はてなキーワード: 占い師とは
数年前のこと、楽天を辞めて占い師に転身した時、田舎の家族にはその事を内緒にしていました。
今ではその名を知らない者はいない(楽天カードマンのおかげさまで…)上場企業にお勤めと思っていた娘が、収入が不安定極まりない怪しい占い師になっているなんて…
最短のコンビニまで歩いて30分かかるそんなド田舎から1年浪人してまで東京の大学に入れてもらった自分にゃーそんなことは、親不孝過ぎてですね、とてもじゃないけど言えませんでした。(おいおい、もっと職業に自信持って!)
それも1年半でバレてしまいましたが。
未だ娘の生活について不安感充満の母おふさと父ピロシキのふたりをパーティーにサプライズで招待し、できましたら会場の皆様で声を合わせ「し~ん、ぱ~い、ないさぁ~~ッ!!!」(大西ライオン?)って安心させてあげたいんです。(そんなことで安心しますかね…)
放蕩娘を思うストレスのせいで寿命が10年縮んでしまった二人。
2/7で縮んだ10年プラス5年分寿命を延長させてあげたいです…
都内国立大学を卒業後、金融会社を経て楽天へ。会社を辞めて早3年、、占い師池田34歳都内在住独身、この度電子書籍を出すことになり、こんな企画がスタートしております!!
「どうして解散するんですか?」は、どうみても小学四年生のサイトには見えない。
今回の一連の騒動で、サイト構築の手際にケチを付けたり、デザインやスクリプトの拙さを指摘する声は皆無だ。
つまり、「小学4年生」という冠を外せば、サイトとしては良く作られている。
数人のチームで、数日で作り上げたとするのであれば、そこそこの値段が取れる出来だと言える。
問題なのはコンセプトであり、根底にある「小学4年生を騙った政治主張」なワケだ。
そうなると「本気で小学4年生を騙る気だった」と仮定すると、矛盾が生じる。
繰り返しになるが、本件で「彼ら」の技術的な能力は、悪くない。
当然、小学4年生を騙る気なら、小学校の自由研究リサーチしたり、場合によってはリアル小学生に作文を依頼するなり方法が山ほどある。
「知り合いの小学生が政治に興味を持っていたことに感動したので、我々に出来ることがないかとお手伝いをした。このサイトは我々が作ったが、その主張は小学生のもので、サイトの魂は小学4年生のものだと考えています。(プライバシーに配慮して、Twitter上のやりとりは大学生が仲介します)」
とかなんとか、いくらでも考えられる。
つまり、彼らはコレを「フィクション」や「主張の為のロールプレイ」だと考えていた節がある。
そう考えなければつじつまが合わない程度には、彼らには能力も技術も動機もあったハズだ。
ロバート・レッドフォード監督の映画『大いなる陰謀(Lions for Lambs)』は、政治色の強い映画だ。
野心的な政治家と、苦悩する記者。政治に真剣な大学生が、軍隊に志願し、大学教授は彼らを必死に引き留める。
そして、かたや能力も才能も持ちながら、怠惰な生活を送る白人大学生と教授との会話。
怠惰な大学生は、その能力を持ちながらTVの前で、自堕落な生活に疑問を持ちながらも流されていく。
貧困層の黒人が前線の無謀な作戦で窮地に陥る点を、「嘘をついている」と批判されるだろうか。
そうではないだろう。
コレは映画であり、明確なフィクションとして、万人に認識されている。
政治的な主張に対して批判こそあれ(リアリティがない・陰謀論に傾いている等はあれども)、映画だ。
彼らは、こういったフィクションと同じ「釣り」を楽しんでいたつもりだったのではないか。
「彼ら」はきっと、十分に賢いだろう。
たぶん僕よりもずっと記憶力に優れ、計算が速く、試験で点も取れる。
事実と意見を区別すること、主張と人格を分離すること、論理立てて誠実に説明すること。
医者として誠実であろうとすれば、「薬には副作用があります」という説明をするしかない。
事実と意見は区別しよう、事実はその裏付けをキチンとしめそうと言ったところで、
既に世の中には、「絶対に」「1000%」「必ず」といった演説や論説が溢れている。
質問時間中に「庶民感覚がない」と言ったり、「漢字を読み間違える」と指摘したりする。
賢く熱心で、議論というモノを理解しようとする子供達から、そう言った「手法」を模倣し出す。
例えば、学校制服の有り無しで両論陣に分かれて議論するときに、ヤジを飛ばす。
相手の言い間違いを指摘して笑い、些細な間違いを追求して全体を否定する。
ただ、世の窃盗犯が根絶できないから、子供に物を盗むなと叱れないわけじゃない。
モラルのない大人が居るから、子供にモラルを教えられないわけじゃない。
それが「僕らの一歩」だろう。
(例えば、この匿名投稿内の事実はなんだろうか?裏は取れるだろうか?意見は?「なぜ上から目線なんだ?」というコメントに価値はあるか?)
