惑星同様太陽の周りをまわって無いと困ると思うのですが?

その点で、どの様な数学物理を用いると、「天動説」は記述できるのですか?と聞いたのですが?

http://anond.hatelabo.jp/20130824191157

十分予測できたのは太陽系外の多くの星たちを当時の観測精度に対して、ですよね?

で、当時の観測精度ですら、太陽系内の星たちが変な動きをしてて、こりゃおかしいな、ってなったんですよね?

それを天動説のなかで説明できないから、地動説がでてきたわけですよね?

からそれが違うんだが

惑星予測天動説でもできてたんだって

しろ当時の観測精度では太陽系外の恒星の年周視差が観測できず

それを根拠に地動説おかしいと言われていたくらい

観測技術が上がって年周視差が検出できるようになってから地動説のほうが正しいとなったわけで

http://anond.hatelabo.jp/20130824184759

惑星運動天動説の周転円で十分予測できてたし

天動説をもとにした暦やらも1000年以上使われて当時の生活に支障はなかった

コペルニクス地動説出したばかりの頃は天動説のほうが予測の精度は高かったくらい

えーっと、生活に支障が出る出ないで論理を覆したわけではないと思うのですが?

十分予測できたのは太陽系外の多くの星たちを当時の観測精度に対して、ですよね?

で、当時の観測精度ですら、太陽系内の星たちが変な動きをしてて、こりゃおかしいな、ってなったんですよね?

それを天動説のなかで説明できないから、地動説がでてきたわけですよね?

天動説と言うとでたらめだらけで実用に耐えないものだったという思い込みがよくあるけど事実とは違う

実用ってなんでしょう?そりゃ、何でも近似して簡単なモデルにして実用に当てはめてる物はいくらでも有りますよ?

E=mc^2を車のスピードなどで考慮しますか?古典力学をそんなものは使えない理論だと言って捨て去りましたか

天動説」と「地動説」と言うのは、そういった実用レベルでどちらが扱いやすいか、と言う話ではなく、

もっと根本的な話ですので。

実用に耐えないものだったという思い込みがよくあるけど

こんな話聞いたことありませんが?そもそも実用ってなんでしょう?

http://anond.hatelabo.jp/20130824183455

何が聞きたいのかいまいちわからん

どこを中心にするかは数学的に座標変換するだけで済む話

惑星運動天動説の周転円で十分予測できてたし

天動説をもとにした暦やらも1000年以上使われて当時の生活に支障はなかった

コペルニクス地動説出したばかりの頃は天動説のほうが予測の精度は高かったくらい

天動説と言うとでたらめだらけで実用に耐えないものだったという思い込みがよくあるけど事実とは違う

2013-08-10

寂しくて悲しくてしょうがない

宇宙旅行にいったり、異星人と対面することもなく死ぬんだなと思ったら寂しくてしょうがない。

なんで1万年後くらいに生まれてこなかったんだろう(´;ω;`)

惑星ワープ航行とかしたかった(´;ω;`)

2013-07-23

きっかけがあって思い出したわけじゃないけど

男2人女2人の車中で、惑星の話になった。

そしたら運転している男性がなにを血迷ったか「俺は仮性人だけどね」と突然カミングアウトしたのでシモネタ耐性のない車内他3人(事故処理できず言った本人も黙った)は完全に無言になったことをなんとなく思い出した。

2013-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20130713213505

財源はどうするんだ?なんていう野暮な話はなしで。

唯一にして最大の問題点をいきなりスルーかよ

「全人類はいずれ他の惑星移住することになる。財源はどうするんだ?なんていう野暮な話はなしで」と同レベルじゃん

元増田って人に何かを教えた経験ないのか?

2013-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

産むかどうかではない。産まれるかどうかだ。

親は子を選べないというのは知覚概念で「産まれている」ことが前提だ。

産む産まないもそうだ。

既に産まれている。

子は親を選んで産まれてこれるかといえば否だろう。

気がついたら産まれているわけだ。

生まれなかったら気付くことはない。





皆気がついたときには地獄に落ちてきているわけだ。前世や他の惑星では知らんがこの地獄でどう生活するかその価値観は知らない。




ここに産まれて来たと認識できた時点がスタートだ。

これから地獄の住人を増やして寂しくないようにしよう。そんな風に考える生活もあるだろう。


生まれた子供のことはどうたらこうたら考えたり親がするものなのか。

自分地獄に引き釣り込んだだれかというのは子供のことなのか。


そんなことは知らん。地獄の淵で這い上がろうともがいてつかんだら人の足だったって話だ。


産まれて来た子供だって自分と同じ処遇なわけだろう。どこからともなく地獄におちてきた。


親のせいとしたいところだが、何千年何万年と前からつながる連鎖の結果で自分が発生したという地獄の淵で足首のつかみ合いの結果自分も巻き込まれたって話だろ。


自分の親一代が何億年とつながる生命連鎖反応を起こしたわけじゃないだろう。

親の親の親が産まなければ結果自分は生まれてこなかったわけだ。



産むかどうか考えて結果産んだり産まなかったりしてもいい。産まなければまた産まれなければ産まれてこないだけ。




地獄が終わるときには地獄に投下される人口ストップするだろう。それはせいぜい100年足らずしか生きられない人間コントロールできるところではないだろう。

何億年と続いた地獄の釜の口が塞がりますとなったら産まれてこないだろう。



産むことが幸せ子供が愛らしいといった感情も自ら規制して「子供をまもるため」という理由で制限していっている。地獄の釜の口も狭まってきているのかもしれない。




なにをどう考えても産まれるときには産まれる。親が考えた考えてないとかいう人ひとりの抵抗で地球という地獄に抗ってもその勇気を称えられたり結果がでたりするものではないだろう。






産むかどうかとか知らん。どうでもいい。殺すかどうかとか盗むかどうかとか勤勉に励むかどうかとか友愛に勤めるとか知らん。どうでもいい。



ただどうでもいいけど結果なぜかしら産まれてきてしまったわけだろ。


同じ地獄に落ちたもの同士でもがき合うだけだろ。

人が人を産むのも人が人を殺すのも出来るわけだが人が人類の発生を停止させたり行動を統一したり人類創造したりすることはできないだろ。


私たち地獄を作っているとかいう大層な世界観ではなしに自分たちの生まれてから死ぬまでの経験すべてはこの地獄で起きてる悲惨な現象ということだけだ。

たまにいいことがあるからとか幸福なことがあるからかいうこともあるだろうけどそれは親がつくってくれたもの人類が作り上げたものなのか。

地獄におちてきた自分がそこで見聞きした風景を語っているにすぎない。






まり幸福で満ちている世界ってのはここじゃないってだけの話だ。自分たちの幸せ子供が生まれるのだとしたらここじゃないってだけの話だ。


自分が生まれてくるのが幸福にあるのだとしたらここではないどこかだって話だ。


地獄法則その1セクロスを執り行って肉を孕むという悪行をなしたものはそこに招き入れられる魂をこの地獄に引き釣り込むって話だ。

ほかにも地獄になんらかの形で落ちてきた魂を搾取すると呪われるため地獄に据付の植物しか食べてはいけないとか会則もあるぞ。

ということで世界は神の世界から鬼畜世界までいくつかに分かれてそれぞれにシフトしたりとかいオカルトとか妄想古代から人間にはあるわけで今しっかり「生きることの不幸」を熟考しても気がついたら「それ先に考えて結果なんかほんのりいい感じに仕上げてるやつがいる」と洞窟を掘っていったら先住民の高度な文明を見つけるみたいなことになるので嵌まるなら先に宗教はどの系統にするか考えておけ。

