はてなキーワード: 喫茶店とは
コナンの安室と梓さんが喫茶店でいちごを食べさせ合いっこしていちゃいちゃしてるページを貼って「公式カップルなのに腐女子に叩かれててかわいそう」的な流れにもっていこうとする人を某所でよく見る
実はその話は喫茶店の常連客のおばあちゃんがうたた寝しながら見た夢、というオチがついている
おばあちゃんは当然安室の正体を何も知らないから「黒の組織に潜入している危険な身でありながら一般人に恋をしてしまった葛藤」「公安警察だから仕事のことを彼女に何も話せない切なさ」みたいなこの二人ならではの旨味も何もなく29歳と23歳のフリーターバカップルがいちゃついてるだけの図になっている
特に夢の中の梓さんは喫茶店の商品を客前でつまみ食いする不衛生で恋愛脳の店員になってしまっているので(実際の梓さんは断じてそんな非常識な女ではない)
夢オチであることを伏せて喧伝するのはその場で何も知らない人を騙すことには成功しても長い目で見るとマイナスなのでは?それでいいのか?と思うのだが
あれは逆に梓さんとそのファンを貶めるためにやっているんだろうか
よーわからん
固有アビリティ装備してみたの。
自炊で使うお鍋をフライパン1つで何でもやっちゃおうってアビリティなのよね。
お湯を沸かすのはフライパンで沸かすと
テファールより早くて笑うわよ。
たぶんテファールのフライパンで沸かせばもっと新記録行くと思うわ。
まだまだ
ガスコンロでいっかなーって思ったワケなのよ。
よく町中華屋さんに行くと
中華鍋一つで煮たり揚げたり炒めたり器用に何でもしちゃうじゃん。
それを家で手軽にフライパン1つでやるってことと一緒なのかも知れないぐらいに
結構もしかしたらフライパンで空も飛べるんじゃないかしら?って思うほどよ。
特殊能力の必要の無い鍋で行うことは全てフライパンですますことができるわよね。
こ、これは!ってそのメリットをスケールを最大限に引き出さなくちゃって思ったの。
まあ魚焼くってのは
なかなかフライパンでは難しいのでと言うのも、
脂の多い魚は焼くというより
だからそう言った焼く専門の物は焼く機械に任せておけば良いのかも知れないし、
もっと私もフライパンを卓球以外にも使えるようにしなくちゃって。
本格喫茶店のトーストもフライパンで美味しそうに焼くって言う話もあるし、
なんだか二重表現をしているような気がするけど、
それも試してみたいところね。
今度キャンプに行くときはフライパン1つでいいのかも知れないわ。
作れるのは目玉焼きだけじゃないってところをもっと知るべきだわ。
とにかく
乾麺を茹でるときイタリア人が激おこするパスタを半分に折ってから茹でるアニメシーンを彷彿とさせるぐらい
折らなくて済むのも、
ダイレクトに長さが長いまま長いパスタのために鍋にぶっ込んで入れられるのは便利極まりないし
イタリア人にも怒られないし、
なにもひと手間加えることなく
ただフライパンで茹で上げたパスタだけで美味しくなっちゃうもうパスタ精神論の話になってしまいそうなぐらい。
だから
その話を思い出して欲しいの。
そしてもしジョイフル本田のフライパン売り場でフライパンを探している人がいたらそれはたぶん私よ!てなもんで、
思い立ったら思い立ったらでその都度都度行くんじゃなくて
広すぎてって意味よ。
遭難しないことを祈っていて。
うふふ。
殿堂入りの玉子サンドもたまには食べたくなるから不思議殿堂ね!
また時期早いかなと思うけど水出し麦茶ウォーラーもやってみました。
キンキンに冷えたのは冷えすぎだと思ったけど、
いいかもしれないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
さわやかは中毒性がある。
ハンバーグは、運が良ければ綺麗でかわいいお姉さんが席で半分に切って鉄板で焼いてくれる。
そのあと、オニオンソースをかけようとするのですかさず、ソース掛けないでくださいと止めましょう。まず、半分に切ってくれた片割れに塩とブラックペッパーをかけてから食べてみてほしい。
出来れば目をつぶって噛み締めると。牛の香りが鼻から抜けてんーおいしい〜っとなる。
ソースをかけたければ、鉄板が熱いうちに掛けないと、酸っぱいままなので注意だ。
これを数ヶ月おきに食べたくなる。
こんな楽しそうなハンバーグ他にあるー?