一部上場企業の社長や有名芸能人の相談などで、年9ケタ弱ほど稼がせていただいております。
今回、知人から匿名で記事を書くサービスがあるということを聞き、ぜひともこの場を借りて、実名での公表を躊躇っていた重大事実を発表したいと思います。
それは、平成という年号は占いの観点からみると、最悪中の最悪だということです。
皆さん、少し思い返してみてください。
それに続く、阪神淡路大震災。
これらは全て平成になった途端に始まり、今日に至るまで国民は経済的・精神的余裕が全くない状況に追い込まれています。
繰り返しますが、その原因は年号が「平成」であるからにほかなりません。
安倍首相のアベノミクスも失敗に終わりましたが...はっきり言いますね。
経済だけではありません。
原発メルトダウンによる放射能流出により、国民は気付かぬうちに、体を蝕まれています。(放射能の影響は癌による死亡率の増加という形で現れるため、現在はあまり注目されていませんが...)
これによって、仮説を支える論拠自体が消滅した。よって、「弱酸性の刺激を与えた動物の細胞から万能性細胞が生まれる」という仮説は、俺が「ネス湖でネッシーを見た」とか「古代日本は大陸からきた騎馬民族に征服された」とか主張するのと同レベルの仮説になった。「仮説」というと聞こえはいいが、彼女(とその協力者が)積極的に証明しない限り「勝手に言ってるだけ」である。
これに「ちゃんとやりました」と反論しようにも、実験ノートが杜撰すぎて「疑惑はこの点がおかしくて、実際はこうだ」「自分がこれこれこういう方法で作った」と証明できない。
今後、理研の再現実験を除いて、もし仮に誰かが似たような方法でSTAP細胞を創り出すことに成功するかも知れないが、その場合、賞賛されるべきはその人だけであって、小保方氏には何の功績も与えられない。路上で「東北にもうすぐ大地震が来る!」と20年前から叫んでた占い師(がいたとして)と同じ扱いになる。
にもかかわらず、文科相まで応援に回って理研は再現実験をやってる。やるのは勝手だが、その金と時間とスペースとポジションを他のポスドクに回した方が遙かに有益な結果が得られるだろうと多くの研究者は思っている。
最近の閉塞した人生を少しでも変えようと街コン参加を決意して、色々と調べたら大変面白いイベントへ参加出来たのでメモがてらレポを残しておく。ちなみに筆者は男です。
09:00 小田原集合
15:15 九頭竜神社参拝
朝から夕方まで分刻みの忙しいスケジュールだが、箱根パワースポットバスツアーの名に相応しい要素を抑えていると思う。
参加費は、男性\16,800、女性\9,800と、中々にツボを突いた値段設定と思う。
集合場所は小田原駅。箱根湯本で無いのは個人的に残念なものの、新幹線の駅もあるしロータリーも広く妥当な所だろう。
バスの前に行くと受付で名前を告げてバスの座席順決めのための最初のクジ引き(マッチング①)。バス座席は左右2列ずつの普通の観光バスで、窓際女性、通路側男性となるよう番号で決められていた。覚悟していたとは言え、狭い空間で初顔合わせの男女で二人きりという状況は、中々のスキルが要求される。さっそく仲良く話始めるペアもあれば、気まずそうな沈黙に包まれるペアもある。もう戦いは始まっているという事だ。15分ほどでひと通り集合・出発。
バスは箱根の山道を左右に揺らしながらガンガン進む。出発時に参加人数が40弱である事が発表された。(しかし、驚愕の発表として、うち男二人が集合場所を新宿と勘違いして集合出来なくなるハプニングも…。ちなみにこの二人は頑張って昼食から合流してました)
道中最初の自己紹介タイム。全員にプロフィールシート表が配られていたが、これがわかりづらい!A4の厚紙に合計12箇所の記入欄があり、それぞれに名前や仕事・趣味といったことを書く欄があるシートとなっていた。はじめは全てに頑張って記入し、切り取って相手に渡していくのかと思ったが、実はこのシートをそのまま異性に渡して、その異性にプロフィールを書いてもらうという仕様となっていた。つまり、ツアー終了時には12人分の異性のプロフィールが自分の手元に一つのシートとして残るわけだ。ともかく一人目のお相手に書いてプロフィールを書いてもらって、それをネタに雑談を進めていく。その他にはジャンケン大会などを行いながらほどなくガラスの森へ到着した。