2013-05-31

私がPATMになった経緯と僕の思い

PATMについてあなたはどれくらい知っているだろうか

この前、上記の日記を書かせていただきました増田です。

PATMについてご存知ない方々のためにPATMについての記事を書いたが、

思っていたとおりの反応だった。

PATMに関してご存知ない方は上記の記事を読んでいただいてから本記事を

お読みいただくとよりいっそうわかるかと思われる。

改めて思うのは人間という生き物は自分の見たことのないものというもの

信じない傾向にあるということだ。 それは宇宙人であったり、未知の惑星

いるかもしれない生物かもしれない。 あるいは、写真に写りこんだ霊魂かも

しれない。

とにかくそういったものは普段の生活の中で遭遇することがない。

そのため、多くの人はそんなものがあるのかと疑ったりする傾向にある。

ほとんどの方々は私が精神病であるという風に思っているようだが、

実際にはそうではない。 実際に自分の発する何かで自分の鼻が

痒くなったりすることがかなりある。 目が痒くなったりすることも

数多くあるのだ。

まず、気のせいだとする方々に私のあるエピソードを書いて説明することにする。

現在アルバイトをしていて、専門学校に通っていたことは前回の記事でも記させて

いただいた。

私は3年間、専門学校に通っていたのだが、1年、2年は教室内で咳き込みがあったり

マスクをされるなんてことはほとんどなかった。 3年目も最初のうちはのどをえへん

えへんと授業中に鳴らす人がいるのが気になった程度だったが、ほとんど気にして

いなかった。むしろ学校生活が楽しくて楽しくてたまらなかったのだ。3年目は!

後半は夏の実習(どっかの施設に行って研修をうけること)が終わって学校に帰ってきてほとんど休みがない中、

アルバイト現在も同じ)をやりつつ学校も通いで週に1日休みあるかないかだったときがかなりの期間続いた。

ちょうどその期間は学校文化祭(11月中旬)に向けて劇の練習があったりするなど、毎日遅くまで残って

練習が続くなど心も体もハードだった。

そんなストレスが続く中、汗をかいていたこともあって女の子から「汗臭い」と言われたのが

きっかけだったかもしれない。

11月頃になると私のストレスは半端なかった。元々電車に乗るのも苦痛だったが、

さら電車に乗れなくなってしまって、電車に乗ると体が熱くなって汗がダラダラと

出てしまう症状に悩まされた。 満員電車には乗っては降りて乗っては降りてを

繰り返しながらの通学だった。

ある日を境にマスクをする人数がどんどん増えだした。 クラスの7割ぐらいがマスクをしだしたのだ。

今思えば一体何が起こったのだと思うくらいなのだ。 よくよく振り返ってみると

僕が教室に入る前と後で見ると入った後でマスクを着用する人が結構多かった。

マスクしない人に目立ったのは咳とか鼻水をすする音が目立った。

無理をしてマスクをしないでくれた人には敬意を表する。

そんなこんなでクラスマスク多数になる日が多くて僕はノイローゼになってしまい、

12月頃には学校を度々休んだりする日が多かった。

しなしながら、この学校は休む日数に厳しく、ある日数以上休んだら単位をもらえない

ということがあってなかなか休むことが難しい学校だった。 つまりこういうつらい思いをしても

学校に通わなければならないことこそがありえないと思いながら登校していた。

お金を出して通学させてくれている親のことを思うと何とか卒業したいと思う気持ちで

毎日通ってはいたが、実習の結果がよくなかったため、卒業することができなかった。

最後のチャンスで実習を15日間ある施設で行うことになり、それを全部行けば卒業

することができるというチャンスをいただいていた。ところが、そのころすでに学校では

咳き込まれるようになって皆がマスクを着用し、僕に対する視線がつらかった。

そんなこともあってか、実習に行く気力や気持ちが完全に失われてしまった。

それでも私は一日だけでも実習にはがんばって出ることにした。僕の精一杯の一日だった。

ちなみに夏の実習は30日間である。 それをクリアできたのはPATMを自覚していなかった

のとそこまで酷く物質を発していなかったかであると思う。

ときどき先生とも面談することがあるのだが、先生研究室に長くいると途中で先生が咳き込み出し、

窓を開けてから話すみたいなことになった。 そういった先生の反応はすごくストレスになったし、

それが僕に影響を与えているという認識先生は持っていなかったにちがいない。 ほかの生徒が入っても咳き込みだして

窓を開けるなんてことはしなかったのに。。。なぜ僕だけ毎回咳き込まれるのだろうと思った。

先生に咳き込まれたのは一回の面談でではなく、毎回の面談で酷く咳き込まれ、窓を開けられるのだ。

それが非常につらくてしょうがなかった。

こうしたことが積み重なって学校のすべてが嫌いになった。

二度と学校には行きたくないという気持ちになってしまったが、アルバイト先では咳き込まれることも

あったが、僕の名前を呼んで必要としてくれるお客さんもいるということもあって僕はなんとか

生きていることができる。

いつもその方には「増田ちゃん、やさしいね」と言われ、そのときは本当にうれしいというか

波が出そうなくらいうれしい。 僕は性格ホント腐ってるけど、人に対してはやさしく接している。

僕が生きていられるのは今のアルバイト先でお客さんから必要とされているということもあるからだ。

それだけで生きていていいのだという気持ちにさせてくれる。

でもいつか僕はみんなと同じように電車に乗って渋谷に行ったり新宿に行ったりして

いろんな人に出会って遊んだりしたい。

ずっと同じ生活範囲で生きるなんてつらい。 自由に生きたい!