びっくりドンキーとは、うどんとそばくらい違うから比べたらだめ。
強制的にやれと言われるならもっと利益率が高いのを選択したいかなあ
逆に言うなら、大手チェーン店として存在しているものと同じことをしてはならない
だから、いきなりステーキができる前ならステーキはまだ選択肢に含まれていた
例えば、フランス料理のフルコースみたいなのは未だにチェーン店では存在しない
結婚や年齢を祝うイベントの方がメインだったりもするので、そこで利益率を上げられる
昼食が目的の客だったりすると、さっさと出せ、というのが再要求事項になったりする
払う金が少ないほどバカ舌なのに普段から苛々してたりもして味に五月蝿かったりもする
高い金を払う客は、もちろん高品質な料理を提供する必要はあるが、理不尽なクレームも減る
外食の起業をするなら、普段から一日に客が何人入ったら食っていけそうかとか考える癖がほしい
珈琲の単価はいくらで一日に何人来れば自分は生きていけそうか、普段から考えるのである
例えば、珈琲の単価は一杯500円、20人で一日の売上は1万円になる
しかし、そこから光熱費や賃料などが引かれるわけで、そうなると賃料は避けたいところではある
そう考えると、日給一万円がどれほどありがたいか身にしみて分かるのである
珈琲の単価も500円と大手チェーン店に比べれば高い、高すぎると感じる
しかし、ここで下手に味とか豆とかで勝負しようとしてはならない
例えば、近所の老人が屯する寄合所みたいなものにしたいと考えるとして、
珈琲の500円は入場料、おかわりは安くか無料に、日持ちのする砂糖菓子などのつまみ、
ボードゲームができるとか、昼間からカラオケなりジャズ演奏ができるとか、
フランス料理に話を戻すと、フルコースならば一日の客は片手で数えるぐらいになるが、
1コースの値段はかなり高く設定しても許されるようになると思う
それから、こういう場合は完全に予約制になるわけで、とにかく席の予約を埋める努力をする
予約制になるといいところは、前もって必要な材料の量が分かることもある
一日に20人客が来るぞ!と息巻いて、客がゼロだったら腐る食材は無駄になってしまう
自分や家族が食べるにしても限界がある、だから廃棄するようになる
もっとも、粉だって虫が湧くし、珈琲豆だって鮮度が落ちれば味が落ちるわけだが、
と思いつくままに書いてみると、やっぱり外食を起業する気にはなれないのである
しかし、ホリエモンなんかが言うように、だったらITというのも間違ってはいないが、
賭けた金が少ない分、売上は当然儲けも少ないのが世の常である
…
マクドナルドは駅から見える場所、モスバーガーは駅からちょっと隠れた場所、
みたいな話があった気がするが、飲食店で立地は非常に大事である
自分の想像だが、マクドナルドは一等地の賃料を払っているはずだから、
そうなると、原価厨が原価の小ささを騒ぐが、売上のかなりは賃料で消えているのではないだろうか
駅から見えるマクドナルドなんて食事というより待ち合わせとか、
何でもいいからさっさと食べたい、もしくは時間つぶしみたいな用途になると思われる
一方、モスバーガーは珈琲の単価も高くなるが、駅からちょっと離れた隠れた場所で落ち着きたいとか、
フランス料理のフルコースや老人の寄合所みたいな喫茶店ならば、
通行人やクルマの騒がしいところで記念日を祝いたいという客はあまりいないと思う
そう呟いたのは多分六年前だか五年前だったかと思う。その時俺達は喫茶店で、世の中の悪が何かについて話していた。
その場には男の先輩が一人と女の子の後輩が二人いて、先輩は「知ってる」とぽつり。女の子二人は「しらなーい」とぽつり。
勿論、俺と先輩はその話を掘り下げたりせずに、穏当に元の話題の路線へと戻り、「やっぱ世の中気を付けて生きなきゃだめよ」みたいなことを言っていた。女の子二人はケラケラと笑っていた。
◇