バス内で事前に8チームになるようクジ引き(マッチング②)を行って、4~6人ずつでガラスの森へ。夏休み突入直後ともあって館内は子供連れも多く気恥ずかしい。しかし大変天気も良く、美しいガラス細工を見ながら館内を鑑賞。途中、グラスハーブなどによる生演奏が開催され、柔らかくも美しい音色に聞き入る。実に良い経験をさせてもらった。散策時間は約1時間ほどだったが、ゆっくり見てまわるには少なすぎる。チームの互いの紹介もままならない状態でバスに帰還となった。バスに戻る際に再び座席決めのクジ引き(マッチング③)で先ほどとは別の異性と相席する。プロフィールを交換しながら雑談しているうちに次のザ・プリンス箱根へ程なく到着した。
ガラスの森と同じく、バス内で事前に8チームになるようクジ引き(マッチング④)を行って、ザ・プリンス箱根のパーティー会場「相模」で昼食。食事はビュッフェ形式で、ビーフシチューやパスタ、ピザ、ドリア、サラダ、スープ、カレーなどなど、種類は豊富。食事の量も人数分しっかり確保してあり、後半メンバが足りなくなるような事はなかった。ただ、全体的に味付けが濃く、夜のお酒を片手に行うパーティー向けなのは少々残念。飲み物はソフトドリンクとしてオレンジジュースや烏龍茶が用意されていた他、アルコールはビール、ワイン、焼酎とこちらもホテルのパーティーらしい品揃え。全体的には過不足ないが面白みも無いメニューだった。ただし、ピンクカレー。テメーはダメだ。食事中にツアーの目玉の一つである専門の占い師による無料恋占いの整理券配布が行われる。先着順ともあり、女性の皆様は一斉に整理券ゲットに走っていた。すぐに順番に呼び出しがかかり、個別ブースでタロット占いを行ってもらっていた。一人5分弱?くらいと思われる。食事は20分ほどで終了。ちなみに途中で新宿野郎たちも合流していた。ホントに来たよ。ある意味尊敬する。
食事もそこそこに、マッチングタイム開始のアナウンス。ちなみにこの間も占い呼び出しは続行中。まずは女性がクジ引き(マッチング⑤)で席替え。食事の時とは違うメンバでマッチングタイム開始。円卓のテーブル内で男女4~6人の円テーブルを囲みながら1回7分ほどのコミュニケーションを取っていく。ただ、例のプロフィールシートを書くのに忙しく、大半の時間が記入に消えてしまう。書き終わっていざ話を盛り上げようとしても、あっという間に時間終了で、ろくに会話が出来ないのは残念すぎる。時間経過後は、男性のみテーブル移動。クジでは無く、男性の自由意思でテーブル選びを行う。熾烈な争いの場だ。途中休憩をはさみつつ、合計4回の移動(マッチング⑥~⑨)でコミュニケーションを取っていく。正直後半はダレて来てプロフィールシートを埋める作業になりつつあり、顔と名前が一致しなくなる。ある意味、ココでどれだけ集中力を持続させ、最大のパフォーマンスを発揮するかが求められるだろう。
戦いの余韻を残しながら、アンケート記入タイムへ。Webに掲載されていた前回開催時の率直なアンケート結果を事前に見ていたこともあり、割と辛辣な事も書きつつ良い機会を用意してくれた事に感謝を表明しておく。
その後はお楽しみ抽選会で、箱根の温泉入浴券や箱根園水族館チケット、さらには\30,000相当の箱根宿泊券など、開催規模から考えたら中々の商品が当たるジャンケン抽選会。箱根観光協会の本気と実力が窺い知れる内容だった。
そして時間は運命のカップリング発表へ。カップリング決めには、各人に配布された希望シートへ第3候補までの異性の名前を記入し、お互いがマッチすれば晴れてカップリング成立となる。今回は合計8ペアのカップリングが成立となった。参加人数が40人弱であるため、成立率は約40%となる。街コンとしては驚異の成立率だろう。ココが一番の盛り上がるシーンのはずだが、人間は素直なもので発表が進むにつれ場の空気は大変重くなっていく。最初のペアが発表された時は気軽に拍手の祝福があったが、最後のペア発表時は本当に悲しいくらい弱々しい拍手だった。今日一日の戦果が決した瞬間である。