僕にとっては彼女がほしいとか童貞卒業したいとかそんなレベルよりも先に普通生活

できるようになるということが今一番の課題かもしれない。

2013-04-29

「誰もひとりでは生きられない」

非常にありふれた言葉だが、真実だと思いたい。

需要供給曲線の中で、「自分」という存在需要が無ければ「給料」という供給存在しないだろう。

誰もが求められ、そして誰かを求めて、生きている。

コンビニの店員がいなければ困るだろうし、怪我をした時に夜間の当直医がいなければもっと困る。

農家がいなければスーパー野菜は並ばないし、運転手がいなければ電車は動かない。

世の中ってそういうものだと思うし、そうあるべきだとも思う。

そして誰もが誰かに求められて、誰かのために働いている中で、それでも休日というもの存在するのは、”休日がなければいつまでも供給できない”というコンセンサスがあるからだろう。

そういうことをぼんやり考えていると、ふと1つの疑問に辿り着く。

「どこまでが自分なのだろう?」

もっと言ってしまえば「それは本当に自分なのだろうか?」という疑問かもしれない。

コンビニバイトも、夜間の当直医も、農家も運転手も、あるボーダーパスすれば自動的にキャリアアップされるこの世の中で、職業に密着したアイデンティティというものはなかなか希薄である

「私が死んでも代わりはいもの」……とは某ヒロインの言だが、実際、ほぼ全ての職業に対して代わりは用意されている。

勿論、それは非常に死にやすい1匹のホモ・サピエンスに掛け替えの無い仕事を任せるのは非常にリスキーから、どうしようもなく、必然的に辿り着いた結果なのだが。

そういう疑問に(無意識下かもしれないが)辿り着くから、人は帰るべき場所=どこまでいっても自分を求めてくれる場所を求める。

しかし悲しいかな、それは自動的に、簡単に与えられる類のものではない。

人は、雄と雌は、簡単に恋に落ちる。

「1億人から君を見つけた」だとか「100年の恋」だとか言うけれど、実はそんなに大それたもんじゃない。

ある人が繁殖適齢期に出会う、繁殖適齢期の異性の数なんてたかが知れてる。

精々数百人、だろう。

そんな少ない中で人は何人にも恋をする。

色んな人を好きになり、色んな人とセックスをし、生きていく。

100年の愛を誓って結婚したとしても、意外と簡単に離婚して、また生きていく。

恋愛ですら、将来的には家庭ですら、その個人にとってオンリーワンものではないのだ。

結婚相手は代替可能な繁殖相手にすぎない。

しかし、それは恐怖だ。

旧来の価値観では帰るべき場所になりうるはずの家庭ですら、絶対的なものではないというのは、アイデンティティを揺らがす恐怖だ。

果たして自分は、ここにいる自分は、誰かの代替品としてでなく、死ぬまで誰かに必要とされる人間で有りうるのだろうか。

それとも、ちっぽけだが美しいこの惑星に70億匹もしがみついて生きているこのホモ・サピエンスという種族は、そもそもどの個体をとっても代替可能な個体なのだろうか。

2013-04-04

ローンチウインドウの問題あるんじゃね

色々増田で読んで思ったのは、少子化子供を産むための行動に関するタイミングシビアすぎることが大きな問題なんではないかということ。

惑星間航行させる宇宙機みたいに、ほんの数年しか機会がないかのように思える。「理想的な進み方」では結婚相手探すタイミングが4年しかなくて(未成年のおセックスは厳禁で大学在学中か就職後すぐ結婚相手決めるんでしょ、みたいなね。)結婚したら3年以内に出産しないと仕事復帰タイミングが年齢的に難しい、みたいな変なことになる。

現実には別にそんなシビアじゃなくて、日本結婚するのあきらめて外国で長いこと翻訳やってたら料理修行に来た一回り以上も下の日本人男の子できちゃった結婚した45歳(当時。無事育ってるし仕事にはわりとすぐ復帰)なんてのが知人にいたりするんだが。

そもそも未経験者というもの典型的モデル伝統モデル安全だろうと考えてなぞろうとするものであろう。その伝統モデル現実にあわない高嶺の花だった場合、独自のモデルを築こうと努力するのもそりゃあいるだろうけど、大抵はああこれは無理だなあと実現そのもの回避してしまうのではないか

から子供を産もう、産む前提で将来の予定を立てて実践していこう、というのがマクロで見ると減っちゃってるんじゃないかなあ。

中学生高校生向けに、働く母親働かない母親働く独身女性など様々な人生のパタンを持つ例をいっぱいいっぱい提示したらちょっとはましになったりしないかな。

2013-03-08

理系文系の本当の違い

タイトルはやや釣り。既に皆が知っているような事を、ちょっと別な言葉でもう一回書くだけ。

一応最初自己申告すると、筆者は理系を自負している。

 

違うのは興味の対象

いきなり結論を書くと、これ。

理系事象や物それ自体に興味を抱き、人間同士の営みについてはあまり興味がないが、文系は基本的に人間中心主義で、人間関係に強く関心を寄せる。

興味というと話が限定的になるので、世界の捉え方と言ってもいいかもしれない。

理系は、まず銀河の中に太陽系がありその中の地球と言う惑星に棲む様々な生物のうちの一つが人間、というように、自然科学的な世界の枠組みの中に人間社会があると考える。物事の本質はそれ自身の持つ法則や性質にあり、人間がそれに与える意味は付随的な物と考える。

一方文系は、まず人間社会がありその中の一団が天文学を発達させ太陽系銀河の有り方を発見した、というように、人間社会の枠組みの中に様々な知識や発見があると考える。人間社会に置いて物事がどのような意味を持つか、それこそが物事の本質であると考える。

どちらの見方もそれぞれに真理であり、当然ながら優劣をつけるような種類の事ではない。

筆者は子供の頃、理科はとても好きで教科書を隅々まで読んだりしたが、社会科殊に歴史現代社会には全く興味を感じなかった。基本的に社会科人間同士の営みの話だからである歴史の授業で出てくる○○の戦いやら××革命やらも全て、「ある時代のある場所人間同士が喧嘩した」というだけのことに見えて、個別に細かく眺める意味がさっぱり分からなかった。それに比べると理科の知識は、一つ覚えるごとに一つ新しい世界が広がるような気がしたものだった。

現在ではその頃よりもう少し歴史面白さが分かるつもりではある。

興味が違うとどうなるか

興味が向かう方面に関しては努力も苦にならず、能力が伸びる。その結果、理系は物事に入れ込むオタク気質に、文系人間関係に強いリア充になる。

逆に、興味がない分野のことについては、アプローチが下手になる。理系は、新しい知識や発明品が、人間社会においてどんなカードとして使えるかまで、気が回らない。ただその物の新奇さやスペック凄さを言うばかりで、それが金や権力にどう変換し得るか、その発見で喜ぶのは誰で困るのは誰か、そういう政治ビジョンが乏しい。文系からすれば酷くどうでもいい事に拘って人間関係を悪化させたり、他者の発言の裏にある感情政治的動機が読みとれずに見当違いな反応を返したりする。

一方文系は、人間関係の中でのみ有効方法を、それ以外の分野にまで当てはめようとして、おかしな話に引っかかってしまう事がある。例を挙げれば、自然現象相手に取引やお願いをしてみたり(「願えば叶う」式ライフハックなど)、自然に起こった出来事に誰かの作為を求めたり(ID論など)、人間価値観で物事の因果関係まで推測したり(水伝など)、と言った調子だ。最重要事項が良好な人間関係政治的な強弱関係であり、知識や情報はそのための道具にすぎないので必ずしも正確さは必要なく、より人を動かせる話に食いつく。

 

断定的に書いたが、実際は大抵の人間理系の心と文系の心を両方持ち合わせており、割合に個人差があるだけである。その割合も、置かれた環境や心理状態によって変化するであろう。

興味の方向性から、それぞれ理系分野・文系分野に進む傾向は有るかと思うが、当然当てはまらない人も多く居るだろう。

筆者は文系の心がやや乏しいため、文系の描写にはズレた点が多いかもしれない。

ツッコミ歓迎。

2013-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20130228224337

じゃあ昔のでもいいかおすすめSF小説を教えてくれ。

独断偏見無問題


参考までに自分の好み。

・とりあえず翻訳物は苦手っぽい。日本人作家だとありがたいかも。

・よくまとめサイトとかであがるものだと星を継ぐ者があるけど、あれは最初の10ページだか20ページだかで読むのをやめてしまった。

小川一水の老ヴォールの惑星面白かった。でも同作者の他の作品(ラノベレーベルとか)はなんかイマイチ面白くなかった。

神林長平は、ラーゼフォンだけ読んだけど合わなかった。

伊藤計劃は前提知識とかが専門的すぎるように感じられてとっつきづらかった。

秋山瑞人は好き。イリヤ猫の地球儀も。

うえお久光紫色のクオリア面白かった。

ループもの、時空跳躍ものが好き。そういや夏への扉とかもオススメで上がってたっけか。

2013-02-28

SF小説における「おはなし」はただの後付けのオマケ

ぶく速 SFが読みたい!2012年のSFベストランキング発表!