何で今更になってこんなことを思い出したかというと、当時テーブルを囲んでいた後輩の女の子が先輩と付き合って、破綻して、今朝がたtwitterで僕を含めた当時の関係者に対しての呪詛を書き連ねていたからである。
多分こういうのは、よくある話なのだろう。勿論僕はその後輩に横恋慕していて、そして二人の関係とか、あるいは時折後輩の見せる刺すような発言と態度に傷を負ったりしながら生きてきたのだけれど、そんなことは些事である。一々考えるようなことじゃない。
ともかく、今僕がこの文章を書いているのは、後輩の女の子が僕と先輩を含む当時の関係者にSNSで呪詛を連ねているところを見たからである。
その呪詛がどんなものだったかというと、彼女曰く、「悪を糾弾できない存在も悪だ」、とのことであった。
つまり、彼女はこう言っているわけである。当時、破壊的性向を持っていた先輩のことを僕を含む関係者は止めることができなかったし、そして、物事が落ち着くべき位置に落ち着いてなお、僕を含めた関係者は先輩のことを表立って糾弾したりするでもなく、あるいは罰したりするでもなく、淡々と日々を送っているのだと。つまり、先輩が悪であると同時に、先輩を裁くことなく静観していた、僕を含めた関係者もまた悪なのだと。
全く以てその通りだと思う。僕は悪の片棒を担いでいるのだ。物事を正しく裁こうとなど決してしなかったのである。
一応、僕は見知っている後輩らが先輩に対して好奇心なり何なりを持っているのを見咎めると、「先輩は悪人だから近付かない方がいいよ」と度々言及していた。(「悪」の具体的な内容についてはここでは伏せるが)
とは言え、一見インテリジェントで気が利いて、かつある分野において顕著な業績を収めた人物である先輩に対して、後輩たちは僕の忠告をあまり深刻には受け止めなかった。あまり僕の忠告は功を奏さなかった。後輩たちの中には、今でも先輩に連絡を取り続けている子もいるようである。まあ、それはそれで良いのだと思う。僕は別に彼女たちを悪し様に思っていないどころか、先輩にだって悪感情を持っていない。彼女たちはそれなりに幸せそうであるし、今でさえ僕は先輩と時々食事をしたり、ボードゲームに現を抜かしたりしている。
◇
スナッフフィルムについてご存知だろうか?
それは、快楽を目的とした殺人行為を撮影した映像作品のことを指している。特に、商業的意図を以て撮影されたものを指す。スナッフという言葉は、「ロウソクを吹き消す」という意味を持つ動詞であり、同時に「殺人」のスラングでもある。
勿論僕も現物を見たことはない。そもそも、「スナッフフィルムは単なる都市伝説で、実在しない」という論も根強い。
ただ僕は、二十年近く前にアングラサイトで「衝撃! 少女が公園で殺害される映像! 購入は以下のアドレスで!」的な宣伝がされていたのを見たことはある。そのサイトによれば、外国人の少女は公園で刺殺され内臓を引きずり出された後に、ガソリンによって燃やされるとのことであった。そういう宣伝を実際に目撃した人間からすると、スナッフフィルムは実在するという立場から主張するほかない。
(また、中東やロシアでの拷問や処刑の映像も広義のスナッフフィルムとみなすことができると思う)
スナッフフィルムにおいて撮影されるのは、主に少年少女である。
主なスナッフフィルムの内容は、少年少女に麻薬を与え、性的に高揚させた後で凌辱し、その後に殺害する、といったものであるそうだ。僕もよく知らない。正直この知識は既存の創作物から得たものなので、信憑性においては幾分問題があるかもしれない。
いずれにせよ、仮にスナッフフィルムが伝聞の通りに存在するのであれば、それはこの世の悪を煮詰めた存在であると思う。