見事カップリング成立した8組が先行しつつ、徒歩で九頭龍神社参拝へ。片道30分ほどの距離。カップリング成立したペアはお互いの親睦を深めつつ長い道のりをゆっくり進む。逆にカップリング成立しなかったメンバはフリー移動で続いて神社へ。ココでさらに声をかけて仲良くなる人もいたようだが、やはりカップリング不成立の壁は大きい。中には孤立する人も抱えながらゆっくり神社へ歩を進めていく。午前中の快晴と打って変わって深い霧に包まれた芦ノ湖を見ながら程なく神社へ到着し、順番に参拝を済ませていく。途中、白装束に身を包んだガチの参拝者もいらっしゃっており、無作法な人間が多く参拝していた事が少し申し訳ない気になった。道中は特にマッチングのイベント等は無く、カップリング成立者と非成立者で明確に天国と地獄が別れた時間だったと思う。
ホテルへ戻った後は30分余りの休憩、おみやげタイム。気の合う人たちはラウンジでお茶を楽しんだりしていた。また、主催者はバルコニーに出てアンケート結果らしきものを眺めながら一日の反省会をしていたようだ。
帰還のバスも自由着席でカップル同士や同姓同士、ボッチなど様々なスタイルを反映しながらの道程で、一日の戦果を客観的に教えてくれるものだった。小田原到着後の解散もあっさりしたもので、2次会らしきものに行くメンバも見当たらないまま流れ解散となった。
批判的な所も書いたが、率直な感想としてツアー代金以上の価値があると思う。ある程度運も要求されるが、前半のバス搭乗~食事までは異性と強制的にゆっくりと話す時間が設けられており、ココで気の合う異性を見つけられた人がカップル成立となっていったのだと思う。特にガラスの森は女性受け抜群で、適当に会話をあわせるだけでコミュニケーションをとれるので口下手な人でもネタには困らないだろう。逆にマッチングタイムの忙しさが際立ってしまったのは残念で、正直自分はココで会話した異性の印象はほとんど無い。1日で最大多数のマッチングを取るためには致し方ないが、もったいない気がしてならない。
参加者の質としては、男女ともに2割くらいがハイスペックだったと思う。容姿だけで無く、年齢や仕事など総合力に優れる人はやはりカップリング成立となっていた。自然の摂理とは言え自分が鋭く評価されるものであるため、結果をどのように受け止めるかが今後にも繋がってくると思う。カップリング不成立だった人は不満タラタラだと思うが、今日1日で同姓のドコが評価されていたかを観察できたのでは無いだろうか。今日の結果を踏まえて改善出来なければ今後には繋がらないという残酷なまでのメッセージをだと思う。
逆にカップリング成立した人たちに対する九頭龍神社参拝は、一日の熾烈な戦いに勝利したご褒美だろう。都合2時間弱の時間を強制的にペアを組んで行動するため、コミュニケーションを深めるにはうってつけだ。神社のご利益も相まって、主催者の狙い通りの展開となっていた。
主催者側については、箱根観光協会ならではの趣向で楽しませてもらったと思う。ただ、全体的に手作り・手探り感が拭えず、進行もわかりずらい点が多々あった。今後に期待。
主に男性視点。まず身だしなみは大変重要と再認識。だらしないシャツ着てるヤツは論外。目立つだけの服装もNG。コミュ力はどうしても要求される。主催者側はマッチングやプロフィールシートできっかけ作りに腐心してくれているが、結局はそこから会話に繋げられるかは参加者自身の問題だ。会話が続かなかったり、トンチンカンな受け答えしている限りカップリング成立は夢のまた夢。イケメンがカワイイ子をゲットしていくのは当たり前と了解した上で、いかに自分の土俵で勝負するかが問われるということだろう。ただ、参加者の質は本当にピンキリなので、最上でなくとも中の上を意識して目指せば、カップリング成立はそれほど難しく無いのでは無いだろうか。