これで上位にあった、南極点ピアピア動画ってのを読んだ。

うんちくは多いけど、それだけって感じ。

俺設定・俺テクノロジーを語るために物語適当こじつけたような。

SFってただの設定厨ってことだったの?

がっかり

■2013/03/01追記

SFってひとくくりにしたのはよくなかった。反省

南極点ピアピア動画には、カタルシスほとんど感じられなかったんだよね。

予定調和的に淡々と進んでいくだけで、オーバーテクノロジーなりトンデモ理論なりが、話の展開を作る上でただのモブに成り下がってたように思えた。

それを使って話の展開が180度変わったりとか、そういうカタルシスが欲しいんだ。個人的には。

SF的な「設定」は「とりあえずある」っていうだけで、おはなしの部分は平坦なストーリーをなぞるだけだったら、むしろストーリーなんてなくていいとすら思えるんだよね。

用語集とかだけでいいじゃん、みたいな。

じゃあSF小説醍醐味ってなんなの?って話にもなっちゃうけど。

参考までに自分の傾向。

・とりあえず翻訳物は苦手っぽい。日本人作家だとありがたいかも。

・よくまとめサイトとかであがるものだと星を継ぐ者があるけど、あれは最初の10ページだか20ページだかで読むのをやめてしまった。

小川一水の老ヴォールの惑星面白かった。でも同作者の他の作品(ラノベレーベルとか)はなんかイマイチ面白くなかった。

神林長平は、ラーゼフォンだけ読んだけど合わなかった。

伊藤計劃は前提知識とかが専門的すぎるように感じられてとっつきづらかった。

秋山瑞人は好き。イリヤ猫の地球儀も。

うえお久光紫色のクオリア面白かった。

ループもの、時空跳躍ものが好き。そういや夏への扉とかもオススメで上がってたっけか。

↑って書いたら、日本人のを読むからダメなんだと言われたから、とりあえずSF要素が薄いor読みやす海外モノでオススメいかな?

名作と呼ばれてるもの=読みやすいってわけじゃないのは痛感してるから、「SF 名作」とかで出てくる本にも下手に手を出しづらいんだよね。

まして翻訳物になるならなおさら

2013-02-12

主語は大きくいこう

増田コーヒーボス宇宙人ジョーンズのCMが好きだ

ジョーンズは「この惑星」というフレーズを良く口に出すが、決して個人を非難したりしない

特定の個人を批難してもお互いに深く傷つけあって嫌になるだけ 主語の規模を大きくすればするほど傷は浅くなる

「他人に批難された」ではなく主語の範囲を大きくすることで相手が「そういう一面があるかも」と自ら感じ軌道修正に向かうのを

僅かに期待しながらほのかに囁きたい

増田ネットではそうあり続けたい 

13年間ネットの中を漂ってきた増田は、集団が個人を集中してdisる光景を度々見かけるうちにそういう

風に考えるようになった 

ネットで度々特定個人を傷つけ貶める書き込みを好む人達が、他人の主語が大きいのを批判したところで見ず知らずの他人との戦争を望んでいるとしか思えない

2013-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20091215100454

もうちょっと調べればわかると思うけどさ、『惑星開発委員会』って、仮面ライダー用語じゃないのよ。

カイゾーグだとかなんとか言っているのと並列で、惑星開発用改造人間って単語ならスーパー1に出てきたことあるけど、それも造語といえるほどのものではないと思う訳よ。

別に宇野さんが自分仮面ライダーのファンを隠してる訳でもないってのはそうだけど、元々の『惑星開発委員会』ってので仮面ライダーを大きく扱ったことってないと思うのよ。

という訳で、その宇野だか善良な市民だかの人って、たぶん特撮に関しては平成ライダー以外は興味ないって意味では仮面ライダーとかの特撮おたくって表現はその通りじゃない。

だけどなぜかよくわからないけど、ゼロ年代の色々なサブカルチャー社会批評平成ライダーのカラミが特撮ヒーローに多少は興味ある程度の層にも受けたのか、一定の読者が存在して、しか特撮ヒーロー漫画雑誌なんかにも呼ばれちゃったから「俺なぜか仮面ライダーとかの特撮おたくしてる」って錯覚に囚われてしまったのが件のルサンチマン壮年さんだろ。

あくまで皮肉気味に自称しているだけじゃなくて、いつの間にか本人も自分のことを特撮に詳しいと信じ込んでいると思われ。

かの矢口真里と同じで、実際の特撮ファンの冷たい視線を気にせず「子供の頃から特撮作品が好きで、この年代では2~3位になれるくらいDVDとか持ってます」って言えちゃうポジションだと受け取るのが正解。

2012-12-03

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ 2010年1月12日 庵野秀明ゲスト回その2

第1回

http://anond.hatelabo.jp/20121203123633

 

ナレーション

 

鈴木:ひどいこと言うんだもん、色々(笑)。『もののけ(姫)』のときもねえ……。『もののけ』どうだったって聞いたら、「レイアウトダメになった」って(笑)

庵野ダメでしたね。よく宮さん(宮崎駿)、このレイアウト通したなというくらいダメでしたね。

鈴木(笑)。かなり自分で描いてんだけど。

庵野:いやー、ダメでしたね、レイアウトはかなりね。レイアウト世界一の人だと思ってるんで。

鈴木はいレイアウトマンだもんね。

庵野:ええ。あの空間の取り方のなさっていうのは、ちょっと、あれは歳取ったのかなって思っちゃいました。

鈴木空間がなくなっちゃったんだよね。

庵野はい。すごく平面的になってて。

鈴木:すごくフラットなっちゃったんだ。だからすごいのはお話のほうで、画のほうはどっちかっていうと結構サラッとしてるっていう。

庵野:サラッとしてます。あれが『(崖の上の)ポニョ』でまた粘りが出ててよかったなっていう。

 

ナレーション

 

鈴木:『ポニョ』の前にね、宮さん、ディズニーチャンネル見まくったんだよね。そしたら「動きすぎだ」って最初言ってたのが、途中から「いや、動き過ぎだと思ってたけどそうじゃない、動くことに意味はある」って。それで突然「世界は動いてるんだから、やっぱり動かすべきだ」って。それをテーマにやりはじめた『ポニョ』はどうでした? なんて今頃聞くのもあれなんだけど(笑)

庵野:Bパート、いや、Cの途中まではすごい好きでしたね。

鈴木:Cの途中ってどこ(笑)。ばあちゃん話になる前?