それは、恐らくそれを求める人間が存在し、また、それを供給し得る人間が存在しているからだと思う。仮に、ある人物が何かを要求し、その対価としての金銭を十分に示せるとして、何者かがその要求された何かを提供できるとすれば、多くの場合そこには商業的取引が実現してしまう。可能な物事が、不可能であり続けることは難しいのである。マーフィーの法則を引くまでもない。
つまり、そのような商業的なやり取りは、人の意志を超えてしまうのだ。それが可能である限りで実現してしまう事柄に、人の意志は関係ない。そこにはある種のシステムが構築されてしまうのである。
そのようなシステムに根差しているのは、明らかに人間の欲望と暴力である。人間にとってのある種の欲望と暴力が可能である時、そこにはシステムが出来上がる。システムは、金銭と欲望達成を媒介に、暴力的に成立する。そして、人の意志とは関係なくそのシステムは自己増殖し、その体系をより確固たる存在へと変えていく。
「人々が欲望し、かつ金銭的対価を支払える事柄は、それが不可能でない限り実現する」これが、欲望と暴力のシステムにおける定言命法である。そこでは人の意志に関わらず淡々と物事が実現する。一度実現したシステムは、当事者の意志で止めることはできない。金銭を媒介に、システムは機能し続ける。
というわけで、世の中にはいわゆる悪が蔓延ることになるわけである。勿論、繰り返すようにスナッフフィルムの存在は都市伝説に過ぎない。「スナッフ」と銘打たれて販売された商品の多くが、作り物であるとも言われる。しかし、僕は「スナッフフィルムは都市伝説に過ぎない」という発言に対して、どうしても疑義を覚えてしまうのである。そう、人の意志とは関係なく機能するシステムが世の中には既に構築されており、そのシステムの内部においては、可能である事柄はすなわち実現するのである。そういった原則を振り返った時に、快楽としての殺人が不可能であると断じることが僕にはできなくなってしまうのだ。
まあいい。とにかく、世界においては、可能である限りで、そしてそこに人の欲望が存在し、金銭的な対価を示せる限りで、ある種の悪や暴力が必然的に実現してしまうという、悍ましいシステムができている。我々は、そのようなシステムに向き合わなければならない。そのようなシステムを糾弾し、ハックしなければならない。その在り方を上手く変更せねばならない、はずだ。
とは言えそのような決意が実現されることは稀である。何故だろう? 我々は多くの場合悪を放置し、看過するしかないのである。それが不可能であるからだろうか? 我々に内在する欲望を媒介に機能するシステムを、我々自身が変更し、打破しようとする行為は、そもそも自己矛盾的だからだろうか? よく分からない。
いずれにせよ、自身の欲望に根差したシステムに変更を加える行為は、決して簡単ではない。我々は、そのような欲望と暴力のシステムをどうしても看過せざるを得ない。
それは、スナッフフィルムに限った話ではない。ある種の極度に暴力的なコンテンツに限った話ではない。我々の身近には、その手のシステムが息づいている。我々は、日常的に、そのようなシステムに触れることになる。我々は暴力と欲望に根差したシステムに、普段から関与し、触れることになる。
例えば、不均衡なコミュニケーションもそれだ。一方の話者の力関係が他方の話者に優越しすぎたコミュニケーションは、暴力的な影絵を描く。そこには権力の不均衡が生じ、そして暴力と欲望充足を生じさせることになる。そのようなシステムが我々の日常では機能しているし、何なら我々はそのようなシステムに組み込まれている。
例えばそれは企業と個人の力関係においてそうであるし、あるいはある種の閉じたコミュニティにおいてもそうである。そのような力関係において、いわゆる弱者が欲望充足の手段とされることは珍しくない。我々の身近に、そのようなシステムは往々にして存在している。
我々はそれを看過しながらに生きている。あるいは、そのシステムを自身の一部として受け入れながらに生きている。
何故なのだろう?