あと女性側へ。30後半は正直厳しい。ともかく、男女問わず空気嫁。
信じるも信じないも自分の判断だろ。
先に述べておくと、占い師を必要としている人はたくさんいるし、
占い師に助けられた人もたくさんいるだろう。
この世に占い師が存在する理由はたくさんあるので、必要がないわけではないと思う。
ここで、占い師にも2種類あることを明記しておきたい。
なぜか。
占い師というのは、超常現象的な力があるわけでもなく、トリックによって未来がわかるわけでもない。
それをいかにも、「私には未来が見えます」という謳い文句で、嘘八百を並べ立て、不特定多数の人から金をせしめるのだ。
どう考えても最低だろう。
当然、占いにもいろいろあるだろうと思う。
占星術や四柱推命など、そうではないらしいが統計学をベースとしたものなんかは、確率的に言えば当たりやすいだろう。
だが、一番の問題は、占い師はあたろうがはずれようが、一切なんの責任も持たないことにある。
「あなたは今こんな状況にあるんじゃないですか?このままいくとこうなりますよ。
これを打開するには、こういうことをしないといけないです」
だとか、なんとか言っちゃったりするんだけど、それをしてどうなろうが
占い師はなんの責任も持たない。責任を持たずに金だけ取るというのは、取引として対等だろうか。
「私の言った通りにしても、その通りにならない場合もあるし、なる場合もありえます」
実際のところ、占いというのは、未来を占ってもらうものではない、と分かっていて利用している人が大半なのだろう。
だから、占いはカウンセリングみたいなものなのだ、という人もいる。
迷ってることに対して、背中を押してもらいたい時に占いに行くという人もいる。
それは理屈としてはわかるのだが、そうならば、「カウンセラ」という立派な職業があるのだから、そう名乗ればいいじゃないか。
まっとうなカウンセラに対して、侮辱にも程がある。占い師風情がなにがカウンセリングなんだよと。
まったく、最低なんだよ占い師のやつ。糞野郎が。
まず、前提として。この日記を書こうと思った理由は2つある。
ひとつは単純に自分の気持ちを吐きだしたかったから。2つ目は、「なぜ死にたいという思考までたどり着いたのか」を書くことで、自殺についてのケーススタディの役立つかもしれない、という思いがあったからだ。まぁこんな匿名の日記を誰が読むか、とか、好き好んでスタディするのか、みたいな思いは勿論あるが。
あと、書き手について。自分は大学4年生だ。大学は私立で、専門性も学費もかなり高い。入学時から東京の外れで一人暮らしをしながら通っている。就職活動中で、無い内定。
「死にたい」という気持ちは、複合的な理由から生まれるようだ。
【就職活動が上手くいかないこと】
正直なところ、自分の就職先は才能がものをいう世界のため、実力が無いと就職をするのが厳しい。勿論専門とは関係のないところに行っても良いのだが、どうにも夢を諦められない。しかし、才能が無い。ひとつの手段として、一般的な職に就き、専門のことは趣味に抑えることも考えた。しかし、そもそも職に就けないのだからどうしようもない。
自分は、大学生である今が一番幸せだと思っている。したいことができて、時間をゆっくりと使うことができる。しかし就職すると、自分の時間はぐっと減ってしまうだろう。さらにもし、仕事にきちんとした意味を見いだせなかったとしたら。それは長い苦しみの末死ぬのと同じではないのだろうか。だったら今、楽しいと思える段階で死ぬ方がよほど合理的ではないだろうか。
【やる気がでないこと】
自分は努力厨だ。努力すれば大体の物事は叶うし、努力出来ないのは自分がたるんでいるからだと考えていた。しかし今、その気持ちが首を絞めている。やる気が出ないから自分を責める、しかしやる気が出るまでやってみるも、うまくいかない。そしてまたやる気が無いからと自分を責める。責めてばかりなのでやる気も潰える。結果は出ない。そもそも褒められるようなことをしていないので、自己嫌悪のスパイラルに陥るのだ。
【その他諸々】