庵野:うん。いまの尺でも僕は長いと思いますけどね。

鈴木:いまでも。

庵野:うん、いまでも長いと思いますね。お母さんが宗介を置いて車で行っちゃうじゃないですか。それで二人っきりになるあたりからは、あんまりノレない感じですね。それまではすごいよかったですね。

 

ナレーション

 

庵野特にあのお母さんがいい。

鈴木:えっ。

庵野:お母さんがいいです、もう。

鈴木:お母さんが。

庵野:うん、近藤(勝也)さんがすごくうまい

鈴木:「色気がありすぎるんじゃないですか」って――

庵野:いや、それがいいですよね。いままで宮さんになかったものじゃないですか。

鈴木:そうしたら宮さんがね、「あれは勝也がやってて俺じゃないから」って(笑)

庵野:そうそうそうそう、それがいいんですよ。いままでの宮さんにはできなかったこと。

鈴木:だから、すっごい色気があるんだよね。

庵野:いいですよね。線だけでそれ出すんですよ。

鈴木:だから俺びっくりしちゃったんですよ。

庵野:宮さんが手を入れてないってのがまた良かったんですね。

鈴木(笑)

庵野:あれにまた入れ直したらもうブチ壊しだったのを、それをグッと抑えてるのが大人になったというか――

鈴木:いやいや歳取ったのよ(笑)

庵野:歳を取ったというか。

鈴木:さすがだなあ、よく見てるね(笑)

 

ナレーション

 

鈴木:僕ね、すごい覚えてるのは、スタジオ……あれは(スタジオ・)グラビトン

庵野はい

鈴木:あの、もりやまゆうじ森山雄治)がいて。そこで初めて(鈴木庵野に)会ったの覚えてるんですよ。

庵野:それは(スタジオMINなんですけど、細かく言うと。

鈴木MIN

庵野MINっていうところですね、スタジオMIN

鈴木:あ、そっか。

庵野:桜田にあった、フリーアニメーターが寄り集まってるスタジオ界隈ですね。

鈴木:あのとき自己紹介されたの覚えてるんだよ、俺。順番がちょっとぐちゃぐちゃなんですけどね。ただ、当時もりやまゆうじっていう人と一緒に押井守原作漫画をやってたんですよ、『とどのつまり』っていう。それで、そこのスタジオ漫画原稿取るっていうんで1ヵ月に一回行って。押井守原作を書いて、彼が画を描いてたんですけど。そこで(庵野が)登場して、あの「住所不定なんです」って。

庵野:ええ、家なかったです。

鈴木:だから、ここに居候してるって。あれいくつくらい?

庵野24……ぐらい。

鈴木:えっ、そんななってんの、もう。

庵野:ええ。24、5じゃないですか。

鈴木:あ、なってんの。そうなんだ。

庵野:ええ、23、4。24くらいだったと思いますね。『(風の谷の)ナウシカ』のあとですもんね。

鈴木:あれ『ナウシカ』の直後?

庵野:『ナウシカ』のときも家なかったですから

鈴木:そうだよね。

庵野:ええ。大阪アパート引き払って、とにかくカバンだけ持って――

鈴木東京へ出て。

庵野:ええ、宮さんのとこ行って。で、家はないのかって言われてありませんって。そのときは高校時代友達のところに荷物だけ置かせてもらって。トップクラフトで寝てましたね、寝泊まりは。

鈴木:ああ、あそこで寝てたんですか。あの応接で?

庵野:いえ、応接なんかで寝ないですよ。机の下ですよ。机の下か、隙間。壁と動画机の隙間が60センチぐらいあって。そこで寝てましたね。

鈴木:とにかく『ナウシカ』始まったときに、やらせろっつって。当時トップクラフトってところで『ナウシカ』作ってたんですけど、現れて。なんか原画持って来たんだよね。

庵野:ああ、自主制作やってたやつですね。

鈴木:それで宮さんが気に入って。その画を見て、多分ここがいいだろうっていうんで巨神兵を。

庵野:いきなりですよね。めちゃくちゃです。ズブの素人ですよ(笑)

鈴木:それで粘りのある画面を描いてくれるだろうって。

庵野:いやあ。

鈴木:でも描いてくれたじゃない。

庵野:まあ出来てよかったですけど。でもよく任せましたよね。

鈴木:宮さんの独特の勘だよね。あまり給料払えなかったよね、多分。

庵野:いえいえ! あれは貰えましたよ。

鈴木:あ、本当?

庵野:それまで安かったですから。『(超時空要塞マクロス』のテレビ大学ときアルバイトでやったんですけど、1カット1800円でしたから。

鈴木:1800円!?

庵野:ええ。まあテレビシリーズですから、そんなもんです。1800円です。

鈴木:はあ。でも、あの巨神兵は凄かったよね。粘っこいでしょ。だってあれだけやるのに、あれ秒数どれくらいあったの。

庵野:長いのが十何秒ですか。普通6秒か8秒で、でも伸びてやっぱり10秒になってたと思いますね。

鈴木:それをどのぐらいの期間でやってたんですか。

庵野:1番長いのは2週間ぐらいですね。

鈴木:ああ、でも当時だとそれぐらい、それでもすごいよね。

庵野:んー、まあ巨神兵については一個悔しいのは、中(動画の中割り)を7枚にするべきだったと思いますね。宮さんはあのとき「中5でいいんだ!」って言ってて。でも中5は速いんじゃないですか……って。でも中7にすると枚数が増える上に尺も延びるから間に合わないって、中5でいいって。そして影も2色つけなくていい、1色でいいって。「ええっ~!」というやつですね。あのときは影は2色……まあ、それでも2色は許してくれたんですけど、「3色つけたら殺す」という風にメモがありますよね。

鈴木:やっぱり影を付けたくない人なんですよ。

庵野:ええ、でも大きさはやっぱり影で出せるものがあるじゃないですか。

鈴木:でも、あれは記号から――

庵野:いや、記号からこそ、ですね。でも色々教えてもらったのは、本当に板野一郎宮崎駿、この二人ですね。アニメ技術だけじゃなく、作り方みたいなものも横で見てて。だから僕の師匠はこのふたりですね。実際色々教えてくれましたからね、手取り足取り。

鈴木:いや、ジブリ、西ジブリって作ったでしょ? だからいまトヨタのなかで若い人、22人やってるわけですよ。そういうとこ行って、ちょっと特別講義を……。

庵野(笑)

鈴木:みんな喜ぶよね。でも喋るだけじゃなくて、実際のね、なんかやってくれるといいんじゃないかって。

庵野:昔、宮さんが塾を二馬力でやってたときに、一回行きましたね。でも宮さんって自分が好きか、こいつはいけるっていう人じゃないと教えないじゃないですか

鈴木:そう。やっぱり……依怙贔屓なんだよね(笑)