この授業での様子は市内の新聞でも取り上げられた。
俺はそのことを、行きつけの喫茶店で知った。
あの時の会話を弟が聞いていたのかと気づいたのも、この時になってからだった。
「ハッ、時代だなあ」
「時代、ですか? むしろ、こういうのを厳しく指導しないのが現代だと思うんですが」
喫茶店のマスターと、常連客のタケモトさんも丁度その話題で盛り上がっていた。
「いやいや、オレから言わせりゃな、しっかり指導してこなかった時の“ツケ”を払わされてるのが今の若い世代なんだよ」
「と、言いますと?」
「箸の持ち方はな、現代社会の最前線にいる大人たち9割が従っていれば“環境が矯正”してくれるんだよ」
「箸の持ち方に限ったことじゃなく、常識とかマナー全般にいえることだがな。それを守ってる奴らが多くいれば、大抵の奴らは自分も守らなければって意識する」
「なるほど、行動の規範を形作る。それが“環境の矯正”ですか。逆に言えば、ルールを守らない人間が多くいれば、守ろうとする人間も減ると」
「なのに、箸の持ち方を気にするなだの指摘するべきではないだの。そうやって表面的に意識だけ変えようとしても、ふさわしい持ち方自体は変わらんわけよ」
「まあ、そうですね。その、“ふさわしさ”を求められる場面ってのも依然ありますし」
「だから箸は正しく持てるに越したことはないんだよ。なのに、やらなくてもいいって環境を蔓延させて、結局は必要だから授業でみっちり教えるハメになってる」
「ちゃんと持てた方がいいって思わせる環境が出来ていれば、わざわざ授業で教えなくてもよかった、と。だから今の若い世代は“ツケ”を払わされてるってわけですね」
「しかも、しっかり指導されてこなかった世代が、今は指導する立場になってるわけだから、その“ツケ”は利子つきだぜ」
話の発端になった俺がいうのもなんだが、箸一つでよくここまで話を広げられるなと感心する。
「つまり、アレだ。オレがタバコを喫煙所でしか吸わない、というか吸えないというべきかもしれんが、それも“環境の矯正”があるからだよな」
「健康被害っていう大義名分があるだけで、マナーって枠組みで見たら同じだって。それを嫌に思う奴がいるから、矯正するための環境ができんだろ」
「私も煙は吸いますが、さすがにそれは強弁が過ぎませんか」
「分煙を徹底して、周りに迷惑をかけていない喫煙者だって周りには忌避されるだろ。箸をちゃんと持ててないやつだって周りには迷惑をかけてないが、同じくらい忌避されて然るべきじゃないか」
まあ、タケモトさんの場合、箸の持ち方がどうというより、嫌煙家が憎いだけなんだろうけど。
でも、この“ツケ”という視点は、割かし的を射ているような気もした。
前回の記事より3ヶ月後、一念発起して結婚相談所に登録した。残念ながらそこで結婚相手を見つけることはできなかったが、別ルートから恋人ができたので、その経緯を記録する。これは、前回あたたかな言葉をかけてくれた方々への報告でもある。
また、結婚相談所で結婚こそできなかったものの、相談所の対応がとても親切であったことも残しておく。この記事が見知らぬ誰かの背中を押せたら嬉しい。
それなりに人口の多い県に住んでいるため、結婚相談所の候補を絞ることから始めた。自分には持病があるが、そうした様々な事情を抱えた人も歓迎してくれる場所をネットで3つまで絞り込んだ。そのうえで実際に担当者から話をうかがい、成婚率などの具体的なデータと制度を確認するとともに、担当者の人柄もチェックした。
穏やかな方が多かったが、コンプライアンスの観点から不安になってお断りしたところもあった。面談の場所として指定された店が商談禁止だったのだ。目くじらを立てることでもないのかもしれないが、少しでも不安を感じる要素は排除したかった。
結局、一番信頼できそうな方の相談所に登録することにした。自分の給付金10万円はここで使い切った。ついでに紹介された写真屋さんでお見合い写真も撮ってもらった。
多くの結婚相談所はNNRやIBJといった連盟に加入している。大きな違いがあるわけではないが、後者のほうが会員数は多く(2万人と6.5万人という違いがある)、株式上場もしているとのことだった。