たとえば、臼蓋形成不全という病を患っていること。大掛かりな手術をしない場合、早くて10年年後、痛みで足が動かせなくなるらしい。あとは、数百万の奨学金という名の借金を背負っていること。中学のとき一度自殺を図った(方法はとても死ねるようなものではないお粗末なものだったが)ことによる人生の延長戦感。今まであまり必要とされてきたことがないこと。何をやっても感動しなくなったこと。ネット依存がひどいこと。今日は新学期の授業があったのに寝坊で出なかったこと。などなど。
自分の場合は全体を通して「理想と違う自分への嫌悪」が気持ちとして大きいが、やはりちいさなきっかけが積み重なってこうなってしまうのだろう。
○最終的な決め手
最終的な決め手は、自分でも笑ってしまうが「Twitterの退会」だった。
【依存による退会を決意】
自分のアカウントは、現実の知人とは一切繋がりを持たず、漫画やゲームの趣味でつながるものだった。アニメ化の話でリプライを飛ばしあったり、ちょっとした日々のことをツイートしたり。しかし、最近どうにも依存が過ぎた。リプライが来ないことにそわそわし、つねにタイムラインを監視しつづける日々。ひょっとしたらやる気がでないのは断続的にTwitterをやるせいでは無いのだろうかと思った自分は、思い切ってアカウントを消すことにした。アカウント連携を外し、理由は述べずに明日で退会する旨のツイートをする。これにはとても勇気がいった。(余談だが、同時に今まで積み上げてきたものをぶち壊す高揚感もあった)
【アカウント削除という擬似的な死】
Twitterを止めることは、つまり「ネット」社会的に死んだことに他ならない。「ソーシャル自殺」と言っても良いだろう。ネット世代の馬鹿な考えに思えるかもしれないが、直接的な繋がりのないソーシャルネットワークでは、消えたアカウントとは(新しくアカウントを作らない限り)永遠に会えなくなる。そしてこの擬似的な死を体験することが、死にたいという気持ちをはっきりと持つ決め手となった。漠然とした感情であった自殺を、バーチャル的にでも体験してしまい具体化することで、形を持ってしまったのだ。
自分も例に漏れず、孤独だ。孤独は嫌いじゃないし上手く付き合ってるつもりだが、「死にたい」という気持ちを加速させる力を持っている。
【何でも話せる友人がいない】
自分は昔から誰ともペアになれなかった。「AとBっていつも一緒にいるね」と思われたことは一度も無かった。そもそも、固定のグループにいることがなく、クラスのグループの3,4つを転々としていた。だからグループ全体での遊びに誘われることはほぼなかった。そういうわけで、周りに人がいるのに大して仲のいい人はおらず、ましてや「死にたい」などと言おうものなら中二病かと一笑に付されること請け合いだった。(そう思ってしまうくらい、プライドが高いということも理由のひとつだろうが…)
【親にも話せない】
バイトもしておらず、サークルも似たような有様だったので、自分は一人暮らしを始めてからずっと親にだけ相談をしてきた。しかし、「死にたい」という気持ちは親にも言えなかった。勿論生んでくれたから申し訳ない、という気持ちからでもあったが、それよりもっと大きな理由があった。まず、父はこのご時世珍しくはないが、心の病気を患っていた。母はそんな父の言動から「人生の希望」を失ってしまった。今の母は、ネットゲームを生き甲斐にしている。そんな彼らに「死にたい」とは言えまい。
というか先日、実際に「辛い」ということを電話で母に相談したのだが、「そんなこと言われても」「そうは言ってもやるしかないでしょ」「アンタは頑張ってるよ」と、返答した。
その間ずっと、受話器越しにキーボードを叩く音が聞こえていた。
そういうわけで、「死にたい」ということを話せる人間がいなかった。カウンセリングも対して役に立たなかったし、心療内科には毎週薬を渡されるだけで終わった。一番心が軽くなったのは横浜中華街の占い師だったなんて、いっそ笑えてすらくる。
ともかく、きっかけを与えられた「死にたい気持ち」は、孤独によってより膨らんでしまうということだ。
○で、自殺するの?