庵野:依怙贔屓と、やっぱり自分下駄が欲しいので。自分の役に立ちそうな奴しか労力を使わないですよね。

鈴木(笑)

庵野:僕が『ナウシカ』のときに色々教えてもらったのはそれだなあって。巨神兵をこいつにやらせとけば、自分はそれを直す手間の分、ほかのことやれるっていう。それだと思いますね。

鈴木:でも、だってアレやってくれるだけですごいホッとするんだもん。

庵野:うーん、でしょうね。だったと思います、いま考えれば。

鈴木:でも、ラストシーンは『ナウシカ』よかったんですかね、あれで。

庵野映画はあれでよかったと思いますけど。

鈴木:宮さんの最初の案は、とにかく王蟲が突進してきて、そこへ降り立つナウシカ、それでいきなりエンドマーク。それて王蟲の突進は止まると。……これは困ったんですよ。

庵野:いやー、引かれないと困るでしょうね。

鈴木:だから延々、僕ね、それこそ最後のほうコンテが出来たとき高畑さんとふたり阿佐ヶ谷喫茶店で8時間ぐらい、色々話したんですよ。これで行くのか行かないのかって(笑)。それでとにかく現状はいまある案。2つ目がナウシカが死んで、伝説の人になる。で、3つ目がね、死んだあと甦るっていう。それで最後さ、高畑さんがね、「鈴木さんどれが好きですか」って(笑)

内藤:好き嫌いになるんですか。

鈴木:そりゃやっぱ甦ったらいいんじゃないですかねえって。じゃあ、つってふたりで宮さんのとこに言いに行くんですよね。いやー、判断が早くて。「ふたりで決めたんでしょ、じゃあそうします」って。考えないんだよね。

庵野:あのとき見せてもらったのは、巨神兵王蟲が戦うのは、見たかったですね。

鈴木(笑)

庵野:あれかっこよかったですよね。まあ巨神兵は大変でした。僕は全然描けなかったと思いますよ、あのコンテのままだったら。

鈴木:でも――

庵野:見たかったですけどね。

鈴木:でも、あの巨神兵はすごかったよね。

庵野:まあ、宮さんだったら出来たんですね。『ナウシカ』の途中で、最初面接でお会いしたときにはすごく緊張したんですけど、段々それが解けてただのオヤジになっていったんで。普段アニメ作ると、宮さんってフィルターかけちゃうじゃないですか。

鈴木バランスとるんだよね。

庵野:ええ、いい人っぽく。

鈴木:そうそうそうそうそうそう。

庵野:本当はそうじゃないじゃないですか

鈴木:そうそうそう、悪い奴だもんね。

庵野:『ナウシカ』の打ち上げときに言ってたんですよ宮さんが、「人間滅びてもいいじゃん」っていうの。

鈴木:そうそうそう。

庵野:『ナウシカ』の打ち上げときに、最後のほうの相当宮さんも飲んでたときに、スタッフアニメーター若い女の子がひとり食って掛かってて。「人間が滅びてしまうじゃないですか、そんなの作っていいんですか」みたいなことを言ったときに「人間なんてね、滅びたっていいんだよ!! とにかくこの惑星に生き物が残ってれば、人間という種なんていなくなっても全然いいんだ!」っていうのを怒鳴ってるのを僕は横で聞いてて、この人すごいとそのとき思ったんですね。クリエイターとして宮さんが好きになった瞬間でしたね。人そのものに執着してないってのが根っこにあって、あれはすごくいいですよね。

鈴木:「もしかしたら私達そのものが汚れかも知れない」、いやー、もうそセリフ読んだときにね、ああこの人、人間よりあっちのほうが好きなんだって

庵野:『ナウシカ』の7巻は宮さんの最高傑作だと思いますね。まあ巨神兵のくだりは別にしてですね、宮さんの持ってるテーマ性っていうのが、あれに、すごくこう――

鈴木:集約されてる?

庵野:集約されてるっていうか、もう原液のまま出してるわけですよね。本当に、本当はすごくアレな人なんですけど。

鈴木:あの、負の部分っていうのか。

庵野:それがストレートに7巻には出ててよかったですね。『ナウシカ』の漫画にも色々出てますけども、7巻は特にそれが凝縮していていいですね。

鈴木:『ナウシカ』の『2』やらせろって言ったのはいつなの?

庵野:あれは……『ラピュタ』のころだったと思いますけど。吉祥寺で言った覚えがあります最初にね。

鈴木:あれはだけど俺、宮さんに真剣庵野がやるならいいんじゃないですかって。俺はこう説得したんですよ、宮さんを。「3部作にしたらどうだ」って。そうするとね、多分2本目は、宮さんが書いてるように、ある種、殺戮映画だと。第2部はそういうことでいうと、さあ、このあとどうなるんだろうという、そういう映画を作ればいいわけから庵野がやれば絶対面白くなると。で、その締め括りをね、宮さんが第3部でやったらいいんじゃないかって。いい説得でしょ。

庵野(笑)

鈴木:そしたら怒っちゃって。やめて下さいって(笑)

庵野:僕がやりたいのは7巻ですけどね。

鈴木最後じゃない。

庵野:ええ。

鈴木:未完だもんね、一応、あれで。

庵野:未完……いや、もうあれで十分だと思います

鈴木:十分(笑)。本人は未完なんだよね?

庵野:まあ、あのあとも語りたいです。

鈴木:いやかくね、宮崎駿に関して語らせたら一言も二言も、一家言も二家言もあるっていう。

庵野:いやいや、そんなことないです(笑)

鈴木:いや、ずっと一所懸命見てるじゃない。

庵野だって一応師匠ですから

鈴木:『ナウシカ』でどれくらいの期間いたの。

庵野:2ヵ月半くらいですかね。

鈴木:そしたらさっきの、もりやまゆうじのところに居たってことなのね。そしてしばらく経ったら、また『火垂るの墓』のときに現れたんだよね。

庵野:ええ、そうですね、就職活動ですね、仕事がなかったんで。宮さんのとこ行ってなんか仕事ないですかって。『トトロ』のオープニングをやるか、高畑さんのほうでなんか戦艦を描くのがいないっていうんで、じゃあそっちをやるかどっちだって。宮さんは前にやったんで僕は高畑さんと仕事ときたいですって。

鈴木:そうだよね、覚えてる。それで戦艦イルミネーションと――

庵野:ええ、イルミネーション花火の。実際には重巡ですけどね、戦艦じゃないですね。

鈴木:で、やってもらったら、なんかのときに話したら、よく覚えてるんだけど「二人のこともよくわかったんで」って(笑)

庵野:ああ。とりあえず一度仕事すれば、だいたいわかります

鈴木:で、終わったらいなくなっちゃったのよ。

内藤:そうなんですか。それでひたすらそれを、超えるために。

庵野:超えよう超えようと。

内藤:それで超えたときに人はどうするんですかね。なんか達成しちゃうじゃないですか。

庵野:ああ、でも次の敵が来ます。次の仮想敵が出るだけです。

鈴木富野由悠季)さんなんかはそう言ってたね。

庵野富野さんはそれでずっとやってる人です。

鈴木:はっきりしてる。

庵野:ええ、必ず敵作ってやってますね。

鈴木:……そうだよね。

内藤鈴木さんは仮想的とは違うんですけど、高畑さんの話をするときに――昨日もそうなんですけど――毎回高畑さんの話するときに、その当時の怒りが込み上げてくるみたいで……。