仲人制度も存在していたが、それ以外の仕組みはマッチングアプリとよく似ている。つまり、こちらから気になった女性の写真をクリックし、自己紹介を閲覧したうえで「いいね!」する。表現こそ「いいね!」ではなかった気がするが、本質的には同じである。向こうもこちらに関心を持って「いいね!」を押せばお見合いが成立し、直接会うことができる。
マッチングアプリとの最大の違いは、「いいね!」を押すたびに必ず短文でもいいので手紙を書くことが要求されることだ。正直なところこれが大きな負担だった。というのも、マッチングアプリと同じく月に30回ほど相手に「いいね!」ができるが、マッチングアプリはお気軽にボタン一つでできるのに対し、こちらは文面を毎回考えないといけない。それでお断りされるのが続くと精神的に極めてしんどい。文章にはおのずと気持ちがこもる。しかし「ごめんなさい」の返事もなく、断られたことが無慈悲にアイコンで表示されるだけである。
一応、お見合いパーティも存在していたが、コロナ下で頻度が月に1度あるかないかで倍率は高い。しかも、いざ足を運ぶと男性2人女性2人という状態で、マッチングしづらかった。安上がりな街コンのほうが良かったかもしれない。
これは自分がえり好みしているからかもしれないと考えて、隣の県の女性も含めて「いいね!」をし、対象年齢も5歳年上にまで広げた。しかし、梨のつぶてだった。婚活を始めて3か月、見た目収入か持病か理由はわからないが、女性から必要とされていないと感じた自分は完全に心が折れた。
行き詰まった自分は、大学時代に親しくしていた女性にメールした。そのアドレスが生きているかどうかはわからなかったが、どうしてもメールを出さずにはいられなかった。何かに引き寄せられるように、久しぶりに会ってお茶でもしたい、と綴った。
幸い彼女からは返事が来て、懐かしいので会いたいと言ってくれた。結婚相談所の担当者さんに「実はある女性と再会していい雰囲気になっていますが、どうやって告白したらいいでしょう」と厚かましくも相談したら、とても丁寧なお返事をいただいた。
前回、マッチングアプリで音信不通になった女性とのデートで、何が悪かったかを自分なりに考えた。
1つにはデート時間が長かったことが考えられる。出典を忘れてしまったが、長いデートは男性の想像する以上に女性にとって体力的にしんどいらしい。また、初めてのデートはお茶をするだけでもいい、とも聞く。音信不通になった女性は体力のあるほうで、昼間から夜まで映画を見て水族館を見てご飯を食べて、みたいなデートを繰り返していた。しかし、それが早く飽きられる遠因であったこともありうる。そのため、デートではできるだけ長居し過ぎないことを心掛けた。
もう1つは告白の場所が悪かったのだろう。無理して雰囲気を作ろうと夜の公園とか慣れない店を選ぼうとしてうまくいかなかった。また帰り際に告白しようとするとあわただしくなり、きちんと言葉を選べない。今回は自分のくつろげるなじみの喫茶店で告白した。無理に帰り際にロマンチックな場所を選ぶよりも、デートの途中でもいいので自分がアウェイにならない場所を選択するのがいいらしい。その点、1人であちこち出かけていたのが役になった。それでもめちゃくちゃ緊張した。
彼女と交際できてとても幸福だ。彼女ほど素直な女性を自分は知らないし、彼女ほど喜ばせてあげたいと思える女性はいない。
今まで試みてきたマッチングアプリ、街コン、合コンなどでのみじめな失敗も、すべてを教訓にしたことで今がある。言い換えるならば、自分の行動にはすべて意味があったように思う。結婚相談所で失敗したことさえ、相談員さんから背中を押してもらえるというプラスの結果を得た。恋愛・結婚市場における自分の価値などどうでもいい。彼女がそばにいてくれれば、他人の評価に意味はない。
また、下世話な話をすれば、彼女は結婚するまで深い仲にはなりたくないらしい。でも、自分もそれでいいと思う。愛する人との親密な触れ合いはさぞ気持ちのいいことだろうと思うが、それがなくたって彼女がニコニコしていれば十分だ。
ここに至ることができたのも、友人とここでの励ましのおかげだ。優しい言葉に深く感謝し、ここに筆をおく。
キスもできずに別れました。
2022年10月末、再び結婚相談所に登録、婚活頑張ってます。
プロポーズして受けてもらえた! 頑張ってよかった!