ここまで書いておいてなんだが、おそらくすぐに自殺することは無いだろう。勿論今も死にたいという気持ちはかわらない。未来に希望も持てないし、内定も無いし、やる気もでないし、自己嫌悪もひどい。しかし吐露したことによって気持ちの整理がついたし、少しすっきりもした。それについさっき思い出した、母に言われた一言が、自分の自殺をかろうじて止めてくれている。
「旦那が心の病気になったのは、自分の責任でもある。もしアンタもそういう病気になったら、私はもっと自己嫌悪が酷くなる」
だから自分は心の病気にもなれないし、自殺もできない。もう死ぬしか助かる道はないと分かっているけれど、両親の死や自我崩壊など、更に大きな決め手ができるまで、自分は「死にたい」という気持ちを心に持ちながら、生きていくしか無いようだ。
ビルの軒先で古本販売をしている。折りたたみテーブルにフリーマーケットのように本やCDを並べる。隣には占い師をやっている男がいる。冬なのにサングラスをかけて気持ちが悪い男だが、愛想だけはよくていつも話しかけてくる。いつまでも話すので、あまり相手にしない。
占い師の男はキャンピングカーで日本一周するのを夢見ている。古本のように在庫があるわけでもないし、身一つで放浪したほうが楽だと伝えてみたが、どうしてもキャンピングカーにこだわりがあるという。占い師はブログでも稼いでいるが、そのブログを読んでみてもどこに人気の理由があるのかわからず感想を伝えるのに難儀する。
客が少ないので早めに店じまいをする。商品をキャリアカートに詰めて、隣の占い師に挨拶をする。急に将来のことが不安になり、ブログで稼ぐ方法を模索してみたが何も思い浮かばない。書評ブログを書いているが月に百円程度の収入しかない。過去に超マイナーな作家から書評の感想をメールでもらったことがあるが、印象に残ることといえばそれくらいだった。
本を読んでいるだけで生きていければいいが、そういうわけにもいかない。せどりも今では稼げなくなってしまった。
なんか現実感のある夢だった。
占い師がいいよ
俺も占いなんて全然信じてないけど、占い師の人たちは相談者のことをよく観察して、人生相談にアドバイスをするプロだからね
なかなか素晴らしいアドバイスを貰えるよ
その裏付けが占いで出すのか、占い師の人生観などから来るのかは別に問題じゃなくて、ただいいアドバイスがもらえたらいいわけだからね
その点で言えば、変なのに当たらない限りまったく問題ないと思うよ
「~について占ってください」じゃなくて、スナックのおばちゃんに愚痴るみたいな感じで、「こういう状況なんだけどどうしたらいいかなー、
いまのとここう考えてるんですけどね」みたいな感じで話すとよいよ
前の彼女から、新しい彼女に乗り換えようか、どう別れ話切り出そうか悩んだときに占い行ったわ
「もう気持ちが新しいほうにいってるんやし、はっきり別れ! 新しい女が、とか言う必要全くないし、お互い仕事が忙しいから
って感じだった
そこで乗り換えた彼女がいまの妻ですわ
相談が終わってから、一応占ってくれたけど、結婚は何歳がいい、って出てますね、と、いまの彼女とすれ違ってるけど、男の影は見えないですね、
と、それだけ教えてくれた
2、3千円で30分くらいだし、よいアドバイスがもらえたらラッキーくらいな気持ちで気軽にいけるんじゃない?