鈴木:いや、そりゃ色々ね。高畑さんって……曖昧じゃないからね。昔、押井守雑誌で対談したときに、押井守が『赤毛のアン』の第1話、これが僕がアニメーションをやるときに非常に大きな影響を与えられた。簡単に言うと、30分の話を30分でやっていた。こんなことテレビシリーズでやっていいのか。それで勇気づけられた思い出がある。そこに描かれていたのは日常を描くっていうことで……って言った瞬間、高畑さんがね(語気を強めて)「あなたが使ってるその『日常』っていうのはどういう意味なんですか」って言ったのよ。そしたら押井さんがね、黙りこくったんだよね。

庵野押井さんを黙らせるっていうのすごいですよね。

内藤:やっぱり高畑さんにはありますよね、そういうの。

鈴木:仮想的ではないんだけど、ねえ。

庵野:「ねえ」とか言われても僕知らないですよ(笑)

鈴木:うーん、甦るんだよね。

 

ナレーション

 

鈴木:宮さんにとっての仮想敵は? わかりやすいよね、高畑勲だよね、やっぱりね。

庵野:ずうっとそうですよね。

鈴木:そう。いまだに毎日喋ってて、誇張すれば半分は高畑さんの話だもの

庵野:いや、そうだと思いますよ。

鈴木高畑さんがいるから作ってる。高畑さんが作ろうとするから作る。おまけに高畑さんに作ってもらいたい。それが変わってないもんね。この期におよんでね、画コンテ描きながらね、「こういう画コンテ描いたらパクさん(高畑)に叱られる」って(笑)。なんちゅー純粋な人だろうと、そこは。

庵野:何回も挑戦してますよね、高畑さんを超えようと。そのたびに思い知ってるような気がします。

鈴木:やっぱり宮さんはね、高畑さんという大きな存在に包まれてる、と自分で思ってるんだよね。面白いんだよ。

??:(聞き取れず)

鈴木:やっぱり、ありますよね。まったく宮さんは宮さんの道行け、だから俺は勝手に行く、じゃないんですよね。やっぱり宮さんという人と一緒に作って来たわけでしょ。それで作ってきた人が、こうやって世間から認められて。それでいま作ってるものに対して、誰よりも関心が深い。誰よりもその内容を見返して、内容を把握して、それを自分のなかで整理しようとする。気を許すわけにはいかないよね。それが自分にある種の緊張をもたらしてるのは確か。それは高畑さんすごいですよね。だからそういう人が、誰かがいるから俺もやるみたいなことは大きいですよね。だから押井守もそうだったね。もし宮さんがいなかったら、宮さんみたいな映画作りたかったって。同時代に宮さんがいるから、俺はこんな変な映画作るんだと。自分で言ってましたけど、「変な映画」って(笑)

庵野:いいですね。

鈴木:『スカイ・クロラ』見た?

庵野:あ、見ました見ました。

鈴木:どうだった。

庵野:僕はまあ、面白いかなと。

鈴木:そうなんだ。「かな?」。

庵野:かな、と。

鈴木:どういう意味それ、「かな?」って(笑)

庵野:とりあえず寝ないで最後まで見れた(笑)

鈴木(笑)

 

(以下に続く)

http://anond.hatelabo.jp/20121204035736

2012-11-12

オバマ米軍、それと、左寄りの未来

オバマ大統領選に勝利したときの演説を聞いていて、あらためておもったのは、強い軍隊を持つ、強いアメリカ、という政策を堅持できなかったら、オバマは再選されなかっただろうな、ということ。

そして、日本左派リベラル派も、オバマのような路線を打ち出せない限り、政権は取れないだろうな、ということだった。

オバマさんはこんなこと言ってた。

子供たちには、借金の重みに苦しんでいないアメリカで生きて欲しい。不平等のせいで衰退したり、温暖化の進む惑星破壊さらされたりしない、そういうアメリカ暮らして欲しい。安全な国、世界中尊敬され憧れられる国を子供たちに残したい。世界最強で最高の軍隊に守られる国を。

http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/gooeditor-20121107-04.html

このあたり、オバマは、自分が実現すべきアメリカ社会ビジョンを明確に持ちつつ、アメリカのさまざまな立場のひとをひっぱれるリーダーとして、考え抜いているんだなと思う。

そこには、アメリカ白人男性も排除しないという姿勢があるし、強いアメリカでなければ希望が持てないひとへの配慮があると言っても良い。

アメリカ公民権運動は、アファーマティブアクションみたいな政策を実現しつつ、有色人種の地位向上を達成して、その結果として、オバマ大統領は二期目に入った。

ベトナム反戦運動は、ベトナム戦争を終わらせたかもしれないけど、軍産複合体解体されなかった。

日本だと、たとえば、性別による差別の問題や、貧困対策といった問題にとりくむ人は、反戦であり、米軍基地には反対であり、アジア諸国に対する謝罪は終わっていないし、領土は譲ってもいいんだ、と考える人でもある、という風な印象があるよなあ。

でも、そういう立場は、どこか、世の中に対してちょっとひねくれた見方をする立場に終わってしまって、メインストリーム政治的力へと結集することはできないままで終わってきた気がする。

まあ、いろいろ、それぞれの人の思いや、願いは、簡単には運動に結実しないとか、いろいろないきさつや事情があるとして、現実問題の解きほぐしかたとかは全部とっぱらうとして、オバマみたいな立場が左寄りから出てこないと、結局右寄りの人には勝てないんじゃないかと思う。

少なくとも、右寄りの人を軽蔑して、排除しかねない姿勢の人に、より平等社会を実現する政治はできないに違いない。

もう一歩踏み込むと、こんな感じ。

中国韓国に対して領土問題弱腰にならず、かといって、いたずらに空想的なナショナリズムなだれ込むのでもない、安全保障の面でも責任ある立場をとり、シビリアンコントロールを徹底して軍事力を保持し、米国との同盟関係をより対等なものに近づけるような努力を続けながら、あらゆる立場の人々が未来希望をもち、日本列島社会に生きることに誇りをもてるような、性別性的嗜好を問わず社会活躍することができ、出身民族やどんな家族形態で暮らすかに関わらず、生活するうえで平等で十分な保障を受けることができる、そんな国をめざず政権を建てられるような、そういう方向で政治リードする立場みたいなものはできないものか。

そんなの、ありえない、としたら、それはなぜなのかを考えたい。

2012-11-10

先日ゴティックメードを見てきたので感想をつらつら

ネタバレを含んでいるので嫌な人は読まずに映画を観に行こう。

ロボカッコイ

 主人公機のカイゼリンは色の変化する装甲、くびれウエスト、変わった関節、ハイヒールなどに作者のロボ哲学全開でデザインされている。そのデザインはそれは剣で相手をぶった切ることに全て投入さてれいるように思えて仕方がない。可動幅の広い関節やウエスト構造体重移動を助け振りかぶる動作のパフォーマンスを高めるための造りではないか、とそして細身なのは量化のため大型のはパワーのため。なにしろレーザー効かないからね、切るしかないのだ。ビーベロックとどめにしか使えないし。