分かり合いたいと思うけど私たちは単なる同僚。
けどそんなこと直接言ったらおかしい。
仕事帰りに2人で喫茶店に入って話をしている途中でそのことに気がついてしまって、言葉が続かなくなった。
一方で、話し合う前から話し合う選択肢を相手に与えないのも無礼ではあると思う。
でもお互いが求める関係性のずれを認識して、私が勝手に申し訳なく思って黙ってしまったことを彼に説明するのは変。
喫茶店を出てからの帰り道、表情が消えた私の顔を彼が心配そうに覗き込むのが怖かった。
彼からしたら、比較的表情豊かで言葉数の多い私が言葉を発さなくなり、目から光が消えたのは怖かったと思う。傷つけたと思っただろう。
だけど私はまっすぐと彼の方を向くことができなかった。
体の向きを変えて、彼と反対側にある中吊り広告を見たり車窓を眺めたり。
彼からすれば、目も合わせてくれない、口も聞いてくれない。
「テンションめっちゃ低くない?」と言わせたり、たくさん話しかけさせたり、謝らせたり。
こんなつもりじゃなかったのに。
この関係性のズレを放置したら放置したでめんどくさいけど、正そうとすると拗れると思う。
そもそも、正すってどの方向に?職業として、社会人としての正しさを求めたら、私は想いを無かったことにすることしかできない。
本音を言えずに会話して、もっと話したいのに時間だけが過ぎていく。表情が固まっていく私と向き合いながら、戸惑った顔で氷で薄まったカフェオレだった液体をストローで吸う彼を眺める時間はどこか虚しかった。
もう潮時なんだろうな。片思いを続けるのも。本音で接してくれる彼に対して、これ以上想いを隠して接するのはもう難しくなってきた。本音で接してくれる人に対しては本音で接したい。だけどそれをするともう迷惑がかかる。
それと同時に、想いを伝える時期ではないというのも分かる。
また話そうとか、話せば考えもまとまるかもと彼は言ってくれるが私が引っかかっているのは仕事に関してじゃないんだ。あなたとの関係についてなんです。あなたとの関係について自分の考えを整理するために彼の時間を使うのは違う。本当にごめん。
「女性の方が恵まれている、男の方が割を食っている」と感じている男がかなりいることは、近年SNSなどで可視化されている。
断っておくと、政治や経済などのマクロなレベルで女性が差別されているのは間違いない。これは強調してもしすぎることはない。
では「女性の方が恵まれている」のは、なんの根拠もない言いがかりなのかというと、そういうわけでもない。ミクロなレベルでは、女性の方が恵まれているように錯覚する要因が確かに存在するからだ。
恋愛市場においては、女性が選ぶ側で、男性は選ばれる側なっていることが多い。恋愛漫画や恋愛ドラマ、ねるとん系の恋愛バラエティ番組、ほとんど全てが「女性が男性を選ぶ」という設定になっている。選ばれる可能性の低い男性からすれば、女性に恋愛の決定権があるように見える。
グルメ、旅行、ファッションの広告とサービスは、圧倒的に「女性向け」につくられているものが多い。テレビでよく紹介され、とくに最近増加しているカフェや雑貨店は完全に女性向けで、中年男性が一人で訪れるようなものではなく(かつての「喫茶店」はむしろ中年男性向けの雰囲気だった)、むしろ「小汚い中年男性」が決して近づかないような雰囲気になっている。男性向けの消費はあったとしても、車のような高額なものばかりで、金のない男性からすると女性が中心の消費の場から排除されているように感じる。
結婚している男性の大部分も、家計の財布は女性が握っており、少なくとも日常的な買い物や消費に関しては、男性の決定権は小さい。このことは、上述の消費文化の女性中心主義にも大きく影響している。
確かに正規労働の世界では、マッチョな長時間労働と飲み会文化などで女性が排除されている。他方で非正規労働の世界は女性が主流で、非正規公務員などの事務仕事については完全に女性が独占しており、男性の非正規は身体的負担が大きい3k労働に限られている。そして残念なことに、パート主婦で非正規中年男性に対する侮蔑感情を持っている人は多く、パート主婦の多い非正規の仕事につくと、かなりの確率でいじめに遭う。
ある朝目を覚ますと同僚が事務所近くの広場にガンダムが来ているから見に行こうと誘いに来た。
驚きと期待を胸にトラックに乗り込、いざ目にしたガンダムは思いの外小さなものであった。
それもそうである、ガンダムの全長は約18m、おおよそ6回建てのビル程の大きさであり、それこそ今作業している3階建ての民家の屋上に立つと、丁度よく胸から上が見える程度だ。
案外小さいものだったと最寄りの喫茶店で話していると「馬鹿言え、大きさが凄いんじゃない。あのデカさの人型が動いているのが凄いんだ。」と言われた。しかしながら、人型のものが動くというのは存外視覚的驚異が少なく、間近で見れば先程まで乗っていた貨物トラックの方が威圧感があるだろう。なんとも夢のない話である。