ショッピングセンターとか、駅ビルとかにあるやつで充分だよw
仰々しいセラピーとかなら敷居高いけど、友達とか彼女とかと一緒に目についた占いブースに行けばふらっと気楽に入れるし、案外楽しいかもよ
エリクソンは別に選択肢を絞ってどちらかを選ばせる、なんてことはしてません。
一番良くある典型例として
「No」と言えない子に、「No」と言ってごごらん?と聞いてみる。
この答えとして、「No」と素直に言ったとしても、嫌だの意味で「No」と言っても、どちらも「No」と言ったことになる。
その際に、どんな答えを持ってきたとしても、出来たじゃないか!と言って褒める。
もとのダブルバインドは、そこでどんな答えを持ってきたとしてもなんでNoって言うんだ!と言って怒る。
そういうこと。
別に「ダブルバインド」は選択肢を2つ(ダブル)に固定する(bind)、と言う意味ではない。
その最初の言葉そのものに二つの意味を持つ、等と言う方が正しい。
つまり、「No」と言いなさい、と言う言葉には、その後どう転んでも褒める、という意味合いを持つ。この二つの意味合いのダブル。
心理学ってのは名前だけ持ってくると人を信じさせやすいから(超大物占い師が言ってたとかそう言うレベルだけど)
どこかのバカが最初になんとなく何かで知って、都合の良い解釈をして、
馬鹿な発想をいかにも学者がきちんと検証したんだ、ということを表すために間違って心理学の用語を使う。
バカすぎ。
事あるごとに「○○高生ってマジでバカだよなーw(でも頭いいぞ!俺たちすごいよな!)」と盛り上がる。
赤点取っても浪人しても「バカだよなーw」と笑ってる。いや実際馬鹿なんだよ。
卒業して10年以上経っても、酒が入って自虐風母校自慢になると止まらない。
事あるごとに「○大生ってマジでバカだよなーw(でも偏差値高いぞ!俺たちすごいよな!)」と盛り上がる。
単位落としても留年しても「バカだよなーw」と笑ってる。いや実際馬鹿なんだよ。
外から見たらただの冴えない男の集団でしかないのに、何年経っても集まっては同じ話を繰り返してる。
事あるごとに「○○マンってマジでバカだよなーw(でも優秀だぞ!俺たちすごいよな!)」と盛り上がる。
恐ろしいことに40前後の上司から2年目の新人まで、世代間の対立はあるのに、帰属意識と自尊心は同じように育っていることに気付いた。
会社の業績、業界の将来のこと、本当にわかってるのか?そのまま定年まで家族を養えると思ってるのか?
高校でも大学でも会社でも成績の悪かった俺は、大抵苦笑いで馬鹿の同調圧力をやり過ごしてた。
たまに「いや、実際に馬鹿だろ」と真面目に返しても、誰もまともに取り合わなかった。
周りにこんな人間ばかりだった俺自身、奴らと同じくだらない人間だ。
考えるのを止めて馬鹿の中に混じり、優秀な母校の卒業生の話や、母校の研究成果の話、過去の栄光を肴に酒を飲むのにも慣れていった。
奴らは自分の所属や過去の話はほとんどせず、多くは寡黙で、たまにフワフワした夢のような取り留めない話をし、面白がられてはいたが、誰もまともに取り合っていなかった。
今では音楽家とか占い師とかニート博士とかNPOの代表とか、成功したり失敗したり、それぞれ好きなように生きている。
10年ぶりにそのうち1人と偶然再会し、酒を交わして言われた。「増田は馬鹿だから社会人は向いてないよ」
踏ん切りがついた俺は春からまったく異業種の大して有名でもないベンチャーに転職する。
同調圧力から開放される喜びが先に立つかと思ったが、現実的な不安に襲われるほうが大きく、やっぱり俺って馬鹿だったのかもしれない。
ADHDの人間は「勇猛果敢」で狩りが得意であるとか、アスペルガー障害の人間は記憶力が高く「知の伝達」が得意であるというは、まったくの誤解である。
いや、それさ、それらの障害者本人がちょっとそういう知識を得た上で自分を養護するためにいったりとか、
中途半端な擁護者たちが、彼らには障害がある一方で素晴らしい能力が有る、だからむしろすごい存在なんだ、
アインシュタインやビル・ゲイツや世の中の頭の良い人間はアスペルガーだ、って実際診ても居ないのに言い切る精神科医とか言う占い師が居たり、
それをそのままそれら障害者の代表にしたてあげて、アスペルガーだから出来たことだ、みたいな話にいつの間にかなったり。
(実際、彼らがどうなのかは知らんが、あれだけ頭が切れるすごい人間だ、ということで有名になった人間であれば、
普通の人がやるようなおどけた行動とかふざけた行為をちょっと公衆の面前でするだけで、頭がおかしいとか空気がよめないとか言われてるだけの可能性もあるわけで。
もし仮に、それらの人がアスペルガーだとしても、単に成功者の一部がアスペルガーだった、というだけで、アスペルガーだから成功したわけではないわけで)
挙句の果てに、それらの障害者は、ただただ、今の時代、人間社会で「マイノリティー」だから馴染めないだけで、それはマジョリティー(定型って言葉をよく使うよね)が勝手に排除してるだけだ、っていう論法。