 哲学全開な作りといつもの仮面フェイス、いいじゃありませんか。関節の構造一つ見てもちゃんと理由がある。まさに機能美、兵器としての美しさ。

機能美と顔やら装甲形状という永野ロボの様式美が合わさって超格好いい。え?機能美劇中全然表現されていないって?速すぎて見えないだけだよいつもの永野じゃん何いってんの。立つ所がクライマックスでしょ?様式美だよ様式美ぶっちゃけメロウラのほうが好きです。パンフ印刷美しい。

音楽ナイス

 最後リサイタルだけどBGMが広々としたカーマインプネット雰囲気に合っていた。殆ど船が進んでいるだけの序盤でも楽しめたのはBGM効果がでかい永野ベースで参加しているだぜ?

ただ記憶に残らない。良かった記憶はあるけど細部を思い出せない。それで良い、BGMはもり立てるためにあるのであって強い印象を与えてはいけないと思っている。だって音楽の印象が強いと「泣けるわー」「派手だったわー」くらいしか内容が残らないやん?シーン一つ一つを舐めるように見る作品なら音楽は脇役寄りが良い。

 序盤音楽なかったらコーラ飲んでポップコーン食べていると思う。映画館で飲み食いしたこと無いけど。ああ愛玩動物のラブってう生き物が恐竜みたいなのにあま噛み?されている時ボグッて頭が潰れるような音がした気がするんですけど気のせいなんですかね。

声優マッチしている

 トリハロンの声、PVで聞いた時はやる気ない感じで主人公ボイスじゃないなと思ってたけど、やる気ないシーンの声だった事が判明して納得。戦闘時の声とかボットバルトボットバルトいう時とか王子らしく青年らしい感じがよく合っている。ベリンは嫁ボイズなのは仕方ないよね、気の強い声とか自信の無いときの声とか上手だし何も言うことがない。ボットバルト早口のシーンが多いのだけどそれに合わせて声優を選んだかのか早口でも男らしく滑舌の良い声、顔から汗ダラダラだったり核弾頭使うシーンも無いけど渋い、画面の引き締め役キャラにですね。一人はいないと。LDIはエロい

めでたしストーリーFSS要素

 よくある旅モノなのだけどその中で互いの力を理解し合うていう事に焦点があてられている。ベリンがトリハロンをフォローしないとか神官最後まで言いたい放題だったりとかスルーされている。あとFSS要素なんて全くの解説なし。FSS知らないと誰だこのキチ○イとかなにこの傘頭とか、戦闘機みたいなの戦わないのかよとか最後少女何となること請け合いの謎が一杯。そのくせ最後はトリハロンベリンが和解してプロポーズもどきの発言したりとかしてめでたし、めでたし。でも、こんなに脇道、謎要素を多く含んでいるのにも関わらずストーリーはきっちり繋げられていて、めでたし、めでたしという気分になる。

別に戦闘シーンが少なくてタンパクだったりとか本編より最後のアシリアスタイル動いてるぅぅぅで、記憶が塗り替えられた訳じゃないです。その時は町もエストもSサイズなのだけど随分と町は子供ぽいんだなぁと思った次第です。エストはいかにもロボット然としていてファティマっぽいなぁと思ったのですが町は少女のような振舞です。実際外見は少女なのですがFSSの町はマスター自害したり、その後泣いている娘に泣くなと毅然と言ったり、病んだマスターを看病したりと苦労人感のある大人びたキャラだったので意外な一面でした。

 ところで「めでたしストーリー」なんて書いたけどトリハロンの国は後に星団最大級の軍事国家になって他国の戦争に加担したりする軍事国家になりました。トリハロンプロポーズもどき台詞の「その花を踏みにじられることはベリン、君を踏みにじられるのと同じだ」は踏みにじられる、しかもトリハロンの子孫(確定情報なし)の自国をを他の惑星に移すという大事業によって。沢山の血が流れることになる。しかも失敗。そして最後は泥沼の戦争をして星ごと国が無くなるという。トリハロンの子孫と思われる、フィルモア8世も病死か戦死で早死する可能性が濃厚になった。というのもクリスの横にいたのは金髪フィルモア8世ではなく黒髪のフィルモア9世だったから。白髪染めしただけかもしれないけどね。というかクリスかどうかも確定してないや。でもFSSまで通すとめでたしエンドじゃなくなるのも凝ってて面白いよね。

なんだか今後リッタージェットMk3のトランプ来場者に頒布されるらしいんですよね。しかも人型形態らしい。

駄文かつ、長文にお付き合い頂きありがとうございました。

2012-09-18

オベリスク巨神兵ってなんなん?

なに、「の」って。どういうことなん。意味わからんのやけれど。

主格でも所有格でも意味が通らん。オベリスク巨神兵なわけがないし、オベリスク巨神兵を所有してたら恐ろしい。

だってオベリスクなんだぜ? 神様でもなければ人物名でもない。単なる建造物なんだぜ?

いや、単なるってのは語弊があるけどさ。でも、物であることには変わりないじゃない。

ラーとかオシリスを見てよ。神様だよ神様。片や太陽神、片や惑星名前にもなっているほどの神様なんだよ。

なんだよ、オベリスクって。塔じゃん。石から切りだされた、量産型の記念碑じゃん。

なんでそんな名前を冠した奴がさ、神様と同列に語られてんの。おかしいじゃん。逸話ないじゃん。

海馬の顎の角度と似てるからってさ、もてはやしすぎてる気がする。

2012-07-04

Summerism

 季節はなんでやってくるのか

 どうしてそれはうつろいでゆくのか

 それは、公転運動があるから


 恒星があって、その重力があって初めて、惑星の公転運動があり、ひいては季節の移りゆきも生じてくるというわけだ

 つまり、季節というのは、太陽があって初めて成立するのだ


 季節は太陽のもちものなのだ


 そして夏は

 まちがいなく光の季節で

 太陽の季節でもある


 何故、時はうつろいゆくのか

 それはきっと、記憶があるから

 記憶があるから、新しい季節の輝きに気付くことができる

 かつての輝きを知っているから、新たな輝きに目をすがめることがあるのだ


 たとえば、世界の一切が、同じことの繰り返しだったとしても

 記憶があれば、その繰り返しごとに違った感想を抱くことができるだろう

 そうやって、記憶があればこそ、僕たちは同じところに留まるのではなく、次のステップに進んでいけるのだ


 全て、推進力とよぶべきものは、記憶のもとにこそある


 全ての季節の中心に太陽があるように


 しかし僕達は、いつかは記憶を忘れるだろう

 その記憶から遠くに行けば行くほど、記憶は薄れていく

 でも、遠くに行けば行くほど、また新しい記憶を手にすることができるんだ


 そうやって今日も一日を更新していく

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